まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1216 奈良の古墳巡り(3)・・・築山古墳群

2019-10-30 06:38:45 | 文化財
おはようございます。


今回は本文の前に高校野球の話を、ちなみにオリンピックのマラソンが東京や札幌やともめているようですが自分(一人称)は全然興味ありません、オリンピックは見ると思いますがやっぱり夏は甲子園です、その甲子園を札幌でやるとなると大大大大問題ですが。
近畿大会も準々決勝が終わり、奈良からは智辯学園と天理が4強に残りました、多分これでセンバツは大丈夫でしょう、今年は寂しい思いをしましたからね。しかし次回の対戦はそれぞれが大阪最強の2校、勝ち目となるとまあほとんど・・・かも、でも何とか神宮を目指して両校とも頑張ってほしいところです。ただこの前の智辯学園vs智辯和歌山はいただけなかったですねえ、1回裏に智辯学園が6点取った時点で「これはアカン」と思ってしまった、逆転もあるかと思った。終始智辯学園のリードで終わったが一時は1点差まで迫られ、取っては取られて取られては取り返しての繰り返し、試合内容もいい加減にしときや~と言いたくなるようなもので終わってみれば17-13↓↓↓



今年の夏、八戸学院光星に一時は7点を取って逆転したものの最後は取り返されて負けてしまった、あの時の教訓をまるで生かしきれてないのかと言う感じ、これでは2度目のセンバツ優勝も何か、何かな~と言ったところです。一方の天理は初戦の報徳学園に勝ったのはお見事、しかし準々決勝では同じ奈良代表の奈良大附との対戦、結果は14-0で6回コールド、苦手奈良大附に勝ったのはお見事ですが相変わらず内弁慶と言った感じ、次戦は履正社、いつぞやの甲子園での敗戦のリベンジとお願いしたいところです、でも同県同士の対戦は残酷な運命をもたらすので組合せはもうちょっと考えてほしかったなあ~。さて、その天理に敗れてしまった奈良大附については・・・・ああ~、これじゃ本文より長くなってしまいそう、ここらで切り上げて本文と行きましょか、まあ来年のセンバツに2校確定だから嬉しいのでもっと話をしたいんですが、いやいや、センバツは選考されるまで分からないから油断は大敵か↓↓↓















写真1枚目、2枚目は『こころ旅』で目的地となったフジヤマ古墳、その脇から進んで行って馬見丘陵公園の横を通り過ぎて森の中の道へと入って行く。道はくねくねと曲がっていて展望が全く開けないため方角の感覚が分からなくなってくる、やがて森の中に佐味田宝塚古墳と書かれた看板が立っていて、前方の緑の丘が古墳だと言うのが初めてわかるくらい。それにしてもこの辺りは展望が全くない一本道、南に向かいたいのにいつの間にか北に180度戻っている感じで前へと進んでいる、早くこの森を抜けなければ・・・。やっと景色が開けて集落が見えてきたがここがどこか全く分からない、と言うことで地図サイトのGPS機能で確認すると上牧町に入っているらしい。上牧町は新興住宅地の町と言うイメージがあったが丘陵地に沿う辺りには古い町並もある、しかしそこを抜けると大型ショッピングセンターが建つ所へと出て車の渋滞に巻き込まれる、でもやっと知っている道へと出ることができた、さて、改めて南へと向かうことにしよう。
いつの間にか上牧町から広陵町へと入り、二上山へ行く時によく走るニュータウンの中の道へと至る。地図サイトで確認するとこの辺りに古墳があるはずだが・・・と探していると、新興住宅地の中にポコンとした丘があった、そこは公園になっていて入口にトイレがあって二上山への走りの時によく休憩する所だった。公園の中の道を走って行くとここが古墳で石棺が見つかった所だと言う看板が立っている、場所的にはさっき通り過ぎた古墳も含めて、馬見丘陵公園にある古墳と同じ古墳群に属している。









二上山へ行く時によく通る真美ヶ丘ニュータウン、道が碁盤の目状になっていて至る所に住宅やお店がある、こんな開発され尽くした場所に古墳なんかあるんかいな、と思いながら地図サイトを検索していると、やはりこの辺りも馬見古墳群の一部、いろいろと印が付いている場所がある。今回の古墳巡りの目的地は大和高田市にある築山古墳群なので、その道にある古墳を巡って行くこととしよう、この走りの日は真夏の真っ只中でもう倒れてしまいそうになるくらいの暑さ、甲子園では熊本工と山梨学院が壮絶な投手戦を繰り広げている、延長に入っても動きがない、このままだとタイブレークに突入してしまうかも。集中力が途切れそうになる暑さの中、ニュータウンを地図サイトの印のついている場所を目指して進んで行って、いくつかの古墳を見つけることができた。上の写真にある古墳はどれも小高い場所にあるニュータウンと低い所にある古い町並の境界線となる場所にあるもの、今にも朽ち果ててしまいそうな古墳もあったが、さすがに人のお墓となると再開発するわけにもいかなかったのだろう。


















近鉄築山駅の南側、駅を出たすぐの所にあるのが写真1枚目、2枚目にあるインキ山古墳・・・ってどこに古墳あんねん、多分写真にある壁が古墳の側面に当たるらしいがこの上は住宅地になっていてよく分からない、地図サイトの航空写真機能で見てみると何となく形が古墳っぽいかなあ~。駅の南側には築山古墳と言うお濠に囲まれた古墳があるがこれが顕宗天皇の陵墓参考地とされている、付近は住宅地だが道は狭く車がそこを縫うように通り過ぎていく、少し南に行くとJR和歌山線が通っていて決して閑静な住宅地と言うわけではない。その場所にポツポツといくつかの柵が為された小さな丘があり、そこが築山古墳と陪塚とされている、築山古墳自体が陵墓参考地なのでこれらも参考地陪塚と言う碑が立てられていてはっきりとした古墳とはされていないが、大きな古墳を取り巻くようにこれだけの数・・・今回は4つ巡ったが他にもいろいろとあるみたい・・・の陪塚があるのだから、権力を持った人の墓であると言うのは確かなことだろう。こんなごちゃごちゃした町中にある何気ないポコンとした丘の存在が謎とロマンを与えてくれているようです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。            まちみち



No.1215 どうしたかな

2019-10-28 11:24:23 | 日記
おはようございます。





そんなわけで前回もお知らせしたように、今回は昨日(27日)に見に行ってきた映画の話をさせてください、行ってきたのはこの作品↓↓↓



上映自体は今年の1月に東京と橿原であったらしいのですが自分(一人称)はこの映画のことは全然知りませんでした、今回は期間限定で大和郡山での上映があるとのことで行ってきました。上の写真では分かりにくいのですが↓↓↓



バックに写っているのが二上山だと言うことが分かります、この映画の舞台は葛城市、とある家族の何気ない生活の風景の物語・・・と思ったらこれがまたとんでもない方向へと行ってしまいます、ミステリー、ホラー、コメディー、SF、サスペンス、ファンタジー・・・何なんでしょう?

主人公は30代後半の独身で家から出ることもせず、働く意欲もなく変な絵ばかりを描いているちょっと病んでいる感じの女性、普通の家に両親と一緒に住んでいるのですが、そこに妹が中学生の娘を連れて帰ってくるところから状況が一変してしまいます。妹からは鬱陶しがられ娘からは生き方を否定され、両親との関係もぎくしゃくして主人公の女性は家を出てしまいます、そこに現れたのが大型ごみの回収をしている若い男なのですが・・・
主人公の女性を演じているのは陽月華さん、以前日ハム(F)に陽と言う選手がいたから台湾の人かなと思ったられっきとした日本人、元宝塚の女優さんです。奈良の映画と言えば『二階堂家物語』でもシングルマザーの役で出演していましたが、そのイメージからして不幸そうなキャラが合う人なのかと思ったのですが今回は違いましたね、とにかく物語の前半はほとんどはっきりとした台詞がなくちょっとイライラしてしまいます。家族の食卓とは離れたテーブルでカップの焼そばにマヨネーズをかけて食べる、でもそのことを小日向文世演じる父親は咎めることはしません、娘に対してある事情から引け目を感じているからです。








主人公の女性は生まれた時に「香奈」と名付けてもらいますが、その名づけ親である当麻寺の僧侶からある物語に出てくる女性の不吉な話を聞かされ、そのことが父親が引け目を感じる原因となってしまいます。香奈さんには一種の霊感みたいなものがあり、その正体を感じた回収屋の男にひかれるようについて行ってしまう。その様子を見ていたのが妹の娘、この子がいわばこの映画のキーパーソンになっていきます。

この映画のモチーフとなっているのが中将姫と大津皇子、父親が僧侶から聞かされたのは『死者の書』の物語、時代的にはこの二人は会ってはいないのですが、中将姫は大津皇子の魂に導かれるようにして二上山を訪れる。この『死者の書』が現代に舞台を変えて、大津皇子=回収屋の若い男、中将姫=香奈さん、になぞらえて物語は進んで行く、しかし後半には奈良の町が大停電に陥り各地で爆発が起こり最後には・・・これは大津皇子の復讐なのか、それを止めるために香奈さんと妹の娘が動きます。しかし『死者の書』になぞらうと最後香奈さんは亡くなってしまうことになるですが、父親が心配しているのはそのことだったのですが・・・













映画の舞台となった葛城市の風景をいくつか貼り付けました、また別の機会を設けてこの地を走った記録についてはお話させてもらうと考えています。映画の最後・・・もういいか、ネタバレしても、香奈さんは大津皇子を救うために絵を描き続け、一時は不安な状態にあった妹の娘も香奈さんと一緒に大津皇子を救うべく立ち上がります。その後、騒動のあった葛城の町は無事平穏を取り戻し、一時はバラバラ状態だった香奈さんの家族も普通の生活を取り戻します。しかし香奈さんは姿を消してしまいます、亡くなったのかまた行方不明になってしまったのか、それは見る人の考えに委ねると言う形。ラストでは13年後、中学生だった娘・・・演じているのは木下彩音さん、ホリプロスカウトキャラバンでグランプリを獲った子、この先が楽しみな女優さんがまた一人と言う感じです・・・が大人になってこの映画の舞台となった当麻寺を訪れるシーンが主題歌が流れる中であるのですが、その寺院に奉納されている香奈さんの絵を見て自分(一人称)はこの物語はハッピーエンドではなかったと感じました。香奈さんは絵を描き上げた後姿を消したまま最後まで出てきません、中将姫は「生きたまま西方極楽浄土へ向かった」とのことだったがそうなると香奈さんはやっぱり、父親の不吉な予感が当たってしまったと言うことか、どうしたかな・・・


映画が終わった後、監督と主演の陽月華さんの舞台挨拶がありました、自分(一人称)舞台挨拶見るの『奈緒子』の上野樹里と三浦春馬以来2度目だわ。陽月華さん、冴えない香奈さんとはやっぱり違って女優オーラ出まくってましたね、奈良の映画に連続しての出演でしたが出身は東京とのこと、奈良には中学の修学旅行で来た、当麻寺には何年か前に取材で来たと話していました。最近は元宝塚女優も変な路線に走り出している人も多いようですが、せっかく奈良に縁のある人なので正統派でこの先も活躍して行ってほしいところです。そして監督が最後に話していました、自分たちは大手ではないので大きなスクリーンで上映するのが大変だって、なかなか切実な問題だと思います。近所の映画館がシネコンばかりになってしまったので、自分(一人称)も見たいとは思ってもなかなか行く機会がありません、今回のように期間限定でもいいからマイナーな作品ももっと近所のシネコンでやってほしいところです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。       まちみち


No.1214 万葉歌碑巡り、「令和」が始まった

2019-10-27 20:47:34 | 万葉
おはようございます。













奈良市中心部の東側、山の辺の道の北部分に当たる地域を走った記録はこの間お伝えしましたが、その走りの途中でいくつかの万葉歌碑を見つけました。実はこれノーマークだったんだよな~、いつも歌碑を巡る時は参考にさせてもらっているページがあるのですが、今回巡った歌碑はそこには載ってませんでした。と言うことでほぼ偶然の出会いとなったのですが、前に走った時はなかったと思うので最近新しくできたものなのかも・・・。
まずは弘仁寺の東側にある高樋の町で見つけた歌碑↓↓↓

「一本の なでしこ植ゑし その心 誰れに見せむと 思ひ始めけむ」(大伴家持・巻18-4070)

植物を詠んだ歌と言うことであまり地域性はない感じ。その後、正暦寺へと上って見つけた歌碑↓↓↓

「秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも」(柿本人麻呂・巻2-208)

正暦寺が紅葉の名所と言うことで「黄葉」=紅葉の歌の碑があるのでしょうか。この歌の作者は柿本人磨呂、ここにある「妹」と言うのは思い人を示すとのことでこの場合は愛する妻となります、その妻を早くに亡くしてしまった悲しさがこの歌に詠われています。そう言えば前にも柿本人磨呂が亡き妻のことを歌ったものがありました、重症なロスな気もしますが好きだったからこそですかね・・・。


















「あしひきの 山行きしかば 山人の 我れに得しめし 山づとぞこれ」(元正天皇・巻20-4293)
「あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰れ」(舎人親王・巻20-4294)

写真3枚目、4枚目の歌碑にある歌が上記の2首なのですが、この歌の歌碑がその後に訪れた円照寺の参道にもありました。「あしひきの」の後に続く「山」は単なる山と言うよりは円照寺がある山村と言う地・・・JR奈良駅からだと山村町行のバスがある・・・を示していて、上の歌は元正天皇が山村を訪れた時に山人・・・この場合は山を守る仙人と言うことでちょっとおとぎ話っぽい存在なのですが・・・からお土産をもらったことを歌ったもの。それに対して下の歌はその叔父にあたる舎人親王が、その仙人と言うのは実は天皇自身のことではないのか、と返したものであります。天武天皇から続く家系で叔父と姪の関係である2人が、この2つの歌でちょっとユーモアがあるやりとりが繰り広げられているように思えるのですが、時代は皇位の継承で争いが絶えなかった頃、実は今日(27日)、映画を見てきたのですがその内容がついこの間お伝えした万葉集の歌にも関わるものでした、次回その映画の話をお送りしようと考えています。












奈良市の中心部に帰って来て高畑地区へ、その街角の花壇に刺さった短冊に書かれていたのがこの歌↓↓↓

「高円の 秋野の上の なでしこの花 うら若み 人のかざしし なでしこの花」(丹生女王・巻8-1610)

上の写真では大伴家持とあるのですが作者は丹生女王と言うことで、この人は大伴家持の母親である説もあるようですがはっきりとはしていません。丹生女王は大宰府にいる思い人に2首の歌を贈ったとのことですが、その思い人が大伴旅人、大伴家持の父であります、そしてこの短冊の横にあったのが↓↓↓

「初春の令月にして、気淑く風和ぐ。梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす。」(巻5「梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文」)

もう説明の余地もないでしょう、何度もテレビのニュースでも流れたあの一文です。元号が初めて万葉集から出典されたとのことですが、よくここから「令和」を引き出してきたものですねえ、この一文からだけでもいくつもの漢字二文字の熟語ができそうですからね。「令月」とは旧暦では二月を示すと言うことで、今の暦だと3月~4月の暖かくなり始める頃を指しています、まさに「気淑く風和ぐ」頃ですね、そう言えば新元号が発表されたのが4月1日だったのでまさに令月と言うのもナイスなタイミングと言う気もしました。そんなわけで現代では平和な皇位継承が行われたわけですが、1300年以上前にはいろいろと悲劇が起こっていたと言うことで、その話を次回にでも・・・今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち



No.1213 お地蔵様で町巡り・大津編(前編)

2019-10-24 10:00:11 | まち
おはようございます。




















今年の夏はほとんど遠出ができない状態、金欠はもちろん相棒君の不調もあったのですが、今年の週末はまるで呪われた感じで天候が悪い日が続いたんですよね。台風が直撃したのも確か土曜日だったと思うのですが、実は今度の世曜日は遠出ができそうだな、と思っていたら週間予報で☂マークが付き予定を変更することになったことも何度かありました。今回お送りする滋賀方面も前日が雨だったのですが、この日は朝起きた時に雨が降ってなかったので家を出てとりあえずどこか行こうと思いながらはいるのm小走ったものでした。京都府内での走りについてはまた別の機会でのお送りとして、まずは旧東海道の山科を過ぎた所、この辺りは地図では京都府と滋賀県の境界線の点線が通っている所ですが位置的には滋賀県大津市に入っています。峠を越える前で滋賀県に入るのも中途半端な感じ、京都の町並がそのまま続いているのにここはもう琵琶湖がある町と言うのも変な気がするのですが、とにかく旧東海道はきつい上りとなっていく、いくつか見かけるお地蔵様も旅人に峠越えを頑張れと言っていたのでしょうか。さて、せっせせっせと上って旧東海道が京街道と分かれる追分と呼ばれる場所へ、ここは大津へ行く時には毎回通るのですがこれまでは何気なく通っていた所にもいくつかお地蔵様がありました・・・って、何か不気味な化粧をしたと言うか顔にユーモラスな色を塗られたお地蔵様が、実は京都にはこのような変顔のお地蔵様が多くここに来るまでもたくさん見かけたのですが、そちらの方はまた別の機会に巡ることとしておきましょう。















国道1号線に入ると左手側には京阪京津線が沿ってくる、道は緩やかな上りだがここは車道を走るのはあまりにも危ない所、対向車線側の歩道を自分のペースを守って上って行く。上り詰めた所が逢坂の関跡、大きな常夜燈が立っていてここを過ぎると急カーブの下りとなる、調子に乗って走りたいところだがこの下りの途中にもいろいろと見る所が多い、車が頻繁に行き交う所なので気をつけて行かなければならない。逢坂1丁目交差点で国道1号線と分かれて浜大津へと向かう道へと入る、さっきまで横を沿っていた京阪線の踏切を越えると大津宿へと差し掛かって行く、旧街道の雰囲気が漂う町並の中にもお地蔵様がいくつか、大津は寺院が多い所なのでお地蔵様が道標の役目を担っていたのかも知れない。さて、この後は旧東海道を走って・・・と言っても時間的に行けるのは大津市内の近辺だけですが・・・これまでは見過ごしていたお地蔵様巡りと行くわけですが、その話についてはまた次回でのお送りとしておきましょう、せっかく浜大津へと来たのでお約束の琵琶湖を見ていくこととしましょう。











と言うことでやって来ました、琵琶湖です、写真を見ても分かるとおり、何かスッキリとしないお天気です、比叡山方面は雲がかかっているし琵琶湖の水面もいつもの青さが見られません。ちょうど浜大津港には2艘の客船が入っていてミシガン号は乗船が始まっていた、自分(一人称)としてはクルージング船よりは自転車を乗せてくれるフェリーがあればいいんですけどねえ、高島や長浜まで行ってくれたら助かるんだけどなあ、でも電車の方がはるかに速いから無理な話か、まあその分自転車で琵琶湖を走る楽しみがあるわけだからそれはそれでいいか、と言うことで次回に続きます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。             まちみち






No.1212 奈良の古墳巡り(2)・・・斑鳩町、河合町編

2019-10-23 10:38:04 | 文化財
おはようございます。
















奈良の古墳巡りシリーズ、前回は佐保佐紀の古墳群をお送りしました、今回はその2回目、斑鳩町から河合町へと巡ってみることとしましょう。奈良県は古墳が多いと常々思っていたわけですが、実は数の多さランキングでは47都道府県中で8位、1位の兵庫県のほぼ半分、鳥取や京都、岡山にも及ばないと言うことでした。でもまあこれはいわば納得と言えば納得ですね、奈良の半分は吉野の山、狭い平地に集中しているから多いと思ってしまっていたんだよな~、多さと言うよりは密度と言ったところですか、あらあら、最初から話が逸れてしまいました、古墳巡り行ってみましょうか。
写真1枚目~3枚目はまだ大和郡山市、矢田丘陵の住宅地の真ん中にある古墳、この道は斑鳩、大阪へ向かう時にいつも利用する道なので結構気になっていました。その後は斑鳩町に入って国道25号線へ、その国道沿いにあるのが写真6枚目にある駒塚古墳、そこから少し逸れた住宅地の中にポコンとある丘が写真4枚目、5枚目にある調子丸古墳。聖徳太子の愛馬のお墓が駒塚古墳、その世話役だった調子丸と言う名の人のお墓が調子丸古墳と言うことです、聖徳太子と馬は切っても切れない関係と言う感じでいろいろな所で見かけるが、厩戸皇子と言うことだから一層愛着があったとでも言ったところでしょうか、犬も大事にしていたと言うことだから優しい心の持主だったんでしょうねえ。









写真1枚目~4枚目にあるのは国道25号線の南側の住宅地から少し離れた所にある斑鳩大塚古墳、田園風景の中にあるのですぐに古墳と分かる。一本道の畦道を進んで行くと古墳の片隅にお地蔵様が立っている、古墳入口には石段があって立ち入ることができそうだが、ここは厳かな雰囲気を感じつつスルーして先に続く畦道を進んで行く。再び国道へと戻り少しだけ西に進んだ所で新しくできた道を左へと曲がる、この辺りはニュータウンの走りと言った感じで家が斜面になった所に建ち始めて行っている。この道を真っ直ぐ下りて行くといかるがパークウェイ・・・地図で見ると国道25号線のバイパスが独立した感じで記されている、将来は混雑がひどい国道25号線の迂回路となるのだろう・・・まで行くが、その途中で左へと曲がり細い道を進んで行くと写真下2枚にある戸垣山古墳へとたどり着く。この辺りは付近に住宅はなく田園風景のど真ん中、一見すると田んぼの中の小さな休憩所と言った感じの丘、さっきの古墳と比べると厳かな雰囲気はほとんど感じられない。





















場所は変わって富雄川沿いの道を進んで河合町に入った所、西名阪を過ぎたあたりにはいくつかの古墳が集まって大塚山古墳群を形成している。まずは西名阪をくぐって少しだけ進むと右手側に現れる写真1枚目、2枚目にあるポッコリとした古墳、何か鉄腕アトムを作った博士の頭を連想させてくれる。更に南に進むとこの古墳群の代表格に当たる大塚山古墳、こちらは威圧感十分な前方後円墳、ただ面白味がないんだよなあ~、いかにも古墳です・・・ってな感じで。と言うことでこの古墳を挟む西側の道へと入って西名阪法隆寺IC近くへと戻ってくると、まず目立って見えるのが中良塚古墳、案内板には高山塚一号古墳とカッコで記されている。1号があると言うことはパーマンみたいに2号、3号とあるはず、と言うことでここでグーグルマップの出番、「墳」で検索するとこの付近で2号から4号までの古墳があることが確認できた。とりあえずその場所を当たってみたが確認できたのは2号墳だけ、地図では3号墳はすぐ向かいにあるとのことだがそれらしい丘のようなものは見当たらなかった、上の写真ではその印が付いていた場所を手当り次第に撮ってみたのですが・・・。形はなくてもそこに古墳があったと言う印は地図サイトに記される、この先はそんな隠れた存在の古墳もできるだけ掘り下げて巡って行ってみようと思っています、奈良の古墳巡りはまだまだ始まったばかりです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。           まちみち