まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.540 人の暮らしを守る人と脅かす者についてのお話

2016-07-31 22:32:25 | 日記
おはようございます。


今週の『とと姉ちゃん』、常子の意地と花山のこだわりがぶつかった末の断絶となってしまいました。双方それぞれの言い分は分かるのですが何とかならなっかったんでしょうかねえ、広告を掲載するのは今では当たり前のことだと思うのですが、この時代の思想や花山のこだわりはまだそう言ったものには拒否的な気持ちが強かったんでしょう。それに比べて現在はどこもここも広告だらけ、町を走れば至る所に看板があり、電車やバスにはラッピング、スタジアムにはネーミングライツなど、でもそれがあたりまえでしょ、今となっては。この状況を花山が見ると頭のてっぺんが爆発するくらいに怒り出してしまうのではないでしょうか・・・かと言って、じゃあ常子のやり方が正しかったのかと言えばそれもどうなんでしょう。出版社を維持させていくためにはその方法しかないにしても、社長と言う立場にいるなら花山を説き伏せるくらいに話し合うべきだったんでは、いくら何でも勝手に広告を掲載して、出来上がったものを見せて仕方ないからやりましたでは、花山の性格を考えると断絶となってしまうのも仕方ないことだと思いました、結局常子はアホ、と言うことでその辺りは最初から変わってない感じの今週でした。

この間、NHKでこんな番組が放送されていました。




ちょうど唐沢寿明がスタジオパークにゲスト出演したその後にあった番組でしたが、なかなか興味深い感じで見させてもらいました。つくづく思うのですがもっと最初の方からこのドラマのモデルとなっている大橋鎭子さんに沿っての内容にできなかったんでしょうかねえ。ネタバレサイトなどを見ると大橋家には浜松に所縁はないみたいだし、タイピストになっていじめられたと言う話もない、歯磨きは作ったらしいが。鎭子さんは1940年には日本女子大に入学されたと言うことだがこの時の学長は井上秀・・・って宜チャンじゃないですか、前作『あさが来た』とは平塚らいてうがつながっているが、この辺りのエピソードを外したのは前作とのリンクを嫌ったから?それでも前作のあさのようにほぼ実在の人物をなぞるかのような内容にした方がもっと共感を得られたのかも知れないし、興味を持たれたのかも知れない。この頃がやっと面白くなってきたと感じるようになっただけに残念な気がします。
さて、先述した番組では花森安治氏を迎えて「暮しの手帖」が発刊された流れや、この雑誌がどのようなことを伝えてきたのか、人々にどのような影響を与えてきたのかを紹介している。もちろんにわかに最近興味を持ったばかりなので自分(一人称)は全然知らなかったが、この雑誌、これまで結構アグレッシブな企画を行ってきたらしい↓↓↓

・石油ストーブの実験で「燃えているストーブが倒れたら、どうなるか、試してみろ」と言い出す。
→実際に、研究室の車庫で火が天井まで上がり、火事寸前に。

・配線器具のテストでは、プラグをひとつあたり5000回も抜いたり差した。

・自動トースターのテストでは食パンを4万3088枚焼き、それをどっさりと積み上げた写真を雑誌に掲載。

他にはベビーカーやミシンなども「商品テスト」と銘打っていろいろと試していたらしい。物が人の暮らしにどのように役立って行くのかを試すための企画だと言うことだが、ここで×を打たれた商品を生産している会社にしてみればたまったもんではない。ただ、ドラマの中で花山が頑なに広告を掲載することを拒んでいるのはここへつながっていくような気もしますが、その辺りはこの先ドラマで描かれることになるのでしょうか?トースターのエピソードなどは脚本次第で結構面白くなりそうなのですがどうなんでしょうかねえ、楽しみにしたいところです。
番組では三姉妹の中で鞠子に当たる方がご存命と言うことで、時代はまだまだつながっているんだなあと言う印象を与えてくれました。来週のキーマンともなりそうなのがよっちゃん、モデルとなったのはもちろん鎭子さんの妹で大橋芳子さん、『暮しの手帖』創刊当時からのメンバーで、鎭子さん同様障害を独身で過ごされたのこと。



真ん中の方が芳子さん、ドラマではととの記憶があまりないよっちゃんが花山に傾倒している感じがいじらしい感じで描かれていますが、芳子さんも花森氏の机の整理を任されていたとのことで、こちらも鎭子さん同様持ちつ持たれつの関係だったのでしょう、先週の鉛筆選びのシーンがそのフラグになっているような感じがしました。よっちゃんを演じている杉咲花さんはなかなかうまいですねえ、フジの3億円犯のドラマでは唐沢寿明といっしょに出ていました。上野樹里、瀧本美織を見抜いた自分(一人称)の目にかかったならこの先は楽しみな女優さんと言ってもいいでしょう。



話は結構逸れます。さっき以前やっていた『ウルトラマン50』のエピソードベスト10の8位にランクインされたウルトラセブン第42話「ノンマルトの使者」



をBSで見ました。脚本家の思想が強烈に前面に出ているがゆえに名作扱いされていることであまりにも有名なエピソード、ただ改めてドラマを見てみると、特に普通のエピソードと変わらない感じがしました。この物語の中で象徴とされるのが

「ノンマルトの海底基地は完全に粉砕した。我々の勝利だ!海底も我々のものだ!」

と言うキリヤマ隊長の台詞。この言葉によってキリヤマは非道な人間だとかいろいろと悪名高い称号を得ることとなってしまいました。物語の流れがノンマルト=善、人間=悪と言う感じで描かれ、モロボシ・ダンもノンマルトが地球の生物だったと認めているシーンもあった。しかしキリヤマ、ウルトラ警備隊からしてみればノンマルトは海底から地上に暮らす人々を脅かす恐ろしい存在、海底基地の攻撃はやむなしと言うよりはもう必須条件だったところでしょう。キリヤマは海底基地を発見した時にほんの少しだけ攻撃をためらうシーンがありました、それだけでも少しは気持ちに救いはあったんじゃないかと言う気がします。
ただウルトラセブンは悪い宇宙人、怪獣から地球の平和を守るために戦う正義のヒーロー、純真な子供たちはそのヒーローの活躍を毎週楽しみにしていました。そんな子供番組にここまで徹底した感じの大人の思想を入れるのもどうかと思うのですが・・・その辺りは脚本家の思惑がテレビを見ている人たちの心に見事に突き刺さったと言うことなのでしょうか、だから誰もこの作品を駄作だとか凡作だとは言えなくなってしまっている風潮になってしまったとか・・・ウルトラマンの話となると何かしつこいくらいにこんな話ばかりしてしまってますね、ファンの方、ごめんなさい。


『とと姉ちゃん』では人々の暮らしを守るために行ってきたこと、『ウルトラセブン』では人々の暮らしを脅かす者に対してどう対処するのが正しいのかを、と言うのを今回は少し強引な形でつなげてみました。『ウルトラセブン』からでももう50年近く、人々の暮らしって本当に良くなっているんでしょうか?自分(一人称)は正直言ってお金はないし家も狭いし、他にもいろいろと事情があって最近少し気がまいり気味です、だからブログの更新も滞りがちなのですが。それでも何とか生きています、てか生きていけるんですよ、たいていは。テレビもパソコンもあるし、車は免許はないけど自転車があればどこへでも行けるし、近くにスーパーが多いから食いはぐれることもない、だから生きていけるんですよ。
今テレビで東京都知事のニュースをやっているのを見ていますが、結果に対しても「あっ、そう」くらいの感想しかないですね、東京のことだし奈良に住んでたら関係ないし。ただ、こうやって選挙で選ばれた人に何を期待しますか?ベビーカーやトースターなどの商品テスト?海底基地の攻撃?違うでしょ、人が普通に暮らしていけるための政策、それが当たり前のことなんです。ところが政治家と言う人たちはその座をつかむと変わってしまうと言うか、金に汚くなるわ他人を攻撃するわ、テレビの前でも醜態を晒すこともしきり、なぜこうなってしまうんでしょうかねえ。今回の東京都知事にしても前任、前々任は金が原因で辞めさせられたわけですが、この人たちも金では躓いたかも知れないけど都民の生活を守るための努力はしていたはずでしょう、しょーもないことで足元をすくわれる形になってしまったが猪も舛ももっとやれていたんではなかったかと思う。まあ過ぎたことは言っても仕方ないし今回ももう結果は出た、次期都知事となる小池さんはまあ足元をすくわれることはないだろうとしても、いや、そうは言えないか、でも都民のために、人々のごく普通の生活を守るために何をしてくれるんでしょうか。またまた話は大きく逸れての終わりとなってしまいました、まるでオルフェーブルの逸走みたいやな~、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。         まちみち

No.539 登録有形文化財巡り・南大阪編(後編)

2016-07-29 10:02:17 | 文化財
おはようございます。


夏の甲子園予選、奈良大会が終わりました。決勝は天理vs智辯学園、奈良県の二大巨頭の決勝戦対決は長い歴史の中では意外と少なくて今回が9度目、過去8戦は天理が5勝3敗とリード、さて、今回はどうなることや・・・と思いましたが、もう御存知の通り、智辯学園が見事優勝し、甲子園への切符を手にしました。準決勝は苦しんだけどほぼ順当に勝ち進んできた天理に対して、智辯学園は全試合初回に得点され、磯城野、郡山とはあわや、と言う試合、延長戦で何とか勝ち上がってきた感じ。春の甲子園優勝校も夏は違うのか・・・と言う感じでどちらかと言うと天理有力な感じもありました。
試合は智辯が相変わらず先制はされるものの途中で逆転して最後は楽勝か、と思われたのですが、9回に無死満塁と攻められ最後は1点差にまで詰め寄られました。凌ぎ切って勝つ辺りは智辯学園らしい感じ、思えば春も鹿実戦で我慢我慢の連続からの逆転、龍谷大平安戦は最後の最期で逆転サヨナラと、決勝の高松商戦も1点を巡っての延長戦サヨナラ、決して強さを振りかざしての勝利じゃなかったので、まあこれが智辯学園の持ち味なのかも知れません。苦戦はしても最後は相手より1点でも多く取って勝ち切る、甲子園でもそんな粘りの野球を見せてほしいところ・・・ってやっぱり打って打って打ちまくって左うちわで見れる試合の方がいいわな。
今回は春夏連覇がかかるとして智辯学園寄りの応援をしてましたが、決して天理負けろ!ってなわけではないですよ。奈良代表として出るからにはやっぱり頑張ってほしいし勝ってほしいし、今までが不甲斐なさすぎたのでその鬱憤を晴らしてほしいところもあったのですが、やはりここは地力に勝る智辯に屈してしまったと言う感じでした。奈良県の高校野球を支えてきた天理、春夏通算6位の72勝は全国に誇れる数字です、またいずれはあの80年代後半に見せてくれた強い紫のユニホームを見せてほしいと言ったところです。そりゃそうだわな、去年の創成館は相手が天理って決まった時にみんな喜んだと言うくらいやから、ええ感じになめられて倒されてしまった、あんな天理は見たくないもんな・・・。











今回は登録有形文化財巡り、南大阪編、文化財の宝庫と言った感じの富田林の中心を抜けて、ここはもちろん東高野街道を進んで行きます。まず写真1枚目、2枚目にあるのは近鉄川西駅から坂を上って行った所にある小学校の一角に建っている歴史資料館、旧小学校跡と言うことで、昔はここで授業が行われていたのだろう。よく旅番組などを見ていると閉校となった小学校校舎が保存されていて、資料館やその他観光目的の施設に用途を変えて残っていると言うのをよく見かける。少子化などで統合されたり廃校になったりと言うことだろうが、中学、高校に比べるとやはり6年分の思い出が詰まっている場所として壊してほしくない気持ちが強いのだろう、建物は時代につれて次々と洒落た形へと変わっていくが、合わせて古いものを残していくと言う気持ちはこれからも失ってほしくないものだ。










