まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1413 過去旅より・・・JR山陽本線、尾道付近の風景

2020-08-31 09:35:42 | 鉄道
よろしくお願いします。

















7月の半ばに自転車の生活を復活させてそれから約1ヶ月は体慣らし、足慣らしのオープン戦も終えてその後は自分的Go Toとして滋賀、大阪へ、そして昨日(29日)は京都へと行ってきました。自粛や怪我で遠退いてしまったことで目標を失ってしまった感のある県外への走り、今回のGo Toではあらかじめ明確な目的は決めずに、今一度その地を巡ってみて次回への宿題を探すことにしています。慢性的な金欠は仕方ないところですが、この先はまたいろいろとテーマを見つけて行動範囲も広げていきたいところです。
さて、今回並べた写真は一部他の日のものもありますが主に2018年11月に尾道方面を走った時の記録、そのうちJR山陽本線に関するものを貼りました。この時の旅は日帰りで出発はJR福山駅前から、国道2号線を走って尾道まではたったの3駅だけでしたが山陽本線の各駅を巡りました。山陽本線と言えば在来線の中では東海道本線に次ぐ幹線、昔は特急や急行がたくさん走り、夜中にはブルートレインも何本も駆け抜けていた長大な路線です。しかし現在はと言うと都市間の輸送は新幹線が幅を効かし寝台列車もなくなってしまって、一時の隆盛を誇った路線も今は見る影もないと言った状態、JR時刻表を見てもページに細い字がズラリと並ぶだけ、まるで偉大なるローカル線と言った感じになっています。





















備後赤坂駅、松永駅、東尾道駅と巡って尾道の風景に近づいて来る、国道2号線を走っていると左手側には尾道水道が広がり目の前には尾道大橋が立ちはだかってくる。ちょうどその下で立ち止まって電車を撮ることに、この区間は約10分~20分毎の運行、山陽本線でよく見かけるのが黄色い電車、国鉄時代の生き残りと言った感じの車両だが、最近はこの区間でも新しい車両が走るようになって、いよいよ隅に追いやられるようになってしまった。定期運行の間を縫って走っているのが貨物列車、長大編成の車両は一度走り始めるとどこが終わりなのか分からない感じ、貨物輸送の方はまだまだ健在と言った姿を見せてくれている。
その後は尾道の中心部へと入り千光寺付近の小高くなった所から山陽本線の列車を撮影、海と山に挟まれた狭い場所をギュンとカーブを描いた線路の上を走っている電車や貨物列車はまるで手に掴めそう。林芙美子の『放浪記』の一節「海が見えた。海が見える」、多分さっきの尾道大橋の辺りから左手側に見える車窓のことを言っていると思うが、この辺りからは尾道の風景も左手側の車窓から海を手前にして見ることができる。地形的に線路がカーブになっているから左側からも見れるとのことだが、尾道駅が近付くにつれてこの風景が見えてくると、ああ~、いよいよ尾道に来たんだな~、旅の始まりやな~、と旅情を誘われてくる。逆に尾道から帰りの電車に乗った時にはこの風景がだんだん遠ざかっていき、何とも言えない寂しさと明日から押し寄せてくる現実感に襲われてしまう。現実があまりにもリアリ~!な毎日なので、行きたい気持ちがより一層強くなってしまった、ただ今のところ尾道方面への旅の予定はなし、年末はちょっと違う所を考えているので行けるとしたら来年になってしまいそう、ああ~、それでもやっぱり行きたいなあ~。













尾道駅は新しくなったんですね、自分(一人称)が前に訪れた時は古い駅舎もなくなっていてプレハブの骨組みだけの駅舎で、これが観光地の玄関口か、と言う感じだった。前の駅舎、風情があって好きやったんだけどなあ、駅の入口には瀧本美織の等身大パネルが立っていて、来たで尾道~!!とテンシヨンが上がる感じだった、さて、新しくなった駅はどんな感じなのでしょうか?またいずれの機会にうかがってみることとしましょう。尾道駅を過ぎると車窓左手側は引き続き海が広がっている、向こうに見えているのはしまなみ海道で結ばれた島々、因島大橋の欄干も島の向こうでチラリと姿を見せている。やがてたどり着いたのが糸崎駅、三原市の中心部の手前で周辺は住宅地と漁港があって、特にこれと言った特徴のある場所ではないが、駅は大きくてここを始発終点にする列車も多い。岡山方面と広島方面の列車が連絡していて乗継になるところだが、駅伝で言えばタスキ渡しの中継点みたいな感じの駅、自分(一人称)もこの駅からしまなみ海道の旅をスタートしたことがありました。と言うことで、やはり尾道の話をするていろいろと思いが駆け巡って来てしまいます、しまなみの旅心が誘ってくれているのかも、でも今しばらくは我慢です、次に行けた時は溜まりに溜まった思いを発散させられるくらいの走りをしたいところです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち


No.1412 お地蔵様で町巡り・・・木津川市編

2020-08-28 10:28:06 | まち
よろしくお願いします。

















1月に交野市から枚方市、その後京田辺市へと走った記録をお地蔵様巡りでお送りしていますが、もう半年以上も前の話、そろそろ締めておかないとと言うことで今回が最終編です、早速前回の続きから行ってみることとしましょう。
まずはJR玉水駅、以前の風情のある駅舎から無味乾燥な感じの橋上駅舎へと改築されてしまった、利便性があるからだろうがJR西日本は至る所で橋上駅舎化を進めている、もう昔の姿を残すことにはこだわりがないのだろう、それも時代の流れなのかも。ここから玉川に架かる橋を越えて奈良へと至る旧街道へ、その前にチョイとだけ脇道に逸れて町並を通り抜けてみよう。この辺りは以前万葉歌碑巡りで訪れたことがあるところ、歌碑が立つ六角井戸があり、迷路のような狭い通りを進んでいくて小さな寺院にも出会す。ほんの数分のお邪魔の後は旧街道へと戻って先へと進む、踏切を渡り天井川の下をくぐった所が井手町と木津川市との境界、道の脇には小さな寺院があり反対側にはお地蔵様のお堂もある。この先の分かれ道には出世地蔵と書かれた道標がある、普段行くことがない所だし夕刻にはまだ時間もあることだし行ってみるか、と言うことで相棒君を左へと曲がらせる。踏切を越え小さな集落に差し掛かった辺りにそのお地蔵様のお堂があった、確かにそこには出世地蔵との看板が掲げられている、まあお地蔵様にお願いして出世できれば苦労も何もないんだけど、そううまく行かないのが人生だ!



















旧街道へは戻らずそのまま山裾の道を進んでいく、ここは初めて走る所だがまあ迷うことはないだろう。川を渡り大きな地蔵堂の前を通り過ぎて蟹満寺と言う寺院へとたどり着く、旧街道を走っているときも道標や案内の看板でよく名前を見る寺院だが来るのは今回が初めて、ちょっと変わった名前の寺院、蟹と何か関係があるのかと思ってwikiを見てみると↓↓↓

「寺の所在地の地名綺田(かばた)は、古くは「カニハタ」「カムハタ」と読まれ、「蟹幡」「加波多」などと表記された。寺号についてもかつては加波多寺、紙幡寺などと表記されたものが蟹満寺と表記されるようになり、蟹の恩返しの伝説と結びつくようになったとする。」

とある、しかし蟹の恩返しって何なんだ、猿かに合戦か・・・、と言うことで更に調べてみるとありました、この地に伝わる昔話と言うことですが逸れに関してはこちらをご覧ください→「蟹の恩返し」。最寄のJR棚倉駅にも蟹を型どったモニュメント、ちょっと不気味な感じもするし、海から程遠いこの場所で蟹と言うのも伝説はあってもやっぱり違和感ありありだ。旧街道へと戻って咲きへ進んでいくと上狛の町並、JR上狛駅周辺は割と大きな規模の環濠集落になっていて、その形跡は駅から国道24号線へと至る辺りで見ることができる。
















そろそろ夕刻も近くなったきて日も西の空の低い位置まで落ちてきている、しかし最後にもうひとつだけ巡っておきたい所が、と言うことで国道24号線の上狛交差点で信号を渡り環濠集落とは反対側の町並へ。そこは以前お茶の町と言うことでここでも取り上げたことがある、有名なお茶の銘柄である福寿園の工場が建つ所、付近にはお茶の香りが漂い、黒を基調とした屋敷風の建物が町並の中に佇んでいる。その町並を抜けた所、もう手前には木津川の堤防があるって場所にあるのが泉橋寺、ここは前にも来たことがあって写真下から4枚目にあるように大きなお地蔵様が出迎えてくれる。この寺院については↓↓↓

「境内にある五輪塔は国の重要文化財に指定され、地蔵堂跡に露仏として鎮座する石造地蔵菩薩坐像は、鎌倉時代に造られたもので、高さ4.58メートルあり日本一の石地蔵として有名です。 」

と言うことでまたまたHPから文章を拝借してしまいました、今回はちょっとずぼらが過ぎましたね。と言うことでちょっと飛び飛びになってしまった1月初旬に走った記録、夏の暑い時期にやっと終わらせることができました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち


No.1411 斑鳩町の水路巡り(1)・・・三代川

2020-08-27 11:05:30 | まち
よろしくお願いします。
















今回巡るのは斑鳩町を流れる水路、これも骨折する直前の走りで自粛が叫ばれている真っ最中の時期、どうもこの辺りの忌々しい記憶はセットで残っていきそうです。まずは斑鳩町の小高い所にある溜池からスタート、場所は法隆寺の裏山に当たる所、写真でも五重塔と金堂の屋根がチラリと見えているのがお分かりいただけるでしょう。池から流れ出た水路はいきなり崖下の低い所へ、それを追いかけるようにして池の淵にある急な坂を下りていく、法隆寺の北側に当たる集落と田畑がある所、川は小さな流れとなって中宮寺の東側にある集落の中へと差し掛かって行く。






















法隆寺の東側にある町並は世界的観光地の中にあっても普通に人々が生活を送っている住宅地、観光客もめったにこちらの方には入って来ることはない。水路はその中を直角の曲がりを繰り返しながら迷路のような町中を流れて行って、国道25号線の斑鳩東小学校前交差点を越えていく。国道が斜めに走っているので方角の感覚があやふやになってしまいそうだが、道は真っ直ぐ南へと伸びていて川もその道に沿って流れている。その後、川は東へと直角に折れて小学校の脇を過ぎて再度南へと直角に折れる、この辺りは田園風景が広がっていて先の方には聖徳太子所縁の場所でもある上宮遺跡公園や、更に向こう側には富雄川に沿う自転車道も見える。川はこの先でシール工場の敷地へと入って行って追うことができる道も途切れてしまうので、走りの方は迂回して阿波の集落へと入って行く。聖徳太子が通っただろう太子道が通る小さな集落・・・海のない奈良県に波の字がつく地名は違和感もあるが、太子道の途中には聖徳太子が都を置いたとされる飽波神社もあることだし、何か関連性があるのかも・・・を抜けると車の通りが多い道へと出て、川もそこで再び姿を現してくれる。この道を西へと真っ直ぐに進むと町中へと差し掛かりT字の交差点至に突き当る、川はここで左に直角に折れていく、狭い通りだがバスも通っているこの道がこの先JR法隆寺駅へと通じている。














先の方にはJR大和路線の踏切がありその横にはJR法隆寺駅、大和路線の中では乗降客は多い方だが法隆寺とは相当離れているので観光客はそれほど多くなく、専ら通勤客の利用の方がほとんどと言った感じ。駅前も住宅地や商店街と言った光景で、ここが世界遺産への玄関口の駅だと言うこともほとんどアピールしていない。さて、ここまでは特に名前を記してなかった今回の巡りの水路ですが、この辺りからは三代川と言う名の川となって下流へと流れていくことになります。その三代川は法隆寺駅の南側で緩やかにカーブして住宅地から離れて田園風景の中へと差し掛かっていく。さっきまでの駅前の喧騒もどこへ、と言った感じの風景の中、県道5号線を横切ってJR線の南側にある新興住宅地へ。川に沿う道があったのでそのまま進んで行くとJR大和路線の陸橋、川はそのまま下をくぐっているが道は線路に阻まれてしまっていて結局戻ることになってしまった。踏切を渡って線路の向こう側へとたどり着くとそこは川の合流点、この合流点はさっきの行き止まりからも見えていた。次回はこの分岐している川を追って、更に合わせて三代川の下流まで巡って行きたいと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち



No.1410 藤原宮跡、変わらぬ花の都であってほしいのだが・・・

2020-08-26 09:44:37 | 
よろしくお願いします。














怪我も治り自転車生活に復帰して1ヶ月、乗り始めてしばらくの間は足慣らし、体慣らしのオープン戦。すぐに4連休があったので乗る機会が増えてくれたのが良かった、その後も週末にはトレーニング、少しずつ距離を伸ばしたりアップダウンのコースを走ったりしながら感覚を取り戻し、盆休みには滋賀、大阪方面まで走ることができました。今回は復帰後初めて明日香村方面を走ってきた記録をお伝えしようと思います、明日香村については現在進行形で水路巡りをお送りしていますが、今回は季節ネタと言うことでそれとは別編成と言う感じで進めて行くこととします。












それにしても今年は天気に悩まされるなあ~、梅雨がなかなか明けず、終わったかと思うと連日の猛暑続き、晴れてくれるのはありがたいことですがこうも暑いとちょっとねえ・・・。自分(一人称)も熱中症にかかりやすい体質なのでその辺りは用心しているつもりですが、走っているといつの間にかスイッチが入ってしまってハイになるんですよね、でも復帰後は涼しい場所での休憩もこまめにとるようにしているので、今のところは倒れることなく走ることが出来ています。それでもこの暑さです、やっぱり水が恋しくなってしまう、田園風景の中を走っていると水の流れの音に反応してしまってカメラを向けてしまいます。少し幅のある川から水門を通り抜けて小さな水路となり、途中で流れが2つに分かれる所があってそこを経て田んぼへと注がれて行くのでしょうか。明日香村は観光地としてもう充分過ぎるほど有名ですが、初夏から秋にかけては各田畑で農家の人たちが働いている姿をよく見かける所、一生懸命汗を流しているところを申し訳ないな~、てな気持ちになりながらこの辺りを走らさせてもらってます。秋になると収穫の時期、その前には彼岸花が咲き乱れ、稲渕の棚田では畦道に案山子が立つ風景が・・・と行きたいところですが、折からの感染症渦で今年はどうなるのでしょう。前にも書きましたが本薬師寺のホテイアオイは今年は中止、藤原宮跡ではコスモスも中止になったとのこと、ホントに憎々しい感染症渦です。そんな中で怪我で夏を出遅れた自分(一人称)が心配なのは藤原宮跡の蓮、今年はどうなっているのでしょう・・・。


























と言うことで藤原宮跡へとやって来ました、臨時の駐車場には車が何台か停まっている、これはもしかしたらと先へと進んでいくといつもの場所で蓮の畑が広がっていました。毎年変わらずにあったものが、今年は次々となくなっていっている、そんな殺伐とした世の中にあってここには昨年と同じ風景が広がっていてちょっとだけ気持ちが救われたきがしました。でも人の出具合はちょっと寂しい感じ、確かにこの頃は奈良でも1日の感染者数が更新されていく毎日だったからそれも仕方ないのかも。でも花の美しさ、健気さには罪はありません、蓮を見に来ていた若い女性が「ヤバい、かわいい」を連発しながら写真を撮っていた、まあその表現はどうかとも思うがこの風景を素直に楽しんでくれているのは嬉しいことです。でもコスモスもホテイアオイもないんだなあ、明日香村も藤原京もこれからが本番と言ったところなのに、その風景が見られないなんて、やっぱり寂しい気持ちの方が勝ってしまいそう。それでもここにはまた来ようと思っています、祭りはなくても花も風景も変わりはしませんからね、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち


No.1409 大和郡山市の水路巡り(1)・・・紺屋川

2020-08-25 10:01:55 | まち
よろしくお願いします。






















大和郡山市の中心部を地図で見てみると、水路や池を示す水色の表示が近鉄、JR郡山駅付近でもたくさん見ることができる、まさに水に恵まれた町と言ったところです。町の中心には大和郡山城、そこを囲むように内濠、外濠があり、両駅に挟まれた部分にあるちょっと時代に取り残されたようにある商店街の中でもその跡を見ることができる。その町中を抜けるともうすぐの所が田畑や小さな溜池が広がっている、まさに町と隣り合わせと言った感じ、今回はまずその風景の中にある名もなき小さな水路を巡って行きます。写真1枚目、2枚目にあるのは中街道と呼ばれる大和郡山市街地から筒井方面へと伸びる道、すぐ横には溜池があり小さな水門はそことこの水路を結んでいるのだろう。道の東側へと入ると小規模の環濠集落があり、そこを抜けると田畑が広がる所へと出る、車も通ることができないまるで畦道のような中を水路を追いかけて進んで行きます。ここを訪れたのは自分(一人称)が骨折する直前の頃、写真を見ても分かるように田んぼには水が張られてはいるがまだ苗は植え付けられていない、ちょうど田植え直前の頃で農家の人たちも準備に忙しいところだったのだろう、そんな中を呑気に水の流れる音に誘われてお邪魔してしまいました。






















郡山の中心部へと入ってあてもなく町中をウロウロ、何かネタになりそうなものはないかな・・・と思いながら外濠公園へとやって来ました。ここは通勤の時にもよく通りかかる所、公園の中には水路があるがこれが外濠ってこと?でも城を守るためにあるお濠がこんなに小さなわけはないわな。公園を抜けると碁盤の目状になった町中の、細い道の真ん中を流れる紺屋川と言う名と出会う、町の中心部を貫く車が通る道を過ぎると、左手側には箱本館「紺屋」の風情が漂う建物↓↓↓

「近鉄大和郡山駅から南へ歩いて約5分。紺屋川が東西に流れる周辺を紺屋町(こんやまち)といい、かつては藍(あい)染め業者が集まっていた。「箱本館 紺屋」は、名字帯刀を許された染め物業、奥野家の旧住居を改修したミュージアム。かつて行われていた藍染めに関する資料や、古色がにじむ調度品を数多く陳列。金魚ミュージアムも金魚の町らしく多彩な収集品を誇る。いずれもあふれる和の心が楽しめる。予約をすれば藍染め体験も可能。」

水路は真ん中を通っていて道は左右両側に分かれている。旧街道の雰囲気が漂う町並の中を通り抜けて、紺屋川は西友の手前で90度右へと向きを変えてビルの間に姿を隠してしまう。近鉄郡山駅前のバス通りへと入って川と平行に進んでいくと大和郡山市役所へ、建物の前には池があり、紺屋川の流れはここへと通じているようだ、そんなわけで突然の出会いからほんの200メートルほどで川巡りはあっけなく終わってしまった。池の中央部では噴水が涼しげに水を噴き上げている、GWが過ぎたところだからまだそれほどではないが、夏の暑い時期だったら心が和まされそうな光景だろう。池の脇には蓮の花もちらほらと咲いている、こちらもこれからが本番の季節か、今年もいろいろと巡ってみようと気持ちも昂らせていたところだったんですけどねえ~、この翌日ですわ、不幸に見舞われたのは・・・。






と言うことで、実はさっきチョイと話題に挙げた郡山城のお濠、大和郡山市はさほど水の都と言うことはアピールしてないのですが、水に恵まれた地であるのは、金魚の養殖が盛んなことからして間違いないはずです。そこにはやはり郡山城を取り巻くお堀の存在も大きかったと思います、その外濠巡り、この日は行けなかったので日を改めてと思っていたのですが、怪我があったことで巡りに行けたのは2ヶ月後のこととなってしまいました。大和郡山の水路巡り、次回はその外濠巡りについてお送りしていきたいと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました・・・・・・・・・・・まちみち