ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

9月29日(木)のつぶやき・ハーブティー

2011-09-30 02:40:10 | 美味いただく
20:45 from モバツイ
連日の撮影。本日は野菜、花、ハーブ等々。
終了後に皆で3種類のミント&レモンバーベナの生ハーブティーを入れて一服。
ああ、疲れた体にしみわたりますー。明日、最終日です。
  

おまけ:何を撮ってるのかなー??(笑)


by quu75 on Twitter

駒ケ岳へお礼参り-2

2011-09-29 01:14:30 | 旅する

110827.sat-2

「自分のことを忘れないように、お参りしてほしい」と
当時の修験者の体を借りて「喜格霊神が言った」のを
戦前、駒ケ岳へ祠をおさめに行くあなたのお祖母さま達一行に同行した際に
目の前で聞きました、
と書かれた手紙をもらったのは9年前。
高齢のその手紙の主(当時の修験者の息子)もまた修行を積んだ方だったが、
結局わかったのはそのときのそれだけだった。

山に登れば、何かわかるかもしれない。
そう思って行ったわけだが、結局なにも起こりませんでした。
祠も、どこにあるのか、てんでわからなかった。
今も形として残っているかどうかだって、本当は定かではない。
もっとも今回登ったのは、宝剣岳の頂に行く途中まで。
ともかく登ってみて、少し気が済みました。
でも、今回は見つけられなかったけど、いつかまたチャレンジしたいとも思った。

忘れないでほしい。
「喜格霊神」のその願いにこたえることが、今の私にできること。
脈々とつながる先祖のその思いを真摯に受け止め、感謝して生きること。
そんなことを改めて思った今年のお盆、そしてこのお彼岸だった。



さて、東に南アルプス(赤石山脈)、西に中央アルプス(木曽山脈)を見上げる伊那地方では、
この中ア最高峰・木曽駒ヶ岳(2956m)を西駒と呼ぶ。
(東に見える甲斐駒ケ岳は東駒とも呼ばれる)
こうした山に囲まれて育つ伊那谷の子ども達にとって、
中学2年の夏に行われる恒例の西駒登山は忘れがたい行事だ。
今でこそロープウェイができて、千畳敷(2600m)までは簡単に登れるが、
当時はたぶん自力で登ったはず。
(忘れがたいとか言いながら、このあたりすっかり失念…笑)
覚えているのは、とにかく歩き詰めだったこと。
山荘は標高が高いからご飯がうまく炊けないこと、
翌朝見た御来光と、目の前に広がる雲海が、あまりにも美しくて壮大で驚いたこと。
そして、夏でも残る雪渓や高山植物など、見たこともない景色の数々。

今回、宝剣岳へ登る途中までと千畳敷カール一帯を歩き、
刻一刻と変わる山の天気と、悠然とした自然の中に身をおいて、
少しだけあの頃の自分に戻った気がした。

千畳敷からの眺めは霧一色

  駒ケ岳神社にお参りして、宝剣岳方面へ

 すぐ先を行く家族連れ。至近距離で、この白さ

  一瞬の晴れ間も・・・

 すぐにこの通り・・・。でも可憐な高山植物たちに和む

 ウメバチソウ  サクライウズ(ミヤマトリカブト)

 シナノオトギリ 

 シラネニンジン

 タカネグンナイフウロ  ヤマハハコ 



 チングルマ(の穂)

 ミヤマホツツジ 

 帰りのロープウェイはこんなに晴れて・・・

 

しらびそ平までバスで下りる途中、
小猿は道を横切るわ、なんとアオサギが道端を歩いているわで、
なかなか楽しい山登りでした。

追記:
険しい赤石岳を父なる山、身近な西駒を母なる山と
伊那地方では言うそうなのですが
まさに母なる山に会ってきた、そんな気がしました。
やっぱり、私は山の子なのですね。

駒ケ岳へお礼参り-1

2011-09-28 01:32:38 | 旅する
110827.sat.

木曽駒・宝剣に登る途中に「喜格霊神」の祠がある。
そう聞いてから10年。
いや、本当はもっと子どもの頃から聞かされていたのかもしれない。

「喜格霊神」は父方の祖母の母の祖父?で
中央アルプス駒ケ岳を中心とする山岳信仰の修験者であったようだ。
厳しい修行を積み、亡くなった後、駒ケ岳に祀られたのだという。

戦前、祖母がまだ若く元気だった頃に、親類達と一緒に山に登り、祠を置いた。
腕のいい建具屋だったという祖父
(その後、戦死しているので私は写真でしか知らない)が作ったその祠が
どこにあるのか?
祖母の代の親戚も少なくなり、今はもうだれも知る人がいない。
弟は小学生の頃、祖母たちに連れられて宝剣岳に登ったことがあるが
彼だって覚えていないだろう。

さて、どうやら私はその「喜格霊神」様に守られているようだ、と思ってから
私は、その祠を探してみたいと思い始めた。

最初は23年前、中央高速で事故に遭ったとき。
とても生きてはいられない事故だったのに、ありがたくも生還した。
http://blog.goo.ne.jp/ezn03027/e/d5dab329f0ef1aaa8bb3327adafe6fc7

そして10年前の乳がん。
その年、会社の通常の健康診断を多忙ゆえにスルーして、
夏の不定期健診でたまたま若い女医さんに指摘されたしこり。
それも、理由もなくふらりと実家へ帰省した翌日という不思議なタイミングだった。
レベルⅢだったにもかかわらず、リンパへの転移も少なく、
幸い今も元気で生かされている。

ともかく、今年は駒ケ岳に登って、お礼を言ってこなくては。
信仰心などない私が、なんとなくそれだけはしなくてはいけないと思ったのだ。

というわけで、お盆をずらして帰省した8月27日に
駒ケ岳へ登ってきました。

(この項続く)

いぶし銀好き

2011-09-24 01:28:46 | 暮らしあれこれ
110923.fri.

中日ドラゴンズの落合監督が今期限りで降板。
来期からの新監督は高木守道氏だという。

あらら。
懐かしい。
というか、ちょっと嬉しい。
何を隠そう(別に隠してもいないが)、私、守道さんファンでした。

父が大の野球好きで、土地柄もあって中日ファンだったので
子どもの頃から野球には馴染みがあった。
そして、いつのころからか、高木守道さんの華麗なるバックトスに見惚れ
あの笑わないお顔を密かにお慕いしていたのでした。
長嶋でも王でもなく、守道。
なんという女の子でしょうかね?(笑)
つまりは、「いぶし銀好き」だったのよ。

さて、今から20年ほども前、
プロ野球名球界の選手たちの本を編集したのです。
その名も「名球会COMICS」シリーズ全36巻。
http://www.meikyukai.co.jp/shopping/p003.html
検索してみたらこれが出てきて、懐かしいのなんの・・・。
もちろん往年の名選手の皆様、当時もそれなりのお年で…と思っていたが
今の私とそう変わりはしないのね。
ってことは、あんなコムスメ相手に、よくいろいろお話してくれたと思います。
ここでお目にかかれなかったのは、長嶋さんだけ。
あの頃はスポーツキャスターとして大活躍されていて、
でも刊行順からいうと当然トップバッター。
取材する時間がとれないまま、資料だけは膨大にあったので
本ができてしまったのでした。
もちろん、シナリオも漫画の下描きも一応は見てもらった(ことにはなっている)けれど。

この話をするといくらでもできてしまうので
(野村監督のご自宅に伺ったとき、
 まだ芸能界に登場する前のサッチーにとっても腹を立てた話とかも・・・笑)、
こうして話題に上がることがあると、これまでも日記に書いたりしてきた。
ただし最近は、突然の訃報を聞いて思い出すことが多くなっていたから、
今日のようなニュースは本当に嬉しい。

あの頃、守道さんは解説者をされていて、
名古屋の中日新聞のロビーかどこかで会ってもらったのだったか。
紺色の背広を着たダンディな紳士。
「僕の話を聞いても、つまらないよ」とかおっしゃりながら
岐阜で生まれ育った子供時代、
憧れの長嶋さんが練習を見に来てくれた高校時代のことなど
丁寧にお話ししてくれたのだった。
おしゃれでも有名で、そんな話をふると、
「僕の洋服箪笥は、紺色ばかりでね。紺一色なんですよ」
なんて、はにかみながら言われたことも懐かしい。

普通、取材対象者にサインをいただくなんてことは論外なのだが
このときばかりは、私、いただいてしまいました。
守道さんのサイン。
だってー、憧れの人だったんだもん。

そんな守道さんも、70歳だという。
・・・感慨深いです。あの日のスーツ姿がいまでも思い出せるもの。
星野監督とも、落合監督とも、まったく性質の異なる監督の誕生です。
「余命を懸けてやりたい」と。
頑張ってください!
来年は久しぶりに、ちゃんと野球の応援に行こうかしらね。

肥えた早太郎

2011-09-23 01:59:40 | 暮らしあれこれ

書きたいことはどんどんたまっていくのに、
仕事が忙しくて、なかなか更新が捗らず・・・。

ふと、先月末、駒ケ岳に登ったあとで立ち寄った
駒ヶ根市の光前寺で買ったおみくじの事を思い出したので
少しだけ。

光前寺といえば、光苔と早太郎伝説。
知る人ぞ知る名刹である。
http://www.kozenji.or.jp/mainframe.html

そこで売っていたのがこれ。

早太郎、ぎっしり。
うわあ、かわいい・・・というよりビミョー・・・(笑)
だって、早太郎は怪物を倒した強い山犬のはず。

「太ってるね、早太郎」というと
お店のおばさん、すかさず
「仔犬のころはみんなこうだで。肥えとるに」
(NHK朝ドラ「おひさま」を見てる人はこの方言わかるかな)
そりゃそうだ。
で、買いました。
1匹いるよ。机の前に、今も。
あ、おみくじ? お腹の中から出てきた。「吉」だったかな。

その帰りに、ベルシャイン(地元の大型スーパー)に寄ったら
なんと「畦地梅太郎」木版画展をやっているじゃないの。
なんで、こんなところで?
夕飯の買い物なんかそっちのけで、思わず2階に上がる。

  

初めて、直筆のパステル画も見た。
欲しかったけど、ぐっと我慢。
いい物を見せていただきました。
町田の畦地梅太郎ギャラリーでも回顧展を開催中。
10月2日まで。行けるかなー。

単の塩沢紬にReisiaの更紗帯

2011-09-19 02:48:07 | きものがたり
110917.sat.

9月半ばを過ぎたというのに、この暑さは何事でしょう。
それでもさすがに薄物は着られないな、と単の紬を引っ張り出す。

着物は貝瀬音蔵さん作・草木染の塩沢紬。
光沢のある萌黄色が軽やかで、好きな着物の一枚。
それにReisiaの帯をあわせる。
野蚕と家蚕の糸で織られた凹凸のある生地に、青と紫の繊細な花が描かれた更紗の帯。
秋なので、稲穂を樹脂にとじこめた帯留に紫の三分紐。帯締めも渋めの紫系。
長襦袢は減紫(けしむらさき)、半襟は薄紫、足袋は更紗の柄で。


午後は牛込神楽坂で五行歌のAQ歌会。
その後、アユミギャラリーへ。
16~21日まで、「絵と遊ぶ五行歌」展を開催中。
麹町倶楽部の歌人たちの歌に、水野ぷりんさんが絵をつけています。
http://kouji5.com/index.htm
http://pulinblog.cocolog-nifty.com/


その後、場所を移動して、本日2度目の歌会。
密度の濃い一日でした。

10周年・ピエモンテの夜

2011-09-19 02:42:15 | 美味いただく
110916.fri.

毎年、私の9.11のお祝いは、ピエモンテで食事をする。
ソムリエの太一クンにドアを開けてもらい、宏一シェフに挨拶。
昨年のクリスマスには厨房に立っておられたお父上のグランドシェフは
最近はすっかり自宅療養とか。
たしか、昨年80歳を越えられたのだったか。
本場イタリアの本格的な料理をいつまでいただけるか、と毎年、
来年も同じであるようにと思いつつ大切な時間を過ごしてきたけれど
華やかなマダムも2年前に亡くなり、自然にこうして変わっていくのだ。
いつまでも同じではいられない。当たり前のことだけど・・・。
老舗トラットリアの味を残しつつ、腕を振るう2代目シェフも
もちろんすばらしい料理人だ。

目の前でスライスしてくれる
本日の前菜の生ハムの大きさにまずビックリ!
下に敷いたレタスが、お皿が隠れてしまう。


「いいスズキが手に入ったんですよ。カルパッチョにしました」
プリップりの肉厚の白身が口の中で弾けます。


恒例・エスカルゴのピエモンテ風。
これなくちゃ、始まらない!


オマール海老の冷たいスープ。
深い海の香りが広がる~。


スズキのソテー、レモンソース。
香ばしい皮とふっくら焼けた白身は程よい塩加減。
細かく切った野菜やオリーブが宝石みたい。


「うーん、うまそう!」
厨房の奥で宏一シェフがうなる。
作り手が言うんだから間違いないでしょう(笑)
メインのサーロインステーキは、
北イタリアのヴァッレ・ダオスタ州のお金持ちが食べるというもの。
肉と焼いたキノコ(ポルチーニ)を、溶かしたチーズで組合せたもの。
どちらも焼いてからそれぞれ冷ましてからでないと
チーズを使えない(くっつかないのだ)そうで、
最高に手間のかかる料理なのだとか。
ピエモンテという店名の由来が、
ピエモンテ州の食材も料理もイタリアで一番豊富で美味しいからと
かつてグランド・シェフから聞いたことがあるが、
そのピエモンテ州の北に位置するヴァッレ・ダオスタ州の肉料理。
脂分をそぎ落としてもこの大きさ。
ポルチーニの香りとチーズの濃厚さと旨みの凝縮されたお肉はもう
なんと言い表したらいいのか・・・。
昨今のグルメレポーターの言葉選びをあれこれ言えませんね。
さすがに食べきれず、お持ち帰りしましたが
翌日になってもメチャメチャ美味しくて感動しました。


そして、さすがにパスタは少なめにしていただく。
アワビのクリームソースがタイアテッレ(平たい麺)によく絡んで美味~。


デザートは
香川の桃を皮ごと裏ごしした果汁のシャーベット。
これがまた、香りもお味もジューシーでふくよかで、
最後の最後にうっとりしてしまうひととき。レモングラスティーが爽やか。
 

スプマンテから始まって、4種類のワインを少しずつ。
料理に合わせてセレクトしてくれるので、本当に贅沢な組み合わせを味わえるのも嬉しい。
   

来年も元気でここに来られますように。
(その前にクリスマス、予約しましたけどね・笑)