まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1558 Go To 伊賀(1)・・・国道163号線

2021-04-30 10:59:11 | 旅行記
よろしくお願いします。
















今回からは新章、伊賀市を走った記録をお送りしていこうと思います、三重県は隣の県なのに昨年は行くことができず、足を踏み入れることになるのは一昨年の近鉄名古屋線各駅巡り以来となりました。今年はこれまで行けなかった分だけ責めて行こうとの思いもあるのですが、まずは一番近くの伊賀上野から攻めることとしました、ここも長らく行ってなかったですからね。
当日は雨予報だったが降るのは午後からとのこと、この日はセンバツの第1試合で天理が登場とのことでもちろんラジオ観戦は必須の走りとなりました。それにしてもホンマに雨が降るんかな~、と言いたくなるような晴れ具合、とりあえず今回は無理はしないで伊賀上野まで走った後はおとなしくJR関西本線で帰ることに決めていた、まあ久しぶりにディーゼルカーに乗りたかったと言うのもあったのですけど。そんなわけでまずは絶好の空模様の下で奈良をスタート、加茂からは国道163号線へと入り、後はこの道をひたすら伊賀上野へと走るだけ、そして旅のお供となるセンバツ、天理の試合も始まりました。



















国道163号線は木津川に沿って通っている、笠置までは木々に阻まれて流れを見ることはできないが、笠置のトンネルを抜けると木津川の流れの明るい雰囲気が目の前に広がってきた。その流れが向こうへと離れて行くと今度はJR関西本線が寄り添ってきて、その先にやって来るのが直線の上り坂。隣を走る列車の車窓から見ると普通に直線の道だが実際に走ると長い上り坂が結構きつい、上り始めは見上げていた線路がいつの間にか見下ろす位置になっている。その坂を上り詰めた所からが南山城村、国道163号線はこの先で新道となるが、そちらは自転車で行くことはできないので旧道の方へと入る。再び木津川が現れて、前にもここで取り上げたことがある沈下橋が見えてきた、左手側にはJR関西本線の大河原駅、駅舎の奥の方には新しく観光案内所ができていたが、ホームは相変わらずローカル線の情緒漂う風景のままだった。
大河原駅周辺が南山城村の中心部、京都府では唯一の村で過疎化が進んでいるが所。コロチキのナダルがこの村の出身とのこととお茶の産地と言った以外は特に何もなさそうな村だが、静かな雰囲気は誰にも邪魔されたくないところだろう。でも感染症禍の下、隠れた穴場として木津川辺りに人が押し寄せてきそう、今が嵐の前の静けさとはなってほしくない所です。村の中心部を抜けると伊賀までの行程の中で一番きつい上り坂へと差し掛かってくる、JR線の下をくぐった所から上りが始まり途中のT字交差点で国道163号線と合流、その先も上りはまだまだ続いている。ラジオからは天理のチャンスでわっしょいが聞こえてきた、録音音源で応援の醍醐味はあまり感じられないが効果はあったのか天理は追加点を挙げることができた、この天理の勢いに乗じて自分(一人称)の走りも波に乗せて行きたいところだ・・・。

















アップダウンが終わると月ケ瀬口駅前、この辺りは近年発展が著しい所だが交通の便がこれだからなあ~。ここからはまたまた上り坂、その途中で京都府から三重県へと入る、国道は狭いうえに工事している所もあって、トラックも多く走っていて走行には気をつけなければならないところ。やがて国道を離れて島ケ原の町並へと入って行く、この町を通っているのが旧伊賀街道、ここは昔宿場町だったとのことで旧街道の雰囲気が漂う町並の中を通り抜けて行く。途中で街道を折れてJR島ケ原駅へ、ここの駅舎は前に来た時から全然変わっていなかった、まあローカル線だから忘れられているのかも・・・。そんなわけで絶好の天気の中、絶好の走りと絶好の天理の勝利でここまでやって来ました、目的地の伊賀上野はもうすぐ、次回はその町並を巡った記録をお送りしていきたいと思います、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1557 徳島への旅(2)・・・琴電志度線各駅巡り、その2

2021-04-27 10:49:46 | 旅行記
よろしくお願いします。






















とっても寒い大晦日、日が昇って多少は温くなってきたものの風は相変わらず冷たく、この先も前途多難な走りとなりそうです・・・と何かネガティブな出だしとなってしまいましたが、徳島を目指しての旅、第2回目の始まりです。高松市内にある瓦町駅からの琴電志度線を各駅巡り、まずは写真1枚目~3枚目にある八栗駅、この駅前は2年前に映画『世界の中心で愛を叫ぶ』のロケ地に向かう時に通った所です。付近は源平の合戦所縁の地で観光地も多く、駅も2面2線で線内では大きな駅となっている、改札を素通りしてホームに入ると若い女性の駅員さんが構内を掃除していた、すみません、勝手に入ってしまいました。その後は住宅地の中を線路沿いに進んで六万寺駅、大町駅と巡って行く、その大町駅前で再び国道11号線とその向こう側にはJR高徳線が寄り添ってくる。国道とそれを挟むように2本の線路は並行して次の八栗新道駅、ホームは1面だけでその入口となっている国道の向こう側にはJR讃岐牟礼駅のホームが見えている。こんなに真正面で向かい合っているのなら連絡通路でも造って乗換が便利にしても良さそうだが、どちらもホーム1本だけの無人駅で乗降客も左程なさそうであまりメリットはない感じ、どちらもローカル線の雰囲気が漂っていて、まあここはここで何も変わらないのが一番いいのだろう。














塩屋駅を過ぎると海が近くに見えてくるが、その次の房前駅、原駅は先を急ぎたいためにスルーとなってしまった。なぜかと言うと、国道を外れて線路の北側にある旧街道へと入った辺りは登録有形文化財や古い町並があって、そちらの方に気を取られてしまったため。その旧街道を巡った記録についてはフォトチャンネルにて先行公開していますが、この後にも登録有形文化財巡りで訪れる地もあるので、その記録については後日1枠設けてお送りしたいと思っています。さて、途中をすっ飛ばしで来ましたがやはり終点は寄っておかなければと言うことで、やって来たのは琴電志度駅、三角屋根の木造駅舎、改札をし通りすると1面2線の行き止まり駅となっている。終着駅に来た時は車止めを見ておくべし、と言うのは鑑識米沢改め呑み鉄本線六角氏のお言葉、その行き止まりを見ると巡ってきた路線がここで終わりなんだな~、と寂しさが湧き上がってくる。もしかしたらこの路線はもっと先へと伸びたかったのかも、でもその役目はJRが担ってくれている、琴電志度線巡りはこれにて終了です。
















ここではもうさぬき市へと入っている、昨日巡った長尾線の終点長尾駅があるのもさぬき市だから2日連続でこの市に寄ることになった。さて、国道11号線を徳島を目指して本格的に走り始めるわけですが、志度の町を抜けるといきなり目の前を待ち受ける上り坂、まずは天野峠を全集中で越える。坂を下って一旦は平坦な部分を走るがまたすぐに上り坂、次に待ち受けるのは羽立峠、まあどちらも大してきつい上りではないが、上りの向かい風、下りの突き刺してくるような寒さはさすがにきつい。峠を下りると前方に海が見えている、たどり着いたのは津田と言う町、JR高徳線の駅があるので国道を折れてそちらの方へと向かってみる。たどり着いたのは讃岐津田駅、JR高徳線は志度駅を出ると国道から離れて内陸部をぐるっと曲がってここへと至っている。駅舎やホームに特に見どころがあるわけではないが一部の特急が停車するらしい、近くに観光地があるからだが今回はここまで、その観光地へ向かうのは次回のこととしておきましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1556 Go To 京都、新春編(3)・・・金色の自転車道

2021-04-26 08:16:43 | 旅行記
よろしくお願いします。
















正月2日に京都を走った記録をお送りしています、まあGoTo編と言うことであちらこちらを気ままに走ったのですが、特に目的も何もないままあちらこちらを巡ったのですが、ここまでは案の定取り留めのない記録となってしまいました。阪急桂駅界隈を巡った後は七条通を進んでJR京都駅付近へ、ここでも結局は鉄道にネタを求めてしまうと言うことで八条通りと油小路通との交差点へとやって来ました。交差点名は八条油小路交差点、そのまんまですね、ここでの目的は新幹線と近鉄電車のコラボレーション、一応10分以上ほど粘ったけど今回の撮れ高はこれだけ、近鉄特急は1本通ってくれたが新幹線といっしょの場面は実現しなかった。



















冬の夕暮れは早い、午後3時を過ぎるともう日は西の空に低くなってきて後は暮れていくのを待つだけとなってしまう。京都からの帰りはいつもの国道24号線、宇治、城陽と通り過ぎて山城大橋へ、ここを渡って木津川に沿う自転車道へと入る。西の山に沈みそうな太陽の光が真横から差し込んできて風景を金色に染めている、おおっ!何て幻想的な風景なんだあ~、でもこの風景を堪能して走っていると奈良に帰り着く頃には真っ暗になっていそうやな~、って実際そうなったんですが。そんなわけで最後は駆け足になってしまいましたが、今年最初の走りも好調なうちに終わらせることができました。この翌日には和歌山へ、1週間後には大阪へ、その後も京都や滋賀、昨年は行くことができなかった三重県にも行きました、怪我や感染症課で動くことができなかった鬱憤を晴らすかのようにいろいろと出かけて行っているのですが、悪魔の足音はヒタヒタと近づいてきています。

















感染症禍の猛威はいまだ収まらず、ついに関西圏では3度目の緊急事態宣言となってしまいました。大阪は連日の1000人超え、兵庫も300人超え、奈良もついに100人を超えて連日の過去最多を更新する日が続いています、もうどうなっちゃうんかな~、世の中・・・。緊急事態宣言も3度目、同じことを何度繰り返すねん、学習能力ないんか~、とも言いたくなりそうだが、感染症は変異種も入ってきて人間の学習能力を超えるスピードで蔓延しています、今回の自粛で結果を出すことができるのでしょうか・・・。そんなわけで今年も自粛が求められるGWになってしまいそうです、まあ仕方ないよな、自分(一人称)も今は走りにはマスク必須です、もう暑いや苦しいとも言ってられない状況です。ただGWは走りに行く予定はしています、空気読めや!!とも言われそうですが、自分(一人称)の満足を満たすために行こうと思っています、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1555 万葉歌碑巡り・・・和歌山紀ノ川編

2021-04-23 11:09:37 | 万葉
よろしくお願いします。
















今回は万葉歌碑巡り、正月3日に和歌山へ走った時に巡った歌碑についてお送りしていこうと思います。まずは県境を越えて和歌山県に入ってすぐの所にある写真3枚目~6枚目にある万葉歌碑、この辺りについては前に橋本市まで走った時の巡りで来ているのですが、その時に国道24号線の向かいにある歌碑に気を取られたために確保し損ねた歌碑でした↓↓↓

「あさもよし 紀伊へ行く君が 真土山 越ゆらむ今日ぞ 雨な降りそね」(作者不詳・巻9-1680)

その場所から坂を下って道を左に折れた先にあるのがJR隅田駅、その駅前にあるのが下にある歌碑↓↓↓

「真土山 夕越え行きて 廬前の 角太川原に ひとりかも寝む」(弁基・巻3-298)

どちらの歌にも出てくる真土山、これについては前回の巡りの記録の時にも取り上げています。山と言うよりも奈良と和歌山の境界線にある峠のこと、その山を越すと紀伊の国に入ると言うことで、旅人も思いも新たになることなのでしょう、雨も宿も旅には考えどころとなるテーマ、昔も今もその辺りは変わらないことでしょう。













国道24号線にある道の駅紀ノ川万葉の里へとやって来ました。万葉の里と言うだけあってこの辺りには歌碑は多そうなのですが、資料を調べるとその場所が山の上とか紀ノ川の中州とかで、短い時間の中ではいけない所ばかり、結局そこで見つけることができたのは下に挙げた4つの歌だけでした↓↓↓

「紀伊の国の 浜に寄るといふ 鰒玉 拾はむと言ひて 妹の山・・・」(作者不詳・巻13-3318)

「妹に恋ひ 我が越え行けば 背の山の 妹に恋ひずて あるが羨しさ」(作者不詳・巻7-1208)

「背の山に 直に向へる 妹の山 言許やも 打橋渡す」(作者不詳・巻7-1193)

「人ならば 母が愛子ぞ あさもよし 紀の川の辺の 妹と背の山」(作者不詳・巻7-1209)

どの歌にもあるのが背と妹の文字、それぞれが背の山と妹の山を表しているようです。背ノ山はこの近くの交差点名にもあるのですが、国道24号線の北側にある山のこと、一方の妹の山は紀ノ川を挟んだ対岸にある山のこと。二つの山は男性と女性に例えられて、この地を舞台とした物語として歌に詠まれたのでしょう。一番下にある歌碑は国道24号線の歩道の分かりにくい所にあって、あわや見逃してしまいそうになった、ここでの取れ高が結構ガックリしたものだっただけに、この歌碑を見つけることができたのは嬉しかった。でも巡り切れなかった歌碑については、今度はもっと時間をかけて来なければならないところ、またまた宿題として残ってしまうこととなりました。

















万葉歌碑・・・紀伊風土記の丘


万葉歌碑巡り最後の目的地、紀伊風土記の丘へとたどり着きました。もう夕方も近くなって時間もあまりないところ、しかし園内には古民家や古墳など見所も多く、駆け足で巡るにはあまりにももったいない。そんな中を案内板を頼りに万葉植物園へとたどり着く、小高い丘にはその植物に関する歌碑が立っていて、その模様についてはフォトチャンネルにてのお送りとしています。大きな歌碑の中には柿本人麻呂の歌が掲げられた歌碑もありました↓↓↓

「いにしへの 人の植ゑけむ 杉が枝に 霞たなびく 春は来ぬらし」(柿本人麻呂・巻10-1814)

「春は来ぬらし」とは春がやって来たらしい、との意味ですが、走ったのは正月3日だったので春はまだまだと言った頃でした。まあ時期的は春はやって来ましたが状況はまだまだ厳しそうです、感染者数も奈良県ではついに100人を超えてしまい連日の過去最多を更新、悪魔の足音は確実に近づいてきている感じです。GWはどうなってしまうんだろう、またまた暗黒の時を過ごさなければならないのかな・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち


No.1554 ならやま大通り、暇つぶしに走ってみれば・・・

2021-04-21 11:05:29 | みち
よろしくお願いします。




















今回はチョイ走り、行先はならやま大通りです、休日の暇つぶしでどこへ行こうかと迷ったのですが、結局近場でアップダウンのある道と言うことでここになった次第です。この道もこれまで何度もここで紹介したことがあるので、今更特にあ~だこ~だの説明はもういいでしょう、まあそんな説明がいるほどの特徴がある道でもないですが・・・、と言ってしまうと元も子もないので、何やかんやと文章を加えていきましょう。
奈良阪町北交差点で県道から分かれてならやま大通りへ入ると、まずは左手側に見えてくるのがプリンお店、店の建物がプリンの仕様になっていて美味しそうな感じがしますね~。ここはよくテレビでも取り上げられて行列ができるほどの人気店、でも自分(一人称)は買いません、市販の焼きプリンかプッチンプリンで十分です。「プッチンプリン」って出た当時は画期的でしたね、底にある出っ張りをプッチンすると中身が飛び出す、この仕組みはどうなっているのか・・・と思ってプッチンプリンのHPを見ると漫画でその仕組みが説明されていました。プッチンすると中身が出てきて皿の上にプリンを落として食べる、お昼のおやつの定番も現代となってコンビニなどで並ぶとそのままカップのままで食べてしまうようになった、プリンが飛び出す衝撃ももう昭和のかなたの話となってしまいました。














何でプリンの話を熱く語ってんだ、と言う感じで写真の方は第2のゾーンへと入りました。近鉄京都線を越えて坂を上り詰めると奈良大学の前へとたどり着く、当然のようにそこにあるバス停は「奈良大学」、しかし反対車線にあるバス停は「神功南口」とちょっとしたミステリーゾーンとなっている。先の下り坂を進むと神功5丁目交差点、ここからは道の両側にいろいろな店が建ち並ぶ所となる。奈良テレビのCMでもお馴染みの赤や、名前通りに赤い建物が象徴的、車にギョーザにドラッグストア、CDショップとお馴染みの名前の店が続く中に進行方向左手側に現れるのが「ゆら~り、揺られ~て、ゆらら~の~湯ぅ~♪」でお馴染みのゆららの湯、奈良のシネコンでは映画が始まる前にこのCMが流れる。映画が始まる前のCMと言うとシマダオート、以前はNMB48、そしてまさかの桑田真澄、ちょっとグレードが下がって村上ショージと来て今やっているのが見取り図、階段の踊り場で「カースクカースクカースク・・・」と叫んで突然終わってしまう、相変わらずシュールでわけの分からないCMとなってます。まあ奈良テレビのCMもお金がないのか安上がりなものばかりですが、いかにもローカル局制作と言う感じで結構シュールなものも多いです、天理教のCMなんてもうホンマ、ありがたや~ありがたや~な仕上がりですからね。


















またまた話が逸れているうちに第3のゾーンへとやって来ました、登美ヶ丘3丁目の交差点を過ぎて登美ヶ丘の高級住宅地へと入って来ました。瀟洒な住宅地、お洒落なお店が建ち並ぶ中、特に話が広がりそうなものはないかな~と走っていると、柿の葉寿司の店を見つけました。これもCM「た、な~かの~、か~きの~はずし~♪」でお馴染みの柿の葉寿司本舗たなかの店、柿の葉寿司と言うと五條、吉野と言った奈良盆地南部のイメージがあるが、もう奈良県全体のお土産と言う感じとなっている。鯖寿司に柿の葉を巻くのは海で捕れた鯖の塩味が奈良に着いた頃には和らげるためだとか、そう言えば2時間ドラマの『天河伝説殺人事件』では浅見光彦が母親から「光彦も柿の葉に巻かれればいいのに」とか言われていました、う~ん、わけが分かりません。柿の葉寿司で思い出したのですが、JR時刻表には駅弁を発売している駅には「弁」のマークがついているが、奈良県内では唯一このマークがついているのが吉野口駅だけ。何でこの駅にマークがついているのかと思ったら、柿の葉寿司を売っていたんですね、前にこの駅で下車した時に売店をのぞいて納得しました。でも奈良には駅弁は似合わないなあ、柿の葉寿司くらいなら和歌山線のロングシートでも食べることはできそうだけど。そんなわけで相変わらず写真とは関係ない話ばかりで進めてきた今回でした、最後はならやま大通りも生駒市に入った自転でその名前も外れて、やがて近鉄学研北生駒駅へとたどり着きました、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち