我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「チリチリ、ジリジリ、じんわりと」

2018年06月25日 | 日記

「無理はするなよ」と言われても、
一旦、スウィッチが入ると
遣(や)らずにはおれない性分は、

「無理」か「道理」かの判断は
外にあるのではなく、
己の内にあると、いつも考える。

己が求めて得られた結果が、
「善し」と「悪しき」のいずれでも、

それが己の才や技量に因るものと
知れば、納得も出来るが、

人の意見を受けて事を起こさず、
「善し」と「悪しき」のどちらも
見つけられぬことほど、
空しいものはない。


例えば、己の才や技量が乏しい故に
事を成すが叶わずとも、

それはそれで身の程を悟ろうが、

事を起こさずば、
それすらも知りえない。

「そんな歳では、
もう無茶は出来ないよ」

と誰かが言う、確かに一理ある。

無理でも頑張ったら
いづれは応えられるだろうが、

無茶は応えられる範囲を
超えている。
 

その無茶をしたせいか、
今、体のあちこちは「シップ薬」だらけ。



無理を強いた筋肉たちに
チリチリ、ジリジリ、じんわりと
シップが効いて心地良い。

シップの心地良さは、

無理を覚悟で臨んだシマトネリコの剪定を
脚立の下から支えたスージィーの
助けもあって難なく終えた

「無理の代償」の心地良さでもある。


かつて、
無理を覚悟で臨んだ仕事で、
事を成すを叶えられなかった
ことがある。

その時に、事を成すには
己の才と技量が如何に乏しかったかを、
痛切に思い知らされたが、

「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」

危険を冒さなければ
望みのものは得られず、

何ごとも、
遣ってみなければ分からない。

が、殊更、無茶もできない。


現在、67の青年は
足、腰、肩をさすりながら、

あの時のことを思い返す。



さて、今夜の曲だが、
聴いてみたいだけの選曲で
タイトルは一切、気にせずに。
 

「Sun Ain't Gonna Shine Anymore」

太陽はもう輝かない

唄:ウォーカー・ブラザース

 

コメント (4)
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「母ちゃん、頑張れっ!」

2018年06月24日 | 日記

我が家で一番多い種類の木に、
シマトネリコ(以下、「彼女」と称す)
がある。

彼女の緑を絶やさない葉っぱや、
みめ姿が美しいことから、

庭木や屋内の観葉植物としては、
欠かせない愛されし植物だが、

何故、我が家で一番の
多い木になったのか・・


彼女は落葉樹だが、
前述のように年間を通して
輝く緑葉を絶やすことなく、

どこかレディを感じさせる、
だから、彼女だが)
気品あふれる容姿の
その愛しさのあまりに、

ただ、やみくもに
数を増やした訳でなく、

実のところ、彼女が勝手に
増やしたに過ぎない。


彼女の特性に、目を見張る
「成長力」と「繁殖力」があり、
増やし続けたものは皆、
彼女の子供達。


春先に、昨年付けた葉を残して
古い葉を落し終えると、
代わって新しい葉をつけ始める。

暫くして花を咲かせ、
花は種子となり、種子は風に舞い、
地に落ちて芽をだし、中には
わずかな敷石の隙間など所構わず、
一本の木として成長を始める。

ほっぽらかす訳にもいかず、
見るに見兼ねて、5~10cmほどの
小さい内に拾い集めて
鉢植えにして育てたのが、
増え続けた、その理由。

今では、大きいもので2m50cmまで
成長した鉢もある。



鉢植えの彼女たちは移動可能で
庭の演出を好きなように
コーディネートできる利点があり、
現在、その数9鉢。


下の画像は昨年、
小さい木を集めて鉢植えにした
前左が高さ1m、
右が人の目の高さにまで成長。

50cm程の木は、
庭中、何本でも生えていて、

作ろうと思えばいくらでも増えていく。




土曜日、樹高6~7mにまで達した
まさに花化粧をしたかのような、
子供たちのお母さんを
選定することにした。



選定は、

・落葉の掃除に追われるほど
成長し過ぎたこと、
・陽と風の通しをよくすること、
・花粉が近所の家まで
飛散すること、
・種子ができるのを極力止めること、等々。



彼女はまるで、ざんばら髪のような
見るも無残な姿になってしまったが、

何年もしない内に、また、大きくなって、
いつものレディが戻ってくる。

レディのお次は、
大きくなった子供たちの

鉢の植え替えが待っているが、

その子供たちが下から

「母ちゃん、頑張れっ!」
と言っている。


あとがき

脚立の上に立っても届かない枝は、
2本の木こぶに足をかけてバランスを保ち、

左手は木を握り、
右手は電動ノコを持ち、
ある時は、その右と左が逆の、
選定作業。

一夜明け、足も、腕も、肩も疲れ果て、
誰かが横から、

「みっちゃん、今日は歩くの
頑張らんほうがいいよ」
と言っている。

「She's a Lady」

ジョン・B・セバスチャン

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「呑み助の考えること」

2018年06月20日 | 日記

 

仏教では「来世(らいせ)」
と言うものがあるらしい。

死後、魂は数年~数百年後に、
再び、この世の肉体に宿る
と言うもの。

仮に、小生に来世が
訪れてくれるのなら、願わくば、
来世も現世(今の世)の繰り返し、

つまりは、日本国は昭和の時代に
生まれ変わりたい(戻りたい)。

現世の繰り返しを望む訳は、
現世のこれまでに積み上げた
数々の罪や悔いを改め、

「今度こそは、まっとうに生きてみたい」

と、反省の意味を込めた
殊勝(しゅしょう)な思いでは
けしてなく、

確かに、罪も悔いも
山ほど積み上げてきたけれど、
今はこうして、満たされた生活を
送らせて貰っている。


回想するにはちと早計だが、
これまで六十七年を生きた中で、
かつての昭和の時代は、

貧しかったが、人皆、人情味に溢れ、
今のような殺伐(さつばつ)とした
気風も無ければ、事件もなく、

世知辛くもない、
どこかゆったりとした風情漂う
実に心地好い時代だった。



もし、生まれ変われるものならば、
ことのついでに、現世とは異なる仕事に
挑戦したいと考える。

さて、一体
どんな仕事に挑みたいのか?
 

来世にしたい仕事、

例えば、「職業 吉田類」

「来世」だの、「悔い改める」だの、
「昭和は良き時代」などと
散々、御託(ごたく)を並べておいて、

呑み助が考えることは
せいぜい、こんなもの・・

 

憧れの職業人が唄う

「One Scotch,One Burbon,One Beer」

ことのついでに、もう一曲は原曲。
ジョン・リー・フッカーが唄う

スコッチとバーボンが入れ替わった

「One Burbon,One Scotch,One Beer」

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「正直者達の夜」

2018年06月17日 | 日記

こと、自分にだけは
正直な小生は営業職の現役時代、

顧客や商談相手への愛想笑いが
大の苦手だった、と言うよりは
大嫌いだった。

先方のご機嫌伺に、
意に背いて作り笑いをするのは、
偽善であるばかりか、自分に対して
正直ではないと思っていた。

「笑い」、「笑う」とは、
抑圧的な環境から生まれる笑いは
本来の「笑い」ではなく、

開放的な愉しい環境で
生まれる笑いこそ、情緒にも健康にも
優れた効果をもたらし、

笑うことは
人生に不可欠なものと、

「 I want to do something fun 」
(何か楽しいことをしたい)

と四六時中,考えて生きている。

昨夜、今年初めての
ガーデン・パーティは、

まさに情緒にも健康にも
優れた効果をもたらす
笑いの連続だった。


土曜日、滋賀から
チャーリィーがやってきた。

在来線と新幹線を乗り継ぎ、
我が家に来るために
博多駅で降りた。

それで、今年最初の
ガーデン・パーティ。

Before

  After


今年初めてのガーデン・パーティは、
たった5人の同窓会。

画像は左から、
ミセス・ヤスコ スージィー チャーリー 山女魚小僧

チャーリーのために改造し、
「チャーリィー」と名付けた
デッキチェアーに、

翌朝、チャーリィーが座る。



たかが5人の同窓会は、前半は庭で、
後半はリビングで、

日付変更線を越える
自分にだけは正直者の、

されど5人の同窓会の
夜は
笑いの絶えない愉しい夜だった。

♪ 

All I wanna do is have some fun
私が望むこと、ちょっと楽しいことができれば
それでいい
I got a feeling I'm not the only one
なんとなく思うの、
それって私だけじゃないんだって  

All I wanna do is have a little fun before I die,
私の望むこと、ほんの少し楽しみたいだけさ、
死んじまう前に

♪ 

「All I Wanna Do 」

っシェリル・クロウ

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「最初のガーデンパーティ」

2018年06月16日 | 日記

好天に恵まれた今日は、
今年最初のガーデンパーティ。

唯今、セッティングも終了し、
後は日が暮れて、
ゲストがやってくるだけ。

新幹線でやってくるゲストを迎えに、
今から博多駅。

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「続:本気 VS 本気」

2018年06月15日 | 日記

先週、聴かなくなったCDで
カラスの撃退対策に何らかの効果を
見出さればと、反射板を作り、

更に効果を高めようと、
不要になったCD-ROMや
バックアップ用のハードディスクを追加して
4連反射板を3個増やすことにした。

はたして、賢いカラス相手に
どれほどの撃退効果が期待できるかは、
実のところ疑問符だが、

この不要CDを集める過程で
思わぬ発見をするとは。


2年前の熊本地震を機に、
幾らかでも家屋を軽くしようと、
断腸の思いで、2階の大量のCDと
アナログレコードを
中古CD・DVD、レコード買い取り業者に
処分したが、

残すことにしたお気に入りの
CDの一枚が、ケースに
入っていないことに気付き、

ほかのCDケースに
紛れ込んではいないかと調べたが、
どうしても見当たらない・・


生まれて直ぐに、
我が家にやってきて、13年間、
生活を共にし、4年前に亡くなった
愛犬キャッシュがいた。

キャッシュが4歳ほどの時に、
大股開きで寝ていた
お気に入りの写真を収めたCDを
もう一度見たいが、
どうしても見当たらない・・


ところが、不要のCDを
ケースから取り出す時に、
この行方不明の2枚が見つかり、
「瓢箪(ひょうたん)から駒」の
嬉しい偶然の産物が、

カラス撃退対策の意外なところで
効果を発揮するとは、
思いも寄らぬこと。


憎っくきカラスの存在無くしては
得られない二つの思いがけない発見は、

ホッとするやら嬉しいやらの
カラスには感謝の

複雑な心境の出来事だった。

 

最初の発見は、

カレーラス、ドミンゴ、パヴァロッティの
「世界三大テノール94 夢の競演」のCD

二つ目が、
大股開きの愛犬キャッシュ。


ところで、反射板だが
隣の駐車場を共有する
本田さんの熊本西区の実家も、
ブドウのカラス被害で頭を悩ますが、

本田さん曰く、

「喜多里さん、(反射板は)いい考えだけど、
カラスは直ぐに慣れるから、
収穫の少し前に、取り付けた方が
良いんじゃないかと、思います」

「成程、それは一理ある」と、

一度、反射板を取り外すことにした。


カラスのお陰で発見できた

「世界三大テノール94 夢の競演」から、 

ホセ・カレーラス

プラシド・ドミンゴ

ルチアーノ・パヴァロッティ

三大テノールの

 「 O Sole Mio 」 
おお、私の太陽よ

なんと美しいことだろう 晴れた日は
嵐の後の澄み切った空気
新鮮な空気によって もはや祭日のように思われる
なんと美しいことだろう 晴れた日は

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「本気 VS 本気」

2018年06月12日 | 日記

苗木を植えて8年ほどになる
ブドウの枝に、
今年も沢山の房を付け始め、

眺める人は異口同音に、

「今年は、例年になく大きいですね」
と仰ってくれる。

画像は、4年目で本格的に房を付けた
マスカット。

8年目の巨峰

今は不揃いだがこれから先、
房は益々、
大きくなっていく。


苗木が成長すると、藤棚をブドウ棚に改装して、
「北里葡萄園」と名付けては、

これまでに、
沢山のブドウを収穫してきたが、
以前よりは房の数は少なくなったものの、
今年の房はかつてなく大きく、

このまま、順調に成長してくれれば
「豊作間違いなし」、なのだが、

近年、豊作の望みを叶えるには
大きな難関が待ち構え、

昨年はとうとう、この難関を
越えることができず、
泣き目を見たのを思い出す・・


泣き目を見た とは、
殆どの袋をカラスに破られ、

未熟な房は突っつき落とし、
熟した房のみ食い荒らされて
仕舞ったこと・・

地面に散乱した青い房を拾う作業の
虚しいこと、切ないこと。


豊作の望みを叶えるには、
カラス撃退対策を講じる以外、
手立てがない。

そこで、カラスが反射する光を
好まないことにヒントを得て、
稚拙かもしれないがある策を考えた。

聴かなくなったCDで
作ったものがこれで、
CDを2枚合わせ、計48枚を使う。

これを計6ヶ所に、下げる。


カラスは賢い。

「こんなもんで俺たちがビビると、
本気で思っているのか」

と、ほざいてはその内に

「バーカー、バーカー」

と、ぶどう棚の上から
屈辱の高笑いを浴びせるに
違いない


確かに、カラスは賢い。

しかし、まさかこれを読んで、
園主が、「歓迎している」と
勘違いしている
訳では無かろうに・・・




しかし、手を拱(こまね)いて、
まさに、今が食べごろのブドウを

園主よりも先にカラスに献上し、
誰にもお裾分けできないのは、
あまりに悔し過ぎる。


もし、カラスが
「ビビると本気で思っているのか」
と、ほざくように、
CDのミラー撃退の効果がなければ、
向こうの本気に対抗して、

会社を辞めたスージィーに、
日がな一日、ブドウの番をして貰おうと、

こっちも本気で考える。


スージィーが本気で怒ったら、
園主もビビるほど怖いかを、

今はまだ、カラスは知らない。

カラスは賢いし、
手強いことも覚悟している。

たとえ、負け戦(いくさ)になろうとも、

人には護らなければならないものがある。

米や農作物ばかりか、愛する嫁、娘まで奪い
村の平和を脅(おびや)かす
野武士撃退に、長老が言ったのが、

「侍(さむれー)、雇うだ」。

「本気 対 本気」の戦は、
これから始まる。


映画「七人の侍」のテーマ 

作曲:早坂文雄

編曲・演奏:Matt Sounds

 

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「特別な日の紫陽花」

2018年06月10日 | 日記

組内に一階が車庫で、
一段高いその上が住宅だった
空地があり、

空地にはツル性の雑草が生い茂り、
次第にツルは2m以上ある
車庫の上から垂れ下がりはじめ、

ついに路面に届くまで伸びて、
通行に支障が出るほどに成長する。


昨年、組内から苦情を受け、
春日村環境課に駆除をお願いしたが、

今年も同じ状況を迎え、
同環境課に依頼したところ、

「直ぐには、対応できない」
と言うので、
組長自身がその任を担うことにした。

そもそも、
自宅を緑に覆われて過ごす組長は、
雑草駆除の作業など
不得手どころか、

草刈りハサミを持つ手は、
ギターを持つより
よっぽど似合っている・・・

それで先週、小一時間ほどかけて、
簡易の除草駆除を行ったが、

その次の日、空き地の隣の奥さんが
突然、我が家へやってきた。

「綺麗になった、お礼です」

と言って、

奥さんの家で咲く三種類の
紫陽花の花を届けてくれたので

スージィーは早速、
頂いたその花を
花瓶に刺した。


奥さんが特別な日とも知らずに
届けてくれた労(ねぎら)いの花は、
優しい香りが心に満ちる、

67歳の
バースデイ・プレゼント
だった。


 ♪

Ombra mai fù di vegetabile,
cara ed amabile, soave più

かつて、これほどまでに
愛しく、優しく、
心地の良い木々の陰はなかった

「Ombra mai fù」
オンブラ マイ フ

キャスリーン・バトル

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「酒が海なら、菜は小舟」

2018年06月05日 | 日記

「一日一善」とは、
一日に一つは世のために
良いことをしましょうと言う、
「心がけ」のことである。

「一日一善」の心がけの意義を
理解し、即、実践して、

一日や二日は続けられたとしても、
これが毎日のことなると難儀なものである。


そんな”二日坊主”が心がけ宜しく、
毎日、自ら進んで行うことがある。

 

ところで、本来「魚」とは、
「酒」に「菜」と書いて「さかな」と
読むところからきている。

「菜」とは副食、
おかずのことをさし、

「酒菜」とは酒のおかず、
つまり「肴」のことである。

昔、酒の肴に魚類が好まれたために
「魚」を「さかな」と呼んだと
言うのだ。

酒の味も判らず、
いっちょ前に粋がって
成人の前から酒を食らっておいて、

先般、「魚」の語源を
初めて知った。

「こんなことも知らずに、
ボーっと生きてんじゃねーよ!」

チコちゃんに叱られた二日坊主が
毎日、進んで行うこととは、

愉しみの晩酌の「酒の菜」を
頂くことである。

今日の日記に、
「酒菜」を書いた訳は、

昨夜の「酒菜」が殊(こと)の外、
旨かったからだけのこと。


その「酒菜」は、
「らっきょうの味噌漬け」

らっきょうを辛子入りの
味噌にからめて、一晩 、
漬け込んだだけのものだが、
兎に角、旨い。

「一日一善」が世のためなら、
「夜ごとの晩酌」は己のためにあり、

酒菜は「晩酌の花」となり、
生来(せいらい)の
我が柔和(にゅうわ)な心を
取り戻す。


今日という一日の労をねぎらい、
明日に夢を繋ぐ
晩酌無くして、
何が人生ぞ。


酒が海なら、菜は小舟

今夜も酒菜で、舟を漕ぐ。

 ♪

Now, I'm just gonna sit at the dock of the bay

Watching the tide roll away 

Oooo-wee, sittin' on the dock of the bay 

Wastin' time

今 僕はただ港の波止場に佇み 

潮が流れるのを見ているだけ 

ただずっとここにいて

時間をつぶしているだけなんだ

 

「Sittin' on the dock of the bay」
ドック・オブ・ザ・ベイ

オーティス・レディング

 

 

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「目っけもの三つ」

2018年06月03日 | 日記

以前から、
関心は持ち続けていたものの、
お気に入りが見つからず
今まで購買の機会のなかった
ソーラー・ライトを、
コストコで見つけた。

2セットで1,750円で価格も手頃で、
何よりもデザインが気に入り、
迷うことなく、即、買うことにした。


庭を照らすように、
ライトには土に刺す杭が付いている…

だが、テーブルや台等、
場所を選ばない移動可能な
ライトにしたくて、

安定性を考え、底面に板を取り付け、
一つを玄関に、一つを喜多里亭に
置くことにしたが、


ソーラー・ライトの明かりで
晩酌をやることを思いつき、
すぐに充電を開始して、
暗くなるのを待つことにした。



時が経ち、いよいよ暗くなると
リビングの明かりを消して亭に出た。

玄関横スペース



COSTCOでソーラー・ライトを目っけ、

新しい亭の愉しみ方を目っけ、

そして、昨日の夜に、

もう一つの見つけた目っけものは、
You Tube。


「目っけもの」とは、思いがけず見つけた
掘り出し物のこと。


初めて見つけた掘り出し物の
このバンドのリーダー、デレク・トラックスの
スライド・ギターもさることながら、
ゲストのギター・キッズには驚いた。

名前は、
ブランドン・”タズ”・ニーダーラウワー
若干、14歳。

デレクの奥さん、
スーザン・テデスキが歌う

「Statesboro Blues」

テデスキ・トラックス・バンド



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