まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

第26回 亀岡へ

2015-01-31 11:03:37 | みち
おはようございます。

去年の秋に亀岡まで走った記録をお伝えしようと思います。亀岡までは以前奈良から国道24号線~京都~国道9号線経由で走ったことがあるが、今回は茨木市から豊能町を、主に亀岡街道をたどって走ってみました。
奈良からは前回のブログでお伝えした阪奈越えで大阪府に入る。住道駅から府道21号線を北へ寝屋川市方面へ、途中で左に曲がって鳥飼仁和寺大橋で淀川を渡り茨木市に入る。目指すは亀岡街道の通る宇野辺、今回の旅の実質の始まりはここからである。
亀岡街道は大阪の昔の道路の起点高麗橋から梅田、淀川、吹田、摂津と経由してここ宇野辺まで至る。この道は前に何度か走っている。今回は大阪モノレールの宇野辺駅から府道14号線を北に向けて走る、これが間違いの元だった。茨木の中心地を抜け国道171号線を右へ入る。目指す中河原の西郷街道との交差点、本当は左へ入らなければならなかった。僕としたことが・・・大きな時間ロスになってしまったが、一旦西国街道に出て中河原の交差点に向かい軌道修正。さあ、気を取り直して亀岡へ向かう旅のリスタートである。


(写真は以前走った時のものです)


府道110号線を行くがすぐに細い道に入る。この道が亀岡街道、ここ福井は旧街道の町並が残るいい雰囲気の道。そこを抜け再び府道110号線と合流、ここからはいよいよ上り坂となっていく。まあそれは覚悟していたので、例の如く自分のペースを守って行くことにする。ここで余力を使い果たしては元も子もない。


(福井の町並)

山の中を抜け佐保の集落、更に上りは続く、しかもだんだん急な上りになっていく。川を沿ってくねくねとカーブを繰り返す道は交通量は少ないがトラックやダンプカーがやけに多い。そしてこの沿道でよく見かけるのが建設中の大きな橋脚、新しい高速道がここを通るらしい。
箕面への分岐の交差点を過ぎても上りはダラダラと続く。この区間は府道43号線との重複、その重複区間の終わりの分岐点で再び府道110号線となる左の道へ入る。ここからの上りが一番辛かった。その福井の町並から続いていた長い長い上り坂がやっと終わる所、上音羽の集落にたどり着く。ここはまだ茨木市、そして集落の終わる所から豊能町となり今度は下り坂となる。



上りも辛かったが下りは更に辛い。寒さと疲れが足に来る。この坂を下りた所が豊能町余野の交差点、ここからは右へ国道423号線を行くが、その前に交差点すぐにあるコンビニで一休み。ここはライダーの休憩所があり駐車場には大きなバイクがいっぱい、年配ライダーも頑張ってはります。

国道423号線を亀岡方面に走る。この沿道でよく見かけたのが能勢妙見山への道標、途中には妙見口という交差点もある。しばらく行くと大阪と京都の境界にたどり着き西別院の集落、ここはもう亀岡市、ゴールが近いと実感する。





関西カントリークラブの入口で相棒を止めて紅葉の美しさを目を留める。ここまでは走りでいっぱいで紅葉に目を向ける余裕がなかったかも知れない。ここから先は山の中の緩やかな下り坂、もう夕方に近いので寒さが増してくる。いくつかの小さな集落を過ぎるといよいよ亀岡市街へ向かう恐怖の長いくねくねの下り坂、所々亀岡の町が見渡せるが景色を楽しむ余裕はない。前から、後ろから次々とやって来る車に注意を払いながら坂を下って行く。




下り坂が終わるとあとはもう平坦な国道、京都縦貫道を過ぎると何度か走ったことのある見慣れた亀岡の町並、亀山城を囲む街道の雰囲気を残す町並を抜けるとJR亀岡駅前にとうちゃこ~!火野正平さんすみません、またパクってしまいました・・・亀岡の町並についてはまた別の機会に紹介するとして、今回はここまでです。    まちみち

第25回 阪奈越え

2015-01-30 11:37:41 | みち
おはようございます。

奈良から大阪へ向かう道、手段は幾つかありますがそのうちの一つで最近一番利用する道、阪奈越えを紹介します。
奈良市内は国道308号線を走る。国道と言っても車が擦れ違うことができない区間もある狭い道。砂茶屋交差点を少し行った所の橋を渡って富雄川に沿う自転車道に入り富雄に至る。近鉄奈良線の高架をくぐって県道7号線を走る。川をはさんで両側が一方通行の道、広くて走りやすいが川を渡る橋ごとに信号があって何度か止められる。


(国道308号線)

近鉄けいはんな線の高架を過ぎると平城山大通りから続く道を左へ曲がる。カーブの上り坂、少し行ってまたアップダウンを越えると南田原交差点、国道168号線が交差している。少し行くと出店交差点、ここで交差するのは国道168号線の旧道。その先の橋の手前で奈良と大阪の境界があり四條畷市に入る、あまりにもあっけなくこんにちわ大阪府、と言ったところ。



古堤街道の道標が立つ交差点を過ぎ少し行くとやがて道は細くなり上りが始まる。ここからはずっと上り坂、最初はまだ緩やかだが、北谷公園から田原中央線に入る辺りから上りも急になってくる。直線の上り坂からカーブが連続する上り坂、ここは遠心力を利していけるので気分的に楽になる。


(上りの始まり)

ニュータウンを抜けると左前方に阪奈道路、最初は上の方から車の音が聞こえてくるが、こちらが坂を上るうちに高さは逆転。やがて前方にこの上りの終わりの合図のように建つ教会が見えすぐに阪奈道路との合流地点、信貴生駒スカイラインの下を少し行った生駒登山口バス停がこの走りで一番標高が高い所。いつの間にか四條畷市から大東市に入っている。ここからは恐怖の下りとなる。


(すぐ横を阪奈道路が走る)

(生駒登山口)

最初は阪奈道路の車道の端をゆっくりと下りる。横を車がビュンビュン通りすぎて行くので結構怖い。竜間交差点の横断歩道を反対側に渡り、短い区間旧道の下りを走る。再び阪奈道路に合流、ここからは反対車線なので歩道を走るが、狭くて道は悪くて走りにくくて仕方がない。途中にはガラス玉が散らばっている所があり相棒を持ち上げて歩く、タイヤを傷つけるわけにはいかないがこの場所、確かもう3ヶ月ほどずっとこのままの状態、いい加減掃除してほしいです。


(龍間の町並)

旧道に入り更にきつくなる下り坂、急カーブの連続、そして眼下には大阪平野の眺め・・・そんなもの見てる余裕はありません。もう下りるのに必死なので。特にはや山荘(ここ営業してるんですか?)を過ぎてラブホの裏手を回り込む辺り、ジェットコースターなみの下りで怖くて怖くて・・・そして再び阪奈道路を渡りまた下り、この道は古堤街道で旧街道の町並の雰囲気が残る道。街道らしいカーブの連続を行きついた所が東高野街道と出会う中垣内交差点、道端には古い道標が立っている。


(中垣内の町並)

まっすぐ大阪産業大学の施設の横の道を進むと国道170号線、通称外環、右手側には「大和平野にそびえたつ生駒の峯の・・・」でお馴染みの大阪桐蔭高校がある。さらにまっすぐ進むと寝屋川に突き当たって、川沿いを行くとJR住道駅にたどり着く。今回はここまでにしておきます。    まちみち

第24回 瀬戸内の旅・鞆の浦(後編)

2015-01-29 11:14:08 | ふうけい
おはようございます。前回の続きです。

常夜燈から海に沿った道を、港をぐるり囲むように進むとさっき通ったいろは丸事件の談判が行われた宿から続く道に合流する。すぐに曲がり角、鞆港のバス停の方には入らずまっすぐ漁港の方に進み港の桟橋にたどり着く。内海の向こうにはさっき寄ってきた常夜燈、反対側には白い灯台の向こうに島々を臨む瀬戸内の海。時間の流れがまるで変ってしまったような雰囲気が漂う風景、泣けてきます。





鞆港のバス停に戻り仙酔島への渡船乗場はもうすぐ、ここもやはり観光客が多い。渡船乗場に来たのだが船には乗りません、相棒をひとりぼっちにしたくはないので。仙酔島に渡る船は黒い船体の『平成いろは丸』。岸壁に上ると仙酔島の手前の小さな島に弁財天のお堂が見える、この辺りも鞆の浦を象徴する風景。おやっ?どこからか現れたのかニャンコさん、いろは丸をお出迎えですか?





今走って来た道を戻り再び常夜燈へ、更に戻ってさっき走った鞆のメインストリートへ、この風景を目に焼き付けるように走るのは、そろそろ鞆の浦に別れを告げる時間がやってきたから。この先の常石からのフェリーの時間が差し迫ってきている。去り難い感傷的な気持ちでいっぱいだが、時間のことがあるのでやむを得なく先を急ぐことにする。常石へのスタートはこの道、県道47号線から、古い町並はいつもと変わらない表情で送り出してくれる。




突き当たりを左に進み鞆の浦を後にする。所々海を沿う道は狭く車が多い。一部すれ違いのできない区間には片道通行を促す信号があり、ここでしばし待たされる。自転車とて扱いは車といっしょ、信号を守るのは人としての最低限のルール、焦らず行きましょう。
この辺り狭い道の両側には何気ない生活感が漂ってくる漁村の風景が続いている。観光地とはまた違った時間の流れを感じることができる所だ。やがて鞆の町の別れを告げるかの様に長い上り坂が始まる。おっと、くねくねカーブからはいきなりコミュニティバスの姿が、危ない危ない、ここも焦らず道を譲って、自分のペースを守ってこの坂を上って行こう。この細い県道47号線は鞆バイパスである県道47号線と合流、広い道となるがまだまだ上りは続く。
木々の向こうでかすかに波の音が聞こえる道、車はそれほど走っていない。そしてグリーンラインとの分岐点を過ぎると上りは終わり、沼隈へと向かうトンネルに差し掛かる、瀬戸内の旅はまだ始まったばかりだが、今回はここまでとしておきます。

今回は前回と合わせて瀬戸内の旅シリーズとして、過去に走った鞆の浦の風景を思い返すような形でブログにまとめてみました。旅はこの先まだまだ続くのですが、シリーズ展開としてこの続きはまたいずれ別の機会にお伝えしようかと思います。    まちみち

第23回 瀬戸内の旅・鞆の浦(前編)

2015-01-28 09:47:10 | ふうけい
おはようございます。

「福山、福山です」車内アナウンスが間もなく福山に到着する案内が車内に聞こえてきた時、自分(一人称)はもうデッキに立っていた。ここにはいつも新倉敷を過ぎた辺りで出てくることにしている、気持ちが昂ぶっている証拠かも、これから始まる旅への期待は車窓が福山に近づくにつれて広がってくる。
駅前で相棒を立ち上げる。
「今日もお付き合いのほど、よろしく頼むで」
さあ、出発だ、駅前から伸びる道を進み国道2号線を通り過ぎ南に向けて走る。もう何度も走った道、旅の始まりはいつもここから、テンションも自然と上がってくる。

沖野上町4丁目交差点を右に曲がると福山競馬場の横を通る。芦田川の河川敷の道に入ると左手側には福山競馬の厩舎群が見える。しかしここは2013年に廃止されたとのこと、地方競馬はやはりどこも苦しいのか・・・
しばらく走ると芦田川大橋、ここを渡って更にまっすぐに行くとその道もやがて狭くなり緩やかな上り坂。ほとんど上った気もしないさいの峠を通り過ぎると、所々に街道の雰囲気を残す田尻の町並を通り過ぎる。ややっ、左手方向に海が見えてきました。まだ海面に近い陽の光を受けてきらきら光る瀬戸の海、いや、泣くにはまだ早い。さあ、鞆の浦はもうすぐだ。


(さいの峠)

海沿いの道をまっすぐ進む、あ~気分爽快!常夜燈を模った「歓迎、鞆の浦」のモニュメントを過ぎると工場群の中を走り鞆の町に差し掛かる。コンビニから右へ分かれる細い道に入ってみよう。やあ~、ここは旧街道の雰囲気の残る町並が残っていてなかなかいい感じ。途中から道がタイル敷きになりやがて突き当たりを右へ曲がる。ちなみに左に曲がるとすぐ海に突き当たるが、その手前には坂本龍馬が宿泊したお宿があるとのこと、そう、ここは坂本龍馬所縁の地、鞆の浦。





さっき来た道を右に曲がると古い民家が立ち並ぶ細く小さな坂道、そこを過ぎると右に分岐する道がありその前にはまた由緒ありそうな建物。ここは『いろは丸事件』の際、坂本龍馬が紀州藩と談判を行った場所。自分(一人称)は『龍馬伝』でしかこの事件についての知識はないが、まあ見事な一発逆転と言ったところでしょうか。
海との対面はもう少し後にしてこの角を右に入る。この通りもいい雰囲気ですねえ~、こういう飽きない風景が続くから鞆の浦が大好きなんですわ。狭い道で車も多いがゆっくり走れるから良しとしよう。この辺り店や見所がいろいろあって散策している人が多い。







車も入れないような更に狭い路地を入って行く、両側には古い建物がひしめいていて陽の光がほとんど差し込まない所。人も多い、ごめんなさい、自転車でお邪魔します・・・やがて視界が広がって目の前には海と港の風景、そしてここ鞆の浦を象徴する大きな常夜燈。いろは丸展示館のカフェの横を過ぎ常夜燈の袂に来るともうそこは行き止まり、港にはつながれた船が穏やかな波の行き来に合わせてにたぷんたぷんと揺れている。あぁ~泣ける風景が目の前に・・・まだまだ長くなりそうなので今回はここまでにしておきます。すみません、次回もよろしくお願いします。   まちみち

第22回 写真館・駅

2015-01-27 10:00:10 | 写真
おはようございます。

今回は写真館2回目、テーマは駅、主に輪行で立ち寄ったことのある駅です。駅は旅の始まり、期待と不安を抱かせてくれる所、そして旅の終わり、去り難い感傷を抱かせてくれる場所。どの駅にも思い出がありますが、今回はその中から選んだいくつかを貼っておきます。



(JR尾道駅、しまなみ旅の定番です)


(JR近江塩津駅)


(JR木ノ本駅)


(JR今庄駅)


(近鉄宇治山田駅)


(JR三原駅)


(JR横川駅、『峠の釜飯』おいしゅう頂きました)


(箱根登山鉄道箱根湯本駅、好きな駅ベスト5に入ります)


(箱根登山鉄道強羅駅、箱根旅行の始まりはここから)


(JR新下関駅、ここから九州へ)


(JR串本駅、本州最南端の駅)


(近鉄吉野駅)


(JR神戸駅)


(JR柏原駅、「かいばら」と読みます)


(JR谷川駅)


(えちぜん鉄道三国港駅、東尋坊からの帰りに寄りました)


まちみち