我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「暮れのご挨拶」

2019年12月26日 | 日記

 

男気健さんが歌う
「唐獅子牡丹」の一節にあるのが、

「義理と人情を秤にかけりゃ、
義理が重たい男の世界」 

武士の世界であれ、ゃくざの世界であれ、
同族が団結することで、
自らを、また、家族を守ることができる。

そのためには、
同族間の約束事・しきたりを守ることこそ、
生きていく術である時代が、かつてあった。

 

時が経って時代が変わろうが、
社会や会社の中で、今でも変わらぬ
人としての正しい道、 

義を尽くす、
それが「義理」。

そして「人情」とは、

人間らしい愛情、他人への思いやり。
言わずもがなの、これも、
人としての正しい道。


何故、暮れのこの機に
「義理と人情」なのか?

答えは、暮れだから。

 

今年は思うところあって、
永年続けた年賀状を
出さないことに決めた。

「出さない」と
決めるまでには確かに
自身の中で葛藤もないではないが、

毎年、年賀状の対応が
暮れの懸案事項になっていた。

健さんの「義理」の選択に対して、
年賀状を出さないことは
「不義理」に繋がるやも知れないが

「義理と人情秤にかけりゃ、
人情が重たい男の世界」
があってもいい。

「義理と人情」の共に二つの
「人としての正しい道」を前にして、

今回の年賀状に始まる
義理を欠く努力にも更に増して、

これからは誰もが認める
人情味の溢れた情け深い人間と
なるために一層努めたい。

 

皆さんへ

年賀状は届けられませんが、
皆様とのご縁に感謝しております。

来年も佳き年でありますよう
心から願うばかりです。


最後に

奮闘努力の甲斐もなく、
何時まで経っても「情け深い男」
の兆候も垣間(かいま)見れず、

相も変わらずの「情けない男」の
体(てい)たらくではございましても、

これからも、これまで以上に
皆様の慈愛深きお情けを頂戴できますこと
切に願うばかりです。

「It Could Happen to You」

ドン・フリードマン・トリオ


 

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「二人を繋ぐ優しさ」

2019年12月20日 | 日記

今年も、年が暮れようとしている。

今年が我が家にとって
どんな年だったかを、振り返る。


今年は、例年になく
心の中に留めておきたい思い出が
多い年だった。

自分自身や、身の回りの生活のことや、
身近な人たちとの関わりの中で、

「これからの人生を、どうやって生きるか」
を気付かせて貰えた一年だった。

思えば密度の濃い、一年だった。

にも拘わらず、ひととせの
流れを速く感じさせるのは、

歳をとったからだろうか。

経験を積み重ねて齢をとるからこそ、
人生の指針も見いだせ、
向かう景色も見えてくる。

いつも、
「心豊かな暮らしをしたい」
と願っている。


その実現には周りの人たちとの繋がりが
肝要であるのと同じように、

実現には当然、
自分自身にも向けられる。

課題は山ほどあるが、
先ずは「人生を、愉しむこと」。

「愉しむこと」とは、

ポジティブであること、
能動的であることを心掛け、

誰にも邪魔されず遠慮せず
好きなこと、やりたいことをやること。

但し、家族や世間に
迷惑を掛けないことを条件とするが、
是を追求すると面白いことが待ち受ける。

やっている内に、
指向や趣向が変わっていくこと、
言い換えれば、上達すること。

それによって、
出来上がりのイメージを一早く掴め、
頭と身体はイメージ通りに働き、
次から次へと、愉しみが膨くらんでいく。


今年も近所の人が呆れるほど
素人大工仕事に熱中したが、

愉しみを膨くらませた一つに、
JAZZがある。

新旧の名演奏を聴きあさればあさるほど、
更に広く深くその魅力に傾倒していく。

スウィングだろうが、モードだろうが、ファンクだろうが
JAZZのジャンルに拘ることなく愉しみ、

多くの優れた奏者に出会えたのは
好きなことに続けた故の
大袈裟でもなく、財産だ。

 

しかし、暮らしは
愉しいことばかりではない。

息子が齢をとれば
母もまた、歳をとる。

昨年の暮れ、ディサービスに通う母は
左大腿骨骨折で入院。

年が明け、病院を2つ替わり、
骨折の他にも持病があり、
受け入れる施設が限られたが、

先日、やっと入居できた2つ目の施設で、
今度は右の大腿部を骨折・・
再び、病院。

同世代の多くが頭を抱える
親の介護。

スージィーは実母と義母の
二つの介護に、気の休まらぬ日々を
今も続けている。
 

そんなスージィーに、「元気の素」がある。

今年のGWに、
40年ぶりに再会を果たした、

宮崎に住む、はとこの
禎子ちゃんの存在。

その時、禎子ちゃんの旦那さんと
スージィーは初対面。

にも拘らず、初対面から意気投合したのは
みっちゃんと禎子ちゃんの
根っからの明るさ。

それ以来、月に2度から3度、
必ず、禎子ちゃんは宅急便を届けてくれる。

大きな段ボールには
宮崎特産の果実・野菜、
名物の加工品・お菓子・焼酎nに至るまで、

毎度のことながら、” 呆れる ”ほど
詰まっている。

送るために買ったものもあると思うが、
本人曰く、「いただき物」。


それに応えるためにスージィーは手料理や、
先日は旦那さんの好物の「干し柿」を
作ってを送ると

「美味しかった」の言葉に、
リピートで応えれば、そのお礼の度に、
一時間にも及ぶ長電話を繰り返す。

感心するのは、禎子ちゃんのその人柄。
「いただき物」を証明するように、

自身の苦労した経験がそうさせるのか

人に対して優しく面倒見が良いこと。

また、その苦労と努力を
けして惜しまないこと。

これはスージィーと実によく似て、
そんな共通点が二人を繋いでいる。


慌ただしく送った一年、
苦労や悩みはこれからも続くが、

心豊かな暮らしの実現のために、
努力を惜しまず続けていければと。


今日の曲はJAZZばかり聴いていた中でも
好く聴いていた、心が優しくなれる曲。

ライ・クーダー・の
名盤「チキンスキン・ミュージック」

「 Always Lift Him Up」

いつも彼を持上げるように

邦題:いつも優しく 

彼が人生に うんざりして 
酒に手を出すようになったとしても 
彼の前を 素通りしたり
嫌な顔を したりせず 
手を貸し損(そこ)ねずに 
彼に 救いの手を差し延べて
いつも 彼を助け起こしてあげて
そして 決して打ちのめしたりなど 
しないように

Ry Cooder 
Always Lift Him Up 
Kanaka Wai Wai


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「借り物の時間」

2019年12月13日 | 日記

西村さんに約束をしていた
バード・フィーダーが先週末に、
出来上がった。

「出来上がった」と言う割には然程、
費用も時間も要していないのに、

バード・フィーダーの元になった
バスケットの素材とデザインを
そのまま活かした

シンプルな出来上がりに
満足のあまり、記念として残したいと
日記へアップすることにした。

何時ものことながら、
家の前を宅急便が通る度に心中、

「どうか、我が家の前で停まってくれ」
と願い、思いが叶い、送り主を確認し、
荷物を受け取る時の嬉しさと、

「さて、中身は何だろう?」と、
荷を解(ほど)く間のワクワク感は、
毎度のことながら良いもんである。

あろうことか、その一連の楽しみを
今回は受け取り主から
奪ってしまう結果となってしまったが、

バード・フィーダー作成に込めた
L O V E に免じて、ご容赦願いたい。

以下が、出来上がった
「バード・フィーダー」


バスケットを、逆さにして使い、
バスケットと底板は蝶番(ちょうつがい)で連結。

「細かさ」で言えば、台の縁は
使い古しのユーズド加工仕上げ。

バスケットを台に戻して
ミカンをセット



バスケットの中には、止まり木が高低2本。



小物を使って、シュミレーション

メジロの飛来はまだ先のことだが、
受け取り主が冬の風情を愉しむ一つに、

このバード・フィーダーが
一翼を担うことを、切に願うばかりです。

 今日の曲は「バード」にかけて、
ザ・バーズのオリジナルメンバーが
再編し残したアルバムの一曲で、

受け取り主と同じく
フラット・マンドリンの奏者、
メンバーのクリス・ヒルマンが作曲した

「 Borrowing Time 」

タイトル直訳は「借り物の時間」

「天から与えられた時間が
たとえ僅かであっても
一度っきりの人生を愉しもう」

と言う意味らしい。

バード・フィーダーと別便で
この曲も受け取り主に届けます。

Borrowing Time



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「ミアのメッセージソング」

2019年12月02日 | 日記

我が生涯に於いて
残念でならなかったことがある、
それは実子に恵まれなかったこと。

子供がいれば今とは異なる
生きる覚悟や姿勢があり、

人生の歩みも、暮らしの有り様も
随分と違っていただろうなと、
一抹の感慨を抱くが、

それが人生の価値を決めるほどの
切実な後悔ではないことも感じて、
今までを生きてきた。


先月、動画が3っ
スージィーのスマホに送られてきた。

送り主は現在、神奈川で旦那と
やんちゃ坊主4人で暮らす、
姪のミア。


「YouTubeにアップしている」
と聞いて直ぐに確認し、
動画を見ることにした。

3つの動画は、彼女が作った
彼女の優しさが溢れる歌が3曲。

3つの歌は、
現在、40代になったミアが、
子供を身ごもった30代の頃の歌で、

新しい命をいただいた天への感謝と
生まれてくる子供へ母親の思いを伝える
メッセージ・ソング。


曲を確認したことをミアに告げ、
早速、尋ねた。

「10年ほど前に作った曲を、何故、
今のタイミングでアップしたのか?」

答えは「〇〇兄(にい)には来年の2月、
春日村に行った時に訳を話すから」


小生には、なんとなく、
” 何故、今なのか ” が判った。

それは、二人の男の子が
お母さんが唄っている歌の意味を
判る年齢に成長したから。

叔父の予想は外れて
今聴かせても、判らないかも
知れないが、

歌は永遠に残り、
母の思いは永遠に届く。


歌にはお母さんの思いが込められ、
愛に満ちて、飾り気なく、
純で素朴で微笑ましくもあり、

子供のために歌を作り
愛しさに唄ってあげられるミアが

小生には羨ましくもある

それがこの曲、

「天からの贈りもの」

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