我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「人生の指針」

2019年05月30日 | 日記

昨日、姪から宅急便が届いた。

中身は来月、誕生日を迎える小生への
お祝いのお酒である。

毎年、忘れずに好物のお酒を
欠かさず、届けてくれる
彼女の律義(りちぎ)さに対し、

こちらは彼女の
誕生日さえ知らないのだから
呆れたものだが、

「律義には、律義」

お祝いが届いたその夜には必ず、
愛情をふんだんに塗(まぶ)した、
気の利いた冗句(ジョーク)を

律義に、
返させて頂いている。

さて、箱を開ければ、
瓶の首に一枚の紙。

そこには、

〇〇にい(兄)へ

Age is just a number 

" 好きなこと、心のおもむくままに "


頭の「Age is …」の字面で
なんとなく意味は分かるが、
とりあえず、確認することに。

「Age is just a number」
年齢は、ただの数字。

英語か堪能な彼女らしい
メッセージだが、

これを読んだ時に、
ふと気づいた。


故、松下幸之助氏は

「青春とは、心の若さである」
と語ったが、

「年齢は、ただの数字」と、

この言葉はまさしく、同形異音語。

日頃、小生自身がこんな風に
生きていければと思う、

その心の持ちようを
置き換えたものではないかと。

「叔父きの銘酒好きと誕生日さえ
覚えていてくれたら、上等」

と思っていた姪から、
酒を頂いた上に、「人生の指針」まで
学習させて頂いた挙句のお返しが
冗句とは・・

昭和と平成の二つの時代に
宮崎に残した二つの不義理は、
令和に持ち越さず済んだのに、

これじゃ新しい時代、令和最初の
不義理を作って仕舞う・・


今なら未だ間に合う。

姪から頂いた酒と学習のお返しに、
姪のために心を込めて掘った

「新鮮ジャガイモを、届けよう!」


Best dance - age is just a number!

まだ、こんなお歳ではないけれど。

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「夜毎のジャガイモ」

2019年05月27日 | 日記

 

筑後川にほど近い、
宮の陣(久留米市)の田園地帯には、

今、たわわに実った茶色の麦の穂が
住宅を囲むように一面に広がり、

自然が緑に覆われるこの時期に、
この景色は「麦秋」と呼ばれ、麦の収穫が
近いことを知らせている。

年に一度、
この季節に宮の陣に足を運ぶ。

その分けは、
この季節の「麦」と、もう一つの収穫、

山口さんの畑の育てたジャガイモを
掘る楽しむためにある。



山口さんは
二本のジャガイモの畝(うね)を
我が家のために用意してくれていて、

「ジャガイモができたから、取りに来んね」

の待ちわびた電話が、
今年も先週、やってきた。

先ず、伸びたジャガイモの葉を抜き、

畝を張ったビニールをはがし、

土の中を手で探り、芋を掘り上げる。

収穫した「メークイン」と「男爵」



この他に「さやえんどう」、「玉ねぎ」
「ニンニク」を頂き、

収穫した後の楽しみは、

お近くの
おすそ分けで届けた方たち、

遠くに住む
宅急便で届けた孫たちと
共に分かち合う、

山口さんに感謝の
掘りたての新鮮なジャガイモの味。

昨夜、我が家は早速、メークインの
「べー・ジャガ」で一杯。

今夜は男爵、
「ジャガバタ」で最初の一杯、

そして、メークインの
「ジャガイモのガレット」で二杯目。


何処からか聞こえてきそう、

「毎晩、掘りたてのジャガイモで一杯も
さぞ美味かろうが、

それじゃ少し、
飲みすぎじゃありませんか?」

「ジャガ」



「すごいぞ、じゃがいも」


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「屋根の上で」

2019年05月23日 | 日記

 

春日村の、とある一軒の家。

 

屋根の上から東に向かって
眺める景色。

上から眺める、通りに面した
手前がサクランボの木の
スターダストの入り口。




この世界が嫌になって
人に会いたくない時

僕は屋根へと続く階段を上る

屋根の上、
そこは世界で一番平和で、

悩みは空に溶け

下に広がる世界が
僕を悩ませることもない

これは、キャロル・キングが作曲した
「Up on the Roof」の
歌いだしの詩だが、

世界で一番平和な場所であるべき、
我が家の屋根の上で、

頭を悩ませる人たちもいる。

 

二面の屋根と、
ツタの這った壁面を除く
すべての外壁の塗装を行ったのは、
三年前の春のことだった。


壁は少しクリームを配合した
ホワイトに、

屋根はグレーから
やや濃いグリーンに
塗り替え、

イメージを一新した屋根が
翌年から次第に、変化が起こり始めた・・

屋根のあちこち、グリーンが剥げて
グレーの地がむき出しになり、

塗装をしたばかりの屋根が、

「これから先、どうなるのか?」
次第に心配になってきた・・

屋根の異変に気付き、早速、施工会社に
診てもらうように告げ、

塗装の実務担当者に、状況を
確認してもらったにも関わらず、

その後、全く、音沙汰なしで、
何ら対応してもらえず仕舞い。


そして、一年が過ぎ、
更に状況は悪くなってきた・・


普段は至って穏やかな仏のロバも、
遂に、この不誠実な対応に怒り、

社長と実務担当者を呼び出し、
実態調査と、今後の然るべき
対応策の説明を求めた時に、

昨年、実務者が屋根の劣化の報告を
社長に報告したにも関わらず、

社長は施主である我が家へ、
部下から受けた状況報告を
怠っていたことが、その場で判明した。


今日の午前、
実務担当者と塗料メーカーの方が、
屋根に上がり、

劣化状況の調査にやってきた。



塗料選択を含めた施工上のミスを認めた上で、
2面の屋根の塗装を無償で、
やり直すことが決定し、

今回の調査を基に、
高圧洗浄から始まる工程表と、

適正使用塗料を提示し、
梅雨までに施工を終えることになった。


誰だって、ミスはする。

「ピンチは、チャンス!」


営業職時代、小生自身、
誠実に仕事を進めていながらも、
何かが因で、思わしくない結果を招き、

取引先から不信やクレームを
頂くこともあったが、

その時、当方に非があろうが無かろうが、
結果が徒労に終わろうが、

誠心誠意、対応に取り込むことで、
難なく修羅場を潜り抜けるばかりか、

逆に、クレームが縁で、
以前にも増した強い信頼を
頂くに至った経験は、幾度もある。

「災い転じて、福となす」

とは、このことを言う。

屋根の上の写真のついでに、
5月23日の屋根の下の写真を三つ。

風が吹くたびに、若葉の香り漂う
喜多里亭と、緑濃いスターダスト

日々、成長が楽しみな
2種のブドウ。

グリーンを配し、ボリューム感を増した
このテーブル周りで夜な夜な、
一杯やる親父がいるらしい。

後がき

今回の屋根に関わる当方の対応について、
あるお方から適切は対処法を
頂きましたこと、

屋根の上からではございますが、
心より、感謝申し上げます。

 



この世界が嫌になって
人に会いたくない時、
僕は屋根へと続く階段を上る。

屋根の上、
そこは世界で一番平和で、

悩みは空に溶け、
下に広がる世界が
僕を悩ませることもない
 


「Up on the Roof」
ザ・ドリフターズ

 

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「新しいとは」

2019年05月18日 | 日記

先日、敬愛する京マチ子さんが
亡くなった。

日本を代表する
素晴らしい役者さんだった。

京さんを筆頭に、昔の役者さんは
皆さん、強烈な個性の
持ち主ばかりで、

その個性と圧倒的な存在感で
作品の質の高さを左右するほどに、
個々に輝きを放っていた。


ところが、最近の若き
役者さんは男女を問わず、

それぞれに優れた個性の
持ち主なんだろうけれど、

どのお顔を拝しても、
同じようにしか見えないし、

清々(すがすが)しさを感じられないのは
どうしてだろうかと、
正直、首をひねる・・

 

何時の頃からか、新しいことへの
関心が薄らいでいる
自身に、
気付く。 

常に時代は進化を成し、
人々の暮らしを便利で楽しくさせる
産物を世に排出し続けている。

にも拘らず、前述の役者さん同様に、
心惹かれる人や、こと、モノに
巡り合えない、
時代に取り残された自身がいる。

 

断じて、懐古主義でもないし、
新しい人や、こと、モノを
拒否しするつもりもない。

まして、世の中の動向や流行に
関心がない分けでもないが、

思考や趣向が、年齢と共に成長・変化から、
一定の落ち着きを見せたのか、

はたまた、
自身の感性が鈍化しているのか?

新しいものへの反応が鈍くなっていても、
それはそれで困ることはない。

趣味や関心事、例えば映画は、
NHKプレミアムBSシネマ、

昨夜は録画で若き日のドロンが主役の
「太陽は一人ぼっち」。

音楽や落語は、オルディーズも古典も
YouTubeで事足りる。

趣味は流行りよりも、
土日大工に庭いじり。

 

しかし、
「少しは新しいことに関心を持とう、
新しいことは良いことだ」
と考える。
 

諺に、
「女房と畳は、新しい方がよい」
と言うのがある。

「一つ年上の女房は、
金の草鞋(わらじ)を履いてっでも探せ」
と言うものもある。

一つ年上ではないけれど、
金の草鞋を履いて探し当て、
平身低頭の三顧の礼で丁重に迎えた
我が女房は、

甲斐性無しには勿体ないほどの
過ぎた女房で、

いくら古くなってきても、
少々、草臥(くたびれ)てはいても、

涙も血もありゃ、人並み以上に
情に脆(もろ)いが身上の
 いくら甲斐性無しの亭主でも、

新しい女房と取っ替えるために、
一緒になって頂いたご恩もすっかり忘れて
追い出せる筈が、ないではないか。

そこで、新しい女房は諦めて、
二階の六畳間と、下の八畳間の畳表を
張り替えることにした。




今日の日記、談志師匠同様、
演目が落ちるまでの枕が長くなったが

嫁を新しくするどころか、
甲斐性無しに愛想を尽かされて

追い出すはずの亭主が、
追い出されずに済んだ

涙で落とす、
人情噺の一席でした。

 

今、我が家は家中、新しい畳のイ草の
清々しい香りが広がっている。


そこで、はたと気が付いた。

新しさとは、清々しさと
心得たり。


「Rollin」

ランディ・ニューマン

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「私から、あなたへ」

2019年05月12日 | 日記

10連休後、初めての
休日がやってきた。

普段でもじっとしていることが
苦手な輩は、休日が訪れる度に
考える、

「さて、今日は何をして楽しむか?」

考え考えて、開始ししたのは
さくらんぼの木の下にある花壇を、
僅かではあるが
拡張すること。


作業は、広げたい所までのブロックを
外すことから、
始まった。

ブロックの下には、深さ20cm程、
グリ石が敷き詰められていて、

これを掘り出して、土を入れ替えたら、
左手奥にあったアジサイ2本を
中央に移植し、その右に、

ギボシの鉢を仮置きしたら、
一先ず、完成。

簡単な作業に見えて、
結構、時間を要したが、

今回の拡張工事の目的は、
仮置きしたギボシの鉢の後に、

右の棚にあるイエローの花、カラーを
直植えにして咲かせること。

楽しみの作業 を終えて、日記を書きながら
達郎の
「サンディ・ソングブック」を
久しぶりに聴くことにした。

番組の途中で突然、
キーを叩く手が止まった・・・

それは今日の特集、 
「最近亡くなったミュージシャンを
偲んで、棚から一掴み」
中で、

22日に、スコット・ウォーカーが
亡くなっていたことを
知らされた時のことだった。


今日は楽しいことだけを書いて
終える筈の日記の最後に、

わが愛するミュージシャンの死を
連ねることになろうとは
思いもしなかったが、

これが、人生。

今日の曲は、
番組でも
彼を偲んで選ばれた曲、

「ジョアンナ」

我が日記でアップした曲の中では
最多
ではないだらうかと思うほど、
彼の曲の中でも一番好きな曲だった。

今度は、私からあなたへ。

これからも愛し続けるミュージシャン、
スコット・ウォーカーを偲んで。

享年、76歳。


「ジョアンナ」 


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「大切な日(その3)」

2019年05月06日 | 日記

「素晴らしい、10日間だった」

平成から令和にかけて、
続いた休日の日々をそう振り返る。



一日たりとも無駄にすることなく
過ごした10日間は、充実の毎日だった。

そこで積み上げた思い出の
一つ一つは、

何時までも色褪せることなく
明日へと残す、人と人との
繋がりの有難さを感じる日々の
連続だった。

 

・連休最初は、我が家では食べきれない
豊作のさくらんぼを、

子供さんのいる家族を招いて
「さくらんぼ狩り」を
楽しんで頂いたが、

子供たちは勿論のこと、
皆さん大喜びで楽しんでくれた。




お留守の家庭には、
後でパックに詰めたさくらんぼを
スージィーは届け、

今年、初めての豊作のさくらんぼの実が
すべて、役目を終えた。


・40年振りと20年振りの、
二つの再会が宮崎にあった。

今回の宮崎訪問は、永きに亘る
ご無沙汰続きに、不義理を重ねた
お詫び行脚(あんぎゃ)だったが、

温かいお持て成しを頂いた上に、
新たなお付き合いが始まる
喜びを頂戴でき、

お詫び行脚を実行したことが
正しかったことを、真に嬉しく思った



・宮崎の帰りに故郷に足を進め、
宮崎のお土産と交換に頂いたのは、

自作の新鮮野菜と、
故郷ならではの懐かしい田舎料理。

変わらぬ厚情に、
心もお腹も満たされた二人は
次の訪問先へと向った。


・柴三郎博士の記念館前に着いて、
驚いた。

旗の向きは、小生ではなく、
風の流れの悪戯。



驚きは、博士の1000札報道以後、
連日の来館者数は300人越え
とのことで、



臨時駐車場整理の人が立つほどの
盛況ぶりに、素直に嬉しさを覚えた。


・3日、お世話になっている中村さんと、
2人の娘さんの3家族と一緒に、
我が家でBBQを楽しむことにしたが、

我が家は場所を提供するだけで、
食材から木炭に至るまで、

「すべて、こちらで準備するから、
一切、備品以外は用意しないこと」
のお達し付きのBBQだったが、

その日の朝に作った
「ご予約席のプレート」に喜んで頂き、



購入して2年目の
タープテントが初めて活躍し、



お達しには逆らえない、
何にも買わない、ただ焼いて食べるだけを
ゲストと楽しむ、初めてのBBQだった。

前列のお二人は、
美しさでは女優にも劣らない
2人の娘さんは、既に、子持ち。




・それぞれの家族が帰省先から
思い出を抱えて、春日村に帰って来た。

相変わらず、
前で庭いじりに花育てをしていると、

「美味しかったです、
ありがとうございました」
と、声をかけて頂いた。

感謝の言葉だけはでなく、
実家の広島から帰った来たお宅の
さくらんぼのお返しは、

上物の「もみじ饅頭」。

「海老で鯛」が転じて、
「さくらんぼで、饅頭を釣る」
つもりは微塵もなかったが、

何時まで経っても
頂き物の続く我が家は
令和になっても、当分、続きそうと、

恥ずかしいやら、嬉しいやらの
素晴らしい10日間。


今日の最後は、米焼酎「柴三郎」

博士人気で、売れ切れ状態だとか。

小国町、河津酒造も大喜びの
この一本も、あるお方からの頂き物で、

特別な日のために封を切らず、
大切にしております。




禎子ちゃんから頂いたマンゴーを
有難く頂きながらではございますが、


皆さんへ、

沢山の頂き物、これからも
大切に、大切に
致します。

心から、感謝、申し上げます。


今日の曲は、一緒に宮崎旅行に同行した
アルバム「Kooper Session」の中から、

アル・クーパー(キーボード)と

録音当時、まだ15歳だったギタリストの
シュツギー・オーティスとのセッションで

「Shuggies Shuffle」

帰宅する迄の車中では、始終、
こんな軽快な気分だった。

 

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「大切な日(その2)」

2019年05月04日 | 日記

4月30日、雨の
日南市「鵜戸神宮」。


人それぞれに大切なものがある、
そのことに気付く大切さもある。

そんな大切な時間を過ごさせて頂いたのは、
小林市でのことだった。

 

小生はこの歳になっても、
いろんな方から「みっちゃん」と
呼ばれている。

相手の人からそう呼んで頂けるのは、
「みっちゃん」とは、愛称で

「相手が自分に対して、
親しみを抱いてくれているから」

と、勝手に解釈しながらも感謝している。

鵜戸神宮に参拝して、次に訪れたのは、
前日の4月29日に訪問した
北里家主人の仕事を手伝っていた頃の、
お客さんのお店が小林市にある。

前日に続き、何十年も
ご無沙汰続きで、不義理を重ねた詫びに、
このお宅に訪問した。

 

そのお宅の、一つ年上のご夫婦は
小生の何処が気に入って頂いたのか、

「みっちゃん、今日も泊っていったら」

と、毎度、独り者の小生に、
好物の地鶏のたたきと酒を
用意して頂き、

酒をたらふく頂き、
幸せな心持で眠りに就くのは、
しょっちゅうのことだった。

 

宮崎を去り、福岡で
インテリアの会社に入っても、
出張の際には必ず、このお宅に立ち寄り、

「地鶏のたたきと、酒と、お泊り」の
3点セットのおもてなしは
暫く続いたが、

起業を契機に足を運ぶことは
ついぞなくなり、

以来、ご無沙汰続きで、
不義理を重ねることになって仕舞っていた。

いつも御恩を忘れはしなかった、
心にはお二人の笑顔が焼き付いていた。 

そして、20数年の時を経て、恐る恐る
「連休に小林に寄りたい」と告げると、

「みっちゃん、今日も泊っていったら」

の二つ返事に、今でも小生に対して、
親しみを抱いてくれれていると、
胸をなで下ろし、

「みっちゃん一人なら家でも良いけど、
奥さんも同伴なら」

と、ホテルを準備して頂いた。

その夜は、
「こんな美味い肉が、あったのか!」

と、驚くほどの「宮崎牛」を、
たらふくご馳走になったが、

その席で奥さんが

「みっちゃんの好きな
地鶏のたたきがないか、聞いてみて」

と、旦那さんに尋ねた時に、

小生の好物を、
今でも覚えて頂いていることに
胸が熱くなった。

翌朝は リトル経由で春日村に帰るので、
早朝、一人ホテルを出て、お店の前に
停めていた車のワイパーに

「お世話になりました」

と、書置きを残して小林を後にした。

その日の朝は、
「令和」の始まる最初の朝


春日村に着いたその夜に、
奥さんから電話を頂いた。

「確かに、書置きを頂きました。
相変わらず、みっちゃんらしいね」と。

人それぞれに大切なものがある、
そのことに気付く大切さもある。


平成の最後で、令和の始まりの
何時までも心に残す、素晴らしい
2泊3日の宮崎の旅だった。


フランツ・リスト作「愛の夢」

ピアノ:フジ子・ヘミング

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「大切な日(その1)」

2019年05月02日 | 日記

人それぞれに大切なものがある、
そのことに気付く大切さもある。

そんな大切な時間を
過ごさせて頂いたのは、
宮崎でのことだった。

 

二人を乗せた車が
宮崎へと向かったのは、
4月29日の早朝。

当初、宮崎に向かうのは、この日、
故郷で行われる「北里家ご先祖祭り」に
参加した後の午後から、
高千穂越えで向かう予定だった。

大事な日にも拘らず、
直接、宮崎へ足を向けたのは、

10連休の交通渋滞の予想に
雨が重なり、到着が遅れて

目的地で計画していたことが
未然になるのを恐れ、

ご先祖祭りの主催者である勝ちゃんに
事情を告げてのことだった。


青春期を過ごした宮崎には、
数多(あまた)の思い出と、
その思い出を共に創って頂いた
方たちが沢山いる。

にも拘らず、
何十年もご無沙汰続きで
不義理を重ねたお詫びに

宮崎市と小林市の二家族へ、
お世話になった感謝を
届けるための宮崎行脚だった。

 

宮崎市花山手の閑静な住宅街に
北里家がある。



毎年欠かさずに交わしていた年賀状が、
今年来なかったのは、

親父のいとこである主人が
昨年の4月に、
亡くなっていたからだった。

偶然にも、いとこ同士二人して、
お釈迦様の誕生日、4月8日に
天に召された。


訃報を届けてくれたのは一人娘で、
はとこになる禎子ちゃんで、
再会はなんと、約40年振り。

禎子ちゃんは小学校迄
リトルにいたが、父の転職に伴い、
宮崎に住むことになった。

嫁いで別性となったが、
今でも旧姓「北里」に親しみがあるが、

「父から『昔、家は庄屋だった』以外、
家については話をしてくれなかった」

と悔やんでいたので、知る限りを
話してあげることになったが、

今回の訪問は彼女の温故知新の
良い機会になった様に思う。


現在、彼女も61歳。

40年の時の流れは、
容姿を少し変えたが、性格は昔のまま。

今度は旦那さんと一緒に
我が家へ来てくれる約束を交わして、
翌日、宮崎を離れることになったが、

今回の訪問を契機に
40年の時を経て、宮崎と春日村の
新たな親戚同士の付き合いが再び、
始まる喜びを分かち合えたのだった。

人それぞれに大切なものがある、
そのことに気付く大切さもある。


よく食べて、よく飲んで、
遅くまで語り合い、大いに笑った。

宮崎にやって来て、本当に良かった。



二人が幸せの余韻を残して
宮崎を後にしたのは、平成最後の日。

一ッ葉有料道路。

日向灘に向かって「ありがとう!」

「大切」

FUNKY MONKY BABYS

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