我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「D S T」

2018年10月30日 | 日記

ほとんど毎日、
朝食を摂ることにしているが、

前夜の酒と食事が過ぎるのか、
朝から食が進まず、

ご飯を少なくしたり、
味噌汁に手を付けなかったり、
卵かけご飯だけで済ませたり、

今朝も同様に、リトルで買ってきた
好物の大根葉の漬物に

少しばかり醤油を絡め、ご飯にのせて
サラリと茶漬けで頂いたりする。

今日、ウェブで見つけた
興味深い記事は、文頭に出てきた
卵かけご飯に関する記事で、

なんでも10月30日は、
「卵かけご飯の記念日」だとか。

興味深い記事と言うのは、

今までとは違う
「卵かけご飯の食べ方」

卵ご飯の好きな人なら誰でも
試してみたくなる食べ方で、

現時点ではどんな味になるのやら
見当がつかないが、

一度、やってみる価値はあるかと、
アップすることにした。

以下が、今までとは違う
「卵かけご飯の食べ方」


・材料は、ご飯と醤油と卵。
普通の卵かけご飯と同じ。

・まずは、ご飯に醤油を適量かけ


・よくかき混ぜて、醤油ご飯にする。
ムラにならないようにしっかりかき混ぜること。


・醤油ご飯ができたら、卵を乗せて、


 
・よくかき混ぜてから、頂きます。

初めて頂いた人のコメントには、

「一口食べるとその差は歴然!
 “卵感”をすごく強く感じました」

とか、 

「この食べ方は、醤油が卵の味を邪魔せず、
卵と醤油、両方をおいしく
楽しむことができました」

とか、

「材料は同じなのに、
ここまで味の違いが出るとは驚きです」

とある。

と言うことで、 
我が家の明日の朝食は、
これで決まりとなりますが、

因みに、10月30日の
「卵かけご飯の記念日」は、

島根県雲南市の「日本たまごかけごはん
シンポジウム実行委員会
制定した日本記念日協会が認定した
記念日だそうである


又、卵かけご飯のことを
卵=T、かけK、ご飯=G
「T K G」と呼ぶらしいが、

ならば、「D S T」とは何か?

答えは、曲の後で。


その「卵」で思いついた曲は、

ハリー・ウォーレンが作曲し、
細野晴臣氏が編曲・日本訳して唄った

「チャタヌガ・チューチュー」の中に

♪ 
好きなハムと。卵のディナー 

の歌詞があるから、だけのこと。

福岡早良区、西南学院大の
チャペルで行われた、このコンサートに
二人がいた、
懐かしの

「チャタヌガ・チューチュー」


さて、「D S T」とは、

大根葉=D、醤油=S、茶漬け=T

大根葉を醤油に絡めて
茶漬けにしたもの。

更に、産地をリトルに特定する場合は、
D の前に L がきて

「L D S T」となり、

明日の朝食「T K G」を頂くか、

「L D S T」にするか、

迷っている処。


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「何ら問題なし」

2018年10月29日 | 日記

義兄さんから頂いた四つの盆栽に、
サツキが二つ。

せっかく頂いたサツキ、
どこに置いたものかと思案したが、

「土の上に、
じかに置いても構わない」
と仰るので、

二つを椿の木の下に
構えることにしたが、

椿の木の下には、
コデマリ、ユリ、ナルコ蘭、山吹、
名忘れの野草、ツツジ、リュウノヒゲが
植わっていて、

二つのサツキを構えるには
それらの幾つかを移植する必要がある。


二鉢をただ置くだけなら
何の問題もなく、苦労もしないが、

少しだけ背の高いサツキを
後ろに配し、更に一段高くして、

前後に高低差をつけた方が
眺めるには良かろうと工夫した。

先ず、最初に移植を迫られた
いくつかを掘り起こしたら、土を平に戻し、

ブロックを二枚敷いて、
高くする方のサツキを乗せる台にした。

しかし、ブロックの肌丸出しでは
「風情もあったもんじゃない」と、

その周りを板で囲み、
土で覆うことにした。

もう一つのサツキを、
前後の高低と視角度が重ならないように
土にじかに置いて並べ、



ユリ、名忘れの野草、ナルコ蘭、リュウノヒゲ
サツキを囲むように移植した。

左の幹が椿、
その右にサツキが前後に二つ。

日が暮れなずむ頃に作業を終え、
風呂から上がり、

BSで、いよいよ佳境に入る
「西郷どん」を観終えて、

維新と、道楽の一日を
対比する。

 

理想の国家を想い描き、
実現に向けて課題を実践し、

国家のためには私利私欲を捨て、
苦労の末に大業を成した若者達がいて、
憧れし国は、やがて、朝を迎えた。

方や、

理想の庭を思い描き、
実現に向けて課題を実践し、

自分の満足のためにのみ、考え動き、
苦労の末に作業を成した親父がいて、
憧れし庭は、やがて、夕べを迎えた。

国家のためにお役には立てずとも、 
理想には天と地程の
大きな違いはあっても、

今、我が成すべきことに、
「何ら問題なし」と考える。

「西郷どん、これで良かろうかい?」


画像は、やがて葉が落ちてしまう
もみじとけやきの盆栽。


「 Autumn Leaves」
(邦題:枯葉)

ビージー・アディール・トリオ

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「三つの驚き」

2018年10月25日 | 日記

日曜日の21日、
毎年10月に市役所が主催する
「いきいきフェスタ」に
今年も出掛けることにした。

出掛ける楽しみの一つは、
売り手には不用品ではあっても、

買い手には十分に実用可能な
金銭的価値が有る物を持ち寄って
販売するバザーがあること。

どんな物に出会うか
判らない楽しみもあるが、

そこで思いもがけぬ出会いがあった。


 植木のコーナーを覗いた時、
2年越しで咲かせてくれたのに、
名前を忘れてしまい、

そうそうお目にかかかれない
あの花が、あるではないか!

名前を書き記した紙の
仕舞った場所を忘れ、

自分の管理能力を嘆いていた
丁度、このタイミングでだ。


早速、店主に尋ねたら、
名は「マユハケ オモト」


「マユハケ」とは、
花の姿が女性が使う
「眉刷毛」に似ていること。

「オモト」とは、
「万年青」常緑葉のことで、

「マユハケ オモト」と、
ご丁寧に教えて頂き、

ご親切な方だ、
尋ね人が忘れないようにと、

段ボール紙をちぎって、
名前を書いて渡してくれた。

この花に出会えたことも驚きだが、

家に帰り、早速、この花のことを
調べることにしたら、
更に、驚くことが二つ。

一つが、「花言葉」

たくさんの花が集まって
形が作られている容姿から、
「富裕」という。

花が集まる、金が集まる。

我が家には生涯ご縁のない、
あの「富裕層」の
「富裕」の
花言葉が付いていて、

別のウェブサイトでも
「縁起の良い花」とあり、

あまり、水やりをする必要もなく、
「部屋で育てている方も多い」
とある。


そうと判れば、

昨今はリサイクルショップで、
掘り出し物を見つけるのが好きで、

バザーでも、価値が有る物を
驚きの価格で買い求めることが
すっかり身に付いてしまった
二人は

早速、「富裕」を部屋へと
丁重にお招き入れることにした。


「富裕」の他に
「清純な心」「純粋」の
花言葉を持つこの花の

もう一つの「驚き」とは、

「マユハケ オモトの種の発芽」

これが、その画像集。

「マユハケ オモトの
種の発芽がユニーク」

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「佇まいも秋、 風情も秋」

2018年10月23日 | 日記

 
此処1週間で、
気温が一気に下がり始め、

深まりゆく秋の気配をひしひしと
感じる時節となってきた。

先週の土曜日、九重の山並みが
赤く色づき始めたのを眺めたが、

あれから未だわずか数日でも、
更に色濃くなった山を
想い浮かべる。


月曜日だったか、

「闇に浮かぶ黄金の輝き」
のタイトルで、

故郷小国町下城の樹齢千年の
大イチョウのライトアップが
始まったことを
Webのニュースで知ったが、

残念なことにその日、
大イチョウの横を車で通ったのに、
見事な紅葉に、全く、気付かなかった。

しかし、その日、
義兄さんから頂いた盆栽の鉢で、
故郷リトルの秋を、此処、春日村で、
楽しませて貰っている。


その鉢のあまりにも見事な紅葉に、
故郷リトルに負けじと、
ライトアップをすることにした。

場所は庭ではなく、前の通り。

紅葉とケヤキの高さ90cmの鉢。

下の画像の高さ40cmの鉢は、
2年前に頂いた同種の鉢。



鉢をテーブルにセットして、
真上のランプシェードの明かりで
願わくば、鉢を
「闇に浮かぶ黄金の輝き」


家路を急ぐ道すがらの
どれだけ人の目に"訪れた秋”が留まり、
紅葉を楽しんで貰っているかは
判らないが、

折角の紅葉の秋を、家族だけで
楽しむのは勿体ないし、

もしも、立ち止まってくれる人が
居たとしたら、

永年に亘り、大事に育てられ、
一番の見頃の時に、かっぱらっていかれた
義兄さんも喜んでくれる筈。

日に日に、日が暮れるのが早くなった
間もなく、夕刻六時半。


今朝の雨で、少しばかり
落葉が始まったが、

それでは今から、ライトアップ。



今日は10月23日、

佇まいも秋、 風情も秋。


「つるべ落とし」

作詞・作曲:矢野顕子

唄:小坂忠

 

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「季節は秋、人生も秋」

2018年10月21日 | 日記

今までに幾度も、
近親者の歳を老いた方達の
施設や病院にお見舞いに出かけたが、

昨日は九十歳を越えた、
子供のころからお世話になった
親戚のおばちゃんが、
「明日がないかも」と報らされて、

急ぎ、早朝から家を出て
入院先の阿蘇に行くことにした。


リトルを経由して、11時に病院に着き、
5年振りにおばちゃんに会うことが叶い、

思っていたよりは元気で安心したが、
最初にお顔を拝見した時は

「この方があの人
?」と、
一瞬、疑うほど、

5年の歳月は人の容姿を一変し、
かつての面影は残してはいるものの
想像以上に老け込み、明るさのない
顔を見て驚くばかりか、

早くに愛する人を亡くし
苦労に苦労を重ねて生きてきても、
そんな気配は微塵も見せず、

いつも健気(けなげ)に周囲を和ませ、
私にも優しかったこの方が、

これほど迄に無表情な人に
変貌するものかと、悲しかった、
寂しかった・・

目を合わして
「おばちゃん、俺のこと判る?」

と聞いても、

「知らん」、「わからん」を
繰り返すばかり・・

見舞った方の多くは
数年か数か月後に、天国に召された。

見舞った方の誰もが、
自らの「死」について言及することは
一人としていなかったが、

おばちゃんは明確に
自身に迫る死を意識しており、

淋しそうに「もう直ぐ、死ぬ」
と何度も口にした。

これほど、自身に忍び寄る死を感じ、
それを悔しいと思う気持ちを
目の前で聞かされるのは、
初めてのことだった。


やせ細った手を
何度も何度もをさすり

「元気にならにゃ、いかんよ」

と、励ましたが、目は虚(うつ)ろで、
思いが伝わっているのやら、
伝わっていないのやら?

目は虚ろながらも、おばちゃんは
私達、二人から目を離すことがなく、

懸命に記憶を辿っていたのか、
暫くして

「あんた、みっちゃんな?」

と、見舞いに来た私の正体を
探し当ててくれた。

おばちゃんは95歳の
次々と失われていく記憶の中で
私の名前を蘇らせてくれたのだ。

病院に着くまでは、
会話すらできないと覚悟していたので、

二人の存在を確認してくれたことが
ただただ嬉しく、

おばちゃんに気付かれないように
涙を拭いた。


おばちゃんは「みっちゃん」
と判ってくれた後も

「もう直ぐ、死ぬ」という言葉を
何度も繰り返したが、

ずっと、顔を見続け、
手を摩(さす)り続けたスージィーは

「おばちゃん、
人は誰でもいつか死ぬんだから、
何も心配せんでいいよ」

と、おばちゃんに
生きる力を話し続けたが、

その後の、おばちゃんの一言は

「困ったなぁ、もう直ぐ死ぬ」

だった。


「困ったなぁ」、

この言葉の重み。


おばちゃんの
困ったなぁ、もう直ぐ死ぬ」
の言葉と、

人は誰でもいつか死ぬんだから、
心配せんでいいよ」の、

本人にとっては励みにもならない
言葉のはざまに、

自分自身にも
静かに死が迫っていることを
まざまざと知らされる。

病院を出て、やまなみハイウェイを
瀬の本へと走る途中で、
車を止め、草原に降りて、

青空と草の香りに包まれて
途中で買ってきた弁当で
二人、昼食をとった。

九重の山々を眺めれば、
赤く色づき始めている。

季節は秋、人生も秋。

しかし、二人に冬が訪れるのは
まだまだ、遠い先のこと。

おばちゃんの4階の病室からも
眺められた阿蘇山を、

見舞った後に峠から
稲の収穫を終えた裾野と
阿蘇山を撮ったもの

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二度目の秋」

2018年10月15日 | 日記

2年前に、とあるお方から
楕円形の厚みのある葉の付いた
植物の鉢を頂いた。

小さな鉢には株が二つ、
肩を寄せ合うように植われていて、

見るからに窮屈そうなので、
一株を別の鉢に移植することにしたが、

植物に適した土の種類も配合も分からず、
ナーセリーに鉢を持ち込み
この植物の名前と育て方を尋ね、

新しい主人に引き取られた
二つの株は、二つの鉢へと
袂(たもと)を分かつことになった。


名前が判り、この植物を調べたら、

「秋に、花を咲かせます」
とあった。


株分けをして1年が過ぎ、
秋に花を咲かせることも忘れて

1週間ほど前に
ふと、一つの鉢に目をやると、
小さな花芽を付けている。

「じゃ、もう一つの鉢は?」


我が家に来て2度目の秋
最初の秋に咲かなかった花が、

二つの鉢の両方に、
咲かせてくれた。

春に咲く花もあれば、秋に咲く花もある。

秋に咲く花はどこか、情緒に満ちている。

「暫らくだけど、元気にしてた?
別れた時は淋しかったけど、君のことは
一日も忘れたことはなかったよ」

「私も一緒、今日は会えて
本当に良かったねっ」

嬉しそうに、互いに顔を覗き合う
"二人"

二つの株は、
右の小さな素焼きの鉢の中で
一緒に暮らした仲だった。

株分けの後にも、又、新しい株が横に。

二人は、親子?


あとがき

花の名前を記した紙が
見つかりません・・・・

曲も、思いつきません・・・

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「食とは」

2018年10月08日 | 日記

10年以上も前に、永年努めていた会社の
単身赴任で博チョンになった後輩は、

秋になると毎年、梨を届けてくれる。

博チョンは無類の酒好きで、
仕事を終えると「金がない、金がない」

と嘆きながらも自炊もせずに、

夕食は
決まって、
居酒屋で済ませていたが、


部署は違っても
類の酒好きで、
淋しがり屋の博チョンとは妙に相性が良く、

その内、金曜か土曜日の夜には
家に招いてはしょっちゅう
酒を飲んでは楽しんでいた。


しばらくして、
博チョンは本社の戻ったが、

それから毎年、この季節になると
律儀に梨を届けてくれるようになった。


「(届けなくても)もう、いいよ」
と言うのに、

「博チョン時代は、
お世話になりましたから」

と梨を届けてくれるが、

その実、我が家からお返しに
「明太子」が届くのを家族一同、
楽しみにしていると言う

それで今年は、「明太子」に
無類の酒好きが絶対に喜びそうな
「燻製」を加えて送ることにした。


で、
3連休の台風の初日に
材料の漬け込み、

日曜日の朝から乾燥を開始。

上から、
塩サンマ(ハローディ)、塩サバ(ファディ)、
続いて、シシャモ(コストコ)が2段と3段、
画像にはないが、ホタテ(コストコ)。

上から、LLサイズの卵(コストコ)、
2段目、豚足のボイル(星本商店)、
3段目、豚の耳のボイル
(星本商店の奥さんに届けた、豚足の燻製のお返し)
と、鶏のモモ肉(コストコ)

横からの扇風機の画像にはないが、
下からと合わせて2台の扇風機の風。


午後から燻製を始めることにして、
月曜日の午後のさっき、
全食材の燻製をやっと終えた。

正直、お中元・お歳暮・その他、
やったり、取ったりするのは、
好きじゃない。

しかし、楽しみにしていると知ったり、
喜んでくれるのを待っているのを想うのは、
極めて上等な感情だ。

  

83年間に亘って、
卸売り市場として稼働してきた
築地市場が、豊洲に移転する。

永年、市場で働いてきた方が

「『食』は人を良くすると書く。

うまいものは人を笑顔にする。
こんな素晴らしい仕事はない」

と、築地を去る日に語った。


小生の燻製でさえ、誰かが喜んでくれる。

その役目を小生が担えるのなら、
「甲斐」と言うもの。

画像は、最後に出来上がった
「鶏のモモ肉の燻製」


最後に「博チョン」とは、

博多の街に
単身赴任でやってきた人の、
博多チョンガー(独身)の略。

 

「How Deep Is Your Love」

愛はきらめきの中に

ビージーズ

 

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「紅さす葉」

2018年10月02日 | 日記

 

トネリコの 常緑茂る 木の下で 

秋色に 染まり始めた 塔のツタ

夕風に 揺られてだんまり 明日を待つ

 

日ごと夜ごとに 葉っぱに紅さす
10月2日夕刻の ヘンリーヅタ

 

「Is It Really Love at All」

エリック・アンダーソン

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