我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「故郷の味は、歴史の味」

2018年05月30日 | 日記

間もなく、
春日村も入梅の候を迎える。

連日、ジメジメとした
蒸し暑い日が続いているが、
「暑くなるのはこれから」と言う
本格的な夏を前に、

我が家の食卓には既に、
ある夏料理がお目見えした。


我が家にとって、この料理を失くしては
夏を乗り切れないほどの、
夏料理の定番中の定番のこの品は、

古来より受け継がれてきた
伝統料理でもある。


古(いにしえ)の
エアコンも冷蔵庫もない時代から、
人々は工夫して食に涼を求めてきたが、

この料理もそうした夏料理の
一つと言える。


その昔、我が故郷リトルは
「北郷(きたごう)」
と呼ばれた時代があった。

阿蘇谷(カルデラ)の南部を「南郷」
(現在の南阿蘇村)、

北部を「北郷」と呼んだと
古文書にあり、

北郷とは我が故郷、
小国町のこと。


更にその昔、現在の小国町を
治めていた綿貫氏は、
鎌倉幕府からこの地に就いたが、

我が家の夏料理の
定番中の定番のこの品の名の
「冷や汁」は、

私見ではあるが、
綿貫氏が鎌倉より持参したと考える。


今夜のオクラを加えた「冷や汁」に
後で氷を浮かべる。




「冷や汁」は、
九州では宮崎が有名だが、
ウキペディアによると、

「熊本県阿蘇周辺で、
夏の家庭料理として食べられていた」

と記載され、

古くは鎌倉時代の『鎌倉管領家記録』に
「冷や汁」の記述が見られ、

今も鎌倉には「てて屋」と言う
冷や汁を食べさせる店もあるのを
調べる内に見つけることができた。


子供の頃はリトルのどの家でも、
夏には「冷や汁」を食べている
とばかり思っていたが、

数年前、最初に「冷や汁」を
日記を書いた時、

スージィーの家も、ヴァリィーの家も
一度も食したことがないことを
知ったが、

山女魚小僧の家では、
川魚のハヤを焼いただしで
作っていた「冷や汁」も、

昔と違って今は、
あごだしをベースにした
市販の上質の出しもあって
手軽に作れるようになり、

スージィーは暑い日にはみずから
好んで作るほどの料理でもある。

家庭によってレシピは異なると思うが
市販のだしと胡麻と味噌と豆腐に
きゅうり、大葉、みょうが等の
夏野菜があれば、
簡単に作れる「冷や汁」を

是非、夏料理の一つに
お加え頂きますように。

レシピは、スージィーまで。


「補足」

前述の綿貫氏は、
北郷「きたごう」を、「きたざと」と改め、
後に北郷が「北里」に変わり、
自らの姓を、北里として、

細川藩の時代に小国に
「北里手永」を置いたという
属に言う、総庄屋のことである。


「手永と総庄屋」

細川熊本藩主が豊前と肥後で
寛永十年に施行した地方行政区画として
村を束ねたものが「手永」で、
その代表者が総庄屋。

 

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「肴は、木綿豆腐」

2018年05月27日 | 日記

さて、日曜日も
午後4時半を回って仕舞ったが、

昨日から孫の運動会観戦に
岡山に行った、スージィーのいない
晩酌までの間に何をしようかと
考えた。

午前中の陽射しも治まり、
今は少しばかり曇りだしたが、
雨が落ちる気配でもなさそうだし、
外はさほど暑くも無し、

ウォーキングに出掛けるには
絶好の日和(ひより)なのに一昨日から
訳あって歩くのをやめている・・

2週ほど続けてきた退社後の
早歩きのウォーキングも
これまでは順調に進んでいると、
勝手に踏んでいた。

ところが此処に来て、
下半身どころか身体全体がだるく、
ギアを入れようにも、アクセルを踏もうにも
全く、エンジンが掛からない・・

「蓄積疲労」と言う奴だろう。

それで今日は、こんな時は
休むに限ると開き直ったが、

せっかくの日曜日、
以前から懸案事項となっていた
軽めの作業に取り掛かり、
先ほど終えたばかりだが、

根っからの「貧乏、暇なし」は
「休むは、損」と思い込み、
兎角、じっとしてはおられない。


若い時からこんなに
寸暇を惜しまず、がまだしておれば、
もっと益しな暮らしもできたろうにと
考えもするが、

悔やんだところで
「人生双六(すごろく)」、
振り出しの戻れるはずもなく、

今できることをできる範囲で
やろうと思う心が、身体を動かさす。

身体が心に追随する内は
少しで心に従い、

やらずに悔いを残すことほど、
悔しいことは無いが、

今日は、そんな心と身体の塩梅を
書こうと開いた日記に、

スージィーへの慰労の言葉に始まり
彼らしい人生観に終わる、
小僧ならではのコメントは

今日の日記のテーマを
少しばかり変えることに。


実は先般、
普段の我が暮らしぶりを鑑みる時、

「今、何のために(誰のために)
頑張っているのだろう」かと、

ふと頭を過(よぎ)ったが、
その人生の目じるしの一つを
少しばかり解る気がして、

今日の重たい身体を
随分と軽くすることに繋がった。


「面白い人生」

そう、「面白い生き方」

価値基準も、等級も、採点も一切ない、
物差しは全て、自身が求める

「面白さ」

昨日も、今日も、明日も、
日々、頑張っているのは
「面白い人生」を求めるため。

「面白い人生」に付随して、

友情とは、価値観を共有すること」
と見つけたり。

ここまで書いたら、少しづつ
陽が暮れ始めた。

今から、肴は木綿豆腐を求めに
スーパーへ。

今夜は、心に身体が
追随どころか、先行しそうな、
そんな予感のする
一人晩酌をこれから愉しみます。


一人晩酌のバックに流れるのは、
ザ・バンドの解散コンサート
「ラスト・ワルツ」
から、

Dr・ジョン、
「Such a Night」
こんな夜は


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「ピッカピカの専業主婦」

2018年05月24日 | 日記

スージィーが会社を退職して、
明日で一月になる。

30年間、働き尽くめの今までは
仕事と家事に追われて、叶わなかった

好きなことや、トライしたいことが

これからは時間を気にせず、
自由に何時でもできるようになったが、

兼業主婦時代に、忙しくて十分でなかった
衣類や寝具の整理、身辺の片付け等に

日々、手足を取られているのを
傍(はた)で見る限り、

専業主婦を謳歌し、自身のための時間を
費やすまでには、残念ながら今はまだ、
至ってはいない様である。

実のところ、
今は具体的に何にトライし、
どんなふうに時間を充てるのかを
模索しいるさ中で、

新たな生き方を見出すには、
暫く、時間が必要なようである。

仕方ありません、30年も一生懸命働いて、
まだ、退職したばかりですから。


ところが今、スージィーの退職を機に、
想定外の、思いも寄らぬことが
小生に起きている。


平日は毎朝夕の、南福岡駅まで
送迎が日課だった。

その必要がなくなると今度は、

逆にこちらの方が会社まで
送迎してもらうことになり、

すると朝夕の時間帯に随分と
ゆとりが出来るようになる。


これまでは隔週、7時と7時半に家を出て
駅に送っては、こっちもそのまま、
会社に行っていた。

夕刻は駅に迎えに行くか、
駅駐車場に車を停めて
春日公園に向かうのが常だったが、

その役目がなくなると、立場は逆転。

今は「半分、青い」を観終えて、
我が家から車で10足らずの
会社まで送ってもらい、

退社時は弁当箱諸々を
取りに来てもらったらそのまま、

5時丁度スタート、
6時半に我が家到着の、

毎日、1時間半の本格的な早歩きの
ウォーキングが楽しめるようになった。


風呂から上がり、晩酌開始は
ニュースの時間にピッタシの
午後7時。

退社後の無駄がなく
理想的な時間の過ごし方は
好天にも恵まれ、

途中に足の強張りも無い
油山登山をはさみ、
ウォーキングは現在、2週間続いている。

スージィーの退職は今、
彼女自身に目ぼしい変化は
起きていないが、

小生にはたちまちの、
効力発揮となっている。


退職したスージィーには
極力、夜間の外出を控える以外、
何も注文は付けていないが、

ピッカピカの専業主婦一年生が、
自身が求めていた
自由で理想のライフスタイルを

是非、一日も早く
見つけて欲しいと願うばかりの

紫陽花の蕾が色づき始めた、
今日この頃である。

 

「自由になりたい」

モンキーズ

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「明後日の足の強張り」

2018年05月20日 | 日記

一月前、
「久しぶりに、山に登りませんか」
と誘ってくれたお方から、
金曜日に再度、
日曜日の登山の誘いを頂いた。

前回の立花山で、
健康と楽しさの両面から、久々に
登山の面白さに目覚めた当方、
誘われるまでもなく、
こちらから何度か誘いを入れたが、

会社社長のこのお方、
基本的に土日は休みではなく、
お互いの日程が合わず仕舞いで
諦めかけていた矢先の
この電話だった。


日曜日は昼から仕事とのことで
朝早くに出掛けることにして、

登る山に近い社長の事務所で、
朝7時に待ち合わせ。

間もなく、登山道の駐車場に到着。

登る山は標高371mの立花山から
ランクを一つ上げて、597m。

7時15分に出発、
9時55分に登頂。

頂上から眺められるのは、
この景色だけ。

拡大画像

中央の島が能古島(のこのしま)、
その右が志賀島。

海を隔てたこちら側の右がシーサイド百道地区、
福岡タワー、ヤフオクドーム。

頂上



10時15分に下山開始、
11時20分に駐車場到着。

別のルートの登りと下りは、
終始、木立の中を
木洩れ日を浴びて歩き、

そんなに汗をかくことも無く、
登山を愉しむことができたが、

最近のウォーキングが
功を奏したのか、

前回と違い、登りは思いの他
随分と楽だったが、
下りは少々、堪(こた)えた。


だが、次に登る山は、
もう一つランクを上げればと
少しずつ、少しずつ、欲の出る

明後日の
足の強張り(こわばり)が楽しみな
登山であった。


補足

最近の兆候として、
足のこわばりは翌日でなく
明後日に現れる
傾向にあり。


特に曲が思い付かないので、

「Iko Iko」

ドクター・ジョン

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「土曜日の午前7時」

2018年05月19日 | 日記

此処の所、CDやYouTubeで
ニューオリンズ・ピアノの大御所、
ドクター・ジョンばかりを
好んで聴き続けていた。

今朝も「その他のブックマーク」の
「お気に入りホルダー」に
収めていた曲を聴き終えると、

曲は自動で次の曲へと移動し、
初めて聴く曲が流れ始める。

曲を聴き入る内に
止めどなく涙が溢れ始め、

4度程繰り返し聴き、
その度に涙した。


まだ、7時を過ぎたばかり
と言うのに。

 ♪ 

何かが私に告げたの、もう終わったんだと
あなたと彼女が話しているのを見た時
私の魂の深い所で、何かが私に言ったの、
「泣きなよ、お嬢ちゃん」
あなたと彼女が連れ歩いているのを見た時

私はむしろ、
むしろ盲目になってしまいたい
ねえ、あなたが私から去って行くのを
見るくらいなら、
それだけは嫌

分かってるでしょ、
私はあなたのこと大好きなのよ
だからあなたが去って行くのを
見たくないのよ

何よりも、私は単に、
単に自由になんかなりたくはないのよ

私はただ、私はただ、
ただ、座って思い出していた、

あなたのキス、あなたの暖かい腕を
唇に押しあてたグラスが反射して、
涙が頬を伝うのを映した

ベイビー、ベイビー、
私はむしろ、むしろ盲目でいたい
あなたの去って行くのを見るくらいなら、
私から去って行くのを見るくらいなら
ベイビー、ベイビー、ベイビー、
私はむしろ盲目でいたい...

 

「I'd Rather Go Blind'」

私はむしろ盲目でいたい

エタ・ジョーンズ&Dr・ジョン

Etta James + Doctor John 'I'd Rather Go Blind' 1987

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「朴訥な生き方」

2018年05月18日 | 日記

星由里子さんが74歳で、

西城秀樹さんは
63歳で昨日、亡くなられました。

星さんは、6月で67歳の
私からすれば姉であり、

西城さんは、いわば弟にあたる
歳周りにあり、

心身ともに人生における
活躍期のさ中にありながら、
天命を全うされることに
なりましたが、

この若さで亡くなった
当の本人にすれば、
「全うした」とは決して信じ難く、

唯々、無念であったろうと、
衷心、察するばかりです。


事故や被災によらない、
兄姉や弟妹世代の、
多くの訃報に接する時、

死が、そんなに遠い位置に
あるものではないことに、
何時も気付かされますが、

と同時に、これから
どんな生き方をすべきかを、
又、考えさせられます。


星さんは、
映画「若大将シリーズ」で
私の年上の憧れの恋人で
ありましたし、

西城さんは、
当時、洋楽に夢中な私には、
その活躍は遠巻きにしか
眺める
ことが出来ませんでしたが、

日本の歌謡曲の
一時代の一役を担う存在で、

お二人ともに
芸能界のスターでした。


時代のスターに、誰もが酔いしれ、
誰もが心を満たしてきましたが、

今回の残念な突然の訃報に対しては、
誰もが惜しみなく、
その功績を称えています。


才能と努力で積み重ねて掴んだ
スターの面影を、これからも
多くの人たちの心に焼き続けていく、

その功績こそが、

「天命を全うした」

と言うことではなかろうかと
考えます。

そう考えれば、
自身のこれからの生き方は、

関心ごとや趣味を抱くことを
自らの才能と信じ、

周りの人たちと大いに和み、

音楽や酒で心を潤し、

適度な運動に努力し、

「成功者」とか「スター」には、
まるで無縁で、唯々、
朴訥(ぼくとつ)な
生き方しか
できないけれど、

何一つ功績も残せず、
世のお役には立てないけれど、

ひたすら、自分なりの人生を
貫きたいと考える、

今日はそんな一日でありました。


今夜、お二人のご冥福を
心よりお祈り申し上げます。



今夜の曲を、お二人に。

映画「スター誕生」主題曲
「愛のテーマ」

唄:バーブラ・ストライサンド

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「驚いた 本物だ!」

2018年05月15日 | 日記

「我が家のディリー・ライフ」は、
随分と投稿ペースもダウンして、

「ディリー(日記)」よりも、
「ウィクリー(週記)」と言った方が
相応しい投稿頻度となっている。

話題に事欠くほど毎日、
金太郎飴のように同じことを
繰り返している訳でもなく、

時が過ぎれば季節も巡り、

例えば、寒暖の差も治まれば、
羽織る布団も愈々、薄くなるとか、

店頭に「らっきょう」が並べば、
旬の酒肴一つで、晩酌の趣向も
一味変わるとか、

コバノズイナが
白い花の穂をつければ、
今年も庭主を喜ばすとか、



記すべきは
枚挙に暇(いとま)もなく、

ありきたりの
何の変哲もない一日でさえ、
投稿しようと発すれば、

乏しい発想で浮かんだ下手な言葉も
打ち出の小槌のように飛び出し、

いつもの落としどころも定まらぬ
文脈を記し連ねるが、

ここのところ、どうもその気が
一向に起きてこない・・


ところが今日、
特筆に値すべき出来事があり、
一週間振りに日記を投稿することにした。

その、特筆すべき出来事とは・・


先日、会社に営業の部署に、
一人の女性の入社が決まった。

「喜多里さんと一緒で、
音楽が好きらしいよ」

と社長から履歴書を渡され、

「趣味」の欄に、なんと
「オペラ」と書いてあるではないか。


今朝、
専業主婦になったスージィーに
会社まで送ってもらうと、
会社の前に一人の女性が立っている。

そう、その〝オペラ女子”が
やってきた。


会社に入り、自己紹介を済ませると、
気になっていたオペラのことを
尋ねることにした。


「オペラとは、歌う方ですか?
聴く方ですか?」と尋ねると、

「歌う方です」と答え、

「アヴェ マリアの頭を歌います」
と言って、
その場で歌い出したのだ。

驚いた、いやー驚いた。本物だ!

歌い終えて、

「顔には自信ありませんが、
声には自信あります」
と仰った。

実はこの女子、御年71歳。

ピアノ、チェロ、ヴァオリンと彼女の
小さな楽団を自ら主宰しては、

ボランティアで
被災地のコンサートをはじめ、
TVやFM福岡でも出演歴の数多い
オペラ歴30年の大ベテラン。

こんな凄い人が同僚になった
今日と言う日を記さないで、

何が「ディリー・ライフ」だろうか。

「顔には自信ありませんが、
ギターにも自信がありません」

そんな親父が、
らっきょうで
一杯やりながら、頭から最後まで聴く

今夜のこの曲は、

オペラ女子の入社祝いに、

 「アヴェ マリア」

唄:キャスリーン・バトル

Kathleen Battle; "Ave Maria"; Bach/Gounod

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「年がら年中、GW]

2018年05月08日 | 日記

 

日曜日、GWも終わり、
いつもと変わらぬ
日常の生活を取り戻したが、

今年は休みが多い以外は、全く、
普段と変わらぬ毎日を過ごす、
非常に稀なGWだった。

毎年恒例の故郷リトルの
ワラビ採りは、人出を見越して
先月の26日に出掛け、

山菜採りと、緑広がる故郷の景色を
存分に愉しんだ後は、「ホタルの湯」で
汗を流し、GWを前倒しで愉しんだ。

当日、サウス・リトルのとある場所から
阿蘇山方向を撮った画像。



迎えたGWの初日の3日は、糸島市の
とある河口で「ハマグリ掘り」に
出掛ける予定だったが、

前日、急に熱を出した母を一人、
家に残して出掛ける訳にもいかず、
外出禁止を余儀なくされたが、


雨天なら兎も角も、
こうも連日好天に恵まれては、

それでなくとも好天の休日には
じっとしておれない性質(たち)は、

あれやこれやと
連休に家でしかできないことを
探し出しては、

枕木の補修他、成すべきを成し、
愉しむべきを愉しんでは過ごし、

雨の落ち始めた5日には、
こんな日でないと愉しめない、

録画しておいた、上映時間
3時間20分にも及ぶ大作で、
ウォーレン・ベィティが
主演・監督・製作し、

アカデミー監督賞を受賞した
アメリカ映画「レッズ」
を堪能し、

6日は本格的な雨で終える、

思えば、珍しく高速道路を利用して
遠出することは一度も無く、
家や近場で過ごすGWの
幕を下ろしたが、

例年なら、休みをはしゃぎ過ぎて
食傷気味のGWも、今年はいささか、
控えめに過ごした感がある。

ならば、我が家だけでも
「GWを続けよう」と考える。

いや、もう既に続けている。
 

「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨観」は、

晴れた日は庭に出て花を植え、
雨の日には家の中で映画を観る。


年がら年中、飽きもせずに楽しむ
我が家の「GW」のGは、

「ゴールデン」ではなく、

「ガーデン・ウィーク」

なのである。


映画「レッズ」の中で、
ディブ・グルーシンの演奏する
曲があったが、見つからず、
故に今日は、曲は無し。

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「文化と文明」

2018年05月02日 | 日記

米国のギター・メーカーの老舗である
ギブソン社が、経営破綻したと言う
ニュースを今朝、知った。

ギターを愛する誰もが憧れる
あのギブソン社が、
なんで、破綻したのか? 


亡くなった永六輔氏の著書
「商人(あきんど)」の中に、

「商売と扇子(せんす)は、
広げすぎると倒れる」

と言うのがあるが、

ギブソン社はギター以外にも
音楽関連の事業を拡大した挙句に

債務超過で、日本で言うところの
「民事再生法」の申請を1日に、
適用したとのこと。


ギターを愛する一人であり、
一向にギターの上手くならない
「下手の道具調べ」小生も、

ギブソン社の
アコースティック・ギター「J-50」を
弾かせて頂いているが、

音の良さは下手でも判り、
その逸品の響きは末代までも
伝えるべき、代物である。


ギターは一向に上達しない小生の、
宝の持ち腐れの、もう一本のギター
「マーチンD-35」とは
音の美しさや響きは異なるが、

それぞれのギターを抱え、
爪弾(つまび)くというより、
ただ音を鳴らすだけで、

ひたすら悦に入る楽器である。


2本のギターを並べるのは
あからさまに、これ見よがしの
さも自慢げにも思えるが、

否定をする必要もなく、
全く、その通りの、我が自慢の
左がマーチンで、右がギブソン。




その〝音を鳴らすだけで悦に入る”だが、

「快適さを
精神において追及するのが
文化で、

物質において求めるのが
文明である」

この名言は、亡くなった
立川談志師匠の言葉だが、

しかるに、

「ギターを弾くことは前者の
文化であり、

弾きたくなる楽器を作るのは
文明である」

とも言える。

ギブソン社は今後、
本業のギター製作を軸足として、
再建を目指すのとことだが、

これからも、
下手の道具調べの親父たちや、
これから続々と輩出する
ギターキッズのためにも、

高品質で低価格の
ギター製作を目指し、

精神的にも物質的にも
豊かな生活を過ごさせて頂くように
願うばかりである。


2本のギターの
宝の持ち腐れは
いずれ、どこかのギターキッズの
誰かの手に譲り渡すのだろうけれど、


息子のベン・テイラーに
譲り渡す前の
ギブソンのJ-50で歌う

「Long Ago And Far Away」

ジェームス・ティラー
With
ジョニ・ミッチェル

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