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news commentary

裁判所帰りに反乱ごっこ

2007-11-30 23:50:49 | Weblog
フィリピンのマニラ首都圏・マカティにある5つ星のペニンシュラ・ホテルに武装した兵士がたてこもっているという11月29日のテレビのフラッシュニュースには一瞬ドキッとした。

というのも、フィリピンではアロヨ大統領に対する不満がつのり、政情不安が高まっていたからだ。半月ほど前の11月13日には、マニラ首都圏・ケソンにあるフィリピン下院ビルで爆発が起きていた。この爆発で、イスラム過激派の元主要メンバーだった下院議員ら3人が死亡、10数人が負傷した。フィリピンのイスラム・ファクターや、反アロヨ大統領勢力がどんどん鋭角的なっている時期だったからだ。

ペニンシュラ・ホテルに立てこもった兵士は、不正で泥まみれのアロヨ大統領の政治手法を激しく非難し、退陣を要求した。しかし、軍や警察はホテルを包囲し、最後にホテルに突入、たてこもっていた兵士らを拘束した。テレビでは装甲車がホテルの玄関を突き破ってロビーに突入する華々しいシーンが放送された。しかし、この事件で死者は出なかった。

つかまったのは、上院議員のアントニオ・トゥリリャネス(元大尉)とダニロ・リム准将、ギンゴナ元副大統領ら。彼らは、ホテル内で記者会見まで開いていた。

アントニオ・トゥリリャネスは大尉だった2003年にも兵士を率いてたてこもり反乱事件を起こしたことがある。この事件でかれは庶民の間の英雄になり、今年5月の上院選に獄中から立候補して当選した。ダニロ・リムも2006年のクーデター計画に加わったとされている。

この2人は反逆罪の容疑で、29日にマカティの裁判所で開かれた公判に出廷した。そのあと、法廷から脱出、支持派の兵士と約30人で市内をデモ行進したのち、ペニンシュラ・ホテルに入った。このあたりの警備のかったるさがいかにも南国的なのだが、それはさておき……。

1986年のマルコス追放クーデターのあと、フィリピンでは1987年、1989年、2001年、2003年、2006年と頻繁にクーデター未遂や小型の反乱事件が起きている。

1986年にマルコスに反旗を翻してコラソン・アキノ擁護に回ったフィデル・ラモス将軍は、アキノ大統領の後継大統領になった。

1987年と1989年の反乱の首謀者はグレゴリオ・ホナサン大佐だったが、彼はのちに恩赦を受けて解放され、その国民的人気によって上院議員におさまった。ホナサンはいまなお軍内の若手理想主義者に人気と影響力とを保持している。ホナサンのコピーがトゥリリャネスである。

歴史的経緯により、フィリピンの政治はあらましアメリカの政治のコピーであるといってよい。その民主主義の運用の仕方もアメリカのコピーである。だが、アメリカとは異なるフィリピンの政治文化がその民主主義のありように一味変わった風味を添えている。

フィルピンは海外出稼ぎで国を支えている。国内では貧富の差が激しく、かつての地主層が富と権力を独占している。フィリピンの大衆は選挙で一票を行使するが、その一票が選挙民の現実の生活と以下に関わるかを知ることが少ない。選挙による代表民主制を採用しているところでは多かれ少なかれ似たような現象が起きているが、フィリピンではこの傾向が極端に突出している。一票はファン投票のような気分で投じられる。日ごろの不満の溜飲を下げるために投じられる。勧善懲悪のスクリーンの英雄エストラーダを大統領にしたのもこうした票であった。

フィリピンの政治はパーソナリティーの政治であり、有権者大衆は政治家にオーラを求め、統治者にメシア的救済者の幻影を見ようとしている。フィリピンの政治はいまなお幻想と幻影の政治である。

このあたりのフィリピン政治の特質の詳細については、(お閑な方は)拙著「幻想と幻影の政治――マルコス 1965-1986」をどうぞ。

(2007.11.30 花崎泰雄)


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その椅子譲りがたく…

2007-11-27 15:30:49 | Weblog
ロシアのプーチン大統領は、来年、同国大統領としての任期切れをむかえる。プーチンはそのとき、大統領として2期をつとめたことになるので、現行のロシア憲法の下では、3月2日に予定されている大統領選挙に出馬する資格がない。にもかかわらず、プーチンはロシアを世界の大国に育て上げる仕事を自らの手で引き続きやりたがっている。というよりも、ご本人にとしては、その仕事、私以外にだれができるか、という自負もがあるのだろう。

そこで、大統領を退任したのちは、首相に就任するというアイディアを、プーチンが表明している。変身の術というか、多選禁止籠脱け詐欺でもある。

大統領が首相に変身した最近の例は、東ティモールにある。シャナナ・グスマン大統領が退任後、新しい大統領ラモス・ホルタの下で首相に就任した。

プーチンが首相になれば、ロシアは事実上、大統領制から首相制に変わることになるので、憲法の修正が必要になるだろう。

さらに、最近では、プーチンが任期途中の12月にも辞任して、3月の大統領選挙に出馬した場合、大統領の「連続3期」を禁止した憲法に抵触しない、というウルトラ解釈がプーチン周辺で流されているそうだ(『朝日新聞』11月27日付朝刊)。

一方、ベネズエラ。同国のチャベス大統領は、国連総会で米国のブッシュ大統領のことを、「ここに悪魔が来ている」と悪態をついて、一躍、海外ニュースの人気者あるいはおどけ者になった。もっとも、そのブッシュ大統領もイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と口汚くののしったことがあるので、お互いさまということだろう。チャベスは別の会議でも悪口雑言を吐いて、「お黙りなさい」と昔の宗主国スペインの国王に言われてしまった。もちろん、そんなことを気にするチャベスではなかった。

こうした国際舞台でのパフォーマンスや、ベネズエラの低所得者重視の政策で、ベネズエラ国内ではすっかり人気者となったチャベスも、2012年に大統領の任期が満了し、憲法の多選禁止規定によって、大統領選挙に出馬できなくなる。その打開策として、チャベスは多選禁止規定を削除した憲法修正案を議会で成立させ、国民投票にかける。

とかく大統領は辞めたがらない。辞められない。フィリピンのかつての大統領マルコスは、戒厳令、大統領制から首相制への憲法改正などなど、あらゆる手練手管をつかって権力の座にいすわろうとした。インドネシアの初代大統領も憲法に規定のない終身大統領を名乗って悦に入った。その後釜のスハルトはもっと狡猾で、ムチとニンジンの術を巧みにつかって、事実上、全議会をスハルトご用政党にしてしまい、生きている限り自動的に大統領に選ばれるシステムを作り上げた。

「君、辞めたまうことなかれ」か。しかし、天網恢恢というか何というか、体制はいつかは疲労し、ほころびをみせてくるものだ。

(2007.11.27 花崎泰雄)

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東アジア腐敗の輪

2007-11-22 12:57:44 | Weblog
守屋―宮崎の癒着に端を発する額賀財務相への疑惑について、当の額賀は「記憶も記録もない」と言い張っている。

額賀は山田洋行に合計で220万円分のパーティー券を買ってもらい、山田洋行オーナーの娘の結婚式の車代としていったんは20万円を受け取った。仙台防衛施設局の発注工事に関連して口利をした。額賀は2005年から2006年にかけての2度目の防衛庁長官時代に山田洋行の分を含め計5,710万円のパーティー券を売り上げた。などなど報道されている。

その疑惑の渦中の人物が来年度予算編成を担当している財務相であるという事態は深刻であると、11月21日付の朝日新聞社説は嘆いてみせた。昔のハリウッド製西部劇では、保安官が元ならず者だったという設定がよくあった。戦後日本の混乱期には治安維持のためにヤクザが利用された。悪よく悪を制すという設定だ。シェイクスピアも言っている。「きれいはきたない。きたないはきれい」

とはいうもの、ドイツに本拠を置く民間団体インターナショナル・トランスペアレンシーの2006年調査によると、日本は腐敗認知指数(CPI)でみると、腐敗の少ない国(地域)の上位から17番目である。アメリカ合衆国(20番目)より腐敗度は低い。

お隣の韓国はCPIが42番目で腐敗どは比較的高くなる。その韓国では、大統領選挙を前に、サムスン財閥の賄賂問題が持ち上がっている。韓国のメディアは、サムスンは1,200億円規模の裏金を用意し、驚くことに検事にまで賄賂を贈っていたのではないか、と報道している。サムスンの「もち代(付け届け)リスト」には、次期検察総長や検察庁中央捜査部長、前法務部検察局長らの名前が載っていたそうだ。朝鮮日報は「サムスンが管理対象としていた検事の名簿には対象者の職務上の地位や氏名、グループ内の担当者が記載されていたほか、右にはカネの授受について追記するための空欄があった。空欄が空白のままになっている例はほとんどなかった。(もち代は)500万ウォン(約60万円)が基本単位で、(額を)引き上げた場合には金仁宙(キム・インジュ)サムスン・グループ戦略企画室社長が1,000万ウォン(約120万円)、2,000万ウォン(約240万円)などと鉛筆で書き込んだ。ロビー対象者の名簿はサムスン本社27階の財務チーム管財担当常務が管理する秘密室の壁に備え付けられた隠し金庫に保管されていた」という証言を掲載した。
 
中国はCPIが70番目で、腐敗は相当ひどいところまで進んでいる。2007年3月に中国最高人民検察院とと最高人民法院が全国人民代表大会で報告したところでは、2006年に汚職事件で公務員は4万人を立件したという。収賄・公金横領の額が100万元(約1,500万円)以上の大型事件が、623件。容疑者のうち閣僚・省長級幹部が6人、中央・地方の局長級が202人だった。

アジアで例外的に腐敗度の低い国がシンガポールだ。フィンランド、アイスランド、ニュージーランド、デンマークに続いて、CPIが上から5番である。シンガポールが清潔な国である理由の1つは、官僚の目をむくような高級である。シンガポールの閣僚や公務員の報酬は2007年4月に大幅に引き上げられた。リー・シェンロン首相の報酬は、当時のレートで年俸約1億 9,000 万円から2億 4,000 万円に増額された。大臣や上級事務次官の平均報酬は 9,400 万円から1億 2,000 万円に引き上げられた。つまり、これだけの報酬をもらっていれば、少々の賄賂をもらって逆に高給をフイにするような馬鹿な真似をする気にはなれないだろう。

日中韓で「シンガポールに倣って清潔な国づくりを」などと政治指導者が言い出せば、「なにをほざくか、泥棒に追い銭ではないか」と猛反発があるだろうね。

(2007.11.22 花崎泰雄)
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ファイト! 朝日・毎日 vs 読売

2007-11-14 14:46:38 | Weblog
朝日新聞と毎日新聞が、先の大連立構想をめぐる小沢・福田密談の仲介をしたのは読売新聞の渡辺恒雄ではないかとして、それぞれの社説で、渡辺と読売新聞を批判、読売新聞はその詳細を自らの紙面で明らかにせよと求めている。

朝日新聞は11月10日付の社説で、「首相と野党第一党の党首の間をとりもち、会談や『大連立』話を仲介したのが事実とすれば、報道機関のトップとして節度を越えているのではないか。……渡辺氏の回顧録などを読むと、昔から権力者に食い込むだけでなく、プレーヤーとして政治を動かしてきた」とジャーナリズムの節度を踏みはずした行為であると非難した。

続いて毎日新聞が10月13日付社説で、「権力者間の仲介役をかって出るとすれば、新聞の使命を超えるのではないか。政治の停滞をどういう形で防ぐかは政治家側が国民の意向をくみながら判断すべき事柄だ。新聞が政治の権力づくりの当事者になって、権力監視という重要な役割を果たせるだろうか」と新聞の権力に対するウォッチ・ドッグ機能の劣化の面で憂慮を語った。

読売新聞は、「私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけた、などの報道は全くの事実無根だ」という小沢一郎の発言(11月4日)に対して、政治部長・赤座弘一が「小沢氏は真実を語れ」という記事の中で、「党首会談は小沢氏の方から持ちかけたもので、『大連立』構想も小沢氏の提案だった、といった点は読売新聞も報道した。小沢氏の批判がこれを指すのであれば、『事実無根』などと批判されるいわれは全くない」と主張した。

今度は読売新聞が朝日新聞と毎日新聞の社説に対して、読売新聞が権力と一体化したという事実はなく、非難は読売新聞の名誉を毀損し、信用を失墜させる的外れなものである、と反論することになるのだろう。野次馬としては楽しみに待っている。

しかし、日本の平均的生活者の一人として、筆者は、永田町にうごめくメディアの政治記者は、政治を報道することで日本の政治状況構成に一役買だけにとどまらず、なかには、政治家や官僚などに密着して、特種情報源にするために場合によっては彼らに都合のいい記事を書いてとりいる者もいると思っている。

渡辺恒雄はこうした永田町政局に群がる小者の政治記者ではなく、実際に影の政治プレーヤーとして立ち回り、それによって、読売社内でのしあがった。このあたりは、魚住昭『渡邊恒雄 メディアと権力』(講談社、2000年)が詳しい。

魚住はこの渡辺恒雄の評伝を書くにあたって、読売新聞東京本社の社長室で、計10時間にわたって渡辺にインタビューしている(小渕内閣の時代)。そのインタビューで渡辺は面白いことを言っている。

「俺には幸か不幸か一千万部ある。一千万部の力で総理を動かせる。小渕総理とは毎週のように電話で話すし、小沢一郎ともやってる。政党勢力だって、自自連立だって思うままだし、所得税や法人税の引き下げだって、読売新聞が一年前に書いた通りになる。こんなうれしいことはないわね」(魚住昭『渡邊恒雄 メディアと権力』377ページ)。

(2007.11.14 花崎泰雄)



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プッツン・小沢

2007-11-08 13:56:15 | Weblog
「先般のことで私の不徳のいたすところから、大変な報道となり、みんなに迷惑をかけたとの思いが強く、自分の張りつめて、頑張ってきた気力が、途切れたというか、プッツンしたというか、そういう精神状態におちいった」(11月8日付『朝日新聞』朝刊)。もとどおり民主党の党首のさやにおさまることにした小沢一郎は、11月7日の記者会見でそう語った。

正直な告白は人間としてほめてあげたいが、場合によっては首相になる可能性のある野党党首がプッツン状態になる精神の持ち主であることを有権者に公言してしまったのは、政治家としていかがなものか。

古い話だが1972年のアメリカ合衆国大統領選挙運動中のことを思い出す。大統領再選をめざす共和党のリチャード・ニクソンの強力な対抗馬だったのが民主党のエドマンド・マスキーだった。

ニューハンプシャー州での予備選挙を前に、右派の新聞・ユニオンリーダー紙が、マスキーがニューハンプシャーに多いフランス=カナダ系の人々をニューハンプシャーの黒人とよんであざ笑ったという記事を載せた。さらに続いて、マスキーの妻がへビースモーカーで問題の多い女性であると中傷する記事を掲載した。

マスキーは1972年2月26日、ユニオンリーダー紙の社屋の前で抗議の演説をした。そのとき、マスキーは感情の高ぶりから、演説の声が震え、はては落涙におよんだと、とメディアに報道されてしまった。雪の中の街頭での抗議だったので、顔に当たった雪が解けたのだとマスキーは説明した。さらには、ニクソンのウォーターゲート事件の報道や捜査で、マスキーのフランス=カナダ系に対する差別発言はでっちあげで、ニクソン再選委員会が民主党かくらんをねらって、偽の手紙を新聞社に送っていたことがわかった。

しかし、結果として、有権者はこのことからマスキーが情緒的、精神的に不安定な人物との印象を受け、マスキー支持から離れ、大統領選挙はニクソンの勝利に終わった。

政治家についての期待する人物像は日米によって文化的な違いがあるだろう。また、アメリカ大統領は場合によっては核兵器使用の判断もしなくてはならない。だから、プッツン大統領は困る、と有権者が判断した。

日本は気楽な国だ。小沢は「いまだなお、不器用で口べたな、東北かたぎのままです」と、説明不足で民主党内に混乱を招いたことを「東北かたぎ」に転嫁した。弁舌は政治家の武器だが、日本には、言語不明瞭な政治家、言語明晰・意味不明瞭な政治家でも活躍できる政治文化がある。口下手は小沢個人の資質の問題であり、それを東北人一般の資質にしたことについては、東北出身者から異論があろう。もし小沢が「選挙で政権をとるといいながら、大連立のはなしについうかうかと乗ってしまった。いまだなお、尻が軽い、東北かたぎのままです」とでも言っていたら、どんな展開になっていたことだろうか。ちなみに、小沢は東京生まれ。父親の郷里である岩手県で幼少時代を送っただけである。中学・高校・大学は東京で終えている。

今回の一連のドタバタ劇で民主党への有権者の期待度は落ちこむことだろう。さて、それがどの程度なのか? その程度によって、日本の有権者の政治意識を測ることができる。

(2007.11.8 花崎泰雄)


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核保有国パキスタンの混乱

2007-11-06 19:36:45 | Weblog

憲法で戦力を保持しないと定めている日本を含め、ほとんどの国家が軍を持っている。ときには、逆に、軍によって国家を持って行かれてしまう国もある。ミャンマーことビルマがその例だ。パキスタンも脱軍事国家が期待されている中で、逆に、軍事色を強める方向に転んでしまい、このところ混乱状態にある。

11月6日朝刊に載ったAFP配信の写真が、実に、印象的だった。ラホールの街頭で警察がデモ行進をしていた弁護士たちに催涙弾を投げ込み、それを拾いあげて弁護士が警官隊めがけて投げ返している姿が撮影されていた。この抗議行動がパキスタンの法曹とパルヴェーズ・ムシャラフ陸軍参謀長兼大統領の正面衝突であることを象徴する良いショットだった。

ムシャラフ大統領の任期は11月15日で満了する。ムシャラフは10月の大統領選挙で勝利したが、最高裁判所が大統領と陸軍参謀長を兼務するムシャラフの候補者としての資格を審理中で、ムシャラフに不利な判断を出すだろうという情報が流れていた。そこで、とりあえず、非常事態を宣言して大統領失職を防ごうとしたといわれている。

11月3日にムシャラフが出した非常事態によると、非常事態を宣言した理由が10項目ほどあげられている。そのうち2項目が過激派・テロリストによるパキスタン社会・国家への攻撃の激化に言及した。残る8項目で司法による国家運営妨害をあげた。司法の一部が逮捕・取調べ中のテロリスらの釈放を命じるなど、テロリズムに対する国家の努力を妨害している、司法関係者に中には行政や立法に干渉するものがいる、などなど。

さらに、宣言文では「陸軍参謀長として私はパキスタン全土に非常事態を宣言する」とし、憲法の停止を命令した。パキスタン憲法によると、大統領は首相と協議のうえ非常事態を宣言できる、としているにもかかわらず、陸軍参謀長がこれを命じたのは、司法に対する戒厳令であり、ムシャラフの2度目のクーデターであると、パキスタンのムシャラフ批判派はいう。

ムシャラフ批判派の判事が長官をつとめるパキスタン最高裁判所が大統領と陸軍参謀長の兼務は法律違反であるとの判断を出すことが確定的になったので、非常事態を宣言し、憲法を停止し、最高裁長官やムシャラフ批判派の政治家、法律関係者を拘束し、テレビの放送禁止などマスメディア規制を強めた。

パキスタンは独立後、民政と軍政を繰り返してきた。パキスタンには農業以外にこれといった主要産業がない途上国である。民政をになう政党は地方の門閥とつながって政治腐敗を繰り返し、それを粛清しようとクーデターを起こした軍政もやがて腐敗する――その繰り返しだった。イスラム社会主義を標榜したズルフィカル・アリ・ブットも最後は強権政治に落ちいった。これを見てジア・ウル・ハクが戒厳令を敷き、ブットを処刑した。ハクが飛行機事故で死ぬと、ブットの娘のベナジル・ブットとシャリフが交互に首相になったが、いずれも汚職まみれで国民に見放された。ムシャラフがクーデターで権力を奪取したのが1999年のことである。こうした政治劇のプレーヤーは、地方門閥、軍人、高級官僚など。弁護士もその輪の中にいる。一握りの支配層の権力奪取ゲームである。べナジル・ブットは失脚ののちかれこれ8年も亡命生活を送っていたが、いまなお、パキスタンの重要政治指導者の1人である。

さて、インドの核保有に対抗するためパキスタンは1998年に核実験を成功させ、核保有国になった。このためアメリカから経済制裁を受けたが、アメリカの国際テロ封じ込め作戦を機に重要なパートナーとなった。というわけで、今回、アメリカは困り果てている。民主主義の宣教師として事態を看過することはできないが、さりとて、ムシャラフ政権にきつくあたるわけにもいかない。民主主義の理念追及よりも、とりあえず事態を収めてパキスタンの安定回復を図る方法を思案しているのだろう。

パキスタンは識字率54パーセントの途上国ではあるが核を保有する唯一のイスラム国家である。パキスタンの正式名はパキスタン・イスラム共和国だ。万一、パキスタンに大混乱がおき、パキスタン分裂といった可能性が見えてきた場合、いったい「核」はどうなるのか、という不安がある。もちろんアメリカは、パキスタンの現在の「核」、その隣国イランの将来の「核」について、不測の事態発生の際のコンティンジェンシー・プランを持っていることだろう。だが、その中身は想像するだけで寒気を覚える。

(2007.11.6 花崎泰雄)


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シジフォス・小沢

2007-11-04 18:31:56 | Weblog

シジフォス・小沢一郎が民主党代表辞任の届けを鳩山由紀夫・同党幹事長に出したことを、11月4日午後の記者会見で明らかにした。先の福田康夫・自民党総裁との党首会談によって生じた党内外の混乱のけじめをつけるための代表辞任である、と説明した。

民主党がこの辞表をすんなり受理するかどうか。

受理するかもしれないし、慰留するかもしれない。「やめる」といっておいて、慰留されて職にとどまった例はある。PLOのヤセル・アラファトもそうだったし、マレーシアの前首相マハティール・モハマドもそうだった。

ひところの自民党のボスたちがよく口にした「みそぎ」としての辞意表明の儀式かもしれないし、あるいは、ひょっとしたら慰留されても小沢は代表を辞めるかもしれない。

民主党の党内ゴタゴタと世間でのイメージ低下を利用して、福田内閣・与党は国会の会期延長と新・特措法案の衆院再議決という強攻策に打って出て、場合によっては年内解散・総選挙も辞さないというブラフを民主党にちらつかせることもありうる。本気でやるかもしれない。

小沢は記者会見の中で、マスコミは自民党がバラまいた虚偽宣伝を鵜呑みにしていい加減なことを書いた、と抗議した。3日から4日にかけて、「大連立を持ち出したのは小沢の方だが、事情があるので福田が提案したことにしてくれと頼んだ」、「連立構想については読売新聞の渡辺恒雄や中曽根康弘、森喜朗などの入れ知恵があった」「連立政権の閣僚の顔ぶれなどについても話しあった」などなど、情報源匿名の永田町ネタが新聞紙面に踊った。

これらのことが自民党による情報操作なのか、本当のことだったのかは、いまはわからない。だが、辞任の記者会見の中で、小沢自身は連立について肯定的に受け止めたという発言をしていた。党首会談は若者の初デートのような初心な出会いではなく、いずれ劣らぬ老獪な政治家の駆け引きだから、双方腹に一物持ちながら、大連立について話し合ったのだろう。

大連立に賛成する自民党議員と民主党議員が集まって新党をつくるという政界再編のゴールに、小沢がふと甘い誘惑を感じたのかもしれない。小沢は1969年の衆院選で自民党から立候補、初当選。1990年から1990年から自民党幹事長を3期つとめたが、1993年自民党から分かれて新生党を結成、代表幹事におさまった。次いで、新進党幹事長、のちに党首となった。1998年には自由党を作って党首。2003年には自由党と民主党を合併させた。3年後に民主党の党首難から党首に就任した。彼は政権奪取を夢見つつ政界遊泳を楽しんだが、政治というものの本来の目的には縁の薄い人だった。

新党を作っては壊し、また作る。その政界経歴はシジフォスの岩運びを思わせた。

政権奪取へ向けて、ほとんど生涯最後のチャンスといってよい時期が到来したにもかかわらず、自分でそれをぶち壊してしまった。この人は、政局のかき回し方は上手だが、政治の理念はそれほど優れたところが見えず、したがって、小沢政権成立の機会がはるか遠いたことは、それはそれでよかったのかもしれない。

(2007.11.4 花崎泰雄)


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つり球、くせ球、ビーンボール

2007-11-03 15:20:08 | Weblog
日本が小選挙区比例代表並立制を始めたのは1996年の総選挙からだ。それまでの中選挙区制から小選挙区制に移行することへの反対を押し切っての実施だった。そのうえ、同一人物が小選挙区で落選しても比例区で敗者復活が可能というおまけつきでもあった。

ともあれ、小選挙区制導入の最大の理由は、自民党による半永久的な支配から、民主政治の約束である健全な政権交代のシステムをつくろうということにあった、と国民は説明を受けた。

そこで出来上がったのが、現在の国会での与野党の勢力配置である。与党は自民党と公明党の連立で、野党は民主党と、共産党など微小政党。二大政党制の形が見えてきたところだ。

野党第一党の民主党は自民党をはみ出した議員と社会党に見切りをつけた議員など、自民党以上に党内構成要素が複雑であるが、主力は自民党に近い。現在の小沢代表は父親のあとを継いで20代で自民党代議士になり、田中角栄や金丸信から“日本型ムラ政治”の手ほどきを受けてそだった古い世代に属する。

そういうわけで、現在の自民党と民主党は、政権交代に備えて、はからずも保守勢力が一軍と二軍をつくったようにもみえる。話が跳ぶが、シンガポールでは建国以来、人民行動党の一党支配が続いている。かつてシンガポールの政治の資料を読んでいて、「シンガポールが民主政治を行っている証拠として、政権交代をやってみせる必要にせまられる時代が来るかもしれない。そのときに備えて、人民行動党を2分して与党と野党にすることも念頭においておく必要がある」という趣旨の発言を党指導部の発言を面白く感じたことがある。

話を日本の自民党と民主党に戻すと、相撲でいえば剣が峰にたっている自民党の福田総裁からの大連立構想についての党首会談に小沢民主党代表がうかうかと乗り、福田からの提案を党に持ち帰って検討する、と発言するところまで進んだのは、なぜだろうか? 

数年前、小沢の自由党と民主党の合併話で、当時の鳩山民主党代表が党内から批判にさらされて辞任したことがあった。それでは、合併話は流れたのかと思っていたら、民主党の代表が菅に代わって間もなく、まるで55年体制のイミテーションのような自由・民主の保守合同が実現した。

理念よりも現実にひかれ戦略より戦術にたけた小沢がいま参院選での戦術的勝利でうぬぼれの絶頂にあるのを利用して、福田は、シンガポールの一党独裁に近いような大連立による保守完全支配の体制づくりを、本気でねらったのだろうか。

まさか。福田もこの話はけられるものと予想しつつ、自ら言うように「背水の陣内閣」の首相として、けられてもともとの気分でやってみたのだろう。話が壊れたとき、後遺症がより大きいのは福田より小沢の方だろうし、自民党より民主党の方だろう、と読んでいたにちがない。

保・保大連立にその気を見せたと受け止められかねないようなそぶりを示した小沢は、今後、民主党内での批判にさらされることになるだろう。民主党自体も、党内左派と右派の軋みが強まることになろう。民主党全体が政党としての未熟さを選挙民にさらしてしまった。

結果として、福田が小沢を利用して野党民主党にクサビを打ち込んだ。ネガティヴ・キャンペーンの日本的陰謀ヴァージョンのようにもみえるこの寸劇、福田の方が小沢よりも役者が一枚上だった。

(2007.11.3)


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