まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.519 平城京朱雀大路

2016-06-30 11:31:29 | チョイ走
おはようございます。










まずは平城宮跡の風景の写真から始まりました、もうここでは何度もお送りしたことのあるお馴染みな風景です。現在でこそ全国の中では何をやっても28番目から33番目みたいな中途半端な位置で目立たない県に成り下がっている奈良県ですが、それでも1300年前にはここが日本の中心でした。その政治の中枢となったのがこの場所、しかしその時代は長くは続かなく都は京へと持って行かれ、以来奈良は日陰の存在となってしまいました。まあそんな卑屈にならなくても、今は観光地として奈良も頑張っています、その一環として行われているのが平城宮跡の復元工事、朱雀門、大極殿が復元され、更に往時をしのぶ建物の建設が予定されていて、この先この地に都があったことを思わせてくれる風景に変わろうとしているところです。その辺りは町が都会として整備されてしまってその姿を浮かび上がらせることができなくなってしまった京都とは違うところ、ほんの少しだけ溜飲が下がる思いです。



ご存知、ドラマ『鹿男あをによし』の名場面、大極殿と朱雀門の間には近鉄奈良線が通っていて、文化財の間に線路が通っているなんて何と言うこと!とか思われそうですが、これは平城宮跡がまだただの広っぱとしか思われていなかった頃に造られたものなので今更言っても仕方ないこと、逆に都の跡を駆け抜けていく電車の姿がこの場所の名物みたいになっていて、ある意味味気ない風景に花を添えてくれている感じもします。線路を間にして一直線に並ぶ大極殿と朱雀門、ここから南に伸びるのが朱雀大路、今はもうその姿も面影も残していない道ですが、今回はチョイ走り平城京編第1弾として朱雀大路をたどって行ってみようと思います。








写真1枚目、2枚目は朱雀門の南側、ここは広場になっていて朱雀門を真っ直ぐ南に伸びている辺りは砂地になっていて、写真にあるように左右両側にプレートが埋め込まれている。そこには「下ツ道」と書かれている、奈良盆地を南北に貫く古代の幹線と言った感じの3つの道、上ツ道、中ツ道、下ツ道とあるが、その始まりはどれも平城京から。そのうちのひとつ、下ツ道は朱雀門を抜けて朱雀大路に至り、都の一番南にある羅城門を抜けて明日香まで続いている。
朱雀門の手前にある東へと向かっている遊歩道が本来の二条大路、その南側でこの広場が面している大きな通り、阪奈道路に続く県道1号線にあるバス停は写真5枚目にある通り「二条大路南◎丁目」となっている。そう言うことなので朱雀大路はもうさっきの砂地の所から始まっていることになる、ただその道は写真4枚目にある県道1号線から先は住宅地となっていてその痕跡はとどめていない。少しだけ西に逸れた所に路地と言っていいほどの道があるが、朱雀大路は当時で道幅が75メートルほどあったことからしてその道が一部に当たるかも知れないが、およそ昔の道だと言う雰囲気には程遠い。ただ、道はなくなってしまっていても右に見る生駒山、左に見える春日山は当時から変わりはないことだろう、と言うことで往時の風景を思い浮かべながら、朱雀大路にほぼ沿うようにある道を南へ進んで行ってみることにしましょう。









「朱雀大路」は、中国唐の長安にならって日本の都にも碁盤の目状の町が造営された際にその中心部に造られた大きな道のこと。遣唐使を通じて条坊制が伝わったとのことで、平城京はその様式が最初に・・・ではなく最初は藤原京だったらしい、ただその時の大路は欠陥がありそれを修正された形で作られたのが平城京、平安京の朱雀大路となっている。平安京の朱雀大路は現在の千本通に当たり、東寺の近くには羅城門跡、千本丸太町交差点付近が大極殿に当たる場所になっている、この辺りはまたいずれの機会に紹介してみようと思っています。
さて、平城京における朱雀大路・・・とりあえず古地図にある朱雀大路の場所には現在は道がないので、その東側にある道を通って行こうと思います。この道はもう随分前にここで紹介したことがあると思います、現在の奈良朱雀高校から北へ、みやと通り、歌姫峠と越えて木津へと至る道、それが写真2枚目にある道です。1枚目~3枚目にかけて中学校の校舎が写っていますが、この校舎があるのが都跡中学校、ここから西に行った所都跡小学校、その他にも「みやと」という文字がよく見られる、いかにもこの辺りが都の跡だったと言うことが分かる所である。写真5枚目、6枚目はその通りが突き当たった所にある奈良朱雀高校前を通っている道に面した所にある店、その入口には写真5枚目にあるように「右京五條大路一坊跡」と表示された碑が立っている。平城京では北から順に東西を通る道は一条、二条・・・と九条まで、南北に通る道は朱雀大路を境にして西一坊、東一坊・・・となっていた。この店の表示で言う一坊は西一坊と言うことだろう。しかし朱雀大路は高校に阻まれて、この先は大きく逸れた場所を進んで行かなければならない、ここは分かりやすい所で国道24号線を進んで八条高架橋の下を通り過ぎて行くことにする。








奈良市と大和郡山市の境界線、イオンモール大和郡山店の前の交差点を西へ向かうと上り坂になって橋を渡るが、この橋が羅城門大橋、写真4枚目にある橋であり、その途中には5枚目にある説明の表示が掲げられている。これも前にここでお伝えしたことがあるのですが、この橋の南側にもう1本、JR郡山駅へと続く道に架かる橋(写真3枚目にある橋)があるのですが、その一番高い所からは北側真正面に朱雀門がはっきりと見ることができる。写真1枚目、2枚目は羅城門大橋の下、朱雀大路跡、九条大路跡の碑と、羅城門跡の説明の看板が立っている。ここが平城京、朱雀大路の終わりの場所となる所なのだが、近年の発掘調査で平城京はこの南側に十条の通りがあったことが発見された、まあそのおかげでイオンの開店が遅れたわけなのですが。平城京はまだまだ謎の多い所、地元、奈良に住んでいるからにはその謎をいろいろと巡って紐解いていきたいところなのですが、乏しい知識でどれだけ進んで行けるのでしょうか。次の機会ではまた違った平城京の風景をお送りさせてもらおうと思っています、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。

No.518 蔵出写真館・雨、雨、雨・・・

2016-06-29 07:29:49 | 写真
おはようございます。






(佐賀県と福岡県の県境、筑後川にて)

このところ毎日鬱陶しい日が続いています、いや、気分のことではなくて天気のことです。梅雨だから仕方ないのですが天気予報の週間予想を見ても傘マークの連続となると気が滅入ってきます、まあ今はそのことをひとつの理由づけとして走りを自粛しているところですが。今回は蔵出写真館、雨の日の風景をお送りしていきたいと思います。









(しまなみ海道にて)






写真は小豆島から高松へ向かうフェリーの乗船中にて、この時は小豆島を走っている時はいい天気だったのがフェリーに乗り始めた頃からだんだん空が曇って行き、土庄港を離れるや否や雷雨に見舞われました。自分(一人称)はいつもフェリーではデッキに出て海を見ているのですが、この時は黒い空に稲妻が走ったのを見てすぐに中へと入りました、怖かったぁ・・・






(伊賀上野にて)









箱根の旅はなぜか天気に恵まれないんだよなあ、去年行った時も降られたし・・・。上3枚は旧東海道を静岡から三島まで走った後、ええい行ってしまえ、と言う感じで西坂を上って行った時の写真です、天気予報では雨だった中を行ったのでもうほとんど自殺行為ですわ。案の定途中で降られて箱根峠に着いた時にはあまりの寒さに上1枚着込んだほど(走ったのはGW中)、この先は下りや~と思っていたら最高点付近では濃霧に見舞われてホワイトアウト状態、もう死ぬかと思いましたわ~、で案の定風邪をひいてしまいました・・・




(大津市の追分にて)






(奈良市、正暦寺付近にて)


ただ今年の梅雨はジメジメとした蒸し暑さをあまり感じません。特に朝は結構涼しく、と言うかむしろ寒いくらい、日中も30度を超える日はあってもさほど嫌な気分になるような暑さはないんだよなあ・・・って言ってたら突然大きなしっぺ返しが来たりして。これってもしかしたら地球滅亡のフラグやろうか、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち




No.517 登録有形文化財巡り・神戸市内編(3)

2016-06-28 11:35:16 | 文化財
おはようございます。









登録有形文化財巡り神戸市編、いよいよその中心地へと入って行くのですが、まずはJR東海道本線の北側を通る山手幹線へと入ります。『山手幹線』と書いたのですがこの道がこの呼び名でいいのかは分からない、と言うのも地図にも実際に走ってみても山手幹線の文字は見かけないし、wikiを見ても地元に人しか分からない地名で書かれているのでいまいちよく分からない。まあ気にしていても仕方ないので先へと進んで行くことにしよう。写真1枚目にある将軍通交差点からすぐの所にあるのが都賀川、GWの快晴の空の下、澄んだ水の流れが涼しそう、川べりにはたくさんの人が休日の穏やかな時間を過ごしている。この穏やかな流れが数年前には恐ろしい牙を剥いた・・・写真2枚目、3枚目にある風景を見た限りでは本当に穏やかな表情に見えないが、まさに一寸先は何とかと言った感じだ。








写真1枚目、阪急王子公園駅、ここから少し行った所にあるのが王子動物園、相当前にパンダを見に行った話をお送りしたことがある所です。何とも淋しい独り動物園、駅前の横断歩道も駐車場も、入場口も家族連れで人がいっぱい、パンダのみならずいろいろな動物がお客様をお出迎えしてくれることでしょうが自分(一人称)はもちろん行きません。お目当てはここから少し先に行った所、写真2枚目以降にある神戸文学館と言う名の建物、旧関西学院ブランチ・メモリアル・チャペルと言うことで確かに見るからに教会と言った感じ。入口の所にはの表示がある、建物全体が赤煉瓦が積み込まれた構造がいかにも明治期に建てられたものらしい。ここから離れた場所に旧ハンター住宅と言う、こちらは重要文化財に当たる建物があるのだが、文化遺産オンラインのページの地図の表示にある場所に行ってみたがそれらしい建物が見つけられなかった。神戸文学館から東へ急な上り坂を行った所で女子大のある交差点の所に来たのだが、その辺りは車も人も多く狭い歩道で身動きもできなくなってしまったために結局今来た坂道を戻って行くことにした。後で地図で確認して見るとその交差点から東へ行った所に『旧ハンター住宅』の表示があった、こんな分かりやすいのを探しきれなかったのは大失態だがページの地図の表示の場所がズレていたわけだから恨み言のひとつも言いたくなる。まあ気を取り直して次の目指す場所へと進んで行くとしますか。









山手の道を進んで行くと布引交差点、大きな交差点の右手側には東海道新幹線の新神戸駅、ちょっと見に行ってみよう。新幹線の駅のわりには駅前はひっそりとしていてJR湖西線にある駅のような感じ、在来線との連絡がない駅と言うと今まで新富士駅、新尾道駅と「新」のつく駅名ばかり行ったことあるが、その二つと比べると都会にある駅なのだがどうも雰囲気の寂しい駅だ。その裏側はもう間近に六甲山系が迫っていて、写真2枚目、駅の下を流れる川にはその川べりに人がいていかにも涼しそうな、のどかな一幕と言った様子である。
新神戸駅を後にしてJR三宮駅方面へ向かう道を1本脇の方に入って行くと、写真3枚目以降にある建物にたどり着く。『フロインドリープ』と言う店名でカフェ、ショップとあるが建物の外観は見るからにそれらしい感じ、ただは店内、多分最後の写真の中で座って人が待っているその奥に掲げられているのがそれだと思う。建物はもう見てお分かりの通り元は教会であってヴォーリズ建築と言うことでもあるらしい。写真にはその建物をしきりにスマホを向けて撮っている女性の姿が写っているが、まさか文化財マニア?まあそんなわけないでしょう、この外観は自分(一人称)みたいなものじゃなくても惹かれるものがあるのでしょう。神戸と言うと古くからの西洋文化の様式を取り入れた建造物が多く、それはここから南へ下って行った神戸港周辺で見ることができるが、そちらの方は後で行くことにしてとりあえず山手の方、いくつかある神戸を象徴する風景を見ることができる場所のうちのひとつ、北野地区へと向かってみることにする。







新神戸駅方面へと戻って急な上り坂へと入って行く、道は結構な斜度があり途中には大きくカーブしている場所もあり、車の通り歩道を歩いている人も多い。この道は以前1度だけ走ったことがある、特に途中で足を着いてしまうとか言うことなく上り切ることができたが、写真1枚目を見ると確かに結構な坂道だ。2枚目は上りの方、しんどかったから足を着いたんじゃないよ、この坂道がどんなものかを写真に撮っておきたいから途中で足を着いただけ、これくらいの坂道はまだまだへっちゃらだい!そんなわけで坂道を上り切って北野町界隈を巡って行くわけですが、その模様については次回でのお送りとしておきましょう、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.516 滋賀の旅春編(7)・旧東海道

2016-06-27 10:20:14 | みち
おはようございます。





滋賀の旅春編、前回は草津市の中心部、草津宿を巡りました。日もそろそろ西の空に傾き始め帰りの輪行のことも考えなければならないところ、とりあえずここまで来たら大津市までは行っておきたいと言うことで、この先は旧東海道を進んで行ってみようと思います。






草津~大津間は旧東海道はもう定番と言った感じ、特にあの町並が、この風景がと取り上げるのも今更な気もする所ばかりですが、せっかく走るのだからそんな野暮な事は言わずに行ってみることとします。まずは草津宿の終わる所、国道1号線を渡った所にあるのが写真1枚目にある一里塚跡、旧街道はここから国道1号線を沿うようにして緩やかな曲がりが続く道となって大津方面へと向かって行く。写真2枚目、3枚目にあるように旧街道の雰囲気が漂う町並が何気ない感じで続いている所、往時の旅人はこの町並を見ながらもうすぐたどり着く京の風景に思いを馳せていたのだろう。と言っても今の自分(一人称)にはもう京都まで走る気力はなさそう、さて、輪行はどの駅からとしようかな・・・。







旧東海道はこの先普通の住宅街の中をすり抜けるようにして進んで行く。途中には上の写真にあるようにここが東海道であったと言うことを表しているものを見ることもできるが、地元の人たちにとってはあくまでも普通に生活のための道と言ったところだろう。だからこの辺りは特に街道歩きをしている人も見かけないし、観光を売物にしている風景も見当たらない、まあ自分(一人称)はその方が好みなんですけどね。だから写真4枚目のようなほんのそこらへんで見つけたような風景にカメラを向けてしまう・・・って飛び出し0系にくまモンのコラボレーションか。実はこの日の朝、家を出る前にテレビを見ていたのだが、夜中に熊本で震度7の地震があったと言うニュースを放送していた。つい2日前にも震度7の地震があったばかりなのに、また震度7とは・・・って今日のが本震だったと後の報道で言っていたが、前震であろうが本震であろうが余震であろうが地震は地震だ、見舞われた方にとっては気の毒としか言いようがない。そんな時こそ勇気だ!頼んだぞ、くまモン!!







瀬田の唐橋を渡り終えてすぐにあるのが写真1枚目の京阪唐橋前駅駅前の踏切、ちょうど電車が来たところだったので写真に撮ったのだが、まあ何と派手な電車のこと。最近はどこもかしこもラッピング列車が流行のようで、初めは物珍しさで見ていたものも、こうも至る所にあふれるともういい加減にしたら、と言いたくもなる。走る広告と言った感じで人の目も引きやすくて効果は絶大なんだろうけど、自分(一人称)はシンプルが一番やと思いますけどねえ、ただこれもローカル線が生き残りひとつの手段だと言われたら仕方ないことかも知れませんが・・・
石山を過ぎると旧東海道は湖岸道路から1本中へ入った道を右へ左へと曲がりくねりながら進んで行くことになる。京阪瓦ヶ浜駅を過ぎて旧街道を少し外れた所にあるのが写真2枚目~4枚目にある蘆花浅水荘表門、もう琵琶湖はすぐ目の先にあり、周辺は病院や商店などが建ち並ぶ所、そんな中にここだけが時間の流れが違った感じのようにあり、門の前にはの表示の看板が掲げられている。ここを過ぎるといよいよ大津市の中心地は近いが、旧東海道はくねくねと曲がりを繰り返しながら見通しの悪い町並の中を通り過ぎて行く。









大津市での最後の目的は浜大津周辺に点在する登録有形文化財巡り、まずは写真2枚目、旧東海道に面する場所にある家屋だが、見た目には1枚目にある家屋と比べてもそれほど普通やん、と言った感じの造り。確かこの辺りにあるはずなんやけど・・・と思いながら何度か通過して、何や~ここやったんか~、てな感じで見つけたわけだが、ここが文化財だと分からない人からすると他人の家を勝手に写真に撮ってる怪しい人に見られてしまう、そんなわけで早々に退散だ。ここから旧街道を離れて坂を上って行くと写真3枚目、4枚目にある滋賀県庁、文化財データベースでは登録有形文化財とある。まあ何とも立派な建物だ、それに比べて奈良県庁のちゃっちいこと・・・
最後の2枚は旧東海道にある大津聖マリア教会、今回の走りではヴォーリズ建築をいくつか巡って来て、大津にもその教会があるとのことだったが詳しい場所は分からず、市内にもいくつかの教会があるので、とりあえずと言った感じで見つけたのがこの教会。ただここがヴォーリズ氏の設計によるものかと言われるとどうもそんな感じがしない、多分ここではないのだろう、と言っても今から探すには時間がなさすぎる。教会探しは次回への宿題として、この付近にある登録有形文化財物件を巡る走り、次回、滋賀の旅春編の最終回としてお送りしていく予定です。今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。       まちみち

No.515 写真館・赤、黄、紫・・・色とりどり

2016-06-25 19:51:35 | 
おはようございます。


6月も後半に入りこのところ鬱陶しい日が続いています、天気もそうなんですが胸に痞えがあると言った感じの件がいくつかあって、結構大変な日を過ごしています。まあ何とか緊張感を切らさずに、ついでにブログの更新も切らさずに行きたいところです。そんなわけで今回は長くくどい文章はお控えにして、この春に走った中で撮った花の写真をお送りさせてもらおうと思います。


















今回ここで貼り着けた写真は全部で44枚、フォトチャンネルにしてのお送りとも考えたのですがそれも結構面倒なので全部べた~っと貼りました。例によって名前は分かりませんが、走っていて色がええなあ、咲いてるな~とか、単純にパッと目に付いたものばかり、相棒を止めてグゥ~ッと近づいて撮ってみました。べた~っとパッとグゥ~ッと・・・って長嶋監督みたいやな、引き続きババ~ッと行ってみましょうか。










まだまだ続きます、最後にお送りするのはGW後に安堵町から大和川、大和郡山と走った時に撮った写真です。この走りについてはNo.501、No.505にてお伝え済みですが、大和川沿いを走った記録についてはまたいずれの機会を設けてのお伝えを予定しています。もう少しだけお付き合いください。



























今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。        まちみち