楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

たかが栗のこと

2013年11月08日 09時20分16秒 | つれづれなるままに考えること
以前、友人が駅前に洋菓子店をオープンさせた。
開店セールと称して、洋菓子を四割ほど安く値段をつけて売りに出した。

所がである、関西ならいざ知らず、
東京では殆んど売れないと言って良い位売れなかった。
友人が嘆いてボクにつぶやいた。

「お前、味は如何なんだ」と訊くと、
ボクにそう言われるのは意外という感じで、
お土産に持ってきていた菓子包みを開いて、
「食べてみろ」と言う。お茶を入れてその洋菓子を食べたら、
「うん、美味しい」とボクが答えた。それで、
「美味しいお菓子は高価なんだ。
お客さんは、安いから美味しくないと判断しているのではないか。
安くしないで少し高くして見ろ。」とボクが言うと、

ボクのアイデアが友人を馬鹿にしたかのように友人は受け止めたらしいが、
騙されたと思って、値段を通常より1割アップして店頭に並べた。
すると、洋菓子は毎日飛ぶように売れて、品切れが続いたころ、
また菓子折を持って、ボクの所へやってきた。
「この間はどうもありがとう。お蔭で沢山売れる様になった」と、
御礼に来たと言うのだ。
何気なく言ったボクの言葉に、そんな威力があったとは自分でも驚いた。

前置きが長くなったが、表題の栗のこと、
洋菓子店をオープンさせた方は、フランスで洋菓子の修行を積み、
日本に帰ってケーキの上に甘く煮た栗の剥き身をのせた。
栗は、わざわざヨーロッパから仕入れてのせ、
欧州産の栗と表示したことで高級感を出し、
値段も高く売れたに違いない。

しかし、時が経ち、人件費、テナント料、材料費等々値上がりする中で、
少しでも利益を上げようと、次々世代のパティシエが、
材料費を切り詰めることを考えたことは、
当然のことかもしれない。
ケーキの上に乗せる栗を安く仕入れようと、
中国から取り寄せて材料費を切り詰め利益を上げることに成功した。
しかしケーキの正札に欧州産の栗と表示してあることを、
すっかり忘れていたに違いない。
あるいは知っていたけど高級感を出すために、そのまま放置した。
欧州産でも、中国産でも味は変らないから良いじゃないか、
そう思ったに違いない。

日本の法律では表示を偽ってはならない、
もっと解かりやすく言えば、嘘を言ってはならないとしている。
これは日本でなくても世界中で嘘はあってならないのである。
ケーキ屋さんは、ケーキを売るのであって栗を売っているのではない。
たかが栗のことと言うけれど、騙された人にとっては大変なことだ。

ボクは栗と言うと正月のお節にある「栗きんとん」が好きだ。
栗きんとんは、岐阜県中津川市の名物になっている。
中津川市に寄った時、栗きんとんの老舗に寄って栗きんとんを求めようとしたら、
お店の方が、
「栗は季節のものですから、秋にならないと栗きんとんはございません」の答え。
これが正しい。
それを中国から栗を仕入れて、栗きんとんを造り、
「はい、どうぞ」と包みを渡され、代金を払っていても、
味に変りは無いが、老舗としての信用にかかわる。ボクは、
「そうですか、それでは秋にもう一度お邪魔します」と答えて帰った。
夏になる前のことである。
「また来ます」とは言ったが、東京から新幹線で名古屋まで行き、
中央線に乗り換えて中津川まで「栗きんとん」を買いに来ますと言ったのだ。

その後、暑さの静まる秋になって中津川を訪ねて、栗きんとんの老舗へ寄って、
栗きんとんを六個購入した。
電話で注文して送ってもらえば良いことだが、
「季節の栗は秋にならないと収穫できないから、
栗きんとんは出来ない」と話された店員さんの言葉に、
送って貰ってからでは、味が落ちるとでも考えたからに違いない。
バカなことをしているが、
老舗の「栗きんとん」を、お店で買って食べたかったからに違いない。

家に帰ってカミサンの前で包みを開き、栗きんとんを見ると、
栗きんとんとは、甘く煮た栗を潰したものを、
茶巾絞りで固めたものであることが解かった。
淡白な栗の味で、甘すぎずお茶と一緒に美味しく戴いた。
たかが栗の話であるが、やっぱり老舗の味は美味しいものである。
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いろいろな挨拶

2013年11月04日 09時35分31秒 | つれづれなるままに考えること
もっとも良く使う挨拶は、「こんにちは」だと思う。

次が「さよなら」で、日本に来る外国人は、

このほかに「ありがとう」を覚えて日本にやって来る。

いろいろな国の挨拶を、自分自身でどの位知っているか、

指折り数えてみた。

1、ハロウ、バイバイ、サンキュウ(英語)

2、ニイハオ、サイチェン、シェシェ(中国)

3、ブエノスディーアス、アスタマニャーナ、グラシアス(スペイン)

4、ボンジュール、オ ルボアー、メルシー(フランス)

5、グーテンターク、アウフビデルゼーン、ダンケシェ―ン(ドイツ)

6、ボンジョルノ、アリベデルチ、グラッチェ(イタリア)

7、オーラ、チャウ、オブリガード(ポルトガル)

意外に少ないものだ。

英語は殆んど万国共通語で世界で一番、

世界で二番目は、話す人口が世界で二番の中国語、

話す人が住んでいる国の面積が世界で二番目のスペイン語、の二つ。

学生時代、第二外国語に中国語を学んだ人、スペイン語を学んだ人に別れ、

経済学を学んだ人はドイツ語であった。



話は変るが、英語は海賊の言葉、フランス語は恋を語る言葉、

スペイン語は神と語る言葉、ドイツ語は喧嘩の言葉と学生時代に言われて居た。

発音や抑揚の調子から言ったものだろうが、上手く当てはめたものと思う。


日本が経済大国世界二位のころ、外国旅行をしたが、

日本人が多く訪ねるためか、ヨーロッパでも、オセアニアでも、

勿論アジアでも日本語を学ぶ人が多く、

言葉には不自由しませんでした。

親日的なニュージーランドやオーストラリアなどは、英語圏なのに、

英語で話しかけると日本語で答が返って来ました。



そう言えば、以前、日本でアメリカ人にロウヤル・パレスまでの道を聞かれて、

そのアメリカ人が地図を持っていたので、

場所を指差して「今ここにいます。まっすぐ行けば20分ほどで皇居にいけます」と、

英語で答えたら、小さな声で「この人英語が話せるのだ」と英語でつぶやいたので、

聞きとがめて「日本人は誰でも、最低六年間は英語の勉強をしているので、

このくらいのこと誰でも話せます」と言ったら恐縮して、

「ゴメンナサイ」と言っていました。

最後に「ボン ヴォワイヤージ(良い旅を)」と

フランス語(英語も同じ)で言ったら、苦笑いしていました。

日本人は外国に行くと、(こんにちは、さよなら、ありがとう)くらい、

その国の言葉を覚えて使いますが、英語圏の人(特にアメリカ人)は、

決して勉強してこないようですね。

世界は全部英語で当リ前と言う態度でいます。

そう感じるのはボクだけでしょうか。







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