河内長野市の中心部に入って河内長野駅前、大阪市内やその他の各地から伸びてきた高野街道はここでひとつの道となって高野山へと厳しい山道へと入って行くわけだが、その導入部にあるのが写真1枚目にある長野神社、すみませんねえ、神社の写真はいつもこんな感じで。駅からすぐの所で町中の一角にあるが、ここを境にするかのように町並は旧街道の雰囲気を漂わせた風景へと変わっていく、と言ってもその町並は復元されたような感じで観光客誘致の目的もあるのだろうけど。その町並の中にある写真4枚目からの造り酒屋は登録有形文化財、大きな樽に軒下にかかる杉玉、いかにも重厚そうな造り、河内長野市内の地名がつけられた「天野酒」と言う銘柄のお酒が造られていると言うことだが、アルコールは全く口にしない自分(一人称)にとっては興味はこの建物なだけ、見るだけならお金はかかりません。










この日の走りはここで前にお伝えした各駅巡り、近鉄長野線と並行してのもの、そんなわけでこの後は南海高野線を堺方面に向かって走っているので、文化財巡りも高野線を沿ってのものとなります。ところが地図を見ると結構線路から離れた所ばかりなんだよなあ、あまり時間はないし線路からは離れたくないし・・・と言うことで上の写真に挙げた3件は今回行ける範囲で立ち寄った所としています。写真3枚目~5枚目の家屋は大阪狭山市内の西高野街道沿いにあって、周辺は特に何の特徴もない住宅街、そんな中に異様な感じで立派な壁とその向こう側の重厚そうな家屋が構えている。大阪狭山市にはこの他にもいくつか登録有形文化財物件はあったのだが、各駅巡りを優先させたかったので今回はスルー、次回への宿題となってしまった。最後の2枚の写真は堺市の南海百舌鳥八幡駅近くにある病院の建物、西高野街道の少し外れた所で周辺の民家の並びの中にこれも異様な感じで建っている。
文化財巡りをこうやってブログに文章に起こすと毎回「異様」と言う言葉を使ってしまうが、これは決して悪い意味で使ってるんではないですよ。まあ周りの風景とはあまりにも違うと言うか似合わないと言うか、目にひきつけられやすいと言うか・・・ってあまりフォローになってないなあ、でもそう言った例えば時代や様式と言った要素が表に出た形だからこそ文化財になりえるのだろう。他人からしてみれば変な趣味やとも思われるかも知れないが、文化財巡りはこれからも引き続き行っていくことになりそうです。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。      まちみち

No.538 松原通、異界の辻

2016-07-28 07:16:14 | みち
おはようございます。











松原通は五条通のひとつ北側にある、写真にある通りの特にこれと言った見所もない感じの細い道です。これと言った・・・とは言っても今回はこうやってこの松原通を紹介していくわけなので、この先何があるのか、楽しみにして進んで行くこととしましょう。この日の走りは登録有形文化財巡りで京都市内を走った時のもの、この通りの周辺にもいくつか文化財はあるのですが、そちらの方は文化財巡りの項でお伝えすることとして、今回は松原通を新町通から入って東大路通の清水道交差点まで走った記録をお送りしていこうと思います。





まず松原通の「松原」とは何ぞや?松原と言うと気比や清水のような海の近くにスラッと並び立つ風景を思い出すが、ここは京都の真ん中、およそ海に関係ある所ではありません。困った時のwiki頼み、と言うことで調べてみると、この通りは元は「五条松原通」と言われていて、松並木が奇麗だったとのこと、そしてこの通りが本来の五条通だったらしい。今国道1号線が走っている道が五条通になったのは豊臣秀吉の時代だと言うから、牛若丸と弁慶が出会った橋は写真にある橋だと言うことになる。五条通にある五条大橋は車がビュンビュン行き交っていて物々しい雰囲気だが、こちらはちょっと小ぶりな感じで、いかにも義経と弁慶の出会いの場所にぴったりな雰囲気である。この二人の出会いと言うと大河『義経』を思い出すが、花びらが舞う中でタッキーが颯爽と飛ぶ姿は義経の生涯を凝縮したような物悲しさ漂うテーマ曲と相まってとても美しかった、まさにこのドラマを象徴するワンシーンであった。橋の北側は鴨川に沿って店が建ち並び、夏になると納涼床でお馴染みな所、この店の中には登録有形文化財に指定された建物もあるのだが、それについてはまたいずれの機会に取り上げることとして、今回は先へと進んで行ってみることとしましょう。












鴨川を越え少し進むと大和大路通、この辺りは建仁寺の門前町に当たるが京都の中にあって下町風な雰囲気が漂う所、松原通をこの先を進んで行った辺りでもその雰囲気は色濃く表れてくる。ズラリと並べた写真は六道の辻の風景、その小さな交差点は西福寺と言う寺院を中心にして何か異様な雰囲気が漂っている。西福寺には子育て地蔵とあり、その向かい側には「幽霊子育飴」と何とも怪しい看板がかかったお店、写真5枚目、6枚目にある看板も何とも怪しそうと言うか不気味と言うか、まあ不思議茶屋とあるから何か不思議なことがあるのでしょう、詳しくは分かりません。この交差点を南に行ったすぐの所にあるのが六波羅蜜寺、平清盛所縁の寺院としても有名です、京都と言えば平安時代や戦国時代、幕末とそれぞれの時代、歴史の舞台となった所がありますが、そんな中でこの辺りはさっきの義経の話もあって、平安後期~鎌倉時代初期の歴史を垣間見ることができる辺りでもあります。実はこの日の登録有形文化財巡りでこの付近にひとつその物件があったのですが探しきることができず、あきらめて通り過ぎました。後で写真を見て調べてみるとその物件が写真2枚目に写っていました、しかも簡単に見つけることができる場所にある、なんでこれを探しきることができなかったんだろう、ああ、これはしたりです・・・






六道の辻を過ぎると道は緩やかな上りとなって東山方面に向かって行きます。写真にあるのはその途中にある六道珍皇寺、京都はいろいろな場所に不思議スポットがあってよくミステリーツアーとかが組まれたりしますが、六道の辻付近はその中でも有名な所、そしてこの寺院は詳しいことはこちらをご覧になっていただくとして、平安時代初期の公卿、小野篁が現世と魔界とを行き来していた井戸があると言うことで、特に有名なミステリースポットとなっています。まあ自分(一人称)は幽霊とかそんなのは信じないのでただの寺院にしか見えないですけど・・・って言いながらなぜか神社の鳥居には畏れを感じる変な体質なのですが。さて、寺院前の上り坂を更に進んで行くとやがて東大路通の清水道交差点へと差し掛かる、その名の通り、交差点を渡ってから続く急な坂道は清水寺へと至る坂道で、一日中ここを行き交う人通りが絶えないところとなります。今回は松原通をテーマとしてここまでのお伝えとしておきますが、次回はこの坂を上って行って清水寺、更には東山のあまりにも有名な風景の中を巡って行ってみようと思います。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち

No.537 神戸、北野町異人館通(前編)

2016-07-26 09:38:07 | みち
おはようございます。


夏の甲子園、各地方大会も佳境に差し掛かっています、もうすでに代表が決まった所もありますがいよいよこれからと言った感じです。ここまでの各都道府県の予選の結果を見ていると、結構強豪校が消えていっています、敦賀気比、大阪桐蔭、早実、智辯和歌山・・・など、名前を聞くだけでも恐れをなしてしまうチームが甲子園に来ることなく消えてしまうのは非常に残念・・・本音は・・・春夏連覇を狙う智辯学園にとっては追い風になってくれているかも、と言ったところですが。しかしその智辯学園も予選では毎回苦戦が続いています、何せ前回の磯城野戦では9回まで2点ビハインド、2アウトまで追い込まれてやっと同点に追いついて延長11回裏サヨナラ、春の王者らしからぬ苦戦っぷり、磯城野は全国的には無名ですが、元は田原本農で甲子園にも出たことがある名門校、その伝統が為す技が智辯を最後まで苦しめました。まあ智辯学園の場合はセンバツでもそう言った感じで試合終了時に相手よりも1点でも多く取って終わればそれでよしで勝ち上がってきた、ここはあと2つ、相手は奈良ではもう最強クラス(全国では最低レベル)に当たる所ばかりだが何とかクリアして、夏も甲子園に姿を見せてほしいところ、春の覇者ならそれくらいは最低条件でしょう。と言っていたら春の決勝で名勝負を繰り広げた高松商が決勝で敗れてしまいました、夏の再戦を願っていたのですがやっぱり予選を勝ち抜くのは難しいことなんでしょうか。











登録有形文化財巡り神戸編、神戸市の中心へと入って来てJR新神戸駅から急な坂道を上って行って北野町界隈へとたどり着きました。まあ予想はしていたのですが、案の定この辺りは人がいっぱいで、自転車で走るにはちょっと気が引けるところ、道も狭く坂も多いのでここは押し歩きで進んで行くこととする。人の多さには辟易するし、それも若い女性がほとんどなので少し気後れもしてしまいそうだが、一応見ておきたいものはいろいろとあるので相棒を押し歩きで細い道へと入って行く。写真2枚目にある細い坂道はこの先にある観光名所へと向かう道でさすがに自転車では入って行けないので、道端に相棒を括りつけて徒歩で進んで行くことにする。その観光名所と言うのが写真3枚目以降にある「うろこの家」、何がうろこかと言うと、なるほど、家屋の外壁がうろこなんや、ちょっと不気味な気もするがさて、見に行こうとするか・・・ってここは有料なんですか。さすがにお金を払ってまで見たい気はしないので、ちょっと先の方で家が見える場所から写真を撮ることに、それにしても手前の木が邪魔になってうろこの壁がほとんど見えない、何ともイケズな木なことですこと・・・。








再び坂の下へと戻ってきてここからは相棒を押し歩き、人がいっぱいで「すいません、すいません」を繰り返しながら気をつけて歩を進めるが、趣のある建物が多くて、その度に足を止めてはカメラを構える。この細い通りを抜けた所にちょっと場違いな感じの神社の鳥居があり、その先は広場になっている所がある、人も多く賑やかそうな雰囲気だ。その正面に見えてきたのが写真3枚目~5枚目にある洋館、門には「重要文化財、旧トーマス住宅、風見鶏の館」との看板が掲げられている。北野町界隈は異人館通と呼ばれているが、ここはまさにそれを象徴するような建物だ、その名前の由来となっている風見鶏は・・・ああ、ありました、三角屋根のてっぺんで気持ち良さそうに神戸の町並を見下ろしているかのようだ。










風見鶏の館の前は円形の、階段が客席風の広場になっていて、GWの良く晴れた少し汗ばむくらいの昼下がり、たくさんの人たちがそこに腰かけていた。広場ではパフォーマンスが行われていて、たくさんの人が見物していて時には拍手の音も聞こえてくる。写真にあるラッパを吹いてる像は、神戸を題材にした漫画で見たことあったがここだったのか~、と思いながらゆっくりと進んでいると写真3枚目からある何とも趣のある洋館、「萌黄の館」とあるその洋館も重要文化財とのこと。全体に薄い緑色に覆われた家屋に赤煉瓦の煙突が2つ、家を囲むようにある策も家と同じ色、内部は見物できるようだが自分(一人称)は外観にしか興味はないので、その家屋をぐるっと見渡しながら歩を進める。写真6枚目は裏手になる門から撮ったところだが、そんなに大きな家ではないのにこちら側はさっきまでの喧騒が嘘のようにひっそりとしている。それもそのはずでここから先は異人館通の雰囲気も落ち着き、普通の、と言っても見るからに十分興味をひかれる洋館っぽい家屋ばかりだが、何気ない生活を送っている人たちの場所となる。
この高台から一段下った道がさっき新神戸駅から上って来た道、ここは人も多いが車も普通に通る所なので結構物々しい感じ、次回はここ、通称山本通を巡って、もう少し北野町をお邪魔してみたいと思います、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.536 興福寺

2016-07-25 08:56:54 | チョイ走
おはようございます。










写真にあるのは奈良町のとある風景です、最近のチョイ走りのテーマとなっている平城京巡りの一環として、今回はその4枚の写真全部に写っている場所を取り上げてみようと思います。その場所とは・・・1枚目では豆粒くらいにしか見えませんが、2枚目、3枚目となればもうお分かりだと思います、ずっと中央に写っている真黒な串刺しのイカフライ・・・ああ、またくもみみたいな例え、興福寺の五重塔を目指して走って見ることとします。






猿沢池へと来ると五重塔をもうすぐの所で見ることができる。しかしここは写真3枚目にあるように池を手前に水面に逆さに写る五重塔を見るのが一番の眺めかも、ここからの写真は奈良を象徴とする風景としていろいろな所で紹介されているからもう御存知なことでしょう。この日もこの場所一帯では木の陰になっている所で腰を据えて写生している人がたくさんいる、いい趣味だとは思うがたまに道に足や道具を放り出している人がいて、走っていて結構邪魔になることがあるんだよなあ。


写真2枚目にある52段階段、休みの日にはこの辺りではいろいろなイベントが行われていて結構賑わいもあるが、この日はまだ午前中の早い時間とあってひっそりとしていた。まあ、地元民にしてみればこれくらいの静まり具合が一番いいんやけどなあ、音楽やパフォーマンスで賑わうのもまあいいんやけど、そこまでしなければ奈良は活性化しないのか・・・。その階段の横の急なカーブになった坂道を上って行くと三条通を跨いで興福寺の境内へと入って行くことができる、早速行ってみることとしましょう。












そんなわけで興福寺の境内の写真をズラリと並べてみました。寺院と言う堅苦しさはなくどちらかと言うと公園と言った雰囲気。観光客の半分以上は外国の人なのですが、奈良に来てくれる人には国境はありません、皆五重塔やその他の建物を片っ端から写真に収めていっている、その歴史や謂れは分からなくても目にそのまま飛び込んでくる風景が印象となって残ってくれるのだろう、まあ自分(一人称)もそうなんですが。一部工事で養生されていて物々しい雰囲気もあるのだが、ここは昔からほとんど変わらない風景、今は行けなくなってしまっているが、昔は五重塔から南円堂の横を通って三重塔まで行って、石段を下りて三条通に出ていたなあ。南円堂から右へと進むとこちらも坂道になっていて、そこを下ると東向通商店街、久しく訪れていなかった所も、最近は奈良を再発見する意味でもまたよく来るようになったが、この付近は工事中で通れなくなっている所もあってどうも物々しい。








興福寺を抜けて県庁前へと出るとそこはもう奈良公園一帯、お馴染みの鹿さんたちが観光客をお出迎えしてくれます。近鉄奈良駅を出て東へ登大路の上り坂を行くともうすぐに奈良公園へと入るので、この歩道はもう人でいっぱい、ついでに鹿もいっぱい。奈良公園はここ県庁前付近の他に東大寺、若草山、春日大社、飛火野と広い範囲に渡って鹿が観光客を和ませてくれるのですが、それぞれの場所でちょっとずつ鹿の性格が違うような感じがします。例えばこの辺りの鹿は人に慣れていて社交的、東大寺や春日大社付近は社交的だが自己中心的、若草山の方はあまり人になれていなくて内向的とか・・・、まあ詳しく調べたわけじゃなく適当に書いているだけですが、そんな印象があるかな、と言うことで。もし奈良に来て鹿に興味があったなら調べてみてはいかがでしょうか、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち