Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

時効問題より見た、日本国憲法の矛盾点

2009-05-04 00:57:00 | インポート
コナサン、ミンバンワ!

昨5/3は、国民の祝日の一、憲法記念日でありました。趣旨は「現行の日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する日」とありますが、果たして本当にそうであるのでしょうか。

戦後60余年、制定以来ただの一度も見直される事のなかった日本国憲法は、確かに経済社会の発展をもたらしたかも知れないが、その一方で我が国民の道徳観念を大きく低下させ、為に人命を奪ったり生涯に亘る深手を及ぼす凶悪犯罪の助長に加担した一面があるとされます。

時折しも、昨日東京都内にて、時効を迎えた殺人事件の被害者遺族の各位が、凶悪事件の時効撤廃を目指すべく、初の全国的会合を開かれた由。
大切なご家族の命を奪われた揚句、公訴時効の壁に遭って事件解決への道を閉ざされた無念は察するに余りあり、この問題への誠意ある回答が強く求められる所でしょう。
法務省も、こうした声に応える形で時効廃止の可否や、不可能時の更なる延長へ向け、今夏方向性を示す方針の模様。

我国における殺人事件の公訴時効は従来、刑事訴訟法により最長15年とされていたものが、最近の凶悪事件の巧妙化や外国人関与の度合増加に伴う解決の困難化より、2005=平成17年立件分よりは25年に延長されているのは良く知られる所ですが、この措置だけでは事件解決や被害者遺族のフォローに不十分であるのは明らかでしょう。欧米諸国に倣うのが全てではないが、既に殺人事件時効の廃止に踏み切ったり、半世紀に近い時効の延長に踏み切る国々も多いのです。例えばEU=欧州連合にては、加盟条件に死刑廃止を求められる由ですが、同時に殺人事件時効も廃止して、被害者、加害者双方の立場の整合性を図っている様です。我国では、この面のバランスが甚だ不良な印象を受けるのが、極めて遺憾な所であります。

この原因の一つには、日本国憲法第37条の「刑事被告人の権利」の不公正さに起因している様に思われます。
同条にては、刑事犯に対する裁判や証人の公平、弁護人の付与などの権利が規定されています。は良いのですが、この規定もご多聞に漏れず、戦前の公平を欠く裁判の反省よりの産物であり(左派勢力は「暗黒裁判」などと揶揄している)、経済社会の発展に反比例する人倫の低下に伴う凶悪事件多発に伴う被害者やその遺族各位との整合性が些かも顧みられていない。これは明らかな「偏向」であり、速やかな見直しが求められて然るべきではないでしょうか。

時効の存廃に関しては、被告人の反証が時期の経過に伴って減る為に、冤罪の危険が増すとの理由よりの反対意見もあるやに聞いておりますが、そうした見解を表すのは自由かも知れないが、あくまで可能性を指摘しただけの話。つまりは「消極意見」に過ぎず、実際に深刻なダメージを及ぼしている事を理解把握していないとしか申し様がありません。凶悪事件の被害者とその遺族各位の援護を優先する立場より、時効制度は少なくとも現行の2倍位に延長し、将来的には撤廃を目指すべきであるのは、私も同感であります。
この殺人事件時効の廃止が実現して初めて、死刑廃止の論議も道を開いて良いと思いますが如何でしょうか。

時効の一理由には「被害者やその遺族の処罰感情が薄らいで来る為」と言うのがある様ですが、全く言語道断「ふざけるな!」の一語に尽きると強く思います。更に死刑廃止勢力の一部には、時効を現状のまま放置して死刑廃止の先行を目指す不心得者もある様です。この様な輩の思惑通りにさせてはなりません。まず時効の廃止へ向けた見直し。それを目指す過程にて、必要あらば現行憲法の見直しにも蛮勇を振って切り込む強い姿勢が、我々国民にも強く求められていると思います。

心ならずも奪い去られた、多くの無辜の命の為にも・・・。*(日本)*
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