ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

井の頭線レインボー!

2018-05-31 05:44:27 | 暮らしあれこれ
0525.rri.

今日ラッキーだったこと。
レインボーカラーの井の頭線を見たこと!

  
滅多に会えないですからね?(笑)
井の頭線の車輌の色は7色+レインボー。
紫、あるいは黄緑に出くわしたらラッキー!と思うようにしてるんだけど、
たいてい見るのは青。青が多い(と思う)。

ピンク、レインボー、青と、珍しく3本が行き交ったので、
遮断機は長く下りたまま。
早緑に混じって、街が華やかになってきた。

 



これからの季節の井の頭線の楽しみは、延々と続く線路沿いの紫陽花。
大好きな浜田山踏切脇の白い紫陽花は、まだまだ4分咲きだったけど。

眠い。読書会

2018-05-31 05:42:37 | 題詠2015
0525.rri.

久しぶりの読書会です。
去年からの『叡智の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(若松英輔著)



どこからだったかも忘れ、読み合わせしても理解には程遠く、
睡魔が襲ってくるのでありました σ(^_^;)

途中、家主M氏のオランダ人の客人のお土産だという
チューリップチョコレート(可愛かったのに?写真撮り忘れ( ; ; ))をつまんで、
エネルギーチャージしながら。。。


5月の散髪

2018-05-31 05:37:57 | 暮らしあれこれ
0525.rri.

 

20年前のある日、いつも担当してくれてた女性がいなくなって、
店の面積も半分くらいになっていた店内で、
ホンダさんが自ら洗髪をしてくれながら、こんなことを言った。

「自分でお客さんの髪を洗って、骨格とか髪質を確かめないとダメなんです。
そうしながらスタイルを考えるの。そうしないと本当は髪は切れないんだよね」

YMOや安全地帯、チェッカーズらが一斉を風靡したテクノカット。
そんな彼らを、そして80年代を刈り上げたと言われた男の言葉です。
そんなことを思い出しながら、魔法の指に頭を委ねる。
3か月ぶりに散髪。
雨が降ってきそうな午前11時。重厚な歌曲を受け止めながら。

 

前回刈り上げちゃったから、サイドと後ろはさほど伸びてなかったんですけどね。
うなじはふわっといい感じの空気感を残して、前髪は程よくパッツン。



店を出たら降り出したので、目黒川沿いで駆け込みランチ。ポキ丼完食。

 

ねやねや~信州の酒メッセ

2018-05-29 10:44:13 | ふるさとまわり
180509.wed.
 

5月9日、品川グランドプリンスで開催された2018長野の酒メッセ。

 

すごい人で立錐の余地もないほどの盛況ぶり。
こういう状態を飯田弁で「ねやねや」といいます(⌒-⌒; )

飯田唯一の酒蔵・喜久水酒造さん(社長は高校の先輩!)、
隣村の米澤酒造さん(帰省すると必ず飲んでる今錦♬)のブースに
真っ先に挨拶に行ったのはいうまでもありません。

 

和らぎ水を片手にしても、すきっ腹で
とても全部を回る気力も時間もない(倒れる!(;^ω^))ので
木曽の酒蔵と大町の濁り酒を最後にいただいて
早々に会場を後にしました。

  

その後は、秋田のアンテナショップ「あきた美彩館」へ。
T先生、O氏、S氏といぶりがっこに秋田の酒で・・・と言いたかったんですが
「日本酒はもういいら(飯田弁)」と
ふつーの生ビールで乾杯。

第15回飯田ゆかりの地を歩こう会

2018-05-17 11:05:27 | ふるさとまわり
180512.sat.

5/12(土)第15回飯田ゆかりの地を歩こう会。(ちょっと長いレポート)



今回のコースは、ここしばらく続いた霊園ツアー(^_^;)ではなく、
東京駅集合ー皇居ー国立近代美術館ー(千鳥ヶ淵)ー法政大学の下伊那文庫見学です。

風もなく快晴の空の下、
お馴染みの飯田高校ラグビー班の旗を目印に、
米寿の隊長から50歳の若者(!)まで、
総勢32名がぞろぞろと歩きます。
私は3/17に下見会にも行っているので、余裕の?2回目(⌒-⌒; )

 

まずは三井物産ビル横の将門塚。
平将門の首が京都から飛んで帰ってきたことにちなんで、
カエルの置物がいくつか。
なるほど、呪いとか怖いとかいうことだけじゃゃない、
そういう謂れのあるところだったのね。

 

丸の内ビル街を抜けて、皇居ランナー達とすれ違いながら、皇居へ向かう。
坂下門で持ち物チェックされて、東御苑内へ。

 

三の丸尚蔵館で「明治の御慶事」展を見学。
絹のパンプス、小っちゃ!ドレスも小さいけれど、
ジュリアナの扇子を彷彿とさせる純白の羽根扇も上品でお見事です。
「大奥にいたあの頃は楽しかったわね、、、」
なーんてバカ話しながら、大奥跡広場で記念撮影。

 

乾門を出て、国立近代美術館へ。
飯田出身の日本画家菱田春草の親友だった横山大観の生誕150周年の展覧会。



岡倉天心のもと日本画の革新を目指して大観は、
春草、下村観山、木村武山らと五浦で研鑽を積む。
「西洋の絵のように空気を描けないか」との師の言葉に新たな技法に挑戦するも、
没線描法、朦朧体批判の中、絵は売れない。
しかし欧米への遊学、展覧会を通じて春草との友情はさらに深まったようだ。
ところが春草は、認められ始めた矢先の37歳で病没。
豪放磊落ぶりと革新性を遺憾なく発揮して、
大観はやがて日本画の巨匠と呼ばれるようになっていくが、
「春草君が生きていたら俺なんかよりずっと巧い」と晩年まで口にしていたという。
飯田には、2人が天竜舟下りをした際の絵?が残っているんだとか。

代表作の「生々流転」(人の頭しか見られなかった(ToT) まあ、何度も見てるからいいけど)。
琳派を思わせる「秋色」「落葉」。
屏風にこのモチーフはありえないでしょうとばかりの
金箔に浮かぶナイアガラ瀑布と万里の長城。
100年ぶりに発見されたという「白衣観音」、大観の代名詞「富士山」等々
。途中、戦争協力もしているが、大観は大観でやっぱりすごいわ。
画家は長生きしないとね、とここでも思った次第。

ぐるりと大観の絵を見た後は、3階の春草の「 賢首菩薩」(第一回文展入選作/重文)。
はずせないのは4階の川合玉堂の「行く春」。
この絵は 2007年4月26日、大好きだった叔母の訃報を受けた時に見ていた作品。
以来、毎春見に来ては叔母のことを思う。
限られた時間内ではとうてい全てを見終えることはできず、
会期中の再訪を胸に集合場所へ。

 

科学技術館の地下、ランチバイキングでしっかり別腹まで満たした後は、
同じ敷地内の工芸館で開催中の「名工の明治」展へ。
宮川香山以降見直されている明治の職人たちの超絶技巧!
中でも真骨頂は、鈴木長吉の「十二の鷹」。
明治26年のシカゴ・コロンブス世界博覧会に出展されたリアルな金属の鷹の姿を、
数年をかけて修復して再現したという。

  

3月の下見の際は、
学芸員によるタッチ&トークという鑑賞プログラムに参加して、
実際に金工作品(重文クラスの作品も有り)のできるまでや
その制作の種類などの説明を受けたが、今回は自由に鑑賞。
季節に合わせて志村ふくみさんの着物も展示されていてラッキーでした。

 

工芸館は建物も素晴らしく、重文指定を受けているゴシック様式。
なんたって明治43年に建てられた近衛師団司令部庁舎で、
だから、皇居からいちばん近い乾門を出た場所にあるということらしい。
天皇に何かあれば、即駆けつける、というわけね。
かの陸軍大将秋山好古もここにいたことがあったのだとか。

 

さて、北の丸公園脇、千鳥ヶ淵を通って、法政大学へと向かう。
3月には桜が咲き誇っていたが、
さわやかな初夏のようなこの日、可愛いさくらんぼが実っていた。

 

実はすぐそこの武道館では、
今をときめくロックユニット、グリムスパンキーが本日ライブをするのだという。
この2人組は、なんと地元の松川高校の出身。
飯田下伊那出身のアーティストが武道館ライブなんて初めてじゃないかと、
こっちの方が朝から話題になっていた。

法政大学市ヶ谷キャンパスでは、飯田下伊那研究の第一人者である高柳教授の案内で、
見晴らしのいいボアソナードタワー20階にある研究室へ。
教授がコツコツと揃えてくれた1000冊を超す蔵書、
図書館並みの我が故郷の貴重な資料を前に、一同ため息を漏らすのでした。



そして、16時から懇親会。飯田橋の居酒屋で乾杯後、
他の客が来る前に校歌、応援歌、県歌・信濃の国を熱唱。
恒例のS氏による歩こう会クイズ、自己紹介スピーチと、
食べ物は最初ちっとも出てこなかったけれど(◞‸◟)、
あっという間に楽しい時間は過ぎてゆく。
その後二次会、私は同期3人で荻窪で三次会。
結局、前回と同じく6時間歩いて6時間飲む、という
東京の飯田にどっぷり浸った健康的な σ(^_^;) 一日でございました。
16548歩!

izooは何処だ!?(;^_^A

2018-05-15 13:44:15 | 暮らしあれこれ
180418.wed.

🎶ライオン いません!
キリンも いません!
ヘビヘビワニワニカメカメカメカメ
は虫類にさわれるよ
イズーはいずこだ イズ(伊豆)イズー(iZOO)!!🎶
(作詞作曲/前山田健一 歌/ヒャダイン)

てなテーマソングが、翌日の今日も脳内をグルグルしてます〜〜。

(先月の話ですが)17日は稲取でゴルフ。
翌18日は雨降りだったため、毎春の定点観測?稲取アニマルキングダムをやめて、
前々から気になっていた体感型動物園 iZOO(イズー)へ行ってみました。
そしたら、なんとなんと!楽しいではないの!!

 

エントランスで首を伸ばしたカメ様トリオに迎えられ、
中へ入るといきなり鮮やかな緑色のレッサーアンティルイグアナが!
あとはもうトカゲにカメにヘビにカエルにカメレオン。。。
いるのはほぼ爬虫類と両生類です。

 

まず驚くのは、室内なのに土の通路。
保護色のカメレオンやトカゲを見つけながら進むと、
ウーパールーパーの集団が。触ってもいいらしいけど、
ここはごめんなさい(笑)



ヘビヘビヘビヘビ、、、



幸せを運んでくれそうだけど猛毒を持つ白ヘビからコブラまでヘビの部屋を抜け、
暗い土の階段を降りていくと、
目の前をノソノソ歩いてくるのは、アルダブラゾウガメ。
でっか!体長7、80センチもあるだろうか。これでもまだ40才で若いんだそうだ。
150才くらいまでは生きるそうだからやっぱり長生き。
ゴワゴワの足をさすってあげると、
気持ちよさそうに首をぐーんよ伸ばして恍惚状態になってるの。
なんか可愛いわ。



そして、甲羅の尖った絶滅危惧種のガラパコスゾウガメが
何匹ものっしのっしと歩いてるではないの!
先日BSでガラパゴスゾウガメの番組を見たばかり。
まさかここでその仲間に出会えるとは思わなかったわ。
ただここにいるのはオスばかりだそうですが。

 



「日本最大のゾウガメ牧場」は、まさに非日常。
目を疑うような光景だったのであります。
外の池には小さい(といっても2、30センチはある)カメが、
ざっと数えて4、5百匹が重なり合って、
泳ぎながらワニの顔した魚アリゲーターガーの頭を踏んづけている。
なんなんだ!?この世界(笑)

 

カメレースも大笑いしながら案外興奮してしまったし、
トカゲのお食事タイムもその素早さにビックリだし、いやいやオススメですよ、ここ。
なにより神様が作ったこの美しい生物のデザインは必見。
爬虫類が苦手でなければですけどね。

 

🎶イズーは何処だ、、、しょーもないダジャレもなにげない古語も、、、とほほ。。。
ついつい笑ってしまうのでした。


大断層の上で、地球を感じた!

2018-05-04 00:26:16 | 美を巡る
180502.wed.
 

リニア工事が始まっている大鹿村は、ひっそりとしていた。
八重の桜が少しは残っているかと思ったが、
色味は道路脇のツツジくらいで、
とりどりの緑色が競うように山を覆っている。
この地域は全体がパワースポットと言われているけれど、
それを差し引いても今が、いちばん力が漲っている季節ではないだろうか。



3日は定例の春の大鹿歌舞伎。
昨夜はひどい雨降りだったが、雨が上がってよかった。
今ごろ、体育館で上演中だろう。
(→1000人の村人に対して、県内外から1000人の観客が集まったとのことでした)

でも今年の目的は大鹿村中央構造線博物館です。
2日に行ってきました。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/

(HPより)

建物前に広がる岩石園に展示されているのは、大鹿村の河原から集めたたくさんの石。
これら大鹿村の石はすべて、日本列島の骨組を作っているのだとか。
とたんに、足元からイメージが広がっていきます。
中央構造線というのは、恐竜がこの地上で活躍していた中生代白亜紀に誕生した長大な断層。
博物館はその中央構造線の真上に建てられていて、
岩石園には、まさにそのラインが引かれています。

 

 


中に入ると、迎えてくれたのは、ツキノワグマくん。
(隣のろくべん館にも、別の熊がいた(笑)鹿じゃあないのか?)

  


いやあ、想像以上、期待以上です!
これはもう。地球規模の感動。
今でもなんだか足元がぞわぞわします(笑)

 

 

地域ごとに分けられた様々な石の標本。
石の美しさもさることながら、
たった1センチの層が数百万年を表しているって、
気が遠くなりそうなワクワク感じゃあないですか。

   北川露頭の標本です。

中央構造線とフォッサマグナの関係で諏訪盆地ができたこととか、
赤石岳の山頂からアンモナイトの化石が出ることの、
それまでの自分の認識を修正する話とか、
いま現在も日本列島が動いていることとか、
ベテラン学芸員さんの立て板に水のようなよどみない説明を聞きながら、
容易には立ち去りがたい展示室でした。

その後、行き止まりになるんじゃなかろうかと
不安になるほどの細い道を15分ばかり走って
国の天然記念物でもある安康露頭{アンコウロトウ)まで。

 

露頭というのは、地層や岩石が露出しているところをいうが、
ここはその中央構造線(大断層)が目の前に出現している。

写真の赤い線の左側が北側の内帯(日本海側)、右側が南側の外帯(太平洋側)。
堆積物の違いが明らかにわかる。
触ればもっと感じられるんだろうけれど。
左の内帯側は、白亜紀に内陸の火山帯の地かマグマが固まった花崗岩と、
その熱で鉱物が変わった変成岩が多く、領家(りょうけ)変成帯という。
右の外帯側は、同じく白亜紀に、冷たい海洋プレートが沈み込む海溝付近の地下深部で、
高い圧力で鉱物が変わった変成岩で、山波(さんば)川変成帯という。
砂岩や泥岩が多く、有名なのは二見浦の浸食だという。

いずれも1億年前とか2000万年前とか、言うのは簡単だけど、
悠久、雄大なんて言うのもおこがましいほどの想像を絶する時の流れです。
心地よくクラクラできる、なんとも素晴らしい場所でありました。

 

 

そういえば、3月に会ったガラス作家は、大鹿村出身の同級生。
彼が遠い目をしながら、
「自分の家の表玄関を出たところの土と、裏口側の土とは
見た目も、触ると粘度も違っていて、子どもの頃から不思議に思っていた」
と言っていたけれど、
彼の家はもしや中央構造線の真上に建っていたんではなかろうか?

その晩、地元で教員をしている同級生にLINEでその話をしたら、
彼はやたら詳しくて、かつて、地質関係の行事によく参加していたという。
「南アルプスの付加帯は岩石の種類が多くておもしろいよ。
 領家帯は花崗岩と片麻岩が主体で変化に乏しい。
 松川の河原は真っ白だよね?」と。
確かに、子どもの頃よく遊んだ片桐松川の河原の石はみな白かった。
そうだったんだ! 
うーん、今からでもいい、地質班に入って勉強したいわ。(笑)
足元を見る、ということの大切さにようやく気付いた。

そして、やっぱり思うこと。
リニア新幹線のためにこんな素晴らしい地層を持つ山を掘っていいんだろうか?
必ず起こるであろう生態系の崩壊だって心配だ。
もちろん、専門家が精密に調査して大丈夫ということになったから始まったんだろうが、
本当にいいのかな。という気持ちがやっぱり拭えません。
学芸員のK氏にその辺のこと聞けばよかったな。

<おまけ>
 

小渋ダムの水量は多かった。
帰り道でお猿さん、発見!
車を停めて窓を開けたら、さっと行ってしまったけれど。



この壁もアートでしょ!
恐竜のレリーフみたい♬ さすが、大鹿村!


感謝の日

2018-05-02 00:23:56 | 暮らしあれこれ
180430.mon.



東京から223.2km地点。
30年前の4月30日、午前0時30分頃。雨降り。
帰省途中のここ駒ケ岳の麓、中央高速で、
車から飛び出して30mダイビング。
反対側の車線を飛び越え、土手に墜落。
顔面4か所の骨折を負ってICUに入っていたのは私です。

 

30年後の今日、母の作ってくれたコシアブラの天婦羅、
筍とゼンマイの煮物、独活の胡麻和え、蕗の煮物、
美味しゅうございました。



毎年、毎回、帰省するたびに感謝していることですけどね。
家族と友人と駒ヶ根岳に祀られているご先祖の鶴格霊神様、ありがとうございます。
生かしていただいていることに感謝です。

鉄人、逝く。

2018-05-01 02:22:49 | 暮らしあれこれ
180423.mon.

2215試合連続出場。国民栄誉賞受賞。
そんなすごい実績より、赤ヘルと(なぜか)ビジター用のブルーのユニフォーム、
鋼のような身体で打って投げて走っていたしなやかな姿の方が記憶に残っている。



鉄人・衣笠祥雄さんにお会いしたのは25年も前のこと。
名球会コミックスの取材のため、
約束した東京ドームの通用口に現れた時の、
コワモテだけど人懐っこい笑顔が忘れられない。
巨人だったか日ハムだったか、ナイターの練習風景と誰もいない観客席を見下ろしながら、
解説ルームでお話を聞いたのだった。
思っていたよりとっても紳士で、スマートで、
丁寧な受け答えが印象に残っている。

当時、2000本安打&200勝を達成した選手だけが入ることのできる名球会には36人いて
(出版を辞退された江夏さんを除く)、
毎月2冊ずつ、かつてのスーパースター達の本を出していたのだ。
今思えば、こんなコムスメ(当時の私のことね(⌒-⌒; ))相手に、
生い立ちはともかく専門の野球の話なんかをよくしてくれたなあ、と思う。
が、その栄光の現役時代をよく知らないオジサマ相手
(といっても今の私より若い方が半数)だったから、
かえって向こう見ずでいけてよかったのかも?
同行のシナリオライター氏達の方が、よほど緊張していたもの(笑)

本が出る前に亡くなられた大杉勝男さん(告別式で金田正一さんが弔辞を読まれていたっけ)、
村山実さん、皆川睦雄さん、稲尾和久さん、梶本隆夫さん、江藤慎一さん、、、
苦労話(時代的にも貧乏、苦労、努力がキーワード)と温かいお話を
たくさん聞かせていただいた名選手の訃報を聞くのは辛いものです。

衣笠さん、71歳って若すぎるでしょう。
残した元気でもって、空の上で思い切り駆け回ってください。
心よりご冥福をお祈りします。