まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1172 各駅巡り、近鉄名古屋線(7)・・・いよいよ愛知県へ

2019-07-30 11:05:23 | 鉄道
おはようございます。












近鉄名古屋線各駅巡りもいよいよ佳境、前回の最後に巡った桑名駅を後に国道1号線を進んで行くと緩やかな上りを経て揖斐川、長良川に架かる伊勢大橋へと差し掛かる。自転車、歩行者は車道の欄干の表側にある歩道を渡ることになる、まあ確かに車がビュンビュン行き交う車道を走るよりはこちらの方が余程安全だ、ただ歩道の幅が狭いので対向車が来たら道を譲らなければならない。まず渡るのが揖斐川、天気がいいので川の水の色もスッキリと青い、眺めのいい所で左手側には鈴鹿山脈、以前に養老鉄道や三岐鉄道を各駅巡りした時に嫌と言う程見た山の風景もここからは小さく見えるだけ。やがて先の方に岸が見えてきて車が走っている道も見える、案外短い橋だったなあ~と思いきや、その向こう側にも川があって橋はまだまだ続いている。この道は揖斐、長良両河川に挟まれたの中州にある道でその終点が国道1号線との交差点となっている、欄干に隠れてよく分からないが車道には信号がある、ただ歩道には信号がないので車の列が動いているか否かを判断して通り過ぎなければならない。














中洲の交差点を過ぎると今度は長良川を渡りやがて長島の町へと入る、この町も以前に走ったことがありました、輪中と呼ばれる川と川に挟まれた中洲の島のような所、その時は北は立田大橋から南は長島温泉まで、島も縦断するように走りました。その時にも通り過ぎた近鉄、JR両方の路線にある長島駅、まずは写真1枚目、2枚目にある近鉄の方、ホームは2面2線で準急、普通のみが停車する、長島温泉やいろいろな観光施設がある長島町の玄関口に当たる駅にしてはちょっと淋しい感じ、アクセスは桑名駅の方に取られてしまっている感じです。近鉄の駅からほんの少しだけ北に進んだ所にあるのがJRの長島駅、こちらは近鉄線に比べるとより一層寂しい雰囲気、ホームは島式で1本だけ、そのホームに至る駅舎はなく線路沿いにある地下道から入って行く方式になっている。もうこれまで巡って来た所もほとんどがそうだったが、近鉄の賑やかさに比べるとJRは寂しい限り、大きな駅でもそんな感じだがこれだけ近くに隣り合う駅だと小さな駅だけに余計そう感じてしまう。再び国道1号線に戻ってしばらく走ると木曽三川最後の川となる木曽川を渡る、ここも自転車歩行者専用の歩道があるので細いのは仕方ないが安全に進んで行くことができる、橋の名が尾張大橋だからこれを渡り切るとやっと愛知県に入ると言うことか・・・。














橋を渡り終えた所で愛知県に入りました、やっとだよ~、朝早い時間に伊勢中川駅を出てせっせせっせと走って走って、それでもずっと三重県内。途中鈴鹿市では雨に降られて四日市市では工場の中でルート選びに苦労したり、時間が過ぎるばかりでどこまで行けるかと気にしていた走りだったが、愛知県の文字を見たらもう名古屋まで走るしかない、日はもう西に傾いてきているが時間はまだ十分ある、さあ、先を急ぐこととしよう。と言うことで愛知県内に入ってまず最初の駅が近鉄弥富駅、2面4線の急行停車駅、ここから北にほんの少し行った所にはJR、名鉄線が同居する弥冨駅があり、弥富市の玄関口をそれぞれが分け合っている感じ。近鉄弥冨駅から国道1号線へと出てほぼ近鉄線に沿うようにして走って次の佐古木駅、ホームは2面2線で準急、普通が停車する。う~ん、あまり話が広がらない駅やな~と言うことで時間も押し迫っていることだし先へと進んで行く。国道1号線を走っていると川を渡った所で愛西市へと入る、ああ~、確か愛西市は結構広くて近鉄名古屋線がエリアに含まれる所もあるんだった、と思っていたら今度はすぐに蟹江町へと入った。名古屋まではもうすぐ、後は急行が停まらない駅ばかりが続いて行くが、この項も残すところあと1回だけ、最後まで気を抜かずに走って行くこととしましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。        まちみち



No.1171 在原業平ってどんな奴???

2019-07-30 01:03:03 | みち
おはようございます。

















写真1枚目にあるのは名阪天理インター、天理市櫟本町の国道169号線と交差する場所から西へほんの少しだけ進んだ所にあるのが在原神社、名前から分かるように在原業平に所縁のある、一般的には生家があった所と言われています。在原業平とはどんな人だったのか・・・イメージでは女好き、諸星アタルみたいな奴?・・・wikiでは「平安時代初期から前期にかけての貴族・歌人」とあるので、今ここでよく取り上げている万葉集とは違う時代の人となります。木々に囲まれた薄暗い境内には古い屋根に囲われた井戸の跡があり、その傍らには3枚のカルタ仕様の看板が立っていて「筒井筒」の説明と両側に男女の歌が掲げられている。歌の説明を読めばなるほどな~と思ってしまうわけですが、二人は結婚した後、男は他の女に会いに毎度毎度出かけて行くわけですわ、もうよくあるドラマの世界ですね~。と言うことで今回はその男・・・ほぼ在原業平のことだと思われるが・・・が女に会いに行った時に通った道を途中までですが辿って行ってみることとしましょう。














写真1枚目にあるのは櫟本の道路元標が立つ上ツ道の交差点、ここを真っ直ぐに伸びる道はこの先の横田と言う所で国道25号線に合流してそのまま大阪方面へと続いて行く道、この道が業平が通った道=業平道、そのままやな~・・・と思っていたのですが、走ってみるとちょっとズレを感じてしまいました。まあ道なんてどこもがずっと真っ直ぐ続いているわけではないのだが、最初のポイントとなるのが写真3枚目~5枚目にある業平姿見の井戸、これが名阪国道と同じ南側にあると言うことで、櫟本町からスタートした道は写真1枚目の道よりも南側にあったのではないかと推測される。この先は大和郡山市内へと入って行くが、道はあるもののそれが業平道かどうかははっきりとしない。それにしても姿見の井戸、在原神社を出てほんの10分~15分も歩いた所にあるのに、もうここで自分の姿を見て「おお~、オレいけてんな~」なんて思ってたんでしょうかねえ、どんなフェミニストぶりやねん、ミッチーか↓↓↓



「おやおや、君のことを言っているみたいですよ」「ほっといてください!!」

とでも突っ込みたくなるところですが、そんな男に心奪われる女性が多かったの言うのも何か、何かな~てな感じ・・・などと思いながら先を進んで行くと今度は嫁取橋だって、でもこれは業平とは関係はなさそう、この橋については相当前にここで取り上げたこともありましたっけ。

















はっきりした道が分からないまま西へと進んで斑鳩町へと入りました、JR大和路線が二上山に向けて走っている姿はなかなか絵になる感じ、しかしこの辺りは一面が田んぼばかり、わずかな集落と少し離れた所には法隆寺国際高校の校舎が見えるくらい。富雄川に沿う道に出ると写真3枚目にある業平橋と言う名のバス停に出会う、となるとこの辺りが業平道が通って居た辺りか?場所的には国道25号線からは南に少し離れた所、となるとさっきの田んぼの中にあった集落になにかポイントがあるのでは・・・と言うことでその集落の入口となる道を見つける。電柱の地名には「高安」とある、高安と言うと大関・・・違う違う!、業平が会いに行った女性が高安と言う地に住んでいたとのこと、となるとこの地が目指すべき所だったのか?集落の中の狭い道を進んで行くと神社がありそこには在原業平に関する看板が、そこには同じ高安でも業平が目指したのは河内高安、今の八尾市、去年電車まつりで行った近鉄大阪線の車庫がある所のことで、その途中にこの集落に立ち寄ったことから、この地が「高安」と呼ばれることになったとか。ここを過ぎると竜田川、一番下の写真にある歌碑には↓↓↓

「ちはやふる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」

映画『ちはやふる』でもお馴染みのこの歌は在原業平が歌ったもの、映画ではこの歌が物語の核になっているようで恋多き男が歌ったものだと説明されていました、まあ恋多き男はこの先で会う女性に想いを馳せて竜田川を渡ったことだと思うのですが。そう言えば一番最初の『上の句』が上映された時、ちょうど桜花賞にカラクレナイと言う名の馬が走っていましたがそこで負けてから連敗続き、この間のレースで2年4か月ぶりの勝利を挙げていました、可愛らしい名前やなあとずっと気になっていましたが良かったですね~。そんなわけで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち




No.1170 浜名湖の旅(1)・・・各駅巡り、天竜浜名湖鉄道線・その1

2019-07-27 10:49:58 | 旅行記
おはようございます。














GWの3日、4日に宿泊で出かけた旅、初日は愛知県内で名鉄線を各駅巡り、これは現在進行中でお送りしています、この日の宿泊は豊橋駅前のビジネスホテルでした。明けて4日、ああ~、いい天気だ、この日の予定はまずは天竜浜名湖鉄道を各駅巡り、と言っても路線は距離が長いし行程は急造だったのでほとんど事前勉強無し、とりあえず天竜二俣駅までは行きたいと考えていたので、天浜線は奥浜名湖駅まで輪行することに決めました。朝6時にホテルをチェックアウト、出発が早いのはこの先で連絡する天浜線の時刻に合わせてだから仕方のないところ、駅から近い所のホテルで良かった。こんな朝早い時間なのに名古屋方面も浜松方面も座席は埋まってはないものの結構お客さんは乗っている、浜松方面の電車に乗車して豊橋駅から2つ目の新所原駅で下車、一旦改札を抜けて駅前に出てから天浜線の乗場へと向かう。1本だけのホームには1両だけのディーゼル車両が停まっていた、お客さんも何人か乗っている、自転車が置ける場所の横の座席を確保して車両の写真を撮る。ローカル線の番組ではよく見る車両だが実際に見るのは初めて、もちろん乗るのも初めて、ディーゼルカー特有のエンジン音が懐かしくもあり心地良くもあり、さあ、ほんの少しの間だがここはローカル路線の旅を楽しむこととしよう。














車両は山の中を軽快に駆け抜けて行く、ボックス席を陣取っているオバちゃんたちは地元の人だろうか、話し声がうるさくて仕方ないがこれもまあローカル鉄道の風物詩とでも言ったところだろうか。車窓右側にほんの少しだけ浜名湖が見えるがまだ山の中、車両は心地良い揺れで車体を右へ左へと傾けながらやがて奥浜名湖駅へと到着する。切符を料金箱に入れてホームへと下り立つ、ああ~、いい天気だ、暑くも寒くもなく、近くにある湖から涼しい風が吹いてきているようである、やがてディーゼルカーはエンジン音を響かせながらホームから遠ざかって行った、ホーム1本だけの無人駅には自分(一人称)だけが取り残された。駅の片隅で相棒君を立ち上げていると反対側からディーゼルカーがやって来た、こちらからは下りてくる人はいない、まあ朝早い時間だし休日だし観光地もなさそうな所だから仕方ないか。さあ、自転車の立ち上げも終わりいよいよ浜名湖巡りの走りが始まります、まずは天竜浜名湖鉄道を各駅巡り、とりあえず天竜二俣駅までは行きたい、結構長距離になるから早い時間から走り始めたい、だからこそ本来なら初日に予定していたこの工程を2日目に変更したわけである。天竜二俣駅には昼くらいに着けたらいいだろう、ただその先はどうしようか考えていない、そのまま天浜線を進んで行ってもいいがそうなるとお金の方が心配になるので、多分そこで折り返して浜松方面に向けて走ることになるだろう・・・とまあいろいろと考えなければならないことはあるが、今は各駅巡りに専念することとしよう。駅を出るとしばらくは集落の中を走り、国道301号線に出ると右手側には浜名湖からつながる猪鼻湖が見えてくる、すっかりと晴れ上がった空の色をはね返したかのような水の色、今日の旅の前途を透かしてくれているかのような明るさだ。














橋を渡ると国道362号線との交差点に突き当たる、この国道は元は姫街道のルートに当たる道で、以前豊川市から磐田市まで走ったことがある、この交差点を右へと曲がり国道362号線に入るとすぐに最初の駅、三ヶ日駅へとたどり着く。なかなか風情のある木造駅舎、板張りの床が何かいい雰囲気、ホームは2面3線でこれまでの中では一番大きな駅、車両はさっき上下線とも行ったばかりでここでは出会うことができなかった。駅舎の前には何か興味を惹かれる表示が、写真1枚目を見ても分かりますよね、の表示ですが、天竜浜名湖鉄道はこの先この表示をいろいろな駅で見ることができます、と言うことでこちらに関してはまた別枠を設けてのお送りとしておくとして、このシリーズでは各駅巡りを優先してこの先進んで行くこととしましょう。今回から始まりました浜名湖の旅、GWの一日をテンション高く走った記録をいろいろと思い起こしながら文章に興していこうと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち


No.1169 万葉歌碑巡りを兼ねて滋賀、近江神宮へ

2019-07-25 08:25:40 | 万葉
おはようございます。












GW10連休も半ば、平成が終わり時代は令和に、その初日は雨になってしまいました、明けて2日、令和最初の走りは滋賀へと向かいました。万葉歌碑巡りを兼ねての走り、3日からは愛知に宿泊旅なので本当は1日に行きたかったんだけど雨なら仕方ない、と言うことでその模様をお送りしていきたいと思います。
まず写真1枚目、何だ、これは?ってこれは大津市役所前にある時計台、真下から見るとかなりの威圧感ですが、その時計台の袂にある球体が万葉歌碑となっている。

「楽浪の 志賀の大わだ よどむとも 昔の人に またも逢わめやも」(柿本人麻呂・巻1-31)

「大わだ」というのは地名や獏でお馴染みですが、兵庫には大輪田の泊と言うのがあるように水辺に関係する所、となると「志賀の」とあるから普通に琵琶湖のことでしょう、近江大津京は天智天皇の頃に都が置かれたとのことで、その時代の人たちに思いを巡らせた歌と言う感じです。ここから少し先に進んで見つけた歌碑はJR大津京駅前、賑やかな駅前のロータリーの真ん中にあるがあまり人には見向きされない感じ、そこには2つの歌がひとつの歌碑に並んで刻まれています。











京阪石山坂本線を北に沿って進んで行くと近江神宮駅に近い、町名で言えば錦織と言う所へとたどり着く、住宅に囲まれて狭くなった道に接した所にあるのが大津京の跡・・・あの~、自分(一人称)これ書くまで知らなかったのですが、京阪皇子山駅っていつの間にか京阪大津京駅に改称されてたんですね、前に各駅巡りした時はまだ皇子山駅だったはずだが、いつの間に変わってしまったんやろ~・・・。都の跡が遺跡となっていて往時はここが政治の中枢だったわけだが、もちろん今はそんなことなど考えることもできない程庶民的な住宅地である、その中を先へと行くと森が見え道はその突き当りで右へと曲がる。その手前にあるのが大津京シンボル緑地、ここに都があったからと言うことに便乗したかのように作られた気もするが、その駐車場の所にもいくつか万葉歌碑が立っている、残念ながらこれを拾い上げている時間がないので先へと進んで近江神宮へ行ってみることとしましょう。





















約1年4ヶ月ぶりに近江神宮にやって来ました、昨年は映画『ちはやふる』を見た翌日に来たんだった・・・そう言えば『なつぞら』、この前もここで取り上げましたがあの後も一向に面白くなる感じがしませんねえ~、やっぱり広瀬すずは狭い画面が似合わないんでしょうか・・・と言うことでしたが、その時は境内には入らず通り過ぎただけでした。駐車場の隅に相棒君を止めて歩いて行くと境内への階段に至るまでに万葉歌碑を見つける↓↓↓

「楽浪の 国つ御神の うらさびて 荒れたる都 見れば悲しも」(高市古人・巻1-33)

「楽浪」の「荒れたる都」は大津京のことでしょう、廃れゆく都の後を憂いている様子がうかがえる感じ、その他にもいろいろと歌碑があるのですがこれは万葉集ではなさそう、ちなみに万葉歌碑はこの歌の他にもう一つあるのですが見つけきることができなかった、ここからちょっと離れた場所にあったんだよなあ。と言うことで前回は行かなかった境内へ、長い急な階段を上って楼門へ、そこには「令和」を祝う看板が立っていた。中へ入ると正面に拝殿、天智天皇に所縁がある神宮と言うことで、大きな重厚そうな日時計や時計に関する資料館もある、境内にはたくさんの人、時代が令和になってさながら初詣みたいな感じでしょうか。そして楼門の壁にズラリと並べられているのは百人一首の絵札、映画『ちはやふる』でもお馴染み、さすがかるたの聖地と言った感じであるがここで思ったのは小倉百人一首と万葉集の関係・・・と言うことで調べてみたのですが、そもそも完成した時代が違うんですよねえ、歌の引用に多少関りはあったとしても大まかには直接的な関係はないようです。天智天皇と言うと中大兄皇子、大化の改新、飛鳥に関する人と言うイメージがあるが人生の最後はこの地で迎えることとなる、その後の皇位継承の件で都はまた飛鳥へと戻ってしまうが、今はかるたでお馴染みとなった近江神宮、たった3~4年の期間だけ置かれた都の跡をこのような大きな形で残していると言うのは嬉しいことです。やあ~、滋賀はやっぱり行き甲斐がある所です、また走りに行こうかね、と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち





No.1168 百舌鳥古墳群巡り、その1

2019-07-23 10:24:40 | 文化財
おはようございます。














まあ順当と言った感じで世界遺産となった百舌鳥古市古墳群、まあ皆さんの喜ぶ気持ちは分かるのですが、う~ん、世界遺産ってそんなになりたいもんなんでしょうかねえ。世界遺産になったからと言ってそんなにメリットがあるような・・・例えばそれが観光の集客の増加に影響すると言っても一時期なものだと思うし、実際世界遺産と言う箔に惹かれて外国人がやって来たとしても果たして古墳を見てどう感じるかは・・・ってところですかね。そんなわけで古市に関しては前に巡ったことがありましたが、今回は百舌鳥古墳群を巡ってみようと思いました、まあ実際に見てみたらそんな空気の読めない考えも変わるんではないかと思われそうですが、さて、どうでしょうかねえ~!
と言うことでまずは南海堺東駅近く、写真1枚目~4枚目には柵に囲まれた荒れ地の丘、いきなりこれか?って感じもするが、この荒れた丸い丘が古墳に当たり分類としては方墳に当たるとのことです。付近は住宅が入り組んだ所で、車が通ることもできないような狭い道を進んで行った所の住宅地の中にポコッとした感じで現れる。この住宅地を突き当たった所に見える大きな森のように見えているのが反正天皇陵、堺東駅のホームからも・・・あ、今はマンションが建ってしまったのでもう見えないか・・・昔はよく見えていた大きな古墳である。先の2つの古墳はこの天皇陵の付属みたいな感じなのかな、実はこれから巡って行く古墳には結構こんな感じのものがありました、でも自分(一人称)が興味あるのはそちらの方ですね、大きい方よりは小さな方、さて、それが観光客の興味を惹くこととなるのでしょうか・・・。




上の写真にあるモニュメントは仁徳陵の正面側にあるもの、真ん中に大きくあるのが仁徳天皇陵、その周りをまるで小さなお魚が泳いでいるかのように小さな古墳が点在している。先にも書いたように自分(一人称)が興味あるのはこの小さな古墳たち、と言ってもどれも結構大きな形のある古墳ばかりです、この古墳の他にも更に小さな古墳もいくつかあるのですが、では、巡って行ってみることとしましょうか。
















写真2枚目~5枚目にあるのは国道310号線沿いにある古墳、モニュメントでは一番上の茶色の丸に当たります、お濠には蓮の葉が広がりチラホラと花が咲いているのが見える。ここから横断歩道を渡って仁徳陵の西側、住宅地の中を入ってすぐの所にあるのが真ん中のオレンジ色の丸にある古墳、民家が建ち並ぶ中の一角にある小さな前方後円墳は柵に囲まれていてお濠は水がなくカラカラになっていた。更に住宅地の中を進んで行くとポッコリとした小さな丘に木が1本だけ立っている古墳へと突き当たる、この古墳はモニュメントにはなし、古墳の表示があり背の低い柵に囲われてはいるが突然現れるので古墳と気づかれないかも知れない程地味な存在となってしまっている。その後は仁徳陵の方へと向かい陵墓を巡る遊歩道へと入って行くと、お濠に突き出して歩道に接するようにあるのが一番下の紫色の丸にある古墳、様式は円墳とのことだが木が生えすぎていてどこが古墳なのかはイマイチ分からない。
















一旦国道370号線へと戻って南海三国ケ丘駅近くにある、上の写真1枚目にあるモニュメントで丸を付けている3つの古墳を巡って行く。青丸と赤丸の古墳は遊歩道に沿った所でお濠に浮かぶようにある、3つ目となる緑色の丸にある古墳は遊歩道と住宅地に挟まれた所にあり、木に覆われたちょっと荒れた丘と言った感じ、これもあまり気づかなされそう。更に遊歩道を南へと進んで行くと写真下5枚目と4枚目にある、駐車場の一角にある小さな古墳へとたどり着く、この古墳もモニュメントにはあるのだが写真からは見切れてしまっているので省略。このまま南へと進んで仁徳陵の正面へと出たいところだが、すぐ横を通っているJR阪和線の踏切を渡った所に古墳があるとのことで行ってみることに。しかしその場所にあるのはとあるスーパーの裏口、商品の搬入場所に当たる所、その一角に写真下3枚にあるようにこれまた小さな古墳が・・・いや~、これは古墳ですと言う表示と碑があるから分かるものの、柵がないからただの休憩場所にしか見えない、これが世界遺産の一部だと言うのもまた面白い所だが、果たして観光客の興味を惹くこととなるのでしょうか?と言うことで今回より始まりました百舌鳥古墳群巡り、3回に渡ってのお送りを予定しています、次回も仁徳陵を取り巻く古墳を巡って行くこととします、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち