まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.514 JR大和路線、サクッと各駅巡り

2016-06-24 10:55:19 | 鉄道
おはようございます。










JR関西本線、と言うよりは大和路線は長年通勤の足として使っていました。朝のラッシュ時は大阪へ向かう快速が7~8分に1本の割に発車していて、それでも始発の奈良駅はもう座席が8割がた埋まるほどです。自分(一人称)は会社の入りが早かったので、ラッシュを避ける意味もあったのですが、大概始発か5時台の電車だったので乗車は毎日普通電車、各駅停車でも快速待避がなければ1時間もかからないうちに大阪に着くことができます。





快速は奈良県内は王寺まで各駅停車、昔は大和小泉だけ通過だったが今は郡山、法隆寺よりも乗降客数は多くなっている。以前は新大阪行の快速があって、それは郡山と大和小泉が通過だった、市にある駅よりも町にある駅の方が需要視されるのもいかにも奈良県と言ったところか。この区間は車窓風景はいかにも大和路の風景と言った感じの田園地帯を走るので、遠く薬師寺の三重塔や法隆寺の五重塔を臨むこともできる。ただこの辺りは意外な大敵があって、それは明け方の雨上がりの後にかかる霧、郡山~大和小泉間は見通しのいい田園風景なのでここに霧がかかると電車は減速、最悪ストップまでしてしまう始末、大和路らしい風景が仇になってしまったと言う皮肉な現象です。






王寺はJR和歌山線が分岐、近鉄生駒線、田原本線への乗換えもあって奈良県内最大のターミナル駅。三方向から来た電車が短い時間で乗り換えできるような便利なダイヤになっているが、大阪方面からの普通電車は昼間はここが終点となるので、自分(一人称)の場合は大概が相棒を抱えての乗換え、跨線橋を越えていかなければならないので短い乗換え時間が恨めしく思える。王寺は近くに大和川が流れ、近年駅前の整備も一段落してなかなか大きな町と言った感じがするが、ここも市ではなく北葛城郡王寺町、町にある駅が県内JRの駅の中では一番乗降客数が多い。いい加減、市にしてしまえばいいのに奈良県内にある町はどこも他の町と合併するのを嫌がっているらしい、どうも閉鎖的と言うか内向的と言うか・・・これもいかにも奈良県らしいところと言ってしまえばそれまでだが。












三郷駅の手前で大和川が沿ってきて、大阪府内に入る所が亀の瀬越え、通勤路線であってもこの辺りの車窓風景はなかなか楽しめる所である。川の向こうに見える斜面が剥き出しになった採石場、途中4つのトンネルを越えるが、うち間の2つは入ってすぐに抜けるほどの短さ。河内堅上駅は渓谷の中にあるような寂しい感じの駅、そこを抜けると再び市街地へと入って高井田、柏原、志紀、八尾と通り過ぎて行く。快速は全駅通貨だが平日の朝ラッシュ時には柏原始発の快速も運転されている。それでも八尾駅は通過、報われない八尾駅だが以前は和歌山から貨物線経由で奈良まで走っていた臨時特急は八尾に停車していたのでそれでイーブンと言うことにしておきましょう。
八尾駅の次は久宝寺駅、前にも取り上げたことがありましたが、ここには昔竜華操車場があって、久宝寺駅のホームは上下線が遠く離れていた。いまは快速停車駅となり、JRおおさか東線が分岐し、周辺も整備された大きな町となった久宝寺だが竜華操車場が払った代償と言った感じがする。おおさか東線が高架線で分岐して次の加美駅だが、その手前には今は廃線となった貨物線が分岐していて、昔はそこを特急列車が走っていたこともあった。加美を過ぎるとおおさか東線から分かれてきた貨物線が合流してきて平野駅、その先で大和路線は高架に入るが地上に伸びる線路は大きく広がって百済貨物ターミナル駅へと至っている。








高架駅の東部市場駅を過ぎると車窓左には近鉄南大阪線、上をJR阪和線が越えていって地上へと下りて天王寺駅へと到着する。奈良方面から乗ってきた人は大概ここか次の新今宮駅で環状線に乗り換えるので難波方面はガラ空きになっていたが、今は阪和線が地上に下りてきて難波方面、京橋方面と双方に乗換えがあるので結構車内が混むこともある。それでも車内の喧騒は入れ替わった感じで新今宮駅、今宮駅へと至る。以前は『大和路ライナー』という有料の通勤快速があり、車両は奈良県内では見ることができなかった特急車両、仕事の帰りによく乗ってたなあ。新今宮のホームで発車時間前に列に並んで310円の座席指定券を購入、奈良までは快速と時間は大して変わらないが、必ず座って帰れるから結構利用させてもらったが、今はそれもなくなってしまって再び奈良県内で特急車両を見ることはなくなってしまった。
今宮駅は高架になって環状線との乗換駅で便利になったが、昔地上にあった頃は都会の真ん中にあるターミナルに挟まれた駅なのに、何となく忘れられた存在と言った感じの駅だった。大和路線はここを出ると高架から一気に地下へと急降下して終点のJR難波駅へと到着する。2面4線の造りで線路はその先折り返し用の線路が伸びているが、この線路はこの先南海高野線の汐見橋駅(地下に新駅)から延伸した線と次の駅で合流して新大阪まで至るなにわ筋線に利用されるもの、ただその計画も実現するかどうかは今のところはてな?です。JR難波駅も以前は湊町という駅名で地上にあった執着駅、難波と言う繁華街の外れの少し寂しい雰囲気の中にあったが、今はその姿も様変わりして賑やかな所となった。往時の湊町駅の姿、自分(一人称)は薄っすらと覚えているくらいです、仕事で使ってた頃はもう地下化へ進むための仮駅となってしまっていたので・・・と言うことで今回はJR大和路線をサクッと巡ってみました、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち



No.513 登録有形文化財巡り・京都市内編(3)

2016-06-23 08:38:06 | 文化財
おはようございます。












登録有形文化財巡り、今回は久しぶりに京都市内を走ってみようと思います。今年になって文化財に興味を持って京都も何度か走りましたが、北の市街地から少し外れた部分を除いて市の中心部にある登録有形文化財はほとんど巡りました。その模様についてはこの先も小出し小出しになりますが随時お送りしていくことになりますが、今回は東山三条周辺を中心に狭い範囲に行ってみようと思います。

まずは写真1枚目~3枚目にある東山の八坂神社付近にある洋風な建物、長楽館と言うホテル、レストランなどを兼ね備えた所。神社の入口の横にある入口にはのマークが掲げられた表示がありここは京都市指定の文化財とのこと、結構古くからの由緒ある建物のようですが、自分(一人称)が下手に説明するよりは詳しいことはこちらをご覧いただくようにしておきましょうか。ここから円山公園内を突っ切り、知恩院前を通り過ぎると森の中の道にあるのが写真4枚目~6枚目の建物、元は美術館だったものを今は喫茶店として利用されているとか。ここから坂道を下って行くと三条通へと出るが、更にその先には平安神宮の大きな鳥居も見える、そちらの方にも目指す物件はあるようなので行ってみることとしましょう。








まずは京阪三条駅に近い小学校にある太鼓望楼、学校の敷地内となると写真は無理かな、と思って走っていると写真1枚目にあるように校舎の屋上に目指すべく物件が立っていた。まあ実物は見れたし写真にも撮ることができたのでこれはこれで良しとしておこう。ここから三条通を東へ向かい地下鉄東山駅付近の入り組んだ町並の中に入ってたどり着いたのが写真2枚目、3枚目にある並河靖之記念館、並河靖之って誰?歴史上の人物、知らない名前だ、そう言う時のwiki頼み・・・と言うことで調べてみると、七宝家とある、芸術家なのか、そして今回も出てきました「七宝」と言うキーワード、ただ自分(一人称)は興味はないので建物を写真に撮るだけですぐに次の場所へ向かうことにする。写真4枚目はこの建物自体は登録有形文化財ではなく、この奥にある施設が文化財であることらしい、ただそこは写真5枚目にある門の向こうにあるので写真に撮ることは出来なかった。重厚そうな門の横にはが両掌に受けられている表示が掛かっていた、文化財を保護するマークかなと思ったが、セキュリティーに関するものらしくそんな大したマークではないようだった。












ここから先は御池通付近にある登録有形文化財をいくつか巡って行ってます、特にここがどんな所かとか詳しい説明は省きますが御池通は京都の市街地を東西に貫くメインストリートであるとともに、古くからの歴史的な町並も多い所で、狭い範囲にいろいろと見所が点在しています。写真3枚目は日本史にもあまりにも名前が知られている本能寺の山門、御池通と寺町通の交差点の一角、京都市役所の前にあって人通りも多く、その知名度からしてたくさんの人がカメラを構えて撮影しています。しかし日本史最大のクーデターの舞台となった場所は実はここから結構離れた所にあって、ここは豊臣秀吉の命によって移転させられたと言うことで、そのことはあまり知られていない感じです。
最後の写真は富小路通の三条通との交差点に近い所にある美術はがきギャラリー京都便利堂と言う、いかにも京都の古い町並にフィットしたような感じの店舗、歩いている人もその落ち着いた感じの店の様子に興味をひかれて中を覗いているようです。自分(一人称)もその建物の雰囲気にひかれて写真に撮ったのですが、実はその右側、電柱の陰になっている家屋が登録有形文化財物件、後で調べて分かったことです。ただこうやって写真に収まっていると言うことは、多分その家屋のいかにも由緒ありそうな感じが自分(一人称)の意識の中で撮っておいた方がいいと思ってのことだったのでしょうか・・・って都合よく考えるのはよしときましょ、単なる偶然だったと思います。
登録有形文化財巡り京都市内編はまだまだ続きます、合わせて京都の道巡り、この先には平安、室町、戦国、幕末とテーマごとに巡ってみようとも考えています。奈良県民としては京都はライバル、まあ向こうはそうは思ってないかも知れませんが、と言う気持ちもあるのですが、いい所はやっぱり受け入れて自分の目で見てみたいと言うことで、まだまだいろいろと京都をディープに巡っていこうと思っております。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。         まちみち









No.512 各駅巡り・名鉄津島線(1)あま市

2016-06-21 11:18:24 | 鉄道
おはようございます。





愛知の旅は名古屋市内登録有形文化財巡りから清須市美濃路を走って名鉄須ヶ口駅へとたどり着きました。ここからは今回の旅の目的のひとつ、名鉄津島線各駅巡りで津島市を目指して行くこととします。予定ではその先は名鉄尾西線各駅巡りで一宮市へ、更に北へ向けて岐阜市、大垣市と行きたいところですが、あくまでも予定は未定、さて、どこまで行くことができるでしょうか、とりあえず須ヶ口駅から西へ伸びる県道を走って行くこととしましょう。






県道は緩やかなカーブを通り過ぎて橋を渡った所であま市へと入る、あま市なあ・・・そんな市あったんか?と言うことで調べてみた。2010年に周辺の町が合併してできたとのことでなるほど新しい市なんだ、あまとは旧郡名の「海部」のことだがこれはご当地の人以外は読めないわ、でも「ama」と入力するときちんと変換できる。wikiで見てみると出身の有名人には戦国武将福島正則、大河の主役にもなった前田利家正室まつ、『まちぶせ』の石川ひとみ、作家の堀田あけみ、これ懐かしい名前だわ、今や狂った奥さん役させればNo.1の富田靖子のデビュー映画『アイコ十六歳』の作者ですよ。そんなこんなで先へと進んでまず線内最初の駅、甚目寺駅へとたどり着く、ホームを見る限りはどこのでもある普通の私鉄の一駅と言う感じだが特急も停車するとのこと、実質的にはあま市の中心駅となっているらしい。wikiで見たところではホームの北側には留置線があり、昔は名鉄線から国鉄(当時)へと入って富山まで走っていた特急『北アルプス』がここで給油を行っていたとのこと、そう言えばそんな写真を昔の鉄道雑誌で見た記憶がある、特急『北アルプス』って何か異様な存在の列車って感じだったなあ。駅の北側はロータリー、ショッピングセンターもあって人も結構多く賑やかな感じ、そして駅の南側を少し進んだ所には駅名と同じ、甚目寺と言う寺院がある、せっかくなので行ってみることとしましょう。










周辺は民家が建ち並ぶごく普通の町中に、市民の憩いの場所と言う感じでそのお寺はあった。なかなか立派な鐘楼、三重塔は重要文化財、南側には威圧感のある山門、この日は週末の昼間と言うことで家族連れや若い人たちも参拝と言うよりは暇つぶしと言う感じで境内を散策していた。山門を出た所は県道の交差点となっていて車があちらこちらと言う感じで行き交っている、その山門の手前には写真5~7枚目にある2基の石の道標が立っている。見た感じが古くてその面にある文字も歴史を感じるもの、この山門前を東西に通る道が津島街道なのか?その辺りははっきりわからないし街道巡りまでの余裕はなかったので、ここは線路に一番近い近い道を選んで先へと進んで行くことにする。







そんなわけで名鉄津島線に沿って走っているわけですが、この辺りは特に何がどうって書くようなことがない風景、となるとさっきの山門前の道を行っておけば良かったなあと思ってしまう。線路沿いの道は高速の下で途切れてしまうので、そこから北側にある交差点から西へ続く道へと入るがその道も川が流れる所で途切れてしまう。左へと折れて線路に近い道へと出る、後で確認したところではこの道がさっきの山門から続いてきているので、どうやらここが津島街道に当たる道らしい。そこからすぐに次の七宝駅にたどり着く、駅名から察するに七宝焼きの七宝なのかなと思ったらその通りみたいだが「七宝という地名は江戸末期より七宝焼による工芸品の製造が盛んであったことにちなんでつけられた」(wikiより、困った時は何でもwiki頼りやな~)とのことらしい。駅は少し入り組んだ所にあって、ここも見るからに何の特徴もなさそうな駅舎、名前の知られた駅の割にはひっそりとした町並の中にある駅は普通電車しか停まらない、少々寂しい存在の駅であった。
さて、この駅で何か見所は、と思って駅前の看板を見ていると、この地方が前田利家正室のまつ=芳春院の生誕の地であるらしい。その場所は駅から少し南に行った所にあるらしいとのことでちょっと寄り道、ネタ探しになるかなと思って走ってみることに・・・と思って来たのだが、その場所は松の生家となる寺院を中心とした民家が建ち並ぶ小さな集落で、その入口には上の写真にあるように、ここがその場所だと言うことを示す看板とささやかな感じで掲げられた旗があるくらい。狭い通りを縫うように進んで集落の中を突っ切って行ったが特に写真のネタになるようなものはなかった、少し無駄な時間をとってしまったかなと言う気がしたがまあ勉強になったなあ、と言うことで先へ進んで行くこととしましょう。






名鉄津島線を北に沿うようにある道を次の駅へと向かっているわけですが、写真3枚目にあるようにこの道が津島街道、鉄道はその街道に沿って作られたと言うことか。ここまで走ってきた感じでは特に旧街道の雰囲気を感じる町並もなく、普通に民家と商店が建ち並ぶだけの特筆することもない所、その辺りはいつかどこかで旧街道の雰囲気が漂う町並になるだろうことと期待して、今は次の駅へ向かうことに。そうしてたどり着いたのが木田駅、周辺は商店や病院などが密集していて結構人の賑わいのある所、JTB時刻表ではこの駅が◎になっているので、ここがあま市の中心駅と言うことになっているようだ。津島線には平日夕方に4本特急が走っていてこの駅も甚目寺と合わせて特急停車駅となっている、新参のあま市に特急停車駅が二つとは何ともぜいたくなこと、と言うかこの線区に特急が走っているのが何か意外。準急に急行も走っているから幹線とも思えるが、ここまで走ってきた感じでは都会の近郊を走っているローカル線と言った感じ、さて、名鉄津島線にはこの先はどのような風景が待ち受けているのか、それは次回でのお伝えと言うことにして、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.511 AKB総選挙が残していったもの

2016-06-20 11:15:48 | 文化財
おはようございます。


昨日(18日)は『AKB48総選挙』でした。結果はもうご存知の通り、指原莉乃の2年連続1位と言う史上初の快挙で終わりました・・・ってか一人だけ20万票越え、強すぎやろこれ、今まではあまり気にしたことはなかったが、ここまで表に差がつくと何かの力が働いたのかと思ってしまいます。この時期になるともう毎年恒例、御馴染となったイベントですがその辺りも含めて来年はいろいろと考えなければならないところだと思います。

自分(一人称)の予想では今回の1位は山本彩が獲るんではないかと思ってました、AKBグループの中ではアーティスト色が強く歌もうまい、『あさが来た』でももう御馴染と言うことで期待していたのですが4位は意外やったなあ、せめて松井よりは上へ行くかと思ったが、それだけ上3人が強かったと言うことか。その山本も出馬を悩んだことを話していました、ライバル渡辺美優紀の卒業宣言や後輩の活躍を妨げてしまうのではとかが理由だったみたいですが、確かにNMBは総選挙ではパッとしないみたいです。山本4位の次に上位で出てくるのが24位白間美瑠、『歴史秘話ヒストリア』の「絵島生島事件」で主要な役を演じていました、となると主役、絵島を演じていた上西恵はと言うと、不出馬だったようです。
昨年2位だった柏木由紀が5位、昨年3位だった渡辺麻友が2位、長年上位を守ってきた二人でしたが今回は順位に明暗分かれたと言った感じ、と言うか二人とも暗かな。その割にはスピーチの印象は対照的、柏木はどこか楽観的と言うかポワ~ンとしていると言うか意欲がないと言うか、「やったるわ~!」みたいな姿勢が全然見えないんですよねえ、まあそれが彼女のいいとこなんでしょう、だからこの順位を守って来られたのかも。逆に渡辺は指原との競り合いに勝ちたいと言う気力満々にぶつかって来たのですが、今回も跳ね返されてしまいました。票数だけ見ると1位同然な数字ですが、1位の数字があまりにも天文的な数字になってしまったための2位、これはやっぱり「悔しい~!」でしょうね。ただ彼女は指原に比べるとプラスαがない感じがして、例えば前にあったドラマでは低視聴率ばかりが取り上げられたりして、AKB48を離れた場所で活躍できるのだろうかと思ってしまうんだよなあ。

8位の島崎遥香、去年は順位が下がって意気消沈気味でしたが今回はさっぱりとした表情が印象的でした。以前は「塩対応」とかで短いスピーチで徳光を困らせたこともありましたが、今の彼女の売りは「ゆとり」ですか、それも悪い意味で使う言葉ではなく、気持ちに余裕を以てと言ったところ、それが今回の少しさっぱりした印象につながっていたのだと思います。ただそのスピーチの中から出てきたのは「最後の総選挙」と言う言葉、他の何人からもこの言葉が聞かれました。AKBとしての活動は続けるものの出馬は辞退するのか、それとも卒業を考えてのことなのかは分かりませんが、今回新たに須田(7位)、児玉(9位)、向井地(13位)、岡田(14位)、高橋(15位)と選抜メンバーに入ったところを見ると、そろそろ次世代の突き上げが初期~中期メンバーにそういう気持ちに向かわせていると言う感じがしました。そんな中での松井のあと5年宣言、いつかは指原を引きずり降ろして1位を獲るという目算があって言ったことか、次世代メンバーに対しての挑戦状なのか、まあその答えは来年以降の結果によることとなるでしょう。
そんなメンバーたちを総監督として支えているのが11位の横山由依、前任の高橋みなみに比べるといまいちカリスマ性に欠ける感じがしてならないのだが、11位と言うのもまた微妙な順位、彼女はまだ10位以内に入ったことがないんですね。人気と実力が比例しないタイプかも知れないが、AKBがこの先今の勢いを維持できるかはやはり彼女の手腕によるものとなるだろう。AKBも初期のメンバーがほとんどが卒業して一時期の勢いがなくなってきたのかな、と言う印象だったが、今回の指原の票数を見る限りではしばらくはまだ総選挙は続きそうだし、名古屋、博多、大阪、新潟と続いてきた細分化が更に各地にも進んできそう。もしかしたら秋元康もその辺りを見据えて次なる手段を考えていることだろう、別にそれが楽しみと言うわけではないが、総選挙と言うイベントはやはり興味があるので横目でチラッと言う感じで見ていきたいところです。


その細分化するAKBグループの最新版NGT48から12位にランクインしたのが北原里英。他の子たちが自分の嬉しさを前面に押し出すようなスピーチだったのに比べ、彼女のスピーチではしきりに「新潟の女」をアピールして、NGTメンバーに対する熱い思いを語っていました。あれだけ言ってもらえたらそりゃメンバーも号泣するよなあ、彼女のスピーチにはそれだけNGT48の未来に対する明るい兆しみたいなものを感じました。昨年11位でランクインした時には、まだ新潟がどんな所かも分からずメンバーも皆顔を合わせていなかったわけだから、この1年でメジャーデビューが決まるところまで来たのは大したもの、その中心で頑張ってきた結果、順位はひとつ下げてしまったが12位のランクインは結果が報われた感じがして良かったです。自分(一人称)は彼女が『AKB48SHOW』で泣いた時にこの子が次期総監督になるんでは・・・と思ったのですが、意に反して新潟への移籍。左遷?いやいやそれどころか今や新潟の精神的支柱、キャプテンになるわけでもなくセンターに立つわけでもなく、後方で若い子たちを支援する、このスタンスは泣いた時に決めていたものでしょうか。今回NGT48からは兼任の柏木が5位、これは当然としても76位に加藤美南がランクイン、動き出したプロジェクトから早速結果が出ました。この先は名古屋、福岡を脅かす存在として頑張っていってほしいところです。



今回このイベントが新潟で開催されたことで結構経済効果があったとのニュースを見ました。結果発表の際には上の写真にあるような電光掲示表示のバスが走ったとのニュースもありました。この表示にはNGTからランクインした3人の名前を表示したものもあったみたいです。総選挙と言うイベントがこの先も続くとなると、このように各地で開催するというのもいいかも知れない、誘致合戦も繰り広げられたりして。例えばメジャーのオールスター、巡ってくる開催地は30球団くらいあるから30年に1度、その年の開催地の盛り上がりは凄いことらしい。まあこの総選挙が30年も続くとは思えないが、じゃんけん大会とかでも地方開催にしたら、そのご当地も経済効果が見込めて地方活性化の一端となっていくのではないだろうか。
AKBグループが各地に生まれていき、ご当地アイドルの活動も活発な今、そう言った感じで都心一局集中の流れを逆行させていくのは地方からの働きかけが必要ではないだろうか。



話は逸れてしまいますがこれもその一例ですかね、尤も東京なんて都知事が『クレヨンしんちゃん』だの習字用の何たらだのを買ったかどうかみたいなしょ~もないことを全国に晒しているような状態。今日の『真田丸』では原っぱ同然の領地を頂いてそれを日本一の町に仕上げてみせると意気込む徳川家康の姿が描かれていました。実際そうなったわけだし今や世界一と言ってもいいくらいの町にまで成長しました。それが現在ではこんな調子では、ならば地方の台頭もまた日本の価値を嵩上げさせる要因になり得ることだと思います。AKBグループにすれば近年SKE48、HKT48の台頭がまた今回、AKB48メンバーを奮い立たせて新しいメンバーを選抜に(今回9人で第一党)送り込んだ結果に結びついたのでしょう。政治家が言うだけで実際にはできないことを、形は違うとはしてもこう言った手段で形にして見せつける、それもまたAKB総選挙が今回残してくれた成果だと言えるのでは・・・ってちょっと大袈裟な話になってしまいましたか。
今回はAKBのことを年甲斐もなく熱く語ってしまいました。まあこれもいわば現代においての文化です。奈良時代には天平文化、平安、室町それぞれに文化があり、江戸時代には元禄文化と言う華やかな文化はありました。「AKBなんて・・・」と記号だけで否定する人も多いとは思いますが、ここは時代の流れの中にあるひとつの文化として、暖かい目で見守っていってあげてはどうでしょうか。次回はまた走りの記録をお送りします、それがこのブログの本流ですからね、と言うことで今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち


No.510 奈良の三条通

2016-06-19 11:47:55 | チョイ走
おはようございます。








まずは上の2枚の写真、奈良市の東向通商店街にある親愛幼稚園の正門、その横には「奈良基督教会」の看板もかかっています。去年『ブラタモリ』奈良編の放送では、タモリ氏と案内の兄ちゃんが断層に萌えて立ち止まってしまい桑子お姉さんが退屈がっていたのがこの門の向こうに見える石段の途中でした。公共の場所なので中に入ることは出来なくどんな教会かはここからは見えないですが、その建物は登録有形文化財に指定されています。


さて、今回は三条通・・・ってこの前やったばかりやろ、って言われそうですが奈良にも三条通はあるんですよ。京都の三条通に比べるとその規模は全然違いますが、奈良県民にとってはこれから紹介する通りこそが三条通なのです。では、行ってみることとしましょうか。








アーケードを抜けると右手側にあるのが南都銀行本店、ここは前に文化財巡りで紹介しました。斜め向かいには餅飯殿商店街の入口、左に進むとすぐに急な坂がありその向こうには興福寺、坂を上る手前の右側には猿沢池とこの辺りは奈良の象徴となる御馴染みの風景が繰り広げられている所。写真2枚目、この付近に並ぶお土産物屋の定番と言えば鹿のにんぎょさん、将棋の駒にペナントに、金箔の五重塔の砂時計、あったわあった、懐かしいなあ・・・って言っても最近はその様子も様変わりしているようで、何で奈良やのに新撰組やねん!そのお土産屋が並ぶすぐの所にあるのが奈良市の道路元標、奈良県各地へ伸びる道の起点となるのがこの場所である。この横にある石段を上ると三重塔、南円堂から興福寺の境内へと入って行く。一番最初にお送りした幼稚園も石段を上った所にあり興福寺もここから小高い所にあるのは、昔はここが平城京の東側の終わりの場所だったと言うのは『ブラタモリ』でも説明されていました。興福寺に関してはまた別の機会に取り上げるとして、今回はここから三条通を西へと下って行ってみることとします。









三条通にある風景をズラリと並べてみました。一昔前は車が通るのも精一杯だった通りも今はきれいに整備されて、奈良を代表する商店街として観光客を迎えてくれています。その通りには奈良の名物やお馴染みの品を売るお店が多く、中には歴史を感じる古い店舗もいくつか見かけます。写真1枚目は『ぜいたく豆本舗』、以前、登録有形文化財巡りでお送りさせてもらった所なのですが、この前久しぶりにこの前を通ったらこんなことに↓↓↓



長らく奈良の名物としてあった店が閉店していて囲いが覆われていました。ぜいたく豆の店は他の場所に移動したとのことで一安心なのですが(と言っても自分(一人称)は買ったことないけど)、建物はそのまま残されたまま、文化財の建物を捨ててしまうなんて何と言うこと・・・とも思うがこの登録有形文化財物件、この先どうなってしまうのでしょう?その斜め向かいにあるのがちょっとレトロな様式のビル、三条会館ビルという名のビルディングで、昭和初期に建てられたものらしいですが、長らくこの場所で廃墟同然にあったものが現在は店舗として再利用されているとのこと。奈良にもそのように古いものを残しておこうと言う動きがあると言うことは、ぜいたく豆の建物も残してもらえるかも、ここは期待しておきましょう。

三条通は自分(一人称)が子供の頃は一大ワンダーランドのような所だった。バスで近鉄奈良駅まで出たらまずは東向通、または小西通、マクドナルドにニチイにいそかわ、地下劇場と言う映画館もあった。そこから三条通に出ると東映の映画館、そこが閉鎖された後は友楽デプトシネマ、そこも閉鎖されて今は奈良市内に映画館なくなった・・・と言っても木津川市との境界線にはイオンシネマ高の原、大和郡山市との境界線にはシネマサンシャイン大和郡山と映画を見るには困らない所、ただ上映作品は偏りますが。そこから西へ下ってやすらぎの道との交差点の横断歩道を渡ると、その左側によく行っていた散髪屋さんがあった。当時にしては安くていつも流行っていたので、入るとまず番号札を取って漫画を読みながら待つ、昔ながらの散髪屋さんだったが今でもあるのかな・・・と思ってGoogleマップのストリートビューで見てみたら、様変わりはしているもののまだ営業はしているようだった。
更に西へと下って行くと(ここはJR奈良駅から緩やかな上りになっている)ホテルフジタ、今でこそ普通にあるビジネスホテルだが、出来た当時は奈良にこんな豪華なホテルができたのか~、なんて思ったりしたもんだった。よく行った書店も今はなくなってしまいコンビニに、上の写真にある風景はもう自分(一人称)が知っている三条通ではなくなってしまっている、その一番変わってしまったと言うか寂しくなってしまった風景が写真5枚目、ドラッグストアがある場所は昔はダイエーがあった所、奈良で遊んだ帰りはいつもダイエーによって、5Fでソフトクリームを買って4Fでレコードや本を見に行って、最後は1Fで食料品売場へ、と言うのが定番のコースだった。福岡ダイエーホークスが初めて優勝した時には1日中『いざゆけ若鷹軍団』の歌が流れていたが、そのダイエーも球団と共になくなってしまい、出来た当時は国鉄奈良駅前に象徴のような感じにあった高いビルは見る跡もなく消え去ってしまった。






県道の信号を渡るとJR奈良駅、駅前の整備されて今は一段落と言った感じです。ここでも何度か紹介した旧国鉄奈良駅駅舎、もうあまりにも有名な建物ですが、今は観光案内所としてその役割を果たしています。この駅舎は文化財登録はされていないようですが、写真3枚目にあるように近代化産業遺産に指定されているとのことで一応の箔はついているみたいです。

一度昔懐かしい話をしてしまうといろいろと思い出してしまうのは自分(一人称)が歳をとった証拠なのかも知れませんが、それを文章にしてお送りするのは自己満足だとしても何かいいもんですねえ。毎回そんな特にもならない話にお付き合いくださって申し訳ないことです。さて、前回もちょっと書いたのですが、今自分(一人称)の周辺が結構いろいろなことがありまして、ここしばらくは走りの方は自粛しているところです。まあちょうど梅雨時で走れないのもあるのですが、それが落ち着くまでは遠出はお控え、ここでのお送りもこれまでの走りの記録とドラマネタの放流となりそうです、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち