英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

「ビデオを見ていない」って………管総理……

2010-09-30 23:31:08 | 時事
 尖閣諸島での中国漁船衝突事件による一連の諸出来事に対して、いろいろ言いたいことが頭の中を巡っていました。
 主に「あきれる」という感情でしたが、今日の管総理の発言には「あきれ果て」ました。

 これまでの経緯についても言及したいのですが、それよりも今日の発言に対して物申さないと気が済みません。

 日中関係悪化や一連の日本の対応や中国に対して国民は納得いっていない(怒っている)状況の根源となった根源の事件のビデオを未だ見ていないとは………

 ……「見ていない」という総理の言葉……本当に見ていないのか?
 尖閣諸島は日中の領土問題の争点となっている地域、そこで中国漁船の船長を逮捕し拘束取り調べをしたら大問題に発展する可能性大。実際、逮捕まで不自然な時間を要しているのは、国(政府)の判断を仰いだからだと容易に推測できる。
 逮捕当時に総理が直接指示しなかった(官房長官、あるいはその手前で判断)可能性もあるが、ここまでの重大問題に発展してしまった状況に至っても、政府の最高位の内閣総理大臣が、その元凶の状況を確認していないなんてありえない。もしそうだったら、総理をやめて欲しい。

 その時期はともかく、総理はビデオを見ていると考える方が妥当だろう。
 「ビデオを見ていない」と発言したのは、その方がいいと判断したからであろう。その理由はいくつか考えられる。

①「司法の独立を貫いた」というポーズ
 司法の独立は守るべきという基本姿勢は異を唱えないが、「見ていない」ということが「司法の独立を守った」という証明になるとは思えないし(見ていなくても関与できる)、関与するしないに関わらず総理大臣としては、ビデオを見て事件の発端を知っておく必要はあるはずだ。
 そもそも、今回のように国家間の問題に発展する場合、「司法の独立」を「国家間の問題」より優先させるべきかも疑問である。

②自身の保身
 ビデオを見ていないので直接総理は関与していないとして、自身の保身を図った。もし、そうなら最低。


 ①の場合(②は論外)、あるいは他の理由があっても、総理大臣が「ビデオを見ていない」と発言するのは、浅はかな考えで、「総理は無責任」という烙印を押されるだけだ。
 しかし、それを超える最悪の事態も考えられる。それは、

③「総理は見ていない」と発言した方が良いと判断せざるを得ないビデオの内容だった。
 「中国漁船が2度も故意に衝突させて逃亡を図った」という事実を裏付けるものが映っていなかった。
 その場合、「総理大臣がそのビデオを見ていなかった」という事実?の方が、国家としての傷が浅いと判断せざるを得なかった。


 そんなことはないですよね。 
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アマ将棋名人戦 ~空回り気味の豊川七段の親父ギャグ~

2010-09-29 20:24:44 | 将棋
 第64回全日本アマチュア将棋名人戦(通称・アマ名人戦)の模様(主に決勝戦)が、日曜日NHKで放送されました。
 後手井上徹也さん(長野県)のゴキゲン中飛車穴熊に、先手の赤畠卓さん(岡山県)が居飛車穴熊で対抗する最新形の将棋となり、後手の井上さんが勝利し、初出場初優勝の快挙を成し遂げました。
 最新形からの細かい差し手争い、中終盤からの井上さんの巧妙な歩使いからの見事な寄せが印象に残りました。特に、中盤でじっと突いた△6四歩、勝負どころで放った△5八歩や、寄せの△6七歩成から△6六歩の決め手が素晴らしかったです。7九銀型穴熊の弱点を見事に突きました。

 将棋の内容は満足したのですが、聞き手の中村桃子女流1級の器量には疑問が残りました。実は、2年前の将棋名人戦第一局でプロになり立ての中村女流2級(当時)が起用され、その時の聞き手としての彼女の技量について、かなりケチをつけたことがあります。そのように感じたのは少数で、多くの方は聞き手の彼女に対して不満を持たなかったようです。むしろ、好評だったかもしれません。
 私には「プロになり立てで、勝ち星もあまり上げていない彼女が名人戦の第一局に起用されることの納得がいきませんでした。そう言う先入観があったせいかもしれませんが、聞き手としての心遣い・言葉使い、将棋解説補助としての棋力が不足しているように感じました。「彼女の起用は見栄えがいいことによる」とさえ思いました。

 その時と比べると、進歩していると思います(上から目線でごめんなさい)。
 ただ、自分の意見や見解を述べることに一生懸命で、周り(対局者、解説者、一般将棋ファン)に対する心配りがやや欠如している気がします。

 例えば、
「井上さんていうのは、詰将棋もけっこう創ったりされてるそうです」
 揚げ足取りの気もしますが、「井上さんていうのは」というのはまずいんじゃないでしょうか、あと「けっこう」という言葉を彼女はよく使います。「けっこう」という言葉を他人の行動などについて言う場合は、やや上から目線のような感じがします。

 あと、
豊川七段「▲2六飛と浮く手で▲6八銀右とする手もあったんですけどね」
中村1級「あ、飛車を引かずに銀を上がる手が…」
豊川七段「そうそう飛車を浮かずにね」
中村1級「ここで引かずにこう(▲6八銀右)やる手があったんですね」

 やさしい豊川七段が中村女流の間違いをさりげなく訂正するのですが、それを打ち消すさらなる間違い。一生懸命というか精一杯なんでしょうね。
 これは棋力不足に起因しているのかもしれません。実際、豊川七段の解説への反応も鈍いです。それが顕著に表れたのは、豊川七段が中村女流に「ここでの中村女流の第一感は?」と問いかけたシーンです。3度あったのですが、いずれも返答に困っていました。とにかく全体的に当意即妙に駒を動かさないので、解説のテンポが良くないです。中村女流も彼女の解釈を交えて解説風に話すのですが、あまりそういうことは必要ではないと思います。
 豊川七段の質問にプレッシャーを感じたのか、中村女流は余裕がなくなってしまったのかもしれません。

 そしてその余裕のなさが、豊川七段の親父ギャグ自爆地獄に陥らせてしまいました。
 せっかく、NHKが 「“おやじギャグ”を交えた解説が特徴」とテロップを出して、豊川七段の親父ギャグ(駄洒落)を公認してくれて、豊川七段もそれに応えて連発したのに、ほとんど無視されてしまいました。
 準決勝の解説でも、高校生の中川君にも駄洒落を飛ばしたのにスルーされていました。もしかしたら、若い世代には、親父ギャグは理解不能なのかもしれません。理解不能どころか、親父ギャグを飛ばしたことにも気がつかないのかもしれません。

 個人的には矢内女流四段に相手して欲しかったです。手の解説の受け答えも的確ですし、親父ギャグにも「うふふ」と反応してくれそうです。岩根女流、熊倉女流もいい反応をしてくれそうです。清水女流王将ならひきつった笑みを見せてくれそうです。

 豊川七段、孤立感を漂わせながらも、どんどん親父ギャグを連発してくれました。
「これ悩ましい……ちょっとホットケーキ(放っておく)というわけにもいきませんから」

「銀を引く手が味いいですよね。これが味良し(有吉)道夫九段の手でね」

「(残り時間が)3分、はい、カップ麺ですね」

「これは、どうもやっぱり、まずいですよね。△6七歩成から△7八金を打たれたら、詰めろのいとこ(「ほとんど詰めろ」、または、「たぶん詰めろ」)みたいな感じですから」

「これは先手がコマネチですか(困りましたか)」
(ここで、中村女流、豊川七段をちらっと見て、やや微笑む)

「(桂馬を)渡せないとなると、その制約はねえ…その製薬会社はきついっすよ」

 個人的には、豊川七段の親父ギャグと、周りの冷たい反応が面白かったです。

 その他の点としては、挿入解説で将棋を盛り上げようとしていましたが、臨場感が削がれるマイナスもあった気がします。
 あと、赤畠さんが読みに没頭すると上体を前後に揺らすのですが、それが真上から盤面を映すアングルの時、赤畠さんの頭が映っては消え、映っては消えるのです。これが、「けっこう」気になりました。赤畠さんが状態を揺らすのは構いませんが、そのシーンをずっと流し続けるのはどうかと思いました。
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「蕎麦」と「えぶりほえや」と「虹」と

2010-09-28 21:51:07 | 歳時
 半月ほど前から蕎麦の花が目立ち始めました。

 満開のちょっと手前ですが、このころの方が葉の緑も鮮やかできれいです。

 今年の夏は猛暑で、しかも残暑が厳しく持続したので、もう秋が来ないんじゃないかと心配しましたが、下旬になり涼しくなり、こうして蕎麦の花を見ると、秋の実感がしてきました。感覚的には9月上旬か中旬なのですが、もう9月も終わりと気づき、驚いています。
 と、空地や山道に注意を向けると、あいつがちらほら色を濃くしています



 そう、セイタカアワダチソウ、別名「エブリホエヤ(いたるところに)」(昨年、私が勝手に命名)です。
 あちこちに背を伸ばして、早いものはうっすら黄色くなっています。

 ひと昔前よりは、出現時期が早くなっているような気がします。これは、以前より個体数が増えた為と考えられます。横軸に時間の経過、縦軸に開花数をとりグラフ化すると、グラフの山自体が高く大きくなっていて、咲き始めの時期も早くなったと考えます。
 写真はありませんが、ススキの穂も開き始めました。



 今日の夕方、日が差しているのに細かい雨が降っていました。
 「これは!」
と、西の空を見ると、

大きな虹がかかっていました。肉眼では半円状に見えましたが、やや北の方ははっきりしておらず、写真にはよく映りませんでした。

 南の方はくっきりしていました。
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間が空いてしまいました

2010-09-27 12:18:25 | 日記
 間が空いてしまいました。ほぼ10日ぶりです。
 にもかかわらず、足を運んでくださっている(実際は足ではありませんが)方がいらっしゃり、感謝の言葉もございません(というわけで、感謝の言葉は省略)。

 さて、その原因は?
①忙しかった
②体調を崩していた
③精神的に落ち込んでいた
④海外旅行に行っていた
⑤PCが壊れた
⑥書く記事がなかった

 答は……ぴったりした答はありません。
 強いて挙げれば①と③、それと②と⑥も少々。
 ①についてはそこそこ忙しかったのですが、それが原因になるほど特別忙しかったわけではありません。
 ②は体調自体は悪くないです。どちらかと言えば良い方。ただ、春先からの慢性的な疲労と、今夏の猛暑による消耗が蓄積しているのかもしれません。
 ③精神的に落ち込んではいません。ただ、イマイチテンションが上がらず、書くに至っていない。
 ④全く関係なし。海外にも行きたいですが、現在はそれよりも竜王戦の観戦に行きたいです。
 ⑤いまのところ無事です
 ⑥書く記事はいろいろあり、溜まっています。ただ、連続ドラマが終わり半強制的な記事がないのと、「これは絶対書かねば」と言うほどの出来事がありませんでした。
 羽生名人の王座戦、竜王位挑戦権獲得などありますが、悔しい方が書く意欲がわくひねくれ者なもので。
 「青春舞台2010」とか「歳時的なもの(そばの花、コスモス、残暑の終わり)」とかも書きたかったのですが、テンションが上がりませんでした。

 つまり、これだという原因はないのですが、①②により感情的(感動的)な反応がやや鈍くなっていて、たまたま、「放電」の材料になる怒りや悔しさを感じる出来事が少なかったというわけです。
 感情の起伏が激しいのは、人間的にどうかと思いますが、感動に鈍くなったというのは若さの減少かもしれません(笑)。

 まあ、深く考えず、ぼちぼちやっていきます。
 かなり頭に来た出来事もありましたし(せんかくれっとうんぬんかんぬん)。
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『GOLD』 第11話(最終話)

2010-09-17 19:00:52 | ドラマ・映画
今週の訓話
 なんと!唄付きでした。流石、最終回。
 茶化してしまいましたが、天海さんの唄、本当に良かったです。
 訓話も良かったです。

「人は何故頑張るのか?それは、DNAの為。
  DNAは肉体的な遺伝だけでなく、心のスピリットもバトンしていく。
  あなたがあきらめれば、あなたの子どもも諦める。
  あなたが逃げだせば、あなたの子どもも逃げ出すでしょう。
  だけど、投げださず、折れなかった気持ちは、
  必ず、あなたの子どもに受け継がれるでしょう。
  そうやって、人の想いはバトンしていくのです」

「チャップリンが「あなたの代表作はどれか」と尋ねられた時、
 「NEXT ONE」と答えたそうです。

 生きている限り、振り返ることなく、自分のベストは次だと。
 留まることなく、次に向かって欲しい」


 ドラマとしては、廉を当て馬にして、洸を立ち直らせる。しかも、廉を死の淵に立たせて、ギリギリのところで真打ち(洸)を登場させ、見事な復活を果たす。
 そして、今週のテーマで締める。

 と、本当はここで終われば鮮やかな収束と行くのでしょうが、連続ドラマの宿命というか、最終回前で最高の盛り上がりに持っていかなければならないので、たいがいの最終回は、残り25分ぐらいは間延び感を伴うものになってしまうことが多いです。
 で、そうならない為もうひと山を作る必要が生じます。それが、聖子の愚挙(悠里をナイフで狙う)による蓮見の重体。

 悠里と聖子の対決は心に響くモノはありませんでした。
 本来ならば、先週の蓮見の厳しい指摘「子どもが引き篭もるようになったのは、聖子が折れたからだ」(離婚して片親になってしまった負い目から、息子の機嫌を伺うようになってしまった=ドラマのテーマ「子どもの力、人間を信じて、妥協せず、高みに導くべきだ」の逆)で、聖子の件は終結すべきところです。
 ただ、ドラマとしては、悠里と聖子が対決しないと形になりません。蓮見の重体も必要ですし。
 悠里の『幸・不幸のブランコ論』……「幸、不幸はブランコのように揺れている。それが嫌になってブランコを止めてしまったら、退屈なだけ。辛くても漕ぎだして、揺らして幸せのところまで届かす」は面白い例えでした。
 漕がないと幸せには届かない。悠里らしいです。
 しかし、聖子に対して、自分の不幸を並べ立てるのは説得力がありません。確かに、不幸な要素はありますが、財力も権力も能力も美貌もある人に「これでも私が幸せだと妬ましい?」と聞かれてもねえ。基本的水準が高いですよね。


 聖子の暴挙も最終回ゆえのものでしたが、一応最終回の盛り上がりました。
血液型をものともしない「早乙女の血」
悠里の想いの具象化の心霊現象
悠里と蓮見の少年時代からの強い結びつき
などなど。

 その甲斐あって、蓮見は回復。
 退院時などは、危篤だったのが嘘のような血色の良さです。

 さらに、そこでサプライズ!
 「チョウチョはどっかに飛んでった」って……

 晶のタトゥーはシールだった……
 「シールもありか」と頭をよぎったこともありましたが、まさか、そんなことをマジでやるとは。
 2、3発殴られた時点で、真相を明かすでしょう。あれだけ殴られ、あの切迫したシーンは何だったのでしょうか?
 恋人と別れて、失意のどん底に墜ちた思春期の娘が…シール…ですか。
 この娘、何を考えていたのでしょうか???宇津木は行方不明のままだし……


 蓮見は悠里が好きだったのですが、悠里の幸せを願い身を引き、家族として接していくようです。
 悠里の兄の言葉「丈治、お前は家族だ。悠里に恋をしたら、もう家族じゃない」を蓮見は回想しましたが、結婚したら家族になるのではと、突っ込みたくなりました。

 この兄貴、悠里には「GOLD」、蓮見には「妹に手を出すな」の呪縛を残しました。このドラマの諸悪の根源と言えるでしょう。


 クライマックスは、リカの再採用。
 悠里がGOLDの為、廉の生命を脅かす行為に対し発した言葉「社長にはついていけません」の揚げ足を取って辞表を出させた感が強いです。
 「秘書が何たるか」を諭していましたが、非常過ぎでしょう。蓮見が気を利かさなかったら、あのまま縁がなくなっていたのでしょうか。
 一度解雇して、再採用というのはありがちでつまらないとも思いましたが、敢えてベタな展開にして、リカと悠里の回想シーンを盛り込んで、ダブル「そんな~」で締めくくりました。

 このドラマ、脚本の野島氏の一番の目的(動機)は、毎週の悠里に語らせた主張でしょう。そして、悠里とリカのコントによる小テーマも動機の一つで、これらが主で、ゴールドや早乙女家云々は付け足しで、ドラマ自体はぶれていたように感じました。
 最終回も不満はかなり有ります(幸運の女神・麻衣子も使い捨て?)が、ラストを見ると、「これはこれでいいか」と思います。まあ、「NEXT ONE」です。(おお、上から目線!)
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日本海

2010-09-15 12:57:17 | 歳時
日本海です。撮影9月14日。

【以下の文は、PCからの補足です】
鮮やかな景色だったので、思わず撮りました(携帯電話)。
今回は初めて、携帯電話から画像を直接アップしての投稿です。

アップされた画像を見ると、海の部分は少しですね。
撮ろうとしたら、なかなかの雲だったので、空がメインになってしまいました。
テトラポットよりも目立っていない日本海ですが、すごくきれいでした。
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世界柔道2010 ②ルール・判定、テレビ、日本選手

2010-09-14 21:07:00 | スポーツ
①ルール・判定

 新ルールでは、抱きついたり、足などを取るなどの下半身への攻撃が禁止された。「しっかり組みあって、投げる」という柔道の原点に戻るというのがその趣旨らしい。
 特に、下半身への攻撃には厳しい措置で即座に「反則負け」となるらしい(「抱きつき」は2度目から「指導」)。ただし、技の流れで下半身に攻撃が移行するのは構わないとのこと。
 これで、タックルし倒すというレスリング的な柔道はなくなり、柔道らしくなった。また、組み手争い中でもタックルを警戒しなければならなかった従来に比べて、技に専念でき、一本勝ちが増える効果も期待されていたようだ。
 背中を付ければ勝ち、また、投げられた後の返し技も認められていた数年前と比べると、すごく柔道らしくなったように感じた。


 今回の改正ではないが、「効果」の廃止についても考えてみる。
 単純に考えると、少しの決まり方ではポイントを上げられないので、延長戦が増えそうである。有効に近い投げでもポイントが挙げられない場合があり、それで、延長戦に持ち込まれてしまうという理不尽さが生じる可能性もあるが、反面、「効果」という投げられ方で勝敗が決められてしまうという理不尽さは減少する。
 さらに、「指導」によるポイントも1度だけでは、勝敗に関係しないので、審判の主観に左右される「指導」で勝敗が左右されることが減少した点も良い。それでも、「指導」が3回で「技あり」相当、4回で「反則負け(一本)」になるのはどうかと思う。
 「効果廃止」のその他のマイナス面は、相手の身体を浮かせるような大きな投げの場合、腹ばいで逃げられてしまう(以前は「効果」が与えられていた)。それはそれで、「受け」が強いという考え方でいいのかもしれない。ただ、初めから崩れた技(掛けた側が膝を突くなど)の方が、腹ばいで逃げる空間的な余裕がないので逃れにくいのが理不尽だ。


 依然、「一本」の許容範囲が大きいようだ。つまり、相手の背中をつければ「一本」となる。
 だから、綺麗に相手の体を浮かせて投げ切ったのも「一本」、技の掛かりが甘く尻もち、あるいは半身で畳につかせた状態の相手を身体をかぶせるなどして背中を付けさせても「一本」。前者と後者では大きな差があると思うが、同等らしい。釈然としない。
後者は「技あり」に留めるべきだろう。後者のような技で「一本」だと、選手はもちろん、観ていても、「あれで終わりなの?」という中途半端な感覚が残ってしまう。


 判定の技術については、日本選手がらみの試合しか放送されなかったので、はっきりとしたことは言えない。
 「指導」については、簡単には取らなくなったような気がする。「指導」を頻繁に取ると、柔道がせせこましくなってしまうので、この点は良かった。
 傾向としては、「消極性」は割と頻繁に取っていたようだが、「掛け逃げ」については非常に大らかになったようだ。
 私は「消極性」はある程度仕方がないと思う。相手が強くて、攻勢を掛けてきたら、守備的になるのは仕方がない。また、不用意に技を掛けるのは危険だし、技を掛ける機を狙って技の数が少なくなるのも仕方がないと思う。
 似た「指導」に「防御姿勢」というのがあるが、これは腰を引くなどして相手の技を決まりにくする逃げの行為なので、こちらをもっと厳しくするべきだ。
 相手の技から逃げて時間を稼ぐだけの「掛け逃げ」も、もっと厳しくすべきだ。「何故、取らないんだ」と何度も思った。

 こういう「指導」については、審判の主観による者が大きい。それに、消極的な試合運び自体を減らす妙案がある。
 場外反則を取る
「場外」3回で「有効相当」、5回で「技あり相当」、7回で「反則負け」。

 ほとんどの試合は、場外間際のところで組合っている。これは追い込んだ選手にとっては損。つまり、技を掛けようと前に踏み込むと、「場外待て」になってしまう。一歩の踏み込みでは場外にならなくても、続けざまに技を掛けるスペースがない。ルールでは、場内で技を掛ければその技は有効だが、掛けるときに場外に出てしまったり、連続してかけようと違う技を出すのは無効(たぶん)。

 そういう意図で、引き足で場外際に誘うせこい戦法を防止する意味でも、場外反則の適用は有効だ。
 また、場外際に追いつめれば、相手は踏ん張るから技も掛けやすい。

 それに、観戦する立場で言えば、隅っこですぐ場外になりそうな戦いを見るのはストレスがかかる


 欠点としては、相撲に近くなってしまうこと。

②テレビ放映
 放送時間が短かったので、お茶の間の印象が薄かったように思う。1時間30分弱だと、他局の番組の合間に観るという機会が少ない。やはり、最低2時間はないと、世間にアピールできないように思う。個人的には、少しせわしかったが、あのくらいの長さの方が見るのは楽。(本当は外国の有力選手の試合も観たかったが、今回はその余裕がなかったので)

 無差別級の鈴木桂治選手の準決勝の実況は、鈴木選手一辺倒だった。相手の上川選手はまるで敵役だった。

③日本選手の大躍進
 上川選手があのリネール選手を破ったのはびっくり。最終的に10個の金を取った。要因はいろいろある。
・地元開催の利。
 調整が楽、観客の声援(プレッシャーになる場合もあるが)、判定が日本に有利、など。通常の大会では、日本選手には厳しい判定が、やや甘くなった。
・ルールの改正
 柔道本来の精神に立ち返ろうというルールは、もともとそれを目指している日本にとっては有利
・各級代表が2名になった
 レベルの高い日本にとって、メダル獲得の可能性は当然高くなった。ランク1位、2位の選手がそろって出場すれば、単純に考えると、金メダルの可能性は1名の時の2倍になる。
・猛練習
 今回の日本選手、動き・技の切れが非常に良かった。もう練習、これが一番の要因


④その他
 今回に限らず、鈴木選手が投げられる場所って、いつも同じ場所のような気がするが、気のせい?
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世界柔道2010 ①不可解な判定 女子48kg級、女子52kg級

2010-09-13 21:37:50 | スポーツ
 ルール改正で、本来の柔道に近くなった「JUDO」。
 ルールや判定など総合的なことは、後日述べさせていただきま、目についたのは表題の2階級(女子48kg級、女子52kg級)の決勝戦。

☆女子48kg級 福見×浅見
 福見が2度の「指導」(消極的)で有効ポイントを取られ、浅見の優勢勝ちだったが、私の眼には福見が攻めていて、「指導」を取られるとしたら浅見の方が妥当に見えた。
 開始から1分30秒は、福見の方が前に出て、浅見はほとんど場外を背にする体勢。技もほとんど出さず、「場外待て」は浅見が押し出されるものばかりだった。技を仕掛けていたのは、ほとんど福見だった。
 1分30秒経過して、浅見は前に出ながら足を掛ける動きを見せる。1分45秒、大外刈り気味の体落としを掛ける。福見はうつ伏せに倒れ込んでこらえる。
 1分52秒、浅見が福見に足を絡ませ、福見の状態が斜めにそれたところを背中に回り込む。両者が膝をつき、福見が腹ばいでその上に浅見が乗るが、すぐこう着状態になり、「待て」の声(1分57秒)
 そして、「消極的・指導」。
 浅見が攻勢を取ったのは30秒弱で、技らしいのは体落としのみ。浅見が上に乗ったのもたまたまで、福見も消極的な意思は全くなかった。

 意外な「指導」にも全く表情を変えない福見だが、次の浅見の鋭い体落としに顔からうつ伏せに倒れる(ポイントなし、2分0秒)。
 ここから、福見が攻勢に出る。激しい組手争いから、2分25秒、鋭い一本背負い。浅見の体がやや浮いて福見の背中に乗りかかる。福見はそのまま投げ切ろうとするが、背中を返すことはできず、浅見はうつ伏せでこらえる。
 2分35秒、福見の体落としに浅見は前につんのめる。続けざま、福見は一本背負いを掛けるがこれは不十分(2分50秒)。
 2分58秒、浅見が小外を掛けるが、福見はそのまま強引に背負い投げ。しかし、これは不十分(3分2秒)。
 3分11秒、浅見が体落としに見せかけて大内刈り。福見は何とかこらえ、「待て」の声。そして、2度目の「指導」。

 残り1分45秒は、浅見は背負い投げ、寝技、体落とし、福見は一本背負い、体落とし、巴投げを繰り出すが、ポイントにはならない。
 浅見は既に「有効」ポイントを得ているので、無理に技をかけに行く必要はない。また、「指導」一つ分の余裕があるので、ある程度守勢に回ってもよい。時間を使いながら、浅い技(決める意思の薄い技)を時折かければ良い情勢になった。
 福見は懸命に技を仕掛けるが、守勢に重点を置いた浅見からポイントを取ることはできなかった。

 内容はほぼ互角だった。差は不可解な「指導」だけ。

 1回目の指導は、時間にして20秒、浅見の攻勢の時間が続いた。それで、「消極的」を取られてしまった。やや早い気もするが、そこだけの時間を見ると取られることもあり得る。しかし、それならば、試合開始からのそこまでの浅見の消極性は何故取られなかったのだろうか?ギリギリセーフだったのなら、福見も当然セーフのはずだ。

 2回目はさらに不可解。福見が「指導」を受ける前の50秒間、攻勢ポイントは福見は互角以上に見える。「指導」の直前からさかのぼると、浅見の体落としの前は、福見の背負い投げ。やや強引ではあり、「掛け逃げ」の可能性もあるが、浅見の技を逆用しての動きなので、「掛け逃げ」には当たらない。もしかしたら、2分58秒の浅見の小外を返した背負いが、「投げ」と認めず、防御と判定したのかもしれない。
 カメラワークの関係で、主審のジェスチャーが見えなかったので、「指導」の種類がわからないが、理解できない「指導」だった。


☆女子52kg級 中村×西田
 開始から西田の積極性が目立つ。特に開始直後15秒の巴投げは、中村の虚を突き、中村の体は大きく宙に浮いた。しかし、中村も素早く体制を整えうつ伏せでしのぐ。
 その後は、一進一退の攻防が続く。
 3分25秒、中村に「指導(消極性)」が与えられた。この時間、確かにやや守勢に回っていた。やや厳しい気もするが、仕方ないとも言える。
 指導を受けた中村は、盛んに足技から内股を掛けるが、強引過ぎてかからない。技を決めるというより、相手を守勢に回らせて「指導」を受けさせようという狙いかもしれない。
 4分0秒、さらに足技から内股を掛けに来た中村に対し、西田はそれを裏投げ気味に返そうとする。中村はそれをさらに大内刈りで切り返す。同時に倒れる。やや中村に分のある技の掛け合いだったが、ポイントを上げるに至らず。
 残り1分は中村の攻勢が目立ち、西田の引き足が増えるがそのまま終了。ゴールデンスコア方式の延長戦(最大3分)に持ち込まれた。

 延長に入っても、中村はさかんに足技を掛けるが浅い。あるいは次の技の伏線か(13秒)。
 19秒、中村内股、さらに、大内刈りにいくが、西田はこらえる。
 38秒、西田、かなり強引に一本背負いをかけるがつぶれる。
 55秒、中村、大内を3本連続掛けるが、掛けるというより牽制。さらに、小内、小外気味に足を飛ばす。続いて、1分2秒、やや腰を入れて大内に入ろうとするが、西田、足を捌いてかわす。
 この後、3、4回、中村は足を掛けようとする牽制を見せるが、主審は「待て」。そして「指導」。たぶん、消極性を取られた。(1分15秒)
 1分29秒、西田の一本背負いが崩れ、「待て」。離れ際、西田、ねっ転がる。西田に疲労が観える。
 1分45秒、西田、背負い投げ、しかし、つぶれる。
 1分50秒、西田、組際に大内刈りを見せるが、膝をついてしまい崩れる。
 2分3秒、西田、一本背負いにいくが、中村軽く体を捌いて防ぐ。「待て」の声に、離れ際、わざわざねっ転がる西田。疲労の色が濃い。
 2分15秒、中村、内股。西田、前かがみになり、膝をついて防ぐ。
 2分38秒、西田、強引な背負い。中村、踏ん張って防ぐ。続けざまに、西田背負い投げ、虚を突かれた感じの中村の身体が少し浮くが、身体を捌いて防ぐ(2分45秒)。
 2分52秒、背負いを見せる西田だが、全く形にならない。自ら膝をついてうずくまる(2分54秒)。
 残り6秒は、西田、組む意思なしで、試合終了。
 私見だが、西田にもう一度、「消極性」か「掛け逃げ」のかで「指導」がつかないのが不思議だった。

 ゴールデンスコア方式の判定(旗判定)は、延長戦のみが対象(「指導」が最初から野を引き継ぐのを考えると違和感がある)。
 ゴールデンスコアの判定基準をはっきりと知らないので、私が判断するのは難しい。「有効」あるいは「指導」2回による「有効点(注意)」をどちらかが取った時点で打ち切る方式ということを重視すると、技の効果度が最優先されるのかもしれない。しかし、「指導」2回でも決着がつくので、試合態度(消極性、掛け逃げ、反則行為)なども判定ポイントになるのかもしれない。
 技の効果度としては、2分40秒過ぎの西田の背負いが一番であろう。
 総合的には、中村の攻勢度と西田の掛け逃げ気味の技を考慮に入れると、中村優位だ。
 しかし、判定は3本とも西田の旗が上がった。

 福見の試合に引き続き、不可解な判定だった。
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『GOLD』 第10話

2010-09-11 22:45:01 | ドラマ・映画
今週のテーマは「強い意志、信念を持ち、若い力を信じて育てる」でした。

 久々の演説、役員会で組織の理念(上記のテーマ)について語っていましたが、これは子育てにも重ねて言っていたようです。(スピード云々は、廉の泳ぐ力に強引に結びつけた感がありますが)
 さらに、子どもがくじけそうになっても、その力、人間を信じて、妥協せず、高みに導くべきだと、悠里と朋(幻影)との語らい、そして、蓮見と聖子の口論の中でも、訴えてきています。

 リカとのやり取りは「運気をもたらすタイプ」単に幸運の女神という神頼み的なものではなく、運気をもたらすタイプについて言及したので、納得(悠里と神頼みはしっくりこない)。
 駄目なタイプの例として
・いじけてクヨクヨ→運気を吸い取られてしまう
・自分の価値観を押し付ける(自分がそのタイプと自覚しているらしい)
    →相手を萎えさせる
・癒し系→リラックスできるが覇気が奪われる

 悠里の結論は赤ちゃんだった。人を奮い立たせるのは、赤ちゃんの寝顔。
①無邪気 ②無防備 ③無頓着 ④無尽蔵
 この4つを「4なしの法則」と唱えたが、「与えていることに無頓着だから、吸い取らない、無尽蔵に与えてくれる」と語っているので、④は結果であり条件ではないと思います。

 で、とにかく、その4要素だと、リカも指摘していますが、「ばか」が条件を満たしているように思えます。
 リカの突っ込みに、悠里は「お利口さんな馬鹿」と補足しています。
 悠里とリカの会話中、ある女性が浮かんできました。そう、自己中女の妹の麻衣子です。そうか、利口だったんですか、私には単なる「ば○」にしか見えませんでしたが。


 主幹のストーリーは、崩壊しかけた早乙女親子のそれぞれの再生です。
☆悠里
 「GOLDに固執するのをやめ、楽しく生きようか」とも思ったようですが、子どもたちを信じ、高い志を持ち続けることを改めて決意染ます。
 ただ、このシーン、悠里が作り出す幻影・朋との会話で語られていきましたが、演出(脚本)的に、楽をしたような印象です。何か過去のエピソード、それも、子どもたちのものではなく、自分のエピソードを思い出して、再決意してほしかったです。

☆洸
 麻衣子に運気を与えられ、弟の命を懸けた鼓舞激励に闘争心や勇気を復活させていく。

☆廉
 兄のため、母のため、何より自分のため、五輪で金メダルを取るという初志を貫く決意を固める

☆晶
 母をひとりの人間、女性として見つめ、その志が見えてきた。(「志」というのに違和感を感じますが、「人間の大きさ」ということなのでしょうか)


突っ込み処・疑問点
①廉が倒れ、悠里の気持ちが限界点に達し、「誰か助けて、もう駄目よ、もう限界です。兄さん、修一兄さん、私は、私たちはもう限界よぉ」と泣き叫ぶ。
 個人的な感覚ですが、「ここで兄さんなの?悠里はどれだけ兄に感化されたのか?」という思いです。
 そのあと、兄の言葉を回想
「神様は弩S(さど)だと思う。頑張れば頑張るほど、酷い目に会わされることが多い。『いい加減あきらめろ』そう言われているみたいに。だけどあきらめたら、今度はとたんに見向きもしてくれない。もう存在すら感じられなくなる。だから、根競べさ。『しつこいな、こいつ。まだやるか』って、うんざりされるまで。そうしてその瞬間、どデカイご褒美が待っている。それがきっと、ゴールドさ」
 なかなか、いいことを言います。でも、自殺した人間ですから、説得力はありませんね

②悠里の「賭け」の真意がちらほら明らかになっていきます。
 先ほどの悠里の叫びの直前、廉に「ごめんなさい。わたし、あなたを利用して。こんなこと許されないわ」
 やはり、廉の姿を見せて、洸の復活を果たすのが、狙いでした。
 これに対し、廉も「大丈夫。信じて、あなたは子どもを信じて」と。今週のテーマを意識した言葉ですが。「息子を信じて」ではなく、「子どもを信じて」と言ったところに、廉は洸の復活のためのあて馬になることを覚悟していたと考えられます。
 また、兄の墓の前で、蓮見がエントリーシートを悠里に見せ
「まさか、そういうことを考えていたのか?勝算はあるのか?」
ここで、廉があて馬だったことが決定的になりました。

③ 墓参りでの会話の続きです。
「(勝算は)ないわ。だから、ドキドキしているわ。毎日、めまいがしそうよ」
「お前がそんな賭けをするとは」
「賭けというより、祈りよ。私にはもうどうすることもできないのだから」
う~ん、本当にどうすることもできないのでしょうか?最高の治療や、リハビリをするとか。逆効果かもしれませんが、叱咤激励するとか。少なくとも、悠里の子育ての根底にある、信じることはできるはずです。
 「祈り」より「信じる」ことでしょう。

 だいいち、廉の命を欠けなくても、洸を復活させるすべはなかったのでしょうか?というより、命を掛けさせてはダメだと思います。それこそ、子どもを信じなければいけません。

④晶が裸になったわけが不明。
 生まれたままの姿を見せることで、最初からやり直す決意を見せたかったのでしょうか?それとも、刺青を消してきた?まさか、妊娠したのを見せたかった。≪これからは母として強く生きる≫と。

⑤宇津木はどうなった?
 せっかくの再生ですが、宇津木への想いはどうなったのでしょうか?「宇津木」の「宇」の字も出てきませんでした。もう、過去の人?

⑥麻衣子はスパイ?
 麻衣子は洸の心理状態をメールで報告していました。悠里は麻衣子に洸のことを頼んでいた?そこまでのことはなくても、悠里と麻衣子は通じていたというのは、ないほううがすっきりしています。「利口な馬鹿」を強調したかったのかもしれませんが、「無頓着」に反しているような気がします。

⑦まあ、これは、みなさんが思われたことでしょうが、怪我は治ったの?練習は?いきなり「決勝」?
 多分、悠里の叫びのシーンから日本選手権までは、かなりの時間があったのでしょうね。
 しかし、あの場面、いきなり決勝はありません。さらに、細かいことを言えば、水泳のことはよくわかりませんが、レース前にコール(参加意思確認)があると思います。そして、整列して入場となると思われます。コールを無視して、遅れて登場したら、大顰蹙です。顰蹙どころか、失格です。
 もちろん、場面的に予選からでは盛り上がりませんし、遅れてきて登場の兄に「遅えよ」。それに対して、「お前の出る幕じゃない。すっこんでろ」というシーンは必須ですよね。
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『警視庁継続捜査班』 第8話(最終話)

2010-09-10 20:46:03 | ドラマ・映画
 このドラマ全体のテーマ、たとえば上戸彩主演の『絶対零度』では、「未解決事件の関係者(被害者・加害者・捜査員等)は深い傷を背負って生きている。そのためにも事件解決しなければならない」とか、「ヒロインの成長」とか、曲がりなりにも描こうとしていた。
 対して、『警視庁継続捜査班』には、そういったテーマが最後まで感じられなかった
 一応、メンバーがそれぞれ過去の事件でトラウマや引っ掛かりを持っていたが、単にメンバーの傷を解決するだけ、事件を解決するだけのものでした。
 そういうテーマがなくて、謎解きに終始しても良いが、肝心な捜査や推理や犯人の動機などがご都合主義で、評価できるものが乏しかった。
 せめて、ヒロインの貴志真奈美(木村佳乃)が魅力的だったらよかったが、単に自信過剰の出しゃばりなだけだった。

 先週のラストで、班長・水城(余貴美子)が狙撃され、不謹慎な表現だが、最終回への盛り上がりを作った。しかし、犯人の動機や行動に矛盾を感じてしまい、≪やはり、継続捜査班だった≫と変な意味で納得してしまった。
 別に、最終回だから特別盛り上げることなく淡々と終わるのも良いと思うし、無理やり権力者が絡んで捜査に圧力とか、やたら人が死んだりするのもウンザリする。とにかく、脚本がしっかり練られていれば良いと思う。

 で、この最終話だが、狙撃犯を欺く鏡のトリックを披露したかった。それができれば、どうでもよかったのではないかと感じる。
 このトリックを使うには、犯人がもう一度水城を狙撃しないと、それを披露しようがない。しかも、再び、水城が狙われているとメンバーが知る必要がある。そこで、報道官・吉崎(笛木優子)を使って、犯人を挑発する。それに挑発されて、吉崎を拉致し、水城狙撃の予告をさせる。何とも逆算的な脚本だ。
 ライフルを持った犯人を挑発したら、犠牲者が増えるだけ。一般市民にもとばっちりが来る可能性もある。
 挑発した吉崎が狙われる可能性が高いのに、何の備えもしない。
 犯人も何のため吉崎を拉致したのかわからない。吉崎の携帯電話を添えて狙撃を予告したら、狙撃が難しくなるだけ。予告するにしても、一度狙撃しているので予告文だけで十分。吉崎に天誅を下すなら、拉致するだけではおかしい。


 さらに、犯行の首謀者である加藤(柴俊夫)の心理も理解できない。
 愛する娘がレイプされ、逆上し復讐する心情は理解できる。
 しかし、捜査が及び、父が捕まると考え、それが自分のせいだと思い、ライフルで自殺しようとする。ライフルを使うこと自体、女子高生らしくないが、まるで父親がやってくるの待っていたかのようだった。まあ、異常な心理状態ということで、それは譲るとして、娘が自殺したとなると、娘が男子学生殺人の犯人と扱われ、レイプの件も明らかになってしまうと考え、自分が娘を射殺したことにした。
 でも、射殺したとしても、その動機を追及されてしまうのではないだろうか?
 だいいち、男子高校生を抱えて落とすことができるのだろうか?娘が何らかの関係があると考えても、通常、容疑は父親に向けられるはず。
 すべてをうやむやにするのなら、父親も後追い自殺するべきだろう。
 水城を恨んで6年後狙撃してもらうくらいなら、あの場で発砲する方が合理的だ。(まあ、この点については服役中恨みが募ってとか、末期癌で四季を悟ったからという解釈もできる)

 それにしても、同じ美術部員がふたり続けて転落死したら、ふつうは人為的事象(自殺か殺人)と考えるのではないだろうか、それを転落死として片づけてしまう当時の捜査は「杜撰(ずさん)」としか言いようがない。

★その他の疑問点
①矢吹刑事、犯人追跡に真剣味が足りない。
 相変わらず犯人を逃がしてしまう矢吹刑事(筒井道隆)だ。
 しかも、2度。彼は拳銃に対してのトラウマがあったが、「犯人取り逃がし」については全く責任を感じないようだ
 1度目は狙撃犯・千葉を彼のマンションから追いかけるが、そのピッチが実に緩やか、駅伝競走(長距離走)の走りだ。『新警視庁捜査一課9係』の羽田美智子のヒールでの必死に走る姿とは対照的。どちらも取り逃がすのだが、筒井の場合は取り逃がすのを前提とした走りだ。役者さんもあまりの脚本にやる気が減退してしまったのかもしれない。
 2度も逃がすのは流石に格好悪いのか、子どもを狙撃から庇って名誉の負傷。でも、少しも痛そうじゃない。痛そうにみえないけれど、真剣に追いかけない。(腕を撃たれて、全力疾走したら、出血が凄いと思う)
 犯人は逃げる際、しっかりシートベルトをしていた。(まあ、道義上シートベルトをしないといけないのでしょうが、どうなんでしょう)
②ライフルを使用したのは「狩り」のため?
 真奈美は「ライフルを使用したのは狩りのためと断言したが、狙撃するのならライフルが順当。拳銃だとやはり近距離でないと難しい。まして、相手は刑事。
 ライフルに意味付けしたいなら、娘を撃ったライフルで復讐ぐらいで良い
③情報が漏れたって大げさじゃない?
 吉崎報道官に「水城が墓参り」と話したことが情報の漏えいになるのだろうか?身内だし、重大な秘密?狙われていると判明していない段階で「漏えい」扱いし責任追及って不思議。
④ヒロインは探し物が上手
 車いすに仕掛けられた盗聴器、狙撃犯の部屋の隠し部屋を即座に発見。それくらい、他の刑事にも活躍させたらいいのに。とにかく、ヒロインを無理やり活躍させたいらしい。
⑤糾弾すべき事が他にも
最後に水城が加藤に「ふたりの人間を奪ったあなたの行為は間違っている」と告げ、加藤の手を握る。重体の加藤も反応する。という、心情に訴えるシーンだが、「千葉(狙撃犯)を殺人者にしてしまった」ことも糾弾すべき。
⑥金田一少年の事件簿?
ラストシーン、
「15年前、池袋で起きた一家惨殺事件と同じ手口の模様です」
「池袋の一家惨殺事件?」
の投げかけに、即座に
「青い惨殺魔です」
と即座に答えるヒロイン。凄い知識量だ。でも、相変わらずのネーミング。『金田一少年の事件簿』の見過ぎか?
 それにしても、そのセリフを言う木村さん、恥ずかしくないのかな?


 最後まで、楽しませていただきました。
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