英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『平清盛』 第25話「見果てぬ夢」

2012-06-25 09:29:28 | ドラマ・映画
清盛と義朝(平氏と源氏)
 清盛(松山ケンイチ)と義朝(玉木宏)、平氏と源氏を対比させることで、義朝の苦悩、決意を描き、義朝の心が平治の乱の動きに傾いていくのが主題であった。


殿上の闇討ち(第4話)での誓い
武士(平氏と源氏)の悲願は両者の父、忠盛(中井貴一)と為義(小日向文世)の代に起因している。内裏の渡り廊下で為義が忠盛を討とうとした際、忠盛は「源氏と平氏の勝負は武士が朝廷で力をつけてからでも遅くない」と為義に告げた。

②源平の待遇の差
 清盛が播磨守(はりまのかみ)、義朝は左馬頭。保元の乱以前の二人の地位を考えると、当然の待遇といえるようだが、保元の乱後も大宰大弐に就任するなど力を伸ばす清盛に対し、乱によって一族の多くを失い、その後も地位を伸ばせず、「父殺し」と蔑まれる義朝。精神的に切迫していく。

③由良御前の死
 由良御前(田中麗奈)の死は、義朝の心を更に暗澹たるものにしていった。
 義朝に冷たくされるが、義朝の成功を願い、正妻の勤めを毅然と果たす様には心を打たれる。現代の木村多江を思わせる(芸風ですよ)薄幸さであったが、面目を捨て清盛に宋国の薬を手配しようとし、「そなたの命には代えられぬわ」と言われ、義朝に看取られ、救われた気がする。(実際には昏睡状態に陥り、10日後に息を引き取ったとのこと)
 義朝の言葉に
「あれ、殿らしゅうもない。されど、うれしや」
そして、
「どうか、私を誇り高き源氏の妻として死なせて下さりませ」
と、最後まで健気だった。
 さらに
「……と……父が……(申しておりました)」
最後は「ツンデレ」?!

④好敵手への激励
 上西門院(統子)の殿上初めの儀にて、頼朝(中川大志)は清盛に酒を注ぐ際、こぼしてしまう。
 清盛は「最も強き武士は平氏じゃ、そなたのような弱きものを抱えた源氏とは違う」と一喝。
 その言葉に腹を立て清盛を睨む頼朝を、涼しい顔で笑う清盛。
 一見、小ばかにした清盛の態度であったが、清盛・義朝の若き頃(第3話「源平の御曹司」)の二人の馴れ初め(笑)があった。
 己の未熟さに打ちひしがれた清盛に、
「最も強き武士は源氏じゃ!
貴様のような情けないものを抱えた平氏とは違う!」

と言い放ち、負け惜しみ気味の言葉を吐いて立ち上がる清盛に、好敵手の再起を
感じ表情が緩んでしまったと、義朝は頼朝に語る。
 清盛の笑みはあの時の義朝と同じものだった。今回は、清盛がお返ししたのだった。

清盛と信西
 政治改革に奮闘する信西(安部サダヲ)。かなり強引に進めたせいで、あちこちから疎ましく思われていた。
 が、政治改革が功を奏し、民の生活もやや改善され、念願であった遣唐使に当たる制度の目処が立った。(算木で予算などを計算していたと思われるが、割り箸を並べて積み木遊び(ドミノ倒し)をしているようにしか見えず、そのすごさが理解できないのが残念)
 とにかく、信西の宋への思いが、妻・朝子(浅香唯)の宋の僧侶・淡海との対談の逸話が語られ、若き頃、清盛と共に宋への小船で向かう思い出(第5話「海賊討伐」)も再現された。
 死亡フラグが、本人の知らぬところでバンバン立ってしまっているが、信西本人は宋への思いで視野が狭くなり、自身の危機に無警戒。清盛に、熊野詣を命ずる始末。

平治の乱へ
 えっ来週なの?予告を見て思った。
 清盛の計り知らぬところで進んでいるため、唐突感が強いが、今回の話の流れからすると、当然の成り行きかも。
 と言えど、清盛の源氏への叱咤激励を感じたはずの義朝が下した決断が、信西排除の動きに同調することだったとは。あ、それで、平治の乱の唐突感がしたのか。
 ここ数回、非常に面白いのだが、やはり、こうした「いきなり決心」パターンに納得がいかない部分が大きい。


その他の感想
・清盛に一喝され、頼朝(中川大志)憎悪の目で清盛を睨んだが、清盛の笑みを見てその憎悪の表情が怪訝なものに変わっていった演技は素晴らしかった
・由良御前を演じた田中麗奈さんに、女性の真の美しさを見た
・統子内親王の愛原実花さんの声質・語調は格調が高い

【ストーリー】(番組サイトより)
1159(保元4)年2月、後白河上皇(松田翔太)の姉・統子(むねこ)内親王(愛原実花)が上西門(じょうさいもんいん)という院号を授かり、源頼朝(中川大志)は蔵人に取り立てられる。病床の母・由良御前(田中麗奈)はその知らせに喜びながらも、平氏との差を埋められずに苦しむ義朝(玉木宏)を案じ、父を支えよと頼朝に言い聞かせる。

信西(阿部サダヲ)の政治改革は順調に進み、今度は官吏養成のための予算を捻出しようと奔走していた。その働きぶりに感心する清盛(松山ケンイチ)に、信西の妻・朝子(浅香唯)は信西の逸話を語る。淡海(たんかい)という宋の僧侶と会ったときだった。見事に宋の言葉で話す信西に驚いた淡海は、博識の理由をたずねると、信西は遣唐使が再開されたときに備えているためだと自身の夢を語ったという。清盛は信西の壮大な夢に驚く。

朝廷は即位した二条天皇(冨浦智嗣)の親政派と譲位した後白河上皇の院政派に分かれて対立していた。その中でも自分の意のままに政(まつりごと)を行う信西を二条親政派は疎ましく思っていた。また、後白河上皇から過剰な寵愛(ちょうあい)を受けている側近・藤原信頼(塚地武雅)は後白河上皇を通じて近衛大将の位をねだるが、信西は強く反対。信頼は信西に憎しみを抱いていく。信西は師光(加藤虎ノ介)を通じて白楽天の「長恨歌」の絵巻を後白河上皇にとどけた。それは唐の玄宗皇帝が楊貴妃にのめりこんで国を滅ぼした話であり、信頼にいれこむ後白河上皇への戒めだったが、上皇は喜ぶばかりで真意にまったく気づかなかった。

ある日、清盛はやつれた義朝を見かけ、病床の義朝の妻・由良御前のために宋の薬を渡そうとするが義朝は断る。意地をはりながらも自分のふがいなさを恥じる義朝に清盛はかける言葉がなかった。

2月、上西門院の殿上始の儀で、頼朝は初めて平清盛と対面することになった。清盛の杯に酒を供することになった頼朝は、その威厳に満ちた姿に圧倒されて酒をこぼしてしまう。悔しさと恥ずかしさでいっぱいの頼朝に、「やはり最も強き武士は平氏じゃ。そなたのような弱き者を抱えた源氏とは違う」と清盛は言った。怒りに震える頼朝が清盛をにらむと意外にも清盛は優しげな笑顔で頼朝を見ていた。頼朝が館に戻ると由良の容体が急変していた。義朝は宋の薬を求めて清盛の館へ走ろうとするが、由良がそれを制止。誇り高き源氏の妻として死なせてほしいと言い残して、息をひきとる。

程なく、信西に対して怒りを抑えきれない信頼は、同じく信西に対抗心を燃やす二条親政派の藤原経宗(有薗芳記)、惟方(野間口徹)を館に呼んでいた。信頼は、仕えるお方が違っても倒すべき敵は同じと言い、一同は打倒信西を誓う。
そのころ清盛は妻・時子(深田恭子)に信西のことを話していた。広く薄く税をとりたてる信西の政策により、重税に苦しんでいた都の民の暮らしが楽になってきていた。清盛は、信西の国づくりに協力していこうと決意する。そして、義朝がのぼってくるのを待ち、一緒に武士の世を気づく夢を語る。
一方、失意に暮れる義朝は常盤(武井咲)のもとへいくが、由良を失った寂しさは癒やせない。そんな義朝を呼び出した信頼は、自分と手を組み信西の首を取れともちかける。義朝はあまりの事の大きさに思わず断り、その場を離れた。

館に戻ると義朝は、頼朝から清盛とはどういう男なのかを尋ねられた。義朝は若いころ競べ馬で清盛に勝った日のことを語り、負けて落ち込む清盛に「最も強き武士は源氏じゃ」と挑発し、怒りで立ち上がった清盛のことがうれしかったことを告げた。その話を聞き、頼朝は対面したときの清盛の笑顔の意味にようやく気づいた。義朝も話していくうちに、今度は清盛の前に自らが立ち上がる番ではないかと思い始め、そしてある決意を固めた。

信西は宋との交流を復活させ、使節を送るという積年の夢を実現しようとしていた。清盛は信西から、大願成就のために熊野神社へ詣でるよう命ぜられ、旅立った。これを好機と、信頼の館には信西と敵対する貴族たちが集まり、そこへ義朝も加わっていた。ある夜、算木を使い予算を計算する信西は、突然、無数に並んだ算木が迫りくる地響きのために揺れ始めるの見て、恐怖に震えるのだった。

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