英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『八重の桜』 第39話 「私たちの子ども」 【追記、追記2あり】

2013-09-29 21:31:18 | ドラマ・映画
(先週でレビューは最後のはずでしたが)
解ける(ほどける)心
 薩摩出身のリツは、八重が会津の者と知り、かたくなに拒む。
 最初は「朝敵の会津」として嫌っていたのかと思ったが、戊辰戦争の際、父を会津で亡くした。しかも、“女の鉄砲撃ち”に撃たれたとのこと。
 結核で倒れたリツを必死に看病し、リツの心もほどけていく……このシーンは良かった。非常に良かった(今回のレビューを書く要因)。残り回数が少ないせいか、打ち解けるのが早すぎだとは思ったが。

 しかし、会津戦争終結から10年、リツの身の上を知り、初めて自分の犯した罪に気付くというのはどうかと思う。シーン的には、このリツを看病する時が最適だと思うが、人生として考えた場合は、あまりにも遅すぎる。
 前話の西南戦争の際にも感じたが、「朝敵と扱われてしまった会津の無念さ薩摩・長州への恨みを八重が心の整理をしていない」点と同様に、今回初めて「戦とは言え、人の命を奪うことの罪」について、八重が初めて向き合うという不自然さを感じた。
 会津戦争での八重の諸々の心の傷を、ドラマの進行に合わせて解消していくことに、私はどうしても抵抗を感じてしまう。


【追記】
 前話において、西南戦争勃発を聞いた八重が、「日本人同士が、また銃を撃ちあうなんて」と戦争することの愚かさを嘆いていましたが、そこに至るには、本人の行為(鉄砲で人を撃った)を顧みていなければなりません。
 コメント欄で、かみしろさんが
「なんだかカリキュラムを消化する感じで、あまり葛藤している風に見えないですよね。
人間一通りのことが終わった後は、大体葛藤を経て原点を再確認したり元の地点に戻ってきたりするうちに、螺旋階段を登るように少しずつしか進めないものなんですが、そういう感じがしないです」
と仰いましたが、うまい表現でその通りだと思います。

【追記2】
 リツは架空の人物らしいです。
 また、史実では八重は薩摩出身者を冷遇したとあります。
 わざわざ架空の人物を出して、八重を美化するのに、嫌気を感じた。
 肉親を八重に撃たれたという架空の人物を出すなら、もっと早い時点で登場させて、八重に戦の罪と向き合わせてほしかったです。



★番組サイトの解説(以下の青字の部分)は違うと思う
同じ痛みを持つ者として…
戦争で父と弟を失った八重。同志社女学校にやってきた薩摩出身の女学生・リツもまた、同じく会津戦争で肉親を亡くしていて…。怒りと悲しみを抱えながら生きる彼女に、八重が伝えた思いとは?


 八重自身もドラマの中で、リツと自分は違う。リツは薩摩にいたというだけで普通の人、自分は鉄砲を撃って人の命を奪った。しかも、リツの父の命を奪っていた。
 親の仇を「同じ痛みを持つ者として」としてしまわれたら、激怒であろう。


 この番組サイトの製作者は細心の注意を払わない(無神経)とよく感じる。

【ストーリー】番組サイトより
 八重(綾瀬はるか)と襄(オダギリジョー)の念願がかない、女子教育の場となる同志社女学校が誕生した。しかし開校後まもなく、リツ(大後寿々花)という名の薩摩出身の女学生が結核にかかってしまう。
 八重はリツを自分の家に移して献身的に看病をするが、10年前の会津戦争で父を亡くしたリツは八重をかたくなに拒む。八重は自分の過去を責めて落ち込むが、あきらめずにリツを看護し続ける。その結果、2人は互いの心の内をさらけ出し合って打ち解け、リツの容体も安定していく。
 一方、覚馬(西島秀俊)は同志社女学校の新校舎の土地を手に入れるため、京都府顧問の職を退任。新しい学校づくりへ向けて、襄たちと共に動き出す。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『京都地検の女』 最終話(9月5日放送)

2013-09-29 16:29:33 | ドラマ・映画
 9月10日に、『警視庁捜査一課9係 season8』 第9話「殺しのネックレス」を書いた。
2009年シーズンから変質してきて、第9話を取り上げて批判した記事であるが、それと同様な傾向にあるのが、『京都地検の女』である。
 今更感が強いが、今シーズン(昨シーズンと言ったほうが良いかも)「3大残念サスペンス」として、上述の『警視庁捜査一課9係 season8』、『消えたタンカー』と並べて評しないと、私の精神衛生上、よろしくないので、記させていただきます。

 番組サイトのあらすじで、「衝撃のラストが待ち受ける…!」とあるが、「衝撃」を演出するのが目的となってしまっていた。

どういう衝撃だったかと言うと……
・あやが腹部を刺された
・刑事部部長の高原(蟹江敬三)の息子・荻原良(松尾敏伸)が詐欺を行った。しかも、良はかつてあやのもとで司法修習した経験があった。

 あや、高原ともに大ピンチ。良の詐欺に関しては、高原は立場上の危機、父親としての苦悩。あやにとっても良は愛弟子のようなもので、最終回らしい題材である。
 しかし、あやが刺された件と良の事件とは全く無関係。
 さらに、父親への憧憬が強くて司法を志したうえ、あやの下で「あやの精神」を学んだはずの良が、借金を抱えただけで犯罪に走るなんて、高原とあやが今まで積み上げてきたものは一体何だったのか?


 今シリーズは、成増刑事(寺島進)の娘の成増友子(前田亜季)がレギュラーに加わった。
 アメリカに留学していたが突然帰国。なぜか、実家に戻らずあやの家に居候。理由は、寺を継げという成増の意向と司法に進みたい自分の意志が合致しないからというもの。ふつうそれだけで、他人の家に転がり込むものだろうか?自立し司法を志す割には、短絡的すぎる。
 成増家にいるより、何か理由ありであやの家にいる方が、前田亜紀の存在価値を高め、ドラマ的に面白いからなのだろう。
 その煽りを食ったのが、あやの娘・りん(脇沢佳奈)。長らく娘として出演しており、昨シーズンは念願の教師となったが、突然結婚し、鶴丸家から追い出され?てしまった。

 昨シーズンから登場した検察事務官の井森幸三郎役の大杉漣も勿体ない使われ方だ。
 登場当時は、それなりの存在感が示されたが、最近はあやの暴走に振り回されるだけである。


【ストーリー】番組サイトより
 連日、残業で徹夜続きの鶴丸あや(名取裕子)は、取り調べでもミスを連発。事務官の井森(大杉漣)が心配するほど、疲労困憊していた。
 一方、京都地検刑事部部長の高原(蟹江敬三)は、取り立て屋の河村(榊英雄)から、息子で弁護士の荻原良(松尾敏伸)がよからぬビジネスに関わっているというウワサがあると聞く。良は別れた妻に引き取られたため、高原とは長らく別れて暮らしてきたが、父親への憧憬が強く司法の道を志し、かつてあやのもとで司法修習した経験があった。現在は弁護士として独り立ちしていたが、何らかの原因で多額の借金を背負ったため、危険なビジネスに関わるようになったという。久しぶりに息子と電話で話した高原は、「鶴丸って俺のブッ殺したい奴の中に入ってる」という良の衝撃的な言葉に驚く。
 そんなある雨の夜、帰宅途中のあやが何者かに腹部を刺される事件が発生…! あやは殉職してしまうのか…!? はたして犯人は…!? いよいよ最終話、衝撃のラストが待ち受ける…!
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『半沢直樹』 第6話~最終話 【補足あり】

2013-09-23 21:09:45 | ドラマ・映画
「人の価値は金では推し量れない。
 銀行員は金ではなく、人を見るべきだ。……そういうことだ。
 私は、銀行員としての君を、尊敬していたんだよ」
(by 中野渡頭取)

この言葉が全てなのだろう。


 常務取締役から取締役への降格のみ済んだ大和田。
 大和田を排除するより、大和田を取り込んだ方が銀行全体の掌握を確固たるものにできるという考えなのだろう。しかし、そういう具体的な施策とは別次元の頭取の信条が……


 なんと
「半沢直樹次長、営業企画部部長職として、東京セントラル証券への出向を命じる」


「取引先を大切にし、人を尊重して生きる。銀行としての本来の役割を大事にしたい」半沢より、
「銀行に利益が上がればそれでよい。銀行を守るためなら取引先を平気で切り捨てる」大和田の方を、頭取は銀行員として評価したということなのだろう。
良心に目覚めた岸川業務統括部長の出向もそれに沿ったものか。
 頭取の言葉を聞いて、頭取の信条を知り、負を悟り、落胆の表情で頭を下げる大和田の表情が印象的だった。


 スッキリしない結末だった。
 確かに、上記の頭取の考えによる決着のつけ方はありだと思う。
 しかし、懲戒解雇に相当する不正行為、いや、犯罪行為をした大和田はどう考えても許されれべきではないだろう。実際に、伊勢島ホテルの120億円の損失を隠蔽し、その結果、金融庁検査により1520億860万円の引当金(by黒崎試算)を積むことになってしまい、東京中央銀行の存続自体が危うくした大和田に甘い処分で済ますのはあり得ない。
 銀行の危機を救い、大和田の不正を断罪した半沢を出向させては、東京中央銀行の行員の士気(モラル)が低下してしまう。
 結局、あの取締り役員会議の意味はあったのだろうか?まったく、あの会議の流れを無視した頭取の独断人事と言える。


 大和田常務にしろ、120億円の損失を出した伊勢島ホテルの羽根専務にしろ、あれだけ堂々とした態度がとれるのか、庶民の私には理解できない。
 それに、大和田常務の不正行為を立証するのに、タミヤ電機社長の証言や、岸川部長の証言がなくても、大和田の預金状態や、タミヤ電気→ラフィットの迂回融資の金の流れなどで充分に思える。


 後半(東京編)は、こちらが慣れたということもあるが、毎回の倍返し(どんでん返し)のキレが良くなかった。隠し玉も読めてきたし。
 金融庁の黒崎の真意がよく分からなかった。個人的には(多くの視聴者かもしれない)、渡真利(及川光博)がいつ裏切るのだろうか?と心配(期待)していた。疎開資料の在り処を渡真利が尋ねた時はヒヤヒヤしてしまった。
 あと、岸川部長(森田順平)の声は素晴らしい。

 突っ込みどころは多かったが、それを打ち消す痛快さがあり、面白かった。

 せっかくなので、各話について簡単な感想を。
【第6話】
 第2部スタート早々登場した“法人部のエース”時枝、“ムンクの叫び”張りの驚愕の表情を披露したのと、机や椅子をぶっ壊しただけで退場……予想通り
 半沢の上司の内藤部長役の吉田鋼太郎さんは、悪役のイメージがあり、最初は心配?したが、意外に善人もいける。
 貝瀬支店長(川原和久)も“見栄とプライドの塊”と称されて(by時枝)いたが、あまり出番なし(6話と7話のみ)。そのかわり、その“腰ぎんちゃく”古里課長代理がいい味出していた。古里を演じた手塚とおるさんは、『救命病棟24時』の杉吉センター長をネチネチと演じていた。
 いじめられ続けた近藤が、数字を呟いていて発狂寸前かと思ったが、意外なところで活躍した。
 この回、一番驚いたのは京橋支店から出た所で、CMをまたいで登場した伊勢島ホテルの湯浅社長。正直、「あんた、誰?」だった。
 極秘資料を京橋支店の金庫から持ち出す際、古里がトチ狂って金庫の扉を閉めてしまわないかドキドキした。それどころか、わざとこけるなんて、ナイスだ!
 そして、この回のラスト、金融庁の面々を掻き分けて登場したのが、黒崎だった。出た~!

【第7話】
 半沢の自宅に避難させた疎開資料が、妻・花が勝手に移動させたのと伊勢島ホテルの会長更迭の件は、流石に第7話ともなるとパターンが読めてしまう。とは言え、家宅捜索した金融庁の検査員に啖呵を切ったシーンはすっきりした。どうせなら、謝罪させるだけでなく、掃除させてほしかった。「ずいぶん素敵な奥様をお持ちね」(by黒崎)

【第8話】
 模擬金融調査で、半沢の対抗馬に融資部次長・福山が登場。しかし、単なるデータオタクで全く有能には思えなかった。
 タミヤ電機の不正に「愛人の会社に融資を転貸するなんて言語道断だ!会社を私物化するのもいい加減にしろ!それが本当なら、俺は断固戦う!」激高する近藤に、「頑張ってください」とお茶を出す半沢の部下。この啖呵と半沢の部下に対して、近藤はどう申し開きするのかと後で思った。

【第9話】
 「俺たちサラリーマンがイエスとしか言わなくなったら、仕事はただの作業になっちまう。作業だけならロボットでもできる。俺たちは、ロボットになったらダメなんだよ」とタミヤ電機の経理課長に説教!
 この後、田宮社長も説得した近藤。君は何の為に?という社長の問いに対して「決まってるじゃないですか。この会社のためです」と。しつこいようだが、近藤く~ん、どの口がこんなことを言ったのかね?
 力を込めて「伊勢島ホテル」と言う時、「イシェシマホテル」と言ってしまう半沢。4度ほど、そう聞こえた。
 疎開資料が地下2階機械室に保管してあると嗅ぎつけた黒崎だが、これ見よがしに置いてあった宴会用の備品だけ調べるなんて、とても国税局にいたとは思えない。

【最終話】
 疎開資料の件で、名誉棄損寸前までの失態を犯した黒崎が、クレームをつけてくるのは変。
 最終回予告でタミヤ電機で「誰も今のあの人に逆らえないってことだ」と田宮社長が話していたシーンがあったと思うが、最終話にはなかったような気がする。
 大和田の土下座のシーンは大げさ過ぎ。『着信アリ』の呪いで殺された吹石一恵のようだった。

【補足】
原作では……
 重役たちの間で、半沢の土下座の強要が問題になり、解雇の声が強くなった。その声をかわすため、半沢を出向させたらしいです。
 それに、大和田常務は出向させられた
……らしいです。

 『ロスジェネの逆襲』という原作の続編もあることを考えると、頭取は半沢に出向先で問題を処理をしてもらいたかったのかもしれません。原作の頭取は、ドラマほど黒くないようです。
 また、nanaponさんの情報によると、大和田常務を出向させるなど、外部から見て異常な人事をすると、その理由を問われ、大和田の迂回融資の犯罪行為が明るみに出てしまい、東京中央銀行の信用が暴落し、金融庁からも御咎めを受けてしまう恐れが大きいとのことです。頭取も責任を取らなければならなくなります。

