ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

どうぶつしょうぎ♪

2010-10-31 02:29:33 | 暮らしあれこれ
101017.sun.
17日の午後、下北沢の沖縄ダイニング・ネバーネバーランドで
松茸パーティーを開いたことは、以前、記録したとおり。

カナダ産・中国産・信州産の松茸が厨房から出てくるたびに
歓声とともに無数の箸が伸びて、
あっという間に器が空っぽになる。
なんだなんだ、まるきり欠食児童じゃないか~、我々。
・・・なんていうのを何度か繰り返し、ほぼ全ての料理が出尽くして
落ち着いてきた店内で始まったのが、将棋だった。

この店の店主はバックギャモン(ダブルス)で世界一になったことがあるK君。
K君は将棋やら囲碁やら、とにかくボードゲームの王者(私の中ではね)。
だから、この店の常連が、当たり前のように将棋盤を出してくるのは
別段珍しくもなんともない。
まあ、不思議といえば、とっぽい格好をした常連のミュージシャンたちが
将棋盤をはさんで向かいあっているという光景か。(笑)

そもそも、高校時代のクラスメートであるK君に連れられて
将棋班(私たちの母校では、なぜか「部」といわず「班」といっていた)に
所属していた私。
そうは言っても、定跡(じょうせき)を覚えているかと言われれば、
もうかなり怪しいわけだが。

でもね、このとき彼等がやってたのは、「どうぶつしょうぎ」だったのです。

「なになに? そのかわいいのは」
とのぞいたのが運のつき。
「やってみましょうよ!」と無理やり引っ張り込まれ、
思わず真剣にやってしまいましたのよ。

コマは4種類。かわいいほのぼのイラストが描かれている。
「王将」に当たるのは百獣の王、「ライオンさん」。前後、斜め、全ての方向に進める。
「歩兵」は「ひよこさん」。前にしか進めないが、敵陣に入るとにわとりに変身?
「飛車」は「キリンさん」。首の長さを生かして、前後に動ける。
「角行」は「ぞうさん」。体力を生かして斜めに突進できるんだって。

盤面は3×4の12マス。
簡単かと思いましたよ。
いや、しかし・・・シンプルな故に難しいの。
S君相手に、「ちょっと待って…」と思わず熟考。。。
で、言われたのが、「姉(姐?)さん、守りますねえ(笑)」。
ああ、やっぱり変わってないんだなあ。
自分では、3間飛車とかが好きで、どちらかというと攻撃型のつもりでいたのだが、
守りに入るとかなり防戦を張るらしく、
「女の子はやっぱり守るなあ。そこまで守るか」と
先輩から言われたことがあったのを思い出した。

で、結局負けたんですが
(初めてやったんだから、しょーがないでしょ。でも悔しい!)
これ、なかなか奥が深い。
もともとは子どもように開発されたらしいが、なんのなんの。
大人でも十分楽しめます。
買っちゃおうかな、と思ってネットで調べたら「品切れ中」だって。
人気あるじゃん。
やっぱり買っちゃおうかな~。(笑)

私たちが忘れてきたこと

2010-10-30 02:32:02 | 歌を詠む
101029.fri.
今月に入ってから、毎日のように
「コクサイセイブツタヨウセイネン」なんていう
耳慣れない言葉が飛び交っていた。
今年は国連が定めた「国際生物多様性年」で、
名古屋で開かれていたCOP10も本日で終了。

13日(水)、多摩市鶴牧中学校で
デヴィッド・スズキ博士の課外授業を見せてもらう。

カナダを代表する生物学者で環境運動家でもある氏は
「人種の多様性、文化の多様性こそが人類存続の鍵」と説く。
娘のセヴァン・カリン=スズキは、
1992年、12歳のときにリオデジャネイロで開かれた国連地球環境サミットで
世界の子ども代表としてスピーチして、深い感動を呼んだことでも有名だ。

近著『いのちの中にある地球 最終講義:持続可能な未来のために』の
発売に合わせて来日されたようだが、たまたまこの日、
中学3年生に向けての博士の講義を一緒に聞くチャンスを得たのだった。



赤いポロシャツにジーンズで登場した博士はとても74歳には見えない若々しさ。
生徒たちが多摩の学校周辺の自然、生態系と外来種の繁殖などについて
調べたことを発表するのを眺めながら、
友人であり明治学院大学教授の辻信一さんの通訳に耳を傾けている。
その目がとても優しい。
次に、中学生たちはグループに分かれて、用意された土を盥にあけ、
土の中に潜んでいた小さな生物を見つけてはどよめいたり、悲鳴を上げたり(笑)。
その間を除きながら歩き回る博士は、ニコニコしてまるで少年のよう。

デヴィッド博士の講義は英語で行われた。
辻先生がとてもかみくだいてわかりやすく通訳してくれたが、
生の英語の、こんなにすばらしいスピーチを聞くことができるなんて
ここにいる子どもたちは、なんて贅沢な経験ができたんだろうと思う。
かくいう私も感動した。

自分はバンクーバー生まれだが、先住民族がこの地に住むもっと昔から
この世は水、土、空気、火でできていて、我々はそれをずっと受け継いできた。
しかし人類は今、こうした大地、自然によって育まれてきたことを
忘れているのではないか。
君たちはこれから勉学に励んで、やがて就職して働き始めるが、
君の生活にはこれからも必ずお金がついて回ることになる。
つまり、経済が一番大事な世の中になっているのが現代社会だ。
だけど、大人になっても忘れないでほしいことがある。
私たちは自然なしでは生きていけないということだ。
どんな職業についても、これだけは忘れないでほしい。
そして、今君たちが住んでいる地域のことを、その環境のことを
お祖父さん、お祖母さん、ご両親が元気なうちにぜひ聞いておいてください。

1人の中学生が最後に質問をした。
「温暖化が地球に与える影響とは何ですか?」
「それは、great questionです」と言って、博士はにっこり。
生態系が崩れてしまった今、もうこの後の環境は予想できない。
わかりません、と博士。
けれど私たちは、生活圏の一部であり、
その大いなる恵みによって生かされている。
循環しあう4元素、そして様々な生物種が織りなすもの―生物多様性―なしでは
私たちは生きることができない。
その生命の織り物を自ら引き裂いているのもまた我々人間だ。
生き延びることを考えるなら、目の前の危機に、何をすべきだろうか?

レイチェル・カーソンの『沈黙の春』や
レヴィ・ストロースの『悲しき熱帯』などに、
ご多分にもれず影響された世代の1人である私。
そうだ、私、文化人類学者になりたかったんじゃない!?
いきなり、ぐわり、と記憶が大きく掘り起こされた一瞬だった。

   君たちは魚(うお)だ
   大海に出て
   経験を積み
   故郷へ戻る
   大いなる地上の営みの中で

尊敬する日系2世の父親カオルが16年前に85歳で亡くなる前に
言った言葉が本に書かれている。
「私は自然からやってきた。だからそこに帰っていくよ。
 そして魚や樹木や鳥の一部になる。それが私の転生だ。
     (中略)
 お前の記憶の中で、孫たちの中で、私は生きつづけていくよ」
「木々を吹き抜ける風のささやきが聞こえたら、
 そして海に踊るサケの閃きが見えたら、私はそこにいる」

自分も年をとり、死を考えるようになった。
しかし、人間が他の生物たちと交流しあう豊かな未来がきっとある。
必要なのは夢を見る力、そしてそれを実現する意思だけだ、と
本書は結んでいる。


10月半ばとはいえ蒸し暑い日が続いていた。
(ここ数日の冷え込みが嘘のよう)
単衣の黄八丈を着て、
早朝から(学校ではさすがに目立ってました…笑)、
夜は五行歌の渋谷歌会まで。
さすがに、汗でグダグダになりました・・・。

ただ描くだけでよかった

2010-10-28 11:59:24 | 暮らしあれこれ
101001.fri.

   花に話しかけ
   木に耳をすませて
   心のままに、私は描く。



岩波ホールで映画「セラフィーヌの庭」を見る。
実在していながら、その名を知られていなかった素朴派の画家、
セラフィーヌ・ルイ(1864-1942)の生涯を描いた作品。

パリ郊外サンリス。
家政婦をして暮らす貧しさの中で
信仰と絵を描くことだけが生きがいの
孤独な女、セラフィーヌ。
仕事を終えると野に出て木に登り、花を摘み、川で水浴をする。
アルバイト先でくすねた生血、
教会で祈りつつ失敬した油は画材の材料に。
小さな部屋で、手作りの絵の具を板に塗りたくる彼女の瞳は輝き
無垢な魂そのままの幻想的で魅惑的な作品が生み出されていく。
ドイツ人画商ウーデに偶然その才能を見出されるが、
第一次世界大戦で彼は帰国。
その後再会すると、とうとう彼女の才能は開花して、
その生命力あふれる構図と色使いとモチーフは人々を魅了する。
一転して夢にもみなかったような華々しい生活と、
まもなくやってきた世界恐慌の波に踊らされたセラフィーヌの心は
次第に崩れていき・・・

彼女を純粋無垢と言い切っていいのかどうか。
教養もなく信仰心だけで生きてきた一人の女の成功と、
魂を揺さぶられるような絵は確かにすばらしい。
しかし、後に残るこの哀しさはなにか。
最上級のレースを使ったウエディングドレスを身に纏い
彼女は神と結婚するつもりだったのか。
純粋というものはときに狂気になり暴走する。
最後は精神病院で寂しく死んでいったという天性の画家が
本当に幸せだったのは、あの自然に包まれた貧しい日々ではなかったか。
彼女の絵を育んだあのサンリスの草原と賛美歌に包まれて
おそらくは逝った・・・と思いたい。



ただひたすら描くことだけが生きることだった画家を演じた、
というより“画家を生きた”ヨランド・モローは各種主演女優賞を受賞。
フランス本国では80万人を動員、回顧展も大盛況だったという。

しかし、久しぶりの岩波ホール、オバサマ率高し。

・岩波ホール
・監督:マルタン・プロヴォスト
・主演:ヨランド・モロー、ウルリッヒ・トゥクール

スカイプ生活!

2010-10-25 11:19:37 | 暮らしあれこれ
まさか、郷里の母と
スカイプで話ができるようになるとは思わなかった。

先週、弟がタイに単身赴任になったため
その前に急遽田舎に帰ってスカイプを設置。
そもそもワープロ時代から慣れていた母であったので
インターネットにつないで
メールのやり取りをするようになるのは簡単だった。
そして、あっという間にテレビ電話なんて。
すごいよ。
今なら立派なキャリアウーマンになれてたかもねー。

母の後ろには見慣れた仏壇と、祖父の掛け軸。
たまに父がウロウロするのが見える。
うーん、田舎が近い!(笑)

小3の姪も面白がって、このところ毎日かけてくる。
9歳でパソコン操作もラクラクだなんてね。
それにしても、顔が見えるって、かわいいなあ。
ママも通りすがりに手をふる。
中3の姪は、カメラの前でもちょっとアンニュイ。
思春期だよね。
まあ、こういう時代は私にもあったな。
ちょっと、目の前で喧嘩始めなさんなって!(笑)

弟は、長期滞在型のホテルの一室を
カメラを移動させて見せてくれた。
へ~、居心地よさそうじゃないの。

「こんなことができるようになるなんて、
 ほんと、長生きしてよかった」
って、まだまだですよ、お母さん。
リニアが開通するまで頑張ってもらわなくては。

逆上がりなんか かんたんだった頃・・・

2010-10-24 19:31:33 | 歌を詠む
五行歌友だちで、絵かきさんの水野ぷりんさんが
私の歌にこんなすてきな絵をつけてくれました!
彼女はいつも作者が考えていないようなところまで
解釈を広げてくれるので、
どんなことを言ってくれるのかわくわくします。

そして極め付きはやっぱり「絵」です。
この歌を読んで、
すぐにシャガールのイメージがわいたのだとか。
とっても不思議で素敵な絵でしょう?
眺めているとどんどんうれしくなってしまう。

ぷりんさん、ありがとうございました!



<blog ぷりん茶屋>
http://pulinblog.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-1f38.html
(ブックマークにあります)
              
9.28「改名ご祝儀!?」でこの歌のことを書いています。
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=58bf6f521135dde268e98b43061bcde5

9月の<美をめぐる>備忘録②

2010-10-24 03:06:05 | 美を巡る
●9月26日(日) 奥村土牛記念美術館
          (佐久郡佐久穂町)


 昭和22年からの4年間、
 奥村土牛とその家族がこの地に疎開していたのだという。
 重厚な木造建築の部屋をめぐると
 善光寺に白い牛が来たときにスケッチをしたという「聖牛」の下絵をはじめ、
 主には素描が掛けられている。
 だからこそ当時の筆の勢いや当地の豊かな自然に
 圧倒されるというもの。

<みずすかる信濃の国の葉の温し>


  漆喰の壁には舞妓をスケッチする土牛の写真なども。


●9月26日(日)「感覚の向こうへ」
          (小海町高原美術館)09.18-11.14


 八ヶ岳の麓、松原湖高原にあるこの美術館は
 安藤忠雄設計の、コンクリートとガラスの外観が特徴。
 1970年代生まれの若い現代アーティスト4組5人の展覧会をしていた。
 ちょっと下り坂のエントランスの壁面の窓ガラスと天井には
 オレンジ色の果実袋がたくさん取り付けられていて、
 いきなり秋の空間へといざなわれる。
 抽象画、音、光・・・感覚を使って楽しんでもらおうということか。


 隣接されたレストラン花豆でランチをいただく。
 窓の向こうは秋草で覆われ始めた斜面と、
 さらにその向こうにはそっけないコンクリートの展望台。
 食べ終わってから、その斜面に出て、展望台から山を眺めた。
 夏と秋がまだ同居している青い空に八ヶ岳の稜線がまぶしい・・はずが
 ちょうど曇ってきてしまって、残念。
 足元にはアキアカネ。まるで秋草の中のルビーみたいだった。
 
      <高原にルビーのごとしアキアカネ>    




●9月26日(日)石の教会 内村鑑三記念堂 
        (軽井沢町星野)


 明治・大正期のキリスト教指導者であり思想家である内村鑑三の
 思想に基づいて建てられた、自然のなかにどっしりと佇む石の協会。
 建築は、フランク・ロイド・ライトの弟子、ケンドリック・ケロッグ。
 天地創造の5大要素、石・光・緑・水・木によって作られたといっても、
 外観からでは内部はまず想像できない。とっても前衛。
 たまたま結婚式の最中で、しばらく資料展示室で待機したが、
 そこへ花嫁やら花婿が通りかかるのもほほえましい。
 内部に入って驚いた。
 まるで石の洞窟。
 両壁からは、草が当たり前のように生えている。
 祭壇も十字架も無い。
 正面のガラスの向こうは果てしない空。
 なるほど、神の生命が形になって表れた神秘の空間か。

     <蒼穹の彼方に真鳥渡る>

 この地域は旅館再生で話題になった星野リゾートの本拠地。
 『星野リゾートの事件簿―なぜ、お客様はもう一度来てくれたのか?』を
 読んだばかりだったので、もう少しゆっくり滞在したかったな。


●9月29日(水)「アントワープ王立美術館展」
          (東京オペラシティアートギャラリー)
 アントワープといえば、フランダースの犬。
 ・・・だが、今回はこの地の美術館から、
 19世紀末~20世紀中頃のベルギー絵画がやってきた。
 マグリット、デルヴォー、アンソールのベルギー近代絵画3大巨匠は当然、
 クノップフも見られるとあっては、と思っていたものの
 相変わらずバタバタの、閉会間際の鑑賞。
 ベルギー王立美術館でアンソール特別展があったとき
 仮面の絵のオンパレードのインパクトがあまりに強くて
 他の絵は正直記憶になかったのだが、
 仮面に行く前の絵もまたどこか不安げでやっぱり心惹かれるのである。

「防波堤の女」ジェームス・アンソール

9月の<美をめぐる>備忘録①

2010-10-24 03:03:23 | 美を巡る
●9月4日(土)
「カポディモンテ美術館展」
          (国立西洋美術館)06.26-09.26
  記録済み。


●9月13日(月)日本古書籍100首大集合
          (京都女子学園 創立百周年記念特別展)09.11-10.09

 仕事で京都女子大までいったついでにのぞいてきた企画展。
 『百鬼夜行絵巻』『小倉百人一首』、百足(むかで)退治の『俵藤太郎物語』など
 百にちなんださまざまな古書籍を集めている。
 これだけ集めるのはさぞ大変だったろう、と準備委員会の苦労が偲ばれる。
 ゲゲゲブームからか、壁に貼られていた妖怪百のイラスト、欲しかったなあ。


●9月13日(月)国宝障壁画「楓図」「櫻図」          
         (真言宗智山派 総本山智積院)
 大好きな長谷川等伯父子が描いた「楓図」「櫻図」を見る。
 特別保管部屋に入ると、薄暗く、ひんやり冷たい室内。
 外の夏日に比べると南極大陸か、ここ!?
 (作品保護のため1年中同じ湿度と温度なのだと)
 等伯及び一門の「松に秋草図」「黄蜀(とろろ)葵図」「雪松図」「松に立葵」
 そして国宝「楓図」「櫻図」にぐるりと囲まれた心境は
 もうなんと言ったらいいでしょうか・・・。しあわせ~。

 …と感慨に浸っていたらドヤドヤと檀家の集団がご入場。
 サービスのためか、いきなり照明が明るくなる。
 お坊さんの説明も始まり、「松に立葵」は秀吉の息子鶴松のために描かれたものだが
 松(豊臣)に葵(徳川)が従っているという裏の意味もある、のだと。なるほど。
 等伯の息子・久蔵が書いた「櫻図」の桜は、胡粉を厚塗りしているが
 この手法を使った理由はいまでもわからないらしい。
 そこへ、照明が今度はどんどん落ちてきて・・・ぽっかり浮かぶ桜の花びら。
 なんと夜桜鑑賞の気分。
 もしかしたら、当時の人々はこんなふうに見ていたのかもしれない。

    <楓図や父子の絆京の秋>

   「櫻図」(復元図)当時はこんなに豪華絢爛。


   「楓図」(復元図)


 それにしても、1人だけなら静かでよかったかもしれないが
 団体客の皆さんのおかげで(うるさかったけれど)こんなサービスを享受できて感謝。


●9月16日(木)「マティスJaZZ展」 
          (ポーラミュージアム アネックス) 08.28-10.24


 晩年のマティスが制作した切り紙絵を基にして制作した
 版画(ステンシル)による挿絵本『ジャズ』。
 躍動するラインと鮮やかな色彩からあふれてくるのは力強い生命力。
 即興的なジャズのメロディーが、版画の1枚1枚から聞こえてくるようだった。
 銀座のど真ん中でちょっと一休み。
 オアシスのような空間。


●9月19日(日)「フランダースの光―ベルギーの美しき村を描いて―」
          (Bunkamura ザ・ミュージアム)09.04-10.24
 19世紀末から20世紀初頭、
 フランスのバルビゾンをはじめ、ヨーロッパのあちらこちらで
 芸術家たちのコロニーが見られた。
 ベルギーはフランダース地方、ラーテム村もそのひとつ。
 この地で生まれた作品と画家たちを取り上げた展覧会。

 「ピクニック風景」エミール・クラウス

 エミール・クラウスに代表されるリュミニスム(光輝主義)は
 光あふれる農村風景を描いて、印象派の光の表現をさらに進めている。
 ほとんどが名前を初めて聞くような画家ばかりだったが
 描かれている自然も人物も、眩しいくらいにのどかだ。

●9月20日(月)「田中一村展」
          (千葉市美術館)


玲子さんのPaper Dream

2010-10-22 02:11:40 | 美を巡る
101021.thu.
曙橋のギャラリーゑいじうにて
イラストレーター&エッセイスト・西村玲子さんの作品展開催中です。(~30日)


相変わらずなんと表現したらいいのか・・・
素敵・・・の世界。
小雨の降るこの日、薄い外光の入る2階の部屋は
シンとした西村ワールドだ。


ブレスレットにチョーカー、コサージュ、ミニクッションなど
ビーズや端切れを無造作に組み合わせているようでいて
緻密なデザイン。
少しでもバランスが崩れると、これらの美しさは半減する。
可愛いだけではない、
ちょっとした大人のスパイスをきかせるところなんか
もう絶妙で・・・そう、西村さんには絶妙という言葉がぴったり。


これは、この日西村さんが持ってこられた
出来立てほやほやのうさぎ人形。


今回は、たまたま、今仕事をしているブックデザイナーA氏を誘ったところ、
彼はかつて西村さんの本のデザインを何冊もしていたということで
一度会いたかった!と熱望されたのである。それが先週のこと。
(この世界では、著者とデザイナーは会わないまま
 本ができてしまうことはままあるので)
西村さんも以前からA氏に会いたかったということで、
めでたくご対面ということになったのだ。
こういう不思議な巡り会わせがときたま起こるのも
この仕事をしている面白いところ。

お目当ての四川料理の店が見つからず、
結局、四谷3丁目まで歩いて鮨大阪鮨八竹(はちく)でお昼をいただく。
年齢の近い両氏は、あっという間にすっかり意気投合。
また可愛い本作りたいねえ、なんていいながら
太巻きを頬張る。

A氏と別れてもう一度ギャラリーに戻り、私たちはまた小一時間おしゃべりをする。
二人だけしかいない2階の部屋は、すっかりくつろぎ空間だ。
私が仕事で西村さんの家によくおじゃましていた頃、
カウ君とマユちゃんはまだ小学生と中学生だった。
それがもう30代!???(私も年取るわけだわ・・・)
西村さんは相変わらず美しくセンスよく、
年齢をどこかに置いてきたような方だが、
「そのパンツのパッチワーク、共布でアクセントになってて素敵ですね~」というと
「ああ、これ? この間転んで破いてしまってね。それを隠すために縫ったの」
という、おちょこちょいの可愛らしさも満載で
こんなところも大好き。

実は、このブログのタイトルである「ペーパードリーム」、
20年前に西村さんの短編集を編集したときの書名を
いただいたものなのです。

8月の<美をめぐる>備忘録

2010-10-20 13:33:03 | 美を巡る
8月の<美をめぐる>備忘録

●8月10日(火)ポーラ美術館コレクション展「印象派とエコール・ド・パリ」
          (横浜美術館)07.02-09.04


 なかなか足を伸ばせない箱根のポーラ美術館から74点が下りてきた。
 ルノワール、モネ、シスレー、ピサロ、セザンヌ、ゴーガン、スーラ、シニャックら
 名の知れた印象派の画家たちの作品が、まるで教科書のように鑑賞できる。
 ピカソの青の時代の傑作『海辺の母子像』の前でたたずみ、
 シンと冷えた青と緑の世界に酔う一瞬。

 モディリアーニ、ユトリロ、ローランサン、ドンゲン、パスキン、ルドン、フジタら
 20世紀初頭にパリに集った画家たち。

 スーティンの作品が2点。
 一般には、はっきりしない輪郭とにごった色彩でイメージされる彼の絵だが
 今回出展の2点の珍しく強い色彩に、おっ・・・と思う。
 
 何を隠そう、モンパルナス墓地にあるスーティンの
 小さなお墓を尋ねたことがある私・・・。

 いや、お墓だけでなく、エコール・ド・パリの画家たちが住んでいた
 ラ・リューシュ(蜂の巣)というアパート(集合アトリエ)を尋ねて
 モンパルナスの小さな町を探索したこともあったのだ。もう12、3年ほども前だが。
 メトロ・コンヴァンシオン駅を降り
 人に尋ねながら(地元の人は案外知らなかった!)
 ようやくたどり着いたその八角形の建物を外からしばらく眺めていたら、
 現在の居住者がそっと手招きして門の中へ入れてくれたのはうれしかったな。
 無名時代のシャガールやザッキン、モディリアーニたちが住んでいたままの
 空気を感じたことを不意に思い出して、長々と書いてしまいました。


●8月12日(木)「マン・レイ展―知られざる創作の秘密」
          (新国立美術館)07.14-09.13
 あと数日で閉会というオルセー美術館展を見るはずだった。
 ・・・が、90分待ちというアナウンスを聞いて、即パス。館内は2階まで長蛇の列。
 いいもん、パリのオルセーには何度も行ってるからいいもん!と心の中で嘯いて(笑)
 一人も並んでいない「マン・レイ展」のチケットを買う。

 よかった。予想外にいい展覧会だった。
 意外に彼の一面しか見ていなかったことに内心驚く。
 彼の生涯を4つに分けて作品を展示する大掛かりなものだったが、
 ロシア系ユダヤ人の両親を持つ本名エマニュエル・ラドニツキーの
 1890~1920年のN.Y.時代のことなど、私の中では欠落していた。
 展覧会で見たマルセル・デュシャンの作品が
 マン・レイのアーティストとしての血を騒がせたのが必然だったことも。
 写真技術は早くから習得したが、そもそも画家として出発したことも。

 自身の作品を写真にとり、カードにしてファイリングする方式を生涯続け、
 それも展示されていたが、単純にしてなんという緻密な作業か。
 このインデックス・カードはデュシャンも作っていたようだ。

 1921年から20年間のパリ時代は芸術写真家として
 シュルレアリスム運動に参加して名を馳せる。
 あ! と思ったのは『アレクサンドル・アリョーヒン博士(チェスのチャンピオン)』の
 写真(ゼラチン・シルバー・プリント 1928年頃)。
 ああ、小川洋子の小説『猫を抱いて象と泳ぐ』に出てくるリトル・アリョーヒンの・・・!
 こちらを睨むように写っている伝説のチェス・プレーヤーが
 急に親しく感じられたのだった。


 キキ・ド・モンパルナスの背中をバイオリンに見立てた『アングルのバイオリン』。
 ソラリゼーションやレイヨグラフなど新しい技法を開拓し
 前衛的な写真作品を生み出したのもこの頃。

 1940年、フランス政府が崩壊、マン・レイもロサンゼルスへ。
 生涯の妻となるジュリエットと出会い、この時期はひっそりと暮らしている。
 チェスのデザインをまた始めていて、綿密な設計図が残っている。

 パリに戻りたいという思いが募り、11年後の1951年、
 N.Y.に拠点を写していたデュシャンに見送られて再びパリの地を踏む。
 商業写真の仕事は断り、絵画の制作を続ける彼に、遅まきながら成功が訪れ始めた。

 長い時間を得た芸術家の生き方は一言で片づけけられない。
 1976年に86歳で死ぬまでのマン・レイ然り。
 20年足らずの短い時間に一瞬の光を放って夭逝する画家に比べたら
 どちらが幸せなのかな。
 マン・レイ、ある一面に光が当たりすぎたあまり、
 いまさらながらの再発見が興味深い芸術家の1人。

 前出のモンパルナス墓地に、マン・レイも眠っている。

7月の<美をめぐる>備忘録

2010-10-20 13:30:06 | 美を巡る
7月の<美をめぐる>備忘録

怒涛の夏だった。
仕事もプライベートも。
先週、ようやく大きな山を越え、
ゆるゆるとした日常に戻りつつある今日この頃。
今さらだが、ここらへんで夏の備忘録をまとめておく。


●7月6日(火)「ストラスブール美術館蔵 語りかける風景展」
          (Bunkamuraザ・ミュージアム)05.18-07.11
 記録済み。


●7月7日(水)吉増剛三写真展「盲いた黄金の庭」 
          (BLDギャラリー)06.18日-7.11 07.14-08.08


 詩人・吉増剛三がこの20年に撮ってきた写真と言語に圧倒される。
 多重露光による写真は、賑やかさと不安定の中に孤独を浮かび上がらせるよう。
 カメラのシャッターを押す瞬間に切り取られた言葉の数々。

 前日の6日、多摩美での吉増氏の特別講義「サンパウロ」で見た
 映像を思い浮かべながら鑑賞。
 彼のブラジル人の妻の故郷に咲く見事なジャカランダの花の散る様も
 人の背丈をゆうに超す蟻塚(蟻塔・ギトウ)の奇妙さも
 彼が撮った映像の中でやけに身近なモノに感じるから不思議だ。


●7月7日(水)菅野まり子展「Pathoscape パソスケープ 病める光」 5127
          (コバヤシ画廊)07.05-07.10


 ダイヤモンドブラックというマットな黒い背景から浮かび上がる
 謎めいた植物と東南アジアで見られるような線画の人物になぜか魅せられる。
 寓意に満ちたモティーフが印象的だ。
 「漆黒に浮かび上がる幻燈のような舞台。
 何処かで見たようだが何処と言えぬ風景、
 知っているようだが語ることのできない物語。
 深く静かに決然と、識閾の狭間で生き延びていく情念の形」(菅野さん)


●7月8日(木)「有元利夫展~天空の音楽」
          (東京都庭園美術館)07.03-09.05
 記録済み。


●7月9日(金)「マネとモダンパリ展」
          (三菱一号館美術館)04.06~07.25
  記録済み。


●7月20日(火)「上田秋成展」 
          (京都国立博物館)07.17-08.29
 『雨月物語』で有名な上田秋成の歿後200年記念の展覧会。
 小説だけでなく、俳諧、歌、また国学者として、これほどの仕事をしていたことに驚く。
 池大雅、与謝蕪村ら文人画家の作品も多く、交流の広さがわかる。
 伊藤若冲「鶏頭に蟷螂図」もあったが、秋成の墓石の台座(蟹の形!)は
 伏見にある石峰寺で若冲が五百羅漢を彫った残りの石で彫られたものだそう。
 秋成は多くの号を持っているがその中のひとつ「無腸」とは蟹のこと。

 京の奇祭「やすらい祭」を描いた絵巻に秋成は賛を寄せていた。
 やすらい祭とは、は疫病退散を願う花鎮めの祭りなのだとか。
 京博を出たところの和菓子屋で「やすらい餅」なるものを買う。
 古井由吉の短編集『やすらい花』を買ったきり読んでない・・・(年内には読もう)。



●7月21日(水)「中国の小さなやきもの―美は掌中にあり―」
          (細見美術館)06.05-07.25

 京都に行くときは欠かさないのが細見美術館。
 今回は、てのひらにちょこんと乗るかわいらしい小さな焼き物の展覧会。
 しかし、そこに施された彫り物の技法や装飾は繊細で、美しい。
 唐三彩や青磁の壺や絵皿など、ミニチュアなのに実用品と同じ。
 小さい中にこそある深遠な宇宙を覗き込む喜びも格別だ。


●7月21日(水)京都国際マンガミュージアム

 京都に住む友人Kちゃんと息子のエイトくんと一緒に
 おススメのマンガミュージアムへ初めて行ってみた。
 昔の小学校を再利用して作られたマンガ文化の総合博物館。
 出迎えてくれる手塚治の火の鳥の巨大なオブジェは、
 夜ライトアップされるとより目立つのだそうだ。

 夏休みに入ったばかり、しかも猛暑とあって、館内はずいぶん人がいる。
 イラストレーター村田蓮爾の企画展も人気のよう。
 入り口手前のマンガカフェの両壁には、有名漫画家の直筆イラストがびっしり。
 皆そこで記念撮影をとりたくなるみたい。


●7月30日(金)「鬼と遊ぶ 渡辺豊重展」
          (神奈川近代美術館)06.12-08.29

 渡辺豊重は、都会に集中する矛盾や軋轢に対する自身の腹立ちを
 鬼として描いているのだという。
 首が無く、奔放な腕と爪をもった鬼は
 ときに激しく、ときにユーモラスに、ときにおとなしくそこにいる。
 その黒い塊は、しかし追い詰められているような印象をも受けるのだ。


●7月30日(金)「20世紀西洋版画の展開」
          (神奈川近代美術館 鎌倉別館)06.05-09.05
 絵画や彫刻で活躍する以外に、版画の領域にもその才能を発揮した
 ピカソやカンディンスキー、アルプ、ザッキン、
 またシュルレアリスムにも関わったマッソンら神奈川近美所蔵の版画作品。
 これだけまとまると、陰影の強弱ですべてが表現される版画の奥深さに脱帽。
 ピカソの『フランコの夢と嘘』、ザッキンの『マギの礼拝』、
 ギュンター・グラス『アイラートのかたつむり』『十字架のかたつむり』など。