ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

歌舞伎座の名画

2011-10-31 12:40:05 | 美を巡る
111029.sat.

振り返ってみれば、歌舞伎座にはもう四半世紀は通ったのだ。
夢中になっていた何年かは、歌舞伎会の特別会員にもなっていて
今ほど優先予約枠もなかったから、結構必死で電話をかけて
チケットを取ったものだった。
毎月3階席で、幕間には茶屋で、
予約しておいたおでん定食をいただく、なんてのが
なかば習慣になっていたのが懐かしい。

その歌舞伎座も、去年の4月をもって建て替えのため休館。
休館前の半年くらいは、毎月せっせと「さよなら公演」を見に行ったものだが
このところちょっと歌舞伎はお休みモードでした。
が、今月、16日の大鹿歌舞伎、21日の国立劇場と、
がぜん再び火がついてしまい、
本日は山種美術館で開催中の「知られざる歌舞伎座の名画」展へ。
同日夕方行われる市川染五郎丈の特別講演会を予約していたのだ。

講演会の前に、ささっと会場をひと巡り。
あったあった!懐かしい!という絵から、
へ~、こんなのどこに飾ってあったんだろう?というものまで
(実際、一般公開されていなかったものもあるようですからね)
台本や史料等含めて70点余りが展示されていた。

日本を代表する画家達の絵を、当たり前のように劇場で見ていたのは
なんて贅沢なことだったのかと思う。
意外と覚えていないことに愕然としつつも(笑)
気をとり直して新鮮な気持ちで絵と対面する。
竹内栖鳳、奥村土牛、河合玉堂、東山魁夷、上村松園、速水御舟、片岡珠子・・・。
そうそうたる近代絵画が、歌舞伎座という枠のなかで
一美術館において勢ぞろいする本企画もまた、できそうでできないこと。
さすが山種!

鏑木清方の『さじき』からは、
メアリー・カサットがよく描いたオペラ座で観劇する女性達の絵を連想した。
芝居好きで歌舞伎座にもよく通ったという鏑木ならではの、観客への観察眼。

土牛も歌舞伎に魅せられたひとり。
ここには「鯉」が収蔵されているが、
佐久の奥村土牛記念美術館には歌舞伎役者や文楽の素描があったような。


『藤娘』(長谷川昇)の顔を見たとたんに、
なぜか、晩年の七代目梅幸丈が演じた「勧進帳」の義経役が蘇ったときは
絵とイメージと記憶の融合ってすごい・・・と秘かに心躍るのでした。
(最初にファンになったのがこの方、梅幸丈でしたからね)
ここに来ておられた多くの方も、おそらく、
そんな記憶を手繰りながらそれぞれの作品を鑑賞していたのではないだろうか。

後半は歌舞伎役者自らが書いた短冊や扇面図、水彩画などを展示。

『草花図』(六代目尾上菊五郎、六代目尾上梅幸、十五代目市村羽左衛門による合作)

どの役者も、芸事として、書や絵にまで通じているなんて
その多才ぶりに脱帽です。
芸は身を助くなんてものじゃない。
天は一物も二物もこれ、と決めたひとには与えるのですね。

(この項続く)

マツタケタベタ

2011-10-22 14:11:23 | 美味いただく
とり急ぎ、食べ物ネタ。

猛暑にゲリラ暴雨と続いたこの夏の影響でか
今年は松茸の出がよくないと聞いた。
が、先週末に帰省したときから、立て続けに松茸三昧なワタクシ。
すみません。果報者です。
忘れないうちに書いておきます。

信州はジビエの宝庫です。
帰省した晩に、母が冷凍庫から取り出したのは、これ。
■瓜坊の頃から林檎を餌にして育てたという猪の肉です。

3頭育てているという方から、先日いただいたのだそう。
タレにつけておいたのを焼いて食べました。


■大鹿歌舞伎・ろくべん弁当の松茸ご飯

■大鹿村から帰ってきたら、庭先に松茸の入った籠が!

留守中、母の歌友が置いていってくれたのだとか。
この松茸は割いて焼いてスダチでいただきました。

そうそう、もちろん大鹿村で
今回は鹿肉のサラミを買ってきたので、それも。


■翌々日、日本橋・鮨の喜代志にて土瓶蒸し。

手前は、白子の味噌焼き。

ご馳走様でした。感謝。

歩数。

2011-10-10 14:38:59 | 暮らしあれこれ
111010.mon.

本日のウォーキングはいつもの3分の2くらいだったので、6913歩。
昨日は9656歩。
一昨日(8日)は10927歩。
その前日(7日)は13422歩。(新宿~四谷)
その前日(6日)が7972歩。(新宿~新橋~日本橋)
遡ると、以下こんな感じ。
5日・1969歩。(荻窪)
4日・3361歩。(神楽坂)
3日・2歩。(!!! 笑える~。家から一歩も出てない=ケータイを携帯していない日)
2日・5112歩。(有楽町)
1日・3歩。(え~~~~っ! やっぱり笑える・・・)
9月30日・6670歩。(目黒)

携帯電話についている歩数計の記録だから正確ではないにしろ
如実にさらけだされたのは、すごいムラ。(笑)
毎日同じ場所に通うわけではないので当たり前といえば当たり前だが
目標を1日10000歩に設定していた(ケータイを新しくしたとき)気持ちを思い出して
真面目に規則正しく1日のペースを決めて歩こう。(と、こっそり誓う)

それはともかく、この連休の間、3日連続でウォーキングをすると、
川沿いの緑地のあちこちを次第に思い出してくる。
(それくらいご無沙汰してたってことですね・・・)

ひっそりと「ラビットハウス」なる世界の兎グッズを売るショップがオープンしていたり
新しい遊具や運動器具が設置されていたりするが、
やっぱり目に付くのは、生々しい傷跡。
 

 これは兎雲。

 川の向こうのラクウショウ。
互い違いに付く葉が、まるで鳥の羽根みたい。なるほどね、だから「落羽松」。

そして、ランニング女子の多いこと。
結構本格的に走ってるんですねえ。
ちょっと刺激されます。

 

コスモスもハナミズキの実も、穏やかな秋晴れにいい顔をしていました。

ピクチャレスクな風景

2011-10-09 02:39:13 | 暮らしあれこれ

111008.sat.

半年振りのウォーキングは実に新鮮。
忙しさにかまけて、面倒くさいことから外していくと、
こういう習慣から落ちていくのだ。

先月の台風で、いかに公園の植物が被害を受けているか、
知人のブログや散歩に行った夫からの証言で知っているつもりだったが
行ってみてわかった。まさか、こんなに酷かったとは・・・。

かなり片付けられてはいるが、台風直後は
道が道でなくなっていたほどの惨状だったようだ。
来年のお花見が心配になるくらい、桜の樹が倒れて
ごっそりなくなっている。
スッパリと裁断された木も
暴風雨に裂かれた幹が生々しいままに残っている木等々もなんて痛々しい。



18世紀のイギリスで流行したのが“ピクチャレスクな”風景画。
「絵のように美しい」という意味ではなく、
想像力を刺激する不完全さや意外性を
風景や建築物、庭園に求めるときに使われた言葉だが、
目の前に広がる光景はまさにそんな感じ。

それでも、金木犀の並木は一斉にオレンジ色に色づいて
はかない秋の香りを漂わせているし、
赤や白の曼珠沙華の間を蝶が世話しなく飛び回っていて
ちょっと気持ちが高ぶるのを感じる。


これ、三角葉オキザリスっていうんですね。

意外と長く咲いているのに、案外見慣れない花。
そんなのを見つけるのも楽しい。


それから、我が家の最近のヒットはラクウショウ。
台風のせいで枝が折れたり実が落ちたりしているのを
夫が拾ってくるので、飾っています。
ラクウショウは「落羽松」と書くのですね。
枝に葉が水平に並んでつく様子を鳥の羽根に見立て、
その枝ごと落ちることから落羽松というらしい。
メタセコイアに似ているが、沼地にいるのがラクウショウ。
ころんとした球果(松ぼっくり)は、鱗のような芽キャベツのような模様で
10~11月に緑白色から褐色に熟すそう。

煮詰まっている仕事の気分転換に歩いて
ついでに植物についてちょっと調べてみた日でした。

人生の終活

2011-10-07 01:59:14 | 乳がん…その後
111006.tur.

新宿ピカデリーで「エンディングノート」を観る。

モーレツに働いて日本の礎を築いて、
これから充実した余生を・・と思った矢先の発病。
人生って、ほんと、思うようにはいかないもの。
しかし、それなら自分で納得する最後の幕引きを、と思った
砂田さんの人生礼賛の映画である。

その背中を黙って追いかける、次女(=監督)のカメラのなんて温かい視線。
父の言葉は娘の声を借りて、観客の心に響いてくる。
企業戦士だった自負と家族への愛情が、ストレートに届く。
だからこそ、リアリティあふれた映画になっているのだ。

最期まで家族のことを思い、葬儀の段取りまでして
人生の幕を引くということは
だれもがそうしたいと思いながらなかなかできないだろう。
事務的なことから、キリスト教に改宗すること、
家族へのさよならを悔いのないように言うことまで、
残された日々、砂田さんは奔走する。
溺愛する孫達に「いつだってじいじは、見守っているよ」と。
95歳で一人で暮らす母親へは「先に逝くよ。ごめん」と。
「言い残すことはもうないか?」という長男へは
「何かあったら、ケータイで」というユーモアも忘れない。

中でも印象的だったのは、やはり夫婦関係。
喧嘩もよくし、退職後は週末婚に切り替えた結果、
とてもいい関係になれたと思ったら、夫の突然の発病。
妻は、最初それを受け止めきれない。
なんて自分勝手な、という気持ちが先に立つだろうなあ、と思う。
そんな二人の、最後の場面は本当にまるで映画のようだった。
初めて言った「愛している」という言葉。
「逝かないで。一緒に逝きたい」と声をふりしぼる妻。

両隣にいた男性は、早いうちから鼻をすすっていた。
砂田さんのお知り合いだったのかもしれない。
今はもうこの世にいないひとが
かつての元気な笑顔で、こんなふうに登場されたら、
想いがあふれてたまらないだろう。

その後は、砂田さんの友人だったという
H氏とI氏とともに新橋へ。
3人でよく飲んだという店に連れていっていただき
砂田さんのご冥福をお祈りして、乾杯。
「彼は何も言わなかったけれど、今思えば
一緒に飲んだあの日は病気がわかった後だったのか」と
お二人もしみじみ杯を重ねる。
いいお友達に恵まれて、だからこそ
自分の死で友の生活を煩わすことをしたくないという
優しさと強さをあわせ持ち、
最後は近親者のみで送られたという砂田さん。
きっとお幸せだったでしょうね。

心からご冥福をお祈りします。

余談だが、
「死ぬまでにしたい10のこと」という映画が何年か前に公開されて、
乳がんの手術をしてまだ間もなかった私は
身につまされたのだった。
そんな記憶が蘇ったが、2001.09.11の手術から10年経って
こんな歌を作った。

   メメント・モリ
   いつか来る自分の死を
   自分で選びとる
   その日のために
   今日も生きていく