まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1598 登録有形文化財巡り・・・2019年暮れの旅より

2021-06-29 10:44:15 | 文化財
よろしくお願いします。




















ついこないだ昨年暮れの旅の記録を終わらせたばかりなのですが、今回お送りするのはその更に1年前の話、2019年の年末に兵庫、岡山を走った時の記録です、と言っても過去旅仕様ではなく登録有形文化財巡りとしてお伝えしていこうと思います。
2019年12月30日、この日は朝から大雨で、それでも午後からはその雨も上がると言うことで予定を変更して出発時間を遅らせました、走り始めは明石駅から、最初のゾーンでは姫路までの走りの中で巡った文化財からです。まずは明石市魚住にある住吉神社、ここでの目的は万葉歌碑でしたが、年末でしかも悪天候にも関わらず訪れている人は結構多い、神社は初詣の準備で大忙しの様子、そんなせわしなさそうな中を境内をぐるりと一回りしました。雨があがってぬかるんだ砂地の境内、その中で写真にもあるように楼門、能舞台が明石市指定の文化財、ひっそりと隅っこに立つ小さな石灯篭は兵庫県指定の文化財となっている。その住吉神社から旧街道に当たる道を進んですぐの所にあるのが茨木酒造合名会社、ここにある建物が兵庫県の登録有形文化財となっている・・・ってことですが県による指定文化財と登録有形文化財ってどう違うのかな?これまで登録有形文化財巡りをいろいろとやってきましたが、この違いがいまいちよく分からないんだよなあ。調べてみてもちょっとよく分からない、何か指定する地域によって違いがあるみたいで、はっきりした線引きがされてない感じ、しばらくはうやむやな状態でのお伝えとなりそうです。
















岡山県美作市、湯郷温泉にある「昭和館」というお店、文化財ではないのですがいかにも昭和な雰囲気が興味をそそられたのですが、大晦日でやってなさそうだったのでスルーしてしまいました。まあ日本全国探せばまだまだいろいろな所に昭和の雰囲気を残すものはあるだろうからさすがに文化財にはなりえないだろうけど、そう言えばこの間テレビで日本で最古のすべり台が登録有形文化財に指定されているとやってました、その時は何気なく普通にあったものに価値を見出してくれる人がいれば箔もついてくることでしょう。そういう意味ではその役目を終えた後に登録有形文化財となったのが次に紹介する吉ヶ原駅、この駅を通っていた同和鉱業片上鉄道は廃止が1991年、登録がその15年後、山間の観光地でもない所でいつ淘汰されてもおかしくない駅舎跡や車両が今も残されていて、空白の時間にその価値が見直されたと言ったところでしょうか。廃線になった路線や駅や役目を終えた建物でも、地域の人々の努力次第では人を引きつける場所となるはずです、いつか昭和生まれの人がいなくなった時代が来ても、昭和が否定されない流れが続いてほしいものです。
















赤磐市で巡った登録有形文化財は、一応この辺りが市の中心部になるのかな、その場所にある郷土資料館、ここは元は小学校の本館だったと言うことです。学校なども統合や廃校で淘汰されて然るべきと言う感じですが、次の役目を与えて生きる道を残して行ってほしいところ。その後廃線跡を走ってたどり着いたのが上の写真4枚目~9枚目にあるふるさと会館、ここは元は村役場と言うことで、今回は駅、小学校、役場とどれも役目を終えて第2の人生を歩んでいる所ばかりの巡りとなってしまいました、まあ登録有形文化財の半分以上はそういった建物ですからね。そんなわけで最後はJR和気駅近くにある重要文化財の家屋を巡って終わろうと思ったのですが、たどり着いてみると周辺が養生されていて姿がほとんど見えない状態、どうやらこの時は修復工事されているとのことで、ここでの巡りはあきらめるしかなかった。そんなわけで1年半の空白の期間を経て日の目を見ることとなった、登録有形文化財巡り兵庫~岡山編、これにて終了です、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち



No.1597 久しぶり、風の森

2021-06-28 10:34:37 | ふうけい
よろしくお願いします。





3回に渡ってお送りしてきた葛城川巡り、上流部までやって来たのですが川は途中で山の方へと姿を消してしまい、巡りの方は突然終わってしまいました。その場所はいつも五條へと向かう時に利用する国道24号線沿いの旧街道、結構高いところまで上ってきたのですが、ここからもうひと踏ん張り上り坂を進んで行くと風の森峠、これはやっぱり行っておかなければならないでしょう。そんなわけで最後の急坂をゆっくりゆっくりと上って、国道24号線にある風の森バス停へとたどり着きました。前回も書きましたがここが国道24号線の中では標高の最高地点、しかし目指す場所はバス停前にある横断歩道を渡って、更に急な坂を上って行かなければならない。疲れた足に更にひと踏ん張りを効かせて坂道を進んで行くと・・・↓↓↓






















確か去年は来ていないので久しぶりの風の森になるのですが、写真を見ても分かるように緑色がただ広がるだけの何もない所、なぜかこの風景を見たくてここに来たくなるんですよね~。何もないのがいいところ、ここでは余計な話もいらないでしょう・・・と言うことでまずはズラリと写真を並べました、実はここにはつい2週間前にもやって来ました、その記録もまたいずれの機会にお伝えと言うこととしておきましょう。














風の森を後にして高鴨神社の前を通り過ぎてしばらくはアップダウンの続く広い道を進んで行く、木々の間を縫うようにカーブが連続していて、そこを過ぎると見晴らしのいい集落へと差し掛かってくる。おやおや、こんな所にも吉野川分水の分水槽が・・・これはノーマークだった、と言うことはこの地域にも分水路が通っていると言うことか。これはまた宿題が残ってしまったなあ・・・と言うのがさっき上で書いた風の森再訪につながることとなります。


県道30号線=山麓線を経由して葛城古道へ、狭い道に急な傾斜の下り坂もまた十分気をつけなければならない案件。そこを過ぎると名柄、ここは旧街道の雰囲気が漂う町並と言うことで以前に紹介したこともありました。沿道には常夜灯に酒造会社、古い家屋に登録有形文化財の元郵便局、寺院に神社といい雰囲気の風景が続いている。











国道309号線の交差点を越えても更に集落は続いていて下り坂を過ぎると今度は醤油の製造会社の建物の前を通り過ぎる。葛城山の方から流れてきた川が道の横を沿って流れていて、これもまたいい雰囲気、この川は何て川なんだろう・・・と思って調べてみると水越川と言う葛城川の支流だった。ここに来るまでにも幾筋の水路を見かけたが、位置的にどれも葛城川の支流になる流れだったのだろう、もしかしたらその中で葛城川の本流もあったかも知れないがそれがどの流れなのかは結局分からず仕舞いだった。細い道を川に沿って進んで行くと交差点に常夜灯が立っていて、そこを左に曲がると御所方面へと行ける町道となっている。ややっ!!この場所で見つけたのは、吉野川分水の西部幹線水路、この場所を通っていたのか~。そんなわけで県内籠もりで吉野川分水細分部巡りがここからまた始まるわけですが、今回の葛城川巡り~風の森の記録についてはここで幕としておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち


No.1596 吉野川分水(3)・・・国営東部幹線水路、その2

2021-06-27 18:47:31 | 吉野川分水
よろしくお願いします。




















吉野川分水巡り、大淀町の下渕頭首工から順路に従って進んで東西分水工へと至り、そこから東部幹線水路へと入りました。前回の終わりは明日香村にある飛鳥川の放水部分に当たる所までやって来ました、今回はその続きと言うことで引き続き明日香村部分の水路を巡って行ってみることとします。まあ最近の走りの主流はこの吉野川分水巡りとなっているのですが、その発端となったのが一番下の写真にある看板、明日香村を走っているといつも見かける水路、いつもは気にせずにスルーしていたのが、昨年の春にそこを通りかかった時に何気なく立ち止まってその看板を見たんだよなあ。ふ~ん、吉野川分水って奥が深いんやな・・・と思ったらもう最後、その奥を突き止めたくなるのが僕の悪い癖、そんなわけで巡りを始めようと思ったのですが、その矢先に怪我に見舞われてしまいました。2か月後、その怪我も治ってやっと走りを再開、まず手始めに巡ったのが今回お送りしている明日香村部分の水路と言うわけです、ここからいまだに続く吉野川分水巡りの日々が始まりました。



























看板の立っている所では涼やかで勢いのある水の流れを見ることができるが、ほとんどの部分は水路にはブロックが被せぶられたり、暗渠に姿を隠していたりで、その水路を見つけるのにはなかなか苦労させられる。板蓋宮跡付近の田園風景の中では姿を見せている水路も、東側にある山に向かう辺りからは暗渠へと隠れてしまう、その入口には第何号暗渠と示されていて東西分水工から何番目のトンネルか分かるようになっている。まあそんなことが分かろうが分からないだろうが、地元民も観光客もほとんどこの水路は気にもかけていない、気にしているのは自分(一人称)くらいなものだろう、相変わらず変人な行動をしております。標高が小高くなった明日香村の山裾を通る県道15号線の辺りで平野部から続く水路を見つける、相変わらずコンクリートのフタに覆われているが、人々が生きるために必要な水が流れているわけだから、簡単に野に晒すわけにも行かないのだろう。








県道15号線を交差してすぐ暗渠に姿を消した吉野川分水路、しばらくはトンネルの中みたいなので地図に頼って・・・と言っても水路をはっきりと表している地図はないので結局は勘を頼りにしなければいけないのだが・・・県道15号線を下って行く。藤原京時代には山田道と言われた桜井市へと続く道へと出る。その桜井市へと入ったすぐの所で分水路が姿を現した、写真にあるように水路にはフタがされているが、周辺には柵が為され注意書きの看板にははっきりと水路と書かれている。まあ近づいてみると水の流れるゴオ~ッと言う音が聞こえているから、コンクリートに覆われていてもここが水路だと言うのはすぐに分かる、フタが取られない限りは水難事故は起こる心配はないだろうが、やはりルールは守らなければいけません。自分(一人称)も柵の中には入りません、遊びません、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち



No.1595 徳島への旅(8)・・・そして旅の終わり

2021-06-25 10:25:23 | 旅行記
よろしくお願いします。



















香川での波乱万丈な1日目、そして徳島へ向けてひたすら風に立ち向かって走った2日目、その記録も今回が最終回です。鳴門市からはJR鳴門線~高徳線を各駅巡り、そしていよいよ吉野川を越えるのですが、次の目的地の駅に行くのに渡ることができる橋は線路から離れていて大きく迂回しなければならない。時間はもう16時を過ぎている、いいペースで来ているが疲れはもうピークに達している、ここに来てこの迂回は結構足にダメージを与えてくる。橋へと差し掛かると太陽は西の空で目線の高さにまで落ちて来ていて、間もなく姿を消そうとしている、2020年最後の夕陽は結構泣けるシチュエーションで見ることができた。徳島市の中心部が近づいてきたが、次の駅はこの橋からは少し行きにくい所にある、とりあえず先へと急ぐこととしよう。













町中の入り組んだ道を縫うように進んで次の目的地、佐古駅へとたどり着く、町の中に現れた高架駅は徳島線との分岐駅、しかしwikiを見たところではホームは1面2線、まあ確かにそれほど大きな駅ではないのは地上から見ても分かる。次の駅が終点の徳島駅となるが、佐古駅~徳島駅は高徳線、徳島線、鳴門線の3路線が乗り入れていることになる、3路線の列車を1面2線構造の規模の駅で乗り切れるのかとも思ってしまうが、ローカル線で本数も多くないのでこれで十分まかなえるのだろう。佐古駅を後にして高架の線路の北側を進んで行って、一番最後の目的地となる徳島駅へとたどり着く・・・と言ってもこちらは駅の正面入り口の方ではなく裏手側の方。ホームは離れた向こう側に見えていて、手前側には線路が広がっていてバラエティー豊かな種類のディーゼルカーが停まっている。軽量化された特急車両もあれば、昭和時代から頑張っている感じのディーゼルカーもあって、普段ディーゼルカーを見る機会のない奈良の人間からするとうらやましい光景に見えてくる。あの国鉄型の車両ももう活躍できる時間は残りわずかとなってしまっている、昭和の古き良き時代はまるで否定されるかのような末路が敷かれているのだろうか・・・。




















国道11号線へと出て新町川に架かる勝どき橋へとやって来る、昨日の坂出市から高松市を経てここまでずっとお付き合いのような感じで進んできた国道11号線はこの橋が起点となっている。橋のどこかに道路元標があるはずだと思って探してみたのだが、もう夕暮れ時で周辺も暗くなっていて、見つけることができなかった。後で調べてみるとやはりこの橋の辺りに元標があったとのことで、もう少し粘り強く探せば良かったな~、と思ってしまった。そしてここからは国道55号線となって高知方面へと続いている、前に一度だけ、室戸岬を経て高知市内まで走ったことがある道だが、いつかはまた行ってみたい所です。空は完全に暗くなって、自分(一人称)の旅ももう終わりの時が近づいて来ている、新町川沿いを進んで行ってフェリーターミナルへ、フェリーの時間まではまだ1時間ほどあったが、寒いし疲れも極限にまで達していたのでここで走りは終了、相棒君にはここで眠りについてもらうこととする。待合室でぼんやりとたたずんでいると、テレビが紅白歌合戦の前の番組を放送していた、今年は無観客でやるとかで、感染症禍の影響は最後まで収まることがないままとなってしまいそうだ。公私ともにろくなことがなかった2020年がもうすぐ終わろうとしている、来年はちょっとはマシな年になるかな・・・なんて思ったけど今のところはどうだろうねえ~。そんなわけで自分(一人称)の旅もあとは定石通りの経路をたどって奈良へ帰るだけとなりました、長い旅の記録となってしまいましたが、何とか半年がたたないうちに終わらせることができました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち


No.1594 過去旅より・・・旧東海道遠州路

2021-06-24 09:40:25 | みち
よろしくお願いします。

















最近は遠出を控えて奈良県内籠もり、まあ吉野川分水巡りが主流になってしまって出ていないだけで、梅雨が抜けたらまたいろいろと行こうと思っています。さて、今回は久しぶりに過去旅を振り返るシリーズ、2015年、このブログを始めてすぐのGWに静岡県内の旧東海道を走った時の記録をお送りしてみようと思います。確か3月くらいにこの旅の前半部に当たる袋井~菊川間の記録をお伝えしたことがありました、その続きとしてまずは大井川橋からスタートと行ってみましょう。川を渡ると島田宿、一般道に軽~く観光を意識した造りの町並が軒を連ねている、あからさまに観光に走られると旧街道の雰囲気が漂う町並も興醒めになってしまうが、これくらいなら左程気にもならない。しかし自分(一人称)が旧街道の雰囲気を感じるのは下3枚の写真にあるように、それほど広くない道に松並木がズラリと続く風景。道は人の手によってアスファルトに敷き替えられているが、道幅や曲がり具合は往時からのものだったのだろう、さりげなくその頃のままの風景を残している方が、ああ~、ここが旧街道だったんだな~、と思わせてくれる。























旧東海道はその後所々に旧街道の雰囲気を漂わせながら先へと進んで行って、藤枝宿、岡部宿と過ぎていく。藤枝市と言えばやっぱりサッカー、まあ藤枝に限らず静岡県はサッカーのメッカですからね、ただ自分(一人称)は古い昭和の人間なので、野球に比べるとサッカーはよく分からないんですわ。東海道は市の中心部から少し外れた所を通ってだんだん小高い所へと進んで行く、この辺りでは前方に富士山を薄っすらと見ることができた、ただあまりにも薄っすら過ぎたので写真に撮ってもほとんど写ってなかった。目の前に山が迫ってきて岡部宿へとたどり着く、宿場町の中心部は旧街道らしい緩やかなカーブに沿って町並が残っていていい雰囲気、ここを過ぎると今回の旅の区間のメインイベントとなる宇津ノ谷峠へと差し掛かってくる。写真にあるトンネルを抜けるとそこはもう静岡市、石畳の下り坂はくねくねと曲がっていい雰囲気の町並の中を通り抜けて行く。ここも特に観光を意識しているわけでもなく、地元の人々が普通に生活を送っている所、走ったのは祝日だったので軒沿いに掲げられた日の丸がこの地域の横のつながりを感じさせてくれている。しかしそんなのどかな雰囲気も、この先で合流する国道1号線のひっきりなしに流れる車の列に砕かれてしまう、でもこの幹線のおかげでこの地域が中央部とのつながりを保てているわけだから、一概に否定するわけには行かないですね。











国道1号線から旧街道へと逸れて鞠子宿へと差し掛かる、旧街道とは言ってもすぐ横を通る国道の混雑を回避するために入ってくる車が多い。この宿場町の象徴的な存在となっているのが丁子屋、お茶漬けのおまけについている絵でもお馴染みの茅葺きの建物だが↓↓↓

「歌川広重が描いた名物茶屋は、丁子屋と紹介されがちだが、当時とろろ汁を提供する茶店は複数店存在し、広重が描いた建物が丁子屋であるという明確な証拠は無く、浮世絵の解説でも、単に「名物茶屋」とだけ紹介されている。丁子屋の茅葺き建物は、1970年(昭和45年)12代目当主の信夫が、五十三次に似せた店構えにするために移築したものである。現在の丁子屋茅葺き建物を、五十三次に描かれた建物と同一の建物と考える者がいるが、無関係である。 」

wikiにはこのように記されている。鞠子宿は東海道の中では一番小さな宿場町、このお店の存在がその小さな宿場町のアピールポイントとなっているわけだから、上のカッコ内の文章にあるような明確な証拠や無関係という言葉を記してしまうのはちょっと無粋なような気もしますね、400年以上この場で続いているお店なので、ミステリーな部分を残しておくのもまたロマンではないでしょうか。
そんなミステリーもロマンも兼ね備えた旧東海道静岡の旅ももう6年も前のこと、今回過去旅振り返りとしてお送りしましたが、当時の記憶ももう薄っすらとなりがちです。そんな記憶を呼び起こしてくれるのが写真です、また古い写真を引きずり出してきては過去旅シリーズとしてここでお送りしていきたいと思います・・・ってその前に徳島の旅の記録終わらせや~ってところですね、半年も経てばもう過去旅になってしまいそうだもんな。というわけで次回はその徳島編、最終回をやります、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち