能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

粟谷能の会『天鼓』を勤めるにあたって 隠れたところ

2011-10-05 09:04:07 | マジメ能楽 楽屋表話
帝が天鼓少年から奪った鼓だが、
宮中の誰が打っても、何故か鳴らない

ここが『天鼓』を創った人、昔は世阿弥と言われていましたが、
現在は不明とされている戯曲家の、実は隠れた主張ではないでしょうか?

「あ~、ここが戯曲家でもあり、芸能者でもある役者の気持ちなんだな~
権力者への抵抗・・」と感じながら、今稽古しています。

『天鼓』のお話は・・・

帝は、どうしても鼓を鳴らしたい、その妙音が聞きたい!

と、まるで、だだっ子のように我が儘言い、エゴぶりを発揮しますが、
そこはワキの言葉で説明されるので、まずその状況をご覧になるお客様方が想像して下さい、
想像で舞台を動かして下さい。

そこで帝は

「天鼓少年の父・王伯(おうはく)ならば、もしかすると鳴らす秘訣を知っているかもしれない、そうに決まっている」
と、父・王伯のところへ勅使を出します、その勅使は親友の森 常好さんが演じてくれます。


さて、いろいろありまして・・・・

いよいよ、お父さんが鼓を打つことになりまして・・・・・

打つと、不思議と鳴るんですね

お父さん、ビックリ仰天なんですが、

問題はここからです。

この後の詞章がお父さんの気持ちは謡われず帝のことばかりで、
最後にお父さん「有り難き」です。

「打てば、不思議やその声の心耳を澄ます声出る、
げにも親子のしるし声、君(帝)も哀れと思しめして、
龍眼に御涙を浮かめ給ふぞ、有り難き」

ここの型付け(シテの動きを書いた伝書)には

撥にて打ち、撥下に置き、台より降り
りょうがん、にと正面を少し開き見、シサリ、シオリ、安座
と書かれています。
替えとして、シオリ、両手にても吉、とあります。




つまり我が子を殺した帝だが、

「鳴らない鼓がなったのは親子の情、恩愛なんだな~」
と感心して泣いて下さった、

「あ~~もったいない」
ともらい泣きする、と解釈されます・・・・・

ここが、今日のポイント

この型には微妙なシテの心意が託されていると思うのです、
そこをどのように想像するかは、能を観る方のご自由、
そこが能の面白さなのです。

その面白さを判って頂きたく、こんな長文となりましたが、
ポイントはここなのです。

ご来場の、いや、いつでも能をご覧になるときは
能役者を、いや、能そのものを、そのまま表面だけ観ていてはつまらないのです。

表面の能役者を信用してはいけませんと、

奥の奥、裏の裏を想像して下さい、それが能を観る本当の面白さなのです。






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