Podium

news commentary

2007年と平成19年

2007-08-06 22:35:05 | Weblog

2007年8月6日の朝は、広島の原爆死没者慰霊式・平和記念式をテレビで見ていた。ふと気がついて、興味深かったのは以下の点だ。


冒頭にスピーチに立った秋葉忠利・広島市長はその「平和宣言」を「2007年、平成19年、8月6日」という日付で結んだ。秋葉市長の次にメッセージを朗読した児童2人は末尾の日付を「平成19年、2007年、8月6日」と読んだ。その次の安倍晋三・日本国首相はその挨拶の日付を「平成19年8月6日」とし、西暦は使わなかった。

確かに秋葉市長の宣言は日本から世界に向けたメッセージとしての性格があり、日付は西暦が相応しかった。逆に、安倍首相の挨拶は被爆者とヒロシマの人々に対するお見舞いの言葉のニュアンスが濃く、「平成」という内向きの日付が似合っていた。

興味深いのは2人の児童が読み上げた「平成19年、2007年」であった。秋葉市長は西暦のあとに日本の元号を添えた。児童は元号のあとに西暦を添えた。児童の朗読を聞いていて、子ども離れしたレトリックがいくつかあることに気がついた。大人の手が入っていたのだろう。ひょっとして平成の元号を西暦より先に出したあたりにも、大人の指導だったのかもしれない。まあ、子ども知恵ではない。

日本には1979年にできた元号法というものがあって、①元号は政令で定める②元号は皇位の継承があった場合に限り改める、ことを決めている。日本では西暦、元号の双方をそれぞれの慣習に従って適当に使ってよいということになっている。というよりも過去のしがらみもあって元号からふっ切れないでいるのである。

神戸の埋め立て地ポートアイランドにコンピューター制御の無人電車が走り始めた昔むかしのことである。ある朝突然、始発電車以降、一切の電車が動かなる騒ぎがあった。調べてみると、オペレーターがコンピューターに日付を入力するさい、西暦で入力すべきところを、勘違いして昭和で入力したものだから、コンピューターのセキュリティーが作動してしまったということだった。

西暦と元号の二重使用は厄介なものだ。タイでは仏暦と西暦を二重使用している。領収書の日付をすらすらと仏暦で書いてくれたりする。中国は西暦一本やりだが、台湾では民国○○年という呼び方が非公式な元号になっていた。インドネシアでは西暦が主流だが、宗教的色彩の濃い行事ではイスラム暦を使う。

戦前の日本軍政下のインドネシアでは「皇紀」が使われた。インドネシア人の指導者たちは不覚にも、短期間のうちにすっかり皇紀になじんでしまったらしい。日本が無条件降伏した1945年8月15日の2日後、8月17日にインドネシア共和国は独立を宣言したのであるが、宣言文の日付をあろうことか ‘hari 17 bulan 8 tahun 05’としてしまったのである。「(26)05年8月17日」である。1945年は「皇紀2605年」にあたった。これはインドネシア・ナショナリズムとってバツの悪い事となった。後に学校の歴史教科書などの印刷物では1945と書き換えたが、国の宝物である歴史的文書、独立宣言だけは書き換えるわけにはいかなかった。

1990年代、インドネシアの最高額紙幣は5万ルピアで、スハルト大統領(当時)の肖像が使われていた。スハルト政権崩壊後、最高額紙幣は10万ルピアになった。10万ルピア札には、初代正副大統領のスカルノとハッタの肖像が使われ、歴史的文書独立宣言の文言と、スカルノとハッタの署名が挿入された。日付は当然、hari 17 bulan 8 tahun 05 のままだった。お札が出てしばらくの間、「国辱ものだ」という憤慨の投書が新聞を賑わせた。

年号の使い方が、ときに、面倒を発生させることもあるのだ。

(2007.8.6 花崎泰雄)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

やりたい放題

2007-08-01 00:39:05 | Weblog
「自民党をぶっこっわせ」。そう叫んで小泉純一郎氏は自民党に人気を呼び込んだ。そのときから、自民党総裁・日本国首相のやりたい放題が始まった。小泉氏は2005年、郵政民営化法案が参院で否決されると、衆院を解散した。そのとき、記者会見で「この郵政民営化法案の否決は、小泉不信任である、小泉内閣の進めていた構造改革に対する不信任だと受け止めるということをはっきり申し上げておりました」と、解散の理由を説明した。

郵政民営化というシングル・イシューを掲げて総選挙で自民党は大勝した。選挙結果は自民296、公明31で、与党が議席の3分の2以上を占めた。

その議席を譲り受けて安倍晋三氏が首相になり、新・教育基本法をはじめとするかなりきわどい法律を、数にまかせて強行採決という手法をつかって成立させた。政治資金規正法改正も強行採決だった。しかし、選挙に負けてみて、当事者ながらそのザルぶりが恥ずかしくなったのか、この8月中に再改正案をつくると言い出している。

そうした数の驕りの毒がまわって今度の参院選で惨敗した。すると、あれは年金、閣僚の失言、金銭上の疑惑によるもので、「美しい国」「戦後レジームからの脱却」をめざす安倍ビジョンが嫌われたわけではないと言い出した。

「美しさ」については個人的な趣味、時代のはやりがあるので、ここでは議論をひとまずおく。いまひとつの安倍モットー「戦後レジームからの脱却」がお笑いである。

レジーム(regime)という言葉には、政治体制、政体、政権、いくつかの訳語があるが、安倍氏がいうレジームは「政治体制」であろう。アンシャン・レジームの「レジーム」であろう。

戦後の日本では自由民主党とその前身(自由党、民主党)の有力者が政権を担当してきた。片山哲、細川護煕 、羽田孜、村山富市 という短期間の例外はあったが。その自民党政治の基本方針は、アメリカに教えてもらった民主政治の手法の尊重、安全保障の米国依存と国際社会での対米追随、軍事費の軽負担による民生経済の発展、などなどであった。

安倍氏は言葉の使い方を知らないのではないだろうか。彼のいう「戦後レジームからの脱却」とは戦後保守政治の全否定なのだろうか? それはないだろう。自民党員の完全自己否定で、ぶっこわせ論よりさらに過激である。要するに、国家安全保障政策の基本的変更であり、そのための憲法変更のことを、言葉を飾っていっているのだろう。

安倍内閣が設けた集団的自衛権についての有識者懇談会のメンバーは、柳井俊二前駐米大使(座長)▽岡崎久彦元駐タイ大使▽葛西敬之JR東海会長▽佐瀬昌盛防衛大学校名誉教授▽佐藤謙元防衛事務次官▽西元徹也元統幕議長▽田中明彦東大教授▽中西寛京大教授▽村瀬信也上智大教授▽岩間陽子政策研究大学院大准教授▽北岡伸一東大教授▽坂元一哉阪大教授▽西修駒沢大教授、という顔ぶれだ。憲法学者は西氏1人だけでで、それも改憲派である。安全保障論者がよってたかって憲法解釈を変更しようという懇談会である。

米国に向けてミサイルが発射された。これを日本が迎撃可能であるのに撃ち落とさないでいると、日本の安全保障の基盤である日米安保体制の根幹が揺らぐ、ので、現行憲法下でも、集団的衛権の行使は認められるべきだ、と懇談会は結論するのだろう。

この種の問題は裁判所に持っていっても、司法判断にはなじまないという「統治行為論」で門前払いを食らう。懇談会の結論は見えているから、あと、法制局を押さえ込みさえすれば、どうとでもなる、ということなのだろう。

内閣法制局のこれまでの解釈は「認められない」であった。新聞報道によると、有識者懇談会の発足を前に2007年4月、安倍首相が宮崎礼壱内閣法制局長官に、これまでの憲法解釈の一部を変更するための、新たな解釈の検討を指示していたことが明らかになった。

憲法解釈変更によって手に入れるのは、 'Boots on the ground'と催促する世界の警察官アメリカに応えて、その保安官助手のポジションにつく「名誉」である。対米追随路線のさらなる深化である。それが、アメリカのためにせっせと雑巾がけを続けてきた戦後レジームからの脱却になるというのだから、安倍氏の頭の中の論理回路はいったいどんな構造になっているのだろうか?

(2007.7.31 花崎泰雄)
コメント
この記事をはてなブックマークに追加