英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

今年もあと8時間弱

2012-12-31 16:18:49 | 日記
 夏が長く、秋が快速で通り過ぎたせいか、今年の後半がやたら短かった気がします。忙しかったのと、歳をとるにつれ時間の経過が早くなる法則(感覚)もあり、やり残したことが多くあります。
 ブログに力を注ぎすぎというか、ドラマレビューを書きすぎですね。秋の写真もアップできずに暮れになってしまいました。
 他のブロガーさんたちのところにはお邪魔しているのですが、コメントをサボっているというのも大きな反省点です。

 と、殊勝に反省するのはここまでとして、まあ適当にやっていこうと思います。「適当」という言葉はいい加減な響き(意味)がありますが、けっこう好きです。一生懸命やるべきところやしたいところは頑張って、いっぱいいっぱいになってきたら力を抜く、そんなスタンスでやっていこうと思っています。

 では、また来年。
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年末日記

2012-12-30 22:07:08 | 日記
ようやく30日になった。
クリスマスなんて五輪と同じ(4年に1度)で充分だぁ~!

なんで叫んでいるの?と思われた方はこちらをどうぞ。
(昨年の記事ですが、今年もほぼ同じなので(若干パワーアップ?)使いまわし。読まなくていいですよ)

 そんな状態で、28日、29日に自警隊の年末警戒がありました。寒いし、疲れているし、年賀状を仕上げたいし、おっさんばっかりだし、サボりたいというのが本音です。
 ただ、根が真面目な私、一昨年と昨年は隊長、今年も副隊長(降格したので多少楽になりました)なので、サボれません。≪なんで、一年で2番目に忙しい日と3番目に忙しい日に出なあかんのやろ?………≫(ちなみに、一番忙しい日は30日です)
 28日は土砂降りの中の散歩、29日は晴れたのでよかったのですが、その分寒かった。普段から仲良くさせていただいている誰かさんは、イルミネーションデートでしたが、私は懐中電灯の中、鈴(リン)をBGMにおっさんと夜間徘徊でした。

 地獄の半月もあと一日。ようやく、ブログを書く気になったところです。ここしばらく、更新できていなかったので、ひょっとすると心配されている方がいるかもしれないので、近況報告(愚痴)でした。
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TOKYO エアポート ~東京空港管制保安部~ 最終話

2012-12-24 20:37:15 | ドラマ・映画
次々襲い掛かるアクシデントを克服する管制官たち
   そして、電力不足による滑走路の照明ダウンに、
      管制塔、レーダー室、グランドスタッフ、整備などが一体となって
         ヤシマ作戦 を 決行!

(きっと多くの方が「ヤシマ作戦」という言葉が頭に浮かんだであろう。なので、この言葉を使うのに、多少の躊躇を感じたが、まあいいや。ちなみに、「ヤシマ作戦」とはTVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の第六話『決戦、第3新東京市』の中で、第5使徒ラミエルに対し、日本中を停電状態にして攻撃兵器の電力を集めた時の作戦名である)

 最終回にふさわしい、空港が一体となって行った 作戦 エピソード であった。
 しかし、主人公特権を発動しすぎたため、私は共感できなかった。

 すでに前回、上司をこき使った上、統括の地位に納まっていたが、今回さらに活躍する(爆走する)

「空港長!、お願いがあります。滑走路に十分な電力を供給するために、空港ターミナルの電気を消さしてほしいんです。空港ターミナルが節電してくれれば、滑走路にその電力を供給できるそうなんです」
「バカなことを言うな。空港ターミナルの電気を消したら、乗客たちは不安になるし、セキュリティ上も問題がある」(田辺管制部長)
「それは踏まえた上です」
「空港内をパニックにする気か?」(田辺管制部長)
「空港スタッフは、そんなことでパニックになったりはしません。どんな状況でも、乗客のことを考え、冷静に対応してくれるはずです」
「篠田さん、それはあまりに無理なお願いですね。空港ターミナルの電源を切るには様々な手続きが必要なのは、あなたも分かるでしょう」(矢野)
「空港長……お願いします。時間がないんです。滑走路の照明がつかなければ、航空機は降りてくることができません」
「…………………………………………わかった」(空港長)

 電源を切るには様々な手続きが必要ではなかったのでは? 「様々な手続き」って「空港長の許可」という意味だったのか?それとも、「電源」ではなく、「照明等を落とすだけ」なら空港長の許可と、現場スタッフの了解があればいいのか?
 そもそも、上司の主幹管制官・結城に上申するのが筋だと思う。それに、管内への説明アナウンスもキミ(香織)が行うのかね?お客はほとんど無視したアナウンスだったし。
 セキュリティ上も問題は踏まえた上と言っていたが、どう踏まえたというのだろう?
 

【例によって、細かい感想】
1.GPSの不具合、停電、自家発電機の不調などに次々に対応していくが、一度対応策を取ると、その問題がクリアしたかのように事が進むのは無理がある。
 GPSの不具合のもとで、着陸機が集中し、スポット不足を回収するため離陸させる必要も生じ、さらに電力不足のため滑走路を一つにして照明への電力を集中させる。そのうえ、インフルエンザか何かでスタッフが不足状態。さすがに無理で、横田基地など他空港へ着陸機を散らすべきであろう(前回、香織がその協力を要請していたが、さらに協力を要請するのが、危険回避の有効な手段であろう)

2.上記と関連するが、あまりにもアクシデントが重なりすぎ(GPS不具合、西日本の大雪、停電、自家発電機の不調、病欠によるスタッフ不足)。特に、自家発電機の不調って、怠慢なのでは?

3.矢野の秘蔵の将棋駒って、番太郎駒?(番太郎駒とは、昔ながらの一番安価な駒)

4.コンタクトロストは余分な盛り上げだと思う

5.竹内の離任のエピソードや夫の死の話は必要だったのだろうか?

6.前回初めの、香織の自信のなさは、どこに行ったのか?
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『平清盛』 最終話「遊びをせんとや生まれけむ」

2012-12-23 18:31:42 | ドラマ・映画
よい最終回だったような気がする
   ………西行、大活躍?

 前回のラストで、清盛の生霊?が西行のもとに現れた。
 ≪なぜ、西行?≫と思ったが、なるほど、イタコ(口寄せ)の役目だった。


 一門、それぞれにやさしい言葉をかける。
「維盛、資盛…そなたたちは亡き重盛の血を引くもの、その心根の清さ、己が宝と思うて生きよ」
「経子…重盛にそなたのような良き妻がいてくれたことは、救いであった。重盛にも、わしにも」
「経盛、教盛…二人そろって一人前とは、よう言うたものじゃ。これより先も兄弟支え合い、平家の文と武の軸たれ」
「忠度…そなたの歌の冴えは日本一じゃ。わしが認める」
「頼盛…きっと守り抜いてくれ。父上と母上の平家の血を」
「宗清…何があっても、そなただけは頼盛の忠実な家人でおれ」
「貞能…父・家貞と変わらぬそなたの忠義。甲斐甲斐しき働き、忘れぬぞ」
「忠清…お前がおらねば、とおに一門は滅んでおったであろう。長きにわたり、よう平家の武を支えてくれたのぅ」
「宗盛、知盛、重衡…わしの逞しき倅(せがれ)たちよ、きっと勝て。勝って、勝って、勝ち続けよ」
「徳子…そなたほど見事な働きをした武士(もののふ)は、国中どこを探してもおらん。あっぱれな娘じゃ」
「時忠…そなたなくして、平氏は平家になれなんだであろう。時忠非ずんば、平家に非ずじゃ」
「盛国……いいや……鱸丸…お前はこの平家という船に踊り込んだ鱸のごとき者。お前に巡り会えたは、わが生涯随一の恵みであった」
「時子……そなたこそが、わしの紫の上じゃ」

 それぞれの人物に、的を射た言葉で、私は当人ではないが、うれしい気持ちになった。
 最優秀賞は「時忠非ずんば、平家に非ずじゃ」、優秀賞は「重盛にそなたのような良き妻がいてくれたことは、救いであった」と「そなたこそが、わしの紫の上じゃ」、特別賞が「二人そろって一人前とは、よう言うたものじゃ」。
 頼盛だけ、ねぎらいの言葉はなく、使命を持たせたのは可哀そうだった。

 その後、怒涛のごとく平家は最後の時を迎えた。それぞれの顛末も、示してくれたのもありがたかった。
 ラストシーンで、清盛の登場を迎える一門のやさしい笑顔、特に頼盛の笑顔を見ることができ、ほっとした。良い締め括りだったと思う。(『タイタニック』を思い出してしまった)

【最終話の細かい感想】
1.史実(平家物語?)での清盛の遺言が「頼朝の首を、わが墓前に供えよ」だったためであると思われるが、前回に清盛は頼朝の目指す武士の世を認めていたので、この遺言にこだわるのはおかしい。
2.清盛の臨終の倒れるシーンは、ホラー的でちょっと怖かった。
3.最後まで平家の笑劇場を見せてくれた。清盛を冷やそうとした水が熱い鉄板の上のように蒸発し、「体ごと水に浸けてはどうか」と、バカなことを言うと思ったら、「もうそれは試した」って(笑)
4.頼朝と西行(清盛)の対面は要らないように思う。本作はあくまで『平清盛』であって、『武士の世を起こした者たち』ではないのだから、頼朝を清盛のライバルにして、無理やり頼朝を立てなくてもよい。
5.同じ意味で、頼朝と義経の諍いも要らないと思うが、ここまで義経と弁慶を描いたのだから「弁慶の立往生」は見せないと大河ドラマとしてバランスが悪いか。
6.最後に、清盛の意志を継いでいることを子兎丸らが出てきて示したのには意表を突かれた。「室町時代に、清盛が礎を築いた国と国との交易がおこなわれることとなった」…かなり強引。

テレビ画面について(第1話、第2話の感想も少し)
第3話「源平の御曹司」
第4話「殿上の闇討ち」
第5話「海賊討伐」
第6話「西海の海賊王」
第7話「光らない君」
第8話「宋銭と内大臣」
第9話「ふたりのはみだし者」
第10話「義清散る」
第11話「もののけの涙」
第12話「宿命の再会」
第13話「祇園闘乱事件」
第14話「家盛決起」
第15話「嵐の中の一門」
第16話「さらば父上」
第17話「平氏の棟梁(とうりょう)」
第18話「誕生、後白河帝」
第19話「鳥羽院の遺言」
第20話「前夜の決断」
第21話「保元の乱」
第21話「保元の乱」その2
第22話「勝利の代償」
第23話「叔父を斬る」
第24話「清盛の大一番」
第25話「見果てぬ夢」
第26話「平治の乱」
第27話「宿命の対決」
第28話「友の子、友の妻」
第29話「滋子の婚礼」
第30話「平家納経」
第31話「伊豆の流人」
第32話「百日の太政大臣」
第33話「清盛、五十の宴」
第34話「白河院の伝言」
第35話「わが都、福原」
第36話「巨人の影」
第36話「巨人の影」その2
第37話「殿下乗合事件」
大河ドラマ『平清盛』の清盛考
第38話「平家にあらずんば人にあらず」
第39話「兎丸無念」
第40話「はかなき歌」
第41話「賽の目の行方」
第42話「鹿ヶ谷の陰謀」
第43話「忠と孝のはざまで」
第44話「そこからの眺め」
第45話「以仁王の令旨」
第46話「頼朝挙兵」
第47話「宿命の敗北」
【補足】第43話「忠と孝のはざまで」
第48話「幻の都」【訂正補足】あり
第49話「双六が終わるとき」
最終話「遊びをせんとや生まれけむ」

【ストーリー】番組サイトより
 1181年1月、清盛(松山ケンイチ)は熱病で死の淵にいた。源氏との決戦に勝利し、頼朝(岡田将生)の首を墓前に供えよと叫び、清盛は世を去る。4年後、一門の運命は坂をころがるように変転し、安徳(田中悠太)を抱いた時子(深田恭子)は「海の底にも都はある」と壇ノ浦に入水、盛国(上川隆也)は捕虜となり鎌倉で息絶える。そして頼朝は義経(神木隆之介)を追討し、幕府を開く。ある日、頼朝のもとを西行(藤木直人)が訪ねてくる。頼朝は西行を通じ、亡き清盛の霊と対面を果たす。
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『結婚しない』 第11話(最終回)【追記あり】

2012-12-21 22:24:57 | ドラマ・映画
自分の進む道
 ………ちゃんと歩き始めようとして、初めて見えてくる


それぞれの進む道に乾杯!
      ……………って??乾杯できるほどの道だったの??


 千春は高原の求婚を断り、純平はパリに行かず、なぜか北海道で修行?春子は子宮筋腫の手術で子宮を摘出し、その代り自分の手掛けた庭が自分の子供であると再決意。
 そして、それぞれが自分の心に素直になり相手に思いを告げる……


 千春は資格を取って、旅行業界に就職を目指す。
 「私は資格を取る」と宣言した時、旅行業務に資格があることなんて知らなかったから、何か資格を取って、「就職すること」が千春の進む道なのかと思ってしまった。
 この資格というのは、たぶん旅行業務取扱管理者資格のことで、「営業所毎に最低1人以上旅行業務取扱管理者資格をその営業所の旅行業務取扱管理者として選任することが義務付けられている」そうである。
 国内限定と国内海外の総合資格の2種あって、毎年一回国家試験が行われ、合格率は国内が30%~40%(合格者数は平均5000人強)、総合が25%~35%(合格者数は平均4000人)らしい。
 実際に、各営業所にどの程度の人数がいるのか、あるいは、営業所内での資格者率は全く分からない。客として訪れた場合、そんな資格のあるなしなんてほとんど関係ないように思える。だいたい、営業所内に一人いれば十分て、そんなんでいいのか?(たしか、営業で行う料理業も調理場に管理者・調理師免許取得者が一人いればよかったはずで、これと同様か?)
 調理師免許はともかく、資格試験のための資格という気がするがどうなのだろう?

 実質的に、その資格が就職、あるいは在職にどの程度有効かはわからないが、有効ならば35歳になるまで取らなかった千春も呑気である。

~千春の結論~
今、やっと少し自分の生き方が見えてきて、
そしたら結婚て、ホントにすべてじゃないんだなあって。
お互いを思いあって繋がっているからこそ、それぞれが信じる道を歩いていけることがある。
私たちにはきっと、そんな形が合ってる…かなぁ


 という台詞で結論付けているが、11回も引っ張って、ようやく資格を取っただけで、この程度で自分の道と言い切られてしまっては、ずっとドラマに付き合ってきた私はいったいなんだったのか?
 単に現実逃避しているだけとしか思えない。



~谷川教授の講義の結論~
結婚、それは単に制度に過ぎない。だが、この制度のために多くの人が悩み翻弄される。
だが、たとえ結婚という結び付きがなかったとしても、そこに愛が育まれれば家庭が築かれる。
心から通じ合う人がいれば、制度にとらわれることはないのではないだろうか?


 春子と教授の関係もよくわからない。春子の気持ちがどういうものなのかも、私の洞察力が足りずに把握できなかった。
 教授の方は、講義で述べたように、春子と愛を育んでいきたい。「婚姻届は要らないよね」と言ったのは、春子に拒絶されるのを恐れたからなのではなく、子宮を摘出した春子への思いやりなのだろう。


 純平もパリに行かなかったことはよいとして、千春に連絡もせず実家に雲隠れとは、演出上(脚本上)の盛り上げのため?
 それにしても、「やっぱりパリには行けない」と土壇場で純平に言われた瑞希の「何言ってるんですか?」はあまりにも場にピッタリだったので笑ってしまった。本当に、「この期に及んで、何言ってるの?理解できない」だ。



 千春はすごく性格はよかったが、あまりにも幼稚だった。

 んで、千春と純平はハグしてさよなら。
 最後に出会いの公園で酒盛り、それから「恋は紙飛行機」ではなく「婚姻届は紙飛行機!」、飛んだ飛んだ!よく飛んで、お久しぶりの警官に命中!

 二人の出会いは、お互いにとって有益だった。
 そして、千春は素敵な家をゲットした。

あっ、そうそう、高原が腹黒でなかったのが残念!


【追記】
「お互いを思いあって繋がっているからこそ、それぞれが信じる道を歩いていける」
 本文でも述べたが、「結婚がすべてではなく、お互いが思い繋がっていけば信じる道を歩いていける」が千春の結論だとして、引っかかるのが純平の選択。
 絵の道をあきらめないというのはいいとして、それなら、やはりパリに行く方が良いと思う。絵に関係する仕事が北海道にあったとはいえ、本気で絵を描くのならパリを選択するのではないだろうか。春子の病気のせいもあって、時間的に千春と純平の気持ちを確かめ合う機会はなかったが、気持ちを確かめ合ったうえで純平のパリ行きを勧め、純平も決心してパリに行くのが、千春の出した結論に沿っていると思う。
 どうせなパリに行かないのなら、今の状態で絵の道を目指してもいいような気がする。純平は花屋さんに向いているよね。千春も無職で身軽なので、北海道に行っちゃえばいいのに。
 それに、春子の子宮筋腫が、千春と純平の障害物として最終回の盛り上げの道具に使われてしまったのも残念であった。
 ラストシーンの婚姻届を紙飛行機にして飛ばすのは、主題歌にも絡めると同時に、結婚という制度に捉われないという主張だと思うが、あまりに結婚を軽んじているような気がして、ヒロインの身のない結婚ドラマと相まって、不快だった。

 せっかくの3人を無駄遣いした感が強い。『カエルの王女さま』でも感じたが、天海さんのポテンシャルをを使い切るのは難しい。
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『相棒 eleven』 第10話「猛き祈り」

2012-12-20 23:46:56 | ドラマ・映画
心情的な判断と法的な判断
~『相棒』の一つのテーマともいえる右京の「法の精神」~

・右京と享の合致点
 かつての相棒であった亀山薫、神部尊と意見の衝突が見られたが、今回は右京と享は一致していた。自 殺(即身仏成就)を止めるという切羽詰まった状況だったので事情が違うとも言える。
 それはさておき、享の言葉をもとにした推理を間違いないと断言する右京、享への信頼度が高い。
・法的罪
 「自 殺ほう助」(即身仏成就=自 殺の手助け)と「墳墓発掘の禁」(即身仏となった遺体を掘り起こす)に当たるとのこと。(年金などの手当ての不法取得の可能性もある)
 「あたしたちは、誰かに迷惑をかけていますか?」……心情的には、庵主・伏木田の崇高な志は尊敬の念を抱く。が、警察官として法律に触れる行為は見過ごせない。

 運悪く?享に即身仏の行を知られてしまった。
 即身仏になるのを止めようとした享に暴行してしまったのが大きな過ちで、伏木田によって悔い改めた者たちの行為とは思えない。「断食の行」とか言ってごまかすのは無理かなあ。
 それと、「墳墓発掘の禁」であるが、墓の定義が難しいような気がする。

 さて、上記の法的罪にまつわる右京と享の判断と真相に至る右京の推理が表のテーマであったが、享のキャラの掘り下げと、享の緊急事態による周囲の反応が裏のテーマであるように思う。
 捜一トリオや暇か課長と大小コンビも享の身を案じたり、いつも以上に力の入った捜査をしていた。
 「こるぁ!カイト!、てめえ、二度とキノコ狩りなんか行くじゃねえぞ、わかったか!」と伊丹は凄んでいたが、享には「愉快な人」と認定されてしまった。

 享の父も享のことを気にかけていた様子。享には刑事を辞めてほしいようだが、職務を全うするための自分の非道な行為を知られたくないのかもしれない。

 享の彼女・悦子にはやられた!
 あれって、嘘だったの!
(夜行バスでの出会い)
 とっさによく嘘がつけるものだ。やはり、女性は恐ろしい……

刑事部長の報復
「部長!少々困った事態になりました。実は、甲斐享が先に女性を襲っていたようです」
「なんだと?」
「相手は強姦目的で襲われたと言っています。しかも、本人も襲ったことをおおむね認めており、それを裏付ける証拠も挙がっているようです」
「うむ…」
「蓋を開けてみれば、被害者が、実は加害者でもあったわけで…部長」
「任せる」
「は?」
「あとは君の一存で進めなさい。当然、責任もキミが取るんだ」
「それは…」
「僕は聞かなかったことにしよう」
「そんな…」
「うん。キミが報告を怠ったことにしよう」
「通るわけないですよ。そんなことは…」
「通るんだよ!……縦社会では、十分通ります」

 わははは!見事な反撃。最後の「縦社会では、十分通ります」が最高!……「ます」ですかぁ(笑)
これで、先週分はチャラにした?

 最後の幽霊騒動は微妙かなあ。いや、伏木田(幽霊)が現れ、謝罪し記憶を戻させる(記憶を奪ったのも伏木田)のは整合性が高い。ただ、右京が悔しがるのは面白いとして、ここまではっきり幽霊の存在を証明してしまうのはどうかなあと思う。
 心霊現象など不合理な事象を認めてしまうと、論理的な推理を進める『相棒』の世界を崩してしまう気がする。

法医学のピノコ姫さん、お見事でした。


【ストーリー】番組サイトより
 何者かに暴行を受け、記憶喪失になってしまった享(成宮寛貴)。やはり「まろく庵」の人間たちが享と関わりがあったことは間違いなさそうだ。

 伊丹(川原和久)らは入院中の享に「まろく庵」の生方(山本學)、坂口(ウダタカキ)、榊(相葉弘樹)らの写真を見せ、彼らが全員過去に犯罪での逮捕歴があることを説明する。そんな人間たちと享の間に何があったのか改めて質問するが、享はやはり「鈴の音」以外は思い出せないという。

 一方、右京(水谷豊)は「まろく庵」周辺で聞き込みをする。近くの商店の女店主の話では、生方と行動をともにする真智子(柴本幸)の父・伏木田はガンを患っていたが入院もせず、医師に往診してもらっていると聞いていたという。その女店主がやせ細った伏木田を最後に見たのは、半年ほど前だったとか。

 伊丹らが家宅捜索令状をとり、「まろく庵」へ乗り込んだ。右京も伊丹らに合流したそのとき、生方が「享を半殺しの目にあわせたのは私です」と自供するのだが…。

 生方の不可思議な自供の裏に隠された驚くべき真実とは? 窮地に陥った享を右京は鋭い推理で救えるのか!?

ゲスト:柴本幸 山本學 ウダタカキ 梶原ひかり 相葉裕樹 末広透 尾高杏奈

脚本:輿水泰弘
監督:安養寺工
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米長邦雄永世棋聖、逝去

2012-12-20 16:37:08 | 将棋
「訃報です。日本将棋連盟の……」
お昼のニュースで淡々としたアナウンスに、
≪えっ、誰?≫
それが米長会長であると分かったが、
≪なんで???…≫
『米長会長』と『死去』という単語が結び付かなかった。

 棋士としての永世棋聖・米長邦雄。
 「相手にとって重要で、自分にとって無関係な一局こそ全力を尽くす」という米長哲学が浸透している将棋界は素晴らしいと思う。
 この哲学は、将棋・勝負に殉ずる棋士精神の礎となるもので、氏の残した功績の最大のものであろう。この哲学の素晴らしさは言うまでもないが、それに加えて、そういった場面に遭遇する際の棋士の迷いをなくしたという実戦的利点も大きい。
 窮地に陥っている棋士にもこの精神が承知されているから、勝ち負けの結果が関係のない棋士も迷わず全力を注ぐことができるのだ。米長哲学を信奉していても、棋界に浸透していなかったら、≪ここで勝てば、相手の棋士にとどめをさすことになる。根に持たれるかもしれない≫などと考えてしまい、指し手に曇りが生じたり、将棋に徹することができても心の葛藤が起こるかもしれない。

 米長永世棋聖の将棋と言えば、若い頃は『さわやか流』、熟練してからは『泥沼流』と呼ばれた(本人が自称した)。
 『将棋世界』誌の講座(確か、大山15世名人と米長永世棋聖の講座を並べ『黄金講座』と称していたと思う)で、逆転のテクニックを伝授していた。
 不利な時の勝負術、たとえば、「相手より自分が優位なポイントを主張する」とか、「一歩譲って、≪お好きなようにして≫と開き直り、そのかわり≪間違えたら許さないわよ≫と釘を刺しておく」といった勝負術が心に残っている。
 その中の勝負術で光るのが『米長玉』であろう。玉をあらかじめ1八や9二にかわしておいて、相手の切っ先をその懐の深さで凌ぐという戦術である。
 終盤の寄せあいの段階で、玉をかわし相手が駒を切ってくる攻めが王手にならず同○○と応じることができ、駒が入れば相手玉を詰ますことができるというテクニックは、厳密に言うと『米長玉』ではなく、もっと早い段階の終盤の入口あたりで玉を寄るのが『米長玉』であると自身が講座の中で述べていた。
 ≪ううん、そうかぁ、なあるほぉどぉ~≫と感心しながら読み、強くなった気がしたものだった。

 会長としての米長邦雄氏。
 景気の後退、出版業界の退潮傾向の難局に、道義的なことはともかく名人戦契約で勝負手を放ち、公益社団法人化、新棋戦発足やネット展開も切り開くなど、手腕を発揮した。多少、舵を切り過ぎたところ(女流棋士問題等)もあるが、氏の残した功績は大きい。
 各界との人脈も発言力もある米長氏の死去は、将棋界にとって影が差す出来事かもしれない。幸いなことに舵を切っている最中ではなく、舵をほぼ切り終えた段階であったことだ。今後、航路を安定させながら乗り切ってほしい。
 会長は誰になるのか……会長の器としては渡辺竜王だと思うが、それはない。


 将棋界にとって大きな損失、早過ぎる死である。
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自民大勝だったが

2012-12-17 22:05:19 | 時事
自民大勝、民主大敗
 予想はしていたが、予想以上に自民が勝った。
 勝ち過ぎである。これが自民の政策が支持されての事ならよいが、民主党政治に幻滅して、これなら自民時代の方がマシだったという票が多く不安が大きい。民主以前の自民党の政治の不始末さや自分本位さを忘れてしまっているのが残念である。
 郵政民営化という小泉首相の笛に踊らされ、政権交代の風に乗せられ、それぞれ自民、民主が大勝し、その結果にがっかりしていた。そして今回も同じ思いをする事になってしまった。
 それとは別に、小選挙区と比例代表併用制は、勢いのある政党や大政党が大勝するようにできているのも問題だ
 惜しくも負けてしまった候補に投じた票を死票にしないというと聞こえが良いが、現方式では「敗者復活」に過ぎない。しかも、いくら接戦をしても、比例票が少なければ比例で当選できない。
 勢いのある党や大政党は、比例の票が集まり、比例枠を何議席も確保できるが、小さい政党だと1議席を取るのも難しいのが現状。
 だから、小政党にいて惜敗率が95%であっても比例で拾われず、惜敗率が5割を切っても拾われることは多々ある。
 惜敗率が5割を切ったということは支持されなかったと考えて良い。その議員が、比例でひょいひょい救われるのは、どう考えてもおかしい。
 
 民主の大敗は予想通りだったが、多くの大物議員(現職の官房長官や大臣、元閣僚)が敗れた。管直人氏、田中眞紀子氏の敗北は象徴的だった。
 維新は大阪はもちろん、その他の地区の比例で票を集め躍進したが、今後、空中分解してしまわないかが心配。
 未来は嘉田さん、そして、陰の存在の小沢氏の印象が悪過ぎたのかもしれない。言葉遊びのような「卒原発」という言葉を用いたのが、却って不信感を持たせた。「脱原発との違い」を尋ねられて、原発ゼロまでのプロセス(カリキュラム)をしっかり立てているとイメージを強調するという意図だったが、あの大雑把なプロセスでは説得力はゼロだった。大勢が判明してからインタビューを受けていた嘉田さんの顔色は非常に悪かった。
 みんなの党は、党首の言葉にブレを感じる事が少ないのが支持を伸ばしているのかもしれない。

 福井は保守(自民)王国で、前回の民衆の政権交代の風が吹き荒れた衆議院選挙でも、小選挙区は3区とも接戦で議席を守った。今回は圧勝だろうと思ったら、その通りだった。
 その結果は仕方がないとしても、3区は5割以上が嶺南地方(若狭)なので、嶺南出身の議員が、武生の候補者を抑えていた。正直、この地区割りは武生にとって全く面白くない。
 それは仕方がないと目を瞑るとして、今回の選挙の焦点の一つに、原発問題があった。我が福井県(嶺南地方)は原発銀座と呼ばれるほど原発が乱立している。
 今回の福井県の自民党の候補者の主張は「安全な原発は動かし、危険な原発は動かさない」というもの。一見、説得力があるが、原発の安全性の判断が難しい(科学的見地だけでなく、政治的経済的見地に立った判断も介入してくる)。
 私も、正直、「○万年前の比較的新しい断層」と言われてもピンとこないが、どうせなら、断層(破砕帯)の上に建てるよりは、ないところに建ててあったほうが安全性が高いということぐらいは分かる。また、40年も経てば、施設のあちらこちらが老朽化してくる。さらに、半島には危険な動きがある。
 候補者の言う「安全なもの」とは、一体どういうものだろう?

 原発は嶺南地方だから、他所事だろうと思われるかもしれないが、敦賀原発からは半径20キロ、美浜原発からも半径30キロの範囲内にある武生(現越前市)。何の安全の保証もなく、大きな被害を受ける可能性がある武生でも、自民党候補が圧勝していた。
 もちろん消費税、経済対策、TPP、復興問題、社会福祉、少子化対策、沖縄問題等、考えなければならない事が山積している状態で、原発だけに囚われるべきではないのかもしれない。(私も即原発ゼロは極端すぎると思っている)
 でも、今回の地元の投票結果には大きな落胆を感じた。
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『平清盛』 第49話「双六が終わるとき」

2012-12-16 21:20:26 | ドラマ・映画
清盛と後白河法皇、清盛と頼朝
  武士対公家(朝廷)、武士同士の争い
 清盛は鎌倉の都造りの様子を聞き、自分が目指した国創り、福原の都造りと同じ武士の世を頼朝も目指している事を知る。
 高倉上皇の崩御により復権した白河法皇に、武士同士が覇権を争う時代が来ており、ふたりの双六が終わった事を告げた。

 ………今回の話をまとめると、これだけ。あとは、回想シーンと意表のゲスト(と西行の絡みぐらい。回想シーンは嫌いではないが、先週に引き続いての回想シーンの連続には、少々がっかりしている。
 平家の凋落を清盛の迷走、狂気、消沈ぶりと、世間の評価、権力のよりどころである高倉上皇の崩御によって表現し、源平の争いは富士川の戦いの他は描いていない。
 時間的に無理なのは理解できるが、これだけ回想シーンを入れるのならもう少し何とか源平合戦を挿入して欲しかった。
 西行が、歌で国中が戦であふれていると嘆いたが、平家、源氏、朝廷の周辺ではよそごとの風情だ。


堀河局、意表の再登場
 最初のクレジットを観て、「えっ?」と思ってしまった。
 西行の言葉ではないけれど、「生きていたのか?」
 老けない女性陣の老いを一身に背負っているかの面持ちであった。


7以上の目を出す確率
 ふたつの賽のうち、ひとつが1の目でピンチを思わせ、もうひとつが6の目であったという演出がしたかったと思われるが、7以上の目の出る確率は36分の21で約58%。実は清盛が有利だった。


【ストーリー】番組サイトより
 清盛(松山ケンイチ)の五男・重衡(辻本祐樹)が南都(現在の奈良)を焼き打ちにしたことにより、天下の人心はもはや平家からまったく離れていた。各地で謀反が相次ぎ、平家は次第に四面楚歌となっていく。さらに不幸なことに、病床にふしていた高倉上皇(千葉雄大)が世を去ってしまう。高倉上皇は最期まで后である徳子(二階堂ふみ)の行く末を案じながら、21歳の若さでの崩御だった。
 高倉上皇の崩御は、上皇の父・後白河法皇(松田翔太)の院政が、約1年半ぶりに復活することを意味していた。鳥羽離宮での幽閉を解かれ、久方ぶりに清盛と対面した後白河法皇は、清盛がおこしたクーデター、「治承三年の政変」も自分のシナリオどおりだったことをにおわせ、清盛をがく然とさせる。平家一門も、法皇は幽閉されながら世を操っておられたのだとぞっとする。
 清盛は、高倉上皇をなくしたばかりの娘・徳子のもとへ時子(深田恭子)を行かせ、法皇の後宮に入るよう説得させる。しかし、徳子はかたくなに拒否。それでもあきらめず、「また別の手を打つ」という清盛を、時子はやさしくとりなし、励ますのだった。
 一方、鎌倉の頼朝(岡田将生)のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と武士たちが集まる。頼朝は彼らを御家人(ごけにん)と呼び、新たな「武士の世」の政治体制を作り始めていた。
 京の上西門院統子(愛原実花)の館では高倉上皇をしのぶ歌会が催された。上西門院は後白河法皇の姉であり、高倉上皇は甥にあたる。その歌会には西行(藤木直人)の姿もあった。西行は戦乱で多数の人が亡くなったことを詠み、それこそが高倉上皇の心労のもとであったことを嘆いた。そして歌会の後、かつて待賢門院に仕えていた堀河局(りょう)と、久方ぶりに再会する。昔は恋の歌をかわした二人だった。世の行く末を嘆く堀河局に西行は今宵を楽しもうと誘う。
 ある日、西行は清盛をたずね、鎌倉での頼朝の町づくりを語った。頼朝は源氏の守り神である鶴岡八幡宮の参道沿いを中心に、次々と住いや道が整えられ、そこに御家人たちを住まわせ、新しい仕組みのもと統率していた。
 そのことを聞いた清盛は、貴族の世が終わりを告げ、武士が覇を争う世が到来したことを実感。ある決意をもとに後白河法皇をたずね、双六の勝負を申し込む。負けた者が勝った者の願いを聞き届けるという約束ごとで。双六をしながら二人はこれまでのお互いを振り返った。若き日から二人はまさに双六のようにお互いが賽をふりながら数々の勝負を続けてきたのだ。そして今宵の一戦で勝ちをおさめ清盛は、勝者として望みを語った。それは後白河法皇との双六勝負はこれで最後にしたいということだった。「これより先は、すでに朝廷に力はなく、武士同士が覇権を争う世である。武士はもう王家の犬ではない」と告げると、後白河法皇は寂しげな表情で現実をうけとめた。
 その後、清盛は頼朝への闘志を燃やし、源氏討伐の準備を整えていた。そんな折、清盛は突然の熱病に倒れ、危篤状態に陥る。同じ頃、伊勢にある西行の庵にある男が訪ねてきていた。それは清盛の生霊だった。
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将棋界(順位戦)の歪み その4「棋界全体の実力分布(通算成績~下位棋士~)」

2012-12-16 17:33:04 | 将棋
「将棋界(順位戦)の歪み その3」
「将棋界(順位戦)の歪み その2」
「将棋界(順位戦)の歪み その1」の続きです。
【訂正の報告】
ある棋士の通算成績が100勝多く入力していたことが、2013年3月8日に判明し、本記事の全棋士の通算総合計勝数を訂正いたしました


 前回の「その3」が10月26日だったので、皆さんは忘れていると思います。私も覚えていません。
 簡単に復習すると…
 順位戦C級2組順位6位の菅井五段が9勝1敗で昇級を逃したことに、不運以上のものを感じ、それが勝負の世界の「実力のない者は去る」の掟が甘くなっている将棋界の現状に起因しているのではないかと考えた。現状の問題点としては、順位戦システムの問題と棋界の構造の問題が考えられる。(その1
 念のため、きっかけのC2の昇級争いを精査する必要があると考え、昇級者3名と菅井五段の対戦相手を分析すると、難易度にかなりの差があった。これが、くじ運の範囲かもしれないが、順位戦システムそのものの問題と棋界全体の問題が大きく関与していると思われる。
 そして、その分析過程で、C級2組の実力分布にかなりばらつきがあることが判明した。(その2)
 このばらつきこそが、現状の将棋界の歪みによるものではないかと考えたが、バラツキを分析するのに、棋士にとって大変失礼な作業であるが、棋士をランク分けする必要がある。その一つの目安(基準)として、通算勝率がある。(2012年3月末時点) トップ棋士(タイトルホルダー)のボーダーラインとして、通算勝率で6割4分が妥当ではないかと考えられる。(その3)


 その3では「超一流棋士」「一流棋士」「一般棋士」「底辺棋士」という言葉を用いたが、今後分析するうちに、もっと適切な区分けや名称が出てきそうなので、その3での名称は暫定的なものとしておきます。
 とにかく、その3の結論として、通算勝率6割4分以上がトップ棋士となるが、これだけだと、実績が不十分な若手が入ってしまうので、「且つA級経験者、タイトル獲得経験者」を条件に加えることにする。(この基準だと、.628の谷川九段と久保九段が外れてしまうが、この二人は例外としてトップ棋士に加えたい)

 その次の区分けを考えていく。
 頭に浮かぶのは、「タイトル挑戦者決定リーグ戦やトーナメントのベスト4以上の常連」あたりだろうか。
 それを念頭に置いて通算勝率を見ると、三浦八段が.596、藤井九段と鈴木八段が.597、高橋九段が.576で、ここら辺りの5割7分5厘をボーダーライン、名称は「一流棋士」としておく。

 それより下は5割がボーダーラインと考えられる。ちなみに、.505~.500にいる棋士は、小林健九段、石川七段、神谷七段、浦野八段、勝又六段、藤森四段。藤森四段に関してはこの時点では3勝3敗、現時点(12月12日)では16勝17敗とやはりボーダー付近。
 惜しくも5割にわずかに届いていない棋士は、岡崎六段、福崎九段で.497。
 この.575~.500が一つのランクと考えるのが妥当であるように考えられるが、このランクまで来ると、この五割というラインは現状の実力に即していない。(棋士個人の視点で言えば、勝ち越しか負け越しは大きな違いであるが)
 それはどういう事なのかというと、5割丁度の藤森四段の順位は121位。この時点(2012年3月末)の現役棋士(昨年度中に引退した棋士も含む)は165名。ということは、5割以上が121人、5割未満が44人と分布に大きな偏りがある。ちなみに、165名の中間の83位は平藤七段で.552。加藤一二三九段が.547(90位)、内藤九段が.544(91位)、桐山九段が.541(94位)と大豪の面々が連なっている。
 なので、.575~.540がひとつのランクと考えるのが妥当かもしれない(仮称として「堅調棋士」)。.540~.500「一般棋士」5割未満を「底辺棋士」と暫定的に呼ばせて頂く。

 このような偏りが生じた訳は、底辺棋士が大きく負け越して、その他の棋士に白星を配給しているからというわけではない。(単年度的にはそういう傾向は大いにあるが、これは、他の項で後述したい)
 単純に、全165名の勝数、敗数を合計すると、62345勝53186敗、勝率.5396(堅調棋士のボーダーラインと一致している)。勝数が実に9159も上回っている
 この理由はいくつか考えられる。
①棋士の成績には対女流棋士、対アマチュア、対奨励会、が含まれている。昨年度は対女流棋士(23勝5敗)、対アマチュア(19勝8敗)、対奨励会(不明)で、全棋士の合計成績は2334勝2295敗で勝率.504。
 しかし、勝率が.504なので、この要素だけでは通算成績の勝率.540を説明できない。
②(フリークラス導入など)制度改正によって、負けが込んでいた棋士が一時期にまとめて引退した。(確証はありません)
③まだ、他に要因があるかもしれません。誰か教えてください。

 ここまで通算成績に考察したが、大まかな棋士の区分けが出来る程度に留まった。(後に考察する「引退基準」で通算成績も関係してくるので、通算成績も再考察します)
 次回は年度勝率について考察します。
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