「無理はするなよ」と言われても、
一旦、スウィッチが入ると
遣(や)らずにはおれない性分は、
「無理」か「道理」かの判断は
外にあるのではなく、
己の内にあると、いつも考える。
己が求めて得られた結果が、
「善し」と「悪しき」のいずれでも、
それが己の才や技量に因るものと
知れば、納得も出来るが、
人の意見を受けて事を起こさず、
「善し」と「悪しき」のどちらも
見つけられぬことほど、
空しいものはない。
例えば、己の才や技量が乏しい故に
事を成すが叶わずとも、
それはそれで身の程を悟ろうが、
事を起こさずば、
それすらも知りえない。
「そんな歳では、
もう無茶は出来ないよ」
と誰かが言う、確かに一理ある。
無理でも頑張ったら
いづれは応えられるだろうが、
無茶は応えられる範囲を
超えている。
その無茶をしたせいか、
今、体のあちこちは「シップ薬」だらけ。
無理を強いた筋肉たちに
チリチリ、ジリジリ、じんわりと
シップが効いて心地良い。
シップの心地良さは、
無理を覚悟で臨んだシマトネリコの剪定を
脚立の下から支えたスージィーの
助けもあって難なく終えた
「無理の代償」の心地良さでもある。
かつて、
無理を覚悟で臨んだ仕事で、
事を成すを叶えられなかった
ことがある。
その時に、事を成すには
己の才と技量が如何に乏しかったかを、
痛切に思い知らされたが、
「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」
危険を冒さなければ
望みのものは得られず、
何ごとも、
遣ってみなければ分からない。
が、殊更、無茶もできない。
現在、67の青年は
足、腰、肩をさすりながら、
あの時のことを思い返す。
さて、今夜の曲だが、
聴いてみたいだけの選曲で
タイトルは一切、気にせずに。
「Sun Ain't Gonna Shine Anymore」
太陽はもう輝かない
唄:ウォーカー・ブラザース