まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1768 過去旅シリーズ・・・旧東海道伊勢路

2022-05-31 09:09:04 | みち
よろしくお願いします。

















今回は旧東海道三重県内部分を走った記録をお送りしていきます、2017年5月だからちょうど丸5年前の記録となります。この時は愛知県の弥冨から愛西市で木曽三川を渡り、その後は輪中の町を進んで長島へ、桑名へと戻った後は東海道を亀山まで走りました、かなり前に過去旅で船頭平閘門を取り上げたことがありましたが、その続きの走りと言うことになります。旧東海道はそれまでにも何度か走っているが、逆に言えばこれ以来走っていない、その5年の間にこの地域を訪れたのは2019年の近鉄名古屋線各駅巡りの時、その時に部分的に東海道を走っていたかも知れないが、こうして過去旅の写真を見るとまたまた旅の虫は泣き始めてきますね~。まあまた近いうちに三重県を旅する機会はあると思いますが、そやなあ~、そろそろ一句ひねりに行くこととするかね。


















桑名宿から四日市宿へ、道なら名阪に国道1号線に23号線、鉄道なら近鉄名古屋線にJR関西本線と移動には全く困らない所。その昔、交通の大動脈となっていた旧東海道もたくさんの道標や常夜灯があって、人々の往来も盛んだったと思わされる、それもそのはずでこの区間は京へ向かう人と伊勢へ向かう人で賑わっていた辺り。桑名宿は七里の渡しの到着地だったことや、名古屋方面からの街道も合流するとあって多くの旅人で賑わっていた所、そのおもてなしがその手は桑名の焼き蛤となっていたのだろう。四日市宿までは少し距離があるが、途中には間の宿と言った感じで富田の町があって、ここも昔の賑わいがそのまま現代に引き継がれている感じ。町があって田園風景があって素朴な家並みがあって、やがて三重県最大の町となる四日市へ、遠くの方には大きな煙突が並んで見えている。一時は公害の代名詞とされていた四日市のコンビナートも、今や映えのスポットとなっているのも現代の風潮と言ったところか、正直言って自分(一人称)には無機質な怪物が並んでいるようにしか見えませんけどね。

















伊勢との分岐点となる日永の追分を右側へと進むと東海道は丘陵地帯へ、鈴鹿市に差し掛かる辺りにはとんでもなく急な坂道が立ちはだかってくる。滑り止めの〇が彫られた坂道を悪戦苦闘しながら上り詰めると、その後は国道1号線にまとわりつくようにして旧街道を進んで行く。この先にある石薬師宿、庄野宿は桑名宿や四日市宿とは違って規模はぐんと小さくなっている、まあその方が旧街道の雰囲気が感じられて自分(一人称)は好きですが。鈴鹿市には先述した2つの宿場町があるが、市の中心部は鈴鹿川の南側にあって、こちら側は取り残された感じ、鉄道もそうだよな、四日市を過ぎると近鉄は賑やかな部分を走るがJR関西線は本数も減って閑散としてしまう、思うにこの辺りはやはり伊勢神宮に向かう方がメインだったと言うことか。
旅人の往来はあったもののさびれた雰囲気は否めない旧東海道は、やがてお城があった亀山へとたどり着く、城下町だったと言うことで繁栄はあったとは思われるが、旅人の思いはこの先にそびえる鈴鹿山脈に控える峠越えにあったのだろう。鉄道もJR亀山駅がJR東海とJR西日本の境界線となってしまいここを境にして扱いが全く変わってしまう、電化区間もここまででJR西日本管轄の路線は非電化、その区間が今、苦境に立たされています、この件に関しては近いうちに一枠設けて取り上げてみようと思っています。そんなわけでお送りしてきました旧東海道伊勢路、5年前の写真を並べたのですが、多分今もそんなに変わってないんだろうな~、近いうちに行ってみることとするか!今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1767 Go To 京都・・・鉄道にこだわる(前編)

2022-05-29 19:46:20 | 鉄道
よろしくお願いします。






















今回の京都への走りは鉄道にこだわったものとしました、まあ最近は神社巡りで鉄分が不足してましたからね、ここらで補充と言うことで今回の走りの記録を前後編でお送りしていこうと思います。まずは木津川自転車道、ここからは近鉄京都線とJR学研都市線を見ることができる、と言っても両方の電車が一緒に見れると言うのは滅多にないですが。少し距離があるのでここは望遠機能を使って写真を撮るのですが、この自転車道は道が狭いところにもう俺が俺が、って感じで走っている人が多くて途中で止まっていると結構迷惑がられる、写真はちょっと脇に逸れて撮らなければならない。更に先へと進んで山城大橋を過ぎてやがて木津川と近鉄京都線が交差する所へ、特急電車に汎用車両、たまに京都地下鉄のシルバーの車両が通り過ぎるここには自分(一人称)もよく電車の写真を撮りに来るのですが今回は目的ありでした。先日京都~奈良~難波間に運行が開始された観光特急『あをによし』、時間を合わせて待っていると阪急電車を真似たかのようなカラーの車両が目の前を通り過ぎて行きました。自分(一人称)がいた場所の反対側にはこの電車を待っているらしい子供たちがいて、橋の上では特急電車との共演を見せてくれた『あをによし』に嬉しそうな様子でした。

















八幡市から京滋バイパスに沿う一般道で桂川を渡って大山崎町へと入り、国道171号線の交差点にあるコンビニの前を通り過ぎて歩道橋へと入る。すぐ横には新幹線の高架があり、早速両方向からやって来た新幹線が歩道橋の横ですれ違って、あっと言う間に走り去って行ってしまった。まあ当然のことながら、その速さには唖然とするばかり、まあ奈良に住んでいてはあんなスピードで走る電車はないですからね。この間『ザワつく金曜日』で石原良純がリニア新幹線のテスト走行車両に乗っていたが、あの速さは今の新幹線の倍くらいかな。そのリニア新幹線の経路に奈良ルートが選ばれたとしても、自分(一人称)が完成までに生きてるかどうか分からない、だから今の新幹線でも見るだけで嬉しくなってしまうんですよね~。もしリニア新幹線完成までに生きていたら、『あをによし』を見て喜んでいた子供たちのように、カメラを持って写真を撮りに行きますわ。そんなわけで目の前を走り過ぎて行く新幹線、この歩道橋は昨年の正月に来ていて、こんなに間近で新幹線が見ることができるんだ~、と感動した所、あの時はまたすぐに来ようと思っていたのが、結局1年以上も空いてしまいました。今回は鉄道にこだわる巡りと言うことで、ここでたっぷりと時間をとって写真も撮って、差し込む陽光に熱くなった歩道橋の手すりは長くもたれていると火傷しそうで少し苦戦しましたが。













大山崎町のコンビニで小休止、目の前には新幹線の高架があり列車がひっきりなしに通過して行きます。その後は西国街道へと入りJR山崎駅前を過ぎて一旦京都府とはお別れ、大阪府に入って最初の踏切となるサントリー山崎蒸留所前の踏切へとたどり着く。観光名所と言っても付近は住宅地が多くあってたくさんの人が通り過ぎる踏切、しかし東海道本線も新快速から特急車両、貨物列車までいろいろな電車が通り過ぎて、なかなか遮断機が開かないことも。とりあえずその時間を狙って走り過ぎる列車を写真に収めたのですが、どうも通り過ぎる人たちの目が気になってしまうなあ。そんなわけで落ち着いて電車が取れる場所は・・・と地図を見てみると、東海道線の北側に通っている道があるんですね。この道沿いなら電車が見られそうな場所がありそう、と思って進んで行くと東海道線がよく見える場所・・・そこは再び京都府に戻っている・・・がありました。ただしそこは普通の道の真ん中で車も人も通る所、いくら端っこと言ってもそこに陣取るのは邪魔になるし危ないので、その道をもう少し先の方へと進んで行く。上り坂を行くと山崎聖天の上り口へ、その向かいにある場所で・・・っとここからの話はまた次回としておきましょう、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1766 全然楽しくない神社巡り・・・大和郡山市編(1)

2022-05-25 10:17:00 | 文化財
よろしくお願いします。









【27】柳澤神社(城内町) 祭神・・・柳沢吉保






【28】大職冠鎌足神社(南郡山町) 祭神・・・藤原鎌足 以前都巡りで来訪

さて、ただいま絶好調の神社巡りです、休日は外へ出れば神社に立ち寄って写真を撮っての繰り返し、この前はついに奈良県を出て木津川、精華、京田辺方面まで遠征してきました。一時期目的を失っていた巡りもまたまたここに来て火が点いた感じですが、今度はここでのお送りが滞ってしまいそうです・・・、まあそれは気にせず今回分、進めていきましょう。
ここまでの3回は奈良市での巡りでしたが今回は大和郡山編、市の中心部にある神社を巡って行きます。【27】は大和郡山城の展望台の手前にある神社、と言っても城の敷地内に鳥居と本殿があるので間借り感がしてならない。柳沢吉保と言うと大河ドラマ『元禄繚乱』では悪役、黒幕として描かれていました、ただ、柳澤家が郡山を所縁の地とするのは嫡男の柳澤吉里の時代からと言うことで柳沢吉保とは直接の関係はないとのこと、柳沢吉保自体は甲府の人だったとのことで、この神社名はちょっと誤解されそうな感じですね。













【29】薬園八幡神社(材木町) 祭神・・・誉田別命、息長帯比売命 以前小寺院巡りで来訪






【30】源九郎稲荷神社(洞泉寺町) 祭神・・・宇迦之御魂神 以前大和な雛祭りで来訪

【30】の神社名でピン!と浮かばないですかね、源の九郎と言うとつい前回の放送でしたね、菅田将暉がやってたあの人物を所縁としている神社です。ただ源義経との直接の関りがあったと言うわけではなく↓↓↓

「義経は幾度もこの稲荷に助けられ、この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が、社名の由来となっている。」
「翁の姿をした源九郎狐が、長安寺村の宝譽という僧の夢枕に立ち、郡山城に自分を祀ってくれたら城の守護神になろうと告げたので、宝譽は豊臣秀長にこのことを告げ、城内竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられている。」

とのこと、結局話には尾ひれが付き物と言う感がしてなりません。ところで今の大河、面白い?前の『真田丸』の時でもそうだったのですが、今回もどうも三谷幸喜の「俺って面白いやろ~」感がしてならないんだよな~、だから録画もしてないしBSを流し見してるだけです。まあ史実なんて本当のところは分からないわけだしキャラクターもその人の描き具合によるものだが、菅田将暉演じる源義経は一番最初の振舞いからしてもう受け付けなかった、まあそこが三谷幸喜の「俺って」感かも知れないが、自分(一人称)は正直言って嫌いです、まあと言うことで・・・















【31】郡山八幡神社(柳4丁目) 祭神・・・品陀別命、比売命、大帯日姫命

ここではひとつのゾーンを費やして【31】の神社を巡って行きます。柳町商店街の一番南にある神社は町並の通りから少し内側に入った所にあって見逃してしまいそう、実際自分(一人称)が長い間そうでした。ああ~、こんな所に神社があったんや~、と言うことでそれ以降は気にかけてはいたのですが、まあ寄ろうと言うことまでは思っていませんでした。今回初めて訪れたのは今年の雛祭り巡りの時、鳥居をくぐるとさほど広くはない境内に結構立派な拝殿がデ~ンと構えていた。雛祭りと言うことで各所にたくさん備えられている雛人形を一通り巡って・・・これが結構不気味だったので写真には撮っていない、何か怖いものが写りそうだったので・・・から拝殿を見てみると、その前に何かが置かれている。よく見るとそれは野球のグローブ、写真にあるように使われなくなったグローブが積まれていて、供養された後に再利用されると説明されている。絵馬も野球やサッカーなどスポーツに関することが掲げられている、天理の選手もここでエラーしないように祈願されたほうがいいでしょう。拝殿の上を見上げるとグラブの歴史を掲げた展示と、額縁に入ったグラブの生地、そこに写真が添えられている、あれは誰かな~?肉眼ではよく見えなかったが写真をアップにしてみてみると、片岡安祐美がここを訪れていたらしい、まあ旅番組のロケでだと思うが。この人が女子の野球に与えた影響は大きいと思います、昨年は女子高校野球の決勝が甲子園で行われましたからね。最近は子供たちが野球の練習をしているのを見ていても女の子が多くて、うまいししかも元気も男の子以上、もう女子と区別するのが失礼な時代になってきているかも知れません。もうひとつの写真は横浜DeNA(Bs)の三浦大輔監督か、まあ奈良を代表する野球人ですからね。最後はちょっと話が横にはみ出してしまいました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1765 滋賀の旅2022年春編(1)・・・彦根市、古い町並と城と港と

2022-05-24 07:45:40 | 旅行記
よろしくお願いします。


























今年4度目の滋賀県での走りは昨年の夏以来の彦根市からのスタートです。JR奈良駅を朝一番の京都行で出発してその京都駅ではたった2分の乗り継ぎ、一番早い時間での彦根入りとなりました。相棒君の立ち上げはJR南彦根駅前で、久しぶりに彦根市にある古い町並を走ってみたいと思っていたので彦根駅の一つ手前の駅からの出発としました。桜並木の芹川を越えると見逃してしまいそうな交差点が古い町並の入口、右に折れて芹町の通りを近江鉄道が走る所まで行ってから折り返し。さっき横目で見逃した芹川の桜並木の下を進んでもう一度さっきの交差点へ、今度は左に折れて河原町の古い町並を進んでいよいよ彦根の中心部へと差し掛かって行きます。彦根と言うと彦根城があって夢京橋キャッスルロードが観光地として有名だが、そこから少し外れた場所にある芹町河原町の町並が前回走った直後に重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。知名度はまだまだと言った感じで観光地の陰に隠れた感じの所ですが、登録有形文化財の建物もいくつかあってまさに自分好みの町並です。














広い通りに出て彦根城とJR彦根駅を結ぶメインロードへとたどり着く、その中間点にあるのが彦根市役所、その建物には近江高校のセンバツ準優勝の垂れ幕がかかっていました。準優勝だからかちょっと控えめな感じも・・・、決勝は大阪桐蔭に大敗してしまったが京都国際の辞退で急遽の出場となり、長崎日大、浦和学院には大苦戦の末の勝利での決勝進出、もう立派の一言です。対して奈良からお情けで出してもらったチームと言えば、守れないわ打てないわ、負の歴史を持つチームにキャン!!と言わされて知らん間に奈良に帰って来てました。今回の春の大会でも奈良大附が近江に完封負け、今年の奈良県は昨年のような夢は見れそうにありません、もう滋賀県民に変わろっかなあ~。
その近江高校に近い所を通っている道は左手側に彦根城を見ながら琵琶湖へと向かう道、確か昨年はこの道を逆向きにホテルを目指して走ったんだっけ。石垣の上に建つ天守閣は桜の花に覆われていかにも映えている感じ、今日は天気も良く暖かく・・・と言うよりも暑くなりそう、自分(一人称)もいつでも半袖になれる用意をしてきました・・・なりそう、城の入口では朝早くからたくさんの人を見かけました。県道2号線、湖岸道路の交差点を渡って先へと進むと今日初めての琵琶湖、彦根港は湖岸道路を走る時は毎回休憩で寄る所ですがこんなに朝早い時間にやって来るのは初めてです。いつもは午後に見る風景もこの時間に見るとまた新鮮な感じ、テンションもますます上がってきてこの後の走りにも弾みがついてくる気がします、さあ、いよいよ滋賀の旅2022年春編の始まりです。












この後は湖岸道路を進んで行こうと思ったのですが、もうちょっとだけ彦根を楽しんで行くとしようかな、と言うことで今度は彦根城が右手側に見える道へと入る。観光客も多く駐車場はもう車がいっぱいになっていた、城に桜にこの気候、まあありきたりな光景なのですが、やっぱりカメラに収めてしまいました。その後は夢京橋キャッスルロードへ、こちらは店がまだ開店前とあって人の姿はチラホラ、その代わり幹線に通じる道とあって車は結構多く走っている。この道を突き当たるとT字交差点、左へ行けばさっき通った古い町並へ、ここはもちろん右へと曲がってすぐに左折して県道2号線へ、キャッスルロードで見かけたたくさんの飛出し君とひこにゃんサンに別れを告げて走りの記録は次回へと続きます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.1764 吉野川分水・県営曽我川工区(2)

2022-05-23 09:13:33 | 吉野川分水
よろしくお願いします。








吉野川分水巡りは前回から曽我川工区に入ったわけですが、その前回は幹線水路の分水工から一般河川に注がれた流れが頭首工に至るまでの経緯をお送りしました。今回から本格的に用水の配水へのルートを追って行くことになるのですが・・・、まあ~相変わらず予測や想像でしか書いてないかのような文章が続くことになると思います。いつも述べているように見えないものを追って行くわけだから仕方ないと言えば仕方ないのですが・・・、先に言い訳だけしておいて、本文と行きましょう。今回追いかけるのは下の写真の薄い青色の囲った部分、曽我川工区西部幹線です、文字通り曽我川を境にして西側を通る水路はどのような風景でしょうか、行ってみることとしましょう。
















前回の最後の訪れた兵庫頭首工で曽我川から分かれた水路は、北上して用水を橿原市へと導く区間へと入って行く、西部水路はその途中で分岐するがそのはっきりとした場所はどこか確認できなかった。上にある写真の1枚目、2枚目には曽我川に架かる水管橋の写真だが、これが西部水路のものかどうかは分からなかった、頼りにしている地図で見るともしかしたら違うかも知れない。その地図では京奈和道に沿って水路があるので、それに倣って京奈和道の下道を進んで行く、所々では県営水道のマンホールを見かけるが、これが吉野川分水のものかどうかも分からない。これが吉野川分水だとはっきり分かったのがイオンモール橿原の前に現れたコンクリートに被せられた水路、イオンモールを囲むように進んで行って国道24号線を越えた所で一旦姿を消してしまうが、その辺りはマンホールで確認することができる。















近鉄大阪線松塚駅から北へと伸びる道はよく走る道、吉野川分水はその道に沿って通っているらしく途中で分水槽を見かける。周辺は曽我川と葛城川に挟まれた田園風景が広がる所、写真にもあるようにこの辺りからは葛城川の堤防越しに凛々しい姿の二上山を見ることができる。更に北へと進んで行くと百済の集落、ここでも何度か取り上げたことがある百済寺の三重塔がある町です。吉野川分水はこの集落の西側の外れにある道沿いを通っていて、周辺ではいくつか分水槽を見かけることができる。その分水槽は一列に並んでいるわけではなく各所に散らばっているので、この辺りは細かい水路がいくつも張り巡らされていて、用水を田畑に供給しているのだろう。この百済の町並の中で吉野川分水に関係しているのかしてないのか分からないが、ちょっと興味を惹かれる水路を見かけた、地図を見るとこの先分水に沿うようにして北へと流れて行ってるので、ちょっと次回あたり取り上げてみることにするかな?
















百済の集落を抜けるとまたまた広く田園風景が展開する所、曽我川と葛城川に挟まれたこの地域では集落はほとんど見かけない。広陵町は現在のところ奈良県内にある町村の中では一番人口が多い町だと言うことだが、この辺りは2つの大きな河川に挟まれて低湿地であることから住む所には合わないのかも知れない。その流域には田畑が広がり農業も盛んとなってくる、よって吉野川分水の役割も大きく関わってくることとなる、今年もまたその季節がやって来ました、各所で水の小気味いい流れの音が聞こえてくることでしょう。地図を見ると西部水路の末端部分は細かく分岐していてそのすべてはまだまだ追い切れていない、この時はとりあえず地図で一番末端となる近鉄田原本線を越えた所で巡りを終わらせました。広陵町を走る機会はまだまだ何度もあると思うので、その時に今回取りこぼした部分を見つけてみようと思っています。まあそんな簡単に見つけられるものではないでしょうけどね、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち