我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「幸せが溶けていく」

2020年04月28日 | 日記

仕事とウォーキングの勤めを終え、
風呂に入り身体を清めたら、

厳(おごそ)かに夕餉の卓に就き、
律義に一日も欠かすことなく、
「神事」を始める。


「今日一日、
如何なる災いにも遭遇せず、

果てしなく広がる青空の下で、
ただひたすら、
心の赴くままに身体を動かし、

明日へと続く楽しみの種まきに
汗を流せました。

満ち足りた余韻に浸りながら今、
妻の手料理を肴に、
焼酎の氷割りを戴いております。

幸せでございます、
心より深く感謝いたします」。


「神事で戴く 氷割りの比率」
氷と水7分に焼酎3分、
プラス果汁。

何でもないありきたりな一日の
当たり前の晩酌も、

今は、生きている意味を考えさせ、
生きていることの感謝を感じさせる

「神事」にさえも思えさせる
今日、そして明日。

見慣れた景色の中で、
見慣れた人の笑顔を見つけ、

当たり前であることが
どんなに有難くて、
どんなに幸せかを感じながら、

グラスの中の氷と、
心の中の幸せが
少しずつ溶けていき、

今日も静かに、夜が更ける。

 

「 風をあつめて」

はっぴいえんど


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「みんなの 願いを込めて」

2020年04月24日 | 日記

日暮れ夜明けの時間の違い、
気まぐれな気象の動き、
気温の上昇下降のほか、

植物がそれぞれ決まった季節に
花を咲かせることで、

人は日々、季節の
移ろいを感じている。

人間も、動物も、植物も皆、
季節の移ろいに沿って生き、

人は季節に合わせた
収穫の喜び・暮らしの楽しみを見つけ、

冬には春の、初夏には秋の
喜びのための準備を一年中、
怠ることはない。


昨年、我が家に秋と冬が来て、
季節は移ろい
今年も春がやってきた。

冬の間、眠っていた植物が
次々と目を覚まし、

一斉に花を咲かせた一つに、
サクランボの木がある。

木は咲かせた花を落とし、
やがて小さな実を付け始め、
少しずつ紅色を帯びてきた。

その実は、昨年以上の
収穫を期待させる数。


昨年初めて、近所の家族に声をかけ、
子供たちと一緒に
サクランボ狩りを楽しんだが、

昨年以上のサクランボの実りに


「これなら今年はもっと
沢山の子供たちに
喜んでもらえる!」と、

その日が来るのを待ちわびる
スージィーの頬もまた、
ほんのりと紅色に染まっていく。

昨朝、スージィーが突然、
ヒステリックに叫び声を上げた。

「みっちゃん、ヒヨドリが
実を突っついているう!」

地面には、
サクランボの実が散乱・・

二人のだけでなく、
子供たちのために育てている
サクランボを、

「アンタなんかに食べられて、
たまるもんか!」

それから慌てて、
木の全体を覆うネット掛けが始まった。



おかげで、会社は遅刻・・



ネットの中の、色付き始めた
サクランボの実。

これから更に、
実は膨らみ、益々、色付づき、

いよいよ、完熟したサクランボを
頂ける日がやってくる。


季節の移ろいと共に
年々、木は成長を続け、
日に日に幹も太く、枝も伸びている。

もう直ぐ、2度目のサクランボ狩り。

サクランボの木の下で
子供たちのはしゃぐ声が昨年以上に
大きく聞こえてきそうな予感。

3度目の来年にはもっと
実の数も増えて、
子供たちのはしゃぐ声が、

「今年よりも、もっと明るく、
もっと大きく
聞こえますように」

サクランボの実に、
みんなの願いを込める。

 

「さくらんぼの実る頃」

- 唄:イブ・モンタン

 

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「なんとも幸せな夜」

2020年04月21日 | 日記

日曜日は、2度目の筍掘り。

昨夜はその筍のかき揚げと、
新玉ねぎにスナックエンドウを
衣でまとめたかき揚げに、

三つ葉の衣揚げを
天つゆと塩で頂いた。

キッチンでは、かき揚げが
次から次へと出来上がり、

運ばれた食卓では
親父の「旨い、旨い」の感嘆の声が
次から次へと上がる。

貧しさを経験し、
食の素晴らしさを知る者にとって、
信じていることがある。

美味しいものは、「旨い、美味い」
と言いながら食べると
更に美味くなる。


「なんでこんなに、旨いのか」
と思わせるほど、
いつものかき揚げとは、何か違う。

想像以上の美味しさに、
かき揚げと焼酎の氷割りが、
滑るように胃の腑に落ちていき、

なんとも幸せな心持ちになれる。

幸せに包まれながらも、幸せの元である
旬の素材と、料理人スージィーへの
感謝の思いは忘れない。


食事を済ませ、
酔いに乗じて
残しておいた氷割りを片手に
外へ出た。

昨秋
、地植えにしたナニワイバラが
花を咲かせたが、もう間もなくで
散ろうとしている。

今年の成長の記録に、
カメラのシャッターを押し、

その後、残り物を暫くすすりながら
そのまま外に佇(たたず)んだ。


人影一つなく、世の中の喧騒を
全く、感じさせない、
時刻は間もなく、午後10時。

胃も心も満たされ、
静寂の中で唯一聞こえる
花の寝息に囲まれて、

スージィーを誘い出したくなる程の
一人で佇むには勿体ない、

なんとも幸せな夜だった。


その幸せは、音楽にすると
こんな気分。

「And I Love You So」

唄:ペリー・コモ

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「笑顔の宅急便」

2020年04月12日 | 日記

11日の天気予報は、
午後から雨。

雨が落ちる前に行う、
この季節に欠かせない
大事なことがある。

向かった先は、昨年、2度も
お世話になったクマさんちの竹林。

この時期に、「竹林」と言えば、
言わずもがなの「筍掘り」。

何時ものように、
「好きなだけ掘って下さい」
の言葉に甘え、

朝の9時から11時まで、
雨にも邪魔されず、
掘りも掘ったり、〇〇本。

昨年の画像と全く一緒の
昨日の画像。



その筍をその場で皮をむく作業に
没頭するスージィーの頭の中は、

堀った筍を届ける人の笑顔と、
スージィーの笑顔。

smile for you 
smile for me 

家に帰ればこれからが大変、
美味しく食べて頂くには
堀たてをすぐに湯がくこと。

〇〇本の筍を湯がく作業に
没頭するスージィーの頭の中は、

すぐに湯がいた筍を
美味しそうに食べる人達の
顔と顔。

近所のお家には昨日届け、
少し離れたお家に届けるために、

お上のお達し、
「不要不急の外出自粛」
を意にも介さず、

朝から降り続ける雨の中を今、
車を走らせたスージィーは、
さながら、「笑顔の宅急便」。

クマさんへ、

昨日は、ありがとうございました。
クマさんの竹林には、大勢の皆さんの
笑顔が埋まってます。

第2弾も宜しくお願い致します。

「smile for me」
松任谷由実

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「春、親父の幸せなひと時」

2020年04月10日 | 日記

お湯割りが冷めないように
チタンのカップに、

喧嘩をしないように
お湯と焼酎、五分と五分を
九分目まで注ぎ、

お湯と焼酎が仲良くなるように
更に良くかき混ぜ、かき混ぜ、

一滴もこぼさぬように
庭のテーブルまで運ぶ。

お湯割りを飲み干すほどの肴を
一品か二品、小皿に盛ったら、

暮れなずむ庭の
灯篭とテーブルのライトと、

二階のベランダの、庭を照らす
ライトアップの明かりを灯し、

やっと咲き始めた野草の花達を
目を細めて眺めながら、
晩酌が始まる。




庭を愛する者にとって、
待望の季節がやってきた。

しかし、夜はまだ肌寒い。

寒さしのぎに厚着して
熱めのお湯割りを作り、

春の庭の息拭きに包まれて、
好きな酒を愉しむひと時は、

親父にとって
お湯割り一杯で過ごす
最高に贅沢な時間。

 

やがて日も落ち、
カップのお湯割りもとっくに
空となり、

贅沢な晩酌も、愈々、
クロージング・タイム(閉店時間)。

明かりを消して、転ばぬように
庭を離れる頃には、ほろ酔い気分で、
心も体も、春うらら。

これが今、
親父が一日で一番、好きな時間、
幸せなひと時。


好きな時間のお次は、
親父の好きな曲、

アルバム「クロージング・タイム」から、

「I Hope That I Don't Fall in Love With You」

作・唄:トム・ウェイツ

お前に惚れなきゃいいんだけどな

惚れたって憂鬱になるだけだから

音楽が流れ

お前の心が見える様な気がする

ビールを飲んでいると

お前の呼ぶ声が聞こえる

お前に惚れなきゃいいんだけどな

Tom Waits

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「心交わしたある日の出来事」

2020年04月07日 | 日記

ある日、朝刊を取りに
玄関に出た時のことだった。

何処からか「クウェッ クウェッ」と
聞き馴れない音がする?

辺りを見渡したが、
気配もなく、家に戻ろうとしたら、

また、「クウェッ クウェッ」が、
始まった。

もう一度、音の出所を
探ろうとした時、

驚いた!

駐車場の横で、
野生のカモのつがいがいた。


そっと近づいても逃げる様子もなく、
滅多にないこの出来事を
カメラに収めようと一旦、家に戻ったが、

相変わらずカモの夫婦は
仲良く散歩の真っ最中。

ひょっとして、
朝食に有り付きたいのでは?

と、とりあえずカメラに収め、
再び、家に戻り、

バード・レストランの
スズメのエサを持ち出し、
カモの前にエサを撒いたが、

つつこうとするがエサが小さすぎて
口に入らない・・

何を与えたらた食べて貰い、
どうしたら人生初の、カモとの交流が
生まれるかと思案したが、

焦るばかりで、策が浮かばない・・

「カモのつがいが、すぐ傍にいる」

と言うのに、成すすべもなく
じれったくて仕方ない。

野菜なら食べてくれるかもと、
再び、家に戻ろうと体を動かした瞬間、

カモはバタバタと
羽根音を立てて
飛び立った。

さっきまで、
すぐ近くまでいたカモの姿を
次第に遠のいていくのを見るのは、
寂しいが、

親父人生初の、野生のカモと
心を交わしたことが、
無性に嬉しくてならなかった。


それは5日、日曜日の
時間にして僅か、7、8分の
出来事。

こんなことが起きるとは
全く予期せぬ
つくづく幸せな時間だった。

カモのみっちゃん

カモのすーちゃん

 

今度、遊びに来てくれた時の
二人を持て成す、参考動画

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「いつものようにの有難さ」

2020年04月06日 | 日記

福岡市早良区の奥に位置する
人っ子一人いない小さな公園の
桜を眺めるスージィー。

公園の下には山から流れる
清らかな小川。

清らかな水を生み出す
山奥につながる一本道の左右には、
5段の広い棚田が続き、

この棚田に訪れるのは、
今年、3度目のこと。

何故、今年3度もこの人気のない山奥に
足を運んだのか?

その目的は、悠長に花見でもなく、
ひととせの間、待ち侘びた
「春の野草摘み」

「セリ」

野蒜(のびる)

 

人様には、「雑草」にしか
見えないかも知れないが、

我が家にとっては、春にしか頂けない
貴重な「食物」であり、
その上栄養豊富な「薬草」でもある。

また、山里に生まれ、野草に育てられた
と言っても過言でもないほど、
二人にとっては故郷を懐かしむ味。

レシピも豊富で、
「白和え」「天婦羅」「かき揚げ」
「卵とじ」「サラダ」等々

シンプルで、あまり加熱せずに
最もセリの風味を味わえるのが、
「セリの混ぜご飯」と「セリの味噌汁」

レシピに関わらず、
幾ら食べても飽きることもなく、

今年は最初の3月中旬から、
数えて、3度目。

マスクから解放され、
両手広げて春の空気を吸い込み、
地を這うように野草摘みを愉しみ、

いつものように、
採った野草を清らかな小川で洗い、

いつものように、
帰る際には田んぼに向かって
感謝の一礼を忘れず、

いつものように、
再び、処理をして、生のものや
調理したものをお裾分けに走る。


いつものような、
穏やかな春ではないけれど、

いつものように、
小川の上の小さな公園の桜の花を
拝める日が来年もきっと、
訪れますようにと、

いつものようにが、
どんなに有り難いことかを思いながら、

「セリの混ぜご飯」を口にした。

イギリスの詩人の言葉、
「冬来たりなば、春遠からじ」

つらい時期(冬)を耐え抜けば、
幸せな時期(春)は必ず来る
と言う、たとえ。

「Come Next Spring」

唄:トニー・ベネット

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「花と笑顔の 春卯月」

2020年04月02日 | 日記

4月2日。春、真っ盛り。

スージィーが丹精(たんせい)込めて
育てた、春を彩る花たちが
一斉にほころび始め、

咲かせた花たちは、
大勢の人たちの目に留まる。

通り一面に咲き乱れた花たちを
歩きながら眺める人、

余程、チューリップが好きなのか
壊れないように、恐るおそる
花びらを触る女の子、

鮮やかさにしばし足を止めて、
花の一つ一つに目を配り、
ほっこりと心を癒す人。

中には嬉しくも、
お褒めの言葉を掛けて下さる
人もいる。


褒めて頂くために、
花を育てている訳ではないけれど、

お褒めを頂く度に
スージィーの顔はほころび、
育てた花が笑みを作る。

花を咲かせる愉しみは
自分のためだけでなく、

観る人を愉しませる喜びを知ると、
また、新しい芽が花を咲かせ始める。

人は花を育て、人もまた、
花から育てられる。


「春 卯月(うづき)花に笑顔の 花盛り 

 

今朝8時の撮影画像


チューリップ」に反応しただけの
それでも好きな曲

「サボテンの花 」

財津和夫

 

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