我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「組長の反乱」

2018年03月30日 | 日記

議案審議もせぬまま、
組長2期連続が決まった総会の
後で起きた、いや「起こした」
と言った方が正しい、
一悶着(ひともんちゃく)のお話。

総会が済んだ翌日の日曜日の朝、
自治会会長 直々に、頂いた電話は、
総会で使わせてもらった公民館の

「椅子が、元の位置に戻していなかった」

との、思いも寄らぬお叱りだった。

何でそうなったのか
事実関係も解せぬまま、

「申し訳ございません、以後、注意します!」

と詫びた後で、直ぐに、
副会長にはこちらから電話を入れて、
会長への言葉と同じ詫びを入れ、

さらに翌日の月曜日には、
公民館に出向いて

迷惑をお掛けしたご本人である、
清掃や備品管理をされる担当女性にも
深々と頭を下げ、

これで〝組長の〝お侘び行脚(あんぎゃ)”
も終えて、一件落着かと思っていた。


総会では体調不良で、懇親会を前に退席し、
片付けも含め、あとは新旧の役員さんに
委ねることにしたが、

そもそも、最初に会場入りし、
テーブルをコの字に並べて、
椅子を倉庫から運び出したのは、

組長である喜多里夫婦だった。


懇親会が終わり、
女性は1階の調理室を片付け、
2階会場は男性中心に行ったらしいが、

懇親会の酒に酔っていた訳では無かろうに、
椅子は倉庫に戻していないばかりか、

組長夫人は公民館から出る際、
2階を確認していなかった。

 

これが、小生が起こした
一悶着を始める起因。

 

明日の土曜日、会計さんの引継ぎを
公民館の一室で行うための予約確認を
火曜日に公民館に電話した際、

女性の事務員さんから、

「総会の時は、
椅子を元の位置に戻していなかったので、
今度はちゃんと元に戻して下さいね!」

と、まるで傷を負った敗者に
更に追い討ちをかけるような
念押しの言葉を受けた時、

小生、・・・・・・


言われる通り、組長としての過失は
素直に認める。確かに認めるが

「一寸の虫にも、五分の魂」

このまま、おめおめと
引き下がれようか!

 

諺に「金持ちは、喧嘩せず」
と言うのがある。

小生、15年前に患った大病が元で、
春日村一番の貧乏人に成り果て

以来、「金持ち」とは無縁の身。

 

そこで貧乏人は、ある手段で、
屈辱のあの言葉に
対抗することにした。

その手段とは、

公民館を訪ね、事務員さんに

「貴女が仰るように、
私、組長の資格がありませんので、
先日、(春日村役場と自治会から)戴いた
組長手当を、お返しします」

と、組長夫人から手渡された
封筒を置いて帰ることにした。


その二日後、手段は実行され、
組長による一悶着の火蓋(ひぶた)が
切って落とされた。


あとがき

この一悶着の顛末は、多分、続く。


・ 

ところで、15年前に患った大病とは、
いまだに治療方が見つからず、
完治の目途もない、

「慢性疾患 金欠病」

 ・

今回の一悶着を起こす思いは
こんなに格好良いものではないが
こんな気分の時に聴きたくなる

今日の曲の歌詞の一部 

♪  

正しくても 間違いでも

居場所があっても なくても 

僕は僕でいるしかない 

夢が僕をつくってる

 「 Ive Gotta be me」

サミー・デイビス・JR

 

 

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「花は桜木、人は武士」

2018年03月28日 | 日記

今日の我が家の桜は
八分から九分に咲きそろい、

愈々、明日か明後日あたりには
すべてが咲きそろう満開の時を
迎えようととしている。

桜の花が美しいのは、
ほのかな桜色の花びらと

見目形に現れる
気品溢れる
その優美さだけではなく、


見る者が受ける、
凛として
引き締まった心象は、

咲かせて散るまでの、花の命の短さを
人は知っているからでもある。


散りゆく花びらが風に乗り
花吹雪のように宙に舞う様を
「美」と捉える日本の人の心には、

散りゆくことへの未練もなく
何時しか地に果てゆく花びらを、

あるべき人の生き様に例え、

「花は桜木、人は武士」

の句があるように、

武士の本分にも通じる
潔(いさぎよ)さと
映し重ねるからである。


物事をやり通し、
最後まで立派に全うすることを
「有終の美」と称するが、

まさしく、それが短き生涯を背負った
桜花の散り際である。


さて、桜花と期を同じくして
開かれた国会では、殿である首相が
家臣の不始末も正さず、
また、その不始末を
自らが被(かぶ)りもせず


殿自らと、自らの正室と、
親戚の家老の保身に奔走する様に、

武士としての潔さを、
幾許(ばく)
も見出せないのが、

小生は無性に寂しくてならない。


桜の花は、よもやの強風や雨、
あるいは不意の降雪で、
間もなくの開花期や満開期を前に、

夢、志(こころざ)しを半ばにして
地に落ち果てゆく不本意は
筆舌に尽くせぬほど無念であろうとも、

それが宿命と、身の在り方を
自然(なりゆき)に身を委ねる様を
誰もが見てきた。


首相よ、貴殿は桜の散り際を見て、
一体、何を感じておられようか? 


菊の花は国家の象徴、

桜の花は日本の民が愛する
花の象徴。

その桜が凛として美しい季節に、
日本の民を束ねるべき

武士の一分は、政治家の一分でもある
あなたの生き様は・・・

「武士の一分」とは、

侍が命をかけて守らなければならない
名誉や面目の意味。

・ 

あとがき

何故、政治音痴が真実性を欠き、 
いささか訝(いぶか)しい内容を今、
感情主導で
綴ったかと言えば、

今日の満開の桜の下で、
昨今の政治の、目を覆(おお)い、
耳を塞(ふさ)ぎたくなる程の

あまりにも体(てい)たらくで
            痛ましい
惨状を思う時、           

昨日の顛末に呆れ果て、
憤(いきどお)りを禁じ得ず
唯、黙ってはおれなかったから
だけである。

・ 

画像は、明日、明後日の両日中には
満開を迎えるだろう、春日公園の桜。

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「春を一つ、めっけ!」

2018年03月25日 | 日記

 一斉に芽吹き始め、日に日に
緑を取り戻す落葉樹を眺めに
朝な夕な、
庭に出るのが
最近の愉しみの一つ。

移植が上手くいった蝋梅の向こうが、もみじ。

高さ2.5mにまで成長した、
コデマリの根元の画像。


ナニワイバラがご縁で

友達になった藤田さんから頂いた、
そのナニワイバラを接ぎ木して
3年目がきて、今年初めて
トゲに包まれた小さな蕾を付け始めた。

一目惚れした淡黄色の可憐な花に
何時会えるかを待つのも、
愉しみの一つ。

中央が、ナニワイバラ。
春を迎え、日に日にツルが伸びている。



 春分の日に、母を見舞いに
リトルに帰ったスージィーの土産は

葉ワサビ、蕗の薹(ふきのとう)、高菜漬け。

葉ワサビは粕漬けに、蕗の薹は天ぷらに、
高菜漬けは少しばかり
醤油を落として頂くのが、


最近の愉しみの一つ。
 

ここのところ、夕餉の食卓には
お陰様で春野菜の旬の食材に溢れ、

酒を好む者なら、
旬の食材をアテに酒を頂くのが
常套(じょうとう)と言うものだが、

それが故郷の産なら尚のこと、
格別な思いで懐かし味を噛みしめ、
グラスには故郷の景色を浮かべ
ゆるりと
酒を頂くのも、

愉しみの一つ。


小僧から届いた報せは、
待ちに待った蕨(ワラビ)の便り。

その中に感嘆符の付いた言葉は
「春を一つ、めっけ!」


最後になったが、
我が家の「春を一つ、めっけ!」は、
四年目の桜が今日、五分咲きを迎えた。



そこで、粗忽(そこつ)者は早速、
今夜あたりライトアップの桜と

葉ワサビの粕漬けで、
夜桜を愉しみたいところだが、

風邪をぶり返す訳にもいかず、
春は直ぐに逃げる訳でもなし、

とりあえず、今夜は家の中から
正真正銘の春を愉しむことにした。

陽気に誘われて、一歩外へ
踏み出してみたくなる

暖かくて穏やかな青天井の

春の日の今日の曲は

ヘンリー・バトラー
&スティーブン・バーンスタイン

「Dixie Walker」



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「無傷のさらし」

2018年03月19日 | 日記

自治会組総会は、組長を選出する
17日が愈々、やってきた。

風邪による体調不良は幾分か
回復したが、
喉の痛みは相変わらずで、
ガラガラ声が治まらないままに、
総会の朝を迎えた。

総会の前日、体調と、この声では
会の進行に支障を来すことを憂慮し、

体調を気遣う現会計さんと
前組長さんの言葉に甘え、
総会を委ねることにしたが、

そもそも、次期組長職未決で
迎えた今回の総会は、

義侠心のない組員と現組長との
丁々発止(ちょうちょうはっし)の
議論を交わす
大事な戦いの場であり、

七転八倒(しってんばっとう)も
辞せぬ覚悟で
臨むつもりの総会だった。

〝だった〝 ものを、
風邪を理由に席を空けるのは
男の面子(めんつ)が立たぬと意を決し、
腹にさらしを巻くことにした。


総会も進み、今総会の重要決議案は、
かつて、事例も会則にもない
「二期連続での組長職継続」
を問う時が愈々、やってきた。

そこで、全く、想定外の
結末を迎えようとは・・・


前組長さんも、会計さんも、組員もが、
次期組長を引き受け手のない
今回の異例の事態を憂い、

特に前組長さんは、

「今日は、改めて組のあり方を
全組員で考える、良い機会」

と、勧(すす)んで発言を望んでいた。

その時がやってきて、
前組長さんが口火を切った。

「皆さんの断る理由は、何なのですか?」

と最初の質問をされた時、

答えるべき現組長の私より先に
会計さんが、すかさず放った言葉は

「皆さん、それぞれに都合がありますよ。
今は、それを言う時じゃないでしょう!」

その吐き捨てるような言葉は、
質問を却下するどころか、
不穏な空気が瞬時に会場を漂った。

オイオイ、あんたがそれを言っちゃ、
お仕舞いだろう!

この機会に、組への協力意識を促し、
少しでも組の和みを良くしようと、

あえて嫌われ役に徹しようとする
前組長の意に反する
よもやの言葉に、唖然とした。


以後、前組長さんは口を閉ざし、
血沸き肉躍る我が心も一瞬に萎え、

思いもしないあの一言で、
総会は重要議案の議論もされず、
決議もせず、図(はか)ったように、
二期連続の組長職継続が決まり

閉会へと向かった。


弁当と酒類を準備した
懇親会に入って間もなくのこと、

「喜多里さん、熱があるようだから、
早く帰られた方が良いですよ」

前組長さんから頂いたお言葉に甘え、
退席することにした。


丁々発止の議論を交わす
大事な戦いの筈の場だったが、

今や、老若男女、互いに酒を酌み交わす
大事な懇親の場となった会場を

いささか心痛な思いを引きづり
一人、
退席しようとしたその時に、

一人の奥さんが傍にやってきた。


「あの時(組長のお願いに来られた時)は、
主人は『仕事がありますから』と
組長を断わりましたけど、

喜多里さんが2年続けてするらしい、
と知り、

『来年(
31年度)は、私がします』

と言っています」

と仰って頂いた。

その言葉は唯々、嬉しかったし、
救われた気さえした。

心中、「総会の始まる最初に、
そう言って下されば、いくら熱があっても
懇親会では、はしゃぎましたのに!」

そう、言いたかった。
 

同じ一言でも、天と地ほども違う
最初が「地」で、最後が「天」の

血のりどころか、傷一つない
さらしに手を当てて、

持ち帰った弁当で「一人懇親会」
で聴いた、あの時の気分が

今夜の曲。

「Here Comes the Sun」
 に続けて

ジョージ・ハリスン

「someshing」

ギター:マイケル・ケルシー

 

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「この期に及んで」

2018年03月15日 | 日記

春の始めは、
春雷鳴り響く雨が何日も降り続いた。

陽は日毎に永くなり、
風の冷たさも随分と和らぎ、

雨さえ落ちなければ、少々、肌寒くても、
ウィンドブレーカーで再び、
ウォーキングを愉しめると、

身体を動かすことをすっかり忘れた
篭(かご)の"鳥”は、
勝手にそう踏んでいた。


春らしき暖かな陽ざしを迎えると
直ぐに、外へ出た。

しかし、
「春に三日の晴れ無し」の言葉通り、
外と篭とを交互に繰り返す日が続く。


先週の日曜日は、
絶好のウォーキング日和。

春日フォレストまでの
往復2時間強を歩き、

好天を引き継いだ月曜日も、
約1時間ほど歩いたが、

家まであとわずか
10分足らずのところで、

携帯で迎えに来てくれるように
スージィーに頼むことになる・・

火曜日の朝、体に異変。


待ち侘びた春の
暖かな陽ざしに包まれて、

庭の木々は一斉に
つぼみを膨らまし始め、

間もなく、
正真正銘の春がやってくる、
この期(ご)に及んで、

まさかの風邪とは・・・

 

「日記が更新しないけれど、どうした?」

の言葉に応え、

篭の中の鳥はキーを叩くことにした。

Here comes the sun
ほら、太陽が昇るよ

here comes the sun
ほら、太陽が昇るよ

And I say it's all right
もう、大丈夫

「Here comes the sun」 

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「短気は、損気」

2018年03月07日 | 日記

 待望の山女魚の解禁を
迎えたにもかかわらず、

釣り師として
漁場に忠義を重んじる小僧は、
訳あって
時期尚早と

行先を川から海に替え、
誰もいない海で一人、
マテ貝掘りに勤(いそ)しんだとか。


無学な親父は、マテ貝の旬の季節は
初夏から始まるものと思っていたが、

あにはからんや、一昨年の暮れに
正月用の食材を調達に
とある市場に出掛けた折、
大分産のマテ貝を見つけ、

冬のマテ貝が美味いことを
その時に知った。


価格は覚えてはいないが、
それは見事な代物。

それで、大分産とは
大分の何処なのかを調べたら、

豊後高田は真玉海岸のお店を見つけ、
主人にお尋ねしたところ、
やっぱり冬でも採れるのだと仰る。


また、検索した別のページでは、
焼き、酒蒸し、みそ汁、ぬた、
天ぷら以外に、スペインではマテ貝を
「ナバハス」と言い、

比較的ポピュラーな食材で、
フライ、マリネ、ジェノベーゼ他で
美味しく戴くのだそうな。

ただ、マテにも種類があり、
マテ、オオ(大)マテ、アカ(赤)マテ、
チョットマテと、4種類があるそうで、

どうやら、スペインでは
オオマテを使っいるようだが、

それで再び、前述の主人に尋ねたら、
真玉海岸で採れるのはマテだそうで、
山口ではオオマテも採れるのだとか。


と、此処まで書いたところで、
もう頭中はマテ貝だらけ、
口の中は涎(よだれ)だらけ。

直ぐにでも周防灘を飛び越し
スペインに出掛けてみたい気分になるのは、
食い意地の張った人間の宿命。


人に好物のマテを振っておいて、
このまま、知らんふりじゃ
「無責任の極まり」と言うもの。

この落とし前をどう付けるか、
同じ嗜好を有する者への
忠義に背くケジメを
「きっちりと、付けて貰おうじゃないの!」

と、こめかみに筋を立てる。


否、止めておこう。ここで怒って
小僧の気分を損ねさせたら、

マテ貝はおろか、山女魚さえも
生涯、食えなくなる。

マテよ、マテマテ、
チョットマテ


短気は、損気と

周防灘で若きゃねぇちゃんと
前後に座って楽しむマテ貝掘りの
お誘いを待つことにした。

「スパニッシュ・ハーレム」

ママス&パパス

 

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「心が躍る」

2018年03月05日 | 日記

日曜日、
計画事案を実行するには
これ以上ない晴天の朝を迎え、
早速、作業着をまとい、庭に出た。

晴天に打って付けの計画事案とは、
テーブルとロング・チェアーの塗装に、
枕木と枕木の間の約25mm程ある
溝の清掃作業は、

来たるべき季節のアウトリビングで
楽しむ外食(そとめし)他、

ガーデン・レストラン「スターダスト」を、
より快適に過ごすための
主力備品のメンテナンスと環境整備だが、

ライ・クーダーを流しながらの作業は、
初夏を思わせる日差しさえあれば
順調そのもの。

画像は、広げた新聞紙の上で乾きを待つ、
テーブルにチェアー。

中央が、主人を待つ
デッキ・チェーアー「チャーリー」

一通り、汚れも落とし塗装も終え、
あとはお天道さんに任せて
表に出て驚いた、

さくらんぼの木が、
淡いピンク色の花を付けている。



出掛けた春日公園でも
今年初めて、Tシャツになった。

更に驚いたことに、
公園から帰ると僅かばかりの
さくらんぼの花が、小1時間ほどの間に
二分咲きほどになっている。


テーブルやチェアーを
元の位置に戻して風呂から上がり、

昼間の暖かさを引きずった
夕刻の喜多里亭で、
メンテナンスを終えたスターダストを
眺めながら一人、神事を始めた。

化粧直しの済んだ
テーブルやチェアーを眺めながら、

「早く、シーズン・インを迎えたい」

と、否も応もなく、心が躍った。

 

春まだ浅き庭に向かいて
耳をすませば
宵に紛れて 笑い声

手酌の酒に 身は座に沈み
心はいつしか 熱くなり
時より先に 春を迎える

 

曲は、作業中に流れた
ライ・クーダー の

名盤「紫の渓谷」から

「How Can You Keep Moving」

 

 

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「続:お詫びのしるし」

2018年03月02日 | 日記

語り継がれた言葉の語源や、
古きから伝えられた風習の由来など、

世の中には、判っているようで、
実のところ判ってないことが多く、

「お詫びのしるし」で記述した
「御酒」、あるいは「お神酒」の
お供え物が何故、
「昆布」と「するめ」なのかを、

ヴァリィーに尋ねれば
すぐに解ることと思いつつも

忙しい方の手を煩わせる訳にもいかず、
手前で調べることにしたが、

先般の、屁理屈を並べ立てた
私的な考察を一切、加味せず、

言葉尻は多少、
色付けしたとしても、すべて、
史実に基づいたものであることを
何卒、ご承知頂きたい。


さて、「昆布」と言う文字とは
「子生婦」と書き、
女性の健康と子宝を願う意味に併せ、

昆布の古語を「広布・ひろめ」と読み、
一族の繁栄(子孫を広める)を願う
意味らしく、

するめは「寿留女」と書き、
「寿を留める」つまり、
「良いことが続きますように」
と願う「不変」の意味に併せ、

室町時代の頃より、
お金を「お足(あし)」と言い、
イカは「お足が多い」ので
「お金が多い」と験(げん)を担いで、
昆布同様に、古来より
「縁起物」とされてきた。


ところで、
「子生婦」も「寿留女」も
共に女性の意味を成しているのは
何故だろう?


奥さんのことを
「かみさん、おかみ、女将」
と言うが、

「かみ」とは、そもそも、
あの「神」のことなのか? 


文献によると、奥さんを
「かみさん」と呼ぶ語源説には、

江戸時代、将軍や天皇に対して使った
「上様」からきたとするものと、
「山の神」に由来するものがあって、

山の神は文字通り、山を守り、
支配する神「山神」のことであり、

 山神は、女性神として
信仰されることが多く、

恐ろしいものの代表的存在で
あったことから、中世以降、

口やかましい妻の呼称として
「山の神」
と言われるようになったとか。

 また、旅館や料亭で
運営を取り仕切るのは番頭や板前よりも
女将さんの役目であり、

一軍を率いる「女の大将」、「女将」は、
「じょしょう」あるいは「おかみ」
なのである。

実は、我が家を支配し取り仕切る
口やかましい女将は、
昨日から尾張の国へ。

当分、戻らぬ女将の留守に、
今夜も厳(おごそ)かに執り行う神事には
塗三方(供え物を載せる台)に
「昆布」と「するめ」の供え物を。

また、山の神に捧げた愛の歌、
「ノッテ・ステラータ(星降る夜)」には

何ごとも、言葉の意味さえ解れば、
より、曲の良さも理解できようと、

老婆心ながら、
訳詞をお供えすることにした。

さて、今宵も早速、厳かなる神事を
始めることに。

口やかましい、
老婆の女将の帰る間に。

 

月の映る湖を見てごらん
空の星は僕達のために輝いている

この魔法のような夜に
僕のセレナーデを君のために歌おう

 僕がどれほど君を愛しているか君は知らない
僕の気持ちの中には君だけしかいない

僕はずっと君の傍に居続ける
大勢の中から君を見つけ出す

僕がどれほど君を愛しているか君はもう知っている
君の気持ちの中に僕はずっと居続ける

 星の輝く夜を見てごらん
僕達への愛だ

僕が君を愛しているのを君は知っている
君はもう僕を愛している

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