我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「花は桜木、人は武士」

2018年03月28日 | 日記

今日の我が家の桜は
八分から九分に咲きそろい、

愈々、明日か明後日あたりには
すべてが咲きそろう満開の時を
迎えようととしている。

桜の花が美しいのは、
ほのかな桜色の花びらと

見目形に現れる
気品溢れる
その優美さだけではなく、


見る者が受ける、
凛として
引き締まった心象は、

咲かせて散るまでの、花の命の短さを
人は知っているからでもある。


散りゆく花びらが風に乗り
花吹雪のように宙に舞う様を
「美」と捉える日本の人の心には、

散りゆくことへの未練もなく
何時しか地に果てゆく花びらを、

あるべき人の生き様に例え、

「花は桜木、人は武士」

の句があるように、

武士の本分にも通じる
潔(いさぎよ)さと
映し重ねるからである。


物事をやり通し、
最後まで立派に全うすることを
「有終の美」と称するが、

まさしく、それが短き生涯を背負った
桜花の散り際である。


さて、桜花と期を同じくして
開かれた国会では、殿である首相が
家臣の不始末も正さず、
また、その不始末を
自らが被(かぶ)りもせず


殿自らと、自らの正室と、
親戚の家老の保身に奔走する様に、

武士としての潔さを、
幾許(ばく)
も見出せないのが、

小生は無性に寂しくてならない。


桜の花は、よもやの強風や雨、
あるいは不意の降雪で、
間もなくの開花期や満開期を前に、

夢、志(こころざ)しを半ばにして
地に落ち果てゆく不本意は
筆舌に尽くせぬほど無念であろうとも、

それが宿命と、身の在り方を
自然(なりゆき)に身を委ねる様を
誰もが見てきた。


首相よ、貴殿は桜の散り際を見て、
一体、何を感じておられようか? 


菊の花は国家の象徴、

桜の花は日本の民が愛する
花の象徴。

その桜が凛として美しい季節に、
日本の民を束ねるべき

武士の一分は、政治家の一分でもある
あなたの生き様は・・・

「武士の一分」とは、

侍が命をかけて守らなければならない
名誉や面目の意味。

・ 

あとがき

何故、政治音痴が真実性を欠き、 
いささか訝(いぶか)しい内容を今、
感情主導で
綴ったかと言えば、

今日の満開の桜の下で、
昨今の政治の、目を覆(おお)い、
耳を塞(ふさ)ぎたくなる程の

あまりにも体(てい)たらくで
            痛ましい
惨状を思う時、           

昨日の顛末に呆れ果て、
憤(いきどお)りを禁じ得ず
唯、黙ってはおれなかったから
だけである。

・ 

画像は、明日、明後日の両日中には
満開を迎えるだろう、春日公園の桜。

コメント
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