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news commentary

ポーカーの手みえみえ

2018-05-28 00:16:01 | Weblog

1972年のニクソン訪中による米中関係正常化の始まりは、1971年8月ニクソンが72年2月の訪中を発表するまで極々限られた人しか知らなかった。71年8月のニクソン訪中発表を聞いた当時の佐藤栄作日本国首相は目のくらむような思いだった。訪中発表に先駆けてキッシンジャー補佐官が極秘裏に北京に行き、中国首脳部と交渉をした。キッシンジャーの隠密外交を当時のアメリカのメディアはかぎつけることができなかった。ニクソン訪中発表から実際の訪中までには6ヵ月の準備期間があり、ニクソンが北京に降り立った時、共同声明の大筋は出来上がっていた。

米朝首脳会談のお膳立てでポンペオCIA長官(当時)が極秘裏にピョウヤンへ出かけたが、準備不十分なうちにトランプ大統領がしゃべり始めた。そのお喋りと、大統領側近の高飛車な対北要求に対抗して北朝鮮が会談の中止もありうると語り、米大統領が6月12日予定のシンガポール会談は中止と、北朝鮮の金委員長に手紙を書いたことを公にした。

そのあとすぐさま、米朝双方がその舌の根もかわかないうちに、6月12日にシンガポールで会ってもいい、と焼けぼっくいに火がついたようなことを言っている。

これまでは、政府間交渉は重要外交日程が終ってからしばらくたって、「会談やめだ、やってもいい、交渉には荒波が何度も襲ってきた」などという秘録でしか知りえなかった。外トランプ政権下のアメリカでは、外交の機微にわたる出来事が、米大統領の口と指先で広く世間に同時進行で伝えられている。

こうした型破りな、開かれたアメリカ外交はトランプ大統領ならではの事だろう。専門家に意見を聞いて考える前に、ついつい口が開き、指先がツイッターのキーを打ってしまう個性的な大統領ならではの展開だろう。

アメリカは北朝鮮のICBMが米本土到着前に処理する万全の態勢をまだ整えていないし、北朝鮮はアメリカの対北攻撃を心配している。だから双方が会うことを決意した。ICBMと核があったからこそ、アメリカ大統領が会おうと腰をあげかけている。ICBMと核のない北朝鮮だったら、アメリカは歯牙にもかけなかっただろうということを、北朝鮮はよく知っている。核とミサイルが北朝鮮のお守りであり、魔法のランプなのだ。

したがって、体制保障と経済援助が先か、核とミサイルの廃絶が先かという「卵と鶏のどちらが先か論争」に決着はつかない。キューバ危機の回避にあたって、ソ連がキューバから核ミサイルを撤去する見返りに、米国がトルコに配備していたミサイルを撤去するとソ連に約束した。

とはいうものの、援助と核開発の中止の取引が失敗したとトランプ氏とその政権は過去の米政権のやり方を非難しているのであるから、似たような取引はしないだろう。それでいて米国民中のトランプ・共和党支持者を歓喜させる手柄をあげたいのだから、会談失敗→北朝鮮への軍事攻撃開始という脅しが現実のものになる可能性がある。いまのところその歯止めは、朝鮮戦争の記憶である。米軍(国連軍)が中朝国境に肉薄すると、中国人民解放軍が参戦してきた。国連軍司令官だったマッカーサーは原爆の使用をトルーマン大統領に進言した。トルーマンはマッカーサーを更迭した。原爆を使用すれば、朝鮮戦争が半島の局地戦ではなくなるからだ。

さて、北朝鮮との交渉がこう着状態になり(大いにありうる)、それを一気に打破するために米国の大統領が核使用を含む北朝鮮への軍事攻撃を決意した時(トランプ大統領は何度も繰り返し口にしている)、いったい誰が米大統領を更迭することになるのだろうか?

(2018.5.28 花崎泰雄)

 

 

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小粒になった朝日新聞の素粒子

2018-05-20 01:11:22 | Weblog

朝日新聞夕刊1面学下の「素粒子」の筆者が交代したらしく、このところ筆先がなまっている。読んでいてちっとも面白くない。「素粒子」は一読、ヒッ、ヒッ、ヒッヒと乾いた笑いを誘うのが売りだった。

それがいまではオピニオンのページの「かたえくぼ」や「川柳」のアマチュア・レベルの風刺技術しか見られない。素粒子が「かたえくぼ」「川柳」に負けていることもある。

たとえば5月19日夕刊の「素粒子」はこんな風だった。

                      

 説明し過ぎてかったるい。

 

一方で、同じ19日の朝刊「かたえくぼ」はシャープで笑えた。

                     

  

 

素粒子のようにいまさら麻生氏のパフォーマンスをあげつらっても笑いはよべない。麻生氏は政治家としての見識がこれといってない人だ。一時期、この国の首相を務めたこともあるが、「麻生政治」とラベルを張れるような政治理念や政策展開はこれといって見られなかった。記憶に残っているのは、麻生氏は漢字を読むことが苦手であるという些末な事だけである。財務大臣として海外の重要会議に出席するが、その会議で際立った発言をしたという記事は新聞で読んだ記憶がない。記憶に残っているのは、例の似合わない帽子姿だけである。日本の新聞ですらそうなのだから、海外のメディアではニュースになることが稀である。

麻生氏の語りから失言と暴言を引き去ると、たいしたものは残らない。麻生氏に限らず、自民党の議員の中には、支持者の集り、業界団体でのスピーチ、派閥の会合で、政論はさておき、くすぐりとしてリスキーな発言をしてサービスに努めるものがいる。

5月19日の朝日新聞朝刊「朝日川柳」に「麻生節などとおだてりゃ木に登る」(真庭誠)と副総理・財務大臣を「猿」が「豚」扱いする句があった。その程度の麻生太郎氏が永田町でとぐろをまいて居られるのは、その家系ゆえである。

失言・暴言・放言居士の麻生太郎氏の父の顔は新聞で見たことがある。麻生多賀吉氏。祖父の顔はよく覚えている。吉田茂氏。麻生多賀吉氏は吉田茂氏の娘と結婚し、吉田首相の金庫番を務め、国会議員もやった。木登りをするとからかわれた麻生太郎氏は、経済資本と文化資本を合わせた揺るぎない政治資本を受け継いでいる。いずれ勲1等をもらうことになるのだろう。

 

(2018.5.20  花崎泰雄)

 

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マレーシア・ディレンマ

2018-05-13 21:53:19 | Weblog

マレーシアの首相だったマハティール氏が思いがけず同国の首相に返り咲いた。辞任した首相が再び首相の座に就くことは稀有なことではない。日本の安倍晋三氏は2006年に日本国首相を任期途中で辞した。後でわかったことだが、病気だったという。病気から回復して2012年にふたたび首相に就任した。

しかし、マハティール氏の返り咲きは稀有な事である。安倍氏が最初の首相のポストを辞したのは53歳のときで、2度目の首相職に就いたのが58歳の時である。マハティールが20余年にわたってマレーシア首相を務めたのち首相のポストを明け渡したのは、日本風にいえば間もなく「傘寿」というすでに後期高齢者だった。今回、野党連合「パカタン・ハラパン(希望の連盟)」を率いて、独立以来マレーシアの連邦政府を独占してきたUMNO(統一マレー国民組織)を中心とした与党連合「国民戦線」に総選挙で勝利し、首相のポストについたとき、彼はすでに「卒寿」を過ぎていた。

セピア色になったフィルム写真の人物が突然色鮮やかなデジタル写真の人物に変貌した。驚愕に値する稀有な出来事である。それほどまでにUMNOによる政治にマレーシア国民は飽きていたのである。

と、同時に、マハティール氏の首相返り咲きは、マレーシアという国のディレンマも示している。マレーシアの政権党であるUMNOで頭角を現していたころ、マハティール氏は『マレー・ディレンマ』という本を書いたことがある。マレーシアのマレー系人口が社会的ステータスにおいて中国系マレーシア人に後れを取っていることを問題し、マレー系市民が中国系市民と肩を並べる社会的ステータスを獲得できるように、マレー系市民に対して優遇措置をとらねばならないと訴えた。いまように言えば「マレー・ファースト」の政策である。この本は政府によって発禁となり、マハティール氏はUMNOから追放された。

だが、マハティール氏はまもなくUMNOに復帰して、やげて首相となった。『マレー・ディレンマ』は発禁の書からマレーシア国民の必読書に代わった。首相時代のマハティール氏の強権的手法によるマレーシアの近代化路線や、UMNO内での主導権争いの数々や、首相の座に肉薄してきたアンワル・イブラヒム氏の追放劇など、長くなるのでここでは書かない。筆者が13年前に書いたマハティール氏の政治的評伝「誇りと偏見――マハティール 1981-2003」を読んで往時をふり返っていただきたい。

マレーシアの有権者の多くが、このところの経済の不調とUMNO政権の腐敗を嫌って、剛腕マハティール氏を呼び戻した。あるいは、マハティールを神輿に担げば、UMNOを倒せると野党連合の人々は考えたのであろう。つまりは、マハティールという名がまとっている名望が票になると考えたのである。これはアジアにおいては不思議なことではなく、マレーシアのナジブ・ラザク前首相はアブドゥラ・ラザク元首相の子で、シンガポールのリー・シェンロン首相はリー・クアンユー元首相の子、パク・クネ前韓国大統領はパク・チョンヒ元大統領の子だ。インドネシアのメガワティ元大統領はスカルノ初代大統領の子である。日本国の首相も、岸信介―安倍晋三、鳩山一郎―鳩山由紀夫、吉田茂―麻生太郎、福田赳夫―福田康夫と首相の座が親から子や孫にバトンタッチされてきた。

生活が以前より豊かになり、教育が普及し、勤労者に成果主義が押し付けられる時代になっても、能力の有無より名望によって政治権力者を選ぶというならいが変わらない不思議な社会がある。

今回、UMNOを主体にした政権連合「国民戦線」に対して、野党が終結して「希望の連盟」を組織し、マハティール氏を担いだ。だが、希望の連盟の有力なメンバーの人民正義党の党首ワン・アジサ氏はマハティールによって政治から追放されたため前面に出ることができないアンワル・イブラヒム氏の妻である。アンワルも隠れた人民正義党の指導者である。

アンワル氏は同性愛行為で有罪判決を受けて収監されているが、アンワル氏の支持者たちの間では、アンワル氏を政治から遠ざけるためのマハティール氏とナジブ前首相の陰謀との考え方が強い。マハティール氏はアンワル氏が恩赦を受ける日は遠くなく、恩赦によって政治に復帰できるようになれば、首相の座をアンワル氏に禅譲すると言って総選挙を戦った。

新たに政権を担う「希望の連盟」は人民正義党と、華人系人口に支持者が多い民主社会主義寄りの民主行動党やイスラム系の諸政党の多様なイデオロギーの集まりで、政権の先行きに金融市場は不安がっているが、政治は市場のためにやっているわけではない。

 (2018.5.13 花崎泰雄)

 

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その手口に既視感

2018-05-10 01:12:36 | Weblog

トランプ大統領が日本時間で5月9日夜、北朝鮮に捕らわれていた米国人3人が解放されて帰国する、とツイートした。その1週間ほど前には、間もなく解放される見込みがある、とツイートしていた。

同時に、3米国人の解放の発表にあわせて、米朝首脳会談の日程と開催場所が決まったとツイートした。米朝首脳会談の開催地についても、間もなく発表できるとか、軍事境界線も悪くないとか、あれこれ間断なくツイートしてきた。

大統領報道官に発表させるより先に、自らツイートすることで、アメリカ国民とメディの注目を、その内容よりもトランプ大統領自身に向けさせようとする手法だ。

このような情報を小出しにして、自らの存在をメディアと国民に売り込む手法は、今から60年以上も前の1950年代にジョー・マッカーシー上院議員が使った手である。

記者たちに、国務省に巣食っている共産党員とその支持者のリストが間もなく手に入る、明後日には発表できるだろう語り、中身のない予告記事を書かせて世間の関心をあおった。次の発表の日が来ると、ちょっとした支障が生じて、完璧なリストがそろっていないので、発表はあと数日後になるだろう、記者たちに語って関心を継続させ、増幅させた。マッカーシーはこのままではアメリカが共産主義者の思うままになると国民の恐怖を煽った。

記者たちはマッカーシーの言っていることを疑っていたが、世間が強い関心を持っていると思われることがらについて、上院議員が嘘をついていると書くことはできなかった。

トランプはアメリカの領土と安全をイスラム教徒やメキシコ人などから守らねばならない、アメリカの経済を慾深い中国や日本やEUから守らなくては明日のアメリカはない、と煽って大統領になった。

1950年代のアメリカのジャーナリズムはマッカーシーの全盛時代に、マッカーシーは嘘つきたと書かなかった。2017-18年のアメリカの新聞のかなりが、特にニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストが、大統領トランプは嘘つきだ、とオピニオン欄に書いている。大統領は嘘つきだと書きながらも、大統領のツイートは報道しなければならない。真偽に関わらず、大統領が語ったことはメディアで伝えられねばならない。

どこかの国の首相が、膿を出し切る、と語れば、そう語る本人がウミの親、という深刻なジョークのあることを知りつつも、それが活字なって伝えられ、音声がテレビで流されることになる。報道の中立性・客観性、ニュースとオピニオンの分離という枠組みがあるからだ。対抗手段としては、読者・視聴者がメディア・リテラシーを磨くしかない。

それはさておき、1950年代のマッカーシーの「赤狩り」で、国務省は東南アジア関係の、特にベトナムの専門家を失った。豊かな現地体験と知見、それにもとずいた将来展望を政治家に伝えることができるスぺシャリストをマッカーシーが追い払ったことが、アメリカのベトナム介入とその後の悲惨な泥沼の一因であるとする歴史家もいる。

トランプ大統領はTPPから離脱した。地球温暖化対策のパリ協定からも離脱した。イラン核合意から離脱した。中国と貿易戦争も辞せずの構えをみせている。米国大使館をイェルサレムに移すことで中東和平のプロセスを複雑にしている。彼のイスラエル寄りの姿勢がサウジアラビアをのぞく中東諸国とイランの反感を高めている。

マッカーシーが招いた混乱はアメリカのジャーナリズムと政治の陰鬱な研究材料になった。リチャード・ロービアは著書『マッカーシズム』(岩波文庫)に、マッカーシーを「アメリカが生んだもっとも天分豊かなデマゴーグ」であり「アメリカ人の心の深部にかれくらい的確、敏速に入りこむ道を心得ている政治家はいなかった」と書いている。

トランプの時代のアメリカが何を失い、何を得たか。いずれ誰かが『トランピズム』という本を書くだろう。それを楽しみに待っている。

(2018.5.10  花崎泰雄)

 

 

 

 

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