ペーパードリーム

夢見る頃はとうに過ぎ去り、幸せの記憶だけが掌に残る。
見果てぬ夢を追ってどこまで彷徨えるだろう。

石岡瑛子と向田邦子。

2021-02-06 01:21:11 | 美を巡る
2101.22.tue.

石岡瑛子と向田邦子。

先日、ダブルでその人生を鑑賞して、
それはもう予想通り、いや予想以上に圧倒された。

東京都現代美術館「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」
青山スパイラル「向田邦子展 いま、風が 吹いている」



資生堂やPARCOをはじめとしたグラフィックデザインにとどまらず立体的に、
より広い空間にと世界へその活躍の場を伸ばしていった石岡さん。
常に崖っぷちにいた、だからこそここまでやってこられたという言葉がヒリヒリする。
クリエイティブ、なんて一言で言ってしまってはおこがましいほどの、
想像を超えた作品と生き方。



脚本もエッセイも小説も、得意だった洋裁や料理のように自然体で、
でもそれが実は普通じゃない。
見たり聞いたりしてたくさん感じること、
そうすれば誰にでも言葉は天から降ってくる、と当然のように話す人。
その通りの仕掛けで、作品の一文が打たれた細長い紙が
天上から降ってくるよう会場に作られた装置を、
どこかで笑って見ていそうな気がした。



色校正の書き込みやラフコンテ、自筆原稿もまた圧倒的な存在感。
イメージする表現に対する熱情がこんなに伝わる迫力ある色校なんて、
今どき見られないんではないか。
生原稿も、ワープロが出てきた頃からもはや希少価値なものになっている。
とわかっていても感動モノだ。

石岡さんは10年前に72歳で、向田さんは40年前に51歳で他界。若いなあ。ど
ちらも妹さんが今回の展示会に深く関わっているのがいいな。



MOTは昨秋、オラファー・エリアソン展「ときに川は橋となる」を見にいった時は
入場まで1時間待ち!の混雑ぶりだったが、
今回、ホールはさすがにガラガラ。
入場したら、結構な混み具合だったけれど。

スパイラルは、最終日は長蛇の列だったとか。

密を避けて、が合言葉になっていても、見たいものは見たい。
行きたいところには、行きたい、のよね。皆。

博物館に初詣。

2021-01-23 23:15:40 | 美を巡る
2021.01.07.fri.

博物館に初詣。

 

干支の企画展、丑詣。なかなか見応えがあった。
古くから人類との関わりのあった牛は、世界中で様々なかたちで残っている。
鳥獣戯画で牛に注目したことってなかったなあ。
乙巻に見る牛達は賑やかで微笑ましい。


朝鮮半島の素朴な土偶(陶俑)、水滴、香炉、硯など
小さく可愛きもの達を見ていると時間を忘れる。
 

 

雅な牛車を描いた絵巻も多く展示されていたが、
平安時代の牛車に乗るマナーの解説に思わずクスリ。
見返り美牛図にも釘づけ。
 

欲を言えば蘆雪の「牛図」も見たかったわ。
これの写しの帯が欲しいと言ってたことがあったっけ(^^;;


「十牛図」。
牛を本当の自分の象徴として、逃げた牛を追い、
自分とは何かを探し求める牧人の旅の物語絵だ。
相国寺で画僧周文が描いた「十牛図」を見るたびに
心のリセットをかけていたんだけれど、
こうしてみると牛もなかなか活躍してますねえ。


そして、「松林図屏風」。
これはもう今更言うことありません。
でもこんなにガラ空きの第2室は初めてかも。しみじみ堪能した。
こんな贅沢な鑑賞はもうできないかも?
 

その後夫、東洋館のミュージアムシアターで「乱世を生きた画家 等伯」を観る。
終了後撮影タイムがあって、SNSでタグ付けしたら記念品進呈というので、
急いでインスタに投稿(^^;;
ステッカーをいただきました。

  

智積院蔵の久蔵の「櫻図」、等伯の「楓図」は何度も観に行ったので、懐かしく映像で鑑賞した。
松林図は久蔵急逝の後、傷心の等伯が描いたと覚えてたけれど、
この解説ではどうやら櫻・楓と同時期らしい?
しかも、モチーフから三保松原図か天橋立図を描こうとしていたらしい?
そしてどこかの寺社から依頼された障壁画の大下図だったことが、
継ぎ足した紙から推察されるのだそうだ。
ふーん。そうだったんだ。

東博の本館、東洋館と久しぶりにじっくり鑑賞したあとの夕焼け。
感染拡大が広がる中で、少し気が咎めながらのひとときだったが、
やっぱりこの時しか見られない、この日感じた思いはかけがえのないものです。

ボナールの、柔軟で曖昧で確かなるもの

2018-11-24 03:15:24 | 美を巡る
181102.fri.-1



この配色、いいでしょう
黄と臙脂色。ボナールをイメージしたボールペン。
と友人M氏に自慢して、ボナール展へ。

 

印象派の手法に飽き足らず、表現することに思想を求めた画家たちはその後
預言者、ナビ派と呼ばれて、フォービスム、表現主義への懸け橋となる。
件のボールペンは昨年三菱一号館で催されたドニ、ヴュイヤール、ボナール展で入手したもの。

近年、ことに注目され始めたナビ派を代表する作家の一人、
ピエール・ボナールは強烈な日本かぶれで、
会場に入ると初っ端から、あら、モダンな屏風絵!?
当時流行ったジャポニスムの影響を最も受けたと言われるだけの作品に早速釘付け。
前へ進むと迎えてくれるのは、彼の特徴でもある、
なんというか、不安定な配色に思えるのに全体から温かさが伝わってくる色彩。
浮世絵、特に国芳の影響を受けたといわれる大胆な構図。
人物や動物の表情も、妙に真面目くさかったり可笑しかったり。
妻マルトなしでは生まれなかった浴室シリーズ、ドガとの比較も面白い。
あ、戯曲「ユビュ王」の挿絵も意外!風刺画家でもあったなんて。

ボナールの繊細で神経質そうな風貌は、およそ画家らしくない。
けれど、ルノワール、モネから信頼を得、
ナビ派の仲間はもとより同年代のマティスらとも交流を持つ。
その色彩のように柔軟な人間関係だ。

都市から自然へと移行していく様を見ながら、
最後の部屋は特大装飾画がぐるりと囲む。
どれも注文画だったようだが、なかでも花咲く白いアーモンドの木が印象的。
ゴッホも描いたアーモンドの花。ムンクも晩年、
リンゴの木を描いているが、絶筆のモチーフとして心安らかなのかしら。

 

 

夜の美術館はまるで宇宙船。
エントランスを見上げたことなかったけど、
なんだかヨーロッパの礼拝堂のドームのようで
しばらく見とれてしまった。

 

 

外に出ると、暗い黄葉と雲の流れる夜空の曖昧さがまるでボナールの絵!
これまた、しばし見とれる景でございました。

アートに囲まれて一献

2018-10-31 01:52:15 | 美を巡る

181018.tue.



根津のギャラリーリブレで開催中のさとうしのぶさんの「偲」展へ。
版画、蜜?画、陶作品等々、しのぶさんの自由度炸裂??
いつ見ても楽しい!可愛くてパワフルでちょっとシュール。

   


19時からここは日本酒BARしづくに変身します。



近所の居酒屋で腹ごしらえした後は、舞い戻って食後酒を少々(^^)
マスターもお元気そうで何よりでした。

 


この日、妹さんのはるかさんの書の作品が展示されている
都美術館に行かれなくて残念!



ごめんね、はるかさん?

おちびさんの狂言会 いまむかし

2018-10-21 02:35:33 | 美を巡る
181012.fri.



おとうふ狂言の茂山家が大好きで、追っかけをしていた時期があった。
12日、高校の同期生M女史に誘われて、国立能楽堂へ。
茂山忠三郎狂言会。
重心の置き方と腹からの発声に毎度感服する。
そして、能は必ず一度は眠くなるが、
狂言はやっぱり可笑しくて、
今日もクスッ、クスッという忍び笑いがあちらこちらから。

忠三郎さんのご子息、4歳の良倫君の初舞台は「以呂波」。
なんてカワイイの! 難しい台詞を朗々と。
「た、て、い、た、に、み、ず、の、ご、と、く、に、、、」なんて意
味わかってんのかなーなんて、大人は余計な詮索 (^^;;

親バカと言われようが、自分の4歳の時より明らかに才能がある、と忠三郎さん。
うんうん、納得。滑舌もいいし、将来が楽しみです。

野村萬斎さんのご子息裕基君の初舞台「靭猿」の可愛い子猿を見たのは16年も前で、
いまやお父さんの背を抜いているのが不思議で仕方がない。

なんだか他所の子どもを見て、その成長を見守るなんて、
そんな年になってしまったんですかねえ(^_^;)



空気が喜ぶ、陶器展

2018-09-16 21:59:16 | 美を巡る
(もう過ぎちゃったんですけど)



2018.9月5~10日
「樽沢泰文 陶展」
銀座4丁目のギャラリーおかりやで開催。

 

 

シャガールを思わせる陶板、花が喜びそうな花器、
猫好きにはたまらないマグカップ、
思わず触りたくなるバッグのオブジェ、、、。
なんだか見る側も、周りの空気も楽しくなる作品ばかり。

 

 

昨年、「OKINAWA」という石膏オブジェ作品で
同窓会誌の表紙を飾っていただいた、高校の先輩です。



見てるよりおしゃべりしてた方が長かったかも?(笑)
ほしいのもったんですけどね~~(^^♪今回は我慢。
楽しい空間でした。

病院で絵画展&花・空・川

2018-08-27 00:42:59 | 美を巡る
180821.tue.

 

レポートを書き終わって、
ボランティアルームに戻る通路にある聖路加第二画廊へ。
古い友人で絵描きの小林ひろみさんが
「絵語り絵の世界ー夏」展をしていたので、立ち寄る。

5年がかりで、ある医大生の童話絵本の出版に関わったのだという。
『ウミウシたちのせいくらべ』(文・ふじはしあすか)。



ウミウシ大好きな私。早速買い求めた。
オイルパステルで描かれたカラフルなウミウシ達が、
聞けば作者ゆかりの地にワープして幸せを共有してくるお話です。
21歳の作者の思い出とこだわりが全て入っているのだそうだ。
「この5年間、絵を描くために水族館へ通い、
磯遊びをして水生生物に親しんできたの」とひろみさんも嬉しそう。

 

こういう想いで作られた絵本は、読む方も楽しい。

 

空中庭園の郁子はまだ青い。

 

ムラサキシキブもいまならではのグラデーション。

  

隅田川の夕風が心地いい。
正面には白く透き通った半分の月。

  

内も外もボタニカルアート尽くし

2018-08-22 17:13:17 | 美を巡る
180813.mon.



こんなボタニカルアート作家がいるなんて知らなかった。
野村陽子さん。
帰省中、どこにもいかないのもね、と13日、
家族で駒ヶ根のかんてんぱぱガーデンへ行ってきました。

 

いつも行くショップではなく、
広い敷地の上の方にある野村陽子植物細密画館。
無料の美術館ってのが、まずすごい。
いくら地元の出身だとはいえ、無名の画家の持ち込み作品を見て、
これは本物だと直観し、美術館を立ててしまった社長はもっとすごい!

野村さんの制作過程を映像で流していた。
実物大で描くのがボタニカルアートの条件のひとつ故に、
実際に透かし百合を根っこごとアトリエに持ち込んで、
脚立に乗りつつデッサンを始め、着彩を終了するまで、
ひと月の間対象と向き合う姿に思わず見入ってしまう。
会場には原画と拡大鏡が。
裸眼で見ても気が遠くなりそうなのに、
拡大鏡で見ると、卒倒しそうな緻密な筆の跡。

桜、百合、薊、南瓜、ブロッコリーなど見慣れた植物や野菜に混じって、
バナナやドラゴンフルーツといった普段は目にしない南国のものが目を引く。



最近引き上げて来られたようだが、
亜熱帯植物を描くために南大東島に4年ほど住んでいたようだ。
南の島に住んで絵を描いたといえば、
奄美に住んで没した田中一村を思い出す。
画家は南を目指すのか。

モノクロにすればまるで若冲を思わせるような構図の葡萄図、
もといヤマブドウの細密画も。

 

エントランスには、
野村さんのテリハノイバラの絵を下絵にしたという対のステンドグラスも。
光の透過を意識したガラスもまた素晴らしい。
いやはや時間を忘れてしまう空間でした。

 




庭は、今見てきたような植物が広がる。
実物も絵もこれらすべてが、かんてんぱぱのボタニカルアートだ。

 


ガーデン内のそば処栃ノ木でいただいたおろし蕎麦も美味。
(辛味大根はかなり辛いですが大丈夫ですか、と何度も念押しされた(^_^;))

近燐には赤蕎麦の里もある。今回は出ていなかったが、
蕎麦の花の絵が出展されている時期もあるだろうな。

胎内をめぐる冒険?~平塚市美術館にて

2018-06-20 01:26:02 | 美を巡る
180607.thu.

 

胎内めぐりとでもいおうか、異空間探検とでもいおうか。
2008年の神奈川近美・鎌倉館以来の集大成。
もう何度見てもすごい!重なり合う巨大絵画。
というか巨大屏風絵。全容は見えないが、作者はそれでいいという。
それより、感じてほしいという。
見えない部分には何があるのか。
見えているものはどのように立ち現れてくるのか。
会場の空間、そこに存在する作品の重量や質感、
そしてそこにどのような空気が流れているのか。

 

 

高さ3m、厚さ10㎝ほどの杉板をバーナーで焼き、
膠やドウサを塗り、
岩絵の具で着彩してスクレーパーで鱗状に彫る。
モチーフは龍、魚、蛸、象、迦楼羅、鳥等々。
そして、たくさんの眼、眼、眼。
近頃の作品に殊に眼が多く描かれ(彫られ)ている。
「世界中で何が起こるかわからない情勢の今、
真実を見つめるものが必要だ。
これは理性の象徴としての眼」だという。
海の近い平塚市美術館での個展のための新作は《百眼の魚》。
高さ3.5m、長さ12mの板の上の巨大な魚は圧巻でした。

 

 

昔から彼が口にするのは、洞窟に絵を描いていた頃から、
その行為は呪術であった、ということ。
「人間が自然界を生き抜く為に、
自然界を把握し関係を持つ為のルールとしても、
その自然の胎内に入る為の入口をポッカリと空けてくれる、
絵を描くということは、本来そういうものであった」。

 

快晴の7日、平塚市美術館。
ほとんど人気のない空間をゆっくり鑑賞した後、
遅めのランチを挟んで再入場。

 

無数の眼に抱かれて、
深海に潜ったような気分を大いに味わえた一日でした。

あ、画家の名前は岡村桂三郎さん。

 

かつて「もう自分のことを日本画家とは言わない」といった画家だ。
日本美術の伝統に縛られず、新しい造形を追求し続けている。
そして私は、彼の作品の、ささやかなコレクター。

 彫刻家・三沢厚彦氏のペガサスもいました。

島村洋二郎展~2年前よりさらに奇なる運命が…

2018-06-13 04:49:13 | 美を巡る
180609.sat.

島村洋二郎という画家がいる。
大正5年、神楽坂生まれ。
37才、家族とも離れ、極貧のうちに早逝したが、
日本のゴッホとも言われる絵描きだ。

最初の妻が飯田の女性で彼も飯田に住んでいたこともあるという関係から、
2年前の生誕100年の記念展覧会の際に詳しく知ることになったのだが、
そのさらに30年前、洋二郎の姪直子さんが偶然、伯父の絵を装画とした本を見つけ、
伯父の痕跡を探し始めたことから、今回の展覧会にもつながっているという不思議。
2年前と違うのは、幼くしてアメリカ人の養子となって渡米、
行方知れずになっていた洋二郎と二度目の妻君子との間の子・鉄氏が見つかったこと!
直子さんも探していたその従兄弟に会えたこと!
しかも、あの「ファミリーヒストリー」という番組を通じて。
半年ほど前に放映を見た時は、
その奇妙な縁(えにし)に思わず涙ぐんでしまったほどです。

今回、御茶ノ水のギャラリー884には、
その鉄氏が描いたという絵も飾られていたが、玄人はだしも甚だしい。
それこそが、画家洋二郎の息子であるまごうことなき証。


この絵が鉄氏作の自画像!絵を習ったことはないという。

半世紀も前に離れ離れになっていた母君子も
アメリカの隣の州に住んでいることがわかった。
が、鉄氏が会いに行って間もなく、今年の2月に君子さんは亡くなったという。
なんとも言い難い運命というか必然の邂逅のドミノ倒しとでもいうか、、、。
こういうことってあるんだなあ、と
他人事ながら見守ってきた直子さんと伯父である画家とその周りの人びと。

肖像画を中心とした今回の展示は、
強く激しいタッチの中に、対象への画家の深い思いを見る。
最初の妻幸との間の子、林冬二さん(近頃亡くなられたとのこと)が
4歳で描いたという花の絵も展示されていて、
計らずも父子3人展となっているのでした。
ほんと、事実は小説よりも奇なり、です。


旧制飯田中学で数学を教えていた北澤武氏の肖像。北澤氏の教え子だという弁護士のH氏も、飯田高校の大先輩です。

うっかり長居してしまい、急いで根津の歌会へ急ぐ道で、
これまたギャラリーへ向かう途中の直子さんにバッタリ会えたのも、
この日(6/9)の神様からのプレゼントだったのかな。


 直子さん編集の詩画集(2016)

 詩と挿し絵にも哀愁が漂います(詩画集より)