我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「一人作業の一苦労」

2019年10月28日 | 日記

ウォーキングの途中で
リサイクルショップを覗いた時、

高価で手の出なかったランプシェードが
天井から下がっているのを目に留め、

直ぐにお店の人を呼んで
下ろして貰い、仕様と価格を
確かめることにした。


人間とは不思議なもので、
森羅万象、興味のないことには全く無関心で、
目も、耳も、頭にも一切、入らぬが、

こと、自分に関心のあるものに対しては
たちまちに反応し、ありったけの
情報を得ようとする。



7、8年ほど前に、ぶどう棚に
ランプシェードを取り付けたが、



シェードの位置がスペースの
中央になく、全体を照らせないことと、

雨風にさらされ古くなっていたのが
気になっていた。

されど、買い替える余裕もなく、
鉄製のシェードのさびを落とし、
再塗装で当面を凌ぐつもりでいたが、

そこに好みの形状と色で、
しかも耐久性に優れたホーロー仕上げの
新品同様のランプシェードが現れ、

しかも、ネット価格の
80%OFF。


これを買い逃すのは、罪。

次の日、シェードが我が家にやってきて、
土曜日、9時に作業開始、
翌日、午後4時に取り付けを終えた。

先ずは、屋内用の吊り下げ仕様を
屋外用に改造。

この作業で一番、頭を使い、苦労したのが
どうやって見た目良く、
シェードを取り付けるか?

2本の脚を組み立て、テーブルと固定させ
そのトップに屋根を付け

シェードを取り付けることにして、
いよいよ、苦労の作業が始まった。

残念ながら、苦労の現場画像なし。



ぶどう棚に取り付けていたシェードと
同じ高さで取り付けるために、

長さ2mの2本の
テーブルの鉢置台支柱の両サイドに
取り付けたが、

地面からの高さ総3m50になるため
脚の強度に苦心した。

週末から東京に行った
スージィー留守の間の作業は
すべて、一人。

そして、待ちに待った夜がきて
スウィッチをONにする。

それは、
ランプシェードとの出会いに感謝する
グラス片手の「点灯式」

そこで、一句

「ほろ酔いで 灯り親しむ 秋の夜」

 

作業を始める土曜日の朝、
YouTubeで初めて耳にし、
その質の良さにたちまち反応し、

一人作業の一苦労を軽快に
背中を押ししてくれたのが、

優れたトランペッター、
ロイ・ハーブローグ。

早速、ウィキペディアで
彼のことを調べると、

残念なことに昨年11月、
49歳の若さで亡くなっていたが、

彼の音楽との出会いには、
心から感謝したい。

始めだしたら止まらない
ランプシェードの作業と一緒で、

余りにも心地良すぎて、
勝手に動く身体を止められないほどの
今日の曲、

「Strasbourg Saint Denis」

ロイ・ハーブローグ・クインテット

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「飽きずに、懲りずに、殺さずに」

2019年10月23日 | 日記

毎度、相変わらずの庭師話。


春日村は現在、建築ラッシュである。

家主のいなくなった
古い家屋の建つ土地を、

建売業者・不動産会社・
ハウスメーカーが買い取り、

元々、1棟だった土地に
2棟から3棟のお洒落な家が
雨後の筍のように(失礼)建っていく。

我が家の周辺でさえ僅かここ数年で、
20棟以上が建ち、

次々と幼い子供達を連れた家族が
越してきては、

家が建つたびに、
新しい若い家族が散歩がてらに
我が家の前を通り過ぎていく。


感心するのは、
今の若い人達の多くはすれ違う際に
挨拶を忘れないこと。

淋しいことに、
高齢者や同世代の方は
余程プライドが邪魔をするのか、

はたまた、旦那は嫁に、嫁は旦那に、
「よその亭主やご婦人と、口を利いてはならぬ」と
無用な釘を刺されているのか、

挨拶をしない、あるいはしても
返さない人達が実に多いこと。


若い方達から挨拶を頂ければ、
金もなけりゃ、プライドも気位もなく、
気さくさだけが取り柄の小生は

挨拶を返すだけに留まらず、
なにがしかの言葉を語り掛ける。

すると、互いの会話から笑顔が生まれ、
その瞬間から隣人としての繋がりが
始まるのは自然の流れ。


土曜日、移植するナニワイバラの
ツルを這わす棚を作っていると、

親子と思しき女性二人連れが
我が家の前で足を止めたので
振り返り会釈をすると

実母か、お義母さんらしき方が、

「最近、この近くに越してきて、
お宅の前を通るのを愉しみにしています」
と有難い言葉を頂いた。

「無駄に生きていても
世の中の邪魔になるだけですし、

自分が愉しいことを
皆さんも愉しんで下さるならと、

暇さえあれば、周りだけでなく
自分でも呆れるほど、愉しんでいます」

そう応えると

「レストランは、何時にオープンしますか?」
と尋ねられた。

生まれてこの方、容姿・振る舞い
生き様に至るまで何一つ、

褒めて貰ったことのない
ノンデリカシーのがさつ者が、

花や造作を眺め「綺麗・美しい」
と言って頂くのは実に有難い。


今日の日記も、
読者にとってはどうでも良いような
辟易(へきえき)するほどの
我田引水で手前味噌の庭話だが、

「あの馬鹿、まだ生きてやがる」

と、がっかりなさらずに後三十年
飽きずに懲りずに殺さずに、
お付き合いの程を願いたい。


そう言えば「後三十年」で思い出した、
ついこの間「歳の割には、腸が美しい」と
言って貰ったばかりじゃないか。

昨日の仕事、「花壇の改装、第一弾」

最初の仕事は、塀の前の花壇内に、
直径50cmの間もなく花を咲かせる

ボンザ・マーガレットの
定位置スペースを
真下にブロックを台に、両側に板を付けて作る。

花は今年で2度目の、マユハケの花。

今月7日に最初の花が開いて、
3週間目の今朝、2つ目の花を開かせた
ストレチア(極楽鳥花)の花。



小生には腸以外に生涯、縁のない言葉。

昭和の名曲

布施明
「愛の園 ~君は薔薇より美しい」

 

コメント (5)
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「今は見えない景色」

2019年10月15日 | 日記

身体に負荷をかける
作業や運動をした翌朝、

足・腰・背中・肩の痛みや
こわばりを感じた時、

「昔はこんなことはなかったのに、
俺も随分と齢をとったもんだ」と、
ひとなすりの寂しさを思う反面、

「あれだけ身体を動かせたのは、
元気な証拠。まだまだ、大丈夫!」

自らにそう言い聞かせると、
心は寂しさを打ち消し、
次第にやる気・勇気が湧いてくる。

気は持ちよう、
体が痛いのは生きている証。

そう思ったのは、
日曜日の朝のことだった。

3連休の初日の土曜日に、
以前から考えていた作業に
取り掛かったのは、

サクランボの木の向こうの
壁沿いのレンガの上。



先ずは材料をカットし、
塗装から作業は始まった。

壁沿いに2本の支柱を立て、
支柱間に材料を固定する
横木を1面に2本の4本を張り、
乾いた材料を取り付けていく。

取り付ける材料を水平器で垂直をとり、
トップの高さを平行に均一にし、

板を利用して隣の隙間を等間隔にし、
次々と取り付けていく。

狭い場所での屈みこむ作業姿勢は、
足腰に負荷をかけ続け、

僅か3mに満たない巾の
高さ均一と等間隔の作業に

板とドリルとインパクトを
交互に持ち替える手は
握力が衰えるほど疲れ、

想像以上に時間を要したが、
「自作の塀」がやっと完成。

このスペースだけが唯一、
塗装面丸出しでバランスを欠いていたが、

木の素材感と色の統一で
大満足の出来上がり。

早速、塀の上に取り付けた棚板に
鉢を置いてみた。

塀作りを愉しんだ後は、
鉢植えのナニワイバラの地植えに伴う
レストラン・ボード移動を前倒しで愉しみ、

今週末は、塀の前の花壇のやり替えと
ナニワイバラ地植えを愉しむ予定。

自らが結果を求めて臨んだ作業は 
苦労こそあれ、いつも満足の結果が
待っている。

「満足」こそ、
心と身体を動かす原動力。

原動力は、もう一つ。

季節ごとの庭を知っている近所の人達や、
通りすがりの見知らぬ方達から、

花の手入れや庭の造作に、
小物のセンスの良さを褒めて貰えること。


今は見えない景色でも、
いつか必ず、見える日が訪れるようにと、

身体が期待に応えてくれるまでは
精一杯、愉しもうと思っている。


あとがき

塀の材料は、社長宅の
庭のデッキ改装の余りもの。

 

 

このところ、嬉しくてたまらない
いいことが起こりそうな予感
きっとそうにちがいない
何かいいことがはじまる予感

朽ちた塀のジャケットで
思い出した曲

「Peace Train」

キャット・スティーブンス

 

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「旅半ばの秋」

2019年10月07日 | 日記

今年も我が家に、秋がやってきた。

画像は紅葉し、
間もなく落葉を始めるヘンリーツタ。

土曜日に買ってきたものの
名前の判らない
薄紫色の(多分)菊科の花。

花芽が割れて、もう直ぐ開花を迎える
ストレチア(極楽鳥花)。



可笑(おか)しなものだ、

半世紀以上も生きていれば、
とっくに秋の気配とはどんなものかを
憶えていそうなものだが、

夜明けの肌寒さに身をすくめ、

透き通る空の下で
乾いた香り立つ爽やかな風を感じ、

ウォーキングで家路に辿る頃の
日暮れの早さに、はたと気付き、

秋刀魚の苦みの旨さと
絞った柑橘の清しさを味わい、

夜の庭に鳴く虫の音に
もの寂しさを覚えては、

やっと五感と心が、
一年ぶりの秋の気配を思だす。


「十六夜(いざよい)の 
寒さや雲も なつかしき」
(渡辺水巴)

有難いことだ、

今年も静かな時の移ろいを愉しめる
秋を迎えることができる。


秋、これからが本番。

花を愛(め)でるも善し、

里芋を茹でて、天日で干すも善し、

干した里芋を炙(あぶ)って
ささやかなガーデン・パーティも善し、

山寺の庭で紅葉狩りも善し、

庭の灯篭に明かりを灯し、
ビル・エヴァンスをしんみりと聴くも善し、

2階のベランダの
台風で飛ばされた一枚の屋根の下から
月を拝むも善し、

春日公園で汗を流すは尚、善し。

秋の楽しみ方は百人百様、

我が家流の秋の風情を
今年も存分に愉しもう。


6月に生まれた小生の
数えて68回目の
人生、旅半ばの秋が、

安らぎと穏やかさに包まれた
いかに心地良い
秋だったかを、

いつまでも忘れないために。


今日の曲は、10年ほど前に
クマさんからもらったCD

チャーリー・ヘイデン
(ベース)

With

マイケル・ブレッカー
(テナーサックス)
「アメリカン・ドリーム」の

静かに時が流れる秋を連想させ、
秋になると必ず聴く曲

「Travels(旅)」

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「一瞬、沈黙し、続けて」

2019年10月01日 | 日記

 

心の中に反抗心が棲みついたのは、
何時の頃からだったろう。

情に絆(ほだ)され、
相手を親身に思う優しさを持つ反面、

心無い輩から向けられた蔑視(べっし)で
自尊心を傷つけられたり、

多勢の前で、辱(はずかしめ)られる
理不尽な恥辱を受けたり、

フェアであるべき議論の場で、
自身の利益のために烏合の衆を
味方に加える姑息な手で、
窮地を迎える屈辱も経験したり、

敵(かな)う相手であろうと、なかろうと、
自身の義を通す行動は
自身の人格を護る「聖戦」と信じ、

年端(としは)もいかぬ頃より、
今に至るまで、
幾度も「聖戦」を繰り返してきた。


思えば、「聖戦」と信じた戦いの
代償も大きかった。

掛け替えのない人生の師を失い、

多くの友は離れ、

職を失い、嫁には逃げられ、

背中に嫌われ者の札を貼られ、

いつしか孤立無援・・


耳を澄ませば、

「あの野郎、まだ生きてるのか。
一日も早く、くたばってしまえー」
の大合唱。

そこで、
小生の訃報を、いつか、いつかと、
待ち侘びているそんな皆さんへ、

本日は朗報です。

健康診断の結果、嫌われ者には、
大腸がんの疑いがあり、
先日、内視鏡の検査を受けました。



こんな格好でベットに横たわり、
いよいよ、内視鏡検査は始まります。

「運否天賦 (うんぷてんぷ)」
 と言う言葉があります。

「長い人生には良いこともあれば、
悪いこともある」。

そうした人の幸運や不幸は、
天によって定められたものであり、
運を天に任せる。という意味で、

嫌われ者の運命も
「天のみぞ知る」です。


有難いことです。
既に、祖父の享年を越すほどの年月を
生かしていただいております。

今更、じたばたしても
しょうがありません。

己の過去の悪行・不摂生が招いた
結末と思えば、全て、納得ができます。


遂に、検査結果報告の日が
やってきました。

「先生、あと、どれくらい
生きられますか?」

と尋ねたところ、少し間をおいて、

「せいぜい、3・・」と言って、
沈黙の後、

「持ってせいぜい、
30年ぐらいでしょうか?

ご心配なく、
がんの症状は一切、ありません」


内視鏡画像で腸の内部の様子を
説明しながら、先生が一言、

「年齢の割には、
きれいな腸をしています」。

症状のないことの安堵と、
先生の「きれいな」の言葉の嬉しさに、

検査結果に付き添ったスージィーに、
その画像を記念にスマホに収めて貰った。


10月になる今日まで、検査結果を
明らかにしなかったのには、
訳がある。

それは、多くの皆様の期待に
反したことへの申し訳なさ。

まして、嫌われ者のきれいな腸の
画像をアップでもしようものなら、

期待を裏切った悔しさの上に
更に、悔しさの上塗りを
虐(しいた)げる
ようなもの。

そのご心境、屈辱を憎む者には
痛いほどよく判ります。

この度は、皆様のご期待に応えられず
残念です。

「嫌われ者は、世にはばかる」 

あと30年、嫌われ者と
お付き合いいただきますよう、
切に願う次第です。
 


死に至る病の不安の呪縛から
解放された今の気分。

 

「If I Were a Bell」

もし、私が鐘だったら(鳴りっぱなしなの)

マイルス・デイヴィス・クインテット

コメント (5)
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