まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.641 平城宮跡、晦日夕日に近鉄電車

2016-12-31 21:10:58 | 写真
おはようございます。
















前回、一本の電話によってメガトン級の不幸に見舞われ和歌山の旅を途中で断念した話をしましたが、その話はまだ続いていて年を越してしまいそうです。今年はホントにろくでもないこと続きの一年、それもいろいろな人の助けもあってやっと元に戻りつつあり、本来なら今日大晦日は鳥取方面を走る予定でしたがその切符は昨日にキャンセル、今日は午前中その件で走り回っていたのですが少し余裕ができたので午後は断念した旅の埋め合わせな感じで近辺を走って来ました。今回貼り付けた写真は撮って出し、平城宮跡を駆け抜ける近鉄電車の写真、晦日夕日をバックに撮りました。








ここでもまるで何度も愚痴のように書きましたが、遠出ができない状態は今も続いているのですが、それは少しづつ良くなりつつあるところでした。これまで12月30日、31日はしまなみ、しまなみ、湘南+富士と3年連続で宿泊で行っていたのですがそれは無理と言うことで、日帰りで鳥取方面、若桜鉄道、智頭方面で登録有形文化財巡りを予定していたのですが、結局無理となってしまいせっかく取った切符もキャンセルをせざるを得なくなってしまいました。これまでの件も今回の件も自分自身のことではないだけに腹立たしくもあり、悲しくもあり、・・・もうそうは言っても仕方ないんですけどね。メガトン級の不幸なんて書き方は不謹慎なのかも知れないのですが、今はその結果を待っているところでどうやら年を越してしまいそう、正月休みもぶっ飛んでしまいそうです。今はその中でのほんの一息ついたところ、家で紅白を見ているのですが、相葉君の司会ぶりはどうもダメだな・・・。













人に振り回された一年でしたが自分的にはさほど変わったことはなく順調な感じでした。春の甲子園では智辯学園が優勝、久しぶりの奈良県勢優勝でここでは勝手に盛り上がってしまいました。3月には34年ぶり2度目の骨折、5月には上野樹里さんが結婚と言う嬉しくもなく悲しいばかりのニュース、それでもこれからも変わらなく応援していきますよ、新婚ボケしてないでそろそろ次の映画の話も聞きたいところです、そう言えば旦那のオカン、最近よくテレビで見るのですが強烈なキャラですね、この前のNHKの生放送の時なんかぶっ飛んでましたもんね。
このブログに関することでは、春にあるテレビ番組の関係の方から自分(一人称)が以前にお送りした箱根の写真を番組で使いたい候補に入ったとのメールがありました。結局使われなかったのですが、自分(一人称)のへったくそな写真をテレビ番組で使いたいと言ってくれたことはとても励みになりました。その他にもJR西日本のとあるページにも尾道の写真が使われたりして嬉しい限りです、あの~、転載、無断使用全然かまいませんので、もし良かったらいろいろな場所で日の目を見せてあげてやってください。


今年は去年よりは更新のペースが鈍りましたが約290本のネタをお送りしてきました。大体が旅の話でたまに智辯学園やNHKの朝ドラや上野樹里や長澤まさみが出てきたりといろいろあったのですが、その中で大筋を為したのが登録有形文化財巡り、平城京巡り、各駅巡り辺り、この辺りは来年も引き続きお送りしていきたいと思っています。最後に手前味噌ですが自分(一人称)が一番印象に残っているネタがこちら↓↓↓

No.505 「庚申」って何?

この時は漠然によく聞く「庚申」と言う言葉が何なのかをいっちょかみのカジリのように調べてそれなりに文章にまとめてお送りさせていただきました。干支についてはこの後もいろいろと調べてみたのですがこれがなかなか奥が深くて、それが平城京巡りにつながってくることもありました、その辺りはまた追々ここでお送りしていく予定です。もしかしたらこのネタがこのブログに新しい風を吹き込んで来てくれたのかも知れません。そんなわけでまた来年もお付き合いよろしくお願いします。        まちみち

No.640 登録有形文化財巡り・京都市内編

2016-12-30 06:39:31 | 文化財
おはようございます。












登録有形文化財巡り京都市内編はまだまだ続いています、今回写真でお送りするのはほとんどが普通の家屋で普通に人が生活している所ばかりです。京都は最近町家がブームになっていて似たような建物が多いので探し当てるのは結構苦労するのですが、先に地図や文化財サイトで予習して巡るのもあれば、走っていて偶然に見つけるのもあります。上の写真にある家屋はどれも狭い通りの目立たない所にあり、地元の人から見たらただのご近所さんだし、観光客からすると京都のよくある町家に過ぎない、自分(一人称)のように文化財と言う箔がつくことによって目にかける変わった人種なんてまあそんなにいないことでしょう。写真1枚目には門の前を携帯を見ながら通り過ぎる人が写っていますが、これが当たり前なのです、普通にそこにあるだけだと思っている家にカメラを向けていると変な目で見られたり不審者だとも思われかねません、その辺りは結構気を使うところです。












上の写真は中立売通から上立売通、堀川通を軸にした辺りを走って巡った所です。写真1枚目~3枚目にある建物は壁の側面に壁のNTTの名前とロゴが飾られていますが、ここの呼び名は京都中央電話局、電話局に限らず銀行、郵便局、役場などは昔から重厚な造りのもが多く登録有形文化財に指定されているのも多いが、ここも現在はオフィスとして本来とは別の機能の場所として残されている。老朽化や改築、移転で放り出されて資料館や店舗として第二の人生(と言う言い方はおかしいが)を送るのもいいことだが、その本来の役目を期待してこの建物を設計建築した人にとったらどんな気持ちになるんだろうかと、前回ヴォーリズ氏を取り上げたことでふと思ってしまった。本来なら登録有形文化財としてその姿を目に止めてもらいたい建物がコンビニとして気軽に容易く足を踏み入れられるのも、まあいかがなものかとも思ってしまうのですが・・・考え過ぎですかねえ。
写真4枚目にある家屋は登録有形文化財ではないのですが、走っていてその形に目が留まったので写真に撮りました。やはりレーダーが働いたとでも言ったところでしょうか、玄関横の格子には歴史的意匠建造物のプレートが掲げられていました、京都市が町並保存のために選定している家屋のことで、これまでにもいくつかこのプレートを見てきた覚えがあります。1000年以上もの歴史のある町が町並保存なんて今更と言う感じもするのですが、京都の風景はそれがあってこそだから守っていかなければならないと言う気持ちになるのでしょう、それは奈良もいっしょなんですけど、奈良はどことなく流れにまかせているような気がして、まあ暗黙の了解があると言うか人がそれほど一生懸命にならなくても誰もおかしなことはしないだろうと言う呑気な部分があるんですよねえ。京都はいくつもの戦争や戦火を乗り越えてきているから、人も後世に残していくものには一生懸命になっているんでしょう、その辺りに観光地としての差が出てきているような気がします。








写真1枚目~3枚目にある協会は烏丸通の京都御所の向かいにある建物、平安女学院の一角にあるのですが、京都御所が日本的な様式であるのとは対して、道路をはさんでまるで異空間の中にあるような感じの存在で独特な雰囲気を漂わせている。自分(一人称)は宗教染みたものが苦手なので、この造り、大きさに少し足がすくんでしまう気分にさせられてしまう、それでも文化財巡りを機に教会も写真に撮るようになったのは今年大きく変わったところと自分では思っております。建物だけなら大丈夫やけど、多分中には入れないだろうな、それに館内に響き渡るオルガンの音が苦手、賛美歌も苦手、十字架にかけられているキリストの像も苦手・・・やっぱり駄目だわ、人間はそう簡単に変わることはできないと言うことで、文化財巡りはまた次回へと続けていきたいと思います。



2016年走りの備忘録、残り3ヶ月分の記録です。

10月 2日 各駅巡り、近鉄南大阪線(未収録)
10月 8日 各駅巡り、JR奈良線(未収録)
10月 9日 伊丹、飛行機を撮りに行く
10月10日 平城京巡り
10月16日 真田丸、各駅巡り、南海高野線
10月22日 滋賀の旅秋編
10月23日 斑鳩、秋桜
10月30日 平城京巡り、唐招提寺(未収録)
11月 3日 名張、大宇陀
11月12日 たつの、室津
12月 4日 大津、坂本
12月10日 宇治田原
12月11日 奈良交通62番系統
12月18日 平城京巡り、学園前
12月25日 新薬師寺
12月29日 和歌山

