まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.581 北海道日本ハムファイターズと言うチーム

2016-09-30 08:35:27 | 日記
おはようございます。


昨日(28日)のことですが、北海道日本ハムファイターズが優勝しました。優勝したからいうわけではないのですが、パ・リーグで自分(一人称)が一番応援しているのが日本ハムです、東北楽天(E)も応援しているのですが、割合で言うたら7:2.75:0.25で日本ハム、楽天、オリックス(Bu)と言ったところでしょうか。



今年は広島(C)が25年ぶりの優勝とのことで、そのことはここでも何度か取り上げましたが自分(一人称)はやっぱりパ・リーグ派、ペナントレースの行方はずっと静かに見守っておりました。春先はソフトバンク(H)が昨年ばりの独走状態で早くも今年も決まりか・・・てな状態でしたが、そうはたやすく行かないものです、いや、広島(C)はたやすく行ったか。夏に入ってソフトバンク(H)は下降線、一方の日本ハム(F)は15連勝で一気に形勢逆転、その勢いはそのまま最後まで続き、最後の直接対決2連戦も日本ハム(F)が連勝、マジック点灯した後は順調にその数を減らして昨日の優勝へと至りました。しかし日本ハム(F)は不思議なチームだ、毎年開幕前の予想では優勝候補に名前が挙がることはほとんどない、2004年に本拠地を北海道に移して北海道日本ハムファイターズとなってからは14年間で5度のリーグ制覇、ちなみにソフトバンク(H)はこの間6度の優勝と言うことでこの2チームがパ・リーグの盟主となるはずなのですが、なぜかその座に挙げられるのはソフトバンク(H)ばかり、日本ハム(F)はどうも目立たない存在となってしまっています。


自分(一人称)が小学生の頃野球を見始めて最初にファンになったのが阪急ブレーブス、その頃の阪急(B)はパ・リーグ最強チームだったが、日本ハムは投に高橋直樹、一三、打には柏原、ミッチェルなどいて結構強いイメージがあった。それ以前は東映フライヤーズ、昔は松竹、大映など映画会社が球団を持っていた時代もあったとのこと、東映はほとんどBクラスでしたが1回だけ優勝、日本一になっています。1973年には日拓ホームフライヤーズとなり、変な7色ユニホームみたいなのがあったとのことですが球団は1年で日本ハムに身売り、その後は本拠地を後楽園球場から札幌ドームへと移して現在に至っています。




片や球界の御意見番ことハリさん、片や後のヤクルト(S)で日本一に貢献する大杉さん、凄い二人がいたんですねえ。東映フライヤーズと言うと昔ビートたけしがラジオで言っていた「ヒット4本で1点を取る野球」、選手はみんな足が遅いので2塁打性の当たりでも1塁止まりになってしまうと言うことらしい、何ともおかしな話だが張本、大杉となるとマジっぽい感じも・・・。




1981年には大沢親分の元でリーグ優勝、この頃は木田、工藤、間柴と言った地味な感じな好投手に抑えは江夏、打ではソレイタ、クルーズ、柏原、古屋と言ったところが印象に残っている。1980年代後半は自分(一人称)は近鉄バファローズのファンに、日本ハム(F)はしばらく優勝から遠ざかる時代となるが阿波野、西崎のトレンディー対決が話題に・・・となるところだがこの対決が実現したのはプロ入り3年目くらいの頃、お互い同期入団で新人王を争いエースとして君臨していたが、両投手を同じ試合にはぶつけないように示し合わせていたらしい。ちなみにこの二人は近鉄(Bu)が優勝した年から9年後の日本シリーズ、横浜ベイスターズvs西武ライオンズで対決が実現している、阿波野をずっと応援していた自分(一人称)はこの対決には胸が熱くなりました。



日本ハム(F)はこの間、高田繁、ヘボ野球の近藤貞雄、再び大沢親分、阪急(B)を日本一に導いた上田利治、NHKのメジャー中継では酔っ払い解説の大島康徳と監督が変わったが・・・あれ、もう一人誰かいたような、まあいいか・・・、優勝はできずたまに上位に来るくらいの低迷期、投では西崎、河野、グロス、岩本、高校時代は仙台育英で天理を血祭りにあげた金村など、打ではウインタース、田中幸雄、小笠原など、そうそうこの人もいましたなあ↓↓↓







チームは初めて外国人監督ヒルマンを迎え、その翌年札幌へと移転、2006年にはダルビッシュ、八木、小笠原、新庄らの活躍でリーグ優勝、クライマックスシリーズを勝って日本シリーズでは中日(D)を破って日本一。しかし新庄は引退、小笠原はFAで巨人(G)移籍、大幅な戦力ダウンを言われたのに翌年も連続優勝、これはまさかの出来事と言うか、結構衝撃的でした。日本シリーズでは中日(D)に1勝4敗、最後の試合は山井~岩瀬のリレーで完全試合を達成される有様、その後ヒルマン監督は辞任で後任はグランシャトー梨田、日本ハム(F)の勢いもここまでかと言う感じでした。



北海道にお笑いを持って行ったかと思った梨田監督でしたが、近鉄(Bu)を優勝させたのはダテではなかったと言うことかまさかの日本ハム(F)まで優勝させてしまった、これにはもうびっくりポンでした・・・って嘘よ、応援してましたから。それにしてもパ・リーグの低迷していた2チームを優勝させたなんて梨田監督ももう名監督の仲間入りやないですか、今は東北楽天(E)の監督を為されているが、これでもし2、3年後に優勝でもしようものなら、セ・リーグの関西のチームも黙ってないでしょう。この年は投はダルビッシュに勝、久の両武田投手、打では稲葉、小谷野、糸井、楽天(E)とのクライマックスシリーズで奇跡の逆転満塁サヨナラホームランを打ったスレッジなど、梨田監督はなぜかこういう劇的なホームランに縁があるみたいです。


梨田監督の後任となったのが栗山英樹氏、ヤクルト(S)がまだ90年代前半の低迷していた頃、これから強くなるだろう頃に活躍していた選手でこれからと言う時に病気で選手を引退、選手時代は教員免許を持っていると言うことで話題になりましたが、その知識のひけらかしっぷりはテレ朝の解説でももうお馴染みでした。どことなく最近よくテレビで見る予備校の先生とイメージがダブるところもありそうな・・・その栗山氏が監督に、コーチ経験もない人がいきなり監督に、しかも理屈っぽさそうな人よ、マジか、大丈夫か、ダルビッシュもいないんやで・・・と思ったらいきなり初年度にリーグ優勝、これもまさかまさかの衝撃的な出来事でした。ダルビッシュの穴を埋めたのは吉川、MVPを獲得するほどの活躍でした、打では中田、稲葉、糸井、陽岱鋼が活躍しましたが、糸井はこの後オリックス(Bs)にトレード、自分(一人称)もこれはさすがにないやろ~と思いました。いろいろと事情はあったのでしょう、田中賢介もメジャーに移籍、さすがにここは戦力ダウンが顕著に現れたのでしょう、翌年は最下位に転落、はっきり言って栗山監督もまぐれかと思いました。



そんな日本ハム(F)に彗星の如く現れたのが大谷翔平、投打の二刀流で行くのはどうかと思いましたが、今年の活躍を見るとこれはもう本物ですね、投げては凄い、打っても凄い、もうMVPは確実でしょう。彼は多分根っからの野球少年なのでしょう、エースで4番(4番ではないけど)と言う野球少年の理想を今でも貫いている、投手は投げるだけでいい、打つのはそっちで頑張ってくれ、と言った現代のプロ野球選手にあるような気持ちとは全く違うレベルでプレーしているのでしょう。将来はメジャーに行くのだろうけど、野球選手としての根っからの部分をもっと追及して頑張ってほしいと思います、多分チームもそのことを見越して次の段階のことは考えているでしょう、日本ハムファイターズとはそんなチームである。
以前その強さの秘密を特集した記事を週刊誌で読んだことがあるが、セ・リーグにある人気チームとは違って決して補強をトレードやFAで行うのではなく、一軍と二軍、北海道と鎌ヶ谷(千葉県)の垣根をなくすことでチームの力を底上げしていく、その辺りは広島(C)と似たような感じもします。主力選手がいなくなっても新しい力が次から次へと出てきてはこれまでの飢えを満たすかのように活躍していく、外から見れば戦力がダウンしたかのように見えてもチーム内では選手間同士のレギュラー争いもあってそれが戦力のアップへとつながっていく、補強に頼らないチーム作りを徹底して実践している理想的な球団である。思えば昨年も80勝近く上げているのに勝てども勝てども上が強すぎて追いつけなかった、だから今回の優勝も逆転だとかいろいろ言われているがさほど驚くよなもんではないんですよねえ、ソフトバンク(H)のような派手な強さではなく、チームが地道にコツコツと当たり前のことをやってきた結果と言ったところでしょう。さて、プロ野球はセ、パとも優勝は決まってもシーズンはまだ終わっていません、次はクライマックスシリーズ、そして日本シリーズへとつながっていくわけですが、今年はやっぱり広島(C)vs日本ハム(F)で見たいですねえ、この対決となると初めての組合せになりますが、さて、どうなることでしょうか。今回は北海道日本ハムファイターズについて、すみませんねえ、またくど長々と書いてしまいました、自分(一人称)が応援していたチームがなくなりポカンと穴が開いた所に登場した応援したくなったチームと言うことで取り上げてみました、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.580 赤と緑の交響曲(後編)

2016-09-28 11:15:02 | 
おはようございます。
















前回に引き続き明日香村の彼岸花が咲く風景の写真を並べています。「赤と緑の交響曲」なんてカッコつけたタイトルをつけていますが、稲渕の棚田の中はもう曲もクライマックスと言う感じです、そろそろその季節も終わりを向かえようとしているのですが、散りゆく前の儚さを備えた花がもうひと頑張りと咲いている様子もまた乙哉と言ったところでしょうか。ちなみにこのタイトルはもうお分かりだと思いますが、近鉄南大阪線に新たに登場した特急『青の交響曲』を捩りました。













この季節になるとお約束のように咲く彼岸花、その姿形、「曼珠沙華」と言う名前から受ける印象として、どことなく仏教に通じる感覚も、お彼岸と言うお墓参りの時期に咲くこともあってどうも異界を思わせる雰囲気を持った花と言う感じがします。花には毒があって、子供の頃はこの花が怖くて仕方なかった記憶もある、天理に住んでいた頃はよく近道で畦道を歩いたりしていたが、彼岸花が咲くと触るだけで死んでしまうとか言われたことがあって、花の咲いている場所を避けたり飛び越えたりしながら歩いたっけ。今でもその時の怖さの記憶は残っている、特に自分(一人称)は神とか仏とか言ったものに畏れがあるので、この花には特に背筋に寒気が走るような感覚を持ってしまう・・・と言うのにこんなにしつこくも写真を撮ると言うのはどういうことやねん?と言われそうですが、何ででしょうかねえ、自分(一人称)でもよく分かりません。分かっているのは近づくくらいなら毒も飛ばないし死にもしないと言うこと、命が捕られるわけではないと分かればなんぼでも写真に撮ることはできます。










明日香村を後にして、少し走ろうと思って高取町の方まで足を伸ばしました。ここも山里の風景が広がっていて至る所で田んぼに咲く彼岸花の姿を見ることができました。多分今年の彼岸花はこれで終わりだろうな、でもこの時期の明日香来訪はもうお約束となっているので来年もまた来ることとなるでしょう。そんなわけで今年の彼岸花の風景はここまでとしておきましょう、あとはまたどこか走った先で遅咲きの彼岸花を見ることができるかも・・・


赤と緑の交響曲・明日香村


フォトチャンネルは前回と今回の写真を改めてまとめています。上で見たやつといっしょやないか、とそんなこと言わずに、もし良かったらこちらも見てやってください。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.579 出発!ローカル線聞きこみ発見旅 (2)

2016-09-28 08:18:53 | 日記
おはようございます。


昨日(26日)の『出発!ローカル線聞きこみ発見旅』は近鉄南大阪線と言うことで、大阪府との抱き合わせになりましたが初めて、前の『聞きこみ!ローカル線 気まぐれ下車の旅』から通して2年半でやっと奈良県に来てくれました。長年鉄道のなかった沖縄県でさえモノレールでの旅があっただけに、何でここまで奈良県は無視されんねん!てな感じでしたがやっと来てくれたと言うことで、録画とは言えちょっとテンション高めで見させてもらいました。




旅人は河相我聞と片岡安祐美、河相我聞は聞きこみは初めて、ドラマ『みにくいアヒルの子』での病弱な先生役の印象が残っている。片岡安祐美は通算3回目で前回は確か江ノ電を聞き込みに行っていました、この番組は手慣れたものと言う感じでしょう、しかし今回の下車駅は河相我聞が選択したと言うこと、果たしてこれはどうなることやら・・・と言うことで阿部野橋を出発したのですが、初日は何か凄い雨で波乱含みを予想させる感じのスタートとなりました。








初日、下車した駅は上の写真の今川駅、布忍駅、河内松原駅、道明寺駅、古市駅の5駅、寄ってほしい駅はいろいろとあったんですけどねえ、特に藤井寺駅、だれか藤井寺球場跡教えてくれるかなと期待したのですが、下車駅に選ばれませんでした。道明寺駅は下りた瞬間ダメだ!みたいなリアクションしてましたが、あれは雨で人がいなかったからでしょう、大河ドラマ関連でこの付近も大坂の陣の戦地になったとの説明の看板があり、駅前から細い道を入るとそこは商店街、そこを抜けると駅名にもなっている道明寺へとたどり着きます、決してがっくりするような駅ではなかったんですけど。古市駅では宿探しでしたが案の定付近では宿は見つからず、いくつか当たってみたが最後は苦肉の策と言う感じで駅から結構遠くの宿を聞き込んでいたが、その宿、南天苑は前に南海高野線を聞き込みで行った時に名所登録された宿と言うことで、違う路線で二つ目の名所登録ってあったかな・・・前に群馬の方でなんかあったような気もするのだが、どうやったかなあ?








翌日は古市駅に戻っていよいよ奈良県へと突入、奈良県では二上神社口駅、高田市駅、坊城駅と下車して最後、終点の橿原神宮前駅へとたどり着きました。できれば初日に奈良に入ってもっといろいろと巡ってほしかったのですが、まあそれは今更言っても仕方ないこと、初めての奈良県と言うことでまあ良しとしておきましょう。当麻寺、磐城、尺土辺りなら結構いろいろと見所もあったと思うのですがそこはスルー、高田市駅は画像検索したら写真2枚目にある昔の古い駅の写真が出てきたので貼っておきました、この時はまだ地上なんやなあ、今はこの路線では県唯一の高架駅です。しかし坊城駅は冒険やったと思ったが、案の定名所登録できずでした、聞く人誰もが『だんご庄』の名前を上げていた辺りが奈良県民のボキャブラリーのなさだと思ったが、これも仕方ないところでしょう。

太古の昔より変わらぬ山々、明治より変わらぬ太味のだんご庄、大和にだんご庄あり、昔も今もだんご庄

と言うナレーションは奈良テレビのCMでもお馴染み、そりゃ誰もが紹介したくなるものですが、そんなときに限って休みと言うのは平日にロケを行っているこの番組の宿命と言ったところです、毎回1回はそんなシーン出てくるもんね。

それにしても河相我聞のマイペースっぷりと言うかグダグダさはなかなかなものでした、パートナーの片岡安祐美もイライラして時には声を張り上げたりしていたが、あれだけグダグダだとそうも言いたくなるわ。男は女性の前ではカッコよく決めたいもので我聞もそう行きたかったみたいですが、片岡が野球チームの監督と言うこともあってか生来の仕切体質みたいで、やっぱり喰われてしまった感じでした。しかし坊城駅での名所登録をスッパリとあきらめて最後の駅までで3つも残すと言うのは多分初めてなことだったでしょう、これはアカンやろ、とも思ったのですが最後はやはり片岡の頑張りで10個の名所登録に成功、まあ何とかなるものです。橿原神宮前駅は近くに名所が多いから良かったと言うのもあるでしょう、その辺りは粟生駅や備後落合駅とは違ったとも言えるでしょう、でもせっかく橿原まで来たのなら、もっと早くに着いて何とか明日香村まで行ってほしかったなあ、その辺りは今度は近鉄吉野線でと期待したいところですが、近鉄もそう立て続けにロケはできないだろうからあまり期待はできないか・・・となるとやっぱり次の奈良県はJR万葉まほろば線でお願いしたいところです。河相我聞ももし次回があるなら今回のようなきつい女性ではなく、もっとカッコええところを見せられるような人と組んで再びチャレンジさせてあげてほしい、片岡安祐美については・・・まあどうでもいいですか、できれば次はスイーツ的場辺りと組ませて波乱万丈な旅でも見せてほしいところです。






2年間『聞き込みローカル線~』としてやって来た番組が今年の春に『出発!ローカル線~』へと模様替え、その中で一番大きく変わったルールが旅人があらかじめ下車する駅と時間を決めて、その行程通りに旅を行うというもの。多分ロケに厳しいと言われるJR路線をもっと取り上げたいための対策でそうなったと思うが、最初はそのルールのせいで番組の魅力が半減したような気がした。しかしこのルールができたおかげで長い路線を行けるようになったのは良かったと思う、JR三江線や姫新線などノープランで行ったら本数は少ないし下車駅を刻んでいったりしたら終点にたどり着かないことにもなりかねない。ここまでの乗車リストを見ても長距離ばかりで、そうなるとJR万葉まほろば線ではちょっと短いんだよなあ、もしやるとなったらJR和歌山線と抱き合わせとか、距離が短い路線ばかりの奈良県にとってはこの辺りはちょっと条件が不利なところです、でも再び奈良県に来てくれることを願って次を待つことにしましょう。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち



No.578 赤と緑の交響曲(前編)

2016-09-27 08:38:52 | 
おはようございます。


先週の土曜日に放送された『ローカル路線バス乗継の旅』、大阪、京都の人には申し訳ないのですが奈良テレビでは今回もリアルタイムでの放送とのことで、楽しんで見させてもらいました。時間によっては『ブラタモリ』と重なるから両方見なければならなくて忙しかったのですが、『ブラタモリ』の方は広島がテーマと言うことで、カープに路面電車も織り込んでなかなか興味深い内容。バス旅の方は太川、蛭子のお馴染みのやりとりにマドンナを加えての珍道中、今回のマドンナは熊切あさ美と言うことで、この人も何かいろいろとお騒がせな人ですが、名コンビの二人に負けず劣らずの存在感で頑張っていました。関西では見られない人の方が多いからその内容を話すわけにいかないのがつらいところ、それよりもテレビ東京さん、そろそろ奈良県を通るルートも考えてくれませんかねえ、このところ『こころ旅』『出発!ローカル線聞きこみ発見旅』と奈良県が取り上げられていてちょっと流れが来ている感じもするので、次回辺り来てくれないでしょうかねえ、例えば前回の天橋立から南へ下ってくるルートとか、奈良からスタートするルートでも・・・
















雨、雨、台風と天気に悩まされ続けた9月の休日、前回馬見丘陵公園へと走った時はそんな天気の隙を見計らうような感じで勝負をかけて何とかうまく行ったのですが、22日の祝日が多分明日香村の彼岸花を見るのが最後のチャンスだと思い、雨はチラチラと降っていたのですが強行で走りました。案の定途中では雨に降られて雨宿りをしなければならない時もあったのですが、明日香村に着いた時には時折雲の間から太陽が見えるくらいにまで回復しました。その天気の変わり具合が今回はいい演出をしてくれたと思います、彼岸花の見頃はもう終盤と言う感じでしたが、滴を湛えて陽の光を受けた姿もなかなかいいものでした。明日香の中心部に入ると一面黄緑色に広がった稲穂のスクリーンと、それをバックに列を為し咲き誇る彼岸花、これが見たかったんだよなあ。もう何度も同じ風景は見たことがあったし、時には飽きるほど写真を撮りまくったこともあったが、この時期になるとやっぱり見たくなってしまう、この景色・・・ああ、くどくどした文章など要りませんね、引き続き写真を並べていきます↓↓↓













今回も稲渕の棚田へ、もう御存知の通り今年も案山子たちが愛嬌をふりまいて畦道を飾っています。その風景についてはまた別の機会にお送りすることとして、ここでも赤と緑の共演、案山子も見たいし風景も見たい、ここではカメラもフル稼働です。見た感じでは少し色が褪せてきてもう見頃は終わりかな・・・と言う感じの花もありましたが、それも含めてこの風景には四角い枠に撮っておきたいところ、時には花にグゥ~ンと近づいて写したり、地面に低く構えて花を下の方から撮ったり、もうしたい放題させてもらいました。








棚田に一面、まるで赤い絨毯のごとく咲く花に、道行く人は皆カメラを向けています。自分(一人称)も今回はこの案山子ロードは相棒を駐輪場に置いて歩いて巡ったのですが、その歩みはもうカメさん並です、いや、最後の写真にあるカマキリ並と言った感じでしょうか、このカマキリさん、道の真ん中に突っ立っていたのですがこんな所にいたら踏んづけられてしまいますよ。そんなわけでお送りしてきた赤と緑の交響曲、撮りためた写真はまだまだあるので次回、旬なうちに後編をお送りしたいと思います。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.577 二つの阪奈越え

2016-09-26 09:50:05 | 旅行記
おはようございます。


今年の夏の走りはほとんどどこへ行くこともできず何とも淋しいものになってしまったのですが、盆休み中に走った2回は両方とも大阪府への山越え、それぞれ阪奈越えと清滝越えで大阪へと入りました。今回はその二つの山越えの記録をお伝えしてみようと思います。夏の暑さ真っ盛りの頃と言うことで、走りのお供はもちろん夏の甲子園です。









ならやま大通りから生駒市へ、山へと入って行く手前で大阪府四條畷市へと入る、奈良県民としては山を越える前に大阪府に入るのはどうも違和感があって仕方ないが、写真1枚目にある場所はもう四條畷市である。この日は初めての「山の日」と言うことで、敬意を払って生駒山をカシャリ、しかし前の田園風景の方がメインになった感じで山は控えめになってしまいました。写真2枚目にある所から上りの始まり、山上りと言っても風景はほとんどがニュータウンの住宅地、途中のコンビニで休憩をはさみその後は急な坂道を自分(一人称)のペースを保って進んで行く。吹き出す汗を気にすることもなく、せっせせっせと上って行って、左手に阪奈道路、ちょっと怪しいラブホテル、教会が見えるとこの上りもやっと終点、やがて道は阪奈道路の一番高い所で阪奈道路へと合流する。







一旦少しだけ上りがあり、京阪バス生駒山上口バス停を過ぎるとここからは一気の下りとなる。結構急でカーブもあるのでここは気をつけて行かなければならない所、それにしても奈良方面行き車線は上の写真を見ていただいても分かる通りの渋滞具合、奈良に向かう人が多いのは嬉しいことだ。自分(一人称)はいつも写真2枚目にある龍間交差点で信号を渡って旧街道へと入る、少し薄暗い森の中の急な坂道を下って行くと再び阪奈道路に合流、ここは反対車線なので狭いほどをソロリソロリと下って行く。奈良方面は相変わらずの渋滞でほとんど進んでいない、運転者もイライラが募っているんだろうな、自分(一人称)はそれを横目にスイスイと山下り、途中で阪奈道路から分かれて旧道へと入って行く。







旧道の下りは結構急でカーブの連続、たまに車が上って来るので気をつけて行かなければならない。そのうち景色が開けて大阪の町を一望できる所へと差し掛かるが、下りの怖さが先立っているので余裕を持ってみることができない。下りは旧道の最後のところで一番急な所を過ぎて再び阪奈道路の上り車線と交差する所へと出る、ここまで来ると下りは落ち着くので本当にひとつ山を越えたと言う気分になる。道路を渡ると旧街道の雰囲気を漂わせている町並が軒をなす狭い通りの中を走って行くが、その道が古堤街道でこの先大阪市内の京橋まで続いているのは前にもここで紹介したことがあります。上の写真はその街道風景の中で見つけた夏を代表する花の写真、山の中腹辺りは暑さも一段落する所なので、花々も御機嫌そうに咲いていました。








こちらは日も改まって2度目の山越え、今回は清滝越えです。国道163号線北田原大橋交差点、ここが奈良県と大阪府の境界線となっている、ここから国道163号線を西へと向かって、霊園のある所で旧道となった上り坂へと入って行く。ここは結構な急坂だが、国道163号線の新道ができたおかげで車がほとんど走らなくなったので、後から煽られることなく上れるのがありがたい。急で長い上り坂、本来の国道ではトンネルに入る所までだったがこちらの道はその入口を横目に更に上って行く・・・とこの辺りで相棒の調子がおかしくなった、前にも書きましたが前のギアとチェーンの目が合ってないため度々ギア飛びがあったのですが、この上りで無理をさせたせいか上りの途中で2度チェーンが外れてしまった。ギアを最低にまで落として何とか写真2枚目、清滝峠の最高点までやって来た、ここからは一気の下りとなるが、下りこそ怖さがつきまとってくるもの、ここはゆっくり慎重に坂道を下って行くことにする。







峠を過ぎての下り坂も結構急だが、この坂を自転車で上って奈良方面へ向かおうとしている人がいる、この夏の暑い日差しの下よくやるものだと思うが、その人たちにとってはそれが楽しいことなんだろう。坂をまだまだ下って、途中の楠公里交差点から旧街道の方へと入る、この道は車も通れないほどの細い道、そしてここも急な下り坂である。上りではギア飛びがひどかった相棒君も下りでは何とか持ち直してくれた感じ、この後も無事に走り抜けてほしいところだがどうなることか・・・この記録についてはまた後日のお伝えとして、坂を下り終えてたどり着いたのは最後の写真にある清滝街道と東高野街道が交わる所。2日前の走りでは阪奈越えの後東高野街道を北へと向かいましたが、今回の走りでは清滝街道を真っ直ぐと門真市の方へと向かって行くことに、この二つの走りについてはまた追々と伝えてくことにして、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち