Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

青春18きっぷの旅 その3

2009-03-16 00:30:49 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!今夜は「青春18きっぷ」にて当地愛知へお越しになる場合について記したいと思う。

実は当地、余り目立った観光地がなく些か恥ずかしい点でもあるのだが、それでも愛知・岐阜両県に跨る木曽川の「日本ライン」や愛知の外海「表浜海岸」内海の「三河湾」、名古屋市内なら名古屋城や東山公園、徳川園、名古屋科学館や名古屋港、そして中部空港の娯楽施設など、少しは見所もあるのは事実だ。名古屋城は、先の大戦にて焼失した本丸御殿の再建計画が進行中で、経済低迷の折、工期がやや遅れるかもだが、とに角完成が待たれる所。性急な期待は禁物だが、ここは静かに見守って参りたい所だ。

さて、これら名勝を結ぶのが地元の私鉄、名古屋鉄道。昨年来、拙欄ではしつこい位に勇退決定の名物車「パノラマカー」の動向を追って参ったが、4月以降も残る唯一の編成、白帯車がようやく冬眠から覚めた様だ。昨日々中、団体貸切扱いにて名古屋金山より、南知多の内海まで運転された。これは今月下旬に予定されている一般募集の臨時列車運転の為のテストをも兼ねていた模様。

現存3隊12車が残るものの、その大半が用途廃止となってしまったパノラマカー。今夏にも降板と言われる、残り一隊の最後まで大過なきを、心より祈りたい所である。

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ブルー・トレイン~贈られた言葉

2009-03-15 23:57:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

旅がお好きな方々、そして鉄道愛好者の各位はご存じかと思いますが、昨3/14、年に一度のJR社の全国列車時刻改正が執り行われました。
より利便性の向上を図る、との意図は一面では感じられるのですが、もう一方で、残念にして惜しまれる別れがあるのも事実。その痛恨事の一つが、東京対山陽・九州間を結ぶ夜行寝台列車、所謂「ブルー・トレイン」の運転終了でありましょう。

想えば、この長距離列車のルーツは遠く20世紀初めの1911=明治44年に運行の始まった特急「富士」であるとされます。東京より当時の大陸への玄関であった下関まで、ほぼ24時間をかけて走り、大正、昭和の初期を経て過酷な戦中も良く頑張り、1944=昭和19年秋まで30年以上に亘り運転が続けられました。

戦後は東海道線の日中の特急として復活、1956=昭和31年秋に運行の始まった東京対九州特急の一員として1964=同39年に、東海道新幹線の開業と時を同じくして日豊線の大分、宮崎を経て西鹿児島、今の鹿児島中央を結ぶルートを担う様になります。
元々はこの列車、前年の1963=同38年運行開始の東京対熊本特急「みずほ」の上り側の数両の車両が九州の玄関、門司駅にて熊本行きと別れた後、単独で大分へと向かっていたのが始まりとされ、翌年の単独化にて大分、宮崎経由にての鹿児島乗り入れを果たし、1570kmを超える運行距離は長く我国の最長距離列車として記憶される事となります。この「富士」の名が最後まで残った事は本当に喜ばしく、又我々の誇りでもあると強く思います。

もう一つ、「富士」と並んで最後まで走り続けたのが「はやぶさ」。
こちらは1960=昭和35年に博多特急「あさかぜ(1958=昭和33年秋に、旧世代車で運転されていた所、車両更新された)」、長崎特急「さくら(1959=同34年夏、以前の特急「平和」が改称の上車両更新)に続くブルー・トレイン第3弾としてこちらも長く東京対九州特急の主役を張り続け、1980=同55年に「富士」が宮崎打切りとなった後は我国最長距離列車となり、これは1997=平成9年まで続く事となります。因みに「みずほ」は第4弾、「富士」は第5弾と言う事になります。
1999=平成11年には熊本止りとなった「はやぶさ」と長崎への「さくら」が本州内は併結の一個列車にまとめられ、「富士」も大分までとされて、いよいよ夜行列車の退潮が顕在化します。又この前後、ブルー・トレインの始祖だった「あさかぜ」も、九州内の下関~博多間の運行が打ち切られました。

2005=平成17年春には「あさかぜ」と「さくら」が運行を終え、「富士」と「はやぶさ」が本州内併結の一個列車となって孤軍奮闘して参りました。この間にも2006=平成18年春に東京対山陰を結んだ「出雲」、昨春には京都・大阪と九州を結んでいた「なは」「あかつき」、そして東京~大阪間の「銀河」が姿を消し、今回の退場で東京発の夜行列車は東京対岡山と山陰、それに四国高松を結ぶ「サンライズ出雲・瀬戸」を残すのみとなった次第。

直接の消滅原因は、航空機や新幹線の速度と利便性の向上、それに高速道路網の整備に伴う安価な夜行長距離バスの台頭によるものの様ですが、旅行者の高齢化を考えるとある程度の寝台需要はあるとされ、限定的にでも存続の余地はなかったのか、との思いがあるのも事実です。例えば1988=昭和63年まで運航の続けられた、本州と北海道を結ぶ青函連絡船の寝室は日中でも利用可能であったとされ、先日のTV番組にても拝見したのですが、高齢の方の旅行時は長時間の着座が困難で、どうしても寝台を必要とする場合もある由。これはこれから長距離化する新幹線にても、顧みられて良い配慮であると思います。

夜行列車・・・想えば独特の情趣があったのは事実です。
寝台車でなくても言える事ですが、夜の旅立ちと言うのは、何か期待と不安の入り混じった感情があるんですね。
ブルー・トレインと言う愛称。これは確かジャズのサキソフォンの名手、故J・コルトレーンさんの作品のタイトルだったと記憶しています。
今しも夜の街から旅立とうとする様な、ふくよかなテナーの旋律は、夜行列車の出発に相応しい調べでありました。直訳すれば「哀愁列車」と言う所でしょうか。そう言う感情を引きずっている所もある様に思います。それを象徴する一つが、旅立つ方と見送る方のお別れの場面であり、これは新幹線や長距離バスではこうは行くまいと思う程の重い何かを感じたものでした。

もう一方の、朝の風情も優れたものがありました。明け始めの張りつめた空気の中を駆け抜ける列車には、暗闇を乗り越えて来た者の誇りと気迫が感じられる好ましい何かがありました。この朝の場面を捉えるべく、未明から多くの愛好者が撮影地に集まるのも頷ける気が致します。
運行終了直前の今月初めには、私も2回程名舞台の浜名湖を訪れましたが、どちらも多くの撮影各位で賑わっていました。定刻の通過もあれば、運転事情により1時間程遅れる事もありました。しかしながら皆、最後だからそれ位は、の気持ちだったと今は思います。そして、半世紀にも亘って我国の夜の交通を守り続けてくれた大いなる功労と栄光の軌跡に、心よりの一礼をと皆がお思いの事でしょう。
「お疲れ様、有難う。」の一言と共に、遠ざかったブルー・トレインが我々に残してくれた至高の言葉を、ここに載せます。

「明けない夜は ない。」*(三日月)*

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やはり 安全保障は大切

2009-03-13 00:36:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

一昨日、以前朝鮮民主主義人民共和国に拉致された日本人女性の家族親族と、この女性に教育を受け、1986=昭和61年の大韓航空機爆破事件に関与したとされるかどで、死刑判決を受けた事のある元同国女性工作員が、大韓民国内にて面会を果たしました。

同工作員は日本人女性生存の可能性を示唆したとされ、事実とすれば早期の家族親族との再会を願うばかりであります。
その一方で、朝鮮民主主義人民共和国は来月にも自称人工衛星とされる軍事用ミサイルの発射を画策していると言われ、この回避をさせ得るかが関心を持たれている所。我国としても、何とか発射を思い留まらせたい所ではありますね。

さて朝鮮半島情勢もですが、近年我国の対外面の悩みの一つが、中東地域の海上にての、海賊出没に伴う治安の悪化でしょう。既に多くの船舶が襲撃を受け、乗組員と共に抑留されたり、積み荷を奪われたりする実害を生じており、我国の船舶も一度ならず標的となっている様です。
対策の為に、既に20か国以上より艦船が派遣され、特に危険とされるソマリア国近海の警備に当たっている所。我国よりも、現行憲法にて許容される範囲にての海上警備行動の規定に則り、近日中に海上自衛隊艦船が現地へ向かう予定であるとされます。又、海賊拘束の場合を考え、複数の海上保安官も同行の予定。
国際社会の要請に少しでも応える今回の艦船派遣に理解を示すと共に、どうか帰国までつつがない任務の遂行をお祈りする次第であります。

海上警備の対象は、当面我国の関連船舶に限定したり、武器使用は緊急時の自衛目的に限るなど、制約も大きいものがありますが、何はともあれ中東地域での警備に我国の自衛隊が赴く事自体が、意味のある事であると強く思いますね。
20世紀末の湾岸戦争の頃は、資金協力はしたものの、人員装備の面では一切動かなかった事を思い返すと隔世の感が致します。野党でも、自衛艦の派遣には抵抗を示すものの、海上保安庁のそれは認めざるを得ないとの姿勢などを拝見していますと、祖国日本も次第に変わり始めているのでは、との感触があるのは事実。派遣反対を叫ぶのは簡単だが、そうであれば中東の資源に頼った便利な現代生活を放棄しなければならない。それをせずに安直に「反対」を唱える資格はないでしょう。

ソマリア国は前世紀末より政府が崩壊し、経済が低迷し社会が混乱しているのは事実。当面海上警備行動を継続しつつ、同国の経済再建へ向け、国際協力に少しでも関与貢献する姿勢も長期的には大切でしょう。*(日本)*
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お陰様で、6周年

2009-03-10 00:17:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

本日、拙欄はお陰様で6周年を迎える事が叶いました。知友、並びに読者各位の日頃のご指導、ご声援もあり、この日を迎える事ができた事、一言厚く御礼申し上げます。

昨年、そしてそれ以前より申し上げて参った事ですが、改めてこれからの拙所信を少し申し上げたく思います。

①日記帳 原則週1ないし2回更新の予定。政治社会より芸能スポーツ、身の回りの事まで、なるべく幅広く記して参れればと思います。

②HP「HAKASEの隠し部屋」 拙写真帖とリンク資料を中心に構成。
写真帖は原則1月、5月、9月の年3回更新とする予定。
リンク資料は、最近余り見直しておらず、本当は良くないと思いますが、もしご紹介したいソースがあれば改めて追加したく思います。

③ブログ「トイレの雑記帳」 原則週1回更新の予定。日記帳よりは世俗の事共を載せる様にします。

④友人登録 拙方針としては、一定期間交流の後、お互いの所信や方向性などを吟味検討の上、承認させて頂く事とします。よってその状況によっては承認に至らない場合も有り得る事をご理解下さる様。

⑤掲示板及び画像掲示板 拙欄に対するご意見等、又画像掲示板にあっては、ご来訪各位の新鮮画像を楽しみにお待ち致します。
又、拙HPにもゲスト・ブック、及び写真の話題を載せる「ジオログ」にもコメント欄がありますので、併せてご利用下さる様。

まだまだ触れたい項目はありますが、とりあえずは主な所を列挙して、6周年のご挨拶とさせて頂く次第。今後も、宜しくご意見ご指導、そして叶えばご声援をお願いできれば幸いであります。*(日本)*
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青春18きっぷの旅、その2

2009-03-08 22:55:49 | 旅行記

コナサン、ミンバンワ!天気変化と昼夜の寒暖差が大きくなった。春がそこまで来た証拠だと言われる。風邪を初め、体調を崩し易い時期でもあるので、お互い健康留意にて参りたい所だ。
さて今回は、表題の切符より少し横道にそれるがご容赦を。
昨日と今日、静岡県浜名湖付近へ写真撮りに行って来た。主な目的は、今週末で登場以来ほぼ半世紀の歴史に幕を下ろす東京~九州間長距離夜行特急列車の最後の雄姿を記録しておきたかったからだ。
6月の夏至の頃は名古屋近辺でも撮れるが、今の時期は浜松付近以東でないと無理。大幅な遅延があれば話は別だが、定時運転の限りは、今回訪れた浜名湖周辺が限界であろう。
既に、昨年末に今週末での運転終了が決まってからは愛好者のみならず、JR東海道線沿線の住民各位も撮影に赴いていらす方が少なくない様だ。
本来なら「青春18きっぷ」利用としたい所だが、如何せん早朝故、列車だと周辺市町での宿泊を余儀なくされ、止む無く自家用車にての往来となった次第。昨日と今日、名古屋~弁天島間を2往復。概算距離107km、最短所要時間2H、最速表定速度約53.5km/Hと言った所か。
経路の方は、三河、名古屋と三重県を結ぶ名四国道が以外に順調で、一時考えた東名高速の利用は免れた。
浜名湖付近は以前より東海道線撮影の名所であり、浜名湖競艇場最寄の新居町とその東隣、弁天島の両駅の近辺はこの所、愛好者達で賑わっている様だ。地元に対し、それなりの経済貢献もしているのは事実だがそれも後5日。最後まで事件事故と無縁な、つつがない運行と見送りを願いたい所である。
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