番組冒頭ナレーション
江戸時代から続く日本の伝統ゲーム「将棋」、少子化が進む中でも将棋を指す子どもの数は増え続けています。膨大な選択肢の中から考え抜いて最善の手を選ぶ。難しい局面を打開する能力が身に着くと、改めて注目されているのです。その魅力に海外からも熱い眼差しが注がれています。
中国では今、授業に将棋を取り入れる学校が増えています。様々な困難の中でも常に前向きに歩んできた日本人の精神を、将棋の中に学びたいと考えているのです。
中国小学校教師
「将棋を通じて、日本の文化を学ぶことは、子どもたちの成長に大いに役立つと思います」
今、日本のみならず、海外でも見直される将棋、人々の思考力を伸ばすと言われる将棋の秘められた可能性に迫ります。
いやあ、聞いていて、くすぐったくなるほど持ち上げられていますね。更に、
国谷裕子氏の語りが始まります
日本は今、厳しい逆境の中にあると言っても過言ではありません。ここから、よりよい社会、よりよい国を作っていくことができるのか、想定外の事態の中でも冷静沈着に考え判断し、事態を切り開いていく力がかつてなく求められているのではないでしょうか。
今、ピンチを切り抜ける力を養う効果があるとして、国内だけでなく海外でも注目を集めているのが、江戸時代から400年続いている将棋です。
縦横9列、81マスの盤上に、それぞれ20駒ずつ並べて戦う1対1の真剣勝負、相手から奪った駒を自分が利用できるという世界でもユニークなルールを持つ日本の将棋、一手に対し、何千何万もの可能性があると言われ、棋士はその中から最善の手を考え抜いて指さなければならないことから、「頭脳の格闘技」とも呼ばれています。
複雑で奥深いゲーム、人間の考える力を引き出すと言われているこの将棋を学ぶ動きが、日本だけでなく、海外、とりわけ中国で広まっていまして、今月、女流プロの大会に初めて、中国人の少女が挑みました。
ここからその少女、張 天天ちゃんの紹介や、当日の大会の様子が紹介される(約3分)(正直言って、この少女に関する部分には興味がないので省略)
いやあ、更に、持ち上げてくださっています。
ただ、多少引っかかりを感じるのは、「棋士はその中から最善の手を考え抜いて指さなければならない」という表現。監修や協力を将棋連盟が携わっているからだと考えられますが、「棋士」ではなく「対局者」とすべきでしょう。「棋士」と言うと、「通常は将棋を職業としているプロ」つまり「将棋連盟に所属しているプロ」を指します。それ以外のアマチュアは、「アマ棋士」と区別します。
こういった表現は、この番組だけでなく、将棋を紹介する番組でよく使われます。その度に、ちょっとムッとしています。
次に、一般の将棋道場の映像を流しながら、子ども将棋の現状を説明しています。
ナレーション
将棋の人気は、少子化にもかかわらず、日本でも一向に衰える気配を見せません。将棋をすると、集中力や考える力が鍛えられると勧める親が多いのです。
≪映像で、「負けました」と5歳の子供に投了する73歳の年配男性のシーンが流れる≫
子どもは身体を斜にして、それほど真剣に指しているようには見えなかった。
≪子ども大会の参加者数のグラフが示される≫
国内最大の子ども将棋大会の参加者数2001年は575人、2002年は2000人、2008年6000人、2009年5700人(棒グラフからの類推)、そして、昨年(2010年)は7895人に跳ね上がっている。
場面は、中国、北京へ
ナレーション
子どもの能力を伸ばすという評判は、海を越え中国でも広がっています。
天天ちゃんの母親
「将棋では対局を振り返る訓練を繰り返すので、記憶力が鍛えられます。そのおかげで、漢字や英単語を覚えるのも得意になったんです」
良い宣伝文句を言ってくださっていますが、これは、誤りです。
終局後対局を振り返るのは、その将棋の敗因などを調べたり、よりよい指し手がないかを探求するためで、対局を振り返る訓練ではありません。対局を覚えているのは、記憶力が良くなるのではなく、一生懸命考えた結果、思い出せるだけなのです。
将棋の頭脳的な効果は、記憶力ではなく、考える力や創造力、そして集中力です。その結果、学力に良い影響を与えるのだと思います。
はっきり言って、将棋をよく理解してない親が、わかったように思って、子どもにいろいろ指図するのは、マイナスです。彼女のこの先が心配です。
ナレーション
こうした将棋の注目し、授業に取り入れる学校も増えています。その数、70校余り。
≪上海の公立小学校の将棋の授業の様子が紹介される≫
上海にあるこの公立小学校では、週に1回、日本の将棋を教えています。この日の授業は詰将棋、頭の中で駒を動かしながら、王を追い詰める方法を考えます。
小学校の女性教師
「将棋で考える力が付いたので、このクラスの算数の成績も上がりました」
確かに、将棋は数学の能力に良い影響を与えるように思います。
ナレーション
なぜ、日本の将棋が子どもの能力を伸ばすと考えられているのか、注目されているのは、その独特なルールです。将棋は相手から奪った駒を自分の戦力として攻撃に使えることができます。
(守備にも使えます)
持ち駒を使えることによって、指し手が増え、局面の可能性が飛躍的に増え、さらに、複雑にしていきます。
この局面の可能性(確率で言う「場合の数」)が増えるのも大きいですが、私は、持ち駒の使用による、複雑さや変化の激しさが、将棋をより深く、劇的なものにしていると考えます。もし、持ち駒が使えないとすると、盤上にある駒だけで進めていくのですが、それだと、祖も配置してある駒は、その駒の動き分しか動けません。飛車や角なら、盤上を動き回れますが、その他の駒は、一歩や2歩ぐらいしか動けません。ところが、持ち駒を使えるとすると、持ち駒は、盤上一手でどこでも飛ぶことができます。(2歩や、行き場のない駒は反則になります。既に駒を置いてある所に重ねておくこともできませんが)
とにかく、持ち駒の使用で、将棋は飛躍的に動きの激しい複雑なゲームとなっています。だから、考える力が凄く必要になります。
ナレーション
さらに、中国の教育現場で、日本の将棋が高い評価を受けているもう一つの理由が、勝負に臨むその姿勢です。
対局を始める時には、必ず挨拶(深く頭を下げて、「よろしくお願いします」)。更に、勝負がついたときには、負けた方が自ら(「負けました」などと)自分の言葉で負けを認めることになっています。
しかも、終了後は勝者と敗者が一緒になって対局を振り返り、問題点を探し出し、互いに反省します。
敵味方が一緒になって最善の手を探して道を究めようとする棋士たち、中国の人たちは、そこに日本人独特の精神性を感じ取っています。
そうです、この精神が素晴らしいです。
特に、自ら負けを認めるのは、なかなかできません。一生懸命指してきて、それが報われず、敗れる。悔しいです。それを、タイムアップや審判に宣告されるのではなく、「負けました」と負けを認め、自ら対局を終了するというのは、厳しく素晴らしいです。
この後、企業が将棋に新たなビジネスのヒントを探ろうという動きが紹介されています。
テレビゲームは爆発的に流行するが、数年で飽きられてしまう。長く人気が続く将棋にヒントを見出そうとしているのだと言います。
そう言えば、そうだなと思いますが、あまりビジネスに結び付けられるのは少し怖いです。
この後、天天ちゃんの対局経過と結果が紹介されました。力が入り過ぎたのか、中盤の入り口でつんのめった手を指してしまい、力を発揮することなく完敗。
映像紹介が終わり、国谷さんと青野九段による対談(分析)が行われた。
青野九段は舞い上がり過ぎでした。
将棋の良さとして
①将棋の奥の深さ
②世代を超えて楽しめる
③礼節を重んじる
④勉強ができるようになる
を挙げています。上記の要素は同意できますが、説明が俗っぽかったです。
①についてはうまく表現できていなかったですし、②に至っては、大人に「負けました」と言わせる快感があると言ってしまっていました。③の礼節に反した精神です。
③はほとんど一言で済ませていましたし、④もうまく言葉が出ず、国谷さんにフォローしてもらう始末。
さらに国谷さんからVTRの道場のシーンを取り上げられて、
「5歳の男の子が73歳お年寄りに負けましたと言わせていた。ああいった感覚と言うのは、たまらないんですか?」
との問いに、
「たまらないですねえ。プロでも勝った日は誰にも会わないでひとりでお酒飲んで、ニヤッとしていたい」って、もっと、プロ棋士の崇高さを出して欲しいです。
「勉強ができるようなる」は大きなセールスポイントですが、もっと将棋の本当の面白さを示さなければダメだと思います(一般番組で、それを表現するのは難しいですが)。それに、礼節を重んじ、特に、自ら負けを告げる高潔さを力説して欲しかったです。
江戸時代から続く日本の伝統ゲーム「将棋」、少子化が進む中でも将棋を指す子どもの数は増え続けています。膨大な選択肢の中から考え抜いて最善の手を選ぶ。難しい局面を打開する能力が身に着くと、改めて注目されているのです。その魅力に海外からも熱い眼差しが注がれています。
中国では今、授業に将棋を取り入れる学校が増えています。様々な困難の中でも常に前向きに歩んできた日本人の精神を、将棋の中に学びたいと考えているのです。
中国小学校教師
「将棋を通じて、日本の文化を学ぶことは、子どもたちの成長に大いに役立つと思います」
今、日本のみならず、海外でも見直される将棋、人々の思考力を伸ばすと言われる将棋の秘められた可能性に迫ります。
いやあ、聞いていて、くすぐったくなるほど持ち上げられていますね。更に、
国谷裕子氏の語りが始まります
日本は今、厳しい逆境の中にあると言っても過言ではありません。ここから、よりよい社会、よりよい国を作っていくことができるのか、想定外の事態の中でも冷静沈着に考え判断し、事態を切り開いていく力がかつてなく求められているのではないでしょうか。
今、ピンチを切り抜ける力を養う効果があるとして、国内だけでなく海外でも注目を集めているのが、江戸時代から400年続いている将棋です。
縦横9列、81マスの盤上に、それぞれ20駒ずつ並べて戦う1対1の真剣勝負、相手から奪った駒を自分が利用できるという世界でもユニークなルールを持つ日本の将棋、一手に対し、何千何万もの可能性があると言われ、棋士はその中から最善の手を考え抜いて指さなければならないことから、「頭脳の格闘技」とも呼ばれています。
複雑で奥深いゲーム、人間の考える力を引き出すと言われているこの将棋を学ぶ動きが、日本だけでなく、海外、とりわけ中国で広まっていまして、今月、女流プロの大会に初めて、中国人の少女が挑みました。
ここからその少女、張 天天ちゃんの紹介や、当日の大会の様子が紹介される(約3分)(正直言って、この少女に関する部分には興味がないので省略)
いやあ、更に、持ち上げてくださっています。
ただ、多少引っかかりを感じるのは、「棋士はその中から最善の手を考え抜いて指さなければならない」という表現。監修や協力を将棋連盟が携わっているからだと考えられますが、「棋士」ではなく「対局者」とすべきでしょう。「棋士」と言うと、「通常は将棋を職業としているプロ」つまり「将棋連盟に所属しているプロ」を指します。それ以外のアマチュアは、「アマ棋士」と区別します。
こういった表現は、この番組だけでなく、将棋を紹介する番組でよく使われます。その度に、ちょっとムッとしています。
次に、一般の将棋道場の映像を流しながら、子ども将棋の現状を説明しています。
ナレーション
将棋の人気は、少子化にもかかわらず、日本でも一向に衰える気配を見せません。将棋をすると、集中力や考える力が鍛えられると勧める親が多いのです。
≪映像で、「負けました」と5歳の子供に投了する73歳の年配男性のシーンが流れる≫
子どもは身体を斜にして、それほど真剣に指しているようには見えなかった。
≪子ども大会の参加者数のグラフが示される≫
国内最大の子ども将棋大会の参加者数2001年は575人、2002年は2000人、2008年6000人、2009年5700人(棒グラフからの類推)、そして、昨年(2010年)は7895人に跳ね上がっている。
場面は、中国、北京へ
ナレーション
子どもの能力を伸ばすという評判は、海を越え中国でも広がっています。
天天ちゃんの母親
「将棋では対局を振り返る訓練を繰り返すので、記憶力が鍛えられます。そのおかげで、漢字や英単語を覚えるのも得意になったんです」
良い宣伝文句を言ってくださっていますが、これは、誤りです。
終局後対局を振り返るのは、その将棋の敗因などを調べたり、よりよい指し手がないかを探求するためで、対局を振り返る訓練ではありません。対局を覚えているのは、記憶力が良くなるのではなく、一生懸命考えた結果、思い出せるだけなのです。
将棋の頭脳的な効果は、記憶力ではなく、考える力や創造力、そして集中力です。その結果、学力に良い影響を与えるのだと思います。
はっきり言って、将棋をよく理解してない親が、わかったように思って、子どもにいろいろ指図するのは、マイナスです。彼女のこの先が心配です。
ナレーション
こうした将棋の注目し、授業に取り入れる学校も増えています。その数、70校余り。
≪上海の公立小学校の将棋の授業の様子が紹介される≫
上海にあるこの公立小学校では、週に1回、日本の将棋を教えています。この日の授業は詰将棋、頭の中で駒を動かしながら、王を追い詰める方法を考えます。
小学校の女性教師
「将棋で考える力が付いたので、このクラスの算数の成績も上がりました」
確かに、将棋は数学の能力に良い影響を与えるように思います。
ナレーション
なぜ、日本の将棋が子どもの能力を伸ばすと考えられているのか、注目されているのは、その独特なルールです。将棋は相手から奪った駒を自分の戦力として攻撃に使えることができます。
(守備にも使えます)
持ち駒を使えることによって、指し手が増え、局面の可能性が飛躍的に増え、さらに、複雑にしていきます。
この局面の可能性(確率で言う「場合の数」)が増えるのも大きいですが、私は、持ち駒の使用による、複雑さや変化の激しさが、将棋をより深く、劇的なものにしていると考えます。もし、持ち駒が使えないとすると、盤上にある駒だけで進めていくのですが、それだと、祖も配置してある駒は、その駒の動き分しか動けません。飛車や角なら、盤上を動き回れますが、その他の駒は、一歩や2歩ぐらいしか動けません。ところが、持ち駒を使えるとすると、持ち駒は、盤上一手でどこでも飛ぶことができます。(2歩や、行き場のない駒は反則になります。既に駒を置いてある所に重ねておくこともできませんが)
とにかく、持ち駒の使用で、将棋は飛躍的に動きの激しい複雑なゲームとなっています。だから、考える力が凄く必要になります。
ナレーション
さらに、中国の教育現場で、日本の将棋が高い評価を受けているもう一つの理由が、勝負に臨むその姿勢です。
対局を始める時には、必ず挨拶(深く頭を下げて、「よろしくお願いします」)。更に、勝負がついたときには、負けた方が自ら(「負けました」などと)自分の言葉で負けを認めることになっています。
しかも、終了後は勝者と敗者が一緒になって対局を振り返り、問題点を探し出し、互いに反省します。
敵味方が一緒になって最善の手を探して道を究めようとする棋士たち、中国の人たちは、そこに日本人独特の精神性を感じ取っています。
そうです、この精神が素晴らしいです。
特に、自ら負けを認めるのは、なかなかできません。一生懸命指してきて、それが報われず、敗れる。悔しいです。それを、タイムアップや審判に宣告されるのではなく、「負けました」と負けを認め、自ら対局を終了するというのは、厳しく素晴らしいです。
この後、企業が将棋に新たなビジネスのヒントを探ろうという動きが紹介されています。
テレビゲームは爆発的に流行するが、数年で飽きられてしまう。長く人気が続く将棋にヒントを見出そうとしているのだと言います。
そう言えば、そうだなと思いますが、あまりビジネスに結び付けられるのは少し怖いです。
この後、天天ちゃんの対局経過と結果が紹介されました。力が入り過ぎたのか、中盤の入り口でつんのめった手を指してしまい、力を発揮することなく完敗。
映像紹介が終わり、国谷さんと青野九段による対談(分析)が行われた。
青野九段は舞い上がり過ぎでした。
将棋の良さとして
①将棋の奥の深さ
②世代を超えて楽しめる
③礼節を重んじる
④勉強ができるようになる
を挙げています。上記の要素は同意できますが、説明が俗っぽかったです。
①についてはうまく表現できていなかったですし、②に至っては、大人に「負けました」と言わせる快感があると言ってしまっていました。③の礼節に反した精神です。
③はほとんど一言で済ませていましたし、④もうまく言葉が出ず、国谷さんにフォローしてもらう始末。
さらに国谷さんからVTRの道場のシーンを取り上げられて、
「5歳の男の子が73歳お年寄りに負けましたと言わせていた。ああいった感覚と言うのは、たまらないんですか?」
との問いに、
「たまらないですねえ。プロでも勝った日は誰にも会わないでひとりでお酒飲んで、ニヤッとしていたい」って、もっと、プロ棋士の崇高さを出して欲しいです。
「勉強ができるようなる」は大きなセールスポイントですが、もっと将棋の本当の面白さを示さなければダメだと思います(一般番組で、それを表現するのは難しいですが)。それに、礼節を重んじ、特に、自ら負けを告げる高潔さを力説して欲しかったです。