10月は順調に走っていたのですが11月に入って体調を崩してしまいしばらく走ることができませんでした、12月分についてはまだどれもお送りしていない状態ですが、準備が整い次第お伝えしていこうと思っています。実は今日(29日)も和歌山の方を走って来たのですが、その途中である方面から電話がかかって来て旅を断念しなければならないことになってしまいました、今年1年本当にいいことがなく大変な年だったのですが、今回はメガトン級な不幸に襲われることになりそうなのです・・・と言うことで今年のブログ更新は今回が最後になるか、もしかしたらもう1回ほど更新できるか、分からない状態です。とりあえず次回もよろしくお願いします。        まちみち


No.639 滋賀の旅初夏編・最終章前編(近江八幡、登録有形文化財巡り)

2016-12-27 01:13:14 | 旅行記
おはようございます。





滋賀の旅初夏編、年越してしまいそうな感じもするのですがそんなことは気にしないで行ってみることとしましょう。今回は旅の最終章前編、近江八幡で登録有形文化財を巡って行ってみようと思います。












そんなわけでいくつか写真を貼ってみたのですが、近江八幡と言えばヴォーリズさん、と言うことでどれもヴォーリズ氏に関わる所ばかりです。写真5枚目~7枚目にあるのは旧ヴォーリズ住宅、門に掲げられた看板には「近江兄弟社一柳記念館」とあるがこの一柳と言うのはヴォーリズ氏の奥さんの旧姓、この奥さんの兄(元大同生命社長)の奥さん=義姉の母に当たるのが、「あさ~のそらをみあ~げて、きょ~と~いういちゅにちゅが~♪」でお馴染みの広岡浅子氏、そう言えばドラマでは終わり頃に変な外国人が出てましたが、その人がヴォーリズ氏だったと言うことです。これまでもいろいろと、滋賀県のみならずいろいろな地域でヴォーリズ氏の建築様式の建物を見て来ましたが、やはりここ近江八幡はその本拠地と言う感じ、その上に貼った病院も学校もヴォーリズ氏やその関係する名前を冠しています。










ところが写真1枚目~3枚目にある「白雲館」と言う建物はヴォーリズ建築ではないんですねえ、他の建築家が敵地に根を張りに来たと言ったところでしょうか。この辺りは真向いに日牟禮神社があって人も車も多い所、この建物もひときわ目立って建っているので知っている人も多いでしょう。しかし旧街道風の町並が入り組んだ道を入って行くと、ヴォーリズ建築の建物を至る所で見つけることができます。最後の2枚の写真にある教会はそれこそヴォーリズさんの本拠地にある教会なわけですが、ヴォーリズ設計の建物は火事で焼失してしまってこの建物は改築されたものだとのことである。








この辺りは朝鮮人街道が町中を東西に貫いていて旧街道の雰囲気を漂わせている町並もあって目に飽きることはない、ヴォーリズ建築の建物、またはそれをイメージさせる建物、歴史を感じる建物が和洋折衷と言った感じで狭い範囲に散らばっている近江八幡の町並、まだまだ見所はいろいろとあります。ここからは余計な説明や文章はいらないでしょう、登録有形文化財物件をギュギュッとまとめてズラリ写真を並べていってみようと思います。












さて、近江八幡町巡りはまだまだ終わりません、続きは次回と言うことで、そして長らく続けてしまった滋賀の旅初夏編も次回でいよいよ最終回にしたいと思っています。さて、今年中に更新できるかどうか・・・写真の編集は急ピッチで行っているところです、とりあえず今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.638 各駅巡り・近鉄橿原線(4)

2016-12-26 09:52:15 | 鉄道
おはようございます。
















近鉄橿原線各駅巡りを続けていきたいと思います。前回は平端駅、自分(一人称)の10・19の当日の思い出話を書かせてもらいました。平端駅を後に線路の東側へと渡り名阪の下を過ぎると写真2枚目~4枚目にある古い道標が立つ所へ、この道標が立つ道は下ツ道の二階堂から分かれていて、この先筒井の古い町並の中へと差し掛かって行く。途中で交差する国道25号線には筒井の道路元標とバス停、その向こうには近鉄の高架が見える、その高架の方へと向かって行くと近鉄筒井駅、橿原線の中では唯一の高架駅で立派な造り、駅前も国道が近いせいか結構賑やかに感じる。しかし一歩内に入ってさっきの道へと出るとそこは旧街道の雰囲気を漂わせた町並となる、その町並の一角、最後の写真にある道標には筒井城址や吉野街道と言う文字が見える。筒井城址は城址と言っても天守閣はもちろん石垣も何も城を感じさせるものはなくただの公園である。「吉野街道」と言う名前もあまり聞き慣れない、さっきも書いたがこの道は下ツ道から分かれた道で下ツ道がそのまま南へと進むと吉野に通じているからその名前を名乗っているのかも。ただ一般的にはこの道は大和郡山を起点として南へ広陵町、大和高田と抜けて更に南へ至って高野山へと向かう道、通称「下街道」と認識されているはず、筒井の人たちはこの道の先に高野山ではなく吉野を見ていたと言うことだろうか。





写真は近鉄郡山駅、JR郡山駅と並んで大和郡山市の代表駅ですが、駅は街の真ん中の建物が密集した所にあるために小さくて、ここまでの橿原線の駅とはほとんど変わらない。乗降客数は八木駅を除くと橿原線内では一番多い、駅前は商店街バス乗場があって賑やかな所、桜の名所大和郡山城はここから線路の西側を北へと行った所にあるが、ここはさっき通って来た道へと出て、商店街の中を進んで行こうと思います。










大和郡山の中心地の風景に関してはこれまでにも何度かここで紹介してきました、まあそれだけネタになる所、ネタに困らないからいい所なのですが。もう見飽きたわ・・・なんて言わないで、まあ新たな気分でお付き合いしたって下さい。この道は線路から少し離れた東側を通る柳町商店街、コテコテノ奈良言葉で「~でありますぅ~」と結構耳に残る商店街のアナウンスが聞こえています。金魚が泳ぐ電話ボックスに自動販売機、ニャンコさんを見ることができる窓、建ち並ぶ呉服店、通りの一番北側にはお馴染みの『菊屋』、もうここでは何度も紹介したことがあるものばかり、時代を感じるレトロな看板が並ぶのもこの商店街のいい所です。最後の2枚の写真はこの町にある登録有形文化財物件、一方は西洋風のモダンな造りの病院、もう一方は古くからの時代を感じさせられる家屋、雛祭りの時にこの家に残されている昔の看板が展示されているのを見た所です。


大和郡山の中心地の一番北に当たる所を東西に通るは平城京の九条大路に当たり、途中で佐保川の橋を渡った辺りが元は羅城門があった所。近鉄橿原線は大和郡山城の堀を沿ってこの道が通る踏切を渡る、ちょうど次の駅との中間点になる所である。走りの方は線路の東側で一番近くを沿う道を進んで行くことにするが、この道は平城京西二坊大路に当たる道で、また別の機会に紹介しようと思っています。




そんなわけで次の九条駅へとたどり着きました、しかし何か変な感じ、駅名は九条だが九条大路はさっき通り過ぎてきたし、この駅の近くを通る道は八条大路である(これについてもまた別の機会でのお伝えを、って今回こればかりですが・・・)。多分道と道に囲われた町割りでこの辺りが九条と呼ばれていたからだろうか?その辺りはあまりはっきりとこうとは言えない、なぜならこの付近、九条と付く地名をいろいろな所で見るから、まさに平城京の謎とでも言ったところでしょうか。そんな謎をはらんだ駅名のついた駅は普通電車しか停まらない小さな駅、西ノ京と郡山に挟まれて目立たない存在であるが、駅前が整備されて自転車を立ち上げる場所が広く確保できるのがありがたいので、自分(一人称)は最近この駅をよく輪行で利用しています。次回はいよいよ橿原線各駅巡りも最終回、というかあと2駅しかないからネタと文章がもつかどうか心配なところですが・・・今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.637 ミナミ

2016-12-25 16:40:59 | まち
おはようございます。












まずは通天閣界隈です、いわゆる「新世界」と呼ばれる所、だからってJR新今宮駅の発車メロディーがドヴォルザークの『新世界』ていうのはちょっとこじつけな気も、最近怖い事件が起こった駅ですが自分(一人称)としては『じゃりん子チエちゃん』のテーマで十分やったと思うんですが。話は戻って通天閣、この辺りはまあ独特な雰囲気がある所で、自分(一人称)はどちらかと言うと苦手な場所、今回は朝早い時間の来訪だったので、人の姿もまばらな状態、それでも新世界独特の雰囲気と人は所々に垣間見る感じでした。一応この通天閣も登録有形文化財とのことでプレートがあるかなと思って探してみたのですが、見つけきれませんでした。通天閣と言えば今朝にBSで再放送している『ごちそうさん』では東出昌大が大阪出身で背が高いことからそう言われていましたが、何か大阪をバカにされているような気もしました。近鉄バファローズが2001年に優勝した時には梨田監督が公約でてっぺんまで歩いて上りました、普通なら罰ゲームでやることを優勝してやる辺りはダンディーだと言われた男もやっぱりおもろい大阪のオッサンと言う感じでした。一番最後の写真は国道25号線恵美須交差点、写真の真ん中に見えるのは阪堺電鉄恵美須町駅、国道25号線と交差する道が堺筋、この道を北へと行ってみることとしましょう。










堺筋を北へ日本橋方面へ、阪神高速をくぐるとすぐに電気屋街、と言う言い方ももう古いか、今はディープなオタクな街に、と言うのも自分(一人称)が難波で働いていた時の話、それよりは普通の人も気安い所となったのかなってないのかよく分からないが、自分(一人称)はあまり行きたくない所である、まあ今回は朝早い時間で店もまだ閉まっている所が多かったから良かったけど。道も空いていて走りやすい、サササ~っと走り抜けて日本橋1丁目付近、写真2枚目は高島屋東館、3枚目黒門市場と買い物客で賑わう所である。ここでのお目当てはこの付近にある登録有形文化財物件だがそれはまた別の機会にとして、写真4枚目にある『味園』の派手なビルが建つ狭い通りへと入って行く、『味園』と言うと関西ではCMでもお馴染みの所、『味園ユニバース』と言う映画もありましたが大阪の人しかわからへんやないかってタイトルでした。この道を先に進んで行くと朝早い時間でも賑やかな所、交差点があり真っ直ぐ行くとアーケードの南海通、左へと曲がるとなんばグランド花月、道はその先道具屋筋のアーケードへと入って行く。









場所は変わって千日前通の北側へ、ミナミの中心と言った所で賑やかなアーケードの通りがいくつか南北をつないでいる。その中でも代表的なのが写真1枚目にある戎橋通、ここから北へ少しだけ言った所にミナミを象徴する場所と言ってもいい戎橋、通称「ひっかけ橋」ってこの呼び名ももう古いか、そこへとたどり着く。大きなカニの模型が動くかに道楽、グリコの看板、阪神タイガースが優勝した時にはバースを胴上げや!と言って道頓堀にカーネルサンダース人形を投げ込み、その呪いでしばらく阪神(T)が優勝できなかった言うことでも有名な場所である。上に並べた写真は道頓堀付近の大阪人にとってはもうお馴染みと言った場所、朝早い時間だったので自転車で走ることができたが、これがもう後数時間もしたら人がいっぱいでとても走ることなどできなくなってしまう、しかもイチビリが多くなるので行きたくもない所。最後の写真にある宗右衛門町は少し年齢層が上がった、それもちょっとお金に余裕のある人が行くイメージがあって、自分(一人称)は全然行ったことがありません、まあ誘われたとしても行く気はありませんけどね、呑めないから。どうもこの辺りは難波で働いていた頃から苦手だったんだなあ、人の多い所、イチビリが多い所、うるさい所・・・写真2枚目にもそんな感じの奴らが写ってるでしょう、上の通天閣界隈も含めて、ミナミってやっぱり自分(一人称)が好き好んで行く場所ではないですわ、と言うことで今回も・・・ともうチョイだけ話を続けさせてください↓↓↓




ついさっき有馬記念が終わりました、サトノダイヤモンドが優勝、2着にキタサンブラック、3着ゴールドアクターと本命戦の結果で終わりました。自分(一人称)は前回サトノダイヤモンドは力勝負ではキタサンブラックに勝てないのでは、と書きましたが、まさに直線はそんな感じ、キタサンブラックが抜けて追いすがるゴールドアクターはもう絶対抜かせない、これで勝ったなと思ったのですが、ルメール騎手はそこで一瞬追い出しを遅らせたんですね。ゴール手前で追い出しを図ると最後はキッチリと差し切りサトノダイヤモンド優勝、以前は武豊がこんな戦法でキッチリと勝ち切るレースをしていたのですが、まさにそれをやり返されたような感じでした。ウイニングランでは同じ勝負服のサトノノブレスとの併走、こちらも3コーナー辺りでキタサンをつつくと言う役割を果たしていて、武騎手は「組織力にやられた」と言ってました。サトノの馬はここまでGIをなかなか勝てなくてもうそのことがネタの域になっていたのですが、今年はGI3勝+海外GI優勝と言うことで、今までのお笑いネタにされた悔しさを一気に吹き飛ばしたと言う感じでした。今回の有馬記念、評判通りの強い馬が凌ぎを削るレースが見れたと言うことで良かったのではないでしょうか、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち