能楽・喜多流能楽師 粟谷明生 AWAYA AKIO のブログ

能楽師・粟谷明生の自由気儘な日記です。
能の世界も個人の生活もご紹介しています!

『梅枝』の楽は今後の課題かも

2010-06-13 05:48:00 | マジメ能楽 楽屋表話
昨日の能『梅枝』は普段と異なるところが多々あり
地謡を謡いながらも楽しめました。

喜多流では初の藁屋を出す演出でした。
シテは『黒塚』や『一角仙人』のように最初から
作物の藁屋に入っています。
旅僧(ワキ)の道行の後半に、
後見が引廻を下ろすと、冨士の妻(シテ)が下居して現れます。



ワキ座に立つ旅僧(ワキ)とシテとの問答があり
「はやこなたへと・・・」の地謡の初同で、
藁屋から出て、旅僧を自らの家に招き入れ、場面は家の中となります。

そこには亡き夫の形見、鞨鼓台に舞衣が付けられ
目付柱近くに置かれます。
女は昔語りを話しはじめ、旅僧に弔いを願い消えてしまいます。

(中入り)

後見が鞨鼓台の舞衣を外し、
台を正面先に移し、続いて藁屋も引っ込めて、
間語りとなります。



ワキの読経が、はじまるとシテは先ほどの舞衣を着し
鳥兜を被ってお経に引かれ登場します。

普通は立ったままワキとの問答ですが、
今回は正中で下居していました。
クセの前半を座ったままで演じ、上羽前で静に立ち、
後半はいつもの型通りでした。


地謡側から見ていると、珍しい光景だったので
面白く興味深く見れましたが、
正面席の方にははたしてどうでしたでしょうか・・・

「あ~~ 鞨鼓台が邪魔してシテの型が見づらかった!」
という声が聞こえてきそうですが・・・
いかがでしたか?

今回の『梅枝』は完成度が高い良い能だったと思います。

ただ~~
一点、楽の位取りに関しては課題、問題点があったようで
終了後、ワキの宝生 閑先生もご意見を述べられていました。


開演前、お囃子方から

「楽がむずかしいよ、どうやって運びを持っていくかが・・・」
とお悩みのお声が聞こえてきましたが、不安的中。


で~~~
本当にむずかしいのです。

実は私、以前『梅枝』を勤めた後に
「楽がゆっくり過ぎる!あれじゃ楽じゃない!」
と物凄く父に叱られたことがありました。

私としては~
『梅枝』は幽玄の世界で、
いつもの楽とは違うなにか・・・
梅枝独自の楽にしたい
そんな思い入れが深く、
しっとりとした楽を目指したかったのです。
思い入れが深すぎたのしょうか・・・・・
オコラレました。

現在物の『富士太鼓』とは雰囲気を変えて
哀愁をおびた、梅枝独特の世界、
そんな楽を演じたいのですが・・・・

それには乗り具合、スピード感が重要です。
いつもの手慣れたスルスル滑る感じのものではなく
キュット締まった感じにしたいのですが・・・。
でも、そのさじ加減が・・・・むずかしいです。

「言うは易く、行うは難し」です



終演後、友枝師はシテに

「楽をどのような気持ちで表現したかったの?
位取りというか・・・」

「はい、本来序の舞であるべきものを楽で表現する感じにしたいです。
昔の思いを・・・・、
ですからあまり楽しく舞うようなものではなくて・・・」

「そうね、亡き主人との楽しかった思い出を表現するか、
はたまた思い出に慕る感じね、両方あるよね、
ちょっと悲しい気持ちもあるよね・・その具合が問題だね~~」


これは私見です。

「楽」はたくさんの足拍子を連続して踏むのが特徴の舞です。
この足の動きがあまりにスロー、ゆっくりでは
どうも不気味に見えてしまいます。
今回も、不似合いだと見えたところが~~
二・三個所あったように思います。

「そうね~~無理して踏まなくてもいいのかもしれないな~」
という意見も後で出てきました。

正直、今回は、残念ながら
単に間延びしただけ、
になってしまったと思われます。

この楽を単に、ノリ(スピード)だけのコントロールだけで
表現しようとしても適わないみたいですね。

では、どうしたらいいの?
と言われても判らないのですが・・・・


楽というノリを保ちながら、
冨士の妻の心情を
ある時は悲しく、
ある時は惚気て、
と、もう少し起伏に富んだものが
演者と奏者で拮抗しながら演じられたら~~

これは私だけの考えです。

さて、ご覧になられた方々はいかがでしたでしょうか?
ご意見ありましたら、コメントをお待ちしております。


これから松山、そして広島へと
旅立ちます~~


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2 コメント

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鞨鼓台 (ぶる)
2010-06-14 12:18:32
正面6列から拝見いたしましたが、鞨鼓台それ自体も美しかったのですが、ひし形の隙間にちょうど面が縁どられ美しかった。おシテ登場の際の藁屋の格子の隙間からも美しくみえわくわくしました。おシテの面遣いのせいだと思いました。あの中性的な面は何をお使いになったのですか?国立はよく面の説明を入口に出してくださいますが見逃したかもしれません。唐衣の色、鳥兜にもとてもあっていました。舞衣は喜多の他のお能で拝見したような気がするのですがどのお能だったか思い出せません。イスファハンというイメージもある美しいモダンな衣ですね。
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お返事 (粟谷明生)
2010-06-14 13:27:58
ぶる様
コメント有難うございました。
鞨鼓台が邪魔にならずに見えてよかったです。

面は「深井」です。
舞衣は銕仙会のを真似て15年前ぐらいに作ったものです。

確か~~
ご先代の観世銕之亟先生が「羽衣」を屋外でやられた時の写真が表紙になっている本がありましたね
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