 原作の頭取の温情、或いは、常務更迭の影響のどちらの筋を取るにせよ、ある程度の説明が必要となり、ドラマのラストとしては締まりがないものとなってしまいます。
 なので、いろいろの解釈を含みに、あそこでズバッとぶった切ってしまったのは、続編のことを考慮すると、絶妙だったのかもしれません。
 ただ、個人的には、ドラマはそのシリーズできちっと完結しないと、毎回見ていた視聴者を蔑ろにされた思いがして、残念です。
コメント (16)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『八重の桜』 第38話 「西南戦争」(おそらく、レビューは最終回)

2013-09-22 20:09:55 | ドラマ・映画
嗚呼、田原坂…………~交錯する戊辰の武士(志士)たちの思い~
山川浩、佐川官兵衛、藤田五郎
 ………会津の名誉を取り返さん、薩摩(新政府)への恨みを晴らさん(山川)
 ………戦で斬り合って、武士として死ねるのは本望(佐川)

西郷隆盛
 ………維新時に生じた怒り、恨み、悲しみを全て抱えて持っていこうとした
 
使い捨てにされた武士たちの怒り、会津の怨念などを西南戦争で昇華させるのが、自分の贖罪だと考えた。

印象に残るのは、
「可笑しなもんだ。十年前、賊軍として追われた俺たちが、今は官軍だ。
 官だの賊だの…どうでもよい。
 武士はただ、死に物狂いに戦う場がいい。
 望みは叶った。戦場で斬り死にできる………ありがてえ……


西郷も武士でありたかったのだろう。

山川と対峙の場で
 会津を人柱にして新しい日本を起こし、西南戦争でその決着を着けた。
 (戊辰戦争時とは、薩摩と会津の立場が逆転しているのも、皮肉な縁。山川も西郷の真意を知り、やるせなさを感じた様子)

木戸孝允、大久保利通、大山巌
 維新の志士たちも、西郷の真意を分かっていた。

「膿みを出し尽くす。……これは維新の総仕上げじゃ」
(木戸)
 木戸……病にて西南戦争の終結を待たずに、病死
 大久保……西南戦争の翌年、暗殺される
 大山……西郷の意を汲み、兄同然の西郷を討つ

違和感バリバリの八重の言葉
「日本人同士が、また銃を撃ちあうなんて」(西南戦争勃発を知り)
「また戦が始まった。会津を滅ぼしてまで、新しい国を作ったはずなのに。戦をしなければならぬ訳が、真にあんのか?
 答えを探すには学問が要ると思うのです」(襄との会話で)
「この戦、いつまで続くんだ」(“山川、囲みを打ち破り熊本城に入城を果たす”の新聞を読み)

と、呟くが、会津戦争後の八重の葛藤や心の整理が充分に描かれていないので、八重の言葉に違和感を拭えない。

 今話の最後に、同志社女学校の意気盛んな娘らを描いたのは、西南戦争の余韻をぶち壊し!
 覚馬と西郷の回想シーンで締めてほしかった。


【ストーリー】番組サイトより
 1877(明治10)年2月、八重(綾瀬はるか)は襄(オダギリジョー)と共に、新築された同志社英学校の校舎で備品の準備に追われていた。
 そのころ鹿児島では、西郷隆盛(吉川晃司)が配下の不平士族らの決起を止められずに挙兵。「西南戦争」の幕が切って落とされる。政府軍に仕官した山川浩(玉山鉄二)や、警視庁の佐川官兵衛(中村獅童)や藤田五郎(=斎藤一・降谷建志)も参戦。激戦地・田原坂で進退窮まった政府軍の大山巌(反町隆史)は、官兵衛と藤田を抜刀隊に選抜し、従兄弟である西郷に戦いを挑む。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

静岡県知事の馬鹿な発言

2013-09-22 12:57:03 | 時事
 静岡県の川勝平太知事は9日の定例記者会見で、2013年度の全国学力テストで小学国語Aの成績が全国最下位だった結果を受け、成績が悪かった順に100の小学校の校長名を公表したいとの意向を示した。

 川勝知事は理由を「子どもに責任はないということを明確にするため」と説明。「最低というのは教師の授業が最低ということ。教師は大人なので責任を持ってもらい、反省材料にしてほしい」と述べた。

 国の実施要領では各都道府県の教育委員会に市町村名や学校名を公表しないよう求めている。

(共同)
『中日新聞/CHUNICHI Web』記事より

 記事タイトルのような表現は好ましくないとは思っているが、使わずにはいられないような発言である。

 この発言、いろいろな問題を感じて、まとめにくさこの上ない。仕方ないので、問題の構造上に沿った話の展開はならないが、思った順に書いていきたい。(単純に呆れていたのだが、知事の発言の突っ込みを考えていくうち、あれこれ突っ込み所が湧いてきて、まとまらなくなってしまった)

1.目的が正しくて、手段が違法でなければ、その行為が及ぼす結果や影響を考えなくていいのか? この命題、刑事ドラマでよく出てくる。
 「被害者が極悪人でも、殺人という行為は許されない」、また、「一般的に悪いことでも、法で規制されていなければ合法である」 というような論理であるが、今回の知事の発言は、相当な低レベル、子どもの口喧嘩を思わせる詭弁である。
 知事の目的は、好意的な解釈をすれば「静岡県の学力レベルの向上」であり、その手段として、「成績が悪かった順に100の小学校の校長名を公表する」である。
 この行為(手段)が学力向上につながるかは次項以下に回すとして、その行為が及ぼす結果として、「公表された校長(学校)は無能(学力が低い)」と認識されることになる。
 そういう評価を覆すために、その学校が頑張るという効果は得られるかもしれないが、悪影響も少なからず考えられる。文科省もこの辺を考えて公表しないよう求めているわけだが、この知事は校長を叱咤激励する(罵る)ことで、効果が出ると考えているようだ。
 悪影響については考慮しなかったのだろうか?考えはしたが、「学力向上>悪影響」とかんがえたのか、知事自身が主張した「学校名を公表するのではなく、校長名を公表する」だけと考えたのかもしれない。
 知事自身の発言なのに「かもしれない」と表現したのは、あまりにも短絡的な思考だったので、とても本気には思えないからである。情報社会の現代において「校長名=学校名」なのは明らかで、本気で学校名の公表に繋がらないと考えていたとしたら、本当に馬鹿で、この知事を選んだ静岡県民の常識も疑いたくなる。
 また、単なる詭弁だとしたら、これはこれで、知事の人格が最低で、こんな知事を選んだ県民の常識を疑いたくなってしまう。うまい例えになっているかは疑問だが、「首は(直接)絞めていない。ただ、紐を首に巻きつけて両側に引っ張っているだけだ」と言い逃れしているようなもので、まさに、小学生の口喧嘩のレベルである。

2.もっと効果的な方法があるだろう
 賞罰でレベル向上を図るなんて、体罰と同レベルの原始的で楽をする方法である。
 学力レベルが校長の実の責任かと言う議論も次項以降に回すが、学力レベルの責任を校長に追わせるとするならば、成績の悪かった校長と面談をする、あるいは、「何故成績が悪かったか」というテーマのレポートを校長の直筆で提出させた方が効果があるはずだ。

3.学力レベルは校長の責任なのか?
 もちろん責任の一端は校長にもある。しかし、児童(生徒)自身の資質や努力、家庭環境、教員1人当たりが受け持つ児童数まどの学校環境、学校の教育環境(教員採用の際の志願者の資質を見極める目なども含む)を整える県教委など多くの要素が考えられる。
 一般に、家庭の所得と学力は相関関係(所得が高ければ、学力も高い)があるというデータが出ている。上記で述べた教育環境や県民所得を担う総責任者は知事である。
 「学力が低いのは知事のせいだ」と言える。学力が低いのを校長の責任にして罵る前に、県政を顧みる必要があるはずだ。

4.学校に求められるのは学力だけなのか?
 いじめ問題など、子どもの人格形成(他人を思いやる心、くじけない心など)など、大切なことは他にもたくさんあるはずだ。(もちろん、家庭の責任が大きい)
 学力だけを取り上げて評価を下すというのは、如何なものだろうか?


 静岡県民の皆さん、さっさとリコールしてはいかがでしょうか?
コメント (8)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋色コスモス

2013-09-21 17:50:58 | 歳時
 昨日の歳時メモで書きましたが、秋の色が濃くなりつつあります。
 初秋から仲秋の主役と言えば、コスモスですね。
 キバナコスモスがほぼ終了し、ピンクのコスモスがあちこちで咲いています。

 峠を越えた隣町のコスモスです。
 実はこの町は、2年前の10月5日の記事「ピンクのコスモス(9月24日撮影)」でも登場しています。(この時の場所はあまり咲いていませんでした。別の場所です)
 峠の山道を、上って、登って、昇って…ちょっと下りるといった感覚で、冬はかなり雪が降ります(変な書き方かも……夏は降りません)。
 峠の展望台からの景色は

 こんな感じです……て、よく分からない?
 小さい黄緑の部分が麓の集落です。拡大してみますね。

 調子に乗って、もっと拡大しましょう。


 この記事の意味からすると、意味のない写真になってしまいました(笑)
 ええと、ふもとの里があんなに小さく見えるほど、上らなければならなかったということが言いたかったのです。

 それはさておき、以前も書きましたが、コスモスを撮るのは苦手です。いつも撮った写真を見て、がっかりします。が、めげずにアップします。



 薄いピンクと濃いピンク(紅色)が仲良く咲いているのですが、薄いピンクはカメラが悪いのか、腕が悪いのか、

 かなり白っぽく撮れてしまいます。
 肉眼で感じた色を再現(修正)すると、こんな感じです。



 本当は、写真の麓の集落に行くまでに、2年前には一面のコスモス畑があったのですが、それはなくなっていました。残念。
 でも、10月19日撮影となっているので、まだ咲いていないだけかもしれませんね。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歳時メモ 秋の深まり

2013-09-20 19:49:42 | 歳時メモ
「歳時メモ」と勝手に銘打っていますが、このカテゴリーの意味は、植物の様子や気候などをメモして、翌年以降に現記事を振り返ると、季節の進み具合が分かりやすいかなと思い、記事にしています。

 日本列島に深い傷跡を残した台風18号ですが、季節を一気に進めました。(季節を感じるどころでない方もいらっしゃいますが、こういう書き方をお許しください)
 ここ三日間、快晴で、今日は真夏日になりました。ただ、多湿高温の空気は台風が持ち去っていき、大陸の乾いた涼しい空気が入ってきたので、さわやかな秋空になりました。
 放射冷却が進むので、朝晩は寒いくらいになります。そのせいで、ススキが一気に目立つようになりました。
 蕎麦の花も開花を始め、ピンクのコスモスも咲き始め、もうすぐ一面に咲きそろう光景ももう間近です。そして、セイタカアワダチソウもつぼみを形成を始め、ほのかに黄色くなり、存在を示し始めました。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『八重の桜』 第37話 「過激な転校生」

2013-09-16 10:54:52 | ドラマ・映画
「良いものは良い」
これに対し、「ならぬことはならぬのです」は、全く違うことを言っているような感じがするが、それをそのままひっくり返すと「良いものは良い」
……まさに、数学でいう「対偶」。ある命題が正しければ、その対偶も正しい。



熊本バンド、乱入!
「自分を愛するように、汝の隣人を愛せよ」
「人を裁くな。そうすれば、あなたも裁かれることはありません。神以外、人を裁き、断罪することはできないのです」

 八重を「鵺(ぬえ)」と揶揄し、教師や学友を見下す。
 キリスト教を熱心に信仰するが、仁・義・礼などが全く感じられない。
 いったい、キリスト教の何を学んできたのだろうか?

  私は熊本バンドについて何も知らないが、悪く描き過ぎではないのだろうか?

そして、ついに襄に「学校改革要求」を突きつける。

これに対し、襄は
「国(人々)を愛する心とは、自分を愛するように目の前にいる他者を愛することだと、私は信じています。自分自身を愛するように、汝の隣人を愛せよと。
 型通りでなくてもいい。歩みの遅くてもいい。気骨ある者も大いに結構。
 良い者は良い。
 しかし、己の為に、他者を排除する者は、私は断固として許さない。

 我が同志社は、いかなる生徒も決してやめさせません。それにはあなたたちも含まれています。
 その信念がある限り、私が止めることもありません。
 どうか、互いを裁くことなく、共に学んでいきましょう」


しかし、熊本バンドは
「ここまでの事をして、そういう訳にはいかんとです。
 我々はやめさせていただきます」
と立ち去る。

「一緒に作っていきませんか?
 ここはあなたたちの学校です。教師任せにしないで、自分たちで変えていけばいい。どうか力を貸してくなんしょ」


 わっ、出た!
 私は襄の説得で充分だと思ったが、真打(ヒロイン)、登場!



 それでも、人前で涙を流す男を情けないと蔑む熊本バンド。
 あれ?ヒロインの言葉も効果なし?

と思ったら、
 徳富猪一郎(ジャーナリスト志望)が、
「俺は、かっこつけんと、生徒の為に涙を見せる先生を、男らしかと思った」
と、襄や八重をフォロー。
 更に、八重の仕立てた(縫った)着物を連中に見せ、自ら羽織った。

 私は襄の言葉と八重の縫った着物だけで充分だと思う。(八重の言葉は要らない)

しかし、今週は何と言っても……
「新島 鵺にございます」
であろう。

【ストーリー】番組サイトより
 襄(オダギリジョー)の求婚を受け入れた八重(綾瀬はるか)。しかし槇村(嶋政宏)は、キリスト教徒である襄と婚約した八重を女紅場から解雇しようとする。キリスト教に入信しないことが雇用継続の条件と迫る槇村に、八重は夫の考えを認めて支えていくことを宣言。そして、教え子たちに後ろ髪を引かれながらも八重は女紅場を後にする。
 そのころ、中央政界から離れた西郷(吉川晃司)は、薩摩に戻って学校を開いていた。生徒の大半は、職を失い、日本のありように不満を持つ士族たちで…。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『消えたタンカー』~西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ50作記念作品~(9月9日放送)

2013-09-15 22:38:16 | ドラマ・映画
 1992年4月13日に「札幌駅殺人事件」でスタートした「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ」が、本作で50作目だそうだ。

 2時間サスペンスの定番の原作者と言えば、数だけに限定して言うと、山村美紗氏、西村京太郎氏が双璧と言ってよい。あとは浅見光彦シリーズの内田康夫氏ぐらいか。
 (原作は読まないので、以下はドラマについての記述です)
 個人的には「横山秀雄サスペンス」がダントツで面白い。正直に言うと、双璧の御二人は、残念ながら、評価は相当低い。
 山村美紗サスペンスは、アリバイ工作や密室トリック自体は甘いが、登場人物が面白いので、娯楽作品として楽しめる。
 西村京太郎サスペンスは、以前は時刻表トリックで楽しめたが、最近はそれには力を入れていない。中には原作「特急○○殺人事件」とあるのに、時刻表トリックどころか列車さえも出てこなかった作品もあった。時刻表サイトで一発で検索出来てしまうという事情もあるのかもしれない。
 ほとんど、捜査によって真相が明らかになるだけのストーリー。ドラマとしてどうなのかというと、犯人や被害者の心情や行動に深みがなく、納得できないことが多くい。TBS制作の作は、渡瀬恒彦の十津川警部の格好よさと、伊東四朗の亀井刑事の温かみだけを際立たせているだけである。
 そんなわけで、人気作であるらしい『消えたタンカー』も期待薄であった。
 期待薄という予断があったせいかもしれないが………残念な作品であった。

評価できる点
 『消えたタンカー』…このタイトルの真の意味が明らかになった時、事件の構図が反転し、裏に潜む巨悪が現れてくる。この構想は見事である。

残念な点
★不思議な凄腕スナイパー
・黒幕はなぜスナイパーを雇ったんだろう。狙撃なんかしたら目立ち過ぎる。しかも、1人目が事故を起こした船長だったら、タンカー事故の裏を勘ぐられてしまう。それに、あと、5人も標的が残っているのに、難易度高過ぎ。

・運転中のドライバーを仕留める辺り、確かに凄腕スナイパーだ。ただ、車をジャッキアップしてその下から狙うなんて、絶対、不自然。狙撃後、ジャッキをを外して逃走したのだろうか。

・ロープ―ウェイに乗っている標的を狙ったり。他に乗客がいるのに、誤射の危険性もある。結局、断念したが、観光客がたくさんいるところで狙撃なんかしたら、目撃されてしまうだろう。

・さらに、4人目は、波の高い海上のボートの上から狙撃を試みる。恐るべき腕前だ。
 この時、危険を感じた十津川が標的を突き飛ばしたが、突き飛ばされたため被弾してしまったように見えた。

・クライマックスでは、元タンカー船長の奥平(渡哲也)を狙うが、逆に十津川に撃たれてしまう。十津川、恐るべし!
 でも、狙撃場所、近過ぎ!
 あれでは、成功しても、捉えられてしまう。そもそも、狙撃手は障害物がないビルの屋上から狙撃し、逃走の手はずを整えておくはず。
 さらに、捕まった際、「ワタシ、日本人がフィリピン人のママに産み落とさせた子ども。日本人、みんな死ねばいい!」と、いきなり自己紹介と捨て台詞

★「見間違う訳ない」と断言したタンカーの船員を救出した船長だったが
「ドーンとけたたましい爆発音がして、20㎞ほど離れた我々も凄い衝撃を受けた。あれは確かにタンカーの船首でしたね。……中略………辺りはまるで竜巻が起きたみたいでした。海は燃える、大気は熱を持つ。風で煽られた炎がこう、ぐるぐるぐるって、まるで円柱のように上がっていって」
(爆発して炎上したのは、この写真のアラビアンナイト号で間違いないかの問いに)
「見間違えるはずはありません。
 しかし、私が見たのは遠目のシルエットだったし、「このアラビアンナイト号か」と問われれば、100%そうだとは断定できませんね。何しろ、夜でしたし、20キロも離れてましたんでねえ」
 どっちなんだ?
 満タンのアラビアンナイト号が爆発・炎上したら数日から1カ月は燃え続けるはずだが、7時間でほぼ沈下しているので、爆発の規模は実際は小さかったはず。船長の表現はおかしい…というか、普通の者はタンカーが爆発するのを見たことはないだろうから、船長の勘違いも仕方がないかも。

★タンカー事故の首謀者・奥平になぜか好意的な十津川
(タンカー事故で得た金を、過去の事件で命を失った部下の遺族に見舞金として送ったことに対し)
「警察官の私が、犯罪者のあなたに、こういうことを言うのは変ですが、遺族に成り代わり、お礼申し上げます。ありがとうございました」
(真相を告発しようとする奥平に)
「お送りします」と車を用意する。
(狙撃手を捕らえた後、部下を庇って「罪はすべて私だけにある」と言う奥平に対して)
「奥平さん、権力に寄り添うだけじゃない警察官もいます。私もその一人だと思っています。
 あなたが人生を懸けてまで挑まれた大勝負、決して無駄にしません」

奥平の自白(告発)により、日本国中は騒然となった。
政財界から様々な圧力が掛かったが、私や亀さんは辞表を懐に忍ばせながら戦い抜き、
ニュージャパンライン社や政財界の巨悪を追いつめた
(十津川のナレーション)

十津川と亀井が水面がキラキラ光る埠頭で真相や思いを語る
「奥平浩一郎は一命を賭して、政財界ばかりか国際犯罪シンジケートが絡む事件を告発したんですね」(亀井刑事)
≪中略≫
「ところで警部、私、辞表を書いたの、今回で7回目です」
「私ぃへへっ、12回目です」
「へ?そんなに…若いころは、ずいぶん失敗したんですか?」
「いや、それが今の糧になっている。そう思っています」

男たちの熱い戦い、正義感が功を奏したという感じで締めている。

しかし、美談で済ましているが、
奥平は、たとえダミーであっても愛するタンカーを炎上沈没させ、大量の原油を無駄にし、海を多大に汚した許せない海の男である。

 渡瀬さん、お兄さん(渡さん)に気を使い過ぎ!


 原作はどうだったんだろうか?
 小説で読むと、スナイパーのおかしな点も感じないような気がするし、乗組員たちが次々に消されていく緊迫感を感じられるのかもしれない。
 『消えたタンカー』の構図の反転も見事なので、初めて原作を読む場合は面白いかもしれない。
 また、今回、渡さんに合わせて、原作を改変しているのかもしれない。

 ドラマは残念な出来だったと言わざるを得ない。 脚本は佐伯俊道氏



【ストーリー】番組サイトより
 インド洋で日本の大型タンカーが炎上沈没した。近くを航行していた漁船の船長・鈴木晋吉(中本賢)は救命ボートで漂うタンカーの乗組員6名を救出する。帰国後の記者会見でタンカーの船長・宮本健一郎(木村栄)は、調査結果が出るまで口止めされていると事故原因については口を閉ざす。
 タンカーは海賊に襲われたのではないかとささやかれる中、事故から1か月が経ち、タンカーの生存者たちが連続して射殺される事件が起きた。最初に殺されたのは宮本船長。続いて佐藤洋介一等航海士(岡部たかし)も殺された。わずか1発の銃撃で射殺されたことから、凄腕の狙撃者による犯行だと思われた。
 本多捜査一課長(中原丈雄)から連続殺人事件の動機にはタンカー事故があるのではないかと指摘を受け、十津川警部(渡瀬恒彦)は亀井刑事(伊東四朗)と共にタンカーを運用していた船舶会社の社長・黒川秀隆(川地民夫)の元へ。黒川はタンカー輸送には危険がつきものだと語る。亀井は同席していた元タンカー船長・奥平浩一郎(渡哲也)の船も10年前に海賊に襲撃されていたことを思い出す。日本のタンカーで初めて海賊の被害に遭い、3人の乗組員が射殺された事件だった。
 連続殺人の捜査が進展のないまま、炎上沈没したタンカーパーサーの辻芳夫(池田努)が伊香保温泉で、同じく甲板長の河野哲夫(村上大樹)はヨットで太平洋上を航海中に殺された。十津川は被害者たちが10年前、海賊に襲撃された奥平のタンカーの乗組員だったことに気づいた。一方、亀井は生存者の一人で事故後ブラジルに移り住んだ船医・竹田良宏(鷲生功)のもとを訪れ事情を聞く。
 そんななか、今回の生存者の一人で唯一行方が分からなかった小島史郎二等航海士(伊東孝明)がフェリーで仙台に向かっていることが判明。十津川たちも仙台に急行し小島を保護する。十津川は小島が奥平と連絡を取っていること、奥平が連続殺人に関わりがあることを知る。やがて事件の裏に奥平が仕組んだ大きな企てが浮かび上がり、政財界にも及ぶ巨悪の存在が明らかになるが・・・。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

じゃあ1%でいいじゃん!(消費税率アップ)

2013-09-13 16:25:20 | 時事
安倍総理は予定通り消費税率を5%から8%に引き上げる方針を決めた。最近の各種経済指標が堅調だとして、増税の環境はほぼ整ったと判断した。増税に伴う景気の落ち込みを避けるため、五兆円規模の経済対策を合わせて実施する方向。ただ、五兆円は消費税2%分に相当し、社会保障に充てるはずの増税の目的が大きく損なわれる。
東京新聞/TOKYO Webより引用)

 先に行われた「消費税率引き上げ(8%にする)をめぐる集中点検会合」によると、60人の“各界有識者”の内、予定通りの実施に賛成したのは44人(73・3%)、税率上げ幅の見直しや延期・凍結など反対を表明したのは14人(23・3%)、賛成も反対もしなかったのは2人(3・3%)だったという。

 「国際的な信用」、「国の財政破綻は避ける」、「社会保障の補助」のため税率アップに渋々賛成したという方も多かったはずだ。
 それを単純に「賛成が多かった」と都合のいい解釈だけをする。「賛成が多かった」という結果だけが欲しかっただけであろう。そもそも、60人の選定自体が妥当であったか疑問がある。

 消費税増税法は、少子化高齢化に伴って増え続ける年金や医療、介護などの社会保障制度を安定させる目的で制定されたはず。話が違うのではないか!
 それに、国民全体が負担する税金アップ分の3分の2を経済対策に投入するって、国民全体が負担したその税金を一部の者に分け与えるってこと?(波及効果はあるかもしれないが)
 そんなことするくらいなら、初めから1%アップの方が公平で合理的で確実である。

 そもそも、税率を3%アップしたって、駆け込み需要後の消費落ち込み、経費節減などの景気後退などが考えられ、単純にアップ分が増収するわけないであろう。
 それなら、地道に経済を成長させ確実に税収アップを図ってほしいものだ。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする