我が家の青空(My Blue Heaven)

スージィーとロバート、キャッシュとバンクの
2人と2匹の我が家のディリー・ライフ。

「続:あれから、50年」

2016年06月30日 | 日記

1966年6月30日の夜、
武道館のステージに登場した
ビートルズの日本公演がスタートした。

日本での5回の公演で
ビートルズが歌った11曲の中で、
1つ選んで聴くことにしたが、
ちょうど半分の6曲目にあたる曲、

「I Feel Fine」

を聴くことにした。

あれから、50年。

武道館には行けなかったけれど、
四人でしか作れない
この上なく心地好い音楽が

いまだに
心に突き刺さったまま。 

The Beatles
「 I Feel Fine 」


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「あれから、50年」

2016年06月29日 | 日記

1966年(昭和41年)
6月29日は、

英国のロック・グループ、
ザ・ビートルズが来日した日。

あれから、
50年。

 

 

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「続:蒙古斑の隣」

2016年06月27日 | 日記

取り掛かった作業に
一生懸命になると、
子供のように後先が
見えなくなるのが小生です。

今回の、
脚高45cm+背もたれ高50cm、
計95cmの椅子からそのまま
後に放り投げられた事故に、

小生の習性が象徴されています。

額縁を取り替えるのに夢中で、
登った椅子に背もたれがあるのを
すっかり忘れる始末。


今度ばかりは
随分と痛い思いをしたが、
今日の診察(X線)で
骨に異常が無いことが分かり

身体の痛みも、心の不安も、
すっかり和らぎましたが、

「良くぞ、この程度で済んだもんだ」

が、小生の本心。

倒れる位置がガラス窓だったり、、
倒れた込んだ頭部の位置に
硬いものがあれば、

事情は大きく
異なっていました。


大人が夢中になれば、
心は童心に戻ります。

あそこにしようか、
それともここか?


好きな絵の
額縁一つ取り替えるのでさえ、

ワクワクしながら
作業に夢中になるのは、
実に愉しいものです。


小生は無類の
「愉しいもの好き人間」
です。

その一つに、
小生は我が家に三つ、
風車を取り付けました。

画像は先日、
風の通る高位置に取り付けた
三つ目の風車。



風が吹けば風に向かって、
風車は勢いよく回り始めます。

ドキドキしながら風を待ち、
ワクワクしながら回り始めた
風車をを眺める小生は、

今年、65歳の高齢者です。

見た目は誤魔化せませんが、
夢中で作った風車が回れば、
たちまち、爺(じじぃ)は童心です。


子供の象徴に、
「蒙古斑」があります。

おおかたの大人の蒙古斑は、
いつの間にか消えてしまいますが、

いまだに、私は
立派な蒙古斑の持ち主です。

人生、何が幸せを招くか
判りません、

椅子から大きく放り投げられた時の
強く打った尾骶骨に、
青く大きな蒙古斑ができたのです。


更に申します、
蒙古斑は子供のシンボルです。

痛い思いをしたお蔭で小生、
この先、まだまだ、
子供でいられるのです。

痛みは癒(い)えても
蒙古斑は残るのです、

それが嬉しくて
堪(たま)らないのです。


「自転車にのって 」

西岡恭蔵

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「蒙古斑の隣」

2016年06月26日 | 日記

今日は、梅雨明けの
初夏を思わせる
爽やかな日曜日である。

休日の好天気のこの機を
逃すことなく、スージィーは朝から、
花や野菜の手入れに
余念がない。

しかし、方や小生は
休日の好天気のこの機に、
何故か、室内で音楽鑑賞。


本当なら、先週塗装した
木製ロングプランターに
何か植える予定だった筈。

それが・・・



昨日、二階部屋の壁の
額を掛け替える作業を行った。

床からでは直接
手の届かない高位置に額はあり、

そのために、その部屋にある
椅子に登っての作業になるが、

それが、まさか
こんなことになるとは・・


額を取り替え、
作業を終えたら、
椅子から降りるのは当たり前。

身体は壁向きのまま、
いつもの様に
後ろに降りようとした。


椅子に背もたれがあるのを
すっかり、忘れていた・・・


背もたれに足がとられて
背中から床に落ちてしまった。

ドスン。

暫く、動けなかったし、
息も苦しかった。

不意の突然の出来事に
気は動転した。

台にしていた椅子は
この部屋にだけ置いていて、

いつも使う椅子は
別の部屋にあり、背もたれがない。

小生は降りる時に、その椅子と
勘違をして仕舞った。


大きな音に驚いて
スージィーが上がってきた。


一夜明け、
尾骶骨を中心に背中が痛い。

明日、病院に行くことにして、
とりあえず、
「経皮鎮痛消炎、外用薬テープ」を
スージィーに張ってもらったら、

蒙古斑の隣に
新しくできた青いアザがあるらしい。


今日は折角の好天気なのに・・

慣習化したウォーキングの効果が
現れ始めているのに・・


痛みで当分、身体は動かせない。


今、音楽でも聴いて 
様子を見ているところ。 



ドゥービー・ブラザース 
 

「 Listen To The Music 」


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「リトルの川が 紡ぐ情け」

2016年06月26日 | 日記

今日の最初の日記は
23日に 投稿した我が日記、

「花びらが紡ぐ情け」に昨日頂いた
山女魚小僧からのコメントの
あまりの秀逸さに感服し、

このままコメントの中に埋めておくのは
忍びないと、

筆者の許諾を
得らぬ無礼も顧みず、


「リトルの川が紡ぐ情け」

と勝手にタイトルをつけ
今日の日記としたものです。

Kさんとは、面識有りませんが、
「Hちゃん」とは、姫ちゃんのことです。

隠す必要もなかろうと
オープンにした次第

「諸兄姉よ、寛大なる心にて
お受けいただければ」

と、願うところです。

 
以下が、小僧のコメント。
(原文ママ) 

 

ほんに人との出会いは粋でんな!


 君に酔談の席で逢引き(?)を願ったリトルの
Kさん、エノハ釣りの先達

 お聞きしたいことがあり、同級生のHちゃんに
紹介を依頼したのが桜の時節
   その后「熊本地震」
小さな胸をそれなりに痛め「釣り自粛」

     二ヶ月過ぎ

 君からの助言を都合良く解釈し
鶴首を納め、午後からではあるが
  いざ、リトルへ

 釣り終盤、谷の対岸に人の気配・・・

 納竿し大好きな温泉に
湯船には私より若干年長の御仁
「エノハ釣り?毛鉤じゃな!」と
それから、小一時間釣り談義

 湯にのぼせて仕舞う頃
ご想像のとうり「Kさん」と判明

 本当に嬉しい出会いでした

 

高田渡

 「フィッシング・オン・サンディ」




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「花びらが紡ぐ情け」

2016年06月23日 | 日記

今夜の日記は、昨日の夕刻の
大雨の中であった 
心温まるお話し 。


昨夕、私は大雨の中を一人、
車で買い物に出掛けたが、

とある家の前を通りかかった時、
大雨の中を玄関で
奥さんが立っているのを見つけた。

私は「これ幸い」と停車し
車窓越しにその奥さんに、

「先日はありがとうございました
奥さんから頂きました花を
挿し木しましたら、ちゃんと
ついているようです

来年、花が咲くのが楽しみです

嫁に代わりまして
お礼申し上げます」。

突然の言葉にも拘らず
奥さんは笑顔で

「良かったですね」

と返してくれた。

車を止めて思いを伝え
車を走らせるまで時間は、

僅か30秒ほど。


買い物を済ませ、
15分後に家に着くと、

大雨の中をその奥さんが
今度は我が家の玄関の前で
傘をさして、立っていて、

手には、
ビニール袋を下げている。

「お宅の奥さんも
きゅうりを作っているかも
知れませんが、
家で採れたキュウリです。
宜しかったら」

そう言って、ビニール袋を
私に差し出した。

直ぐに私はスージィーを呼び、
久し振りに顔を合した二人は、
勝手口から庭に繋がる
狭い通りに作った菜園で

スイカやカボチャ等の
手作り野菜の談議を始めだした。

屋根はあるとは言え、
通りには傘を広げるスペースもなく、
左右から伸びた野菜のツルのしずくを
避(よ)けられないほど。

二人は雨に観念し、
早々に談議も終え、
奥さんは降りしきる大雨の中を
自宅へ戻ったが、

奥さんは私の花のお礼が嬉しくて、
早速、大雨の庭でキュウリを採り、
わざわざ届けてくれたに違いない。


私たちよりも二つほど
年上と思(おぼ)しき奥さんのお家は、
我が家から100mほどの距離にあり、

何年も空き家だったこの家を
一年ほど前に買って越してきた方。

家は立派でも、
10年も主人のいない家の庭は
荒れ放題。

新しい主人は、せっせと
その庭に花や野菜を植え
今ではすっかり、家は本来の
生気を取り戻し、

その植えた花の一つが、
私が頂いた花。


このお家の前を
通り掛かる度に、
名も知らぬ初めて見るこの花に
私は魅せられた。

せめて、花の名前だけでも
知りたかったが、

お家の人と出会う機会もなく
諦めていた4月のとある日、

スージィーと車で通りかかった時に、
花の手入れをする奥さんがいた。

名も知らぬ花の前で
いかに私がこの花に
魅せられているかの話を
初対面の奥さんに始めると、

花の好きなもの同士は
即座に意気投合。

「挿し木でつくと思います」

と、快く枝を切ってくれたのです。

その花がこれ、

花の径は6~10cm、一重の

中国、台湾を原産地とする
バラ科

「ナニワノイバラ」

浪花茨
あるいは、なにわいばら


私は
このお家の奥さんの花を、

奥さんは散歩がてらに

「レストランらしき家の前の花を
何度も眺めていましたよ」

とのこと。


互いの育てた花を眺めあう
知らない同士が、
ひょんなことで近づき
友達になる。


花には
人と人を結びつける力を
持っている。

花は人が育てるが、
花も人を育ててくれる。
 

こんな言葉もある、

 

「一年先を思う人は
花を育てなさい。

十年先を思う人は
木を育てなさい。

百年先を思う人は
人を育てなさい」


頂いたきゅうりをかじりながら
ナニワノイバラの開花した
一年先を思う

降り止まぬ雨の
昨夕のことでした。

 
「 FLOWERS FOR YOUR HEART 」
すべての人の心に花を

喜納昌吉&チャンプルーズ 

作詞作曲 :喜納昌吉 
編曲とギター、スライド・ギター、
フラット・マンドリン
:ライ・クーダー 

 ‎

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「リバイバル」

2016年06月19日 | 日記

今朝、布団の中で聞いた
屋根を叩く雨音で
目を覚ました小生は、

日曜日の一日を、
計画していた仕事に
望みがないことに気落ちしながらも
そのまま暫く、眠りに就いていたが、

「コーヒーよっ!」

の声に起こされて、
布団を抜け出し、階下に降りて

ドリップしたてのコーヒーを
啜(すす)りながら雨を眺めていると、

コーヒーのカップに
底が見える頃には、
雨も弱まり、雲の合間から
陽が差してきたのです。

あたりの気配を眺めると、
今朝まで降り続いた雨は
随分と激しかったらしく、

朝一番の小生の仕事は、
喜多里亭の床一面を濡らした
床掃除から始まります。

先の震災を機に、
家具や日用品、趣味の道具の
片づけを
随分と行いました。

随分と整理し片付きましたが
それでもまだ、
手つかずものが沢山ありますが、

その一つが、
アウトドアの道具たちです。


好天気に恵まれた昨日、
ブルーシートを敷いた駐車場に
テント二張(ふたは)りを広げ、
テントの状態や付属品を確認しましたが、

10年以上使っていない割には、
まだまだ、活躍しそうで
安心したのですが、

張り終えるまでの
その手順の悪さに、

かつての
アウトドアマンの面影は
ありません・・・

結局、一張りは
途中で止めて仕舞う始末です。

カバーをかける前の
六人用のテント。


これからの我が家のアウトドアは
先日購入した3人用のテントで
愉しむことにして、

まだ使えそうな六人用のテントは
これからアウトドア・ライフを愉しむ
あるファミリーに
差し上げることにしたのです。


テントの整理が終わると明日は

使っていない
木製ロングプランターの
塗り替えと
草臥(くたび)れたパラソルの
メンテナンスを計画しましたが、

一夜明ければ、
生憎の雨音。

しかし、前述通りに
次第に陽が差してきます。


今日は主に、塗装の仕事。

天気さえ良ければ、
すべて、うまく行きます。

先ず、
汚れを洗い流して、塗装の乾いた
見違えるように新品に戻った
「木製ロングプタンター」。


お次は、
庭のパラソルの傘は外して洗濯、
傘骨の汚れを丹念に落としたら、塗装。 

ロングプランター同様に、

見違えるようにキレイになった
パラソル。 




震災を機に生まれた心境で
着手した「遺品整理」にも似た
廃棄処分を含めた
身の回りの品の整理の一つに、

こんなものもあります。

主人からお呼びの掛からない
沢山のCDを眠りから起こして
出来るだけ聴いてあげることです。

小生は、CDもDVDも
捨てないことにしました。

しかし、これから先、
聴くも観るも制限があります。
 

昨日はテントが、今日は
ロングプランターとパラソルが
永年の垢を落として
新品に戻りました。

同じように、 

眠り続けるCDやDVDが再び、
小生のさび付いた感性を刺激し
積り積もった永年の汚れを洗浄し、

童(わらべ)のような
無垢な心を取り戻したいと

考えるのです。


テントも、

ロングプランターも、

パラソルも、

CDもDVDも

小生も

ともに活躍の場を取り戻し、

復活するのです、

「リバイバル」
なのです。


ただ今、夕刻5時30分。

心の汚れを落とし、
無垢な心を取り戻す、
洗浄液を頂く時間が

やってきたのです。

そうです、

「リバイバル」


なのです。

 

もう一度、聴くことにしたCDの
その一つ、

「Will You Still Be Mine」 

 エロール・ガーナー

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「すべての愛する者へ」

2016年06月14日 | 日記

小生、昔に比べれば
本当にモノを
大事に扱うようになったと、
我ながら感心もする。

しかし、大事に扱うようになった
暮らしの中には、

今と昔に、
大きく乖離する一つの現実がある。

現実があるからこそ、
モノは大事に扱わざを得ないのだが、

現実とは「経済」、

所謂(いわゆる)、「お金」。


昔に比べて金銭のやりくりが
上手くゆかなくなれば、

モノを大事に扱う必要性が
自ずと生まれてくる。

「生活の知恵」

あるいは、

「必要は、発明の母」

とも言う。


昔は、

飽(あ)きたから、

流行(はや)らないから、

新しいのが出たから、

古くなったから、

あの人も持っているから。


これは、
何不自由なく、使い馴染じみ、
親しんだ恩も忘れ、

商業主義に溺れて、
魅力あるスペックに翻弄され

浪費癖が身に染みた輩の
常套句。 


かつては、
生活も趣味も、万事一様に
モノを買い替えることができたが、

それは遠い遠い昔の話。


そんな暮らし振りにもすっかり慣れた、
先の日曜日、

使い慣れたデジカメの
所在が分からなくなった。


思い当たるところを何度も探したが、
見つからない・・・

失(な)くしたことを諦めきれずに、
繰り返し何度も探したが、

それでも

見つからない・・・


始末の悪さを悔やみ、
随分と気落ちした自分のことよりも、

ホームを失い、何処かで
雨に打たれているかもしれない
デジカメに

「申し訳ないことをした」

と、心から詫びた。


そんな落胆しているさ中に、

思いもがけないところから、

デジカメは姿を現した。

その瞬間、

「ホッとした」と言うよりも、

大人気(げ)ないが、
よもやの再会の感動で
嬉しくて泣きたくなった。

愛するものを
失くす(無くす、亡くす)悲哀は、

その人にしか判らない。


それで、
日曜日に撮りそこなった
画像を添えて、

自分の不始末の恥を世に晒し
日記とすることにした。



デコへ

こんなに元気になりました。 




容易く買い替えもできない
貧しき者には、取り分け、

「始末は暮らしの要(かなめ)」

小生、強く心した次第である。


「お帰りなさい、デジカメよ!」
 

愛する者には聞こえないけれど、


心の底から。


 

「Take me home」

トム・ウェイツ


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「コロッケで祝杯」

2016年06月12日 | 日記

世の中、なかなか思い通りには
ゆかないもの。

お天気、ご機嫌、状況一つで
様子も変わる。

雨が降らなきゃ、
午後4時半のこんな時間に、
日記を書いてはいなかった。


今日は早起きで
博多湾にボートを浮かべ
社長とスージィーと三人で
キス釣りだった。

しかし予報は的中、雨で中止。

天気が崩れ、予定も崩れて

此処は一つ、久しぶりに家で
のんびりすることにしたが、

あにはからんや、
やることはある。


スージィーは、
らっきょうの酢漬けと味噌漬けを
仕込んだ後に、
雨も上がった庭に出た。

二つのセダムが
鉢を隠すほどに葉を伸ばしたので、
背の高い鉢を買ってきて植え替え、

セダムの画像は、借り物。



小生は三つ目の風車を
風通しの良い葡萄棚のトップに
取り付けたが、驚くほどよく回る。

好回転風車と
植え替えたセダムの鉢に

もう一つ、デコを安心させるための
元気を取り戻したオーガストの画像を
届けるための、

デジカメの所在が分からない・・・

折角のご機嫌も
何一つ画像を残せず、

がっかりしたところで、
また、雨が落ちだした。


家に入り、昼間、滅多に観ることのない
テレビを点けた。

現在、7対2。
ホークスの活躍を横目の日記。

此処は一つ、
巨人に三タテを喰らわせて、
機嫌好く夕ご飯と行きたいが、

天気が崩れてメニューも崩れ、

予定は、
キスの刺身に天婦羅だったのに、

 それでも、ヒヤヒヤものの
試合も先ほど、終了。

予定通りにいかなかった
今日の最後は、

思い通りに、巨人に三タテ。

 機嫌を良くして、
今夜は、コロッケで祝杯です。

五月みどり

「コロッケの歌」。 

 

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「我、ふと思う」

2016年06月07日 | 日記

間もなく高齢者の仲間入りをする
小生の人生と、

ともに時代を歩んだ方たちの
人生を対比するつもりは無いし、

例えば、対比したとしても
あらゆる比較事項に於いて、
小生が劣等であることは明らかで、

そこで生まれる感情を
「劣等感」

殊更ながら、己を惨めな思いに
落とし込む必要もなく、

惨めな思いをしたくないが故に

「我れは我が素を行う」

自分の素(意思)を貫く生き方
を旨(むね)とする小生である。


子供の頃、頭はそんなに
悪くは無かったように
記憶しているが、

辛抱強く何かを続けることが苦手で、
勉強もその一つ。

結局は、「ウサギと亀」。

好奇心旺盛で
何事にも関心を抱いたが、

残念なことに、飽きっぽい。

途中で投げ出せば、
何事も成就する筈がなく、

そんな無益な人生を、
ただ闇雲に繰り返し、

かくして、
何の取柄も、金もない己が
今、ここにいる。


しかし、我ながら感心するほど
長く続けるモノが一つだけある。

それは、「音楽」である。

「音楽」とは言っても、

立ち位置は、
「舞台」でなく、「客席」。

「プレイヤー」でなく、
あくまでも「リスナー」だが、

音楽と、どこが相性が良いのか、
子供の頃から「美しい」と感じる、

古今東西、
ありとあらゆる
ジャンルの音楽を聴い
てきたが

あまつさえ、自らを
「稀有の泣き虫」と広言する男が
バラード一つで泣きじゃくる有様。

これだけは、幾つになろうが
変わることがない。

変ることがないのが、もう一つ。
好んで聴く曲が、押しなべて

古いものばかり。


「美と健康は、金運に勝る」

こんな言葉もある。

小生、「美」も無ければ、「健康」も、
今のところ辛(かろ)うじてある程度、

依って「金運」には、極めて乏しい。

映画「八甲田山」に

「天は我々を見放したか」

の有名なセリフがあるが、

小生、生涯、
金(運)から見放されっぱなし・・


お金で
「豊かな人生」は過ごせなかったが、

音楽が
「豊かな人生」にしてくれた。
 

今夜も、YouTubeで
音楽を愉しませていただき、

幸せな(心豊かな)ひと時を、
創ってくれる。


懐(ふところ)の幸せは、
お金のある間だけ。

作家は私のためにだけ、
曲を書いてくれる訳ではないけれど、

我が家にメロディの
絶えることがない限り、

私の幸せは永遠に続くのです。
 

六十余年を生きてみて
我、ふと思う

人生、何が「幸せ」で、
何が「豊か」か解らない。



今夜は
ガーシュウィン兄弟が書いた
名曲

「But Not For Me」

(でも、私のためじゃない) 

唄とトランペット、

チェット・ベイカー

 

 

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「続:ご指導、ご鞭撻」

2016年06月05日 | 日記

スージィーが心待ちした
マテ貝堀りは、生憎の雨。

残念ながら今回は
その機会を失ってしまいました。

にも拘らず、
昨日と今日のお二人の
至(いたれ)り尽(つ)くせりの
お持て成しに、

二人、心より感謝致します。

ほどなく高齢者が
自然の中で童心に戻り、

「漁と食」を同時に愉しむ
大人のテーマパークにも等しい
マテ貝堀りは、

心ならずも
来年に持ち越しとなりましたが、

これは、

「生きている間に
愉しみは完遂すべき、
来年も心して生きておれよ!」

と言う、神の思(おぼ)し召しと
当方、承(うけたまわ)ります。


ただ今、10時少し前。

「その日の感謝は、その日の内に」

と、酔気と眠気に鞭打ち、
日記を認(したた)めておりますが、

頂いたお持て成しに返す
感謝も言葉足らずで申し訳なく、
この歌が、
二人の気持ちを代弁いたします。

山女魚小僧ご夫妻様、

愉しい二日間を
ありがとうございました。

 

「男のありがとう」

前川清

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「ご指導、ご鞭撻」

2016年06月04日 | 日記

土曜日の午前七時。

休日の朝の春日村の村民が
やっと、目覚めだしたころ、

早くも小生の一仕事は、

成長期の伸び出した
ツタの葉の剪定です。


生い茂ったツタの面も
奇麗になり、

刈ったツタの葉を袋に収める頃に、
降り出した小雨。

休日早朝の働き者は、
雨に濡れずに一仕事、

「早起きは三文の徳」

とはこのことです。

もっとも、若い時に
早起きの習慣を身に付け、
自堕落な性格から抜け出しておけば、

「今の生活を招かずに済んだものを」と、
いまさらながらの反省です。


ところで今日は、
この季節でなければ頂けない、
栄養素の高い
「海洋性たんぱく質」を求め

、とある宿を一泊の予定で
訪れるはずでしたが、

天気予報は「雨」、予報は的中。

宿主が
「雨が降ってもおいで」
と仰るので、

言葉に甘え、予定通りに
出掛けることにしたのです。


今日は六月四日、
間もなく、小生の誕生。

今夜はこの機に、
己の過去の生き様を顧みて、
性格と生活を正(ただ)し、

「これからをどう生きるか」
を示す
「反省会」でもさせて頂きます。

小生、
随分と我が儘(まま)な人生を送り、
多くの方にご迷惑をお掛けした様です。

今日までの
己中心の生き様の是非を、

第三者の厳しい目で公正に
判断して頂きたい、

と考えるのです。

そうは言いつつも、
おそらく今夜は、ご馳走に酒。

宴も始まれば、

「喉元過ぎれば、熱さも忘れ」

当初の目的は忘れ、
いつの間にやら、いつもの如くの
「飲んだくれ」は
我が不徳のいたすところ。

そうならぬよう、

この点につきましても、
真摯に反省し、

第三者の厳しい目で
公正に判断して頂き、

然るべき酒の愉しみ方を
ご指導を頂く所存でございます。


それでは、出発。


宿主様、
お世話になります。


「早起きは、三文の徳」
でリンクした、 

大滝詠一 
「NIAGARA MOON & 三文ソング」 

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