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news commentary

沖縄怒る

2007-09-30 23:50:53 | Weblog

沖縄の宜野湾市に9月29日、11万の人が集まって、文部科学省、日本国政府、そして日本に対して激しい怒りを表明した。文部科学省が高等学校の日本史教科書検定で、旧日本軍が先の沖縄戦のさい住民の集団自決を強制したとの記述を削除したことに対する抗議である。

安倍晋三が首相を辞めたいま、この問題がこの先どのような展開を見せるか? このコラムの筆者の希望を申し上げれば、単に集団自決についての記録の回復にとどまらず、文部科学省が検定で集団自決の「軍の強制」を削除した理由、沖縄からの反論など、教科書執筆者や出版社の対応など、この間の動きを「注」なり「コラム」なりにして、そっくり教科書に入れてもらいたい。歴史の核心は解釈にあるのだから、高校生にとっては歴史を読み解く格好の教材になるだろう。

ところで、サイパン島にBanzai Cliff、Suicide Cliffとよばれる場所がある。太平洋戦争のさい、上陸してきた米軍との戦いに敗れて、日本兵が住民ともども集団自殺したところだ。バンザイ・クリフは住民が、天皇陛下バンザイと叫んで身を投じたのでこの名がついたという。サイパンの日本軍は万策尽きていた。アメリカ軍は投降を呼びかけたが日本兵も、住民もその呼びかけに応じなかった。

ここもまた日本軍(現地の指令官・指揮官)の「集団自決」の強制があったかどうかが問われる場所である。現地司令官が無理やり自決をせまったかどうかという、慰安婦問題のとき持ち出されたような「狭義の強制性」については、ここでは議論しない。指摘しておきたいのは、「広義の強制性」である。

戦時国際法は戦闘員と非戦闘員を区別している。非戦闘員である民間人に対して攻撃してはならない取り決めになっている。また、捕虜になった兵士に対しても人道的な取り扱いをすることを定めている。捕虜の待遇に関するジュネーブ条約は1929年にできたが、日本はこの条約に署名はしたが、批准はしなかった。軍が反対したからである。

アメリカとの戦争が始まったとき、アメリカは日本に対してもジュネーブ条約を適用すると通告してきた。日本も原則としてその考え方を尊重するとアメリカに返事をした。

当時の日本政府や日本軍はこのような戦時国際法のあれこれを兵士や国民に周知徹底しなかった。戦闘員と非戦闘員を区別し、捕虜に対する人道的扱いをきめていた戦時国際法の存在を教える代わりに、政府・軍部は「鬼畜米英」や「戦陣訓」などの呪文をとなえた。捕虜になればそこは地獄だというふうなことを教えた。いまでいえば、やってきた敵軍は、プノンペンに入場したクメール・ルージュ軍のように民間人に対しても無差別虐待をするであろう、というようなことをふき込んだ。

戦前の日本は、臣―民タイプの政治的社会化が当時の政治権力によって厳しく行なわれた国家だった。したがって、負けいくさの混乱の中で、民間人は絶望のはてに集団自殺に追い込まれ、若い兵士は神風のパイロットや人間魚雷になるようしむけられた。権力も持つ者たちが国家を名乗って「集団自決」や「玉砕」へと国民の背中を押したのである。

沖縄の人々はこのことを怒っているのである。

(2007.9.30 花崎泰雄)
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お坊さんの政治デモ

2007-09-27 23:52:36 | Weblog
ビルマことミャンマーでお坊さんが軍事政権批判の政治デモをしている。

僧侶の政治デモといえば、思い出すのは1960年初頭の南ベトナム・サイゴンである。これはやがてアメリカのゴ・ジンジェム政権見限りへと発展し、ゴ政権はアメリカが黙認した軍事クーデターで倒れた。

ミャンマーの僧侶のデモの発端は軍事政権の燃料値上げだった。燃料値上げが引き金になった政変で思い出すのは、インドネシアでスハルト政権が倒れた1998年だ。

ミャンマーでは1988年8月に大規模な民主化要求の国民デモがあり、ネ・ウィンの社会主義政権が倒れ、民主化運動を武力制圧した軍部が政権を掌握した。このときの死者は不明だが、人権団体の推測で3,000人という数字もある。1990年には総選挙でアウンサン・スーチー率いる民主化勢力が大勝したが、軍部は結果を反古にして、スーチーを自宅軟禁した。そういうわけで、ミャンマーは20年軍政下にある。いまどき珍しい国である。

途上国における軍の役割はやっかいな問題だ。アメリカ製の近代化論がもてはやされた1950年代から60年代にかけて、途上国の軍は近代化の担い手である、と持ち上げられたことがあった。この近代化論もやがて破綻を見せる。軍は政治の場から姿を消して、兵舎に戻ることになるのだが、なぜ軍が兵舎に戻る決心をしたのか、その政治的説明については、難しいところがある。

タイではもはや軍によるクーデターは起こらないだろうと、だれもが思っていた。しかし、タクシン金権政権を倒すために軍がクーデターを起こし、タイの中間層や新聞までがこれを歓迎した。そして、いまでは、あてはずれだったと悔やんでいる。

軍人は暴力の行使をためらわない訓練を受けているので、今後のミャンマー情勢は予断を許さない。

軍事政権に影響力を持つのは、中国とASEANである。ASEANは軍事政権のミャンマーにも加盟を認めている。場合によってはASEANの評判を落としかねないような事態について黙ってみているわけにはいかないだろう。ただし、ASEANは基本的には、東南アジアの仲良しクラブで、最近になってやっと政治問題でメンバー国に意見を申し上げる傾向が見えてきたばかりだから、たいした影響力は期待できないかもしれない。

中国は軍事政権に対して経済援助を拡大しており、強い影響力を持つと見られている。中国がミャンマーの軍事政権に接近しているのは、エネルギーがらみである。その一つが今年着工予定のシットウェ―昆明―重慶の石油パイプライン敷設工事だ。このパイプラインは中国が現在輸入している石油の約2割を送油する能力があるといわれている。それだけの石油を、マラッカ海峡を抜けずにミャンマーから中国に送ることが出来るようになる。それを考えるとミャンマーの軍事政権にあまり強いこともいえないだろう。

中国は石油を求めて露骨な対アフリカ接近を繰り広げてきた。スーダンの石油欲しさにダルフールの悲劇を中国が助長させたとの批判をアメリカなどから受けている。場合によっては、ミャンマーで同様の批判を受けかねないことになるので、北京オリンピックをひかえ、中国も難しい対応をせまられることになる。

こうした諸国間の地政学上の間隙をついて、ミャンマーの軍事政権が権力維持のために最後は大流血も辞さない最悪の事態に拡大する恐れもある。中国の天安門事件のような事態に発展することも十分考えられる。

(2007.9.27 花崎泰雄)
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53%

2007-09-27 22:26:50 | Weblog

「中国共産党+市場経済=国民党」という政治算術の公式がむかし冗談としてあった。小平が「黒い猫だろうが白い猫だろうがネズミをとる猫がいい猫だ」と号令をかけ、徐々にその号令の効果があらわれて中国に走資派の数が増えた来たころのことである。いまではだれも冗談とは思わないだろう。

「33%―安倍晋三+福田康夫=53%」という政治算術の式も笑える。さきごろ総辞職した安倍内閣の8月改造人事後の朝日新聞世論調査の内閣支持率は、支持33%、不支持53%だった。その前が、支持26%、不支持60%だったから、改造による閣僚の入れ替えによって支持率が7%ポイント上昇したことになる。

朝日新聞が9月27日付朝刊で掲載した世論調査結果によると、福田内閣の支持率は53%、不支持率は27%だった。新しい福田内閣は前の安倍内閣の閣僚をほとんど居ぬきで引き継いだ。首相が安倍晋三から福田康夫に代わった以外、閣僚の顔ぶれはほとんど代わっていない。それでいて、内閣支持率が20%ポイント上昇し、不支持率が16%ポイント下降したのは、ひとえに安倍が去り、福田が登場したことによる。

発足した福田内閣は閣僚の顔ぶれがほとんど変わらず、まだたいして仕事らしい仕事をしないのだから、53%という数字は内閣の仕事ぶりに対する支持率というよりは、福田首相に対する支持率のことであろう。その福田首相もまだ仕事らしい仕事を始めていないので、事実上、福田首相への期待度ないし人気度である。

だが、世論調査の調査対象者になった人の多くは、福田首相をテレビで見て顔を知っている程度で、彼が何者なのか、何を考えているのか、よく知っているわけでなかろう。会社の課長や部長や社長が交代するとなんとなく新しい未来が開けてくるような錯覚におそわれる。それと似た心理なのであろう。

日本の世論調査では通例、「福田内閣を支持するか、しないか」と尋ねる。「福田首相を支持するか、しないか」とは尋ねない。しかし、出てきた支持率は多くの場合、首相への支持率、人気度、期待度と解釈される。質問の焦点があいまいなわりに、答えの記事ははっきりと首相の支持率として書かれる。

アメリカの調査では「ブッシュ大統領の仕事ぶりをよしとするか、しないか」と大統領のリーダーシップに焦点をあてて尋ねることが多い。

もし、「福田首相を支持するか、しないか」と質問したら、数字は違っていたのだろうか?

(2007.9.27 花崎泰雄)


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日本国政は自家中毒

2007-09-14 13:42:30 | Weblog
安倍晋三氏は9月12日に首相辞任の意思を明らかにし、翌日13日、慶応大学病院で診察をうけた。機能性胃腸障害との見立てをもらって入院した。いわゆる純政治的入院ではないが、おおざっぱにいうと、政治的自家中毒による政治的入院の範疇に属する。

これは安倍氏だけの話ではない。いわば、日本の政治全体が自家中毒を起こしているといってよい。原因ははっきりしている。国会議員の世襲化であり、デモクラシーの衣をかぶったアリストクラシーへの先祖帰り現象である。

試みに数えてみると、先ごろ死去した宮沢喜一以降の日本国首相は、細川護熙、羽田孜、村山富市、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三である。この9人のうち、世襲国会議員でなかったのは、村山と森の2人に過ぎない。宮沢喜一の父は衆議院議員・宮沢裕。細川護熙の母方の祖父は貴族院議員・首相の近衛文麿。羽田孜の父は衆議院議員・羽田武嗣郎。橋本龍太郎の父は衆議院議員・橋本龍伍。小渕恵三の父は衆議院議員・小渕光平。小泉純一郎の父は衆議院議員・小泉純也、祖父は衆議院議員・小泉又次郎。安倍晋三の父は衆議院議員・安倍晋太郎、父方の祖父は衆議院議員・安倍寛、母方の祖父は元首相・岸信介。

International Herald Tribune-The Asahi Shimbun(9月11日付)のAsahi
Shimbun部分の論評で、Andrew Horvatという東京経済大学の訪問教授が安倍内閣のことを “Boku-chan in Versailles” と冷やかしていた。貴族の苑で甘やかされて育った世間知らずの世襲議員の仲良し内閣のことである。

競馬用の馬などはinbreedingという同種交配でよく走る個体をつくるが、病気には弱くなる。日本の国会ではこの政治的同種交配(political inbreeding)がひどく進行している。そのひどさはアジアではフィリピンと並ぶ。

なぜこのようなことになったかというと、有権者の中にある消えやらぬ名望家信仰と、地盤の排他性である。古い話だが、当時すでに首相だった吉田茂が、新しい憲法で首相になるためには衆議院議員の資格が必要になったため、1947年の総選挙で高知県から立候補した。そのさい、仲介者に頼んで地盤を周旋してもらったそうである。吉田の父である竹内綱も衆議院議員だったが、1904年以降、立候補していなかったので地盤は消えていた。そこで、第1次吉田内閣の書記官長だった林譲二が高知県議の田村良平に、彼の父親・田村実の地盤を吉田に貸してやるようにと、説得したそうである。田村良平は父親の地盤をつかって総選挙に出馬するつまりだったが、あきらめて吉田に地盤を貸した。吉田が引退したあと田村は地盤を返してもらい、衆議院議員になった。「現職の首相であっても、新人として当選するには、だれかの地盤を譲り受けなければ当選するかどうか、安心はできなかった」(石川真澄『戦後政治構造史』日本評論社、1978年)。小渕恵三の急死のあと留学先のイギリスから呼びもどされた小渕の娘は、亡き父親の地盤に守られて難なく衆院入りした。

さて、まもなく始まる自民党の後継総裁選びでは、福田康夫と麻生太郎が焦点になっている。福田康夫の父は福田赳夫元首相である。麻生太郎の父は衆議院議員・麻生太賀吉で、母方の祖父が吉田茂元首相である。

一方、攻勢をかける野党の民主党代表の小沢一郎の父親・小沢佐重喜は衆議院議員。同党幹事長の鳩山由紀夫の父・鳩山威一郎は衆議院議員、祖父鳩山一郎は元首相、曽祖父鳩山和夫は衆議院議長だった。この人など究極の世襲議員といえる。

政治的同種交配による自家中毒症状が顕著になった日本の将来はおよそ明るくない。だれもが悲劇が起きることを予感しつつも、だれもそれをとめられない、まがまがしいギリシャ悲劇の日本翻案版が、永田町から全国に広がろうとしている気配を感じる。そのクライマックスにあたっての大向こうのかけ声「○○屋!」をなんとするか、今のうちから考えておかなくてはなるまい……。

(2007.9.14 花崎泰雄)

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