Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「人類の理想」と言う幻想

2016-12-29 12:58:43 | 国際・政治

2016=平成28年も、後僅かとなった。拙方は、これから実家の年内最後の買い物を応援。それから明日にかけ、ボツボツ大掃除と言う段取りになりそうだ。世間では、今日から正月休暇の帰省ラッシュが始まった様だが、移動の各位は、陸、海、空いずれの交通手段であっても、どうかご安全にお願いしたい。一年の締めくくり、或いは、目出度いはずの新年早々、不慮の事態になってしまっては、決して幸いとは言えないと思いますので。

さて本題。先日、米合衆国ハワイ州、真珠湾(Pearl Harbor)の戦跡にて、安倍総理大臣が、米側犠牲者の慰霊に赴かれた。まずは、一言労いを申したい。直接は旧大日本帝国側の専攻ではあったが、その背景は、欧米側の、諸々の対日圧力もあった結果であり、又、旧日本軍の攻勢意図は、あくまでも米軍事基地の攻略であって、侵略ではなかった。よって、今回の安倍大臣の、慰霊と戦争再発防止の宣言は妥当であり、反省や謝罪とかを口にする筋合いのものではない。

然るに、(例の)野党の反応は、(やっぱり)的はずれなものばかり。民進党は、今回の米戦没者慰霊を、予想通り前向きに捉える事なく、「安保法制と、防衛予算の拡大につき、追及する方針」の蓮舫代表見解を表した。相変わらずの「初めに批判ありき」なのでさわりだけにしておくが、問題のどちらも、日米関係の強化の為には不可欠なものだろう。今回の安倍大臣のご行動に関連した問いにはなっていない様に思われてならないのだが。

もう一方の、日共、社民、自由の「容共特亜」三党の「毎度の」批判姿勢は、もう今更取り上げる価値もないので触れずにおくが、要するに「初めに反省謝罪ありき」の、中国大陸と朝鮮半島の難癖を受け売っただけの代物である事は、指摘しておきたい。

今から10年近く前、第一次安倍内閣退陣の折、拙ネット知人のお一人は「今は、批判より労いを」の文言を残された。今は、消去されているのが残念ではあるが、拙者は、大いなる共感を抱いたのを、昨日の事の様に覚えている。第一次政権時の安倍大臣は、深刻な健康問題もあって一度退かれたのであり、容共特亜の偏向した視点を別とすれば、大きな落ち度はなかったからである。だからと言って、当時も今も、安倍政権を、本当は熱く支持したくはない想いもありはするが、それにしても、代りを担える人材が、与野党双方に不在なのが、何とも遺憾。過日も申したが、間違っても蓮舫総理大臣の出現など、絶対にないと申して良い。

これらの、愚連隊と大差ない容共特亜野党共が、日本弁護士連合会や日本教職員組合などと一緒になって、事ある毎に口走るのが「人類の理想」なる、意味不明の標語だ。これは、前述の容共特亜と所謂「お花畑」たる理想主義勢力が、金科玉条の如く見直しを拒み続ける日本国憲法の理想的な適用を意味するらしいのだが、はっきり申せば、そんな事は実現不可能だろう。

考えてもみられよ。日本国憲法を「自由と平和の法典」などとする解釈が、何とも酷いお粗末なもの。「平和」の大切さは、ある意味我々日本人から一番遠い、イスラム教でも強く説かれており、その経典「コーラン」では、平和の実現の為、信徒は何をすべきかが相当に詳しく述べられているそうだ。つまり、預言者ムハンマドは「最も大切な事は平和。その実現の為には、無限の自由との共存など無理」と言う事を、教義を開く段階で悟っていた事になり、その意味では、基督教や仏教より賢明だった事になる。

アフリカ系民族らに対してもそうだったが、特に今の欧米先進諸国は、「自由は無限」である様に見せかけて、イスラム、アジア、アフリカの各勢力を不当に侵奪する所あったのではなかったか。だから時に、すぐに軍事行動に訴えるアル・カーイダやタリバーン、イスラム国ISの標的ともなり得るのである。過激勢力を正当化してはならなくとも。上辺だけの「自由と平和」など、そうした問題多い仕組みの上に飾られた、ただの虚構に過ぎないのである。そんな芳しからぬ背景を持つ日本国憲法の体質を、棒読みする訳には行かない。そんな事共を「人類の理想」として真に受け続ければ、真の「法の下の平等」は守られず、我国の婦女子を初めとする弱者達は、凶悪犯罪や外国による拉致誘拐の脅威から、いつまでも解放される事はないだろう。我国の、真の平和だって脅かされかねない。

経済格差にしても縮まらず、理想にしがみつき続ける事は、結局は、祖国の未来を闇に閉ざす事ともなりかねない。当然、弁護士法に謳われる「社会正義の実現」も看板倒れだ。余談だが、与党の打ち出す、複数の政策項目を、何かにつけて「意味不明」と揶揄する、枝野前民進幹事長は、この「人類の理想」につき、的確な説明ができるのだろうか。是非一度糾したいものだ。

来年、米合衆国は、トランプ新政権が発足する。対日姿勢がどうなるかも、余談を許さない所があり、暫くは、引き続いて安倍政権の頑張りをお願いするしかない。容共野党は、この辺りを全く理解するつもりがないらしく、媚中媚朝さえやってりゃ、平和は守れるとばかり思い込んでいるらしい。バカか。そんな連中にかしずかれる「人類の理想」など「結局は幻想」たる事を強く訴えて、この一年の締め括りにしたく思います。

今年最後の画像は、第一次安倍政権の終わり頃、福島・郡山で見かけた、蒸機出発の様子。戦中戦後の全国を駆け抜けた、代表選手「デゴイチ」ことD51型機。本来は貨物列車の先導を得意とし、又いつか、長大資材ホッパー車や石油タンク車編成の先頭に現れる日を、秘かに楽しみにしている所。勿論「幻想」ぽいのは分っております。画像みたいな、旧世代客車列車の先頭も、似合いの席。追いかける親衛隊は、今も多いです。では、今年も有難うございました。皆様、ご健康安全留意にて、良いお年を・・。

 


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