ひょうきちの疑問

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金本位制の崩壊過程

2011-10-17 09:51:31 | 国際金融

(エンカルタ 金本位制 より)

金本位制を最初に確立した国は1816年のイギリスである。
以後、71年にドイツ、73年にアメリカ、97年に日本、そして1900年にほとんどの主要国は金本位制に移行したが、

第1次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によってその機能は一時期停止した。

戦後、制度の内容は変化したとはいえ、ドイツをのぞいて各国が金本位制に復帰し、

(管理人注 各国の第一次大戦後の金本位制への復帰時期
1919 米  1924 独  1925 英  1927 伊  1928 仏  1930 日)

この再建された金本位制は29年の大恐慌(→ 恐慌)後もしばらく継続した。

だが、
イギリスと日本は1931年に、
アメリカは33年に、
フランスは最後になったが37年にこの制度を停止した


この間、各国は平価の切り下げによる輸出促進政策を展開したが、結局、その効果は他国の金本位制離脱によって相殺されてしまった。

アメリカにおいて平価の切り下げを最初に実施したのはフランクリン・ルーズベルトで、
1933年4月、彼の大統領就任直後に修正金地金本位制へと移行した

この制度のもとでは、法律により金貨流通は禁止されたが、金は依然としてドル価値を表示するのにもちいられ、
1ドルは35分の1オンスの金量と等価であると規定された。

第2次世界大戦後は、豊富な金準備に裏づけられたアメリカだけが固定相場で金とドルの交換性を保証するIMF(国際通貨基金)体制が創設され、
その意味では戦後の新しい制度は基軸通貨として機能するドル中心の金為替本位制であった。

この制度も、やがてアメリカの慢性的な国際収支の悪化からドル危機におよぶと、1968年には金の2重価格制、71年にはニクソン声明によって金とドルの交換停止にいたり、崩壊した。

"金本位制" Microsoft(R) Encarta(R) Encyclopedia 2001. (C) 1993-2000 Microsoft Corporation. All rights reserved.

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【私のコメント】

アメリカの中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)の創設は第一次大戦直前の1913年である。
しかしこれはアメリカの金融資本家たちのカルテルに過ぎず、まったくの民間銀行であった。

この時点ではまだ金本位制であったが、金保有高に縛られているとはいえ、民間銀行家たちは、これによって国家の通貨発行権を掌握したのである。

金本位制は、それ以前の第一次大戦中にヨーロッパ諸国が戦争遂行のための資金の必要から、それを停止した前例があることからも分かるように、国家の都合によって随意に停止されることが可能であった。
そうなると通貨発行権を握る金融資本家たちは自分の思うように通貨を発行し、莫大な利益を得ることができる。

1971年のニクソンショックはまさにそうしたものであり、一民間銀行に過ぎない連邦準備制度理事会(FRB)は、それ以降世界の富はFRBが随意に印刷するドルというペーパーマネーによってアメリカに吸い寄せられることになった。

今アメリカを中心に反格差デモが起こり、それが世界的な広がりを見せているが、その格差の出所は、アメリカの金融資本家たちによって世界中の富が一部の特権階級に集中する構造が作られたからである。

それはすでにイギリスの中央銀行であるイングランド銀行にも見られたことだが、そこにはまだ金本位制というしばりがあったため、今のような一部の特権階級に富が集中していく構造を作るまでには至らなかった。(ロスチャイルドというユダヤ金融を除いては)

二度の大戦を経て、世界金融はイギリスのポンドからアメリカのドルへ、イングランド銀行から連邦準備制度理事会(FRB)へとその主導権が移っていった。
その連邦準備制度理事会(FRB)こそ一部の特権階級である金融資本家たちの巣窟であった。
その矛盾が今一気に世界中に広がっている。


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