ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

かつて三六災害があった。

2019-10-17 16:27:33 | ふるさとまわり
191015.mon.

三六災害という豪雨・土砂災害がかつてあった。
昭和36年6月末、信州伊那谷を台風と梅雨前線の停滞による集中豪雨が襲い、
土砂崩れと河川氾濫で大規模な被害を出した。
三六災害による死者・行方不明者は136人、家屋の全壊・流失・半壊は1500戸にも及んだという。
大鹿歌舞伎で有名になった大鹿村でも、この時大西山が半分崩れ堕ちて村を飲み込んだ。

まさにこの最中、大鹿村の隣町で私は生まれた。
母は産院に行けず、7日5日、私は逆子で生を受けた。
救援物資を運ぶヘリコプターが爆音を立てて飛び回る中、
「お前はスースーよく寝とった」と何度聞かされたことか (^_^;)

「語りつぐ“濁流の子”」
http://lore.shinshu-u.ac.jp

これは、三六災害で被害を受けた伊那谷の小中学生達の記録だ。
これをまとめたのは被災当時高校2年生だった碓田栄一氏だが、その努力と根気と使命感には脱帽する。
初版は昭和39年、ガリ版刷りだ。
この資料を中心に、新聞記事や映像等で構成された価値あるアーカイブスです。
是非見ていただきたいのでご紹介します。

実は先月末、法政大学で飯田・下伊那研究をされている高柳教授の映画学習会で、
防災意識を高める目的の一環としてその一部を見せてもらっていたので、まさにタイムリー。
決して半世紀以上前の過去のことではないことを痛感したばかりの今回の災害でした。

災害の恐ろしさは昔も今も変わらない。
語り継いで、過去の災害からどれくらい学び、今後それをどう役立てていくか考えていかねばならない。。。
という当たり前のことを、災害の度に思い出す、情けない私たちです。

このアーカイブスには入っていないけれど、上伊那の中尾歌舞伎では、
国交省天竜川上流河川事務所の前所長が脚本を書いて、島根の石見神楽の協力を得、
土砂崩れを大蛇に見立てて、素晴らしい歌舞伎の舞台「三六災害半世紀」を残している。



また、「演劇的記録 三六災害50年」は、
歌と演劇で大鹿村の被害を追悼する記念舞台(これは「映像」に収録)だ。

こうした辛く悲しい過去の災害を、芸術にまで消化し、伝承していこうとする姿に、
伊那谷の文化度の高さを感じたのでした。
(あ、最後はいささか手前みそでごめんなさい🙏)
もちろん、受け継いていかなきゃ、しょーがないんですけどね。

★おまけ
三六災害を「サブロクサイガイ」と呼ぶか、「サンロクサイガイ」と呼ぶかにこだわって、
妙に揉めている地域でもあります(笑)