我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「 仕上げを 御覧じろ」

2017年02月27日 | 日記

道具 (広い意味の)を買い求める場合、

価格もさることながら
性能や機能を選択の条件として
重視するが、

どうしても外せないスペックに
デザインとカラーがある。

道具とて、インテリア。

性能に優れ、使い勝手が
いくら良くても

この二つが揃わなければ
食指が働かないのは、
この親父だけではなかろうと思う。


昨日、バード・フィダーを
作ったお蔭で、メジロはこの中で、
ヒヨドリにも邪魔されず、

悠長に、ミカンにありつくことが
出来るようになった。

が、機能は十分に達成できたが、
出来上がり(形)が気に入らない。

急遽、木製のハンギングが壊れて
使えなくなり、錆び付いて仕舞った

ステンレスのバスケットで

何の部品もなく作ったのだから、
「しょうがない」
と言えば、それまで。

前述通り、
「バード・フィダー」と言えど
インテリア。

幸いにも、バスケットとして
デザインは優れているし、
それで今まで、捨てずに
取って置いたようなもの。

 

今朝、右手に弁当。
左手にバード・フィダーを
会社に持ち込み、
昼休みに
作り直すことにした。

あるのは、
2種類の太さの針金だけ。 


以下が、
その出来上がりまでの工程 。
 

2個のバスケットの片方の接合面を
蝶番の中心の役目に
3か所(青丸)針金で固定した青丸の 

 もう片方に、2個のバスケットを閉めた時に
固定するS字のフックを針金で作り
片方を固定して2か所に 取り付ける。

底の面に、ハンギングの
取り付け金具だった穴を利用し 

開閉時の高低を合わせる
ガイド用の 針金を通す。

 メジロの入り口を、両面の2か所にして、
そこにバーを付ける 。

 開いた状態と、板の上のミカン。


3時の休憩で家に戻り、

S字ハンガーフックで 
ランタン・スタンドに下げたら、
直ぐに帰社。


見た目はすっきりしたものの、
問題は、はたしてメジロが
2ヶ所の入り口から、入ってくれるか?
 

5時過ぎに帰宅、
最初に行き着く先は、言わずもがな。
 

「細工は流々(りゅうりゅう)、
仕上げを御覧(ごらん)じろ」

メジロはちゃんと、
食べていましたとさ。
 

今夜も、課題曲の一つ。 

「Blackbird 」
ポール・マッカートニー

 

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「拍手喝采」

2017年02月26日 | 日記

2月25日

昨年、山女魚小僧の
長女さんに生まれた女の子の
「初宮参り」で
太宰府天満宮にやってくるのを機に、

夜は家族を離れ、久し振りに
我が家で一杯と、相成ることに。


「豊前海 一粒牡蠣を持参する」
というので、楽しみに待つ間、

メジロを追っ払う
憎っくきヒヨドリ撃退法を
考えることにした。

我が家に、使わなくなって
錆びついてしまった
ステンレスのバスケットがあり、

バード・テーブルのミカンに
これを被せることを思い付く。

先ずは、錆落とし。 



メジロが入れるほどの隙間があり、
ヒヨドリ侵入不可と踏んでいた。

が、策は外れ、長い口ばしで見事に
ミカンを持っていかれた。

バスケットはもう一つある。

ならばと、次はこれで
バード・フィーダーを
作ることにした。

これをランタンスタンドに
吊るして間もなく、
メジロがやってきた。

ところが
入り口が解らず諦めたのか、
直ぐに飛び去っていった・・


さぁーて、どうしたものかと
思案の最中に、
小僧がやってきた。

経緯を説明し、とりあえず
バード・フィーダーには
問題なしとして、

「如何にしたら、
メジロが入ってくれるか?」

この協議は後回しにして、
愈々、3人だけの
小さな同窓会が始まった。


2月26日

グリルの上には、
寒晒しの里芋とイワシの干し物、
そして、昨夜に続いて牡蠣焼きは、

一杯やりたいのを我慢の朝食。

牡蠣フライ用に身を外す、小僧。



朝食を済ませると再び、
バード・フィーダー。


小僧の提案で、
入り口の数ヶ所を広くして、
止まり木のバーを周りに付ける。


作業の途中で、
小僧の帰る時間がやってきた。

小僧を送ったら
メジロが朝日に反射する
ステンレスを嫌うのではと、
塗装を施して、乾燥が完了。



このためにあるかの如く、
錆び付いたバスケットが蘇った
バード・フィーダーに
ミカンをセットし、

昨夜のギター談義の
熱気を思い出し、庭を向いて
ギターを弾いていると、

やってきました、
入ってくれました。


小僧へ、
動画を二つお届けしますので
共作のバード・フィーダーの中の
二羽のメジロに拍手喝采を。

また、今回の訪問を契機に、
持ち上がりました
ギターユニットの結成が
何時のことになるのやら
見当もつきませんが、

生きている間に、
拍手喝喝采を頂けるよう、
頑張りましょう。


最後に、
一粒牡蠣、大変に
美味しゅうございました。

またのお越しを
心よりお待ちしております。
 

「何だこりゃ?」のヒヨドリ。

 

拍手喝采ものの、共作
バード・フィーダー。 

 

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「頭を 下げる」

2017年02月24日 | 日記

 65年の人生を振り返れば、
人であれ、物であれ、

随分と沢山のものを傷つけ、壊し、
挙句は喪失して仕舞う様な
自責に縛られる悔いが
山ほどある。
 
 

懲りずに幾度も繰り返した
悔いの経験で学んだ
最たるものの中に、

物を大事にする観念がある。


傷ついたもの、壊れたもの
失ったものは時として、
二度と復元不可能な状況や

二度とお目に掛かれないほどの
悲惨な結末を
幾度も経験したのは

一言で

「馬鹿」

と言うしかない。



人でさえ物でさえ、
別れは辛いもの。 

しかし、
出会いには愛がある。 

育むべき、
護るべきはずの愛に、
突然、別れが訪れる。

愛の有難味に気付くのは
その愛を失った後

気付いた時には、二度と愛は
戻っては来ない。

だから、別れは辛い。
 

そんな一つに、我が家にある
一本のギター。


20年以上前に購入した
そのボディは満身創痍、
全身傷だらけ。

それは主人の、思慮浅い
ぞんざいな扱いによってつけたもの。

現在、ギターはケースの中で
眠ったままだが、

そのことを主人は忘れてはなく、
当然、ギターへの申し訳なさも
いまだに心に残したまま。


つい先日、あるお方が
別件の話のおしまいで、

「D-35はその後、
リペア(修理)を済ませましたか?」

と尋ねられた。

「良いギターだから、絶対、
出した方がいいですよ」

と工房まで紹介して頂いた。


正月、我が唯一の
ギター教室の生徒、

ケンタへの願い、

「ギターを大事にしなさい」

これは自身の過去の反省が
彼にそう言わせた言葉だった。


ほとほと愛想をつかして
逃げた女房なら、いくら
お金を積んでも戻ってこないが、

復元可能で戻ってくるのなら、
やっぱり、出そうと考える。

 

画像は借り物の、D-35

 

あの時の愛が再び、
この手に戻ってくる

かつて愛したD-35も、
それを望んでいる。

帰った来たら、

「傷つけて、ごめんな」

と言って、頭を下げる。
 

 「あの素晴らしい愛を もう一度」

 

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「最後は 懺悔」

2017年02月20日 | 日記

朝刊の見出しに

「親不孝通り」復活

とあり、浮かれる思いで
記事を追いかけた。 
 

現在、福博の賑わいが
博多駅周辺に移行した感のある
20年前に、

天神北地区の繁華街の一つが
「親不孝通り」だった。

”だった”
と過去形にしたのは、

今、春日村でひっそりと
隠遁生活を愉しむ親父は、

この親不孝通りどころか

天神の街でさえ、とんと
出向く機会も無くなれば

些(いささ)かも
今の賑わいを知らないからだ。

しかし、
かつては、親父自身がこの
「親不孝通り」を賑わいづけた
一人でもあった。


親父にとって、親不孝通りとは、

通りの繁華街の一角に、
60年代、英国リバプールで
ビートルズが演奏をしていた
「キャバーン・クラブ」
と同じ名の、

本物のビートルズを彷彿させる
コピーバンドが演奏する店があり、
足繁く通った想い出の繁華街だった。

かれこれ20年も昔のことで、
今でもこのお店があるのなら、
金をはなくとも、もう一度、
訪ねたいと思うほどに

ビートルズとライブが
好きな輩に愛された店だった。

 

「親不孝通り」という名称は
イメージが悪く犯罪の誘発の一因なる等の

洒落も解せぬ偉いお歴々が、
とって付けたような
馬鹿馬鹿しい理由で、 

現在は「不」を「富」に代え、
中途半端な「親富孝通り」
になったが、

愛し親しんだ
「親不孝通りの名称再び」
を願う市民アンケートで

17年ぶりの嬉しい復活と
なった次第である。

天神北部の
ラーメン屋台が軒を連ねる
長浜にほど近いこの界隈は、

予備校・進学塾が多く、
親心を知ってか知らずか、
勉強もせずに喫茶店に遊びに来る
喫茶店店主が冗談で

「親不孝通り」
と言ったことに由来する。

親不孝

考えれば、
すねかじりの予備校生だけに限らず
どの町にも親不孝者はいる。

若くはないが、
確かに春日村にも一人、
親不孝親父がいる。

それを親父が承知の上で、
たとえば、親父の家の前の通りが
「親不孝通り」
と名付けられたとしても、

自身の過去を潔く認めたら、
一切の異論もなく、その上に
洒落も解れば、喜んで受諾する。

親父は善し、として
市民や町民のアンケートの結果、

もし、あなたの家の前に
「親不孝通り」
の看板が上がったとして、

あなたは、そっと胸に手を当て、
若き頃の親に対する素行を
顧(かえり)み、暫く考えた挙句、

本当に看板を撤去する
自信が、ありますか?

あそこも、そこも、
ここ春日村にも、

嗚呼、日本全国津々浦々、
どこもかしこも
「親不孝通り」だらけ。

誰も恨めない、通り名の由来は
言わずもがなの

私とあなた。


心より
「親不孝通り」の復活を
歓迎いたし、

重ねて、心より
かつての「親不孝」の数々を
悔いてお詫び申し上げます。

喜びの書き出しが、
何故か最後が懺悔で終わる、
今日の日記の曲は、  

クリス・クリストファーソン:作
ジャニス・ジャプリン:唄 

”私とあなた”
に ひっかけた名作で
ジャニスの死後、1971年リリース
「ミー& ボギーマギー」

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「花も実ある人生なのに」

2017年02月18日 | 日記

 二階であることを思いつき、
階下まで、僅か30秒足らず。

そこで、
「何で俺は、此処にいるんだろう?」

「そうか、元の位置に戻ると、
その目的を思い出す」。

そこから二階も、僅か30秒足らず。

そこで再び、
「何の為に俺は、
此処に戻ってきたんだろう?」


往復の物忘れは稀でも、
最近、こういったことは屡々。

物忘れは加齢による因るものか、
はたまた、何かの病が併発した
痴呆症か? 

そう言えば、
課題の曲のコード進行や
タブはすぐ忘れるし、
英語の歌詩は右から左・・

この調子だと何時まで経っても、
課題達成は日の目を見らず。

まだ若き人生なのに、
先行きへの不安が募るだけ。


ところが今日、
春日公園を歩いていると
前からやってきた親子連れの
四つか五つの子がすれ違いざま、

悔しそうに大声でと突然、

「嗚呼、出てこん。
パパ、思い出せん!」

それを聞いて物忘れの不安が
いくらか、払拭。

発育途上の子でさえこうなのだから、
発育末期の親父が、少々、
物忘れが多くても、何ら、問題なしと、

一抹の不安を
払拭してくれたその子に、

何を思い出せないのか
確かめたいみたくもなる。


物忘れは
加齢によるかもしれないが、

一番の原因は、生来の
知能力。

「知能力不足でも、今までちゃんと、
生きてこれたじゃないか」
と慰める。


65年生きてこれた親父が
なかなか、達成できない
課題曲がこれ。

花も実もある人生なのに、
何時になったら
こうなるのやら・・ 

フォスターの名曲、
「Oh, Susannah 」

ギター・唄 
ジェームス・ティラー

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「昔ながらの カレーライス」

2017年02月16日 | 日記

九州中央部の
山間(やまあい)に連なる、
杉の木の山に囲まれた
小さな町に生まれ
現在、65歳の親父が

子供の頃の
昭和30年代当時、

まだ、車のある家は少なく
交通手段と言えば

バス、ディーゼル機関車、
バイク、リヤカー、自転車。

子供の主な移動手段は
自転車、歩く。

行動範囲も限られ
何事が無ければ

小さな町、リトルから
外に飛び出すことは稀、

隣町の景色ですら
窺(うかが)い知る機会もない
時代だった。

山に囲まれ育った子供たちが
初めて海を見るのは
修学旅行が初めての子が
多かったのではと、推測する。


我が家にテレビジョン(TV)
がやってきたのは
小学4年生の時だった。

山間の小さな町(社会・世界)で
生まれ育った子供の世界観を
画期的に変えたのが、このTVだった。

好奇心旺盛な子供たちは、
何が飛び出すかわからない
魔法のTVに夢中になり

「こらっ、いい加減にせんか!」

怒られるまで、TVにしがみついた。

その一人、親父が驚いたのは、
海の向こうの文化。とりわけ音楽は、
それまで耳にした日本の音楽とは
全く、異なるものだったこと。

明るくて、お洒落で、上品で
魅力的な旋律は、たちまち、
子供の心を魅き込んだ。

思えば、これが人生、最初の
カルチャー・ショック
だったかも知れない。
 

NHK日曜日の
アンディ・ウィリアム・ショーで
コール・ポーターやロジャース&ハート等の
(作家の名前は、ずっと後で知るが)
曲を聴く内に、小学高学年ながらも
JAZZの素晴らしさを知ると

愈々、ビーチ・ボーイズが、
ヴェンチャーズが、
ビートルズが、ヤァ、ヤァと、
怒涛の勢いでやってきた。


毎夜、親父の布団の中は
小さなトランジスタ・ラヂオの、
小さなスピーカーら流れる

心地好いリズムと
お洒落で明るい旋律が溢れ、

どこか封建的で、人々に
貧富を感じさせる暮らしの社会とは
想像できないほど、

誰もが自由で、誰もが豊かな、
明るい国「アメリカ」と言う
大きな国があることを実感し、
( 何故か、英国ではない・・)


子供心に、

「近いうちにそんな時代が
必ず、やってくる」

「これから、何かが起って、
何かが変わる」。


そんな予感と期待に、
胸高なり満ちたことを
今も憶えている。


布団の中に
どうしようもない口惜しさがあり

布団の中の
海の向こうに音楽があって、
 
布団の中に   夢があった。

それは、50年も
昔のことだった。
 

子供の頃を想起しながらの
日記のさなかに、何故か

メリケン粉とカレー粉を炒めて
ルーを作る、

昔ながらのカレーライスの
あの懐かしい味覚が蘇り、
もう一度、食べてみたくなった。 


今、今日の日記の中に、
あの時の、布団の中の
親父が

一人、いる。 

 

1966年リリース

「Sloop John B」

ザ・ビーチ・ボーイズ
(曲は彼らのオリジナルではなく
カバー) 

 

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「寄り道、道草、迷い道」

2017年02月14日 | 日記

正月、帰ったきたケンタが
「ギターを教えて欲しい」の
嬉しいリクエストに
親父が応えたのは、

「音楽は人生を豊かにする」

を既知(きち)する親父にとって、
彼の豊かな人生の実現に
ギターがその一役を担えればの、
願いを込めた快諾だった。


子供の頃、
タンポポの綿毛のように
海の向こうからリトルの
飛んできた音楽の種子に
触れた途端に発芽して以来、

今日に至るまで、
ひと時たりとも飽きることなく

音楽を愛し続けた親父は

才能溢れる多くの
作家や歌い手との出会いがあり、

頂いた刺激と影響に、現在の、
65年の豊かな人生がある。


この世に生まれついて、
いくつかの幸運がある。

音楽との出会いは、
その最たるものに属すると、
断言する。


朝日新聞Webサイトコラムに
「今年70歳。今だからこそ
伝えられること 細野晴臣」 
を見つけ、

先週、前篇。今日が、後編。
その日が来るのを楽しみにして
やっと今日、拝読させて頂いた。

細野氏は、刺激を頂いた
才能溢れる音楽家の一人で、

興味深く読んでいる内に
感じることがあった。


敬愛する細野氏と親父とは、
才の全てにおいて、その違いは

「一目瞭然、先般承知、万人不疑」。

細野氏は、音楽に興味を抱いた
子供の頃を述懐するが、

それを読んで思わず、
笑ってしまった。

夜、布団の中にSONYの
トランジスタ・ラヂオを持ち込み、
音がこぼれぬ様に

ビルボードやキャッシュボックスの
ヒットチャートを聴きながら
いつの間にか眠りに就く、

というものである。

この親父も全く、
同じことをやっていたし、

当時の音楽少年が皆、
そうだったことを嬉しくあり、
微笑ましく思った。

更に細野氏は、
「(音楽への道が)そこから、
始まった」
と語っている。
 

細野氏と親父の確たる違いは、
子供の頃のスタートは一緒でも、
途中経過が、全く、異なる、
に尽きる。

生家が、裕福。かつ
その環境(東京・仲間)にあったことも
幸いしたかも知れないが

今夏、70歳を迎える細野氏は
今日の今日まで、音楽一筋。


柴三郎博士の言葉に
「終始一貫」がある、

博士は生涯、医学の道を
貫いた。


子供の頃の親父と言えば、

「寄り道、道草、迷い道」

遊びほうけては人生の指標を見失い、
迷いあぐねて、ふらつくだけ。

今は毎夜、千鳥足
でふらつき、
やがて間もなく、徘徊でふらつく、

終始一貫、「ふらつき人生」。

偉人と親父の違いは、
ここにある。
 

ケンタを契機に、随分と
ギターに触れる時間が多くなり、

日曜日は、
フラット・マンドリンの
メンテに励み
弦を10年ぶりに張り替えて
ポロン、ポロン。

さて、これから十年、
親父なりの「終始一貫」
を通そうと考えているが、

遅きに失することの無きよう
心するばかり。

これは何年か前にも、
同じことを書いたような・・ 

それは兎も角も
 布団の中で好く聞いた
1966年のヒット曲、

「ウィンチェスターの鐘」
 ニュー・ヴォードヴィル・バンド

 

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「春日村の無法者」

2017年02月11日 | 日記

雨戸をあけると、
庭は一面の雪化粧。

夜が明けて暫くなるのに、
一向に明るくならない空から
次々と雪が舞い降り、
辺りは更に積雪を重ねていく。

いつもなら、
バード・レストランの
オープンをつ雀達が、
行列を作る屋根も雪で
どこを探しても姿がない。

主人の心配を余所(よそ)に
皿に餌を盛った途端に、

雪の中を
どこに身を寄せていたのか、

「よっ、待っていました!」
とばかりに一斉にやってきた。


バード・テーブルの
ミカンにも雪。

新しいミカンを
置いたところで、直ぐには
来てくれないだろうと、
降り止むのを待つことにした。


10時過ぎに、
青空、そして、太陽。

次第に雪が溶け
ミカンをセットしたら愈々、
来客を待つことにした。


最初の来客はヒヨドリ、

当て外れ。

このお客は無法な客で、
先客(メジロ)を追い出し、
また、追い返す。

「ヒヨドリは、
私の可愛いメジロの天敵!」
とばかり

スージィーは
ヒヨドリを追い返すが、
いくら追い返しても、追い返しても
執拗にやってくる。

小生が「ヒヨドリも、
メジロと同じお客さん」と

いくら言っても、言っても
執拗に追い返す。

まさにその様は、
鼬(いたち)ごっこ、ならぬ

ヒヨドリごっこ。
 

ヒヨドリはその度に、
「ヒーヨ、ヒーヨ」
と声を上げ 飛び去るが

どこか その鳴き声は、
スージィーを
愚弄(もて遊ぶ)するかのよう。

 

ヒヨドリは観念したのか 、
それとも腹を満したのか
バード・テーブルに姿がない。

暫くして、メジロがやってきた、
と思ったところに 
また、そこに無法者。


現在、午後四時。
今朝の雪など、すっかり忘れる
取り戻した青空の下で
 

スージィーとヒヨドリの
いたちごっこが、

また、始まった 。
 

見る者には
二流のアクション活劇よりも
よっぽどこっちの方が、
面白い。

 

これが今日の先客、
春日村の無法者


 

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「嗚呼、犬が羨ましい」

2017年02月09日 | 日記

随分と日が永くなったが、
相も変わらず寒い。

週に五日、必ず励行していた
ジョグ&ウォークも、

寒さに感(かま)けた
休止状態も、暫く続く。

「健康の為」と自ら始めておいて
寒さの性にするのは
後ろめたい。

しかし、
冷たい冬の空の下で
約一時間半、冷気に身を置くのは
辛い、寒い。


休止状態の間も、
飲食の量は変わらず。

すると、当然
身体に変化が現れ始めた。

かねてより、
教養と栄養はすぐに、
身に付く体質。

依って
肥(ふと)った・・

ならば(対策は)、また、外に出て
走る? 歩く?

されど、
明日からまた、寒くなる。

更に、増した寒気に
身を置くのは更に辛い、
よって、更に肥る。
 

これがあれば、いくらかは。

しかし、我が家には
これを買う金がない。


嗚呼、犬が羨ましい・・

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「続:思わぬ 出会い」

2017年02月08日 | 日記

現在、65歳以上とされている
高齢者の定義を、75歳以上に
見直す提言が巷にある。

定義の是々非々、
あるいは、変更の有無は、
時代の潮流に任せるにしても、

現在の65歳以上が概(おおむ)ね
元気であることに、異論はない。


先般、「プレミアム・エイジ
(プレミアム世代)」
なる言葉を見つけた。

戦後、間もなく起きた
ベビーブームの時期に
生まれた世代を、
「団塊の世代」と呼んだが、

この団塊の世代を

昭和20年から21年生まれを、
「団塊の世代に影響を与えた年代」

同22年から24年生まれを
「団塊の中心年代」

同25年から26年を、
「団塊の世代に影響を受けた年代」
として、

20年から26年生まれの年代に限定し
「プレミアム・エイジ」
と称し
たもの。


「団塊の世代」とは、
堺屋太一氏の小説(1976年発刊)
のタイトルで、

文化的、且つ、思想的な面で
共通項の多い
戦後世代のことだが、

この言葉が生まれて
41年後の今、

還暦後も仕事をする。
を基本として、
「よく遊び、良く学ぶ」

また、「社会貢献」も
必須課題とする60代を

アクティブ(積極的・能動的)
な世代として
「プレミアム・エイジ」
と表現したものである。


早い話が、
昔のようにがむしゃらに
働かなくても 

身体が動く内は 
意思と環境さえあれば、 
年齢に関わらず仕事をし、

また、常に
生涯学習の精神を忘れず、
更に見聞を広め、

余暇は
趣味や生きがいに没頭し
ある時は積極的に外に出て
精力的に体を動かし

お世話になった世のために、
ボランティアなどの社会貢献に
惜しみなく身を投じる。

これが、勝手に小生流に嚙み砕いた
プレミアム・エイジの本分。


「プレミアム」とは、
豊かさ、高級、付加価値、特別な、
の意味。


さて、昭和26年生まれの
”豊かな世代”の一員として、
どうしたら
「よく遊び、良く学ぶ」
ことが出来、

いかなる形で
「社会貢献」に励むか。


ところで、正月、
小3の男孫のたっての希望で
ギターを教えることになった。

生徒に上達の練習課題を
押し付けておいて、

プレスリーやビートルズに憧れ、
ギターを手にした世代の先生が、
 
長年の自らの課題(夢)を
放りだし、感(かま)ける
訳にはいかないと、

孫のお蔭で、
課題の譜面を引っ張り出しては
暫く御無沙汰気味の
ギターを弾く契機に、
「よく遊び、良く学ぶ」
の一つが
再び、巡り、

それを導いてくれた、
感謝の孫への教えも、
ある意味、「社会貢献」。


当て所(あてど)なく
ただ安閑と過ごしては、
直ぐに、
日(人生)も暮れて仕舞う、

明るいうちはアクティブに
生きようと思う。

この生き方が
「プレミアム・エイジ」
なのであろう。


プレミアム・エイジ、
区切りの最後の年に生まれた
者としても、

このプレミアム・エイジの本分は
我が生き方に
大いに重なるものであり、

「しっかり、ゆっくり」

これからの生き方を
鮮明に照らしてしてくれる
 
素晴らしい言葉との 

今夜は「思わぬ出会い」
の続編である。

今日の日記を、
ケンタに捧げます。

かつて、プレミアム・エイジの
誰もが聴いて

誰もが、がむしゃらに
働いていたころの歌

♪ 

 今夜はしんどかったぜ 
犬のように働きづくめ

  今夜はしんどかったぜ 
犬のように眠りたいよ

  これも君のためなんだ 
君によろこんで

  もらいたいからさ


 

「A Hard Day's Night」
今夜は、しんどかったぜ

ザ・ビートルズ 

 

コメント (3)
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「思わぬ 出会い」

2017年02月06日 | 日記

出張先で名所旧跡を訪ね
その地の名産・名物を頂くのは
事前の下調べに因るものだが

出張先やその道中で
思いがけない人と出会うことも
稀ではなく、 

その一つに、有名人との
近距離での出会いもある。
 

たとえば、
新幹線の通路を挟んだ隣が
作曲家の小椋佳氏だったり、

飛行機3席の
一つ向こうの席に〝がばい″の
島田洋七師匠がいたり、

東京のホテルのエレベーターで、
あの松坂慶子嬢と一緒に
乗り合わせたり。

いろんなところを歩っついていると、
お三人以外にもいろんな人に
遭遇するが、

まさか、
あんなところで、あの人と
出くわすとは・・・


それは 、かれこれ、
10年前のこと。
 

モデルハウスの
インテリアの打ち合わせで、
新幹線京都駅で乗り換え、
彦根駅(滋賀県)で降り、

ハウスメーカーの担当者が
迎えてくれた車で、
建築中の現場に着いた。


プレハブの仮事務所で
打ち合わせを始めていると、

そこに、ある人が入ってきた。



何処かで見かけたような顔だが
さて、何処の誰だったか?

打ち合わせの間中、
ずっと、そのことが気になったが、
どうしても思い出せない・・・


まさか、こんなところに
知り合いがいるわけないし、

”他人の空似”と、
思い出すのを諦めかけていた
その矢先に、

また、その人が入ってきた。

ああ、確かにどこかで
見た顔だ!


打ち合わせの担当者に尋ねたら
その人は
建築中のモデルハウスの
大工さん。

いくらなんでも、
九州から遥か遠い滋賀に、
知り合いの大工さんなど
いるわけないし、

天神の街でさえ
知り合いに会うことなんて
殆どない。

そんな、勝手な先入観が
記憶を呼び覚ます邪魔をした。


事務所を出ると、
その人が待っていた。

そして、
自らの名を名乗った。

その時、胸のつっかえ棒が
やっと取れた。

その人は、Qちゃんだった。

Qちゃんも、ずっと、
気になっていたらしく、
こっちが何者かを確かめようと
外で待っていたのだ。


実は、この再会の
僅か何年か前の夏、

お互いに木魂館の
「つんばな小学校同窓会」で
一緒に同席しているにも関わらず、

土地が違うだけでこうなり、

それに、
Qちゃん(の仕事)が大工さん
と知っていたら
状況も変わっていたかも。

これが縁で、以来、Qちゃんとは
大接近。


「犬も歩けば棒に当たる」

同じ棒に当たるなら、
あの時、僅かな時間でも、
エレベーターの狭い空間を
共にした

あの松坂の慶子嬢が棒で
以来、大接近を果たして
みたかった・・・


一生に一度あるかないかの、

〝棒がQちゃん”の
思わぬ出会いのお話し。

松坂慶子

「愛の水中花」

 

 

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「思わぬ 事態」

2017年02月04日 | 日記

飛行機、新幹線、在来線、
電車、タクシーを乗り継ぎ、

出張で、全国各地を
飛び回っていた頃があった。


仕事とは
成果を上げることに目的があり、
出張にはそれなりの
気負いとプレッシャーを伴ったが、

反面、訪問先の、日ごろは
滅多に接する機会のない

名所旧跡・名物に出逢える楽しみは、
観光気分的な心躍るものがあり、

過日を振り返れば、
移動や仕事のしんどさは忘れ去り
愉しみばかりが記憶に残る。


仕事を兼ねた観光、
プレッシャーと心ときめく出張も、

今は、全く、無くなって仕舞い、

旅番組のTV映像でしか
拝することが出来なくなったのは

至極、残念である。


ところが、最近、
その地に足を運ばずとも、
名物・名産を頂ける機会が連続し、

その旨さに、その品と、
届けてくれた方への謝意を
今日は日記に、記すことにした。

主旨は、虚栄や
これ見よがしの見栄でなく、
あくまでも、謝意を届ける為。


先ずは、
「倉敷ぶっかけうどん 
ふるいち(古市)」。



瀬戸内海を挟む四国の
讃岐系のコシのある緬と、
ぶっかけのだしの旨さに驚嘆し、
早速、調べたら、

「うどん天下一決定戦2016」
の優勝者の称号に相応しい
逸品である。


そして
「高知名産 山北みかん」。



小粒だが、実に甘い。

初めて頂いたが「秀品」を超える
抜群の美味しさ。

さてお終いは、釣って間もない
新鮮な「唐津湾の鯵」。



三匹戴いて
二匹は塩焼き、一匹は刺身。

鯵の旬が何時なのかは
はっきりとは知らないが、
本当に旨かった。


舌鼓を終えるや否やの、
早速のお礼の電話は忘れぬが、

今日の改めての
謝意を。


「この度、皆様から
お届け頂いた品の、最初の一口で
当方、すっかり
、魅了させられて仕舞いました。

『感激』の言葉以外に、
表現が見つからず、

この美味しさは一生、
忘れることはありません。

付きましては、再度、
賞味を願う当方の気持ちを
お伝え申し上げます。

食品に「賞味期限」があるように、
当方の″期限”も、
もう、そんなに
永くありません。

思わぬ事態が何時、
訪れるやら・・・

『こんなことになるのなら 
あの時、直ぐにでも
送ってあげれば良かったのに』 

などと悔いを残しませぬよう、
心置き下さいます様に。


当方、皆様の御恩は忘れても、
美味なるものは、けして、
忘れることが出来ません。

何卒、良しなに。
 

最後に
当方からのせめてもの
恩返しに、我が
ガーデンレストラン・スターダスト
のテーマ曲を、

感謝を込めて皆様へ」


「Star dust 」

美空ひばり


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「あなたは今でも」

2017年02月02日 | 日記

スターダスト(庭)に出ずとも、
外で気軽に
食事ができるようにと、

リビングの窓に隣接したデッキに
テーブルと椅子を置き、

七輪を持ち出しては
飲み喰を愉しんでいたが、

雨が降る日は愉しみも
余義失くされてしまう。

それで
屋根を付け、天井を張り

ついでに照明を付けて、

雨も、夜も関わらず、
愉しめるようにした。


やがて
秋が過ぎ、冬が来た。

冷たい風が吹き、雪も降る。

寒くて、
とても食事は愉しめない。


そこで、デッキの三方に
厚手の透明のビニール、

床に
フローリングのカーペットを張り、
防寒対策を施した。


改装を重ねるごとに
オールシーズン対応に
グレードをアップすると、

「亭に、音楽は不可欠」と、
次は天井にスピーカーを付け、
「舟唄」を聴きながら七輪を囲み、
炙(あぶ)ったイカで一杯。

スターダストの「洋」に対する
和洋折衷案で
亭を「和」のテイストに決め

この癒しのスペースを洒落で
「喜多里亭」と名づけ

和に相応しい
小物や緑(植物)をセットし、
亭は次第にエスカレート。

昨冬、更に
換気扇まで取り付けたら、
もう、「安心・安全・快適」。

家族だけでなく、
本物のお客さんを呼べるほど、
喜多里亭は進化した。


動機は″気軽″で、
亭の名前は″洒落″でも、

心のどこかに
商いへの願望がある。
 

そんな思いが、今朝のWebで
簡易の移動店舗の写真を
見つけることに。



オークション価格、52、5万円。

食い物商売は、けして、楽ではないし、
それに、知識も腕でもない。

もっとも、
それ以前に金がない・・・


そこで思い付いたのが、
簡単に作れて、なお且つ、旨い、
「棒ラーメン」。


「九州各県の味を
ご提供いたします」

のコンセプト は、

お店にしては
「簡単に作れて、なお且つ、旨い」」、

お客さんには
「旨い、そして、安い」、

しかも「世の経済波及も善し」、

売り手善し、買い手善し、世間善し
の「三方両得」で

一気に人気を博し、いつも間にやら
全国展開。 

急成長の陰には悪魔が潜む。

結局、この商いも、
長続きはしなかった・・・
 

故、永六輔氏の著書
「商人 (あきんど)」に

「店と屏風(びょうぶ)は 
広げすぎると、必ず、倒れる」

と言うのがありました。 
(*屏風だったか扇子だったか、
記憶は定かでない)
 

間もなく、失禁で
布団の中で漏らそうという頃合いに、

分を弁(わきま)えず、、
身の程知らずの先行き短い輩は 

「棒ラーメンの商い」の夢と
お漏らししょんべんは、
布団の中だけにして

今夜も亭で大人しく、
「舟唄」を聴くが賢明。

 

ところで、

あなたは今でも、
炙ったイカが噛(か)めますか?

今でも夢がありますか? 

 

作詞:亜久悠 作曲:浜圭介
唄:八代亜紀

久し振りの名曲「舟唄」 

 

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