我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「無罪のみっちゃん」

2017年06月29日 | 日記

「判決理由」

日頃、父親思いの娘の行動には
一切の悪意の欠片(かけら)も見受けられず、
動機は純粋なる父親への親切心であり、

トイレの水とも知らずに
飲用した父親の体調には、
その後、腹痛、下痢等の症状もなく、

かねてより夫婦仲の悪い夫を
「ゴミ!」「汚い!」「ゴキブリ!」
と罵(ののし)る妻の犯行かと
事件当初は、目を向けられたが

妻にはアリバイが成立。

その妻の供述によれば、
娘が採取したトイレは直前に、
父親が用足しをしたことが判明。

仮に、排水が完全ではなかったとしても
娘が採取し、父親が飲用した水は、
数分前には父親の体内にあったもの。

トイレの水の中に不純物が混入し、
体調に何らかの発症があるとすれば、
父親自身が「不純」と言えるが、

何の症状も無ければ、夫は妻が罵るほど
汚くないことを実証。


依って、罪状については
父親思いの娘、みっちゃんには
「無罪」を申し渡すものとする。

父親の喉の渇きを察し、
妻の代わりに水分補給に努める
みっちゃんの行動は、むしろ、
「美談」と呼べるものではあるが、

良い子はけして、真似をいないことを
節に願い、

これにて、閉廷!

 

面白いGIF画像を見つけ、
今日は身体を労わる日で
散歩を休み、時間を持て余し
つい、「無罪のみっちゃん」を創作。

女の子が、みっちゃん。

 

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「My favorite songs」

2017年06月28日 | 日記

何時の頃からか、音楽を
好んで聴くようになった。

日に必ず、寝食と同様に
音楽を聴く時間を割(さ)き、

生まれてこの方、
夥(おびただ)しい数の曲を
聴いてきた。

多くは一度っきりの曲か、
何度か聴いたが、
すぐに忘れてしまった曲。

今夜の日記の主題は
今でも聴き続ける
お気に入りの曲、

「My favorite songs」


そんな曲の中には

「二度とこの曲を
聴けなくなるのは、辛い」

と思わせる曲が幾つもある。


一昨年、永年コレクトした
大量のCD,DVDを処分した。

残した音源を
セピア色のアルバムを広げ、
過ぎ去った時の写真を偲ぶように

毎夜、就寝前に聴くのを
ジジィは愉しみにしているが、

昨夜聴いた曲も

「二度と聴けないと、
死ぬほど悲痛な思いに落ちる曲」

の代表の一つ。

 

リリース(発売)されたのは、1966年。

2枚組のアルバム(LP)の
最後の2枚目の裏一面が
この曲のみを収録。

11分23秒に及ぶこの長い曲は、
旋律に心を委(ゆだ)ね、
物思いにふけて聴くには
程よく適度な長さで、

20代の頃は、酒を飲みながら
しんみりと聴いたものだったが、

いつの間にか酔っぱらいは眠りこけ、
目覚めればレコードは一晩中、

ターン・テーブルの上で
回り続けていた。


今日、音楽共有サイト
「Sound Cloud」の音楽プレーヤーが、 
我が日記に貼れるのが判ると、

Youtubeでもアプロードの無かった
昨夜聴いたこの曲を見つけ、
早速、アップすることにした。


曲はボブ・ディランの
名盤「ブロンド・オブ・ブロンド」
の収録曲、
 

「 Sad-Eyed Lady of the Lowlands 」

ローランドの悲しい目の乙女


思えばあの時、この曲を聴きながら、
何ゆえ、落涙するほどに
しんみりとしていたのか?

「もう、二度と会えないと、
死ぬほど悲痛な思いに落ちる人」

でも、居たのだろうか?


今夜はもう一度、あの時に戻って
しんみりと・・


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「My home in the rain」

2017年06月24日 | 日記

お昼前から降り出した、
待ちに待った雨。

雨に降られれば
外では何も出来なくても、

さりとて
雨は嫌いでも無いし、
取り立てて
家の中でもすることも無し。

それであることを思いついた、
雨に濡れた我が家を撮る。


雨で気を付けるのは、
レンズを濡らさぬこと。

撮り手がびしょ濡れは、
天から覚悟。


傘も差さずに庭に出てみれば、
案の定、びしょ濡れ。


編集した画像のタイトルは、

「親父も我が家も、びしょ濡れ」
ではなく、

「2017/06/24」

サブタイトルは
「My home in the rain」

 

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「歩けよ、ジジィ」

2017年06月23日 | 日記

昨日、いつものように
夕刻の春日公園に出かけた。

身体の労(いた)わりを優先に、
走るのを止めて
歩くことにしたが、

昨日はいつもとは違い
夕刻とは言えど、

梅雨が抜けたかのような
初夏を思わせる明るく柔らかい
陽射しに照らされた公園を埋め尽くす
緑に惹きつけられては、

心は誘われるかのように、
いつものジョギングコースを外れ、

樹々の下に潜り、芝の上を歩き、
鳥のさえずりに耳を傾け、
木洩れ日と緑の香りを
一身に浴びては、

行先知らずの、思いのままの
コースを2週ほど歩き、思いがけずに
自然の清しさを味わった。


人の気配もまるで感じず、広い公園を
たった一人で独占したような錯覚。

何とも形容しがたい、
この爽快感!


心臓は高鳴り
息弾み走り終えた後も
「生きている」
と実感するが、

ただ緑の中に身を忍ばせ、
目、耳、鼻、感覚器のすべてを
周りの佇まいに集中するだけで、

また、「生きている」
と実感する。

走るのを避けて歩くことを
選択した故の、思いがけずに頂戴した
心の機微。

思いがけずでも、この機微は
足を一歩踏み出さなければ
知りえない得難いもの。

今日、天気予報は「曇り」

雨さえ降らなければ、今日も歩こう。

「生きている」を感じさせる
何かが待っている。


 「A tease of money」
蜜の味

言わずもがなの、ベンチャーズ

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「泣くなよ、ジジィ」

2017年06月21日 | 日記

金曜日は公園までの
往復2Kmを歩いたら5Kmを走しり、

土曜日は同じコースの5Kmを
無理をせず歩くことにして、

日曜日は大工仕事の後で
同じコースの5Kmを
3,2Kmだけ走った次の月曜日、

不覚にも起きるのが億劫なほどの
気怠さで朝を迎えた。

蒸し暑い夜も
一夜明ければ気温も低下。

戸を開けて寝たせいか、
寝冷えでもしたかと思っていたら、
気怠さは水曜日の朝まで続き、

気掛かりで今朝、病院を訪ねたが
身体は何処にも
異常は見つからない。

異常もなければ、薬もない。


午後になり、身体は徐々に
普段の感覚の回復の兆しにあるが、
心中、穏やかでいられない。

常々、疲れ易いことは承知し、
無理をしないことの心掛けにも
関わらず、

三日間も疲れを引っ張るとは・・


天は何故にこうも、貧しき者の
余生の愉しみを奪うのか!

疲労感の抜けいく身体に今度は、
泣きたくなるほどの、虚脱感。


「三歩進んで、二歩下がる」
どころか、
「三歩進んで、四歩下がる」

多分、これからはこの繰り返しでも、
人生、踏み出すことに価値がある。


今日も無理せず
家で大人しくするが、


泣くなよジジィ、明日がある。

明日も無理せず、
Walk, 
Don't Run」

今夜もご存知、
ベンチャーズ

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「逃げろよ、ジジィ」

2017年06月16日 | 日記

今日は春日公園を
3周と200mの5kmを
昨年の11月以来、走り切った。

何もしなければ、
背中から追ってくる老いに
掴まってしまう。

せめて走ることだけは
昨年の心臓と脚力を
取り戻せればと願っていたが、

それが刹那(せつな)でも叶い、
今、心は穏やかながらも
嬉々としている。

今日は甲斐あって逃げ延びられたが、
いつか必ず、掴まる日がやってくる・・

逃げ切れないとわかっていても、
逃げて逃げて、逃げまくる。


今夜はもうすぐ
ホークス対カープ戦。

TVでも観ながら
失ったカロリーを取り戻すほど、
飲みたい心境である。

飲みすぎて死んでも構わない、
今日は追いかける老いから
逃げ切ったのだから。

ベンチャーズ
「逃亡者」

 

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「ジジィとババァの戦い」

2017年06月14日 | 日記

20年前に、此処、春日村に住み着いた。

我が家の前を通る人には会釈もし、
花を褒めてくれる方にはお礼も言い、
犬を連れて散歩の方には
愛犬家の好(よしみ)で話しも弾んでは、

よそ者扱いにもされずに
古くから住んでおられる
近隣の方達と共に暮らしてきたが、

正直、その方達が何処の誰やら
判らず仕舞いでいた。


4月から、世帯数36の
組長に初めてなった。

以来、同じ組にも拘らず、
ご縁のなかった方達と
頻繁に接する機会も増えれば、
徐々に親しみも増してきた。

月に二度の回覧板は、公民館から届く
閲覧や配布資料の他にも、

「お願い」や「お知らせ」等の
文書を作成する必要に
迫られるだけでなく、

直接、お宅を訪ね
お話しの機会も増えてきた。


昨日、組内に引っ越してきた方の
転入届、組費などの手続きに
会計担当の奥さんと
お会いした時の言葉は、

「喜多里さんは見かけに寄らず
真面目で、その上、面白い人ですねぇ」

真面目は誤解だが
皆さんを前に話をする時に一言、
ジョークを交えるのは、
雰囲気を和ませるリップサービス。

生まれつきの
強面(こわおもて)顔で
不愛想に喋れば、まさしく”組長”

誰も寄り付かない。

だが、本気で強面に
豹変したい時もある。


組の集まりの場で必ず、
辺り構わず世間話を楽しむ
ババァ連中がいる。

その声にかき消され
大事な話が聞き取れず、議事進行を
妨(さまた)げられるが、

知る限り歴代の組長、
昔からの顔見知りを遠慮してか、
言いたいのを我慢して、
誰も注意をしない。

依って、周りの迷惑を顧みない
傍若無人の振る舞いは、
更にエスカレートを辿るのみ。


来年3月の組長交代の折、
相変わらず荷駄口ババァがいたら、
最初に喚起を促し、それでも喋り続けたら
静かに退席をお願いする。

生来の強面も、それまでは大人しく

「見かけに寄らず真面目で
面白い人」を演じるつもり。

慣れ親しんだ組のために
四面楚歌はおろか、村八分を覚悟の
組長ジジィとババァの戦いが
始まるその日まで、
あと9か月。

愉しき哉、組長である。

(だから、あんたは嫌われる) 

曲は、南北戦争の激戦を描いた

映画「ダンス・ウイズ・ウルブス」テーマ

作曲:ジョン・バリー

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「六十六度目の誕生日」

2017年06月09日 | 日記

・「身体を、労わる」

課題の春日公園三周の三分の二を
何度も達成したにも拘らず、
一昨日も昨日も一周しかを走れない・・

浴槽の走り終えた足を
摩(さす)りながら、

一進一退、一喜一憂を繰り返す
遣(や)る瀬無さに
身を縛られ、
気付けば昨夜は随分と永い風呂。

奇しくも昨日は、禄寿(六十六歳)
祝う
誕生日。

今日の現実を受け止めながら、

健康なことや走れることが、
当たり前でない時がやってくる、
老いる体を案じる誕生日は、

今までの人生、今日が初めて。

齢(よわい)は既に、六十六。

明日からは、無理せず、焦らず、
労(いた)わることを忘れずにと
また、足を摩る。

 

・「健康は、身体と心が両輪」


身体の老いは自覚しても
ハートに老いの自覚がないのは、
誠に有難い。

齢とともに、
嗜好の変遷は当たり前。
よって
関心事は一つ処にとどまらず。

生来の浮気性か幸いし、
次から次へと遣(や)りたいことが
湧いてくる。

経済力や体力、
遣りたいことに制限はある。

随分とその枠も狭まれたが、
それでも身の回りには

遣りたいこと、
遣らなければならないこと、
それに、
挑戦すべきことが
山ほど待ち構えている。


人様への迷惑回避して、
何でもやろう、できるだけ。

と思う。

 

・「終生、頑固を貫く」

先日、映画監督、故小津安二郎氏の
言葉を見つけ同感した。

「どうでもよいことは流行に従い、
重大なことは道徳に従い、
芸術のことは自分に従う」

己の生き方は
「芸術」のレベルではないにしろ、
遣りたいことは「自分に従う」を
旨とする。

ただし、昨今の流行だけは、
とんと疎(うと)いが我が気風。

しかし、侮(あなど)るなかれ、
御年六十六のジジーでも
流行語ぐらいは知っている。

一番新しいので、

「ナウい」、「イカす」

 

「身体を労わる」

「健康は身体と心が両輪」

「終生、頑固を貫く」

これは、来たるべき、
六十七度目の誕生日に向けた
我への説法。

ところで今日は、
二周を難なく走りきることができ、
早速、説法の効果が現れた。

これが弾みで、
明日に繋がる予感。


追伸

皆様から頂戴いたしました
心温まるバースディ・プレゼント、
心に染みるお祝いの言葉に
心から御礼申し上げます。

重ねて、
お名前を表記できないことを
心からお詫び申し上げます。

感謝です。

「いかすぜ、この恋」

作・唄:大滝詠一

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「六十六度目の梅雨」

2017年06月06日 | 日記

今朝、庭に出てみると
少し肌寒く、

少し、しっとりとして、
いつもの朝と漂う空気が違う。

今朝のNHKニュースは
「今日午前、九州北部が梅雨入り」。

ニュースに聞くに及ばず、
今朝の空気に包まれるだけで
梅雨が来たことは、肌が憶えている。


五月の暑さで、二日に一度は
表や庭の水やりを
欠かさなかったし、

水道のメーターも随分と
回転させたが、これからは
梅雨がその役を担ってくれる。

暫くの間、梅雨は
庭仕事に支障をきたすだろうけど
愛する子供たちにとっては
恵みの雨。

花や木々にも優しく、
人にも経済的にも優しい梅雨が
今年も我が家にやってくる。


唯今、六日午後七時前。

予報の通りに愈々、雨。

我が家にやってきて
五年目の
紫陽花が
落ちてきた雨に濡れ始めた。

梅雨です。

雨がすぐに梅雨と判るのは、
肌がちゃんと、憶えているのです。

 

私にとって六十六度目の
梅雨を歌う一句
 

 

六月生まれの子の耳に

初めて聞こえた雨音は 
 

紫陽花濡らす梅雨時雨(しぐれ) 

 

今朝の紫陽花(庭の中央)。

 

ショパン 前奏曲「雨だれ」

ピアノ:フジ子・ヘミングウェイ

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「自分の足で、三万歩」

2017年06月02日 | 日記

春日公園の
ジョギングコース3周を
目標に掲げ走り続けて
次は2周と意気込んだ矢先、

不覚にも右膝を痛め
暫く歩くことさえ
ままならぬ日が続いた。

幸いにも痛みは次第に薄れ
骨に異常がないと判ると不安も払拭。

歩くことから再始動し、
少しずつ走れるようになった
昨日の6月1日には、
久方振りの2周を達成した。

これから先も絶え間なく
走る脚には不安が潜み、
背中には老いが追ってくる。

痛みも不具合もなく
身体が動かせることほど、
喜ばしいことはないが、

いつまで歩き走れるのか?

走ることは健康あっての、
命あっての物種(ものだね)。


さて、その命あっての物種の、
間もなく66歳の誕生日を
迎えるのを機に、

一体、今まで
何日間、生きてきたのかを、
調べることにした。


1951年6月8日の生まれた次の日から、
来週の2017年の誕生日まで
24,106日、生きっ恥(ぱじ)を
さらしたことになる。

仮に80歳になる、2031年の
誕生日まで生き永らえたとして、
29,220日。

29,220日まで生きたなら、
ついでに、切りの良いところで
「30,000日は、生きてみよう!」
と欲を出し、

切りの良いその日は
2033年7月27日。


「そうか、その日(命日)は夏かぁ」

夏の暑い日に葬儀にやってくる
汗だくの弔問客のことが、
てめえが死ぬことよりも気にかかる。

亡き人のせめての心配りは、

「申し訳なくて、夏には死ねないな。
よし、死ぬのは
涼しくなる秋まで延ばそう!」

その日まで後、
16年1(ひと)月と19日。

ふた月み月延ばしたところで
その日は必ず、やって来る。

一日一歩、三日で三歩。
一生歩いて、三万歩。

叶うなら、自分の足で、
さ(歩)るいてみたい
三万歩。


書いてるうちに思い出した曲、

「誰もいない海」

大好きな白鳥英美子さんの
トワ・エ・モア

 

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