告別式から・・一週間・・10日・・
日常の生活に戻って、やるべきことに追われながらも
いろんなことを考えてしまう日々でした。
まだ、考えても考えても・・いろんな気持ちが
あふれ出してしまうばかりで、あんまり気持ちは
整理できないんだけど・・立ち止まっていると
時間だけはどんどん過ぎていってしまうので
ここで少し語ってみます。。
亡くなられた方は、私がジャズダンスを習っていた
ダンススクールの先生でした。
この先生との出会いは、私の今までの人生の中で
多分、何度目かの”運命の出会い”・・だったと思う。
一緒に過ごしていた時間は、短かったけど
ずっと遠い存在ではあったけど、それでも私の中では
すごく大きな存在で、先生から教えてもらったことは
ほんとに沢山。。
多分それが今の自分がやってることのベースになってるとも言えると思う。
東京から地元に帰って、本業に専念するようになってから
ダンスからは離れてしまっていたけど、
日常のふとした時に、あの頃、先生が言ってたことや
先生に教えてもらったことをときどき思い出してた。
本業のリトミックで動いてるときも
歌ったり、演奏したりしてるときも
絵を描いてるときも
精神的に辛いときとか、壁にぶつかったときも。。
あの頃のことがときどき自然に思い出されて
いつもどこかで役に立ってたり
心の支えになったりしてた。
そんな先生との初めての出会いは、もう9年前・・でした。
友達が出てるダンスの公演を観に行った時。
その公演はホントにみんなキラキラ輝いててすごく感動が伝わってきた。
観てるうちに、私もこの中に入ってみたいな・・・って思った。
そして・・・その公演を観て半年後の秋、私は一緒に舞台に出ていたのです。
今考えたら、ダンス経験なんてちょっとしかなくて、
怖いもの知らず?だったと思うけど
ドキドキしながら友達について下北沢のダンススタジオに
行った日のこと・・今でも覚えてる。
初めて先生に間近で会ったとき、何だか新しい風が
自分の中に入って来た気がした。
あの頃の私・・日記を読んでみたら、東京で一人暮らしを始めたばかりで
いろんなことがあって、自信をなくしたり、
自己嫌悪に陥ったり、これからの自分の道に迷ったり
不安で仕方なかった時期だった。
今までの自分も、今の自分にも全然自信が持てなくて
何をするにも臆病になっていた。
すごく自分が小さい人間に見えて・・落ち込んでばかりだった。
そんなときに出会ったのが先生でした。
ダンスのレッスンは初心者の私には難しくて、なかなかついて
行けなかったけど、それでも何だか楽しかった。
ちょっとでも何か出来るようになると、それを
ちゃんと見てて褒めてくれたり、励ましてくれたり。
もちろん、それは生徒みんなにそうなんだけど、その雰囲気が
嬉しくて、いつも私は端っこで踊ってたけどすごく楽しい時間だった。
あの頃。朝が来るのが待ち遠しいくらい
毎日が充実してた。
8回のレッスンチケット。小さなカードなっていて
毎回チェックしてもらうんだけど、最後まで終了すると、
カードの裏に先生がコメントを書いてくれたりした。
それはいつも前向きなコメントだった。
そんな細かい心づかいも嬉しくて、厳しいレッスンも頑張れた。
今でもそのカードは全部大事にとってあるよ。。
初めての公演に出たとき・・
出るって決心するのに、すごく勇気が入った。
迷ってる私に先生が「もうひと頑張りしたら大丈夫だと思う」って
言ってくれた。ポンって肩を押してくれた気がした。。
「一歩踏み出しても 踏み出さなくても
2ヶ月は過ぎてゆくものね
是非、一緒にいい舞台にして 一緒に輝こうじゃないですか」
さりげなく渡してくれた手紙に書いてあった言葉。
悩んでる生徒に、いつもそうやってさりげない心遣いを
してくれる先生でした。
勇気を出して出る決心をして、それから2ヶ月・・必死だったけど
出てよかった。。同じ時間、みんなで同じ目標に向かって
精一杯努力して成功させた舞台。一緒に感動できてよかった・・。
初めての公演の下北沢の「北沢タウンホール」・・
今その場所に行っても、あの日のシーンが鮮やかに思い出されます。
この公演に出てから、3回の公演に出させてもらった。
1回1回、テーマがあって、いつもその公演に対する
真剣な想いが込められていた。
年に2回の公演だったから2年間。
普段は週に2回レッスンに通っていたけど、
公演が近づくとほとんど毎日のように
いろんな場所を使って踊ってた。
公演以外の時期にも、公共施設を借りて合宿したり。
合宿は特に集中的に基礎練習から振りを覚えて踊るのまでハードな一日。
ほんとに、食べる、寝る、以外はずっと踊ってるくらいダンス漬け。
足が全然上がらなくなるまで・・立てなくなるまでやってたよ。
こんなに体も精神的にも限界を超える経験はしたことなかったと思う。
・・と言っても、私は初心者組なので、こんなのは
全然まだまだ序の口の方ですが。。
厳しい練習もたくさんしたけど、ときには
みんなで楽しいイベントをしてみたり、
川原で花火したり・・、いつもそんなときは
先生がギター弾きながら歌ってくれたりして
みんなで和気藹々とした時間も楽しかったな・・。
先生は趣味?(・・と言っては失礼かも)で
作詞作曲してギターとハーモニカで歌を歌ったりもする人でした。
下北沢のライブハウスでのライブに行ったこともあったな。。
すごく自分らしい歌詞で、気持ちがまっすぐ伝わる歌で
優しさや強さが先生らしくて・・好きだったなー。先生の歌。
そんな歌を何十曲も作っていて、ライブじゃなくても
よく、レッスンの後とか合宿のときとかも踊った後に
ミニライブをやってくれた。
そして、そんな先生の歌が
本格的にレコード会社からCDを出すことになったのです。
そのとき、絵が趣味だった私に先生が声をかけてくれて
CDのジャケットの絵を描かせてもらうことになりました。
あの頃、私はほんとに絵は習い始めたばかりで全く素人だったのに・・
「私の絵なんかでいいんですか?」ってすごく不安だったけど
先生の熱意も感じて、思い切って描かせてもらった。
CDジャケットの絵なんて初めてなのに、全てを任されて
どんな絵にしようかすごく悩んだ。
レコード会社の方がこの絵の採用を決定するまで、何度も描き直し。。
気付いたら12時間ずっと描いてたり、先生の曲を聴きながら
朝になったこともあったよ。。
締め切りの日、やっと出来上がった絵を渡しに行ったとき
新宿のビルがすっぽり包まれるくらい大きな虹が出てた。
「10年ぶりに虹みた」って言ってた先生。
あの日の虹は今でも忘れません。。
そして何とかCDジャケットに採用になった日。
先生と仲間みんなで「よかったね!」って喜んでくれて・・
私にとって生まれて初めての体験だったけど、
ほんとに貴重な体験をさせてもらえて感謝です。
このとき、絵を真剣にやったことが
今に繋がってると思う。
この作品は、今見るとほんとにまだまだ
技術もなにも知らなくて、恥ずかしいんだけど・・
でも。ここから始まったんだって思う。
先生がチャンスを与えてくれたから、
今、絵を描いてる私がいるんだと思う。
タイトルも『僕でいくから』
すごく先生らしい・・・。
この絵を気に入ってくださって、中の歌詞カードの
カット絵も描かせてもらったんだけど・・
ホントだったら、プロの人に頼めばもっともっと
かっこよく仕上がったはずなのに・・ね。
それから、もう一つ。私はダンス以外にやらせてもらったことが
あるのです。
公演の中で使う曲を作らせてもらったこと。
エレクトーンやってたことが、ちょっと役に立って
作曲したり、音作りからリズムの打ち込み・・
これも普段エレクトーン弾いてるだけじゃやらないことを
必死で勉強してやってた。
これも初めての体験。必死で作ったけど、今聴くと
やっぱり初心者作品。。
それでも、ちゃんと採用してもらえて舞台で使ってもらえた。
このときの経験も今に繋がってる。。
他にも、フルマラソン完走できたのも
ダンスで鍛えられた筋力と気力、精神力のおかげだと思う。
体力、気力の限界を越えても、それを乗り越えられる力・・
先生に出会ってなかったら、それまでの私だったら出来なかったよ。
ダンスを通して、いろんなことを教えてくれた先生。
今まで経験したことのないような、
いろんなチャンスを与えてくれた先生。
先生に出会ってからの2年間とちょっと・・
時間にしたら短いけど、でもその間に私はずいぶん変われたと思う。
自分に自信がなくて、何をやるにも臆病だったけど
先生に出会えて、たくさん勇気をもらって
私はちょっとずつ自分の羽根で飛べるようになったんだと思う。
私も飛べるかもーー!って思えるようになったんだと思う。。
思い出箱の紐を解いてしまったら
大切にしまってたものが、次々出てきて
語りきれない。。
こんなにも大きな存在だったこと・・
今になって気付いて
また、どうにもならない想いに包まれてしまう・・。
会う機会がなくなってしまっても
ずっと心のどこかで大切にしてた想い。
いつかどこかで会える日が来たら
あの頃のことを笑顔で話せたら・・
いっぱい「ありがとう」って伝えたかった。。