まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.986 亀岡へ(2)・・・阪急電車と桂の町並

2018-08-31 09:12:06 | 旅行記
おはようございます。













さて、亀岡へ向かうべく丹波街道を走って行くことにしたわけですが、前回は京都駅の近くで新幹線と近鉄電車のコラボレーションを写真に撮った後、五條大宮方面へとやって来ました。細い道の両脇から古い町並が所狭しと迫ってくるようにある辺りが丹波街道町、まさにそのままな感じの町名だがここが亀岡への玄関口と言うのは分かりやすい。ここから西へと進んで行くと写真1枚目にある島原大門、ここをくぐって島原の町並へと入って行く、元は花街だった所も今は普通の住宅街だが少し先へと進んで行くと「角屋」や「輪違屋」など往時を思わせる古い建物を見ることができる。角屋の横の細いクランクを抜けてくと一番下の写真にある島原西門の碑、ほんの少しだけ時代が戻った感覚になれる町並を抜けると、JR山陰本線の高架が通りその向こうには中央卸売市場が広がる現実的な場所へと出る。















国道9号線が通る所にJR山陰本線の丹波口駅がある、まさにこれから丹波への旅が始まりそうな所にある駅とその駅名、鉄道は北へと向かい国道は西へと向かう、ただこの辺りでは旧街道の雰囲気は全くうかがえないしそのルートもどこか分からなくなってしまっている。しばらくの間国道9号線を走って行くと阪急京都線の線路が見えてきたので、それに沿う道へと入り南西方向へと進んで行く、この辺りは普通の住宅街なので丹波街道でないのは明らかだが、阪急電車が走っている姿がよく見えるのでここで写真を撮ることに。電車の写真は4枚あるがそのうちの2番目にある単一色の電車はこれぞ阪急電車と言う形、何なんでしょうねえ、この車体の色にはひきつけられてしまう、関西は割と落ち着いた色合いの電車が多かったが最近はそれに飽きてきたかのように派手な色に変えたり変なラッピングで人の注目を引こうとしている感じになってきている、そんな流れもどこ吹く風と言った感じで頑なに伝統の色を守り続けている辺りはさすがに阪急電車、近鉄もその姿勢を見習ってほしかったんやけどなあ・・・。
この場所から少し進んだ所にあるのが阪急西京極駅、西京極と言うと思い出すのが西京極球場、阪急ブレーブスの準本拠地の球場だった、縦に横に道が細々と通っている所に大きな球場があったなんて今では信じられないくらい。そこから更に南へ行くと葛野七条交差点、交差する七条通が旧街道風の町並だったのでここが丹波街道だったのかも、この交差点を右に曲がるとすぐに左に細い道が分かれている、この道が丹波街道でここをくねくねと進んで行くと桂川沿いに出て旧街道は今度は八条通へと吸い込まれていく。桂大橋を渡って車の往来が激しい細い道を進んで行くと阪急電車の踏切へとたどり着く、ちょうど電車が通ったので写真に撮ったがその電車が準急天下茶屋行とある、後で時刻表を確認したら休日の昼間時には1時間に3本天下茶屋行が走っている、京都から堺筋線に直結する電車が増えているのもまた時代の流れなのか、他社との直通には消極的な阪急が譲歩したのか・・・。









桂を抜けると車も少なくなり旧街道の町並も増えてきてやっと落ち着いた雰囲気となってくる。しばらく走るとたどり着くのが樫原の町並、ここは以前物集女街道を走った時に紹介したことがありました。旧街道の雰囲気が漂う町並と緩やかにカーブした道、真っ直ぐな道が縦に横にと網を為したかのような京都の中心街から離れて、やっと丹波への旅が始まると気持ちも新たになる所だったのだろうか。しかしこの町並を抜けた所に待ちかまえているのは厳しい上り坂、あららら、今回も時間となったようです、ここまでまっ平らな所を走ってきただけにいきなりと言う感じでやって来る試練が次回のこの走りのメインテーマになりそうです、と言うことで次回も気楽にお越しくださいませ。            まちみち




No.985 滋賀の旅中山道編(5)・・・もう一つ地味な宿場町、武佐宿

2018-08-29 00:51:28 | まち
おはようございます。





前回に続いて今回も滋賀の旅、GWに中山道を走った時の記録をお送りしています。まあこの夏は前回お送りしたビワイチ未満ともうひとつ、お盆に甲子園を聞きながら走った記録もあるのでこちらも早く消化しなければならないところ、取り急ぎ行ってみることとしましょう。と言うことでこの旅の前回は愛知川宿を走りました、今回は謎多き町のイメージがある東近江市から、まずは中山道を離れて近江商人の町金堂へと向かいました、この模様についてはフォトチャンネルでのお送りとしておきます↓↓↓

近江商人の町











中山道に戻って五個荘の町並へと戻る、前に近江鉄道各駅巡りで来た時はちょうどこの辺りで雨に見舞われて五個荘駅で雨宿りしたんだった。今回は駅には寄らず旧街道へと戻って先へと進んで行くことに、この辺りも古い町並、旧街道ならではと言った感じの常夜燈や道標が多く見られる所、そんな旅人がせっせと都へと思いを馳せながら歩いた道を横目にするかのように新幹線が何本もピュ~ンと通り過ぎて行く。ここまで新幹線に景観を奪われ売物の風景を台無しにされてしまっていた近江鉄道はいつの間にかどこかへ行ってしまっている、ここからはしばらくの間中山道が新幹線のお付き合いとなる区間、車窓からは秒速で過ごされる風景をここは自転車でゆっくりと通り過ぎて行くことにしよう。










五個荘の町を抜けて国道8号線へ、しばらくは新幹線が沿い車が多い所を走るが途中でまた旧街道へと分かれる道へと入る。その入口となる所にあるのが奥石神社、「奥石」と記して「oiso」と読む、その神社を取り囲む様にあるのがその読み方と同じ音の老蘇森、この辺りの地名も「老蘇」で旧街道の雰囲気が漂う町並がそれほど広くない一本道に軒を為している。すぐ北側には国道8号線と新幹線、列車が高速で通り過ぎて行くとその音がこの町並にまで聞こえてくる、それくらいに静かで人もほとんど見ない所だが、この老蘇の町並を過ぎると次の宿場町である武佐宿へとたどり着く。














武佐宿も地味な宿場町だ、愛知川のような商店街はなく老蘇地区から続く町並がそのままいつの間にか宿場町に突入したと言った感じ、本陣跡に常夜燈、道標と旧街道の風景が素朴にうかがえる。町並を進んで行くと近江鉄道の武佐駅へとたどり着く、近江鉄道の駅と宿場町は鳥居本宿からずっと続いてきたが、武佐駅は小さな駅舎があるだけでこれまであったようなコミュニティーセンターの併設のような駅ではなくひとっ気のない無人駅、目立たない宿場町には玄関口となる駅も目立たない感じに合わせているのか・・・。でも自分(一人称)がホームに立ち寄った時には行き去った電車から降りてきた人が中山道の宿場町巡りでもしているのだろうか、次の電車の時間を確認していた。自分(一人称)は自転車で、午前中に出会った人は旧街道を歩いて、電車で旧街道を巡る人も、その手段もいろいろ、自分(一人称)を含めて皆さん自分に合った手段で旧街道巡りをしているのだろう、それもまたいい趣味である。そろそろ今回も時間となったようです、この旅の記録ももう最終回が近いようです、次回も気楽にお越しくださいませ。             まちみち





No.984 ビワX<1(1)・大津市坂本からスタート

2018-08-27 12:44:41 | 旅行記
おはようございます。













7月の連休に琵琶湖を走って来た話をお送りしていきたいと思います、連休と言っても走れるのは1日だけの日帰り旅、「ビワイチ」とは言っても1日で琵琶湖一周なんて自分(一人称)の脚力では到底無理、と言うことでタイトルは「X<1」、さて、Xにはどんな数字が入るのでしょう、せめて分母と分子の数字が近い方がいいのですが、では行ってみることとしましょう。

奈良駅を朝2番目の京都行に乗車、湖西線に乗り継いで比叡山坂本駅で下車、出発はこの駅からだがなぜこの駅からなのか、理由は単純、この駅までは1000円以内で来られるからだ。また現実的なことを・・・と思われそうだが今回の走りは琵琶湖岸を走るだけしか考えていないノープラン、どこで終わりにするかも決めていない、出来るだけ交通費がかからないようにしたいところなのでまずは出発は比叡山坂本駅からと決めていた。帰りは東海道本線になりそうだができるだけ米原よりは先で終わりたいところだがさて、どうなることやら・・・。相棒君を立ち上げていざ、出発、まずは坂本の町並を走るために少しだけ湖西線を大津方面へと戻り、キリのいい所から西近江路の町並へと入る、旧街道の雰囲気が漂う町並は所々湖面から朝日が差し込んで来て眩しく輝いている。写真下2枚目にあるのが比叡辻の碑、この辻を左に曲がるとさっきの比叡山坂本駅を経て、坂道を上って坂本の寺内町、更には比叡山の方へと通じている。坂本と言うと坂本城があった所、坂本城と言うと明智光秀、再来年の大河ドラマの主人公になることが決まっているがまだ先の話のことなので町もまだ静かなまま、いずれ放送が近くなるとまた盛り上がってくることだろう。









国道161号線を北へと向かって行く、味気ない国道の風景が続く所だが元は西近江路と言った旧街道、所々には旧街道の雰囲気を漂わせた町並や常夜燈などを見ることができる。しばらく走ると雄琴の温泉街、ちょっと偏ったイメージを持たれそうな所だが、ここが純粋な温泉地だと言うことはJRは駅名を「おごと温泉駅」と改称したりしてそのイメージは払しょくされつつある、とは言っても朝の早い時間に走ってもこのけばけばしさ、暗くなるとネオンピカピカになるのだろうか。更に先に進むと堅田へとたどり着く、ここでも何度か紹介したことがある古い町並と浮見堂でお馴染みの堅田の町並だが今回はそちらの方へ行っている時間はないので何気にスルー、琵琶湖大橋交差点では高島まで31キロとある、と言うことは琵琶湖の北側はもっと距離があると言うこと、この先は気が遠くなりそうな数字のことは気にしないで走って行くこととしよう・・・













堅田から先も国道161号線をそのまま・・・ってあれれ?地図を見るとこの道は国道ではなくなっていて県道558号線となっている、ここまでずっと国道161号線だと思って走っていたがかなり以前から国道の指定は外れていたんですねえ、知りませんでした。と言うことで気を取り直して県道558号線を進んで行く、以前はJR湖西線各駅巡りで走ったことがある道、前回は確か熊本地震があった日にラジオでニュースを聞きながら走ったんだった、その時はラジオからでも緊急地震速報のあのメロディーが何度か流れてビクビクしながら(別に滋賀県が揺れているわけではないのだけれど)走ったのだった。まあそんな話はさておいて、ここまでは進行方向左側に志賀のまるで押し迫って来そうな山脈を見ながらの走り、ビワイチと言いながらほとんど琵琶湖を見ていない、と言うことで車がビュンビュン通り過ぎる県道から外れて自転車道へと入って行く。ここでやっと湖が広く見ることができるようになってきた、太陽はもう空の高い所にまで上っていて湖面をキラキラと照らしている。さて、「ビワイチ」と言うと湖を近くに感じる左回り、反時計回りで走る人の方が多いとのことだが、今回自分(一人称)が走ったのは右回り、なぜかと言うと右回りで坂本をスタートすればちょうど終わり辺り・・・どこになっているかは分からないが・・・琵琶湖の向こうの風景に夕陽が見ることができると思ったから。日帰りの旅だが時間は十分ある、夕暮れまで存分に走ってそんな絶景を見てみたいと思った次第であります、どうやらこの日はそれが望むことができそうな空模様、しかしそううまいこと行くのかどうかは神のみぞ知る所、今はそんなことを考えていても仕方のないこと、とにかく行ける所まで行ってみようと言うことでビワイチ未満は次回へと続きます。今回も時間となったようです、次回も気楽にお越しくださいませ。              まちみち



No.983 100回目の夏、素晴らしき攻防に酔いしれる!

2018-08-25 21:58:09 | 日記
おはようございます。


そんなわけで100回目の夏の甲子園は大阪桐蔭の優勝で終わりました↓↓↓




まあこれは半分以上予想通りと言った感じ、当然と言えば当然と言った感じでしたが主将の涙はグッと来ましたねえ、やはり昨年の仙台育英戦の9回裏のプレーをずっと引きずっていたんですねえ、無敵の大阪桐蔭がここまでひとつの敗戦を引きずって戦ってきたとなるとこの優勝はまた格別なことでしょう。思えばこのブログを始めて4年、その間夏の優勝がなかったと言うのも意外な感じでした、甲子園には春夏合わせて20回出場の大阪桐蔭、全成績が63勝12敗、凄い成績ですねえ、ここ最近で負けたと言えば去年の仙台育英の他にボロボロに打たれまくった敦賀気比戦、神宮の借りを返された木更津総合戦が思い浮かぶくらい、淡々と勝ち進んで最後は頂点に立つと言うのが大阪桐蔭のイメージ、この時代がまだまだ続くのでしょうか・・・って優勝したチームは凄いのにマスコミが取り上げるのは準優勝の金足農ばかり、大会が始まる前はほとんど注目されていなかったチームなのに勝ち進んでいったら取り上げる、今のマスコミの格好の餌食にされている感じです。
その金足農、自分(一人称)は初戦の鹿児島実に勝ったときにもしかしたらここは結構上まで行くんでは、と思いここでももしかしたら東北に初めての優勝旗・・・と書きました。ほんの気まぐれで書いたことだったのが本当にそうなってついに決勝まで進出、秋田県にとっては103年ぶり、第1回大会以来の決勝進出となりました、これはドラマやねえ、『アタック25』ならここまで決勝に出てきた県名が「全部秋田秋田秋田に変わる!」と谷原章介が興奮して言いそうです。しかしそうなるとマスコミが放っておかないもの、今大会も判官びいきがいろいろと言われていましたが決勝は完全にスタンドが金足農の応援になっていました、東北、効率の農業校、吉田投手の頑張り、奇跡的な勝ち上がりといろいろと見る人の心をつかんだ感じですが、この頃になるとマスコミも大々的に取り上げていたので、完全に大阪桐蔭は悪役を担わされていたと言ったところでした。しかしそこはさすが大阪桐蔭、自分たちが嫌われているとかそんな小さなことなど言わずに大量得点で気を緩めずに相手を抑え込む辺りは完全に格が違っていた感じでした。


今回もいろいろなことがありました、少し振り返ってみることとしましょう。

・タイブレークはやっぱりいらない
これは自分(一人称)はずっとここでも言っていたことですが、星稜vs済美戦で実際に見て(聞いて)やっぱりそう思いました。お山の大将でもある投手が自分の責任で出したわけでもない走者を置いて投げると言うのはどんな気持ちなんでしょう、点数が入りやすいシュツエーションを前提としてのタイブレークだけに投手のモチベーションが問題になると思います。と言ってももう決まったことだししばらくはこれで行くんだろうなあ、今年は選手や審判の暑さ対策にも相当気を使っていたみたいだし。

・チャンステーマ、魔曲
奈良大附が「青のプライド」で甲子園を沸かせてくれました、初出場の無名校がこういう形でさわやかな風を残してくれました。応援は戦う選手たちに勇気をくれているのでしょう、それが思わぬ逆転劇を生むことは今まで何度もありました、智辯和歌山の「ジョックロック」はそう言う意味ではあまりにも有名ですが今回は不発に終わってしまいました。応援の演奏は今や甲子園の名物、今年は近江がなかなか熱い応援を見せてくれた、聞かせてくれたと思います。大阪桐蔭はいつもの定番に合わせて嵐や福山雅治の曲をやっていました、初戦は甲子園を演奏会と勘違いしている作新学院との対戦でしたが野球が強い所は応援も勝負ありと言う感じでした。鹿児島実は『西郷どん』のテーマを演奏していました、こう言うのはいいですねえ、地元特権とでも言うか、確か準優勝した時の日本文理はちょうど直江兼続の大河の放送時だったのでその時のテーマを演奏していました、あの曲めっさカッコ良かったなあ。でも自分(一人称)が一番気持ちが動かされるのは早稲田、慶応系の定番のコンバットマーチ、今年は「アフリカンシンフォニー」やその他の応援の定番曲が減った分、コンバットマーチをチャンステーマに使ってた応援が増えていた気がしました。




・100年関連の番組はいいんだけど
やっぱり記念と言うのがかかるとNHKも朝日も力が入ってましたねえ、過去の名勝負や名選手をいろいろと紹介していましたがそこに写る映像はだいたいいつも同じものばかり、これにはちょっと辟易してしまいましたねえ。高校野球特番でいろいろな番組を録画して見ましたが、一番見応えがあったのはやっぱり「アメトーーク」だったかな、渡部や山崎が出てくるとすぐに話の腰を折って脱線してしまうことが多いけど、高校野球をホントに好きと言う観点で話をしてくれるのがいいんだよなあ。開会式の前日に朝日でやってた「号泣甲子園」あれはちょっと来ましたね、引退試合ってどこでもやるんですかね、出場する選手やその親とかは切ないだろうなあ、監督からはこの試合が終わったら裏方だ、って容赦ないけどそれが現実なんですよね。あと楊志館の女史マネージャーの話はNHKのドラマで見たことがある話でした、「号泣」だからあからさまに泣かせようとしている番組だったかも知れないけど、高校野球が関わるとそんなことは関係なし、素直にいい番組だったと言っておきましょう。

・レジェンド始球式
16日間の大会でいろいろと甲子園に所縁のある人が始球式でマウンドに上がりましたが、初日の松井氏は母校星稜の試合前、準決勝の桑田氏は金足農の試合前とその辺りはなかなかドラマやなあと思いました。ただ気の毒だったのは手をつないでマウンドまで行った子供たち、本来、通常の大会なら彼らが始球式をするはずだったんでしょう。まだ高さのなれないマウンド、捕手までの距離の長さに戸惑いながらも一生懸命投球して、捕手まで届いても届かなくてもスタンドから暖かな拍手をもらって嬉しそうにベンチに帰って行く子供の姿もまた甲子園の隠れた名場面、毎日がレジェンドではなくても良かったんではと思ってしまいました。

・ラジオの実況中継を聞いて
NHKの小野塚さん、今回もハイテンションな実況はお馴染みでした、テレビでは甲子園の近所に住んでいることを公表してましたが、甲子園が始まると甲子園のある西宮市が全国から注目を浴びるのが市民として誇りだと話していました。準々決勝の大阪桐蔭の試合では、解説者の方の高校の時の主将が今の履正社の岡田監督だと話していると、その岡田監督は今ABCラジオの解説です・・・NHKが始まるまではABDを聞いていたので自分(一人称)はそのことは知っていました・・・とまるでエールを送るかのよう。大阪桐蔭の応援時には「今演奏されているのは嵐の『夏疾風』です、福山さんの『甲子園』もレパートリーにあります」と、これまたABCにエールを送りつつNHKの宣伝までする有様、この名調子はまだまだ春夏の名物として続いて行きそうです。NHKでは女性アナウンサーが19年ぶりの実況、3試合を担当されたとのことですが、自分(一人称)はそのうちの2試合を聞きました。球種やコースは適切で解説者とも息があったやりとり、ほとんど無難な感じの実況で違和感なく聞くことができました。常葉大菊川vs日南学園戦ではファールフライを撮った選手が転倒して「コケました!」と実況して、その直後解説者が「芝生に足をとられましたねえ」と指摘されて言い直していたのがおかしかったです。あと、ABCの解説の元横浜監督の渡辺氏、うるさい!!

・印象に残ったチーム、選手
選手ではまあ金足農の吉田投手や大阪桐蔭の中川選手はもちろんのことですが、一番印象に残っているのは星稜の寺沢投手、最後はサヨナラ満塁本塁打を打たれてしまいましたが後半荒れ模様になってしまった試合の9回裏から登板して、この試合を延長12回まで、ピンチはあったもののキッチリと締めてくれました。延長12回1死満塁の場面はラジオで聞いていたのですが後の2人の打者を3ボールまで行きながら2者連続三振、予選では1試合しか投げてない番手も後ろの方になっていた投手がこの試合では見事に主役でした、それだけにつくづくタイブレークは残念やったなあ・・・。チームとなるとやっぱり弱小県(すみません、こんな表現しかできなくて)を応援してしまうのですが、新潟・中越、鳥取・鳥取城北はともに強豪相手にサヨナラ負け、しかも9回2死走者なしから、あと1人を抑えれば延長に入ってまたチャンスだ、と思っていただけに残念な感じでした。しかし中越の監督さん、2人の投手をとっかえひっかえマウンドに上げる采配はラジオで聞いていたのですが(ちなみに実況は小野塚さん)ちょっと疑問に思いました。あと地味~に木更津総合は大物食い健在でしたね、以前は大阪桐蔭を倒したこともあるチーム、今回は敦賀気比、興南と甲子園で優勝経験のある2チームを撃破しました。これは行くかな~と思ったら下関国際に敗戦とどうしてもあと一歩の壁が突き破れないのですが、大物食いと言うとどことなく以前の長崎・清峰を思い浮かべてしまう感じのチーム、いつかは高い所へと上って行きそうな気がします。


と言うことでそろそろ時間も近くなってしまいそうなので、最後に今回もベストゲームをひとつ選ばせてもらいました、この試合です↓↓↓





まあこのブログ見てくださっている方なら、この試合だろうな~と思われたと思います、準々決勝の近江vs金足農です。準々決勝って独特の雰囲気がありますね、ここを勝てば上が見えてくる、ここまで無心に勝ってきたチームでも夢が見れる所まで来ていると言う緊張感のある試合が1日に4試合組まれます。ここまで大阪桐蔭、済美、日大三と甲子園で優勝経験のあるチームが勝ち上がり第4試合目、滋賀と秋田、決勝進出はあっても優勝経験のない県のうちどちらかが夢に近づけることになる試合、自分(一人称)は明石海峡大橋が見える場所を走りながらこの試合を聞いていました。試合結果はもう御存知の通り、金足農がサヨナラ2ランスクイズで勝ちましたが、ラジオではその瞬間、アナウンサーの絶叫と観客席からの歓声で何が起こったのか分かりませんでした。ほんの0.数秒後に近江が負けたと言うことが分かりました、そのほんの数秒前までは近江が1点リード、しかし無死満塁で金足農サヨナラのチャンス・・・自分(一人称)はこの2チームのうちどちらかがここで消えるのはあまりにももったいないし残酷やな~と思いながら聞いていたのですが、それは試合をやってる限りは仕方ないこと、しかしその結末はあまりにも天国と地獄がはっきりとしたものでした。9回裏の金足農の攻撃をラジオで聞いている限りでは球場中が金足農の応援をしているかのよう、それが近江側にはプレッシャーになったのだろうか、いや、それはなかったと思う。たとえあのスクイズが決まっても1点入るだけで同点になり1アウトはもらえる、その当たり前が2塁ランナーが3塁ベースを回ったことで覆される、でも1塁手は見事な反応と冷静な判断力でホームに投げてるんだよね、それでも結果はセーフ、守りも守ったりなら取りも取ったり、何一つ間違いのない場面でのサヨナラ劇は見事でもあり残酷でもありました。金足農の活躍は自分(一人称)は誰よりも早く見つけたんやで~と言った感じで嬉しかったのですが、マスコミはこういうのになると格好の餌食と言う感じで群がって来ますねえ、もう来年の春に向けての闘いが始まります、ここは気持ちを切り替えて秋の大会に臨んでいってほしいところです。さあ~、話すだけ話したぞ、でもまだ話し足らない気もするがもうええ加減時間となっております、この辺りでお開きとしておきましょう、そんなわけで次回も気楽にお越しくださいませ。           まちみち


No.982 不安な一夜

2018-08-23 10:56:48 | 日記
おはようございます。


夏の高校野球は大阪桐蔭の優勝で終わりました、今回もいろいろなことがあり・・・と、今回は100回目の夏の甲子園について長くくどくどと語らせてもらおうかと思ったのですが。


昨夜、仕事から帰って来てパソコンを立ち上げようと本体を見ると、いつもはついているはずのランプ(LED)が点灯していない。おかしいな~と思い電源を入れてみても本体が作動しない、コンセントを確かめても異常はない、これは完全に本体がイカレテしまったか・・・。とりあえずスマホで修理の段取りを確認し、明日電話しようと思ってその日はおとなしく寝ることにしたが、夢では普通にパソコンが動いていたり、修理の依頼でかけた電話が間違え電話だったとか、そんな場面ばかりが浮かんできた。そりゃそうだ、今使っているパソコンには自分(一人称)の大事なデータが全部詰まっている、もしこれがダメになってしまったら、と思うと気が気でなかった、それが夢に出てきてしまったのだろう。
翌日=今日、9時きっかりに修理サポートセンターに電話、こう言った電話って「只今混み合っております、そのまま待つか後程おかけください」と長く待たされるが、今回はすんなりとつながった。早速出てくれたオペレーターの方に事情を話すと、本体の電源系統で何か異常があったのだろうとのこと、修理=入院→高い出費を覚悟していたが、こうこうかくかくしかじかとオペレーターの方が言うとおりに手順を進めて行くと、見事パソコンが復活してくれた!!ああ~、良かった、もう電話の向こうから聞こえてくる声が神様に思えてきましたよ。

と言うことで何とか復活してくれたパソコン、データも無事でした、このブログも無事続けることができるようになりました。ホンマ、もう最悪なことばかり考えていましたよ、あれやこれや修理代が・・・夢に出てくるくらいやもん。そんなわけで今回はそんな人にとってはどうでもいい、でも自分(一人称)にとっては一大事だった出来事について手短にですがお送りさせてもらいました、次回は先述通り、夏の甲子園のことについて語らせてください。また気楽にお越しくださいませ。           まちみち