まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1282 再訪、古市古墳群(3)

2020-02-26 09:55:27 | 文化財
よろしくお願いします。













古市古墳群再来訪、いよいよその中心部へと差し掛かって行きます、前に来た時には古市駅前の案内所でもらったパンフレットを基にして進んだわけですが、今回は地図サイトの印を頼りに進んでいます。この先も前回は巡ることができなかった小さな古墳も拾い上げて行きたいところです、早速行ってみることとしましょう。
前回・・・今回の走りの前回の枠で、のこと、ややこしい書き方でごめんなさい・・・の最後に訪れたのは仁賢天皇陵、そこから竹内街道を古市方面に戻って峰塚公園へとやって来ました。公園に入った所にお濠に囲まれた古墳があり、公園を奥に進んで行くと丘がありその上にも古墳がある。ここは徒歩で山を上って行ってその丘にある小口山古墳へ、ぽっかりとした円墳で小さな四角の穴がちょっと不気味そう、まあこの中には遺体や副葬品が納められていたわけだからそう感じるのも不思議ではない。この古墳のある丘一帯が公園として市民の憩いの場となっているので、史跡の扱いはされていないみたいです。


















次に訪れたのは堺方面から続いている外環が北へと方向を変える所にある野中宮山古墳、町の中にあってお濠に囲まれた大きな前方後円墳。古墳の裏に回ると公園があり古墳の裾になる所には写真3枚目にあるように薬師堂が建っている、ここも市民の憩いの場となっている感じ、このエリアの中では世界遺産にも国の史跡にも指定されていない古墳の中では一番大きな古墳となっている。ここからは旧街道の雰囲気を感じる狭い道を通って次の浄元寺山古墳、更にその向こう側にある墓山古墳へと至る。古墳に墓の字が付く名前は何かおかしな感じ、お濠に囲まれた大きな前方後円墳はこのエリアの古墳の中では5番目の大きさでもちろん世界遺産に登録されている、上位4つは天皇陵だがここは応神天皇陵の陪塚となっている。
墓山古墳からは近鉄古市駅近くの住宅地の中へと入って行く、この日は祭りの日で各所でだんじりが出ていて町は賑わっているが、至る所に警備員がいて少し走りにくさを感じていた。住宅が入り組んだ町中は尚更で、警備員の人があちらこちらと誘導するからなかなか目的地へとたどり着けない。そんな町中を縫うように進んでたどり着いたのが西馬塚古墳、柵には囲まれてなくて剥き出しの姿は上られ放題と言う感じだが、ここも応神天皇陵の陪塚で世界遺産となっている。その後は一瞬だけ国道へと抜けて、これも応神天皇陵の陪塚に当たる向墓山古墳、更にさっき訪れた墓山古墳の正面側へと至る。さすがに2回目となると前回の覚えもあるので順調に古墳も見つけられる、この後も更にこの調子で行きたいところだ。















次に訪れたのは野中古墳、見た感じではぽっかりとした小さな丘だが出土品には国の重要文化財もあると言うことで、ここも世界遺産に登録されている。再び国道170号線に出ると進行方向右手側には応神天皇陵、さっきは全容を眺めることができなかった日本では2番目の大きさの古墳も、この位置からだとその大きさも実感できる。その後は外環を堺方面へと入って、さっき訪れた野中宮山古墳前を通り過ぎると交差点の向こうに古墳が見えてくる、しかしそこは後回しにして次の目指すべく古墳へ。野中交差点を過ぎて外環を少しだけ進んだ先で左へと折れる、何気ない住宅地の中を進んで行くと駐車場の所にポコッとした緑の丘、その頂には木が1本だけ、波平さんの髪の毛のように立っている。稲荷塚古墳、ちょっとお粗末な感じの古墳だが、それでも国の史跡に指定されていて存在感を保っているかのよう。折り返してさっき通り過ぎた野中交差点の向こうに見えたはざみ山古墳へ、ここは世界遺産だがお濠の水は枯れていて、そばを車がビュンビュンと通り過ぎる所にあるから排気ガスに毒された感じ、少し荒れた印象が残った古墳でした。とりあえず近鉄古市駅付近の古墳巡りはここまで、この後は藤井寺市に入っての古墳巡り、更に別の日に訪れた時の古墳巡りの記録もお送りしていこうと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち




No.1281 新シリーズ、水道施設巡り・・・奈良市平城ニュータウン方面

2020-02-25 09:52:38 | ふうけい
よろしくお願いします。










昨年の冬に学園前界隈を走った時に撮ったあやめ池配水塔の写真です、今はもう閉鎖されているとのことで撤去も近いようです。ニュータウンを走っているとたまにこんな感じで大きな貯水槽を見かけることがあります、これまでは何気なくやり過ごしていた水道施設も気になり出したら突き詰めたくなってきました。と言うことでいろいろと巡ってみることとしたのですが・・・










まずやって来たのは奈良坂界隈、町へと至る上り坂の途中にあるのが写真1枚目~3枚目にある計量器室、赤煉瓦の歴史を感じる建物です。町並の中を進んで行くと小さなお地蔵様が4体並ぶ所に門がありその奥に貯水槽が見える、でもここからだと木の陰になって全容が見えないなあ・・・と言うことで並行する県道の方へと出る、裏側になるがここからだと丸いドーム様の屋根が2つ並んでいるのが見えた。ここまでまずは順調に2つの施設を巡ることができた、次は高の原へと向かうことに、地図サイトで検索するといくつか印がついている、と言うことで行ってみることとしましょう。













ならやま大通りから左京ニュータウンへ、高の原駅へと続く上り坂を進んで行くと奈良市と木津川市の境界にある交差点の北側に大きな配水池が建っている。交差点の北側にあるから木津川市に属していることになるが、写真を撮っているのは奈良県側から、高の原は2つの府県の間で微妙な場所に位置している。近鉄高の原駅から兜台ニュータウン方面へ・・・ここは京都府木津川市・・・と至る上り坂を進んで途中で右に折れると、住宅地の中に貯水池が2つ見えてくる。2つの施設が並ぶようにしてあるのは何とも不経済な気もするが、2つの配水池の間には境界線があって、写真3枚目、4枚目にあるのは木津川市、写真5枚目、6枚目にあるのは精華町に位置している、確かに壁面にあるマークが違うのがはっきりと見えている。府道へと戻って今度は南側へ、ここではもう奈良県の神功ニュータウンに入っている、住宅地の中をすり抜けて行くとそれらしい建物が見えてきたが、道が坂道になっていて丘の上の建物ははっきりと見ることができない。住宅地を回り込むように進んで何とか施設を捉えることができたが、近くからとなると全容はなかなか分かりにくい、と思って少し離れた所から狙おうと思ったがどこに行っても住宅が邪魔してその姿を見せてはくれない、仕方ない、今回はこれくらいにしといたるわ・・・















ならやま大通りを走っていて松陽台付近でチラッとタンクの姿が見えたのでそちらへ緩やかな上りを進んで行ってみると、登美ヶ丘ポンプ場とある施設へとたどり着いた。ここは地図サイトでは印がついていなかった所、検索では「配水池」「貯水槽」「ポンプ」「配水塔」などいろいろなキーワードを入力してみるが、なかな地図では印がついてくれない。そうなるともう後は自分(一人称)の目と記憶を頼りにしていかなければならない。その記憶に引っ掛かったのがここから東へ行った所、登美ヶ丘3丁目のバス停の近くにある配水池、写真5枚目~8枚目にある施設がそれだが近くに来るとなぜか姿が捉えにくくなる。周辺をぐるり1周してもなかなか姿を捉えることができず、結局バス停から少し離れた所から撮ったのが一番姿が見えたくらいだった。ちょっと消化不良気味な気持ちでならやま大通りを東へと進んで行くと、丘陵地の住宅地に配水池の姿がいくつか見えた、どれも見覚えのあるもの、と思ったら先のゾーンでお送りしたものばかり、遠く離れた所からの方が良く見えると言うのも何とも皮肉な感じだ・・・。さて、そんなわけでまたまた新しいテーマでの巡りを始めることとなりました、まあ今回のように配水池に限らず、水道の施設をいろいろと巡ってみようと思っているのですが、果たしてこのシリーズ、定着するんでしょうかねえ、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち




No.1280 お地蔵様で町巡り・・・新春は吹田市、豊中市へ

2020-02-24 22:31:12 | まち
よろしくお願いします。














正月3日、と言うことは箱根駅伝の復路の日です、ここ数年は箱根駅伝を聞きながらの走りが続いているのですが今年もそうなりました。復路の日に走りに行ったのは大阪方面、前日は大津までは走ったのですがその疲れも全くなく、朝7時過ぎに自宅を出発、生駒から国道168号線、交野市、寝屋川市を経由して守口市へと入る。豊郷大橋で淀川を渡り阪急上新庄駅前を通り過ぎて、その後は神崎川を渡って吹田市へと至ります、それにしてもここまでほとんど写真を撮ることはなかった、風景的にもあまり惹かれるものがないところなんだよねえ、さあ、こっからネタを拾い上げることができるんでしょうか・・・。
と言うことでまず吹田市で撮った写真を並べたのですが、まあ寺院や地蔵堂、町並くらいでは全く吹田市と言うのが分からない感じです。実は今回の走りの目的は万葉歌碑巡り、吹田市、そしてこの後行く豊中市にはいくつか万葉歌碑があるとのことで走りに行ったのですが、どうもそれ以外となるとネタを拾い上げることができません。しかも阪急吹田駅では場所を間違えて駅の東から西へほんの数メートル行くだけなのに、なぜか迷路のような住宅地の中を迷子になりながらやっとたどり着く有様、後で知ったのですが地下道を渡るとすぐに行けるんだよね、地元民と違うから分からへんわ、そんなん・・・。















住宅地の中にある万葉歌碑を巡って住宅地の中を迷いに迷いながら通り抜けて阪急豊津駅へ、ここまで来たらやっぱり阪急電車は撮っておきたいと思い、線路沿いのカーブになっている道へと入る。昔はここよく通っていたなあ、豊津駅を出ると阪急電車は急カーブをゆっくり進むんですよね、それが次の関大前駅で下りる者にとってはもどかしいこと。それは今も変わってなくてカメラを構えて待っていると電車がゆっくりと通り過ぎて行った、マルーン一色の車体はいつ見てもきれいやな~っていつも言っていることですが、久しぶりに見るともうその感想しかないんだよなあ、もし時間があったらまたあの場所に行ってみることとするか。
さて、次の万葉歌碑がある垂水神社へと向かうが、スマホの平面の地図サイトでは高低差がつかめない。目的地に印をつけてその場所を目指して住宅地の急坂を上って行くがそちらは見当違い、一旦坂を下りて平坦な所を進んで行くと簡単に神社にたどり着くことができた.3日と言っても初詣の人は多く、神殿前には列ができている、でも自分(一人称)は参拝などそっちのけで境内をあちらこちらと歩き回る。写真には神社でもお地蔵様、「垂水」の語源は水が垂れると言うことで滝もある、一番下の写真には「ツクヨミの池」、ツクヨミとは月の神と言うことだがなぜか仮面ライダーに出てくる女の子を思い出してしまった。




















吹田市、豊中市は小高い所にある新興住宅地、アップダウンが多く住宅が入り組んで立っているため眺望もなく、何度と道に迷ってしまった。万葉歌碑巡り最後の目的地、豊中不動尊を訪れた後は都心へと戻るために国道176号線へ、しかしそこに至るまでがまた大変、知らない道を右へ左へ半信半疑で進みながら、やっと前に見たことのある阪急豊中駅付近へとたどり着く。ここまでくればもう大丈夫、ちょっと寄り道、豊中球場跡へと寄った後は国道176号線と旧能勢街道を混ぜ混ぜに進みながら大阪市を目指す。上に並べた写真はその道中で撮った寺院やお地蔵様、いつものようにどこがどうとか言う説明はなしですが、さすがに旧街道はネタに困ることなく進むことができました。阪急十三駅前を過ぎると十三大橋へ、目前には空中庭園の大きなビルがそびえている、日差しはまあまああるが風はきつくて寒い、久しぶりに来たのだからここで阪急電車の写真を撮って行くことにしよう。その写真については・・・また機会を見つけてお送りするとしましょうか、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。         まちみち




No.1279 お地蔵様で平城京巡り(2)・・・佐保佐紀路

2020-02-21 11:22:37 | 
よろしくお願いします。
















今回はお地蔵様で平城京巡りの第2回目、佐保佐紀周辺と都からはちょっとだけ外れた場所を巡りました。これまでもネタに困ったらここに行け、と言う感じで花や廃寺や古墳などをお送りしてきました、もちろんお地蔵様ともいろんなところで出会うことができました、早速行ってみることとしましょう。
写真1枚目、近鉄新大宮駅前にあるお地蔵様から巡り始めて北に向かって一条大路へ、バスが通る道を左に折れて一条高校前を通り過ぎると法華寺界隈へと入って行く。法華寺、海龍王寺を中心にして民家がひしめくようにして軒を連ねている地域、集落の中の狭い道を進んで行くと写真下3枚にある延命地蔵のお堂へとたどり着く。お堂の真ん中には大きなお地蔵様、その周りを小さなお地蔵様が取り巻くように集まって、まるで大きなお地蔵様を守っているかのよう。「延命」とあるから長寿を願うためのお地蔵様と言うのが分かる、やはり人は長く生きたいと願うもの、今日もたくさんの人が長生きを願ってお地蔵様へと訪れたのだろう。














奈良県あるあるの本で紹介されていたのが「奈良にはお地蔵様が道の真ん中にあって車の邪魔をしている」と言うもの、でもこれまで巡ってきたお地蔵様にはそう言うのはほとんど見かけなかったなあ~。しかしあるんですよ、しかも平城宮跡に近い所に2ヶ所も、確かかなり前にここで取り上げたことがあった所です。まずは近鉄西大寺駅に近い所にある二条町交差点、T字になった交差点・・・十字で北にも道が伸びているがそちらには車が入って行かない・・・のど真ん中に地蔵堂が建っている。写真を見ても分かるようにここは道が狭いうえに西大寺へと通じる道とのことで車の行き来が多い、運転手さんにしてみればちょっと忌々しいお地蔵様に見えるかも知れない。
ここから平城宮跡前を経て大極殿前の交差点を左へと曲がる、みやと通りから続くこの道は歌姫街道、ここをほぼ何も考えずに真っ直ぐ進むと自転車道に入り最終的には嵐山まで行くことができる道です。緩やかな上り坂を進んで行くと道のど真ん中にお地蔵様のお堂が現れる。なぜこんな場所にお地蔵様が・・・と思ってしまうが信心の対象になるだけに簡単に動かすわけにもいかないのでしょう、これもまた奈良の風景として残しておくのもいいでしょう。ここから先へと進むと歌姫峠、そこには大きな地蔵堂、更に北へと進むと京都府に入ってしまう、そろそろ戻ることにしよう。あれあれ、写真下2枚にあるお地蔵様、帽子を深くに被せられてお顔が見えなくなってしまっている、この日は夏の暑い日だったから熱中症予防のためでしょうか・・・















西大寺付近へと戻ってきて界隈をあちらこちらと巡って行きます、この辺りは大小の古墳が点在している所、お地蔵様もフッと木の陰から現れます。民家が入り組んだように軒を為し、車が通れないほどの狭い道が迷路のように張り巡らされている所、ここを抜けるとさっき通った歌姫街道、大きな古墳が3つ並んでいる所、見通しのいい風景の中、お地蔵様は野晒しにされていますが、それでも地元の人々の平安を穏やかなお顔つきで望んでくれているかのようです。平城京でのお地蔵様巡りはこの先もエリアを変えて続けて行きます、まあ近場ですからね、ネタに困れば都巡りってところでしょうか、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち



No.1278 太子町で古墳巡り

2020-02-19 11:05:41 | 文化財
よろしくお願いします。













今回は古墳巡り、昨秋に太子町を巡った時の記録をお伝えしていこうと思います。この時の走りは以前ここでお送りした屯鶴峰で遭難した話・・・大教大の方たちや警察にお世話をかけてしまいました、未だに情けない思いです・・・につながるのですが、太子町での古墳巡りや旧街道巡りは内容の濃いものでした、あの時の忌まわしい記憶もちょっと横に置いといて、と言う感じでお送りしていきたいと思います。
まずは近鉄国分駅で国道25号線から離れて玉手の古墳群、古市古墳巡りの時に行くことができなかった方面の古墳を巡って行く・・・ってあれあれあれ?上のゾーンに並べた写真、この辺り前にここでやりましたね。玉手の小高い丘陵地の住宅地の中にある古墳、古市古墳群を巡った時には時間がないのとニュータウンのアップダウンの連続で、一旦低い所まで下りてしまってその後また高い所に上るのに気持ちが折れてしまってスルーしてしまいました。太子町に向かうにはちょうど経路に当たるのでこの時に巡った次第です、でも西名阪に沿っての急な上り坂には骨を折られてしまいました。今回の走りは山に沿った所を行くのでこの先もアップダウンとは多く出会うことになります、こんな所で弱音を吐いている場合ではありません。













府道27号線は柏原市から南へ下り国道166号線へと至る道、進行方向左手側には二上山も見えている。この道はやがて羽曳野市へと入る、位置関係からすると柏原市から羽曳野市へは藤井寺市を通り過ぎなければならないイメージなので、こんな所でこの地名を見るとは思わなかった、羽曳野市はホントにストイックな形をした市だと思わせられる、実はほんのちょっとだけ奈良県とも接しています。途中の交差点で左へと曲がり南河内グリーンロードへと入る、田園風景が広がるアップダウンが繰り返す道を進んで行くと地図サイトに古墳の印がついている場所の近くにたどり着く。その場所へと向かう道はグリーンロードから分かれて急な坂になっている、さすがに自転車で行くのはきついと思い、相棒君を目立たない場所に止めて徒歩でその古墳へと向かう。急な坂道だが車が多いのはこの先に霊園やグラウンドがあるから、しばらく歩くとそのグラウンドへとたどり着く、賑やかな声が飛び交うその先に目指すべく大谷古墳群があった。小高い丘を上るとポコッとした小さな丘が3つほど並んでいる、それぞれが〇号古墳と名付けられていて、それぞれの古墳には説明板も備えられている。側にあるグラウンドでは子供たちの声が響いている、そんな子供たちにはまだまだこの古墳群は興味の外側と言った感じ、いつかは地元の楽しい思いをした場所の近くにはこんな隠れた名所があるのだと言うことを知ってほしいところです。



















太子町では3つの天皇陵を巡りますが、町名からも分かるようにここは聖徳太子に所縁のある地、その所縁のある人の古墳を巡って行くこととなります。まずは用明天皇陵、聖徳太子の霊廟がある叡福寺から東へ、上り坂を進んで行くと太子町の中心部へと差し掛かって行く。その途中に写真1枚目にある道標が立っていて道を入って行った先に天皇陵が現れる、用明天皇は31代天皇と言うことなので都巡りではまだお伝えしていないことになります、聖徳太子の父と言うことでもよく知られている人物です。ここから更に南へ、中心部から離れるとすぐに田園風景が広がる所となる、その集落から外れた所にあるのが推古天皇陵、もうここでも何度か取り上げたことのある、そしてこの先取り上げることにもなる33代、日本で初めての女性天皇です。奈良に所縁のある人だと思っていたので、墓がここにあるのがちょっと悔しい気もしますね、この地が太子町と町名がそのまま、ただなぜここが聖徳太子の所縁の地なのかはwikiでは記されていませんでした。太子町には日本初の官道となる竹内街道が通っていて、東にある山を越えると奈良へと行くことができる、聖徳太子もここを通って奈良と大阪を行き来していたのだろうか。この項最後に訪れたのが孝謙天皇陵、古墳は旧竹内街道に面した上り坂の途中にある。混乱の中にあった平城京の時代に46代、48代と2度に渡って天皇の座に就いた女性、この名前については以前ちょこっとだけ取り上げたことがありました。3つの天皇陵のうち2つが女性天皇の墓、この時代には何人かの女性がその座についていますが、今こそ女性天皇について考えなければならない時だと思うんですけどね・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち