まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.2074 岡山の旅(1)・・・備中国分寺五重塔

2024-04-29 00:54:30 | 旅行記
よろしくお願いします。


















昨年の大晦日に岡山を走って2カ月も経たない2月の下旬の休日に、再び岡山県を日帰りで走りに行きました。元々年末の岡山は行く予定がなかって突然決まった走り、巡りの場所も走りのコースも急ごしらえだったもの、そんなわけできっちり予定を立てて行こうと思っていたのですが、それが今回の旅となりました。岡山と言うと一昨年はウエストランドがM1を獲り千鳥も快進撃、ドラマから映画化された『推しが武道館いって・・・』も岡山が舞台、高校駅伝では倉敷が優勝といろいろと話題となりました。昨夏の甲子園ではおかやま山陽が日大山形、大垣日大、日大三と日大勢を撃破、大垣日大との試合はナイターでの延長タイブレーク、劇的な結末となりました。行く機会を設けられなかった昨年、そのツケは今回の旅で、と言うことで奈良駅始発から新幹線、岡山駅からは吉備線に初乗車で総社駅に下り立ちました。相棒君を立ち上げてスタート、駅近くのコンビニで朝食をとった後、自転車道へと入ってコースをたどって進んで行きます。


















吉備路自転車道はかなり前に走ったことがあってその時は岡山方から、五重塔に寄った後に途中で道を折れて倉敷へと向かったのだが、その時の記憶はほとんど残っていない。2018年の旅ではJR吉備線を各駅巡りした際にほんの一部だけこの自転車道を通った、その時に次に岡山に来た時にはこの道を走ろうと思っていたが、それから足掛け6年も経ってしまったわけで、やっと宿題を片付けられる時となりました。さすがに晴れの国を謳うだけあってこの日も絶好の晴れ模様、2月と言っても寒くはなく、この先では一歩早い春を見つけることもできました。そんなわけで1番目のゾーンの写真にあるように、まずは所々に緑色が覆っている田園風景の中を進んで行って最初のたどり着いた見所が作山古墳↓↓↓

「全国第10位、岡山県下第2位の規模を誇る前方後円墳で、岡山市の造山古墳(全国第4位、岡山県下最大)に次いで、5世紀中ごろに築造されたものです。」

と言うことです。国指定の史跡ではあるが天皇陵ではないので中に立ち入ることができる古墳とのことだが、天皇ではなくても権威のある人の墓ですからねえ、あまり土足で踏み入れるのもどうでしょう・・・?













作山古墳を過ぎてコースに沿って進んで行くと、先の方に五重塔が見えてくる、この自転車道で一番の見所が早速こんなに早くやって来た。その五重塔が目の前にそびえたちその前にはピンク色の花をつけた気が立ち並んでいる、気の早い桜か・・・ってわけないか、これは梅の花ですね。ちょっと急な参道を上ると山門がありそこをくぐり抜けて境内へ、創建当時は全国に置かれた国分寺、大層さがうかがえる寺院名だが境内は至って普通、その中で五重塔が威風堂々という感じ、もちろん国の重要文化財です。寺院を後にして自転車道を先へと進んで行くと左手側に見えてくるのがこうもり塚古墳、何とも怪しげな名前の古墳だが石室には実際に蝙蝠がいたからこの名前が付いたとか。これ余談なんですが、実はうちの部屋にもよく蝙蝠が飛んでくるんです、でどっかに潜んでるんですよね。寝よう思って電気を消したらパタパタと部屋の中を飛ぶ音が聞こえたこともありました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2070 徒歩で京都を重文巡り(4)

2024-04-17 09:31:39 | 旅行記
よろしくお願いします。











京都の旅はちょっと前後しましたが、徒歩で巡った記録より先日相棒君と走った記録の方を先に終わらせました、徒歩での巡りは今回が最終回となります。JR花園駅から妙心寺~今出川通~銀閣寺~三条と京都市内を歩きで巡ってきました、写真にある聖護院門跡は人がいっぱいで重文巡りが十分にできなかったことは前回お伝えしました、別に狙ってシャレにしたわけじゃないですよ。旧武徳殿が京都市内での最後の巡り、テレビのローカル路線バス乗り継ぎの旅ではよく見る10キロ近くの歩きはなかなかきつそうだが、観光を楽しみながらの歩きとなるとそれほど疲れは感じない、まだまだ歩けるぞとは思ったがここからは電車で移動です。京阪三条駅から中書島駅で乗り換えて宇治へとたどり着きました、京阪電車は安いね~、近鉄とは大違いだわ・・・。














もう何度も自転車で通り過ぎるだけの京阪宇治駅、昔は京都競馬場へ行く時によく利用していたなあ。マップでは宇治駅のすぐそばには水準点の印がついている、その場所もよく通るのでよく知っている所、草むらの中でも標石はすぐに見つけることができた。信号を渡って宇治川の左側の道を進んで行って重要文化財の印がついている宇治神社へ、参道の石段を上った所に朱色の拝殿の壁に囲まれて重厚そうな本殿の屋根が見えている。この先を上がった所にももうひとつ巡るべく場所があるが、今回はあまりにも時間が押し迫っている、空も暗くなり始めていて先を急ぎたかったのでそちらは断念、次の宿題として下へと下りて宇治川に架かる朝霧橋を渡る。



















巡りの方もいよいよ大詰め、今日最後の目的は橋を渡った宇治川の中州の島にありました、遊歩道を先へと進んで行くと見えてきたのは石造の十三重塔です。この島が塔の島と言う名前だがこの塔がその由来となっているのだろうか、グレーの空をバックに更に濃いグレーの姿を映えらせてなかなか威圧的な感じ、調べてみると日本一の高さの十三重塔と言うことです。さあ、今回の重要文化財巡りはこれにて終了・・・とちょっと待った、宇治と言うとあの寺院があるでしょ、言わずと知れた平等院です。まだ拝観時間内で寺院に入って行く人も見られたが、今回は銀閣寺にお金を使うだけと決めていたのでもちろんここは来訪は断念、寺院は遊歩道の垣根の向こうで屋根だけが見えている、それを撮るだけにとどめておきます。今年は大河ドラマもあって宇治は今たくさんの人が訪れているが、またいずれもの機会を見つけて今度は平等院も行ってみたいと思っています、そんなわけで徒歩で京都を重文巡りはこれにて終了です、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



No.2069 しまなみの旅2023年(7)・・・悪魔のささやき

2024-04-16 02:12:09 | 旅行記
よろしくお願いします。
















昨年末の2日間に渡ってのしまなみ、岡山の旅もいよいよ大詰め、コロコロ変わる空模様に悩まされながらもようやくゴールが見える所までやって来ました。そのゴールはJR倉敷駅、これまでの走りでずっとお付き合いだったJR山陽本線は西阿知駅を過ぎたのでもうあと一駅で到着するのだが、マップを見ると重要文化財がいくつかあるので時間もあることだしそちらを巡ることに。まず訪れたのは遍照院三重塔、県道と旧街道に挟まれて地図では少しわかりにくい場所に印がついていたが、西阿知駅付近には道標や表示もあって迷うことなくたどり着くことができた。三重塔は寺院と言うよりは公園と言った感じの場所に建っていて、簡単に手に触れられますよ~ってな感じである姿には重文っぽさを感じない。
その後は高梁川に沿って進んで酒津公園へ、何かお酒が湧いてきそうな名前だがここでの見所は配水施設、最初は1本の小さな水路に沿って道を進み、やがて他方から2本の水路が寄ってきてまるで阪急電車の3路線が梅田駅に到着するかのように水路が樋門をくぐって配水池へとたどり着く。この樋門が重要文化財、更にこの樋門を渡った所にある建物、配水施設の事務所、そこから更に進んだ所にある北樋門も重要文化財、旅の最後で話のネタを拾うことができました。













配水池を後にして先へと進むと新幹線の走行音が聞こえてくる、ここでも会いに行こうシリーズをやろうかと思ったが時間も夕刻に差し掛かり帰りの時間も心配しなければならなくなってきた、と言うことでここは断念。信号があって突き当りを通る県道は5年前の秋の岡山の旅で走ったことがある道、左に行くと総社市、もちろんここは右に曲がって倉敷駅を目指すことに、県道にはJR伯備線が沿っていてこの線路をたどって行くと最終目的地にたどり着ける。踏切を渡って交差点で信号待ち、まっすぐ行くと倉敷駅、左に曲がると岡山駅・・・とその時悪魔がささやいた、岡山駅まで行ったら追加料金要らんぞ~と。元々帰りの切符は坂出駅~奈良駅で手配していたが雨が降るからと乗車区間を変更、岡山駅から奈良駅までの切符に変更していた。岡山駅から乗車だと余分な出費は出さなくていい、距離は10キロちょっとだから1時間もあれば行けるだろう、ここは悪魔のささやきに従うことにして最終目的地は岡山駅に変更、一旦緩んだ気持ちをリセットして交差点を左に曲がる。


















たくさんの人の波をかき分けて、岡山駅に着いた時にはもうかなり暗くなっていた、2023年も残すところあと6時間余り、相棒君はここでしばしのお休みです。帰りは新幹線は使わず在来線のみで帰ることに、時間繰りは事前に調べておいた、姫路行きの電車まではまだ時間があるのでいつものように電車の写真を撮ることに。岡山駅は四国へ渡る電車あり、山陽本線、伯備線は国鉄方の黄色の電車、もうじきお役御免となる特急『やくも』の国鉄方車両も入線してきた、ディーゼル車両は今回はもういいか・・・とホームでは撮り鉄よろしくと言った感じ。姫路行きのホームではたくさんの人が電車待ちの列を為している、これは座れないやろうな~と思ったが無事に座席を確保することができた。姫路駅までは1時間20分ほど、ホームからはライトアップされた姫路城が見える、その後は新快速、大阪駅からは大阪環状線~大和路線と乗り継いで年明け30分ほど前に奈良に帰ってきた・・・って雨が降ってるやないか~、最後の最後まで雨に悩まされた旅が終わりました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち




No.2068 滋賀の旅2月編(1)・・・導入編

2024-04-15 00:16:48 | 旅行記
よろしくお願いします。














2月の滋賀の旅は曇り空の寒風が吹く中、近江鉄道の日野駅から始まりました。この日の目的は重要文化財巡り、三角点巡り、飛出し巡り・・・なんて滋賀限定でしかできないか、まあこれは本格的ではないので・・・などいろいろ混ぜこぜ、東近江市から近江八幡市と滋賀の中央部を走りながら、できるだけ帰りの電車代が安い駅まで走ることとしました。この旅の記録はテーマごとで計4回に渡ってのお伝えを考えています、今回はその1回目、導入編としてお送りしていきます、さあ、5月までに終えることができるでしょうか・・・。
さて、このゾーンの一番下の写真、近江八幡市で行われる左義長まつりののぼり、「左義長」とはよく聞く言葉だがwikiには「小正月に行われる火祭りの行事」とある、正月の後文化財巡りでいろいろな神社をまわったが、しめ飾りなどを焼く準備をしている光景をよく見ました、とんど(歳徳)、とんど焼きのことですね。この前奈良テレビの番組で笑い飯哲夫が左利きの人をと言うのはこの左義長から来ていると話していた、今ではテレビではピーッと鳴らされてしまう言葉なのですが、どのような経緯からそうなってしまったんでしょうかねえ・・・、と言うことでまたまた頼りのwikiから↓↓↓

「平安時代の貴族の正月遊びに「毬杖(ぎっちょう)」という杖で毬をホッケーのように打ち合う「打毬」があった。小正月(1月15日)に宮中の清涼殿の東庭に山科家などから進献された葉竹を束ねたものをたてた。その上に扇子、短冊、天皇の吉書などを結び付けた。これを陰陽師に謡い囃して焼かせ、天覧に供された。・・・中略・・・毬杖(ぎっちょう)3本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれた。これが民間に伝わり、現在の形になったとされる。」

「打毬」ってこの前大河ドラマでもやってましたね、馬の上で杖で球を打ち合っていたやつですね。しかし言葉の由来からは差別的な要素は感じられません、行き過ぎた自主規制とでも言ったところでしょうか、自分(一人称)は右利きですが、左の人はこの言葉を言われることに抵抗を感じるのでしょうか・・・?












このゾーンでは飛出し坊やのいろいろなバージョンの写真が並びましたが、得に巡りの目的としていたわけではなくどれも偶然に見かけたものばかりです。昨年の映画『翔んで埼玉』ではとびたと言う名前で結構重要な役割を担っていました、地元の人がちょっと悲しみそうなシーンもありましたが、この映画で一気に全国区になってしまったかのようです。それにしてもいろんなバージョンがありますね、近江八幡市の歴史的な町並の中だけでも結構見かけましたよ、もはや次期滋賀県知事・・・誰やねん、分かるよね・・・に次ぐ滋賀県のスターって感じですね。





















今回もやっぱり新幹線に会ってきました、またかよ~、と思われそうですが奈良には走ってないですからね。そうなるとまた奈良県民のひがみみたいに思われそうだけどリニア新幹線の東京~名古屋間の開業が遅れることになりましたからね、自分(一人称)が生きているうちに奈良で新幹線が走る姿を見ることはほぼ絶望的となってしまいました。この前ネットのニュースで東京から電車や飛行機1本で行けない県が2つある、三重県と奈良県がそうだとのことです、ただ奈良から東京は高速バスはありますが・・・。ブルートレイン全盛期には四国、北海道以外で東京から鉄道1本で唯一行けない県も奈良県、大阪、京都が近いからそこから行けるからええやない・・・とでも思われているのでしょうか。ただJR東海は結構奈良をPRしてくれているみたいですね、相変わらず外国人観光客は多いのですが、せっかくPRしてくれているのだからもっと日本人にも来てほしい所です。あ、滋賀の話だった、写真にあるのは近江八幡市の田園風景の中を走る新幹線、グレーの雲の隙間から陽が差し込み新幹線の白い車体が映えるのが、何気ない風景となることを生きているうちに奈良で見ることができるでしょうか・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち





No.2060 滋賀の旅、1月編(3)・・・気の早い春の姿が

2024-03-29 07:50:53 | 旅行記
よろしくお願いします。













1月の滋賀の旅は大津市から始まり、草津市、守山市、野洲市と重要文化財巡りで駆け抜けました。前回の後半では新幹線巡り、そして今回の1番目のゾーンでも新幹線に会いに行こうシリーズは続きます、野洲市にある重文の神社を巡った後、その場所から見える新幹線を撮りました、この旅で見る最後の新幹線となります。


JR篠原駅の手前からは国道477号線を走ることに、滋賀に来た時はよく走る国道ですが、幅の広い幹線部分もあれば町中を通る地元の雰囲気が漂う区間もあり、走ったことがない部分には山深い部分もありなど自分的には謎多き道の位置づけとなっています。その地元の雰囲気を感じる区間を抜けて近江八幡市から再び野洲市へ、ここはもう走り慣れた所で途中のコンビニで昼食休憩、その後は野洲川に架かる橋を過ぎた所で国道から離れて川に沿う自転車道へと入る。真正面に頂上に雪が被る比良山系を見ながら走る道は寒風をまともに受ける所、以前夏に走った時は緑の絨毯を敷き詰めたような田園風景も今は色がなく枯れた風景、春が待ち遠しいところですが・・・




















・・・その春が一歩早くやって来たような所へとたどり着きました。琵琶湖が見える湖岸道路へと入り湖からの風を受けて更に寒さを感じるところ、しかし先を進んで行くとたくさんの人で賑わっている場所、海浜なぎさ公園へとやって来ました。ここは以前にも取り上げたことがありますね、早咲きの菜の花が咲く所、一昨年は3月に訪れて間に合わなく昨年は2月に訪れて人の賑わいは合ったものの菜の花は萎れていてちょっと元気がなさそうだった。まだ年が明けたばかりなのに花はもう満開、しかも今年は雪が少ないせいか首が折れることもなく背がピンと立つ姿を見せていました、奈良より寒いところなのに奈良より一足先に春を感じることができる場所でした。朝早くから走り始めた旅も冬は夕暮れが早い、大津市に着いた時にはもう空が暗くなり始めていた。少しだけ残る明るみの下で琵琶湖を写真に撮って遠くに見える琵琶湖大橋に照準を合わせると、橋に続く対岸の風景・・・海浜なぎさ公園の横にある3棟のマンションなど・・・が蜃気楼のようにユラユラと揺れていた、ここにも少し早い春を感じることができました。















さて、センバツは4強が出そろいました、大阪桐蔭は2年続けて報徳学園に敗れてしまいました、智辯学園、近江と関西勢に負ける辺りそろそろ強さに翳りが見えてきたのでしょうか。星稜は夏2度の準優勝ありでも春は初めてのベスト4、もし優勝することがあるなら石川県としては初めてのこと、元日に大きな地震があっただけにちょっと出来過ぎた話やな~、と思ってしまいそうですが果たしてうまく行くでしょうかねえ。一方対戦相手の健大高崎は3年前のセンバツで天理に負けているのですが、仙台育英、山梨学院と天理に負けたチームがその後優勝と言うことでフラグが立ってしまいました、3度目の正直となるでしょうか。いよいよ大詰めのセンバツですがやっぱり地元が出てないと気分は盛り上がらないですね~、お楽しみは夏に持ち越しとなってますがここまで残っている4つの地区はやっぱり楽しみなところでしょう。特に石川県としては初めての優勝がかかるところ、ただ星稜がねえ~、負の連鎖を纏っているイメージがあるだけにどうでしょうかねえ・・・、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち